──いや、一緒に出て行ったけど、ここに。 ──あ、その3人のね、他の一緒の。
──12時5分に出撃命令が下って、書くものを書くというのは手紙を書く。 ──その前に書いてる。
──12時05分には出撃しろっていう時間なんですね。 ──そうです。
──じゃあその前に、出撃しなさいっていう命令もあるわけじゃないですか。
──4月3日の12時05分に出撃しなさいっていうのを何日か前に言われてるわけですか。
──いやいや。 ──いつ言われてるんですか。 ──いや、その時ですよ。
──その1時間前とかに当然言われてるとか、2時間前に言われてるとか。 ──あ、明日。
──あ、よかった。それが知りたかった。じゃあ前日に言われてるわけですね。 ──そうですよ。
──4月2日に言われてるってことですね。 ──そうですね。12時5分にはもう出発だから。
──それは本当に細かい話ですけど、その12時5分の12時間ぐらい前に言われてたのか、もう3時間ぐらい前に言われてるのか。
──いや、その前。だから心の準備はできない。駆け抜けをしておるわけです。
──じゃあそれはもう12時5分の1時間ぐらい前に知らされたんですか。どのくらい前ですか。
──明日ということで言われて、その明日の命令が12時5分だったということです。当時の命令は。
だから私たちは前の日に燃料を積んで、それから鹿児島まで飛んで行って、燃料をまた積んで、ということです。
──前の日に行ったってことは、何日か前にそこに行くように集合がかかってるってことですか。 ──そうです。
──ということはその集合がかかった何日か前の時は、そこで初めて集合がかかったって知ったわけですよね、中村さんは。
──出撃するということですね。 ──という命令が下ったわけですよね。
──命令というよりも、時刻じゃないんです。だからどこのところに集合せろということで、集合時刻。
──その時に、さっきの手紙、書き置きという、それは中村さんは誰に対して書いたんですか。
──これ。 ──さっきのマフラーの彼女。
──彼女。 ──それは奥様ではないんですね。 ──奥様はいなかった。
──その後その方が奥様になったというわけではない、また別なんですね。 ──違う、全然。
──その時に、例えば差し支えない範囲でいいんですけど、どういうことをお手紙に書かれたんですか。
──例えば、無事に帰ってきたらみたいな話をしているのか。 ──みんなそうですよ。
──だけども、全部が全部、そこまでは書かない。
──もうどうせ飛行機であれ飛行機で行っても、途中で落とされるかもわからないし。 ──劇通り。
──もし戦死した場合は、と書くだけ。
──中村さんは何て書いたんですか。
──私?私は死ぬのは当たり前だと思っていたから。
──別れの挨拶だけ書いたんですか。
──その前は言ってあるから。言ってあった。
──彼女には弱かったけど、飛行学生の時の下宿が今でもそうだけど、もうみんないなくなった。
──一番上のお姉さんが、私よりも3ヶ月、9月生まれだったから。
──それが両方、面倒見てくれたわけ。その次が二つ下。その次が三つ下だけど、これは彼氏が売った。
──それからその次は売ったけど、これはもっと年が離れた。
──だけど一番両方してくれたのは、姉の方。
──あ、そうなんですね。その方に対して手紙を書いた。
──そう。おふくろだね。向こうのおふくろ。私のおふくろでらしい。
──そうなんですね。お世話になってたんですね。
──それはじゃあ、込み入った話ですけど、中村さんの中ではもう生きて帰ることはないだろうって思って書いてる。
──みんなはそう思ってる。
──その時に彼女だったり彼女のお母さんだったりってあると思うんですけど、当然実のご両親も中村さんいるわけですよね。その時もお元気だったんですよね。
──そうそう。俺はまだ若いから。
──ご両親に書こうとかは思わなかったんですか?書くまでも別に書く必要はないかなみたいな感じだったんですか?
──いや、そこまで書く余裕がなかった。
──実際その手紙に書いたのは彼女と彼女のお母さん前だったと思うんですけど、どうしても僕らというか僕は体験したわけじゃないので、復興隊っていうと最後その手紙を書く時も、
──本当は死にたくない、戦争にそもそも行きたくなかった、だけどお国のためにって言ってるけど怖いとか、いろんなこういう手紙とか残ってる本もあるじゃないですか。
──そう。
──多分人それぞれなのかなと思うんですけど。
──そりゃそうですよ。だけどもその時は精神教育ということで、お国のためにということが基本精神だった。自分勝手なことはなかなか表現できなかった。
──それは心の中でも抑え込んでるというよりも、もう麻痺していった感じなんじゃないですか。
──そうです。
──本当にこんな戦争とか、例えばなんか上層部のせいでなんで俺たちが特攻隊行かなきゃいけないんだとかそういうことも。
──余裕がない。
──ほんのちょっとはなんか、ほんのちょっとは実はちょっと疑問に思ってたとか、その当時はないんですかもう。
──もう徹底的に教育されてた。
──中村さんの感覚ではおそらく周りもみんな同じだった感じ。
──私よりももっと強かったんじゃないかなと。
──その気持ちが。
──そう思います。
──じゃあさっき話した加藤圭一に、私が別の人からもらったマフラー、加藤に渡してやったことも。
──いや、今の人とはそこが違うんですよ。
──徹底的に精神的教育を受けてやる。
──そうすると、精神的な教育もあると思うんですけど、とはいえ、いざ特攻隊に行くという風になったら、
──さらにもう一個別の、明らかに死の階段が近づくって思っちゃうんですけど、あんまり変わんなかった。
──変わらんですね。おそらく陸軍も海軍もみんな一緒だったと思いますよ。
──その時に、やっぱり上層部とかが隊員の恐怖心を和らげるために、覚醒剤、ヒロポンとかそういうのを結構隊員が使ってたんじゃないかっていう風に、
──いろんなところで見るんですけど、実際そういうのは特になかったんですか。
──私はそんな感じなかったです。
──周りも使ってない。なんかそれが支給されたみたいな話もあったりもしますけど、少なくとも中村さんの隊にはそういうのはなかった。
──次の機会に行きなさいと。
──一応部隊に100人まで帰って、それからまた次の機会に行くんだよ。確かに次の飛行機も準備した。
──そうなんですね。結果的に行かなかったから、もちろん今ここに中村さんいらっしゃると思うんですけど、
──そうそう。
──次の機会が訪れなかったってのは訪れる前に戦争が終わったってことですか?
──あったよ、まだ。
──機会があった?
──横須賀。横須賀の部隊に転勤した。
──何月のことですか?
──1ヶ月ぐらい。
──5月とかぐらい。
──そうそう。
──横須賀行って、また出撃を待つ感じですか?
──そう。それは今の新しい飛行機、7249のキッカという飛行機。
──キッカ。
──この飛行機のために待ってた。
──はい。
──だけども、今度は飛行機ができなかった。
──完成しなかった?
──なかなか。
──それはもう終戦直前で疲弊して作れなかったってことですね。
──分からんなぁ。
──部隊の方だけは焦っておったけども、現場の方はなかなか。
──テスト側はうまくいかなかった。
──7249の部隊というのは怪しげな部隊です。
見せていただいてもいいですか?
──どうぞ。
──これが結局このキッカが出来上がらず、横須賀で待機したまま、そのまま終戦ですか?
──いや、そのまま日立が立つから。
──立ちますよね。
──で、原体に帰ると。
──あっ。
──原体というのが、この7249航空隊が三沢の一角にある。
──三沢。
──飛行場。
──で、こっちでしばらく待っておった。
──うん。
──そしたら終戦だった。
──なるほど。三沢?
──うん。
──で、待ってる時は、いわゆる具体的なこの横須賀の時みたいに、このキッカを作ってて、いつか飛び立つ準備みたいな具体的なものは見えてなかったってことですか?
──できたらということで、その部隊の陣容は確保はできるんですけども、
──実際は完成はしなかった。
──飛行機は、救急式環状爆撃機を使って訓練はやっております。
──訓練っていうのは、これ特攻機ですよね。特攻隊で実際使うための飛行機の、キッカ自体は完成してないんですけど、訓練機はあったってことですね。
──もう救急環状爆撃機、それを使って、磁力、それから効果の訓練。
──それは一人乗りだったんですか?それも三人乗りなんですか?
──一人、パイロットは一人。それから後ろは偵察員。
──そういう意味では、また三人乗れるやつなんですね。
──そうです。
──それが基本なんですね。
──そうです。だからそれで、訓練をやってます。
──最初の特攻の直前で失神されて、その後また待機する。いつ飛ぶかわかんない。
──僕らからすると、極度な緊張状態にずっといると思うんですよ。数ヶ月、どう考えても。普通じゃないですよね。今から考えたら。
──やっぱり当時の中村さんからすると、さっきの話に戻りますけど、もう叩き込まれてるから。
──緊張はしてたのかもしれないけど、自分が恐れて緊張してる、普通じゃないっていう感覚はもうないわけですね。
──そうですよ。みんなそうですよ。今でも、あの時はこうだったかなーっていうのは、反対をする人がおったとしたら、えー、そりゃあおかしいよ。
──うん。
──いうことになるとね。昔の人は、僕のためだから。
──ひょっとしたらね、中には本当はちょっと反対もちろんしてたり、気が済まなかったり、いたかもしれないけど、
──そうそう。
──でも当然、すごい少数派だし、少なくとも中村さんはそういう気持ちもなかったってことですか。
──うん。そこはなかったし。
──あー。
──もう、そのように徹底して、飛行機の操作も攻撃精神もちゃんと指導しておったから。
──なんかそんな中で、戦争中ですけど、日々のその楽しみとか、なんかちょっと関心事とかってなんかありました?
──例えば、サンドの食事だけが楽しみだったとか、なんかもう楽しみっていう概念すらなかったのか、意外とこの時間はちょっと好きだったとか。
──息抜きでも楽しみでもなんでもいいんですけど。
──何もないなー。その当時は、いかに向こうの飛行機は機関に追って飛行機が飛んできたならば、そんなことで死んだらいけないということ。
──はい。
──だから影に隠れるとか。
──はい。
──だから大きな木の影に隠れるとか。
──うん。
──そういうのはやったけども。
──うん。
──まあ今考えても、そんな余裕なかった。
──うーん。
──まあそういう意味では迷ったり、悩むとかってことはあまりなかったってことですかね、ある意味。
──ないですねー。みんなが死ぬんだったら、自分だってちゃんとお国のために。私たちの入隊した当時からの精神教育で言ったら、そんな余裕がなかった、考えが。今の人は不思議ではならんかも。わからんけど。
──いや理屈としてはね、わかるんですけども、本当にそういうふうに。
──そうですね。
──今のスポーツ選手と一緒ですよ。
──ああ、そうですよね。アスリート。
──ええー。不思議でならんだな。
──じゃあそういう意味ではなんて言うんでしょう、そのヨカレンに入って、
──まあ終戦までだいたい4年ぐらいあったと思うんですけど、どうです?そういう意味ではあっという間って感じでした?
──無心であんまりもう長かったなとか、早く終わらないかなとか、怖いとかっていう感じじゃなくて、あっという間に過ぎ去った4年って感じ?
──そうそう。そんなわくべも振らず、もう自分の一生懸命やるだけでやったから、ということですよ。
──お越しは。
──みんな一緒じゃないかと思うんだけどな、当時の人は。
──今日お話を伺う前にご紹介くださった方から、3回命を落としかけた。つまり命拾いした。
──1回はさっきの特攻直前に失神して、1回ってのあると思うんですけど、3回あるって聞いたんですけど、あと2回命拾いした機会があったんですか?
──ありましたね。
──差し支えなければ後の2回はどういうことで命助かったんですか?
──1回はね、これは戦後書かれてないけども、松根油。松の根っこを削って、松屋根を出して、それを生鮮して、飛行機の燃料に。
──油ですね、松根油。
──そうです。
──飛行機の油って飛ぶんですか?
──だから、それを使って私が海の上を、敵の潜水艦が10月の20日だった。
──それは昭和19年とかですか、前年とかかな、終戦の前の年ですかね、もっと前。
──もうギリギリ、その時に使い方としては、燃料タンクが4つあって、通常は離陸、着陸の時はそれを使ってはいけないよということで、離陸の時には普通のガソリンを使って、上がって、
50回入り、30回入り、また逆に50回入りを飛んで帰ってくる。そして着陸前の旋回をして着陸するんだよ、というやり方。
そのつもりで着陸前の燃料切り替えをしなくて、燃料切り替えをしようとしたら変わらない。壊れている。
いやー困ったなーというわけで、周りはこれをやりながら時間を潰したけど、もうだんだん燃料がなくなって、どんどんどんどん降りていくわけ。
時が10月ということは、みんな田んぼが入れ替わりで、でもみんな田んぼに出ているわけです。危ないしね、救急艦爆は核が丈夫だ。
何してる、この爆弾を積んだまま。
不時着するかみたいな。