ジャンプしましょうみたいな歌い文句でいろんなところで書かれてるのにさ、
安心・安全の慣れたところから、見知った日常からちょっと離れるっていうことでジャンプっていうのかな?
一応ここでは冥想のリトリートに限るけどさ、中のアクティビティってこんなことしますってこと細かに書いてることってほとんどないじゃない?
ない。そういった人がみんな言うよね。何しに行くのかよくわかんないけどみたいな。
そう、なんかうすらぼんやりホームページとか宣伝とか見ても、何をするかわからないけどなんかかわいそうな気がするみたいな。
このジャンプするっていうふうな表現をするので、自分にはわからないこと、いつも見知った人がいるわけでもないような。
未知のところに2泊なのか3泊なのか1週間なのかさ、そういうところに身を置くことを比喩的にジャンプするっていうんじゃない?
なるほどね。日常から飛び込むっていうか、意識的に離れるそんな感じ?
そう、日常からあとは自分の知っている範疇から意識的に離れるっていう感じなんじゃないかな。
うーん、なるほどね。
まあ行ってみたらさ、こんなことをしましたっていうのが、私もハビーもね、それこそリトリートにかつて参加したことっていうか、今でもそうだけど参加したことがある、そして参加したりするじゃない?
行ったら何やってるんですかね?
行ったらオッションのところだとひたすら踊ってない?
なんで踊ってるんだろうってみんながハテナマーク思うところもあるんだろうけど、私は行ってみて大発見ってすごく思ったのはね、アクティブ瞑想だな、やっぱり。
なんかさ、瞑想って言うとさ、座る座禅を大人しくして目を閉じてずっとしてるみたいなのを想像してる人からすると、え、瞑想って言われたんですけどなんかガンガンに音がかかって、え、動くんですか?みたいなのは結構衝撃だよね。
あともう一つの発見は、カルマヨガっていう時間があって、なんかこういうタントラ瞑想の世界でもヨガとかやるんだと思ったら、実はこれは掃除のことだ。
意識的に掃除をしましょうとか、身の回りをきれいにしましょうとか、あとは歯を磨きましょうとか、体のゴミ捨てとかね、そういうのも全部カルマヨガに含まれるんじゃないのかなっていうふうに今思ってるな。
あ、なるほどね。そういえば私料理したことあったな。
何?そこら辺の食材を見つけてとか、そういう私が教会のキャンプでやったようなこと?
なんかさすがに食材はもうその施設の人が買っといてくれたけど、じゃあそこから何が来るかは参加者の皆さんで相談してくださいみたいな、そういうの。
へー。
結構面白かった。
それぞれで面白そうね。
うん。
それもちょっと非日常じゃん。
そうそうそう。相談するとかさ、誰がどの役割をやるとかさ、そういうのも含めて確かになーと思ったよ。
なんかいつも一緒にいる人じゃないからね。この場で、はい、はじめまして。で、その後も一緒になる人もいれば、そこをその1回のみで何か二度と会わない人もいるわけじゃん。なんか面白いよね。
でもなんかあえてそういう何ていうの、合宿環境を作るっていうのを聞いたことがあるのは、主催者から。
あとあれだね、携帯預けてください、完全にオフですっていうことをする主催者の方も。
あとは自分が本当に誰とも話したくないサイレンスでいたいっていう時に、私は今誰ともサイレンスのとこにいるからってバッジをつけてみたりとか?
サイレントバッジの時もあれば、みんな喋んないでね、目も合わさないでねっていう、みんなその周りに人がいるけどインタラクションがないっていうことをワークにする場合もあるよね。面白かったね。
それ自身は確かにワークになるよね。ほら人と一緒にいると気を使ってて、そこに人がいるからエネルギーはあるんだけどさ、あえて目を合わさなかったりっていうと、
集団の中にいる自分を見直すっていうか、一人あること体験みたいな、そういう世界だよね。
あれはいいよね、とっても瞑想的だなって思うね。
それはなんかいろいろな人が取り入れている昨今のリトリートっていうのは、やっぱり瞑想効果が上がるからじゃない?
あとはどんな場所に行ったことがありますかっていうところかね、どんなとこでリトリートってやってるんですかね。
なんか山の奥とか。
えー、それなんか山の奥とか言うとさ、滝岩とか洞窟に入るのって思っちゃうじゃん。
洞窟には入らないけど、でも土地には山の奥の電波ほぼ急にないみたいなところは行ったことあるよ。
あーなるほどね。でもイタリアのトスカーナの丘陵とかさ、なんか私が行ったことがあるのってバルセロナの街のど真ん中とか。
まあ行った先だけはそのリトリートセンターっていうところにあるけど、まあよくよく考えてみるとあれかもしれない。
タントラの五行って言うじゃん。地と水と、地と風と、空だったっけ。
で、そういうエネルギーがあるところにはあれかもね、修行しやすい場所なのかもしれないね。
あのエネルギーを取り込むっていうか、私はそういうのに助けられた気がするけどね。
そうだね。リトリートじゃないけど、京都の陶寺に行くと私はもう尻に根が生えたように結局そこにいるんだけどさ。
それは何のエネルギーを感じるんでしょうか。
そこはね、空海です空海。空海が修行っていうか、お弟子さんとかとずっと一緒にいた、勉強されてたところだから。
まあまあ気持ちよくずっと座ってられるんですよね。あれは場の地かもね。
まああとはあれだよね、荒谷さんの奥の、本当に奥の院なの。
私、雪の日にか降る中をさ、奥の院に、夜ね、そこにいるお坊さんと一緒に二人で奥の院まで歩いて行ったことがあるんだけどさ。
雪とか静けさってまあまあわかりやすいところだけど、奥の院でずっと空海さんはそこに座ってらっしゃって、瞑想されてるのでね、今も。
で、頭の中ではさ、そんなこと言っちゃってとか思うわけよ、歩き始めたりするときは。
結構奥の院に到達するまで遠いからね。
なんだけど、その場の力とかそういう空気とかにやられるっていうか、それで自分がそっちの世界にずっと座ってられるっていうよりも、その空気が感じられるっていうのかな。瞑想エネルギーがそこから洞窟から満ち満ちてくるみたいな、そんな感じ?
うん、そういう感じ、そういう感じ。ほら、だってカジュラホンとかカントラの人たちが何世紀にも渡ってそこで瞑想してたっていう、その場のエネルギーがなんか、ブッダサークルのブッダが教えてたところなんかもこういう風にあるっていうね。
そういうところで場のエネルギーを感じられるようなところでやってることが多いよと。
あとはそこに集まってる人っていうのもあるよね。
ああ、そうか。人のことをすっかり忘れてました。合宿なので一人で行ってるわけじゃないもんね。そうだそうだ。
なんかさ、ほら、一人で瞑想もできるけどさ、一人だと飽きちゃったりとかさ、日常に戻っちゃったりとか。
でもそこの場に行ってみんなでやってますよとか、そういうエネルギーが働く。
でもそれに助けられるところはすごくある。
あるある。
時間で決めるわけじゃないけど、日常生活の中にこの瞑想を取り入れましょうって言うんで、私が一番とってきやすいのはカルマヨガなんだよね。
お掃除、お掃除とか思っちゃうと。
あとはそれこそ歯を磨くとか、あとはシャワーを浴びる。
でもこれどう考えてもなんかマックス5分から10分ぐらいじゃないかなっていう。
それで自分がダメ?とは思わないけど、瞑想が決まるとか入るとかいうゾーンに入れないわけですよ。
だけどこのリトリートに行って、自分だけじゃなくて周りの人が深めてくれるし、ホールドしてくれるから広げられるしっていうのはすごく役に立ってるっていうかありがたいなと思うね。
瞑想はしたいけど一体何だらほいみたいな時にリトリートとかグループに行くのですごく発見になるよね。
何かしらの発見があるもんね。行った時に。
その場で怒ってるっていうのももちろんあるし、そんなことが自分に起こるんだっていう発見もない?
どういうこと?
なんか自分がずっと押し殺して熟成させていた感情が解放されるとか出てくるとか、新しい自分の発見みたいなことなかった?
結構あるかも。
知ってる人と初めましてみたいな人が多いところが、相手のことよく知らないけど自分の何かしらが出てきて、それを相手に届けるとかそこもあるよね。
なんか新しい自分発見って、私ってこんな人だったんだっていうのを見つめ直す機会にはなるなと思う。
特に瞑想って、自分たちで知ってたとしてもさ、これも瞑想的であるってことなんだみたいな。
でも何かしらの内緒好きな人じゃないとリトリートってちょっとハードル高いのかな?
なんかハードル高いのもあるかもしれないけど、だいたい何かしら日常生活の範囲の中で解決方法がない謎の悩みを持ってる人は来るよね。
それもあるかもしれない。きっとね、あのさっき言った観光が苦手とか得意じゃないっていうのがいつから始まったのかはまあ置いといてなんだけど、
あ、そっか夏休みが今終わってる秋の季節にこれ収録してるけど、
今年の夏はどこに行った?これからこの秋には、例えば日本に行くの。アクティビティ自慢ができるじゃん。
僕は今年どこに行った?とか話題が増えるのかと思いきや、行ったっていう事実だけは話せるからね。
そうね、なんかさ、スモールトークはできるっていうか、それはそれで楽しいこと、数少ない旅行体験が気合に出すとやっぱりそれはそれで話ができるからね。
人とつながるっていう点ではとても優れたアクティビティなんだなという実感はある。
ただ、そうだねっていうくらい。
でも私も結構そうだねっていう風にしか話しか聞けない人がやっぱり多いかもしれない。その手の話は。
それってなんか世界中行ったら満足するのかなとか。
それはもっともっとサイクルに入るかもしれないよ。いいよそれが自分のプロジェクトだったらよくほらバケットリストって言うじゃん。
はいはい。死ぬまでにやりたいことリストみたいなやつね。
そうそうそうそう。その中に割とどこどこに行きたいっていうのはもちろん入ってくることが多分多いんだろうけど、そうすると三大滝を見たいとか卑怯に行きたいとかさ、なんかどこかに行きたいっていうのをやりたいことリストに加えていく人がやっぱり多いかなと思うよね。
それもそうだよね。多いと思う。興味ないんだよな。それだったら次もう一回人間に生まれなくて済むように悟って死にたい。
でも自分がそこで悟った時にどうすんの次に。まあいいよ目高になったりとかさ亀になったりするかもしれないじゃん。
えーやだーなんていうの。亀にも目高にも人間にもならないでそのまま溶けて消えたい。
でもやっぱりさ、そういうのを欲望に持つということはだよ、自分たちのこの内緒っていうんですかね、そういうのに興味があるっていうのは、なんていうの、自分が意識しててもしてなくても、こうなんかみんなの実は根底にあるような気がするんだろう。私は誰、なんで生きてるのとか、そういう問いが好きな人、まさに人文中あるのなんじゃないの。
まあなんかこれはさ、なんか割と修行タイプっていうかさ、みんながみんなそうかもしれないしそうじゃないかもしれないけど、もう一度話を戻すと、やっぱりその外にいっぱい旅行に行っても解決しない悩みとかさ、否定するわけじゃないけど、何か見たくない問題を見ないようにするための方便だったんじゃないかみたいな。
根本の解決を求めた結果、そのきっかけとしてリトリートっていうのはあったりする場合も往々にしてあるなと思う。
そうだね、なんか逃れたいところは何?それは日常と自分自身みたいな。そういうふうにずっと思ってて、私なんかもどっちかっていうと、なんか逃げるの得意な感じかしらね。まず逃げようみたいな。
ここね、アビ逃げてもどうせ逃げ切れないんだから、最初から正面切って叩くかみたいな、そういうタイプ。
戦闘モードの人とか逃げるモードの人とか。
そうそう、ファイトはフライト。
逃げるモードがあるから海外にずっと長くいるっていうのは、そこも一つ私の中にはあるからね。遠くに行ったら何かが解決するんではないかって思って、その時の自分の行動を原告化してるわけじゃないけど、そういう資質は絶対にある。逃げる。
いいじゃないですか。
まあまあまあ、そんな性質が違う2人の人間がやってます、瞑想ラジオなんですけど、来年リトリートゴールデンウィークに企画してるじゃないですか。
してます、してます。
我々はリトリートに未だに参加してますけど、なんで私たち自分たちの瞑想ラジオ、リトリートやりたいのかな。
好きな人間が増えたらいいなって思ってるの。
夢見るパラダイスのような感じで好きな人間で周りを固める、違うでしょ、そういうこと?
何かを共有できるっていうか、
さっきもなんかね話をしてたよね、良いリンガムと良いオニを育てていきたいみたいな強い思いがあるっていうんですかね。そういうのに囲まれていたいっていうことはさ、自分たちのリトリートでそういう何か真摯祝助の発見じゃないけど。
そうなんです。一体なぜ人間はこんなにしょうもないことで争いあったり、お互いを貶めあったり、しょうもないキャットファイトをしたりするんだろう、超つかれるって思ってるわけですよ、過去からね。
ちゃんとアップデートした感じの、真摯祝助であれこれあってもみんな平和だね、みたいな人が増えたいわけ。
でもだいたいさ、真摯祝助ってさ、ちょっとそれの言葉を使ってさ、イメージができちゃうな、なんか真摯祝助の皆さんとか言うとさ、黒い帽帯してさ、ドレスを着てなんてそんな人たちじゃないじゃん。
そういうことじゃないの、そういうことじゃないの、阿美が言ってるここで言う良いリンガム、良いオニ、真摯祝助って言ってるのは、気づきがあって知性がある人。
まさに瞑想で得られる世界じゃないですか、気づきがあって知性のある人。
そうです、例えば恋に落ちたりとか、結婚してるけど誰か好きな人ができちゃったとか言ったとしても、汚い感じにならないっていうの。
私は今こういう人に魅力を感じてるんだなとか、今私はここに不満を持ってるんだなとか、そういうことに気づけると。
気づいていいな、瞑想の基本にあるところがね。
気づいた結果、どういう行動を選択するかはさ、人によるけど、でもその気づきがなくて、自分の不満属とか、なんか満たされてないものとか、そういうものに支配されて、外の世界と関わるとさ、結構地獄だなと思って。
まさにさ、性欲に振り回されてる人が全部問題を起こすっていうと、ちょっと言い方と表現に語弊があるんだけど、
賢い明晰な人であること、あとは素直であるってことかな、そうならないためには。
そう、なんかさ、なんかなったとしても多分もう少し汚くないっていうか、もう少し綺麗だと思うんだよね。
何かを避けたいからやるっていうのは、なんか私もまだ未熟だなと思うんだけど、気づき通ってと、瞑想通ってそういうものがさ、育まれてるとさ、
どうぶつ的にならないと思うんだよね。
もう少し平安時代と同じことしません?アップデートした感じになるんじゃないの?って思うの。
そうじゃない。
女にはさ、男に養ってもらうしか生きる術がなかった時に男を取り合うのとさ、
だって自分で稼げるのに男を取り合うのって全然わけが違うじゃん。
なんで平安時代と同じことしてんの?みたいな。
でも言ってもさ、今になってもそれなりにファルス信仰で高いビルをとりあえず権力の象徴として建てちゃおう、みたいなのがさ、
抵抗としては別に今も昔も、今もっともっと高いビル建てれるからね。高いビル建てれるからもっともっと高層マンション建てちゃおう、建てちゃうとちょっとファルス信仰的なものっていうのは消えないのかなと思うけど、
ファルス信仰的なさ、高いビル建てたって、それでもなんかとんでもないさ、悪いリンガム持ちのやつとかさ、
もう腐ったようにとか持ってる人たちがこう蠢いてそれを建てるのとですよ、
ちゃんとした良いリンガムと良い鬼を持ってる人たちが関わるプロジェクトっていうのはね、運命の差があると思うんですよね、できたものにも。
うん、そう思う。本当にそう思う。
だから我々は本当にあれですよね、自分たちの高い目標、自分の今見えてるほら、ビジュアルイメージでいつも見えちゃうんだけどさ、
4つの柱ってあるじゃない、本当に死とセックスとお金と愛。
愛。
で、この4つの柱をタントラと今しっかり建てて、その中心に今いましょうみたいな、そういう表現とかをするけどさ、
良いリンガムと良い鬼で建てたいわと思うわ、そこに座るためにはっていう感じ。
そうでしょ、なんか自分も良い鬼とか良いリンガムでありたいとか、そういう人が周りにいたらさ、なんかめっちゃいいじゃん。
そういう意味での私たちは、人材育成とか言っちゃってさ、なんかお前は何様だっていう世界だけど、そういう人たちを育てていきたい、育っていきたいっていう感覚かな。
一緒に育ちたいねって感じ。
そうそう、そっちそっちそっち、育てるっていうのは育てるし育てられるじゃん。
そういう人たちに囲まれていたり、ちょっと漠然とはしているけどね、方向性としてはそうなんだよね、みたいな。
そう、なんかさ、良いリンガムと良い鬼がいたら、ヘブンの女王くんじゃない?地上の楽園じゃない?
地上の楽園だし、あとはね、自分たちが幸せって何?って問わなくなると思う。
すごく小さな幸せでも、本当に幸せって感じてたらさ、あえて幸せを求める。
なんか青い鳥商工軍って言うのあったっけ?幸せを求める。
ああいう風にならない気がするんだよね。
うんうん、身近な幸せ?
そうそうそうそう、だから身近な幸せ。
例えば今、他者で自分の幸せ感を感じるっていうのは、子供がハイハイしたら、タッターとかっていうのって自分の子供だし、そういうところからも幸せ、嬉しいとか楽しいとか。