1. シュウとショウの未知の理への道のり
  2. リセット的未知のり?その2~..
2022-09-01 26:40

リセット的未知のり?その2~出来ない情けなさとズルの話?

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一旦リセット的に丁寧に話してみようとしてる編の2回目

変な空気?からの流れは、しょーまさんの新しい仕事とシュウの将棋という…

一見何の関係も無いことに繋がりを見出していきます…


収録日:8月8日


#樋口塾

#シュウとショウの未知の理への道のり

#未知のり


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00:10
シュウとショウの未知の理への道のり
この番組は文字通り、シュウとショウの気が向いた時に
適当に好きなことを話しながら、まだ知らないことはないことわり
つまり、つまり、未知の理を探していく道のりを描く番組です。
下手をしたら、下手をしたら、2人の文字っぷりを探すだけの気のままな旅
ゆるーくお付き合いいただけたら、嬉しいです。
前回からの続き
なんかすげえ変な流れにちょっとしちゃった感じがある。すみません、ごめんなさい。
僕はなんか、きんきょうって言われて普通にきんきょうの話をしてたので。
僕のほうはそんなこんなで、大変さっていうのを感じつつも楽しく頑張れてますっていうところと
ただ、もうこんな年になって初めて転職して、また完全にゼロからみたいな感じの始め方なので
実際として、いただいているお給料に対して自分が多分できていることに納得がいってない部分からカットがあっている中で
学校とかっていう教育のシステムっていうのは、本当にシステムというかその時期に与えられている時間ってすごくありがたいものなんだなっていうのを改めて今更ながら感じているということですね。
勉強だけに集中できるっていうのが、仕事しながら目標を見据えてそこまで終わらかせるとかっていう考えながら
自分のいろんな時間を使ってその勉強も含めてそこをやっていくっていう
そしてそのまとめられたものを収集するというよりも、自分で探索しながらっていうのが大変さを感じているようなところです。みたいな話ですかね。
なんかちょっと余計わかりづらくなったかな。
全然全然めちゃくちゃわかりやすい話ですね。
03:01
泣き言。
あ、ごめんなさいごめんなさい。泣き言?
全然泣き言じゃないですよ。
いや、そういう話もちゃんと聞いたことなかったなみたいなのもあって。
そうですね。ありがとうございます。
1ヶ月に1回ぐらいの収録ペースにできたらいいなっていうイメージからすると、最初はそのこの1ヶ月どうでしたみたいな話になるのが自然かなみたいなっていう感じだったんですけど、そこにちょっと僕も近況的なところと偶然被せる形になっちゃいましたけど。
うーん。
いやでも、やっぱテーマとしてはそこすごい面白いなと僕思ってて、その学校っていうのが実はすごく恵まれた環境だったんだなっていう部分。
僕はまあ学校に対して自分の体験からそこまでそれを同じように感じるってことはあんまないんですけど、僕はよく考えるのが親の被害みたいなのがあったときに何も考えずに子供の頃はその場にある遊びにしても、なんか本を読むとかにしても集中してできてたなみたいなところ。
それが今はできないっていうところと似たような感じをちょっと受けて。
まさにそうですね。勉強だけっていうよりも、そうですね。親のおかげというか、まあ親だけじゃなくその周りのこの世界のそのいろんなシステムを含めたところですね。
そういう自分の周りの環境のおかげでいろんなことに集中できてたっていうところが大きいんだと思います。今でもそういう環境が欲しければ投資をしたりだとか、お金を投資してそういう環境を自分で設けるだとかっていう方法とかはあるにしてもそういうお金的な財源もいるし、
時間としての投資もいるし、今なかなか子育て、家事しながら仕事しながらこれを設けるっていうのはなかなか難しいところがあるので、そこのもどかしさもですね、あったりとかするんでやっぱりすごくそういう自分がそういう親元にいたときというか、
周りからサポートされてた時期、まあ今でももちろんサポートはされてるんですけど、そこの大切さっていうのを改めて感じますね。まさにその勉強とか教育だけじゃなく、しゅうさんおっしゃるようにその両親の庇護というか、もうちょっと社会の庇護というか。
そこも前回も、ちょっとまた僕のぶっ飛びの方にだんだん入ってきそうな気配がしてきてると思うんですけど、前回僕がなんか今回はうまく言えないなみたいな話をしてたと思うんですけど、
06:18
しょうもさんは、なんか周さんはある意味でゴールしてるんじゃないかなと、言語化はできないにしてもある意味ゴールしてるんじゃないかなみたいにおっしゃってくれてたんですけど、やっぱ自分で編集しながら聞いてみても、ふわーっとした意味ではそう言えなくはないかもしれないけど、やっぱりなんかちゃんとゴールした感覚が多分持ててないなみたいな感じがあって、
それに結構近い位置にあるのがその親の庇護というか、なんか守られた環境限定で能力が発揮できていたこと、それはある意味ですごく限定的なシチュエーションというか、人生を通してそれで最初から最後までいけるっていう風にイメージしたら、それはなんかすごく不自然な人生に感じるんですよね。
だとしたら、なんかその宇宙の法則的なものの延長上で考えた時に、そうじゃなくて、自分自身でそこに向き合うっていう流れになって叱るべきな、なんか法則みたいなものっていうのが、まだちゃんと直感的につかみ切れてないなみたいな感覚があって、ごめんなさい急にぶっ飛びすぎですかね。
はい。確かに。直感的にそこにたどり着けてるんじゃないかっていうのも、僕もその程度の何というか、過程というか、そういうのを立てるだけしかできないとか、それがなんでそう思うのかっていうのを言語化できないと思うんですけど。
ポイントとしてはやっぱり、しゅうさんのその考えっていうのを伝えていきたいっていうところがやっぱり大きいところですもんね。だからこそしゅうさん自身が言語化をしたいっていう風に思われてるんですよね。
そうですね。今、このしょうまさんとの話をする中では、どっちかというと伝えていきたいっていうよりは、まずは自分がもっと断り的なものを見つけたい、もうちょっと中心に近づきたい的なイメージかな。
前回はいろいろ、もっとちゃんと勉強しないとっていうような話題にもなったと思うし、そういう意識もちょっと持ってたんですけど、実際にはちゃんとできてはいないんですけど。
なかなかですね、勉強するにしても何をどう勉強すればいいかなんていうのからですもんね。
09:07
そうですね、それもありますね。
そういう、どこにフックがあるかわかんないというか、これなんか自分が求めてるものに近い気がするっていうような情報に出会わないとですね、なかなかそれもないよね。
まあ実際には何というか、それを勉強して自分が一番最先端のことをわかるなんていうことはとて思えないというか、そういう知識で言うとですね、特に。
なんかよくわかんないけど、急にバーンて閃いて悟ったみたいな人の話は聞きますけど、それこそそれもう本当にありえないな、ブッダとかの世界の話ですけど、そういうのではない限り多分知識を積み上げていってっていうところで行き着くみたいなイメージは持ててないので、そこを目指すっていう意味とはまた違うんですけど、
なんかでも自分の中でさっきの課題が現れるっていうところに通じるんじゃないかなと思うんですけど、自分が何か気になる感覚があるんであれば、そこに行こうとし続ける、その歩みの中で生きて生き続けるしかないかなみたいな感覚があって、ちょっと話がめちゃくちゃ飛んでるように感じるかもしれないんですけど、
最近将棋も毎日やってて、
これ前回も話したりしましたっけ?
いや、将棋の話は特には、はい、どこの話かな?
しゅうさんのラジオの方での、ここで話したかラジオの方で聞いたかわからないですね。
聞いてもらってるんですね、ありがとうございます。
そうですね、しゅうの話すラジオの方では何回か将棋のことを話した回もあるんですけど、
日口塾の中で塾王戦っていうトーナメントの大会があったことがきっかけで、
今毎日つめ将棋だったり、将棋ウォーズっていうアプリで1日3局誰かと対戦したりっていう風なことやってるんですけど、
まあいかんせん、あまりにもその自分の力量が伸びていかない、
自分のイメージしてるよりも伸びていくスピードが亀の歩みすぎて、
遅すぎて絶望してるみたいな感じなんですけど。
それはまさに僕の今の仕事の状態と同じかもしれないです。
そんな感覚なんですね。
いやそうです、なんでこんな、もう僕、転職してもう半年なんですけど、
そんなになりますかもう。
まだこんなレベルかっていうのにちょっと絶望してるのはありません。
12:02
それがその大変っていう出るところにもやっぱあると思う。
なるほど。
含まれると思う。
まさかのその感覚が、そうなんですね。
絶望してる。
あーごめんなさいごめんなさい。
絶望しているんですけど、結局人生ってそういうもんかなっていうのもどっかで思うんですよ。
さっき言ったみたいに、僕が誰よりも宇宙の理みたいなのを一人突き抜けて悟るみたいなことはきっとない。
今後の人生でも絶対ないし、むしろ衰えていくって考えたときに、
でもそれでも多分死ぬその瞬間まで地べたを這うように歩き続けるみたいなことをやるんだろうなと思って、
だからそれが将棋の感覚、なんか勝っても負けても、
もうこんな地べたを這うような勝ち方しかできなかったなみたいな、
言うので、勝ったとしてもへこむんですよね。
あー。
みたいな感覚があって。
ほうほうほう。
でもそれでもそんな見苦しい姿を晒し続けて生きるしかないっていうのが、
今の自分の生き方にもすごく当てはまりすぎるほど当てはまるなって思いながら、
今日勝ったんですけど、将棋を。
おめでとうございます。
いやいやいや。
3局目の話ですけどね、1,2局目は両方負けたから。
いや、なんでかな。
やっぱなんかこう、なんでなんだろうな。
そのやっぱこう、絶望というかこの成長の遅さに自分で納得いってないっていうんだろうけど、
それはなんかこう、裏を返せばなんかこう自意識過剰すぎるのかなとも思ったりとか、
メタ的に考えたときにですね、いろいろなんでなんだろう。
正直な話そんな風に捉えずに、ただただこう目の前のことに集中して頑張っときゃもうそれでいいじゃないですか。
極論。
だけどなんかそういう風にこう思ってしまうのはなんでだろうなっていう風に今の話を聞いて思ったのと、
将棋とかにしても、その仕事の話にしてもかわからないですけど、将棋の話でいうと、
そのやっぱりこう、勝ちたい。ゲームでやっぱ勝ちたいっていう思いは多分あるし、勝てなかったら悔しいって思う。
たかがゲーム。
ですよね。
なんでだろうなーとかっていうのはそれもちょっと今思いましたし、
あとはそういうところで、しゅるさんが人生の部分で重なるところがあるようなお話をされたんで、
15:07
僕も今仕事とかもそれに似たようなのかもしれないと思ったのも含め、
将棋とかそういう風なのは、なんかそういう経験、人生でそういう風なことって多分絶対あると思うんで、
一つのトレーニングになったりするのかもしれないなと思う。将棋が。
そういうなんかめちゃくちゃ人生に通じてる感じがすごいあって、
だから熟王戦のトーナメントがあった時はその時だけやってやめるかもなってもどっかで思ってたんですけど、
いやこれはなんかちょっと、すごくなんか、それこそ真理に近い何かっていうと大げさですけど、
なんか究極のものが眠ってるぐらいな感じが将棋にはあるぞみたいな感じがあったんですよね。
ちょっと大げさですけど。
それ質問してもいいですか?一つ。
それって将棋に限りですか?他の例えばオセロとか、練習とかそこら辺の。
ごめんなさい、まだというか、オセロはまあ昔やったことありますけど、どうなんでしょうね。
やったらやっぱそれにも通じるというか感じるものはあるのかもしれないんですけど、
今のところ将棋しかやってないからっていうだけ。
今なんか話を聞いてる中で、キーワードとしてはゲームかなっていうふうに思ってて、
なんでそれが将棋ならではで感じることであれば、そこになんか面白いものがあるのかもしれないなと思ったんですよ。
でも僕は聞いた話だと、将棋に限らずゲームっていうのが人生経験のちょっとしたプレートレーニングみたいなのができる一つのコンテンツとして成り立つのかもしれないなとちょっと思ってたっていう話。
いや、僕も本当に将棋しかやれてないから、わかんないです。他のゲームにも全部同じように感じるかもしれなくて、
ただまあいろんな側面からいろんな勝手なこじつけといえばこじつけで人生に通じるみたいなこと言ってると言えなくはないんですけど、
例えばこのしょうもさんと話してる話の流れでいくと、保存の法則の話、これも修法の方で言ったお話かもしれないから、
あ、その話ねって思われるかもしれないんですけど、将棋のコマってなくならないんですよね。
うん、はいはいはい。
18:00
でもチェスのコマはなくなるんですよ。
うん、その話面白かったです。
あー、聞いてくださってたんですね、やっぱり。
はい、あ、ちょっと聞いてください。
あ、いえいえいえいえ、もうご存知であれば別にそれ以上、それがオッチなんですけど。
もう一回聞きたいです。いや、もう一回聞きたいです。
いや、もうそれがほぼ全てなんですよね。
うん。
要はなくならないっていうところの中でのやりくり、だからズルができないというか、
全体的には保存されてないっていう。
そうですね。
なくならないっていうところと直結するかわかんないですけど、さっきの犬の獅子とのやりとりの中でも、
なんか急に僕の田んぼの周りだけ完璧な柵を作るなんていうのは、将棋の中ではすごいズルをしないとなんかありえないような感覚があるんですよ、僕の中で。
こっちも一手刺す、相手も一手刺すっていう必ずそのルールの中でやりくりしてて、
こっち側だけがその一方的に自分の陣地を完璧に守れるような数の駒を揃え切るみたいなのって、
まず将棋ではありえないかなーみたいな感覚もさっき直感的にその犬の獅子に対しても、
そんな超無理矢理なことをするのは感覚的にちょっと違う気がするって言ってたのともなんか通じてる感じがして、
そんなことをしなくても相手の駒が詰みさえすれば、もう将棋としては一旦ゲームは終了なんですよね。
それが実際、あんまり僕この表現使わないんですけど、美しいと言えば美しい。
そういう美しい勝ち方ができないことで僕は凹んだりしてるんですけど、
相手をもう本当に丸裸にするぐらいまで相手の駒を取りまくってそれで勝っても美しくないんですよね。
それも犬の獅子に対してそこまでのことをするべきじゃないみたいな感じがあったりとか。
そうですね。だからやっぱりそこは犬の獅子に対しても獅子に向き合われてるってことですよね。
まあそうかもしれないですね。
いや、将棋とかにしても他のにしてもやっぱ対人なんで。
そもそも将棋がベースになったこの戦みたいなものも人対人。
だからこそ中で行って行ってお互い同じ条件で、
同じ条件っていうのがちょっとどこまでのレベルで言えばいいかわからないですけど、
動物とだったらもうやっぱ知的レベル的に全然違うので、
もう向こう側も本当に飛車格も結構ほぼほぼ落ちてるみたいな、何枚落ちかしてるような状態。
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本当はそうなんですけどね。
ことですよね。
本当はそうなんですけど。
だから実質その状態でだからコテンパンにするのってどうなのっていうことだと思いますし、
本当は力量を揃えるために飛車格落ちとかするわけですけど、
前提として飛車格落ちみたいな状態になってるようなところにさらに勇気をかけるかどうかっていうところも。
だから相手と心地に向き合ってるがゆえの葛藤なんだろうなっていうのはちょっと思いましたね。
そうですね。
ちょっと保存の法則のところからはずれすぎちゃったかもしれないんですけど、
そういういろんなことに今は将棋だけをやってるから将棋で同じようなことを例えられるなみたいな感覚になっていて、
他のゲームをやったらやったで同じように感じるのかもしれないですね。
そうですね。
僕は将棋も小さい頃おじいちゃんとやってたりとかしてたんですけど、
どっちかと言ったら囲碁の方とかをやってたりして、囲碁好きなんですけど、
感覚的には同じような気もしますね。そういう意味合いでいくと。
やっぱりゲームというか対等の相手と対等の条件で、対等の相手っていうのは人対人っていうことですけど、
同じ条件で戦うって言うとどうなのかわからないんですけど、
そのゲームをプレイするっていうのが、その中に美しさだったり面白さだったりっていうのを感じるのがすごく面白いなと思いますね。
なのでそこは将棋に限ったことではないかなと僕は感じているところです。
そうですね。そうなんだと思います。
だからいろんなゲーム、ひぐちさんとかもアナログゲームとか、
あとはドミニオンとかカタンとかいろんなゲームの話をされるから全部にちょっとずつ興味は湧くんですけど、
いかんせんそれを本当に全部手を出し始めたら時間が…みたいなことを気にするタイプで。
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で、一応将棋一本に今のところそういう流れ的なものもあったので、
ひぐち塾の中で盛り上がっている流れっていうのもあったので、
いま一点集中的に将棋だけっていうふうに絞ってるだけの話で。
僕もちょっとあれは手挙げようかと思いましたけど、
時間ねえなあと思ってちょっとやめました。
そっかそっか。
将棋自体は結構前は指されてたみたいな感じでしたっけ?
まあじいちゃんとちょっと指してたぐらいで、もう全然そのペーペーですよ。
ルールがわかってて指すことができるぐらいで。
いやいやじゃあ僕も同じようなもんですよ。
いまはまあ毎日やってるからちょっとはマシになってるかもしれないけど。
そうですね、でもそういう相手と自分が全く対等から始めるっていう話で言うと、
さっきの学校みたいなすごくなんていうか周りの人がお膳立てしてくれてることとか、
親の秘語があるとか、それも似た感覚持ってもいるんですよね。
相手を駒落ちの状態にしてくれてて勝ちやすくしてくれてる状態と言えなくもないなあみたいな。
そうですね、相手がこう何かって言うとちょっと表現しづらいかもしれないですけど、
ゲームで言ったら相手にルール上で勝つっていうことが多分目的なんで、
それからするとある目的に対してそういうふうなお膳立ての状態が作られてるってことですね。
しかもそれ自身が、この世界でみんながみんな平等じゃないじゃないですか。
平等じゃないというか、そうじゃないたちもいるわけで、
だからこそありがたいことでもあるし、
そういう環境に前提としていたっていうところもやっぱり加味していろいろ考えるべきだなあっていうのは思いますね。
サンデル先生とか、マイケルサンデル先生がおっしゃってるような話だと思うんですけど、
サンデル先生のところ?
次回へ続く。
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