1. シュウとショウの未知の理への道のり
  2. 父たわネタから転がる~好き嫌..

父たわのネタから転がった回の5回目

前回終わろうとしていて蛇足の蛇足で言ったことから、意外と延びちゃった

「ちゃんと」って言葉を例にして、言葉がいかに不完全か、シュウは話したくて

しょーまさんはそういう言葉の持つマスト感について反応されて…

コミュニケーションってホント難しい、からこそ、それを意識しておくことの大事さ

そしてやっぱり、好ましいか好ましくないか、に収束していく


収録日:5月25日


#樋口塾

#シュウとショウの未知の理への道のり

#未知のり


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言葉のマスト感
シュウとショウの未知の理への道のり
この番組は文字通り、シュウとショウの気が向いた時に
適当に好きなことを話しながら
未だ知らないことわり、つまり
未知の理を探していく道のりを描く番組です。
下手をしたら、二人のむちっぷりを探すだけの気のままな旅
ゆるーくお付き合いいただけたら、うれしいです。
前回からの続き
シュウとショウの気が向いた時に
好き、嫌いと違って、善と悪とか、ちゃんととか、その辺マスト感がすごいですよね。
好き、嫌いは、好きでなければならないみたいなことないじゃないですか。
嫌いでなければならないということがないから、つながらないけど、
善、悪とかは、善でなければならないみたいな、悪であってはならないとか、
ちゃんとしないといけないとか、やっぱりマストシュウがしますよね。
それもありますね。それもありつつ、ちゃんとっていう言葉で言いたかったのは、
言葉の正解
でもそうとしか言えないみたいな、ふわーっとしたものを無理やり当てはめてるなみたいなことも言いたかったんですよね。
きちんとでも一緒なんですよね。
しっかり。
そうそうそうそう。言い換えはできるから何かを共通認識してるんですけど、
それぐらい言葉って本当にただの補助的なものだなっていう。
案に、その辺のことは案に、正解がある前提なんですよね。あるように錯覚させる。
なるほど。
好き嫌い正解はないじゃないですか。
はいはいはい。
ちゃんととかしっかりとか、そういうふわっとした表現にしても、善悪にしても、あたかも正解があるかのような表現じゃないですか。
そこのおそらく、絶対的正解とか共通認識の正解とかっていうのはないんだけど、あたかもあるかのようにふわっとまとめちゃう。
なるほどなるほど。
善にしてもですね。善にしても、ちゃんとにしても。
ちゃんとって言って、今考えてみればちゃんとって言って思いますけど、多分自分も使いますもんね。
使います使います。全然使うし、それでしか伝わらない。
言っちゃいますね。
なんかね、ラーメン屋さんで、なんかね、こう、ラーメン屋さんじゃないかな、ドライブインみたいなところだったかもしれないな。
ちょっと曖昧、だいぶ曖昧ですけど、その壁に、そのお店というか会社の方針みたいな書き方で、ちゃんとやるって書いてるお店があって、
なんか面白いなーって思って未だに覚えてるんですけど。
でももう、面白いって思えるからいいですね。
ちょっと僕なんか嫌々なと思ってますね。
本当ですか。
ちゃんとやる。
ちゃんとやるだったらいいですけど、この前なんか、幼稚園バスか保育園バスかなんかがあって、保育園バスの後ろにやればできますって書いてあったんですよ。
わー、それは聞いたことない。
なるほどなるほど。
まぁ、それも含むんでしょうけどね。
ちょっとうわーってなんか思っちゃいましたね。
やればできるはきついなーって。
いやでも、大事なのは自分がやればできることです。
自分がやればできることは大事です。
言葉の不完全さ
まあそれも含むんでしょうけどね うわーちょっとうわーってなんか思っちゃいましたね
やればできるはきついなぁ やればできますって
できないといけないみたいにそれも言ってるじゃないですか できないといけないみたいなことを言ってるし
そもそもできない できないといけんかって話もだし
うん やらないとできないみたいなのもあるし
うんうん うん
いやなんかもうそのままでいいっていう スタンス
特に子供に対して 誰に対してもそれでいいと思うんですけど
特に特に子供に対してそのままでいいっていう ふうなのって結構
うん 大事なポイントかなと思ってて
思いますねー それが保育園バスに書いてあったんでちょっと引いちゃいました
あーそれはちょっときついなぁ
きついなぁ そうなんですよねー
それはすごく共感します
すいませんちょっと差し込んじゃって いやいやいやただまあそれがもう完全同意した上でなんですけど
その最後のちゃんとの例で僕が表現したいというか伝えたいことがもしあるとしたら その
マストカンの話もあるんですけど言葉がそれぐらい本当に不完全だっていうことが なんか言いたいんですよね
言葉に乗っけてでもそれが伝わること自体はすごいなと思ってるんですけど そのぐらい
下手したら誤解も生みやすい問題よなーっていうことを意識しておきたい的な話を その要素を含ませたかったという感じですね
ちゃんとっていうチョイスがまたそのマストカンのある言葉だったから偶然そういう 文脈では繋がりなくてそれももちろん言いたいことの一つだったんですけど
ですね 本当に人間のこのすごい発明ではありますけど
あくまでこう まあ人間自身が不完全ですし
ツール そう人間が生み出すツールっていうのも完全であるはずがないというか
母性原理からすると 母性原理
何かをこう生み出す元のやつ 以上のものにはならないというか
母性本能の母性ですか そうですね
なんでその生み出す 以上のものまあこれはちょっと公共的なところで表現として使うんですけど例えば
ある制度のものを
ある制度でものを作るという時にそれを作る機会はそれ以上の制度がないとできるはず ない
はぁ確かに だからその母性その
そのそれを生み出すものを 上回る制度のものはできない
これはなんでそういう意味で あの
言いましたけど人間から生み出されるものが人間が不完全なら不完全で 完全であるはずはないだろうという意味でちょっと
あの 比喩表現として使いましたけど
そうですね ついついなんか完全な前提みたいなのが
しっかり意識されてるかわかんないけど そういう前提に立っちゃってる感じがするんですよね
なんかの
いろんなところにこう先入観が あるからですね
もう慣れ慣れちゃうじゃないですか
普段言葉交わしてて 伝わってるっていう風な認識もどこまですり合わせ
てるかって言ったらそんなになんかフィードバックし合ってるわけでもないし だけどなんとなくこうそこに対してその
トラブルが起きない限りは見返らないから
言葉があの 差もちゃんと使えてるかのような状態になってるというか
トラブルがあって初めてあれこれ俺の言い方まずいんじゃないか あれなんか
うまく伝わってなかったとトラブルがあって初めて そこで言葉の使い方がまずいんじゃないかってフィードバックがありますけど
コミュニケーションにおける言葉の不完全さ
常日頃 俺これこういう意味でこう使ってたんだけどどうやったみたいなので
すり合わせる会話なんてまずないから 本当に究極的には本当ノートの直接こう
称号しないとわかんないですもんね 完全に考えていることが伝わってるみたいな話は
本当そうですね
いやーほんとそう 途中で称号さんが
その人間関係がコミュニケーション どんだけ取るかに
それに尽きるというかそんな感じの話 と受け取ったんですけどあってますかね
いやあってますあってます このぐらいちょっと念のために確認しておかないとっていうぐらい大事だなぁと思って
結局本当に言葉が不完全であるっていう認識で また言葉というよりもその使ってる側が使いこなせてないぞっていう
ところの認識を持った上で そこを洗練していくとか
お互いの誤解を埋めるっていう 意味もお互いに共鳴するという意味でも
そこの頻度みたいなものを上げるっていうのは大事です だと思うし
そこのコミュニケーションっていうのをできる限り 語感を使ってやった方がいいっていうのもですね
特に僕一番まずいと思うのがテキストのみ ああそうですね
が思ってて
一番はやっぱ対面がいいと思いますけど その次はやっぱ声でズームとか
でもまぁ対面はやっぱかなり違いますけど
ズームとそれこそ声だけ だったらそこまで差ないかなっていうのはあったりですね
だからそういう意味ではやっぱ声のファクターってかなりでかいな 声はでかいですね 伝わりますね
音っていうのはすごい情報量が多い 圧縮されてる
と思いますね
絵文字の使い方と印象
そうですね 語感の中で
テキストと声との間の差は 声とズームの差の比較にならんぐらいでかい
比較にならないですよね
ですよね
ズームと対面の差はそうでもないなぁ ズームと対面の差もそこまで
テキストと声との差ほどは全然ないですよね 差ほどはないですね
一番開きのあるのはテキストと声ですよね テキストは要注意ですね
テキストは本当にだから僕も本当に 毎回反省しますし
注意しますもんね 大丈夫です 顔文字めちゃくちゃつけますね僕
顔文字とか あれこの話しようとしたかな
してなかったかもしれないですけど 顔文字も
結局 認識
違うじゃないですか
結構これもなんかちょっと面白くて 最近気づいたのが結構お辞儀マーク使うん
ですけどほぼほぼ土下座みたいな あれはもう一応丁寧に意味合いでつけ
てるんですけどあれよく見たらあの 視線上なんですよ
土下座してて視線上で相手の様子を伺ってる ような感じなんで
え?これ平誤り感ない?みたいな
最近の絵文字の気づきがそれで
まあそういうのも含め なんかえっ
これこういう意味で使っとったけどそういう 意味で思っとったん?みたいな
とか あと前あったのがなんかこう携帯の機種で絵文字変換が違うとかっていうのもあるんじゃないですか
コミュニケーションにおける機微の捉え方
そうなんですよこれ柄形の字ですよ 柄形の字で僕なんかこうクルクルってなんかこう
ほっぺの赤丸みたいなマークがあってなんか あのわかります?なんかこう赤い渦巻きみたいな漫画のキャラクターに
あるようなクルクルっていうやつ あれがなんかそういうなんだろう
伸ばし棒じゃないけどこうクルクルちょっと陽気な感じのクルクルって感じであの つけてたのが別の
機種の方に行ったらこうなんか竜巻みたいになってるんでしょ 渦巻きしか情報がないから変換して竜巻みたいになってきて
おもしろ 何このこいつ竜巻いつもつけるんやろって思われてたんだけど
おもろ それはもうシステムエラーですけどね今の話は でも明らかに同じ
同じ絵文字でもその見方によっては与える印象が違う 特に絵文字っていうのはビジュアルも入ってくるんで細かい
とこで言うとですね
いや印象もその絵文字の多さとかでも違うし フォーマルな場かどうかとかでもありますもんね
今ちょっと 今その社内でのやりとりはこうなんかこうチャット
みたいなのを使っててやってて 簡単にスタンプで反応したりとかっていうのは
社内と連携 社内の範疇でやってたりするんですけど
例えばこれが取引先が入ったそのグループとかだと 僕
なんかこういつもの感じでスタンプとかをこう 押しちゃったりしたんですけど
あれこれ大丈夫かなと思って 消しましたもんねその後半分から
なんかよく見るとみんな押してないなと思って その辺ちょっと難しいなぁと思って
ついついみたいな わかります
どう思われるかわからんならもうおさんが無難だなぁ
いやーむずいっすよねー
コミュニケーションむずいっすよ
また初めての相手とか あーはいはいごめんなさい
そういうフォーマル社内とかいう場でもそうだし 初めてやり取りするお相手とかだと
迂闊に顔文字絵文字 使えないとかいうのもあるなぁと思って
それはですね
なんか初めてやり取りでもなんかこう
まあそれも場合によりきれいですね ちょっと話してたりとかしてこの人は大丈夫そうとか
むしろ向こうから絵文字とかがあったらとかそういうのもありますよね
それはありますね こっちから出せない的な
こっちから先に出すときは出さないなぁ多分つけないなぁ
真面目な内容の時につけないとか
そうですねー
ありますね
しちゃいますよね コミュニケーションって本当はすごく高度なんですね
高度なスキル
これが苦手な人がいるのもそれは当然だよなって感じですよね
そうですね
なんかコミュニケーションの 大事さっていうのも
なんか量をやればいいってもんでもないからその調節を常にやっぱ意識し続ける とかバランスを取り続けるっていう話に多分近いなぁと思ってて
やっぱなんかこう全く考えない素振りは意味ないじゃないですか と一緒でしょ
そうですね そうですそうです
バカ図は必要ですけど 流行り見ないと意味がないからですね
結局そこに気づけるかどうかっていうのも 諸差だったり言葉表現だったり
目線や顔色やコア色や本当にいろんな要素が多分あると思うんで そういう機微に気づけるかみたいな話も多分あると思うんですけど
ここもですね
難しいなぁ
でもそういう難しさみたいなのを知っておけば こう勝手に
コミュニケーションにおける受け手のスキル
なんていうか可能性を限定しないで済むなぁと思っていて テキストでこういうふうに書かれてすごく冷たい印象を受けるけど
全然向こうでは笑ってる可能性もあるしとか その逆もあるみたいに幅を持って捉えておけば
そうですね 想像力が広がりますよね
勝手に可能性を狭めないっていうか
何回同じ話されてもこっちから起こるようなことがないようにしようとかそういう意識を持っていることで
そのコミュニケーションを円滑にするっていう受け手の スキルまでいかないなスタンスというかそういう大事さみたいな話になるかなと思っていて
相手に対する期待をあんまり持たない まあゼロにはできないかもしれないけど
うん 持たないようにすることで円滑になる部分があるのかなぁとか思ったりしますね
なんか僕が言われて苦手な言葉の一つに 言ったよねとか言ったでしょとかいうのが苦手なんですよ
それは得意な人いないですよ 特にしゅうさんは苦手ってことですよね
はいそうですね だからこそ僕は全く同じ話であっても何回でもするよっていうスタンス
だからついつい言っちゃうんですけどこれは前にも1回お伝えしてますけどとかそういうこと
ですたら言わない方がいいかなって今
なかなかそれ まあそれは言い方でもありますし
なんか
それもどう転ぶかもわかんないじゃないですか それをしゅうさんがあえてそういう丁寧にそれを伝えたことで
その人があれ結構忘れちゃって同じこと言っちゃってるなっていうのを気づけるっていうのもありますし
まあそうですね だからそれこそ何が良いか悪いかなんて評価できないじゃないですか
うんうん
だから
しゅうさんがどうしたいか 好ましいか好ましくないかみたいなやっぱりなってくる
まあまあそうですけど ねー
そうか
なんか
言ったよねとか言ったでしょに関しても 本当にコワイロとかにもよるかもしれないですけど
本当に本人は別に責めてる気なくて言ってる可能性もありますもんね ああまあそうですね
まあそのあの多分 まあこれまで生きてきた経験の中でその言い方言葉を選ぶ
人は大抵まあ その若干責めてきてますけど
そうなんですけどね 責めてきてるのが大半だと思いますけど
別にとても ああこれ言ったよねみたいななんだろうな ちょっと違ったな
いやいやいやだいぶいい感じだったんじゃないですか これもっといいのがありました
あれこれ言わなかったっけみたいなぐらいの感じで それからすぐ普通にこう
あの何の気なしにまた言ってくれるとか
気にならないですよね やっぱりその言葉尻だけじゃわからないというか
確かにそうですね この話2回しちゃったら申し訳ないなぁみたいな意識で言ってたんだとしたら
そう聞かれないとわからないですもんね
これ まあでもそれは言ったっけって聞けばいいんですけど
言ったらやっぱ 言葉選びももうセンスですもんね
センスのところもありますからいかに相手 そこも想像力ですもんねどういうふうに相手が感じるかとか
それが 自分もそんなにできてるとかそこらへんはわかんないですけど
やっぱりその辺が苦手な人っていうのは世の中にはいて
でまぁそれ それっていうのはもう
右利きか左利きかみたいな話だと思うんですよ うんそうですね
だからそういう捉え方でいた方がいいし だとするとこの人左利きなんだぐらいの感じじゃないと
そこに 怒りとか苛立ちとかがわきかねない
本当に本人はもう全然気づいてないし
本当にその
引き手が違うぐらいの感じ の状況だから
自己肯定感について
そもそも攻めることでもないというか
そういう認識でいた方が一番
いいイメージですね
本当ですね
そういう認識が ちょっとでも広まるといいですね
片側だけだと難しいところも残るから ちゃんとキャッチボールができると
なんか 現代の人って
やっぱ聞かれてない自分の話すことを受け取り切れ 受け取られてないっていう思いが強い
みたいな話があって
なんか 自分の話を聞いてもらえたっていうのは本当にただただもう聞きますみたいな
あるじゃないですか ただ話を聞いてもらうとか そうやって本当にスッキリするじゃないですか
というかその自分の話を聞いてもらえたっていう 全部受け止めてもらえたってだけで自己肯定感が多分上がるんですよね
そこの聞いてもらえずもうその 結構その自分の言いたいことその相手が喋っている間に自分の次の言うことを考えて
自分の言いたいことを言ってみたいなところの応酬というか みんな自分が喋りたいというか聞いてほしいみたいなのが先行して
ちゃんとキャッチボールになってないみたいな ドッジボールになってるみたいな
話があって なるほどなぁみたいなちゃんと話をしっかり聞いて
もらえるっていうのって本当にすごく大事なんだなぁと思って その
でやっぱり自己肯定感みたいなのが本当に
そもそもみんなないんだなと思って そのコミュニケーションにおいてどんどんなんか悪循環に陥っているようなこととかもあるんだろうなぁみたいな
僕も弱い自己肯定感が低い方だって 自認しているタイプなんで
なんとか自力で上げる方法でいいかなとか勝手に思ってるんですけど
自己肯定感を上げるの難しいですね 難しいですよね
自己肯定感が高い人にアドバイスをしてもらいまくろうかな
なんかその自己肯定感が高い人もまた自分がなんで高いかがちゃんとわかっているかがわからないですけどね
そうですね
それが普通ですもんねその人にとっても
高くしようと思って高くした人じゃないですもんね多分
もしそういう人がいたらその人には聞きたいですね
意識的に高くしたよ そのメソッドはこうだよみたいな
それだったら聞きたいですね
おそらくそういう類の人
人って
うーん何だろうなぁ いない
多分その キリないというか
自己肯定感を高くしようと思ってトライして高くなったって言っても多分その
以前に対して高くなったっていうのをどんどん高くしようとしてるけど
多分目標の目標みたいなところっていうのをどんどん上がっていくし そうですね
確かにそういう意味では自己肯定感が 高い状態ではならんというかその自己肯定感が満たされている状態にならないと
自己肯定感と受け入れること
なんかあんま高いも低いもないじゃないですか ないですねうん確かに自己肯定できてるかできてないか満たされているかどうかっていう
多分話からするとそもそも低いっていう感じが あったら
その上げよう上げたいっていう欲求があって 結構キリない気がしてないですね確かに
だからそうどっちかと言ったら自分は自己肯定感が低いっていう辞任をして 納得する
が一番健康的かなって思いますね そうかもしれない
でも全部が全部否定してるわけじゃないじゃないですか 自分の自己肯定感が多分ある一面だし
だから自分がどういう特性を持っているかっていうのを 辞任して認める
っていうのは大事なプロセスですよね そうですね
多分しおさんもHTSPを辞任して認めたことで絶対変わった
変わりましたね だいぶ楽になりましたね
僕も発達障害とかを辞任というか そういうふうに意識的に
位置づけることでやっぱ変わる部分はありましたもんね
そうですね メタ認知が大事ですねっていうざっくりしたいつもと同じ表現に落ち着いちゃうのがちょっとあれだけど
やっぱそう思っちゃうな でもいつもと同じ表現でやっぱそこに
結局行くっていうのはそれがかなり抽象度の高い
生きていく上で大事なポイントってことだと思いますけどね
メタ認知は本当に大事と思う 受け入れるっていう言葉が大事
大事だなと思いますね 受け入れるっていうことが
自分自身をみたいな意味ですかね いろんな意味で自分自身もですし
自分の特性にしてもなし 現実にしてもなし
例えば自分が嫌いなものとかっていうのもですね そう好き嫌いで言うとか
好きじゃないと思ってたものでもいいと思うんですけど 例えばその自分の好みの色があったとして
こういう色味の服しか着ないじゃなくて 例えばすごく自分が普段着ない色も着てみるっていうのは一種
受け入れじゃないですか
それは違う自分に出会えるっていう意味でも 受け入れるっていう新しいものを受け入れる
苦手しく思ってたものを受け入れるっていうのもですし 自分自身の
許さないを否定しない
その本音を受け入れるとかもですし
結構受け入れるっていう言葉は 自分と向き合う上で
いい言葉かなぁと思ってます
聞きながら思ってたのが 僕の中で最近浮かんでたのは
許さないをやめる
これが許すかというとそうでもないかもしれないと思っていて
いやそのわざわざその表現を使われたっていうのが ちょっとよく何かわかります
ちょっとこれはある場所でそれをテーマで話そうとしてるから ちょっとそこまで深掘らないように今のタイミングでしとこうかなみたいな微妙な話だったから
ちょっとあんまりメインで出さなかったんですけど
いいですいいです だいたい伝わりました
あーほんとですか
そうなんですよ
でもそういう感覚あるんですよね これあのなっちさんの言われてた 物事のわからなせいみたいな
わかるの反対としてのわからないじゃなくて そもそものわからなせいみたいなことを言われてて
それとも ちょっと あーほんとですか
もう何回も言って じゃあ僕の捉え方とか今の言い回しがちょっとあってるかわかんないですけど
全然そのなんですかね ここ最近はその皆さんの聞けてなかったので
最近ちょっとずつ復帰してきましたけど
ここの2年とかですね その転職を何回かしたところでは
ちょっとパタッと なるほどそっかそっか
ちょっと遠のいた時期があったので じゃあもしかしたら本当に聞いてなかったのかもしんないですね
でもそのなっちさんのわかるわからない話は好きなので わかるわからないとかあの日の話を
まだなんか そういう話してらっしゃるなとかなんかこういろんなツイッターとかいろんなとこで
見たりだとか この本を買ったのはこれその辺がきっかけなので
前 これ出ないな
ものがわかる あーはいはい 図書館で予約だけしてるんですけど
12人待ちでした
ものがわかるというか
わかるわからないとか 面白いですよね
でもなっちさんが一人喋りでも2,3回喋っていて さらにむろさんゲスト回とヤビさんゲスト回って2回やられてるんですよ
それでそのことを喋られてたんで かなり面白い だから僕も全然理解しきれてないんですけど
ただまぁ その面というか そのお二人との対談はぜひ聞きたいですね
いやー本当聞き直そうと思ってまだ1回しか聞けてないんですけど本当に面白いんですね
シリーズは
だから僕はそこ本当にその部分だけですねその ただの対義語として反対側っていう意味じゃなくって許す
ではなくて許さないをしない
っていう感覚 ダブルネガティブ
ああダブルネガティブっていう表現があるんですね
許さないをしないっていうのが否定の否定 でダブルネガティブと言ったりしますね
でもそれは ああそれは言わないのかな
そういう時に使わないのかもしれないですけど
なんだろう えーっと
痛くないとか はいはいはいはい
ネガティブ単語を否定するっていう方が響くみたいな 心理があるんですよね人間
だから何か言い入れないかな
成功する何々とかよりも失敗しない何々の方が
だからその人はペインを嫌うというか なるほど
そういうのの例えば本の題名とかも同性だったらそういうダブルネガティブにした方が 引きが強いとかっていうのがあったり
する時に使う言葉なんで まあその今は全然そういった意味合いで使うところじゃないし
ネガティブ単語を否定するというわけじゃなくて
許さないっていう否定語を否定して
逆にそのそこの意味としては許すっていうこと自身が そもそもそのダークサイドとして罪を生んでるような感じがするからそういうのをあえて
言葉の多様さと捉え方
使いたくないからそういうふうに 使われているんだろうというふうに思っているので
一面としては他のいろいろな意味合いがあると思うんですけど
だから今僕がたまたまダブルネガティブに1個あったからと思ってちょっと口に出しましたけど
適切ではないです その側面も全然あり得ると思います
いやーそんだけ面白いですよね言葉 表現
印象がですね 印象がね多様な 全然違うんで
解釈の仕方も切り口も かなりいっぱいあるし
いろんな言葉を使って間違えてもいるかもしれないけど いい感じに捉えてほしいですね僕らの話も
いい感じにちょうどいい感じに
受け手の方頼りだけど
大丈夫ですよもうこの配信では本当にバランスが大事って言ってるんで
たぶんリスナーの方はちょうどバランスよく受け入れてくださるんじゃないですかね
そう信じて
今日のエピソードの締め
すいません今日だいぶ長くなっちゃって 大丈夫ですかすいません
いやー ちょっと途中で
なんか 引き出しというか話が続かないみたいなのに落ちりそうなところを最後にもう
ちょっとと思ったらそこから先の方が盛り上がっちゃった感じがありますけど
はい じゃあそんなようなところで今日は締めたいと思います
はいはい 今日も本当ありがとうございました
はいありがとうございました はーいまたお願いしまーす
よろしくお願いしまーす
44:22

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