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こんにちは、早川洋平です。 戦争の記憶、今日は広島県の高橋憲三さんにお話を伺います。
高橋さん、よろしくお願いします。 高橋さん、大正11年生まれ。はい、11月9日。今92歳ですね。
もう、あのとても92歳には見えないお元気な感じですけども、今回ね、お話を伺うということでやってまいったんですけども、
やはり戦争の記憶ということで、事前にご連絡いただいたときに、メレオン島で終戦を迎えられたっていうことで、
正直、メレオン島っていう言葉自体を聞いても、今若い人って相当勉強してる人以外知らないと思うんですけども、
メレオン島で終戦を迎えられたっていうことは、僕も事前に調べたら、第二次大戦中にメレオン島に陸海軍の兵士が派遣されたんですよね。
で、高橋さんは、派遣される前はどこで何をされてたんですか。海軍だったとか陸軍だったとか。
陸軍で福山入隊。福山。福山補充部隊。はい。そこで当時何歳だったんですか。
小兵検査は20歳。20歳。陸軍で20歳だったってことですね。はい。17年兵。昭和17年。
で、メレオン島に行かれる前、今陸軍で福山に行っておっしゃってましたけど、そのメレオン島に行くっていう風に決まったのは、その福山にいるときに何か上司から言われたとかどういう状況だったんですか。
部隊出動。部隊出動。福山部隊が全部が出て、そしてその後は暁部隊が入った。暁部隊っていうのはどういう部隊なんですか。暁部隊は輸送関係から。暁部隊と入れ替わった。はい。入れ替わった。
ちなみにあの、すみません、そもそもなんですけど、高橋さん、ご出身は広島なんですか。はい。広島。もちろんずっと広島で。広島で、こっち行って兵隊検査を受けたおりに福山に派遣。
当時二十歳で、そのメレオン島へ派遣されるっていうときは、メレオン島へ行って何をしなさいっていう風なミッションというか作戦というかあったんですか。
福山へ入ったのは連帯砲へ入った。連帯砲。連帯砲。一中隊から七中隊まで連帯砲でした。それで18年の12月の31日の晩に、福山を出発して広島に着いて、
広島で1月の3日に船に乗り込んで。
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ああ、藤野に向かったっていう。
そして大分に着いて、大分から船に乗って南方へ行く。それで11日の朝、出航して、11時頃に潜水艦が植えて射撃されて、
3発の魚雷から真ん中が2番船艘へ当たって、2番船艘で真っ二つに降りて、拝み合わせに沈んだ。
あ、乗ってたものが沈んだ。
乗ってた船が1万2千トン。エビ丸湯。エビ丸湯1万2千トン。拝み合わせで沈んだ。そして海に飛び込んだ。
それじゃあ、乗ってた他の人で亡くなった方もいるんですよね。
夜に乗って、上野商工が上がって、最後じゃっけ、最後の上野じゃっけ、上野が乗って上がってみよって、魚雷が11時頃に3発来て、2番船艘に兵隊、火薬弾薬、武装関係が2番船艘に入ってた。
ほじけ爆発と一緒に真っ二つになって沈んだ。
その今、3分間に乗った。それ左の船艘に当たって、右側に乗って、船長室のサロンに。
そこで飛び込めという命令が来たが、高いってあんまり。
後返りして2回目に飛び込む。
その飛び込む前に2人の兵隊が上がって来た。
頼む、高さつけてくれって言うけ、海の中へ転がし込んだ。
その2人の兵隊は。
海に入って、この船から流れ避けるために追い出して逃げた。
その上野商工が上野と友達と上野に逃げた。
その時に。高橋さんは泳いでというのは、どのくらいの距離で泳いで、どこで助かったんですか?
泳いだのが、お母さんが頭の紙入れて、命綱を乗って、それを友達と持って。
その髪の毛を。
髪の毛を乗って、命綱をみんな持って行った。船に乗って。
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こう回って、命綱を友達と持って、波風の縄を引っ張り合い、こうして、
海から遠ざかって行った。
遠ざかって、今度は部屋に座る。
それで、一晩中、海の中にいた。
一晩中。
そうしたら、日本の小前船、総海艇が助けに来た。
それで、着る物が全部濡れとって、カンパンに干して、
下へ降りて、雑炊を飲んで、体を温めて、
それで見たら、着る物がみんな無いなと。
そうなんですか。
船が魚雷を落とすために、ウエストをウエストしている間に、着ている服や、みんな無いなと。
落ちちゃったってことですかね、海に。
海から落ちちゃった。
それで、ウエストが来なかった。
もう一度、公民館に行った。
住み起こした日で、体を温めて、民家宿泊をした。
普通の家に。
普通の家に入った。着る物が無かった。
民家宿泊で、北村家に入った。
おじいさんとおばあさん2人の家に入った。
そこに2人は入って、そこから今度は、何日か経って、14日経ったのか。
それで今度は、福井なんかに来た。
それを来て、今度は北方の野獣、公社放養などの部隊へ、
部隊の公民館、公民館集会所のようなところへ入れられて、
そこで今度は兵器が来るのを待った。
兵器が来るのを待って、そこで兵器が整って、
それで射撃の演習に行って、帰って、その兵器を持って南方出発。
撃沈されて泳いで逃げたっておっしゃったじゃないですか。
その時って、頭の中で例えば、自分は死んじゃうかもとか、
そんなことを考える余裕もなく、無我夢中って感じで泳いでたんですか。
無我夢中、何も考えない。
恐怖もなかったですか、逆に。怖いとかっていう感情もなかった。
どういうこともない。全然そういうこと考えない。
そういう意味では、メレオン島へ行く前に、
すでに一度も生きるか死ぬかの体験をされているってことですよね。
メレオン島へ行く前には全然わからん。
今おっしゃったように、一回民家に泊まって、
その後もう一回南方へ向かったってありましたけども、
そこからまた振り返っていただくと、そのまま南方へ無事に着いたんですか。
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南方に行くのに、今度はその川で水道を通らんこうに東の中へ通った。
それで45日から今度は一回目が台湾に着いて、台湾のバコへ着いた。
バコで今度は何日か寄ったってパラオへ着いた。
パラオへ着いたのに大和が帰っとった。
大和は大きなもんじゃの思ってみた。
それから今度はサイパンに行く前の晩に、
友達の船が一艘とやられた。
目立って入る前の晩に魚雷でやられて、
助けるところじゃない、前で逃げて、どんどんどんどん逃げて、
そしてサイパンに着いた。
それで朝、この船を見に行った。
プチクカンが何にもなかった。
そこでサイパンに入ってみた。
川があった。川はいつもこんな感じだった。
それでみんな兵隊が入って、体を洗った。
脳には白身がいっぱいだった。
当時2月ぐらいだったと思うんですけど、サイパンとかはやっぱり暖かかったんですか?
サイパンもそういうとこじゃの思って、ここへ降りたかった。
暖かかったんですか?
捕虜の兵隊が杖を持って、ドラムをカンカンカンって送り寄った。
ここへ来てくれればいいと思って。
サイパンの女の人が馬車に乗って、後ろを引っ張らせて、
大きなバナナを摘んで、出会いしちゃった。
サイパンの方が?
ここは上だけに置いてくれればいいと思ったが、
また乗ってガウム島へ行った。
ガウムへ?
ガウム島へ。
ガウム島から今度は私が島へ着いた。
島へ着いて、私が島へ着いて4日目に、
大体本部の指令で、命令事領に証拠と証拠について、
引き続き本島へ行った。
私が行った島と本島の指令がある本部の島と島が違う。
そこへ4日目に行った。
第1回の風襲は48機飛行機が来た。
それは飛行機の、敵の飛行機に見えなかった。初めてだった。
48機、ギラギラギラギラ、飛行機が来た。
12:01
飛行機が来たら、今度はバリバリ撃ち出した。
私は逃げようと思って、
ガウム島へ入ろうと思ったら、
空中爆弾が入らない。
ヤッシュの木を1本倒れていた。
ヤッシュの木を倒れて、これを背負って、
お守りの小さい口に当てて、
耳をふたえて、ここを伏せた。
逃げた結果、今度は
ファンの木などがあるところにかけて行った。
フローがあって、
そこにサンジキュウを投げていた。
サンジキュウを体にかけて、
ファンの木の間に当てていた。
そしたら、足をやられた。
左足を抱いたら、
肝臓がさっかい、こすってやった。
それで、兵隊がかけて、
木をくれって、木をもらって、足を回った。
そしたら、本部から、
家から派遣した班長が、
坂をつけてくれた。
それで、手を当ててくれた。
それで、今度は、
はい、こうなってもおるもんでな。
やられて、
相番に帰ろうと言われたら、なかなか帰られなかった。
さっそく、その晩に、
全部の島に帰った。
メレヨン島も、本島と離島というか、ちょっと離れているところはあったんですか?
島の数がある。ここに。
4つ1つあるんだよ。
こちらが島が。
基数ありますよね。
本島がどれだろう。本島はこれか。
ヤップ。
ヤップと本島だろう。
忘れとる。島が知らない。
ここに島がいっとる。
島がいっぱいあるんですね。
それで、その晩に島に帰った。
足を放て、あの巻き編んで回った。
じゃあ、もう上陸早々大怪我をしたっていう。
上陸して4日目。
これ、あれですよね。僕も調べると、当時だから上陸したのは、
このメレヨン島というのは、皆さん聞いてる方はちょっとわからないかもしれませんが、
ミクルネシア連邦の中にあるサンゴの島なんですよね。
サンゴ島。
そこの一つの島がメレヨン島ということで、
そこの本島とちょっと離れた島があって、その離れたほうに基本的に行った。
サンゴ島だよ。
食べ物がないから、海に入ってくるとサンゴ島だよ。
かけて戻られない。
海でかけて、てっかけて、海からかけられないとお金ない。
足痛い。
こんな逆にリーフの船行くんよ。
何に行く?
リーフの船。
あの、サンゴ島と海との境。
そしたら、棚になっとる。
15:02
その棚へ潜るんよ。
そしたら腹傷だらけ。
サンゴで。
あ、吸っちゃって。
それで敵に逃げたら、カボンに頭をあげる。
来たら、それ引っ張り込む。
そしたら、入り込む。
それが何日も続く。
メレヨン島、一人が昨日は30名している。
黒穴、白木の穴、30名ずつ、60名も。
それがゾウスを食べるもの。
ハンゴの中ゴを出して、それ本格に塗って、
普通に塗る油がある、本格に塗って、
それをハンゴに塗って、
木の葉を鉄株との中に入れて、
鉛筆の絵で、スコップの絵で、
叩いて、ダンゴにして、
それを焼いていく。
食料がなくなったというのは、
最初に上陸して直後に、
高橋さんも怪我されたように、
米軍の攻撃があって、
確か、滑走路というか、そこも壊されて、
食料も全部燃やされて、
上陸した直後に、みんなすべて断絶されちゃったってことですよね。
上陸してから生活が送ってこないので、
自活しないといけない。
補給がほとんど来ないってことですかね。
島で作って、生きていかないといけない。
炊く芋を焼いて、穴を掘って、芋を植えて、
芋を食ったり、何かしようと。
それが、腹が減って叶わない。
ヤシの実を持って、
3日間のサラシ首、
3日間のサラシ首、何にもやらない。
ヤシの実、パンの実を繋ぐのが後ろで。
衛兵署の前。
だいたい本部の前に衛兵署がある。
衛兵署の前にパンの実がある。
それを後ろで繋ぐ。
それで3日間飯を食わずに、
ヤシの実を焼いて、
それが、大丈夫。
俺は木を登らない。
ヤシの実をもう一回落とす。
落とすと捕まる。
島崎でヤシの実を一つ落として、音が響きをひいてみる。
すぐ分かる。
その人は捕まっちゃうんですか?
その人が捕まっちゃうんですか?
何?
さっき、木に捕まえられたっていうのは、人が?
うん。人が捕まって、サラシ首。
おそらく殺されちゃうんですね。
貴重な食料を捕ったからってことになるんですか?
あの分は、あの分は班長がやった。
18:01
班長が雨の降る晩に、スコールの降る晩に、
熊松倉庫に行って、
携帯燃料を一周入れて、
返す。
それを今度は、樽芋、堀木、樽芋。
それを洗って、海で洗って、
携帯燃料を入れて、石垣の中に入れておく。
お手入れ行ったら綺麗に家側に床に置かれたら、
それをここで生活する。
それを班長が減点に壊す。
ちょうど昭和19年の陸軍だと2月に行かれたんですか?
うん。
2月に行かれて、翌年の終戦までの大体1年半ぐらい。
ずっとそこの、本当に何も食料もない陸の孤島にいて、
いわゆる自活っておっしゃいましたけど、
自給自足。
そういう生活になるなと思ったら、
すぐにそういう状況に追い込まれたって感じですか?
食料もほとんどなくて。
食料とは分からなかった。
暗くなるのも九十八もぐらい。
潜水艦が入っとるんだけど。
それはもうそういう状態になるなっていうのは、
誰しもが見て一目瞭然って感じだったんですか?
でもやっぱり最初は、助けが来るとか、
補給の船がもっと来るかもって最初は期待しましたか?
行ってからほとんど来てらんのだろうな。
4回らしいですね、1年6ヶ月の間で。
一番思ったのは、まず最初にもう足怪我されたって言ったじゃないですか。
その辺あんまり衛生状態とか多分良くないですよね。
でも病気とかにはならなかったんですか、高橋さんは。
作家じゃけど、ひどい体調じゃなかった。
そうなんですね。
足は治って、
実際その食べ物って、さっきもおっしゃいましたけど、
メレオン島って産後症の島だから、
あんまり農作物作るのに適してなかったんですかね。
ただいいのが水が減かっただけ。
あ、そうなんですか。
水が出たけ。
穴を掘ったら水が湧く。
産後症でも。
腫瘍腰痒くしてられたけど、
ドラムかけた水で火を絶えて、
これなかなか腫瘍できなかった。
私は向こうへ入ってから、
大体本部の当番長で、当番室にあった。
事件を割り合いして、
それで大隊長のお下がり者を大将と呼ばれとったけ、
行くとある。
お下がり者って食べ物?
うん。
兵隊と将校は食べ物が違うん。
将校は押し寿司を食べるんだよ。
兵隊は機能派の増水だよ。
押し寿司があったんですか。作ったんですか、押し寿司を。
21:00
え?
押し寿司を作って、最初あったんですか、押し寿司が。
押し寿司は、数字がこちらで、将校に別にあげる。
そういうことで兵隊と将校との戦いがあるんだって。
で、高橋さんはどのくらいだったんですか。
あ、そっか。兵長。
兵隊の中では結構偉い方に。
兵長は歌詞館の下へ。
歌詞館の下。
うん、じゃあ遠いの上へ。
遠い方へよ。
僕もちょっと事前に調べて、いろいろ見たんですけど、
陸軍と海軍があって、
それぞれ合計で6,426名がメレオン島に行って、
そのうちの4,493名が亡士病者ってことで、
7割ぐらいの方が亡くなってると思うんですけど、
その時に、ここのデータだと、
陸軍はやっぱり、将校は33%、歌詞館は64%、
兵卒は82%で、亡くなった方の割合。
下の位に行けば行くほど、
亡くなった方が多いっていうのは、
今のまさに高橋さんおっしゃってた、
食べ物がやっぱ違うっていう言葉、明確にあったんですかね。
それ違う。
それぐらいしか遠回しになって、
将校が、ああ、そう言って、
自分が食べるばっかりじゃいけんけ、
そそわけしてもらうけ、地図。
それが結局、何がもっとか言うと、
芸は身を助けるで。
芸。何かあったんですか。
剣道をしとったおかげで、
将校が終盤につくと、
ちょっと剣道を教えてくれんて。
剣道を教えた。
そうすると、こんな帰ってきたら、
震えてこいって。
震えたら、そしたら転校しとくぜ。
で、週刊誌に戻ってみたら、
自分たちが家族で食べておいたら。
そういう意味では、まさに芸は身を助けるってこともあったと思うし、
ラッキーであったんですね。
配属された場所も。
ただ、これ、事前にお借りした資料とか見ると、
最初に配給されたお米の量とかも、
どんどん減っていってますよね。
600グラムだったら100グラムぐらいになっちゃったりする。
して500円。
それこれだけの米をのしてんだろうとすると、
どうせ食べても、木の葉ばっかりで、
それの中にパッコン菓子って、
ふくらかしたのがあるじゃん。
あれが4つか5つぐらい浮いてるぐらい。
あとは全部木の葉よ。
で、栄養出張になったら、
金玉が晴れる。
金玉が晴れる。
体が晴れるんだよな、金玉が晴れる。
そういうもんなんですね。
栄養出張は。
あんなったらもう亡くない。
イメージだと、栄養出張に一回なっちゃったりとかしたら、
そっから、要は、回復する人っていたんですか?
24:03
ない。
もう死んじゃいますか?
こんな場所をばんでくれて人の手を焼くのに。
骨を取って送るために、
人の手を燃えてこっから、
亡くなった方の、焼くのに。
それで死んだのを焼くのに、
掘る力がないけ。
掘る方も、生きてる方も。
ああ、そうにいける。
ならんね。
スコールが降る場合には、ものすごいリンゴを蒔いた青を並べた青そうに焼く。
スコールと飴が同じに降ってくるじゃん。
だから、においと。
これ、お聞きしづらいんですが、たぶんきっとこれ聞いてる方もやっぱり気になると思うんですけど、
亡くなった方がいっぱいいるじゃないですか。
今、骨を置くんだけはいけないってことはあったと思うんですけど、
その遺体を食べるってことはなかったんですかね?
あったの。
そりゃけっこう普通に。
かばね手をつけるのは、
小校のひとばしの相棒の小校が、
中隊長と小校と、
たわり、たわり、こういう人、
それからもう一人と二人が、
手銃弾を三発持って、
で、中隊長と小隊長へ、
一族にぶつけた。
ぶつけた。
うん。
中隊長の当番で、上等兵というのが、
食器詐欺って話をしよった。
ご飯食べたら、食器詐欺って話をしよって。
それが死んだ。
こっちの小隊長は駆けて逃げた。
死んだっていうのは、手銃弾を投げられたから死んじゃった?
投げられたから死んだ。
その投げた二人は、
一対一、こんな投げてしまって、
今度は自分ら一発ずつ、
自分が手銃弾を引いて死んだ。
自殺した、二人が。
その手銃弾投げたのは、なぜ投げたんですか?
殺すと言っても、
例えば、その人と何か、
それが結局、今、
将校と兵隊との戦いが今、
将校はお前も残って、兵隊は俺も残って、
その錯覚がひどい。
今、本一冊書いてあるの。
本の中にも書いてあったのが、
陸軍記念日だっけ。
風呂釜貸してくれって、風呂釜買って、
ああ、いいだった。ありがたかったのもいい。
っていう歌がさ、
さっき殺されてばっさりある。
その本を書いたの、持っていたの。
帰ってこない。
そうですか。
それで、一対一だった。
二対一だった方は、
中隊長一人で、後は全部死んだ方がいい。
わしらの中隊が、
七人残ったのが一番多い。
そうなんですね。
後はみんな死んだ。
27:01
七人のうちに兵隊は一人か二人か。
後、かしか将校で。
最初は、上陸した直後は、
余裕はない中でも、
そんなお互い殺し合うとか、
そんなことは夢にも思ってないわけですよね。
でも、それがどんどん余裕がなくなっていって。
今言うと、死かばね血をつけるのは、
軍隊の中で、
英装がないと島を流す。
英装がないと島を流すだろう。
その島へ行った者が、
こういうものは直されないわ。
くれんぼは。
何もない島へ行くんだから。
そこに死かばね血をつける。
たかしさんご自身も、
割と運良く、
いろいろ食べ物を食べさせてもらったりってありましたけど、
やっぱりいろんな複雑な感情っていうのはあったんですか。
もっといいものを食べたいとか。
食べるものはおいしいからだと思ったけ。
魚老犯にも連れて行ってもらった。
魚老犯に。
その魚老犯の班長は死んだ。
それ言うのが、
兵隊燃料の関係で名前を言ったり。
ひなはつける。
これだけは。
そして、ボールをあんなに火をつけると、
膝に乗って、
フッと吹いて、
これで一つ二つ三つポンと投げる。
それが、船の上で爆発して。
船がパーンと行ったら、
総長が内臓がみんなこの船の中に出てきて、
帰ったときに。
そういうのを連れて行ってくれて、
海の中で生の魚、
人は座り屋にいらっしゃるけど、生の蚊子。
よく食べると今度はゲリや。
そうですよね。
生の蚊子。
ゲリセラン。
そういう状態。
ヤドカニ。
トカケ。
ツム。
ウジ。
フジも。
白いウジがいっぱい。
ほら、早くもらって。
サッと胸につくじゃろ。
あのウジ。
ウジ虫。
全部食べる。
同人がパン餅くれる。
そのパン餅いうのは、
穴掘って、カッパーに。
安らかに。
パンの身がおいしそうなやつにそれを入れて。
そしたら雨降ったりなんかして、
蓋を持ったりして、
ウジは開くだろ。
そのウジを一緒に取って団子にして、
産む。
それでそれをくれる。
ウジと一緒に食べる。
それで命を作ってもらう。
もう最初から、
どんどんそういうひどい状況になっていくにしても、
最後、
仲間も仲間じゃないみたいな感じじゃないですか。
安心して寝れないですよね。
そもそも上もそうですけど、
いつ自分も誰かに殺されるかもみたいな。
ああいうことは全然ない。
そういうのはないですか。
どういう心境だったのかな。
みんな助け合う。
天皇陛下問題じゃない。
じゃない。
全員ウジと同じ。
30:03
それがみんな良かった。
取ってきても与える。
一人じゃダメ。
安のみ飲み合い越したりとか。
そういうことがありが、
兵隊同士はより相互についてくる。
そういうことで兵隊は離れる。
兵隊同士はまとまってくる。
兵隊同士はまとまってるってありましたけど、
当時、1年半ぐらいだと思いますけど、
何を話をしてたんですかね。
生きるか死ぬかだとは思うんですけど、
そんな中でも死ぬとか飢えとかを忘れるような
会話とかってあったことあるんですか。
例えば内地に戻ったらとか、
そういう話をできたときあったんですかね。
ああいうことは全然ないの。
ない。
ただ食べることだけで。
やっぱりずっとそこを。
場所が別にサイパンのちょっと前で。
サイパンガウム島。
サイパンガウム島。
エクメリアン島。
おじけのサイパン玉砕の前の場に来ました。
カンボジア駅受けたの。
照明弾打ってバクっと。
昼のようになるの。
明るくて照明弾で。
明るくて。
どっから来るかわからんぼかなの。
ああこれが最後だって。
最後だって。
そしたらここにあがらんか。
サイパンがあがったんだ。
ああこれがサイパンがあがったんだ。
前の場に来ました。
正直船の出入りは全然ないじゃろ。
そしたら中で一、二回ほど
あるような、あったんだろうよ。
はい。
この分野の、この分野。
どれだったか、そしたらか。
これの中で一人の。
はい。
私の大体本部では、
死のほかの大体本部におった第一代。
それが言うのに、
なんでお前たちかって思ったら、
私は市長やで。
両股運ぶのに。
車の前通して通ったのに来たら、
ゾロの中に穴開けて米を取って、
それを持って自動車にして、
ぶら下がって。
どうやっても。
1973年に言うと、友達が。
あ、そうなんですか。
それは二代だった。
一代だったよね。
そのメレオン島に行って、
ほとんどもう当然、
内地からの連絡も、
ほとんど遮断されてたと思うんですけど、
その時って、
さっきのサイパンとかグアムが近かったってこともありますけど、
なんだろう、この戦争が、
もうどういう状況かっていうのは、
なんか情報入ってくるのか、
入ってこなくてももう、やばいみたいな。
全然入ってこない。
えらいもんね、分かる。
その時って、なんかもう、
戦争負けるなとかっていうのは、
なんとなくやっぱりもう、
それは分かってる。
そりゃ、いこりん分からんの。
三日、半日。
33:02
水道だったら、
湾の中に潜水艦が入っとるんじゃもん。
そうして撃ってくるんじゃけん。
もう分かりますよね、それは。
で、パラゴン行ってみたら、
あは、やまったかんた。
やられて戻っとるんじゃ。
これで長いこと掛かっていったこと、
全部船が脱鉱して、
まともに行かれんのじゃろ。
毎日脱鉱してくる。
熱いとじてんから、ほんまやがな。
壊さんのじゃ。
あっても壊さんのに。
その一年半毎日、
食べることで当然必死だったって、
おっしゃってましたけど、
いつか助かるかなって思えたのかとか、
そういう希望は持ってたのか、
それがこのまんまもう、
いつか死ぬんだろうなって、
どう思ってらっしゃるんですか。
そういうこと考えんの。
そういうことも考えない。
あともう全然ないの。
とにかく食べる。
どうやって今日食べるかって。
どうして食べるか。
海行っていいかとか。
まだ行った当時は、
かやがあるけ。
かや切って、丸めて、
かや張って、このくらい高さで。
丸めてかや張って、
石の横に入れて、
中にいっしょ取る。
魚が逃げるの。
これ取って食べる。
細いの。
大きなプリンクル。
海蛇も取って食べる。
海蛇。
あっちは土塵全然食べんの。
今度はフーフー取って、
中毒になって。
やれ言うとすぐ穴をいけて、
砂かける。
そしたら屋本から戻る。
血を吐くと、
フーフー自分でやるんじゃ。
そうなんですね。
今土塵って言葉ありましたけど、
現地のメレオンとの人がいたってことなんですね。
土塵?
土塵は他の島へ送っとる。
他の島へ送っちゃっとる。
それ時々回って来る。
来るんですね。
それがパン持ってくれたんです。
その人たちの方が食料を持ってたってこと?
その人たちの方が食料があったってことなんですかね。
あれはもう食料ないんだよ。
細い島は全部送られるんだけど。
分かれとった島があったのが、
一つの島が送られるんだけど、
あれらもない。
ないんじゃが、あれらはパンと、
ヤシの実と、
ヤシ酒と、
ああいうのもんで一つ。
もう1年半ぐらいだと思うんですけど、
それっていうのは振り返れば、
当時もそうですけど、あっという間って感じですか?
やっぱり長かったですか?1日1日。
長いよね。
ひたすら食べることだけを考えるってことだったと思うんですけど、
36:03
でも当然先は見えないわけですよね。
その時にとにかく食べることっておっしゃってたと思うんですけど、
そうは言ってもさっきやっぱり兵隊同士はすごい絆があったっておっしゃいましたけど、
なんか話したこととかってあるわけですよね。
話すというか、
印象に残っている戦友の方との会話とかって何かありますか?
なかなか偉いのがおって、
漫画も上手に描いてるのも、
あれ撮ったのがあるが、
持って帰りは思っても、
みんな取り上げられたの。
漫画を?
うん。
何にも描かないの。
本当そうなんですよね。
僕もすみません。無理やり当然聞き出せることじゃないので、
やっぱり当然その状況に行ってないので、
例えば死の恐怖があったんじゃないかとか、
そういう日々の中でも、
そういうのを忘れる会話があったんじゃないかとか、
そんなことが泣く日、ずっと続いています。
中にバッカンを入れて、
食事を、
一週にか一年も残っている物の中の食事を、
オーケー持って行って、
雑炊入れてあげる。
それが数字の一つ何円になったのね。
それを一人何円になってきて、
感激しちゃった。
兵隊が、数字のものが。
そしたらその中隊の上等兵、
後参の上等兵が通り行ってきて、
これがバレたんだよ。
それがバレた人を捕まえようと思ったら、
その人が、局者が多いんだよ。
局者が多いよな、大砲でも何でも。
突っ込まれたら上から入れるんだよ。
どうと思う。
それの安全ピンを抜いて、
印鑑をつけて、自分一人の顔をつけて、
だーっと死んだ。
自決した。
いられません。
兵隊があれが死んだが、
これがかばえそうにの、
ああいう話しかない。
数字を込めておいて、
兵兵がケツをついて、
ケツをついて、死体を検査して、
バレる。
殺された。
ああいうのもかばえそうにの、
そういう話しかない。
あれがパンをもぎって、
あれがパンをもぎたくらいで死んだ。
何かを取って、奪って、追っかけられて、
自決した方とかそういう話もありましたけど、
それこそもう、気が狂って、
自決しちゃう人とかもいたんですか。
それは俺の班長が、
携帯燃料、携帯燃料、
あれを半径8メートルで、
飲んで、自分が。
で、手榴弾ケツに入れて、
入れて、自殺した。
39:01
副団班長が。
あれより他には自殺した人の記憶があるの。
高橋さんは、もうそれこそ、なんだろう、
まあちょっと言い方はあれですけど、
自決しようなんて思ったことは一回もなかったですか。
ないの。
それ言うのが、
当班長と言うけ、
第一から帰っていいや、
当班関係の人間ばっかり帰ってるんよ。
ああ、やっぱりそれはあったんですね。
司令部の、
だいたい一番親元の司令部、当班長、
当班は全部帰ってる。
結局、ちょうどお聞きしようと思ったんですけど、
高橋さんが、
自分自身でなぜ生き残れたと思いますか?
って言うと、やっぱりそれに近いとこにいたから、
っていうことになるんですかね、その当班。
それは結局、芸は身を助けてた。
建造所のために聴講が買い上がってくれたり、
ある程度、少々悪いことを見逃すようになる。
ヴィンターとつかれたことはあるけど。
え?
ヴィンターとつかれたことはある。
でも当然、一緒に行った戦友で、
同じ隊というか、班ですか?
そこの人たちもどんどん亡くなっていくわけですよね。
あれですか、最初は仲の良かった友が亡くなって、
やっぱり、疑問かもしれないですけど、
やっぱり涙とか出るわけですかね。
それか、もう慣れちゃって途中から出ない。
出ないの。
死んだって言っても、やるって言っても、
涙が出るような状態にはないよ。
どういうもんかな。
感覚が麻痺してたんですかね。
結構麻痺してたじゃないの。
そっか、それで1年半で、
普通は8月15日に玉音放送で終戦を迎えるわけですけども、
メレオン島での終戦は8月15日になるわけですか?
もっと後?
もっと後じゃないの。
8月15日の玉音放送の時は、
メレオン島では何もそういう情報が入ってこなかったんですか?
戦争が終わったとか、
天皇のラジオの声なんて入ってこないわけですよね。
俺は何日だったか覚えてない。
記憶に。
単純に言うことは分かっても、
名産については分からない。
高橋さんの中で、メレオン島に残った方たちの中で、
戦争が終わったって分かったのは、
日にちは分かんなくてもいいんですけど、
どういう状況で分かったんですか。
例えば、どっか海から日本軍の誰かが来て、
終わったぞ、みたいに言いに来たのか。
やっぱりそれは本部からの。
その時って残ってた、たぶん全部で千数百人かな?
だと思うんですけど、
その人たち一気に広まったんですか?
戦争終わったぞ、みたいな。
いや、わからん。
まあそうですよね。
高橋さんはそれを知った時っていうのは、
誰かから伝わってられたんですよね。
覚えてないんですけど、
高橋さんの中で戦争が終わったって分かった瞬間って、
どういう状況だったのかな。
42:00
それなんとなく、お互いに負けていけないって言うと、
命令が出たとか、あれがあったわけじゃない。
友達と負けたんじゃいけないよ。
人伝いに。
人伝いに。
その時ってどんな感じでしたか。
なんとも言えんよ。
嬉しいとか、これでやっと、なんか。
あげるなんて全然ない。
それもない?
思考があんまり、もう停止停止っていうか、
食べる。
頭がおかしいようになってる。
なんにもわからん。
でもその後、僕も事前に資料とかもいただいたんですけども、
何日か経って、1ヶ月か分かんないですけど、
日本に帰れるわけですよね。
その帰るまでの間にも、
例えば補給は来たのかとか、
その間にも我死する方っていたんじゃないですかって思うんですけど。
死んで、戦争もあげてから言うのはあんまり実験がない。
ないですか。
つまり、ちょっとわかんないんですけども、
迎えが来るわけじゃないですか。
迎えが来る前か、その前に戦争が終わったぞという情報が来てから、
実際に日本に帰られるまでの期間って何週間かあったんですよね、きっと。
その間に、高橋さんが記憶する限りはそんなに我死した人はいなかったはずですか。
帰ったのが、レプロンズに帰った。
そうですよね、大分。
レプロンズに帰った。
いろいろ調べると、自給自足っていうのはかなりこのメレオン島だと、
やっぱり珊瑚の島だし、大変だっていうことは書いてあったんですけど、
ただその終戦直前ぐらいになると、
その自給自足の農作物とかの成果が出てきて、
少し食料が育ってきたと新聞記事とかには書いてあるんですけど、
実際、感覚としてそんなことないですか。
ないの。
カブチャでもこのぐらいになったらもう食べるもん、隠れて。
こんなちっちゃい。
カブチャの花、全部食べるのに。
もう帰ってから、食料が育ったっていうことも全然ない。
ベップに帰るまでの、よくそのメレオン島離れる時っていうのは、
ずっと頭がおかしくなってたっておっしゃってましたけど、
ようやく戦争終わったんだ、これでみたいな感じで、
気持ちが少し切り替わったのっていつですか、
そのメレオン島離れる時なのか、
船でベップに帰る途中なのか、帰ってからなのか。
あんまりあれがない。
分かって帰ってもまだあれがないと。
実感なかった。
帰ってもベップに帰って、機車に乗って、
今度は徳山で神方祈る者、あそこで降りたんで。
将校が荷物を降ろせばいいけど、
将校が降ろせば降ろせば言って、みんなちょろっと降ろさせてあったの。
将校が行ってからその荷物をあげても、
これは誰か、これは誰か言われて、
私はもうわが方があるけど、
45:02
これを取ろうと言われたら全然なかったの。
欲がなかった。
私がハゴまで取っていなかった、四国のやつが。
よく知ったやつだから、四国の二人でハゴまで取っていなかった。
ご自身の中で、食料もそうですけど、
戦争が終わったなというか、ある程度切り替えられたというか、
ご自身の、高橋さんの中での戦後っていつから始まってますか。
1年経った後なのか、3年後からなのか。
人によって全然違うと思うんですけど、
なんで考えてないの。
なんかお話がかかってると、僕も今回いろんな方にお話がかかってるんですけど、
その玉音放送8月15日聞いたときにやっぱりそこでも
戦争がスッと終わったっていう人もいれば、
食料がまともに食べられるようになったら、
3年後ぐらいにようやく実感できるようになったとか。
帰ったらもう全然考えなかった。
わがたがあるということと、
わがたが食べられることがまともにあると、
全然あれは考えんかったの。
これは史実に出てるので名前出しててもいいですけど、
宮田大佐とか北村松尉とかが、
責任者というかトップのメレオン島の時の、
その後戦後に自決とかしてますけども、
そういうのってどう思われますか。
気の毒なんですよ。
気の毒。
実際この2人とかを見たこととかあったこともあるんですか。
証拠の自決?
自決じゃなくて、
宮田大佐とか北村松尉ってトップの方が自決戦後にされてますけど、
その2人とかに、
僕もすいませんちょっと分かんないですけど、
メレオン島とかで顔を見たこととかってあるんですか。
ない。
全然ない。
古式の死にせっぷくした女団長は見てない。
向こう行ってから全然見ない。
当時は本当にそれこそ、
戦争って言う時にさっきご自身がおっしゃってた、
頭がもうおかしくなってたっておっしゃってましたけど、
当時の軍部がもっとこうしてれば、
自分たちの仲間は死ななくて済んだとか。
そう言うとね、
わしらは将棋で言う捨て駒だっけ。
捨て駒がここへ行って送りゃ、
敵が攻めてくる。
そしたらここから行くんじゃ、
上が決めてやっとる。
全て世の中が原爆にしても、
当たらなくて、
腹が立つばっかり。
原爆で何でも3人話しようと、
銭もらって安気に生活しようと。
こっちのものはそれは何でも。
4万円の旅行券もらっただけで、
旅行にも行きやすい。
48:13
うちでも子供話しするぐらいで、
そしたらこれが記録、
何か残し合いの人が酔ったけ。
そういうことも言うと知るけ。
わしが新聞を見よって、
お宅のあれが新聞だと言ったけ。
ちょっとこれ切ってくれや。
どうしたの?と言うけ。
わし持っていればいい。
持っていかれると大変なことになる。
今日お話ししてくださったということですね。
まだ良いのは最高じゃ。
人生最高。
最高?今が?
今までが。
兵隊から戻ってから。
生活が。
いろいろ当然戻ってからも、
普通の人から見たら、
たぶんご苦労されたり、
大変なことあったんでしょうけど、
でもその時に比べたら?
今は最高や。
言うことは何でも。
たまには腹が立つ。
戦争で苦労したら甲斐があって、
帰って楽にするかもしれない。
お話し聞いただけで、
もうこれっぽっちゃん、
僕はわからないですけど、
でもお話し聞いただけでも、
たぶんそれ以上に大変なことって、
ないですよね。
何言ったかな。
じゃあ今帰ったらもう最高じゃ、人生。
言うことない。
腹が立つばっかりテレビ見よる。
そうですよね。
メレオン島に行かれてから70年以上だと思いますけど、
その当時って、
ご自身の頭の中にはっきりと景色とかって、
今も残ってます?
メレオン島の。
何が残ってるか。
今、メレオン島の時のお話を
いろいろしてくださったじゃないですか。
70年ぐらい前じゃないですか。
でもご自身の中には、
その時のメレオン島での当然出来事とか、
そういうのって、はっきり頭の中には残ってるんですよね。
メレオン島が残ってるだけ。
メレオン島が残ってる。
私が今話をしてもらったんで、
ここがすっきりした。
本当ですか。
よかったです。
すっきり。
解放されましたね。
この前も死刑状態という人の子供さんが、
家に送ってもらうんじゃが、
それを見てもいいようがないの。
将校と兵隊はものすごく差があるし、
将校は将校にそれだけいいことをしてるのに、
なんでもないのに殺されへんの。
言われんし。
今日あの中心ともらってたら、
頭がすっきり腹が立ってることもないの。
51:02
よかったですね。
すごい印象的だったのが、
メレオン島から帰ってきてからは、
人生最高だっていうね。
帰ってから帰ったらもう最高。
やっぱり今戦争を知らずに生きてる僕らは、
やっぱり最高だと思わなきゃいけないですね。
ありがとうございます。
今日はですね、戦争の記憶ということで、
高橋健三さんにお話をあげました。
どうもありがとうございました。
どうもありがとうございました。