母との向き合い
こんにちは、未知花です。今日はですね、この前、私の実の母が、家に遊びに来てくれてたんですけど、
その時にですね、ちょっとこう、母と向き合うっていうことを、ちゃんとやってみようかなっていうふうに思い立って、話してみたよって話をしたいと思います。
なんかね、今日あんまりまとまりない気がするので、収録じゃなくて、ちょっとあえてライブでやってみようかなというふうに思うんですけど、
ことの発端はですね、私、今、井原氏みちこさんのノート書きまくる会っていう感謝ワークを中心としたノートを書きながらですね、
自分の日々の感謝っていうのを書き起こしてみたり、自分の本質的な自分の思いと向き合ったりとか、
それを経て、さらに次のステップに進んでいくみたいなことをするためと、私は定義してるんですけど、の講座というか、そういう会に参加していてですね、
日々、ザ・マジックっていう有名な本がありますけど、感謝ワークの本ですね。それを使いながら、日々あることに向き合って、自分と向き合ってっていうことをしていくことをですね、毎日してるんですけど、
その中でですね、みちこさんに私が質問したのが、母に対して感謝するみたいなことに関する質問をしたんですよ。
今現在は、母に対してすごくですね、子どもたちの面倒を見てもらったりとか、私のいい相談相手というか、自分を受け入れてくれる存在ということで、感謝しか今は感じていないんだけど、
過去にネガティブなこと、出来事っていうのも当然、いろいろあったわけで、今ネガティブな気持ちがあんまり母に対してないと。
で、なんかそれってなんだろうな、感謝の上すぎってみちこさん言ってるんですけど、今あるものだけ、今見たいもの、今見たいポジティブなものだけ見て、今まで思っていたマイナスの感情、
マイナスって言うと言い方悪いですけど、ネガティブな感情にちょっと蓋をしたりしてないですかね、私じゃないけど、そんなことを質問したことがあったんですよね。そしたら、ポジティブしか感じないってそもそも絶対ないからって、もう1回ちょっと自分とちゃんと向き合ってみた方がいいですよっていうふうにですね、みちこさんが言ってくださって、
みちこさんが言ってくださって、
この途中から社会人になってまで、結構長い間、いわゆるある中ですよね、今考えると、っていう状態に陥っていた時期がですね、長くあって、その頃ってそういえば母親のことが憎くて憎くてしょうがなかったんだな、だよなっていうことをですね、そんな大きな出来事を、
みちこさんのそういう問いかけもあって、思い出したんですよね。
そう、だから、つまり、やっぱり、そこからですね、後でまた話すんですけど、そこからいろいろ、うよ曲折を経て、今はですね、いい関係に母となれているし、すごくありがたいなっていうふうに思うような、相手柄に慣れているから、
終わりを受ければそれでよしじゃないですけど、よかったなっていうふうに思っていたんですけど、そういう関係に慣れたからこそ、今までの過去あったことを帳消しにしようとしていた自分がいたことに、そこで気がついたんですよね。
なんですけど、今は今ですごくいい関係であっても、何だろう、過去それなかったことにして蓋をしてしまうと、自分の中であの時こうだったよなっていう思いとか、なんかね、つらかったこととか、本当はこうしてほしかったとか、なんかね、そういう思いがうやむやになったまま消そうと思っても、結局消えないまま後で何か形を変えて、
出てきたりするんですよね。もしかしたらそれは母親とのやりとりの中だけじゃなくて、それこそ私の夫とのパートナーシップだとか、そういう別なところでまた何か問題を生んだり、歪みになって出てきたり、そういうふうに出てきちゃうんですよね。
だから、なんかそういうこの問題って、過去のですね、親の、母のアルコール依存で何も手につかなくなっちゃったっていう時の話って、なんかもっとちゃんと深掘りというか向き合う必要があるなっていうふうに思って、せっかくなのでですね、この間母が家に遊びに来た時に、そのことを話してみたんですよ。
その時の話をちょっとしてみようかなというふうに思います。
過去の回顧
で、えっと、そうそう、なんでアルコール依存になっちゃったかって、多分、高校生に私がなって、結構それまでは部活の追っかけとかで、かなり私とも何だろうな、密接に関わりがあった。
で、なんかそんなに反抗期もあるタイプじゃなかったので、なんかもう逐一、母とね、母に今日あったことを話したり、それこそ一緒にお風呂入りながら、なんかこれがあってね、これがあってね、みたいなことをしゃべるようなことも、毎日じゃないけど、あったし、だいたい高校生になっても、あの、今日ね、こういうことがあってね、みたいな。
友達に話すっていうよりも、私は母に話す方が聞き入れてくれるって思っていたから、なんかね、多分すごい距離の近い親子関係だったんですよね。
そう、だったんですけど、そこからやっぱり私も受験勉強で忙しかったし、で、そこから大学生になってますますね、自由を謳歌していたから、家にいないこともですね、実家から通ってはいたけど、そう、一緒にいない時間も増えてきてですね。
なんか、だんだん多分、あの母は、なんだろうな、私が自立していくのに対して寂しかったんじゃないかなっていうふうに私は思ってるんですよね。で、だんだんちょっと過干渉になってきちゃったりとかして。
でもね、私はそうやって私にやるべきことはあるから、そうやって何でもかんでも、母がね、今日何があったの、これはこうしようよ、こうしようよとかって、なんかいろいろ言ってくることに対して逐一対応もできないし、それがだんだん嫌になってきた時期が高校、大学あったんですよね。
で、それに対して多分、なんだろうな、こう燃え尽きね、あの子育ての燃え尽き症候群じゃないけど、なんかそういうふうになっちゃって、だんだんあの、なんかそういう寂しさみたいなのをお酒で埋めるようになってきちゃったのかなっていうふうに私は見てて思ってます。
で、そう、高校生の頃に制服で行くじゃないですか。で、ワイシャツとか靴下とか、そう、私立で指定だったんですけど、その指定の制服も靴下も洗濯がされてないんですよね。
当然何着かあるんですけど、そう、洗濯物が全くされてなくて、溜まってってる状態だったんですよ。もう、あの、母がね、なんか燃え尽きた灰燼のように1日何にもせずにお酒だけ飲んで過ごしてるから、洗濯物がですね、回ってなくて。
で、もう朝起きて、ちょっとワイシャツないんだけどって言ったら、母が慌ててそれをですね、手洗いでジャブジャブ洗って、ドライヤーで半分乾かして、もうあとは着ながら乾かしてって言われるような、半濡れの状態のワイシャツを着て、学校に行く靴下もですよね、っていうことを結構マジでずっとやってて。
で、食事は、何が出てたのかな、朝卵かけご飯ぐらいは出してもらってたかもしれないですけど、もう夜は基本外食、ファミレスですけどね、もう作ってないから、今日外食ね、みたいな感じで、でも私ね、受験勉強あるから、家にいたいのに、そうやって連れてかれるから、なんかもう終始イライラしてて、もう時間がもったいないみたいな感じで、移動中も英単語見ながら一生懸命勉強したりとか。
なんかしつつ、イライラを母にぶつけていた、みたいな時期もあったなぁ、なんていうふうに今思い出すんですけど、最終的に、そうどんどんね、大学の4年間で親離れが進んでいって、でね、ますます今日あったことなんて話さなくなるわけですよね。
で、なんかもう本当にお酒に、その頃には完全にお酒に飲まれるようになっちゃってたんですよね、母は。で、社会人になって、私が家を出て3年目ぐらいの時に、とうとうお酒が立たったのか、農卒中で母は倒れたわけなんですけど、それをきっかけにですね、
まあ、生活も立て直したし、今はですね、毎朝定時に起きて、朝のルーティンのお掃除をして、お花のお世話をして、お魚のお世話して、みたいな感じで、なんか今では本当に様変わりして、ちゃんとした生活っていうか、
普通の、なんていうんですか、朝起きて夜に寝るっていう、ちゃんとリズム通りの生活ができているって感じなんですけど、だからそこで病気をするまでは本当にですね、実家にたまに一人暮らしを始めてから時々帰っても、なんかね、会話もなんだろうな、
なんか、この人大丈夫かな、みたいな感じでね、大変な時期があったんだよなって、今振り返ると思うし、あの時はなんか、私もすごくですね、家族の将来が不安でしたね。
やっぱり母が今後、なんかどんどんおかしくなっていく様子を見て、なんか大丈夫なのかな、大丈夫なのかなっていうか、もうすでに大丈夫じゃないんだけど、今後どうしていったらいいんだろう、みたいなのが漠然とあって、でもね、そうやって一人暮らしを始めて、なんか自分の家に、なんかね、あの、こもるというか、まあ実家とちょっとこう疎遠になることで、なんかその現実から逃げてたみたいなところも今考えると、
あったかなあなんていうふうに思うんですよ。
現在の関係
そうっていう、なんかそんな大きな出来事をですね、私は、あの、今そうやって母がこういい状態になってきたからって、あの、見て見ぬふりをというか、もうそのことはなかったことにしようじゃないけど、やっぱり私の中で、あのすごくね、辛い出来事ではあったから、なんかね、なかったことにしようとしてたんですよね、多分。
そうなんですけど、こうやって今回そのみちこさんに、えっとね、お母さん、特に女性はお母さんの価値観とか設定っていうのを引きずってる、引きずってるって言ったら言い方悪いか、あの、そう、もらって生きてることがすごく多いから、もっとお母さんと向き合った方がいいし、今現在お母さんと仲がいいって人も、人こそやっぱりね、そこが何だろう、あの、密になりすぎて、ちょっとお母さんと自分を重ねちゃってたりとか、
みたいなこともあるから、よく見てみましょうっていうふうに言ってもらったことでですね、あの初めてこの問題に向き合おうというふうに思ったわけなんですよね。
あ、シュガーさんこんにちは。ありがとうございます。ちょっとあの、身の上話をしてました。ありがとうございます。
で、えっと、そうそうそう、で、母と、そう、だから先週末ですね、えっと、そう、母が遊びに来た時に、ちょっとね、この話初めてしてみたんですよ。
で、まあ、あのねって、以前にそうやってね、家事とか何にもできなく、家のこと何にもできなくて、ずっとお酒飲んでた時期あったじゃないって言ったら、ちょっと顔が曇って、ああ、みたいな、あの、まあ母って結構なんだろうな、なんかもうその場楽しければそれでいいやみたいな、やっぱりネガティブなことに蓋をしがちな性格の人で、
まあそれは本人も自覚しているみたいなんですけど、まあそんな感じで、なんで私がこう切り込んだ時にはちょっとなんか困ったような顔をしてたんですけど、あの時さあって、どんな心境だったのって聞いてみたんですよね。
っていうのも、あの、私はやっぱりそうやって母が専業主婦なのに、家でグーたらもう食っちゃね食っちゃね、お酒も飲みっていう風にしてて、なんか何も生み出してないみたいな、なんだろうな、なんか自分の役割は全うしてないみたいな当時は思ってたんですよ。
私は受験勉強で大変で、まあ弟もですけど、で、父は夜中まで悪せく働いててっていう、みんなそれぞれ頑張っているのに、なんであなただけこんなグーたらで許されるの?みたいに思ってた時期があったんですよね。
で、ちょっとこれもまた後で話すんですけど、あの、それはですね、そうやって、なんだろう、母って、母親ってこうやってね、あの、なんだろうな、お世話、身の悪いお世話ってちゃんとやってくれるものなんじゃないの?っていう風に、なんかね、私自身もそうやって母に押し付けてたし、今の私に対して、今の私自身に欠けてる言葉でもあるんだよっていうのをですね、あの、別に、
ファリーさんって方からこの間セッション受けさせてもらったんですけど、その方からも、なんだろう、あの、お母さんにその過去言ってた言葉を今自分自身に欠けてませんか?って、そうやってだから母はこうあるべきっていう風に自分を縛りつけてませんか?っていう風にですね、先日言われたのもあって、あの、じゃあその時の母はどういう風に思ってそうやってグーたらしてたのかな?っていう風に思って聞いてみたんですよね。
そうなんです。あ、しゅがさん、そう、そんな過去があったのですねってことで、そうなんですよ、あの、私自身もですね、ちょっと蓋をしてたあの出来事だったんですけど、せっかくなので、あの、今ちょっと振り返って見てます。
で、母にですね、えっと、聞いたら、そしたらですね、そう、どんな心境だったの?当時って言ったら。
いやーって、もうね、忘れちゃったんだよねって言ってて、いやいやいや、そんな、そんなあの年単位何年、合計何年ぐらいあったんだろう、もう6、7、でも結構長かったんだよな、多分7、8年ぐらいになると思うんですけど、そのアルコール依存気味だった時って、そう、それぐらいあったって、でもね、その時のこともう覚えてないんですって。
そう、だから、で、それから、まあ母はやっぱり、あの私はね、そうやって、結構物事深くね、見ないまま次に行っちゃうっていうところもあったりするから、なんかあんまり深く考えてなかったっていうのもしかしたら、ね、よくなかったのかもしれないけど、多分当時はいろいろ思ってはいたんだと思うんだよねーって、まあそれこそその、なんか罪悪感、ぐーたらしてる罪悪感みたいなのもあったかもしれないし、
母の感情と価値観
言ったら、だから、なんでね、そういうふうになっちゃったんだろうねって言ったら、うーんって、まあやっぱりその報われない、多分ね、あの自分は家の中でずっと家の中のことをやるだけで、ね、周りから何か感謝の言葉をかけられることもなく、っていう状態に対する報われない気持ちとか、それからね、子育ての燃え尽き諸行軍的なところとか、なんか、
当時はいろいろ思ってはいたとは思うんだけど、うーん、なんか自分でもよくわかんないなーみたいな感じで、なんかちょっと困っちゃってました。
で、あのー、そう、だから、まあさっきお話ししたように、えーと、母親はこうあるべきだ、あのー、買い替え意識、子供たちとかね、夫の世話をしてくれるべきだっていうふうに思っていた私、だからこそ、あのー、じゃあさーってね、父親が、あのー、一生懸命外で働いて、遅くまでね働いて、お金を稼いできてくれる分、なんか自分も、
ね、家のことちゃんとやって返さなきゃなーみたいな、そういう気持ちとかってなかったの?って、あのー、私が、私自身がこう自分に思っていることですよね。それを母に対して聞いてみたんですよ。
そしたら、衝撃だったのがですね、え、え、ど、どういうこと?って言われて、そう、あのー、母は、そういう気持ちが、みじんもないんですって。
なんか、大黒柱で一本で支えてくれる父に対して、私もなんかこう、戦力にならなきゃ、とか、なんかそれだけやってもらってるんだから、私も、なんだろう、価値ある存在でいなきゃ、みたいな、なんかそういう追い目みたいなのって、ゼロなんですって。
だから、なんかね、あのー、パパが苦労してるんだから、私も苦労して何かやらなきゃ、みたいなのは、もう本当にゼロなんですって。っていうのにですね、私、衝撃を受けたんですよ。
なんか、そう、私はね、今まで自分がそうやって思って生きてきたから、生きてきたけど、でもね、そういうふうに思う必要ないし、私は私にできることやればいいやっていうふうに思って、だんだんこう手放しをしているっていうのが現状ですけど、
母は、そもそもそういう背負い込むみたいな気持ちって、マジで何にもないらしくて、それにすごい衝撃を受けたんですよね、私は。で、そうなんだって。そこで思ったのは、なんかやっぱり私も、なんだろうな、どこかで母の価値観を引きずって、引きずってというか、自分に重ね合わせているところがあって、なんかずっと父親のことを立ててはいたんですよね。
母は。だから、なんか私もずっとそれを見て育っているから、私も夫は立てる、立てなきゃみたいなふうに、なんかどこか思って育ってきたところがすごくあったんですけど、でも立てるっていうのと、その分自分も苦労するっていうところは、母は全然切り分けて考えてるんだなっていうところに、なんか私はびっくりして、なんだろう、なんか私、
一人で空回りしてたというか、母のやってる通りに妻としていなきゃって思ってる部分が多分多少なりともあったんですけど、なんかね、別にそういう必要も全くなかったというか、なんかね、とにかく拍子抜けしたっていうのが、ここでの大きな気づきだったんですよね。
で、じゃあなんであんなに父親のことを立ててたのって、いつもうちはねってパパが一生懸命お金稼いできてくれるから、こうやってねって生活に困らずに生活できるのに暮らせるのよ、本当にねってありがたいよねみたいな感じで、なんかもう断るごとにそう言って言われてて。
母の過去の影響
だから、なんでそんなに立ててたのって、自分が専業主婦で追い目があったのとか聞いてみたんですけど、そうじゃなくて、うちの母はですね、罰一なんですよね。離婚歴があって、2回目の再婚だから、もう次何かあって破断にでもなったらそんなのとんでもないって。
もうそんなことすまいと必死だったって、次の失敗はもう許されないって、なんか思って必死だったからっていうのが大きかったかなーっていうふうに言ってましたね。
で、その例えばね、父が何かこう起こり出すようなことがそんなにはなかったけど、あったら全部自分のせいだっていうふうに思うようにしてたって言ってました。
だから、父が頑張ってるから私も頑張らなきゃ、見合う人間にならなきゃっていう捉え方はなかったんだけど、でも今のその話を聞くとやっぱりちょっと上下関係っていうかを感じるんですよね。
だってね、父が怒ったら母のせいって変じゃないですか。別にね、父が勝手に怒ってるだけ、機嫌が悪いだけっていうこともあるかもしれないけど、それも含めて全部私が悪かったっていうふうに思ってたって、やっぱりこれ母の自己価値っていうところが低かったからじゃないかなーっていうふうに思いますよね。
何かバツイチだから、何だろう、なのに拾ってもらったみたいな感じの言い方もしてたから、何だろうな、なんか変に自己価値をやっぱり下げ、まあ気持ちわかりますけどね、下げてしていたからなのかなーっていうふうにも感じて。
なんかね、そこにはやっぱり自分、今までの私自身と母に同じようなところを感じるんですよね。で、やっぱり何だろうな、今私パートナーシップ、夫との夫婦関係っていうことで発信してますけど、
こうやって今だんだん私どんどん自由になっていくっていうことを、そのプロセスも見せながら発信してますけど、そのビフォアの状態ですよね、夫にも依存してしまっていて、もう全部夫の言いなり、夫の言うことが正しいっていうふうに思って、
もらはらをされていた過去の自分と母が、こう見るとやっぱりすごく重なるなってすごく思うんですよ。
だからやっぱり何だろうな、母がやっていた妻はこうあるべきっていうところに、やっぱり大分自分が受け継いでるなっていうふうに感じているんですよ。
そこでね、ちょっとまともないんですけど、何を私はそうしたらいいかなって思って。
過去そうやって、母が自分、全部私が悪いみたいな感じで、受講価値を下げて父と接していて、そういうところからも報われない気持ちって出てきたのかもしれないけど、最終的にいろいろモヤモヤがたまってアルコールに走ってしまったわけじゃないですか。
そういうことは、怒ったことはもうしょうがない。しょうがないし、結局それで脳卒中で倒れてしまったけど、後遺症も残ったけど。
でも、その出来事で今、後世してというか、すごく私ともいい関係に慣れているし、仕方なかったというか、怒るべきして怒ったっていうことでも、出来事自体は解決してるんだけど、
その過去、私のモヤモヤを母に対して思っていたこともそうだし、母の妻としてのあり方みたいなところに抱えていたモヤモヤを晴らすとしたらどうしようかなって思った時に、
母と自分の価値観をちゃんと切り離すというか、やっぱり私も母の価値観に依存しているみたいなところがあったので、そこをちゃんと切り離そうかなって思ったんですよ。
で、母は父が怒ったら自分が悪い、全部私が悪いってしていたけど、私、稼いで大黒柱でいてくれているのがありがたいって、立てなきゃいけないっていうふうにしてたけど、
いや、それ違うよってそこで言ったんですよね。もしかしたら母はそれで正解だったかもしれないけど、でも私は違うんだってそこで言ったんですよ。
私は夫と対等でいいし、対等でいいというか、立てるとかじゃなくて、同じ土俵、同じところに同じ高さにいていいし、間違ったことは間違ってるって言うし、ちゃんと自分の意見があったら言い返して、私はいいと思ってるって母に対して言ったんですよね。
そしたら母はそうだよねって、そうだと思う、いいと思って肯定してくれたんですよ。
このやりとりがようやく母の価値観と私の価値観を切り離した一言になったなあっていうふうに感じてます。
私は夫と対等でいいし、言い返していい、これが今までずっとそう思えてなかったっていうか、
どこかで私がやってあげて当たり前とか、折れて当たり前とか、そういうふうに自分を置いてしまっていたからこそ、夫からいろいろ言われてたわけなんですよね。
だからですね、そこからいろいろ思い返してみて、夫とのやりとりとかを、その対等なメッセージを振り返ってみると、やっぱりおかしいこといっぱいあるんですよ。
この間もお味噌汁を遅くに帰ってきた夫に出そうと思って、レンジでちょこっと温めようと思って温めたら、電子レンジが温め終わったピーピーって音がしても私忘れてて、そのまま放置してたんですよ。
で、そしたら夫が、え、味噌汁は?って言ってきたんですよね。でも、お味噌汁出すのって、そもそも食べたいあなたが出せばいいんですよって話じゃないですか。
だから、私が出して当たり前、やって当たり前って、それ飯使いじゃんって、すごいその違和感に気づくようになって、そこからそれが納得いかなくなったんですよね。
っていうことがあって、なんかね、やっぱり今まで妻が下で当たり前っていうのがもう完全に染み付いていた、疑うことすらしてない部分があって、なんですけど、母とのそのやりとりで初めて、あ、そっか、対等でいいんだってちゃんと自分に言うことができたから、なんかその違和感に気づき始めたんですよ。
で、そこからですね、自分で取ったらいいんじゃないのよとは言わなかったんですけど、ちょっと見せつけにお味噌汁取ってきて、はい!みたいな感じで出したらですね、ありがとうの一言もなくて、それで私ブチギレそうになったんですけど、ちょっとブチギレそびれちゃったんですよね。
そう、だからやっぱりまだ出して当たり前、自分がやってあげた当たり前がまだ抜けてなくて、なんかそれをちょっとずつ今、ただしているところなんですけど、でもね、そしたら夫の反応もやっぱり最近変わってきました。
何かこうある時に、ちょっとそれおかしくないっていう時は、やっぱり言い返すし、毅然とした態度を取るんですよね。そしたら、なんかね、これやっといてとかじゃなくて、あ、じゃあこれやっといてもらっていい?って言われるようになったりとか、あとなんか本当に料理も同じようにお味噌汁ですよね。
お、サンキュー!みたいな感じで、言い方が変わったんですよ。しかも短期間で。だから、やっぱりしつこいけど、私のあり方次第なんだなっていうふうに夫との関係ですよね。
本当に自分のあり方次第でいくらでも変わるというか、やっぱり自分が原因なんだなっていうふうに、今回も改めて感じてます。
だからね、先日私が、ブログの方に書いたのかな。私と同じようにですね、自分を下げちゃう。自分がやって当たり前、何か家政婦みたいになっちゃう。
とか、ちょっと理不尽なことを旦那さんから言われちゃうとか、そういう方、なんか息子が起きたぞ、方にはですね、私は神チャレンジっていうのをですね、ぜひお勧めしたくて。
私は神チャレンジって、自分は神様ですっていうふうに、自分を設定してというか、過ごすことなんですけど、自分が今までは言われる側だったんですけど、
そうじゃなくて、自分は神様だったら、当然言われる側じゃないですよね。何かを言う側ですよね。何かそのやいのやいの言われて、なんか貶められるようなことなんて絶対ないですよね。
だから、なんかそういうふうに自分を下げている状態じゃなくて、もう私がもう一個上に立って言う側、もうね、そんな味噌汁はなんて言われる筋合いはないわけです、神様だから。
そういうふうに自分を神だと思って、もうとにかく私が好きなように過ごします。勝手にいろいろね、自分のやりたいことやってご機嫌になります。
そこでね、すごくエネルギーが満ち溢れてきます。そのエネルギーの余った分をあなたにも分け与えてあげましょう。
私が神だからっていうふうに、なんだろうな、もう自分の好きに生きる。その余ったエネルギーを与える存在みたいなイメージで過ごしたらですね、結構私これ変わったんですよね。
夫の反応が。詳しくはブログの方もリンクつけておくので、アーカイブの方にですね、興味ある方は読んでいただきたいなというふうに思うんですけど、
まあとにもかくにも、やっぱり自分を剥げちゃう。
夫に何かね、こう理不尽なこと言われたりとか、なんかコキつくわれたりとかすることがある人は、やっぱり自分のあり方に問題があるんじゃないかなというふうに思うので、ぜひですね、そこは見てほしいなというふうに思います。
ついでに宣伝しておきますけど、私ですね、今パートナーシップ、夫婦関係の改善をですね、1ヶ月かけてしていく伴奏サービスっていうのをですね、提供しているんですね。
やっぱりね、自分の中のそういう設定、ブロック、思い込みみたいなところって気づかないんですよ。私自身もこれだけ日々、夫婦関係のこといろいろ考えて発信もしているのに、やっぱり自分自身がそういうふうにね、自己価値を夫よりも自分のことを下に置いちゃってるみたいなことってなかなか気づかない。
私自身も今、パートナーシップを伴奏してくれる方にお願いして見てもらって、やっとそういうことに気づきながら進んでいるっていう状態なんですよね。
なので、ぜひですね、私も今、パートナーシップ、旦那さんとの関係に悩んでいて、特にね、もらはらとか私専門なので、そういうね、対等な関係でいられないとか、自分の思ったように過ごせないみたいなことがある方はですね、
そういう自分の中の思い込みとか、自分の在り方っていうところを整えることをする1ヶ月間っていうのはですね、一緒にやっていきたいなというふうに思いますので、こちらもですね、どういった企画というかね、サービスなんですかっていうことを、
概要欄のリンクに貼っておきますので、ブログですね、ブログと音声貼っておきますので、こちらもですね、ご活用いただきたいなというふうに思ってお知らせしてみます。
自己価値と母との関係
はい、ということでですね、最終的には今、自己価値みたいなところになりましたけど、とにかくそう、母、母親と自分を重ね合わせてる、ちょっとくっつけすぎちゃってるって、
あの、道子さんにそう、今仲がいいと思っている人こそ要注意ですよっていうふうに言われて、そこからね、あの自分で、えってなんだろうって私、妻に、ずっと妻じゃない、母に対してなんか、なんかブログあるかなーって思って過ごしてたら、そうこういうね、ある中だった母のことを思い出したりして、なんかね、そう、あーってやっぱり確かにね、振り返ってみると、
なんかね、そういう出来事の中で思うこともあったし、ね、そうやって母に対して、なんだろうな、重ね合わせちゃってる、自分と母は違う、違う、まあ、根本的には一緒なんでしょうけどね、あの、まあ、なんだろうな、その人格としては全く別の個体であるのに対して、
なのに、こう、なんだろうな、変に自分と、そう、重ね合わせちゃってるっていうところが、なんかね、変にこじらせて、今の夫婦関係にも、なんか影響を及ぼしてたなーっていうふうに思うので、なんかね、そこはちゃんと自分はこうありたい、私はこう感じてるっていうところを、ちゃんともう1回、あの、母と切り離してフラットに見られたら、なんか結構楽になるなーっていうふうに思ったので、
まあ、そんな話をですね、私の懐コロコも含めながらお話ししてみました。ちょっとね、なんかすごい、あの、重ためな内容でしたけど、はい、ということでですね、えーと、締めに何かあったかな、そう、うーんと、そうそうそう、あ、で、ちなみにそう、じゃあせっかくなんで、あの、最後ですね、えっと、こうやってお世話になっているみちこさんのノートコーダーのお話もさっきしましたけど、
あの、これですね、母親と向き合うっていうのが、あの、みちこさんがですね、またノートコーダーとは別に、あの、販売されている許しと受容のワークっていうのがあって、そこでですね、あの、母と向き合うっていう、あの、ミッションっていうか、あの、パートがあるんですよ。
そう、それも、すごくですね、これを深掘りしていく、自分の思い込みみたいなのを、あの、そう、深掘りしていくのにですね、すごくいいワークなので、これもですね、ちょっとおすすめしておきます、ここで。
そう、なんかね、やっぱ、うん、ほんと自分では気づかないし、あの、そのワークではですね、みちこさんが問いを立てて、あの、自分のですね、思い込みをどんどん見つけていく形式に、あの、整えてくださっているので、まあ、それに沿いながら自分で過去を思い起こしていくっていう感じなんですけど、まあ、プラスですね、こうやって。
私は今回ノート講座でみちこさんにこの母についての相談をしましたけど、なんかそうやって誰かの目を必ず入れるっていうことで、あの、そうやってワークブック自体は個人で家で進めていくものですけど、やっぱり何かこうね、えっと、直接何だろう、アドバイスを言葉でくれる方と生でお会いするなりズームするなり、こうやってね、講座で何かテキストベースでも質問するなりっていう。
なんかやっぱり人の目を入れるっていうのは絶対大事だと思います。自分ではですね、本当にブロック気づかないので、そう、だからですね、あの、ぜひともあのみちこさんのワークブックなりノート講座もそうですし、あとね、えっと、ちょっとこれも言ったら気になるわ。
とりあえず気になる方、みちこさんの発信聞いてほしいなというふうに思います。私もですね、みちこさんに随分、随分、あの、いろんな何だろうパートナーシップなり仕事に対する考え方も、あの、なんかいきやすく変えてもらったなというふうに思ってるので、ぜひですね、あの、覗いてみてください。
あの、みちこさんのチャンネルもURL載せておきます。
で、あの、まあ、もらはらに悩んでる人は私のサービス使ってみてください。今ですね、モニターで1ヶ月1000円という破格でやらせていただいてますので、はい、こちらもぜひご利用ください。
はい、ということで、なんか、えっと、しゃべってみましたけど、もう40分経ってるやん。はい、あとでですね、タイムスタンプつけようかなというふうに思いますので、あの、なんかちょっとこう、母親との価値観、なんか依存しちゃ、依存っていうか、重ね合わせちゃってるかなというふうに思う方に聞いていただけたら嬉しいなというふうに思います。
はい、ということで、本日は以上です。ありがとうございました。