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2024-09-25 30:27

【#18】女性の人生と瞑想

先人たちの努力によって、さまざまな面で女性は男性とほぼ同等の権利を得てきているにも関わらず、女性であるというだけで生きづらいと感じる女性はいませんか?今回はそう感じるアビラティの疑問から、女性と瞑想について話します。

結婚・出産等のステータスに関わらず、ひとりの人間としての幸福に、瞑想はどのように関係するのでしょうか?

身近な女性の覚者を例に、女性の生き方と瞑想の関わりを探ります。


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⦅めいそうラジオは⦆

インドで出会った瞑想コンビが、愛と性と死とお金の瞑想、タントラから生きるヒントを探ります。

⦅スピーカー⦆

アビラティ:医学教育コンテンツプロデューサー。出生家族のアレコレ、男女関係の不毛さに悩みタントラへたどりつく。

ラシュミ:マルタ島で留学コーディネート、アーティスト支援などを行う。西洋/東洋の様々な自己探究をたどり、タントラへ。

サマリー

このエピソードでは、タントラ瞑想を通じて女性の生き方や社会的自由、結婚制度における呪縛を探求しています。瞑想が女性の幸福感を高め、人生に与える影響について考察されています。女性の人生における瞑想がもたらす気づきや幸福感についても語られています。また、タントラやマスター、弟子の関係を通じて、エネルギーの伝播や瞑想の目的に焦点が当てられています。さらに、女性の人生における変容と瞑想の重要性についても触れられ、特に自己変容や瞑想を通じて得られる解放感が強調されています。

タントラと女性の悟り
なませぇ。
めいそうラジオ。
インドで出会った、タントラ瞑想コンビ、アピラティとラシュミが、
愛と生と死と、お金のメディテーション、タントラから生きる処方箋を探っていきます。
欲深い私たち現代人のための瞑想入門、始まります。
今回は、【女の生き方と瞑想】。
タントラは、女の人が入る瞑想ということでですね。
女の人でもさ、昔からさ、悟った人はいるんだよね。宗教の大半はさ、男の人だけど。
そう、なんか私もさ、このトピックちょっと話をしてみようよっていうふうに言われた時に、
女の人で悟った人なんて世の中にはいたんだったっけ?ってちょっと思い出し、
一番最初に思いついた人はですよ、
井戸の底が抜けちゃって。
オケの底ね。
オケの底だ。
井戸の底は抜けない。
鎌倉にある千代能の井戸ね。
海蔵寺。
海蔵寺だ、海蔵寺。
これです。
寺の前にあったんよね。
寺の入り口がね、オケを持って井戸に水を汲みに行ってる間に、
いっぱい修行しても悟んなかったんだけど、オケの底が抜けた時に悟った。
鎌倉時代の源頼朝の時代の人だもんね、この人は。
悟りって段階があるってよく聞いてたけどさ、
一瞬にして悟るっていうその瞬間が来る人バージョンなのかなって私は思ってた。
この人のことを。
そうなんじゃない?
和尚も言ってたよ、
タントラの道ではグラジュアルステップはないって、段階的に悟ってるとかないって。
サドン・エンライトメントだって言ってた。
じゃあ時が来たら急にエンライトしちゃうっていうか悟っちゃうんだよね。
そう、だからその瞬間がいつ来るかは誰にも分からないけど、ある時スコット行くっていう。
でもなんかさ、歴史を紐解くとですよ、
ダライラマの師匠であるディジェンチュードロンとかいう人がいるらしいんですけど。
そんな人も女性なんだ。
女性。
現代女性と自由
多分英語で訳されてるんだろうけど、洞窟での三千日っていうのは今でも本で出てるらしいですよ。
へー、洞窟で三千日。
これはほら完璧にいきなりとかじゃなくて修行系だよね。
なんかさ、多分修行もさ、もちろん必要でしてるのかもしれないけどさ、
修行をしたからある時悟る瞬間が来るんだとは思うけど、
でも修行をしたからといってみんながみんな悟るわけじゃないっていうところがさ、
段階じゃないんじゃないのかな、きっと。
だから段階とかっていうとなんか目標設定にはなかなか良さそうかなと思ってね。
じゃないとさ、修行僧も悟るためにここに僕は修行に入りましたのに、
一体いつみたいなのが誰にも分からないって言っといた方が修行に打ち込めるような気はするけどね。
ヨガは段階的な道だって言ってた和尚が。
あ、そうだそうだそうだ。だからなんか時間がかかるんだ。
グラジュラルステップで時間がかかるけど、ヨガの道だったらそういうことは起こり得るって言ったけど、
タントラは違う。
チベット密教とかそっちの方はあれだよね、タントラ系とは言えるね。
タントラ系列?
うん。段階的なことをやったりとか、
みんな悟れますって言ったら世界はもっと平和なはずだよね。
確かに。そうね、そういうふうに信じているならばだけどね。
それが正しいなら、世の中はなんでもっと悟った人が多くないんだっていう話になりそうな気がするよね。
それはみんな瞑想してないからじゃないですか。瞑想っていうのはすごく東洋哲学思想の枠組みの中だけど、
キリスト教界隈の人たちで、12世紀のドイツにいるヒルデガルドっていう人がいるんだけど、
ヒルデガルド・フォン・ヴィンゲンさんって、奇跡を起こしたというよりはちょっと神秘主義者、ミスティック、瞑想寄りな人なんだよね。
そういう人も実は西洋社会の女性の中にいたんだなっていうのをふと思うんだけど、
でも悟った的な人は昔もいたわけだ。
ということで、私たちは今現代21世紀に生きている女性なので、現代の人にちょっと意識を向けてみましょうか。話を持っていきましょう。
そうね、そうね。
アビこの話題がしたいなって思ったのは、女の人も仕事ができるようになって、
否認ができるようになって、常に妊娠と出産と育児に苛まれなくても生きていけるようになったじゃん。
結婚しなくても、自分で稼げればとりあえず生きていけるようになったし、賛成権もあるし。
そうだね。それはあれじゃないの、女性もだけども、今の女性も、
今の社会って本当に科学の進歩の恩恵は受けてるしさ。
そう、条件として男の人と同じ、対等になったはずなのにですよ。
結婚するでしょとか、子供を産むのであると当たり前であるみたいなのは、まだある気がするんだよね。すごく不自由だなって思うの。
でも不自由にしてるっていうのはさ、何かしらの呪縛があるからかな。
社会契約からの呪縛って考えると結婚かなと思ったよね、結婚制度。
あとは女性だけが持っている何かしらの呪縛から逃れるようになって、
絶望感とかさ、あんまり幸せを感じられないのっていうのに繋がるんじゃないんだろうか。
結婚していても、子供がいても、すごくハッピーで超満たされているとも限らず、
結婚していても、子供がいても、すごくハッピーで超満たされているとも限らず、
結婚していなくて、子供もいなくて、
でもその人だって微妙な感じに見られたりとか、一体これは何なのかっていう。
そこにさ、迷走が入ると一体どうなるんだろうっていうのが話したくてさ。
なるほどね。じゃあ科学の進歩と経済的自立っていうのは、
普通常識だよね。女性も男性も。女性に投下してみましょう。
一応先進国と言われているところでは、当たり前に教授をできるようになった自由があるにも関わらず。
じゃあそれにプラス迷走のエッセンスを入れてみると、何が生まれるんでしょうか。
そういうところを考えると、
瞑想の力と幸福
社会の中にいても、そこに巻き込まれすぎないというかさ、
こういうスペースができるのかもしれないなって思うのはさ、
私たちが会ったことのある女性をしている人はさ、そんな感じじゃないですかね。
そういうところを考えると、
そうですね。まだ一緒にこの世にいる迷走者の女性の先輩たち、何人か私たちも一緒に迷走のワークした人たちがいますよね。
インドでさ、私とラシュミが会ったときは、ショバナって、
ショバナって、
一緒にいた人が一緒にね、呼吸法とか教えてくれて一緒に迷走したんだけどさ、
彼女はね、
ショバナも、インドの普通の家庭の主婦でした。
結婚もしてます。子供もいます。
ショバナは、
ショバナは、
私の家族なんですよ。
インドの普通の家庭の主婦でした
結婚もしてます 子供もいます
社会に要請されていることは全て満たしているけれども
お旦那さんもお金持ちだったし
だけど
だけど満たされていない
そこでさ 和尚に会って
私が覚えているのは
それ本の中に書いてあったのか
本人が言ってたのかわからないけど
和尚に出会いました
それでこの瞑想っていうのをすごく
後押しというかエンカレッジしてくれた
瞑想を続けなさいみたいなことを言ってくれた時に
お金を年収するのに
結婚をする時に持ってきた金の鎖というか
そういう装飾品っていうのを
売っては旅に出て
売っては旅に出てっていうところが
苦労人ですなってすごく思ったよね
言ってたね
結婚した相手の家とか
いろいろあれこれすごい大変そう
だけど
でもそれでも瞑想があったおかげで
私たちが会った時の庶場なんて
本当に少女みたいだったよね
あの人いくつだっけっていうのは
もうある程度の年齢でしょう
人生経験を積んでいることの話を聞けばね
だけど
肌は綺麗だしさ
若いっていうとちょっと若造りしてるとか
っていうんじゃなくて
美しさと若さが滲み出てるっていうのが
若さじゃないな
あの
それはあまりに社会的な
視点で言っちゃってるなって思うけど
無垢な子供のようだと思った
人間だからさ
そのボディの衰えはもちろんあるんだけど
でもなんかさ
少女のようだったしさ
無垢だったしさ
あーなるほど
そういうおばあちゃんに私はなりたい
それさ
まにぃさんにゲスト出演をお願いして
いろいろ話を聞いてた時にも
なんかその感想で私たち言ってたよね
あんなおばあちゃんになりたい
あんな風に年を取りたいみたいなのの
私たちの行き着きたい
なんて言うんだろう
年を重ねるモデルケースですね
だってまにぃさんもさ
ズーム越しでも
この人は妖精かと思ったもんね
そうなんだよね
そう
まにぃさんもさ
その27でインドに
訓練に行って
場所のとこまでずっとね
瞑想50年って過ごしとってさ
結婚もされてないし
お子さんもいらっしゃらないけど
なにその妖精みたいな
そうだよね
あまり結婚していないです
子供がいないですっていうのは
自分が満たされるっていうのも
50年瞑想ライフを続けてるから
っていうのとは関係なく
なんであんなに満たされているんだろう
質問をするじゃん私たちも
こういうこと聞きたいですって
お話をいろいろしてた時に
見えてる世界が
違う人から答えが返ってきてるんだな
っていう感覚を受けたんだよね
だから満たされていると
小さなだから幸せとか
そのジョイ喜び
あとはハッピーネスっていうものが
ちゃんと受け取れる体質になっている
っていう感じですかね
なんかその底側の条件に
自分の幸せを依存化せなくても
いいのかもしれないなっていうのを
私はマニーさんも見てて
ソウショバナもお話ししてて思ったの
私の身近なね
私こんなおばあちゃんになりたいっていう
知り合いが他にもいるんだけど
もうね
今の彼女の状況ってさ
大変なわけさ
状況としては
ご病気になったりとかね
今年戻ってるから
不自由なこととかもちろんあるんだけど
でもそこで
私今こんなに幸福なのって
言えちゃうんだよね
それが強がりじゃなくて
本当にそれが滲み出てるとか
瞑想の喜びと気づき
出てくるから
私はその彼女からそうやって
話を聞くと
本当に私にまで
そういう喜びとか
そう喜びとか感謝とか
ブリスな感じが出てくるんだよね
それがきっとね
なんて言ったらいいんだろう
瞑想の中にある一つの
本当に大きな要素のさ
気づきっていうふうに
本人はそんなふうに
言語化して意識してて
多分やってないと思うんだけど
すごく気づいているんだと思う
なんかどんな状況にいても
だって本心本気で考えて
受け取ってるわけじゃん
その感謝とか
だから彼女の状況で言ったら
いくらでも不幸せは咲かせるんだよ
でも不幸せを見てないんだよね
幸せを見てるの
それも自分の中のチョイスかもしれない
幸せはそこにあるし
不幸せもそこにあるし
どっちをチョイスして
自分の中に取り込みますかっていう時に
私は幸せチョイスで行こう
って思ってる人ってことでしょ
チョイスしてることすら気づいてないけど
チョイスできるようになってるんだと思うの
だってさ人間ってさ
基本的に不快のほうが
センサーが強いわけじゃん
生きてくためには
感じるときね
そう通覚にしても
快感にしても不快感にしても
快と不快だったら
不快のほうが絶対に強く感じるようにさ
できてるにもかかわらずだよ
それは肉体の感覚もそうだけど
他の精神的なこととか
物事の認識っていう意味でも
多分不快をより強く感じやすいように
脳みそはなっているけど
でもそれを踏み越えて
幸福をちゃんと選べるんだよ
それこそ気づきだよね
どこでどういうふうに気づくかっていうのって
後からそれを振り返ってみれば
そこが気づきだったって思うことが
この凡人たちにはすごく多いと思うんだよね
タントラとエネルギーの変化
例えば私とかも
なんか過ぎてみて
あれはあの時
ああいうふうに気づいたんだなっていうふうに
思うことっていうのは
確かにあるかなと思うけど
タントラライフのラダ
きっとタントラワークの
最初私ラダのところに行って
ワークをしたから
その時にあった印象っていうのは
ナポリの出身のイタリア人じゃない?
エネルギーが
とにかくパワフルというか
生きてるんだよね
だからいくつだっけっていうのを聞いても
教えないって
全然教えてはくれないんだけど
ある程度の年齢と経験を重ねていると
それはある一定の年齢層にいるのでしょうが
これみんな共通してるんだよね
タントラや迷走をリードする人たちっていうのは
もうなんかそういう
肉体の年齢を超越しているところに
どっか行き着くのかなと思って
行き着く層だと思う
だからね
エネルギーの磁場が変わるんだよ
こうなんていうの
水の中に何か小石でもポチャンと落とすと
そこから広がっていくじゃん
水の間っていうかが
ああいう感じの石とかはすごく高質なエネルギーではあるけれども
とにかくその場の雰囲気が変わるようなエネルギー
どう言ったらいいんだろうね
素敵なおばあちゃんエネルギー
それ今らしみが話してくれてるのを聞いてて
思い出したのがさ
和尚の講和でね
マスターとティーチャーが何が違うかっていう
グルとティーチャーって言ってたかな
なんだけど
それでね
確かになって思ったの
ティーチャーは教えてくれる人
知識をくれる人
だからティーチャーはいっぱいいるよ
でもマスターとかグルって呼ばれる人は
それは何かを教えた
何かを獲得した人でもなければ
何かを教える人でもなくて
その人の存在自体が
窓のような人
私の窓は閉じてるけど
マスターの窓は開いている
だからマスターを通して
あなたは窓の外が見れる
ショバナにしても
ラダにしても
兄さんにしても
私の知り合いのおばあちゃまにしても
彼女たちは窓なんだと思う
窓ね
フレームワークっていうのが
彼らの存在なんだな
彼女たちがいる間に
トレモーションが出てたんだけど
キリストの霊も出したけど
その人たちがいる間に
その人たちを飲みなさい
取り入れなさいとか
エッセンスを何て言ったらいいんだろう
掴みなさいって言うと
染み込ませるじゃないけど
そこで何かを一緒にする必要があるかもしれないし
ないかもしれないし
一緒にいるだけかもしれないけど
その存在に触れていなさいっていう
アブゾーブの感覚なのかもしれないよね
そうそう
この前のトークの中で
マニーサとの個人セッションの
その記憶みたいのが出てきて
いつも個人セッションに行っちゃうと
はい行った
そこでうわーって泣いたり
色々してたけど
セッションが終わりました
はいセッション終わり
ルンルンとか帰るのに
その時だけは何かしらのエネルギーを
アブゾーブしたで入ったんだろうね
自分の体内の中に
海を眺めて一人あり
そしてその消化をしている時間を
自分にあえて設けたわけじゃない
東京とかそういう関東のね
忙しいドマンの中で
タリカがね
タリカがねっていう話をしてたよね
あのトークの中で
いつもそういうことを滅多に
ほとんどしないタリカが
マニーサの個人セッションの後は
海を眺めに行ったって
そういうのもさ
窓どう言ったらいいんだろうね
ある種のエネルギーに触れると
それが本当に
意識的に入れていけばいいのかもしれないけど
もうなんか入ってきちゃうんだろうな
っていう風に思うんだよな
だって一緒にいるとさ
自分の気分がこう上がるっていうと
どう言ったらいいんだか
伝染する感じ
本当に入ってくる感じがするけど
その入ってくるような
自分の状況を作るには
おそらく瞑想を続けていると
もっと受け取りやすくなるっていうのかな
それもお嬢が何かの講話で言ったんだけど
マスターはねもちろん
いくらたくさんエネルギーを持ってて
今にもこぼれ落ちそうな身だよ
ただその身からどれだけ吸収できるかは
弟子にかかってるよ
だから君たちにかかってる
僕がどれだけ残せるかは
君たちにかかってるんだよ
みたいな講話をしてた時がある
それだから弟子の定義っていうやつだよね
良い弟子 良い種もある
悪い種もある
ただ種には変わらなく
どこでどういう風にやって
目を出すかっていうのは
マスターの方から
君は一番弟子 二番弟子 三番弟子とか
決めれないのは
どこでどういう風に種ができるっていうのは
マスターはただそこにある存在で
受け取った良い種の方に
その瞑想者が続けていくと
弟子として良い種が開花する
みたいなプロセスをたどるらしい
なるほどね
悟りと女性の人生
弟子の人たちは
みんなの弟子に私も会ったわけじゃないけどさ
弟子の一人が言ってたな
弟子の定義っていうので
今思い出した
なるほどね
そりゃ分かんないよね
いつ育つかなんてね
でもやっぱりさ
この瞑想続けてる
最終目標みたいなのっていうのは
やっぱり悟るとか
功名を得るとかっていう言葉
あとは何
媒体であるミディアムで
いろんな言葉が出てくるけど
やっぱり悟りっていうのが
みんな目指して瞑想してるんですかね
どうだろうね
私は瞑想っていったら
みんな悟るの目的だと思ってたけど
そうじゃない人もいるんだよね
私なんか逆にね
一番最初にそれこそ
タントラのリトリートに行った時に
その悟りっていうのをすごく前に出した
っていうことは
多分なかったんだろうなっていう風に
覚えてるんだけど
何かの時に悟りっていう言葉が出てきて
悟りっていうのはこれは日本語ではないか
って思って
イタリア語とか英語の中で
思って聞いてたんだよね
そしたらさ
ある
一緒にマークしてた人の一人が
その悟った経験とか
悟りってどんな感じ?
いろいろ聞いていて
悟りってもしかしてゴールなの?
ってちょっと驚いちゃったわけ
悟るために私
この人たちはみんな瞑想してるんだろうか
てんてんてんみたいな
さあなんかさ
悟りってさ
よくわからんじゃない?
でも基本的に悟りを求めてるのって
何か楽になりたいからだよねきっと
私そっちの方がめちゃくちゃしっくり
いくんだよね
なんであなたは瞑想してますか
楽をしたい
楽になるための手段として
よくわからないけど悟りというものが
あるらしいっていう感じなんじゃないの?
楽に生きれればどっちでもいいよね
悟っても悟んなくても
どっちでもいい
だって楽に生きるためのヒントが
ここには詰まってるに違いない
っていうようなのが
ちょっと見え隠れしたりするとさ
よしよしよしって思うじゃん
なんか瞑想してて
その先の生きる実例としての
今挙げたね
素敵な女性たちを見ているとだよ
こういう風にやって年を取って
年を取るっていうよりも
年を重ねて
光は見えるかもしれないな
今何人かの女性の顔たちが浮かぶけど
なんか光を発してない?
発してる発してる光ってる
光ってるよね
だからやっぱり
光明を得るって自分が体験というよりも
光ってるからその光に
ご利益を
ご幸に照らされるような気分になるのがね
私たちが
瞑想と自己変容の重要性
そうね
なんかそれはなりたいと思うわ
だからさ
何しろ
何て言うのかな
戻るんだけどさ
結婚してもしなくても
子供がいてもいなくても
何かしらのちょっと違うんだよなっていう
一抹の違和感を持っている女子は
ぜひ瞑想をしてほしいです
一緒にやろうよって
それこそいい世にだよ
いい世にを作ろう
一緒に瞑想みたいな
そういう語呂合わせみたいになっちゃうけれども
でもきっとね
おそらく
いい世に
に生まれ
だんだんなっていくと思うな
瞑想していると
きっと
呪縛からとにかく
解放されるよね
呪縛から解放してくれるのは
他の誰でもなく
自分の
自分自身でしかないじゃない
だからきっとね
私ショバナの本でも
ラナの本でも
私のいつでものキーワード
自己変容こそが
全ての
何て言ったらいいんだろう
その窓を開ける
その動作に繋がりますみたいな
そういうことがすごく書いてあって
ショバナの本の中には
インドのナマステっていう動作があるじゃない
左と
左手と右手をこう合わせて
ナマステってやる
あの動作
あれがシバシャクティがこう
あったっていうようなことを体現している
タントラの世界なのよって
結構シンプルはシンプルだけど
そこにちゃんと気づいて
うおーと思うかどうかっていうとこに
大きな鍵があるんじゃないのか
でしょうかね
なんかさ
知り合いのね
おばあちゃんと一緒にいて思うのは
うんうん
変容ってさ
あの
自分が意図してもできるもんじゃないんだなって思うの
うーん
なるほど
変わるって言うとさ
自分の意思じゃん
うん
でもなんか
正しい
何かしらのね
瞑想的な
プロフェスを経ていると
それは勝手に変わるんだよね
あれかな
時が満ちたらさ
さなぎが蝶になるようにって
あれは変容じゃない
いつも変容って言葉を聞くと
蛇が何度も何度もさ
皮を脱いで
皮を全部脱ぎ捨てちゃうじゃん
生まれ変わるっていうの
生まれ変わるって言うとちょっとなんか
違うんだよな
変容って
自分で求めるものではないってことなのかな
来る時は来るってこと
なんか求めないと来ないのかもしれないけど
求めたからといって来るわけでもないっていうかさ
やっぱりね
姿勢が必要なんだと思うのね
求めたとて
手に入れるかわからないっていうことなんだろうけど
きっと求めて歩いていくっていう道にいるんだろうな
っていう感じかな
瞑想してるってことか
その時が
いつ来るのかなんか知らんし
これは私の個人的なあれだけど
その瞑想するにしても
その何かしらの
自信とかさ
ただ闇雲にずっと瞑想してれば悟るかって言ったら
それ悟るかもしれないけど
多分確率としては低いと思う
地図なしで道を
闇雲に暗闇を歩いていくような感じね
そうそうそう
だから
どこに行けば
どの手段を取れば
変わる可能性が高いのかっていうのを
嗅覚じゃないけどさ
それを見つける
知性とかは必要なんだなって思うね
そこを全く持ってその通りじゃない
だからやっぱり技法があるしさ
技法っていうのを取り入れていくっていう
地の動力っていうか知性もやっぱり
持ち合わせていった方がいいしね
それは本当になんか
主婦でもアプローチできる
地の世界っていうのはやっぱりあるじゃん
学業とは全く違う
関係ないからね
全然関係ない
東大に出てからといって賢いわけじゃないもん
それは別に知性があるっていう
頭がいいだけでさ
別に地を取り入れてる人かどうかっていうのは
別物の話じゃない
何にしても闇雲にあるっていうよりは
気づいてないといけないんだよなきっと
でもあれかもしれないね
日本語に訳されているさ
今我々が一緒にワークして
この光を取り入れたっていうか
もらった人たちの本も出ているし
今まだ機械には恵まれるわけじゃない
いつも彼女たちがね
ワークをこれからワークショップとかやっていくかどうか
分からないよ
分からないけれども
少なくとも兄さんは10月に日本に来るから
私は女の人に特にお勧めしたい
だって瞑想の花が開いている人と一緒にいるっていうのは
それだけで瞑想だよなと思う
美しいね
瞑想の花が開いているっていうその表現が
体現している人の光を見たな
それこそ画面越しだったけど
うわーっていう感じがしたからな
やっぱり誰にならうかですよ
誰と近くにいるか
アンテナを研ぎ澄ましておきましょうっていうところじゃないですか
そうですね
近いところだと一緒に万人さんの瞑想に行こうよっていう
リンク貼っておきます
自分でやっても行けないところまで一緒に行けると思いますよ
そうですよ
この機会をお見逃しなくっていう
体験者は語るですよね
そうそうそう
体験者は語るですよ
踊ると思うし
何するか分からないですよ
タントラのリトリーズって
一級寺に行くっていうことだけが分かっている
はい
なのでリンクを貼っておくので
ぜひ一緒に万人さんとお座りましょう
踊ると思う
対話と体験の共有
っていう感じでした
今回もありがとうございました
ナマステ
ありがとうございました
ナマステ
意識関係・性にまつわること
お金・親子に関する疑問・質問に答えていきます
ぜひ番組のアンケートフォームからお寄せください
聞くだけで今日の生きるヒントがきっと見つかる
瞑想ラジオ
次回をお楽しみに
30:27

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