瞑想に求める愛の関係
ナマステ
めいそうラジオ
インドで出会ったタントラ瞑想コンビ、アピラティとラシュミが
愛と生と死とお金のメディテーション、タントラから生きる処方箋を探っていきます。
欲深い私たち現代人のための瞑想入門、始まります。
第1回は、瞑想って何がテーマです。
アピラティはなんで瞑想してるんだったっけ?
私、瞑想してる理由って2つあるなって思ってて。
1つは、自分がどういう過去があったか。
お家大変だったから、お父さん自殺しちゃったり、お母さん恋人作ったり、結構カオスだったからね。
お医者さんの関係の仕事をしてたから、自分の環境がケアの必要な状況だったってことは大人になってから知ったのね。
自分の状況を客観的に見るとか、必要なケアをするってことは自分である程度できたんだけど、
それでも満たされないっていうか、生きづらさは解消できないっていうところで
たどり着いたのが瞑想だったっていうのが越し方っていう感じ?
そうです。
でも、じゃあなんでそれでもまだキープゴーインを瞑想してるかって言ったら、
こっちの方が大事なんだけどね。
こっちの方が大事なのよ、こっちの方が大事なの。
なんでかって言ったら、私、男の人に対してめっちゃ好き、細胞から好きとか思ったことないの。
大学の時の恩師とか先生的な人とか、お友達とかには好きみたいなのあるけど、男の人ってそういうのなくて。
男の人と、この人と出会って私の人生良かったみたいな、そういうラブ欲しいなっていう感じ?
ただ、そういうラブを求めた時に、普通のやり方をやっても愛なんて3年で終わるし、
普通にそもそも結婚破綻してるし、結婚してるけど不倫しまくってる人とかいっぱいいるし、
世俗のやり方でうまくいくとは思えないって思って、そこに対する答えって結構瞑想にあるなって私は思っていて。
継続する、お互いに自分のパターンを乗り越えていくような関係とか、
自分が今回の人生でやりたいこと、お互いにそれを応援し合える、一緒にいることで自分の人生でやりたいことが発展していくっていうような関係を男の人と持ちたいっていうのが瞑想にいる一番の理由かな。
なるほど、ありがとう。
大丈夫では?
私はなんで瞑想してるのって、この3年ぐらいかな、この瞑想の世界に入ったり、
自己変容の探求
インド全然興味がなかったのに、じゃあインド行ってみようかなとかっていうので、
あまりにこの西洋志向だった、あなた何やっちゃってるのっていうので、周りにはいろいろなんでなんでとかって聞かれるんだけど、
どうしてかなっていうふうに、あんまり深掘りするよりも、忙しくて大変って思ってはいたけど、
私の基本的に背景として、横浜生まれ横浜育ち、クリスチャンファミリーに育ちましたとかっていうのがあって、
西洋社会のお祈りみたいなのはすごく身についてるっていうか、
ただ身についてるって言っても、神様仏様必要な時にもうどうにかしてみたいな感じで、
いつもすごく思ってはいたんだけど、ちょっと何か眼かけみたいな感じでお祈りとか、
外に出しても、何かあんまり何にも解決しないなっていうのがあって、
そういう解決しないなっていうのって結局、本当にドメスティックバイオレントな家庭に育ち、
それを解消するための恋人関係とか男女関係みたいなのに入ったところで、
結局、それで見ちゃった気がするんだよね。
対人関係、対男の人とかっていうので、外に解決策を求めるよりも、
瞑想ってもしかして内側に入って、中に解決策を求めるっていう感じ?
だから眼かけっていうよりも内緒とか、変容っていうのがすごく刺さった言葉で、
瞑想っていうのは自己変容に本当につながる薬になるのかしら?なんて思った。
本を読んだのがきっかけで、じゃあちょっと内緒してみようかなっていうところから入ったっていう感じかな。
なるほど。外じゃなくて内側っていうことね。
そうだね。基本的に外に丸投げするか、中に持ってきて内緒。
自分ワークになるじゃん。中に入ってきていろいろやると。
とりあえず、中の変容っていうのをやってみてどうなるかっていうのを始めて、
始めたところでやっぱり、ピンとはこないよね。
習慣としてついてないから。
習慣としてついてないんだけど、現代の動く瞑想とかそういうのに出会ったときに、
これちょっといけるんじゃないっていうか、ちょっと深掘りする旅に出ちゃいましたっていう感じかな。
旅に出てインドで会いましたからね、私たちね。
してるのは、自己変容っていうのがキーワード、キーポイントになるかなっていうふうに思うんだけど、
じゃあ瞑想って、私たち瞑想ラジオって言ってるけど、瞑想ってなんだろう、ちょっと自分たちで言語化してみようよ。
瞑想と医学の関係
瞑想って何ですか?
私の中では、頭の中のゴミ掃除とか、毎日してる歯磨き、歯磨きは歯を磨いてるけど、
頭の中身を歯磨きしてるみたいな感じ。
お掃除ってかな?
そうそう、だって私たちすごい、いつもすごい頭の中で何かしら考えてるじゃない?
明日のこととか、過去のあいつ憎いとか、あの男死ねとか、私思ってるわけじゃんみたいな。
私に無礼を働いたあいつ許せないとかさ、思ってるわけ。
とか、ほら仕事どうしようとかさ、過去と未来と誰かへの執着とか、うるさいわけ。
それを、消えて、みたいな。歯磨き、ゴミ掃除、みたいな感じかな。
だから、それをした結果、生きるの楽じゃんってなるための活動。
なるほど。
だから、日本人の人に、私瞑想行き始めたんだよねとかって言うと、
絶対みんな禅も一つの瞑想の方法だとは思うんだけど、
禅以外にも瞑想の方法ってあって、
頭の中のゴミ掃除ができて、生きるの楽じゃん、ひゃっはーってなれば、
それは何でも私は瞑想って言うんじゃないかなって思ってる。
医学との瞑想の関係っていうのを、何か気づいたポイントはあるかしら?
それで言うと、瞑想って、誤解を恐れずに、私の意見として言うんだけど、
瞑想ってね、医学の上位誤感だと思ってる。
上位誤感っていうのをもう少し深掘りして、砕いて説明ください。
医学って、分析して、例えば臓器別にお病気を見ていくとか、
その病気の原因を探っていくって言って、
機能なり何かしらを切り分けて分化して、
その原因を探っていくっていう、
すごく特定の領域を深掘りしていくっていう専門。
糖尿病のことは分かる。だけど糖尿病以外のことは分からない。
原因を探っていくこともできるし、
ある一定の研究をしている範囲の答えは得られる。
だけど、全体を見るにはちょっと専門的すぎるっていうか、
機能が分化しすぎていて、全体を見るっていうのはちょっと、
何ていうのかな、細分化しすぎている学問というふうに私は捉えていて、
原因を探っていくことはできるけど、
それに対する包括的な答えを得るっていうのは、
科学としての医学には限界があるなって思ってるんだよね。
だけど、瞑想は上位互換といったのは、
医学はある一定の小さい、専門的になるために範囲を絞っているけど、
瞑想は全部を包括している。
詳しい説明を医学のように科学的に根拠のあるような説明をするっていうのは、
多分不可能だけど、説明はできないけど解決方法はあるっていう感じかな。
瞑想を科学的に証明するっていうのは、
多分ちょっと愚かなことって私は思っていて、
なぜなら科学より上位にあるもの、
科学を包括した全体としての人間みたいなものを扱っているのが瞑想だから、
科学で説明しなくてもいい、上位互換っていう感じかな。
理由は分からないけど、解決の方法としては優れているものっていうふうに思っている。
ありがとう。なるほどね。そういう捉え方か。
それにほら、ラテン語だっけ?
メディテーションとメディスンは語源が一緒っていうか、
確かメディテーションの方が語源だったよね、メディスンのね。
メディカート?
言ってみれば、医療、医学、薬とかっていう、
ラテン語からメディテーションっていう言葉が来てるよね。
処方箋というよりもお薬かな?
だけど、それが基本的に瞑想っていうその技法的なのっていうのは、
インドで生まれて中国に渡り日本に来て、
瞑想っていうふうに名付けられてはいるけれども、
インドとかではやっぱり深掘りみたいなニュアンスがすごく多いよね。
中国でも黙想じゃないけれども、
本当に黙って、黙って自分の中を見ろみたいな、
そういう言葉だし、
もうちょっと語行ってあるじゃない?
そのメイソンの世界とかに言う、
火、水、空気とかそういう、
あともう一つなんだったっけ?
語行により近い生活にいると、
座っているだけでちゃんと瞑想世界に入れるのかなと思うけど、
こんだけ周囲がうるさいときに、
まず火を感じて、水を感じて、風を感じてっていうとこから始めなきゃいけないじゃん。
我々の現代人って。
だから座ってる場合じゃありませんっていうのが、
我々の世界だよね。
そうなのよ。
だからあえて今のこの現代に、
内側に入っていくその現代の技法ってすごく大切だなって思うんだよね。
ラシュミンにとっては、
瞑想ってどんな感じ?
瞑想って、私の場合はそうだね。
お祈りって、
主の祈りとかお祈りって、キリスト教でいうところのお祈りっていうのと、
対極あるとは思わないけど、
結局、今までやってきた瞑想らしきものっていうのは、
釈教かな?
とりあえず釈教をしたり、
ヨガをやっているとマントラを唱えたり、
体を動かしたりとかっていうのがすごくあって、
ちょっとお祈りと違うかなっていうふうに思うのは、
これかもしれないな。
神様っていうのがいると、
外に向かって自分の意志とかお祈りみたいなのを外に出す感じ?
瞑想の基本と体を動かすこと
自分に入れるっていうよりも、
外に出して外に出してっていう感じがあって、
瞑想っていうのはもうちょっと、
外じゃなくて、
自分たちの中にある仏性っていうの?
仏様?っていうのに自容競争を与えるっていう感じで、
やっぱり外と中の違いっていうのがすごくあるなと思って、
特に瞑想って、
ざっくり言うと結局、
ほら、最近我々の流行り言葉で神対地っていうのがあるじゃないですか。
あるね。
神対神ってまず体から始める、
座ってもいいし、動いても歩いてもいいし、
踊ってもいいしっていうので、
やっぱりすごく神対地に残るものなんだなって思って、
それが自己変容にすごく早いかもこれっていうのを、
いくつか瞑想、修行っていうのかな、
トレーニングをしているとやっぱり感じるところがあって、
私にとってはやっぱり内緒?
自分の内側を変えていくものだなっていう風に思っているかな。
体を使って自分の内側を変えるのが瞑想って感じだ。
分かる?
分かるよ。
だってさ、ボディから始めるっていうのが何しろいいよね。
ボディから始めるのが好きなタイプがみんな瞑想にいくかっていうわけじゃないけど、
基本的にやっぱり体を動かすことから始めてるよね、瞑想って。
座禅みたいな、それが悪いとは言ってないけど、
ただ座ってるんでしょっていうのと、
ちょっと皆さんが想像する瞑想と私たちが言ってる瞑想の違いってそこかもしれないよね。
私もお寺に通ってっていうわけじゃないけど、
ほら今座禅っていうのも割とそのが広がってきたからさ、
日曜日の座禅会とか朝の座禅会みたいのには鎌倉によく日本に帰った時に行ったりはするけれども、
場がいいんじゃない?場がゴールドしてくれるので静かに座れますっていうのがすごくあるけれども、
お寺みたいな場っていうのはやっぱり西洋社会にはなかなかないから、
教会とかその場に行かずともできるものっていうのがあるんじゃないかっていうふうに思うと、
やっぱりいつでもどこでもさっき歯磨きしながらとかって言ってたように、
日常生活の中のマインドフルネスとかって最近こっちの言葉では言うけど、
要するに気づきじゃないけど、いつでもどこでも気づいてればいいんじゃんっていうのが瞑想かなっていうふうにだんだん思えてきたかな。
もちろん場所にホールドしてもらってすることも全然ありだし、
日常生活の中での瞑想と他者との共同瞑想
ただその場所に行かないとできないだと何かに依存するっていうことになっちゃうから、
それって外側のお祈りとさして変わらないってなっちゃうような気もしていて、
マッサージじゃないけど体のメンテナンスでも時々プロにやってもらうのってすごい大事だけど、
プロ目線から言うと伊藤テルミーっていう療術をやってるので、
人の体を触るっていうこともしているんだけど、
そこから見ると自分で日々ちょっとでいいからメンテナンスをしている人と、
この時だけ来て自分のこと何とかしてくださいっていう人って全然違うんだよね。
解決方法をやっぱり外に丸投げしてる感じだよね。
だから結局その瞑想でも何でも自分のことだから基本的にはベーシックな簡単なことでいいので、
毎日自分でケアをするっていうのが基本で、それをしている上で時々人にやってもらおうとか、
時々みんなで場で一緒にやろうっていうのがすごくそれがどっちにもいい方になる。
毎日やってることで人と一緒にやることがブーストアップされるし、
人とやったことで毎日の瞑想もブーストアップされるっていういい循環になるから、
やっぱり一人でも毎日ちょっとでいいから歯磨きのようにできるっていうのがすごい大事だなって思うな。
そうだからどこまで日常生活にその瞑想っていう風に応用に行っちゃうとなんかふんっていうふうに思うけど、
面接っていうふうに思うと割と毎日取り組めるようになるよねっていうのが、
どれだけ大変かっていうのを我々はねやっていますっていう感じだよね。
こんなこと言いながら一人でできないからこうやってやろうって言ってるっていうね。
その時に瞑想の世界には誰かしらマスター、神様、マスターというか指導者だよね。
知っているのがいるじゃない。
マスターってほら仏様とかブッダ、ゴッダマシッタールダさんも基本的にマスターといえばマスターじゃないですか。
で彼がもちろんその仏教の世界の人たちってのゴッダマシッタールさんが言ったことから、
レシキもほら覚醒してもっと先に行っちゃった人が何人もいるっていうふうに言われてるじゃない。
だけどいずれもダルマさんとかね、日本人にはなじみのあるダルマさんとかも確かにそうだなと思うけど、
この何かしらのマスターの方法を瞑想技法にしてるっていうのが基本的にメイドインディアな感じだよね。
マスターって言うと私たちはすごいなじみがあるけど、瞑想してない人にとってはなんかヤバそうって思うかもしれないなって思って。
マスターって言い換えると先に生きるのマジ楽になったって。
ヤッホーマジ楽って先にゴールした人っていう。
確かに。そういうふうに見るとブッダとかマハビーラとかさパターンじゃないか。
みんなマジ楽だわっていうのを先にやった人っていう捉え方だよね。
俺すごい楽になったから一緒にやるみたいなそういう感じ。
そういうのでいろいろ話してた時にさ、そっかグループブッダは座禅っていうのに、日本に来て座禅になりました。
彼自身も結構ずっと座ってたからね。
あとはグループパダンジャリはヨガやりますみたいな。とりあえず体から始めようっていうので。
いろいろハッタヨガだのアサナとかポーズを決めてっていうのをやったりして。
あとはグループルーミー、スーフィーとかワーリングでくるくるくるくるくるくる回るやつ。
あれは私たちの間でグループルーミーって呼んでるじゃん。
先に100歩楽ってなった人が100歩楽になった方法、イコール悟った方法なんだけど。
それをリスペクトだから、グループブッダはブッダリスペクトだからブッダがやった方法で悟ろうとする。
だからグループブッダは座ります。
グループパダンジャリはヨガのアサナします。
グループルーミーは回ります。
押し勝つみたいな。
押しの押しと同じ方法をやるっていう感じ。
マスターと瞑想の技法
じゃあ一応とりあえずマスターっていうか押し勝つ。
今押し勝つしてる人のことをちょっとしゃべろうか。
そうだね。
じゃあ我々の押し勝つインド人のマスターは誰でしょう。
私たちの押しはオショーですね。
押し勝って言うと本当に瞑想会の、
オショーさんって言ったら王者に行く?
本当に太陽っていうところから来てるけど、
日本人にとってはさ、オショーとか聞くと
そこら辺のただお坊さんですか?みたいな。
そうだ、オショーは漢字で書かずに
アルファベットでオショーって書く、
もともとは名前別なんだよね。
何だっけ。
ラジニーシさん?
パザワンナンチャララジニーシ。
あ、ナンチャラとか言っちゃいけない。
ラジニーシさんとか言うのが名前だよね。
オショーね。
一応出しておく。
インド人です。
日本人じゃないです。
ただ日本好きだ、
禅とかも好きだったし、
日本のことが好きだったんだよね。
オショーっていうその響きが気に入って、
ある時からオショーって名乗ってるんだよね。
台本の方にそういう風に名乗って、
私もオショーっていうのは耳にした時に
そこら辺のオショーさんね。
日本人にしてオショーさんとかお坊さんとか
そこら辺にいる人みたいな感じじゃない?
そういう感じでそこら辺にいる人か、
でもインド人なんだけどオショーやってるんだ、
みたいな感じで思ってたけどね。
違いました。
オショーはね、
瞑想会の、
私はスピリチュアルテーマパークだと思ってるオショー。
いろんな瞑想の技法を作った。
いろんなボディワークやオーラソーマとかもオショーだし、
単独奏っていうのもオショーが
一応現代バージョンに翻訳した感じだよね。
言ってみると。
一番わかりやすいのはオショーが作った瞑想って踊るよね。
オショーが作った瞑想って踊るね。
そうだね。ダンスとか踊るっていうのが
それもすごく新しかった。
体から入るっていうのに
踊ってもいいんだ瞑想っていうのがすごく
イノベーティブだったなって私は思う。
多分オショーより前は
瞑想って言ったらそれこそ座禅じゃないけど
座る、おとなしくしてる、動かないみたいなのだったのが
動いたらムチ、ビーンとか飛んできそうだもんね。
オショーが踊るみたいな。
現代の人はあまりにいろいろ忙しいので
体が疲れ果てて座れる状態になるまで踊る。
もしくは何かしら体を動かすっていうことをやったのが
初めてのマスターじゃないかな、オショー。
もともと哲学の先生だったじゃない。
その哲学の世界もすごくよく知っていて
その後からこの瞑想の世界に入ったっていうよりも
私にとってはすごくいいガイダンスになってるよね。
西洋哲学はここからこういうのを引いてるんだって。
すごくイノベーターって当時の人たちに
新しすぎて受け入れられないっていうのかな。
理解不能じゃん、やっぱりこの新体知の世界って。
理解不能なんですけどっていう世界だったんじゃないかなと思うけど
今の我々、現代の我々の方がよっぽどスピード感がわかるよね。
忙しいところに体を動かして
科学的なアプローチ
最短距離でとりあえず座れる体にするっていうか
座れるメンタル作るみたいな。
すごいよく計算された下準備。
だからそれを科学的って言ってるのは理にかなってるなって思う。
科学なのかはわからないけどすごく合理的に
瞑想をデザインしてるなって思う。
でもその当時に科学がどこまでっていうわけじゃないけど
やっぱりオシオのその瞑想
瞑想全体っていうのは今科学の時代だから
全東洋に働きかけてっていうのは
いろいろ科学者たちがちょっとずつちょっとずつすごく解明してるよね。
解明はしているけれども
多分科学が追いつくことはないと思う。
科学の時代かなそこが。
だから瞑想の科学的だって言うとちょっと矛盾しちゃうんだよね。
瞑想のメンテナンス
ただ合理的だなって思う。
科学的って言うとすごくコントローバーシャルな感じが出ちゃうからね。
確かに。
そんな感じで私たちがなんで瞑想してますかっていうのの
触りをいっぱい話してきましたけどそろそろ時間です。
我々の立場としては選択幅がいろいろあるじゃないですか。
メンテナンスとして自分たちが生きている体、マインド
何でもいいんだけど自分のメンテナンスっていうのはすごくいっぱい選択幅があるよね。
だからこれ私たちは一応推しのマスターというか
推しから学んでいることをみんなでシェアしていこうかなっていう立場でいるじゃないですか。
推し勝ちにお付き合いくださいって感じかね。
そうだね、私たちの推しはこれです。
もしこれを聞いておもしろいかもって思ったらちょっとのぞいてみるみたいな。
それのぞいた結果、やっぱりほかの見てみて
やっぱり全興味あるわ、だったらやるのも全然OKだし
自分に合ったものを選んでお掃除ができたら
それってすごいハッピーじゃないかなって。
だから私たちと同じことをしてもいいし、しなくてもいいし
いつ入ってもいいし、辞めてもいいし
自分に役に立つように聞いてもらえたらすごい嬉しいなって感じかな。
うん、そうなんだよね。だから私たちのスローガンだよね。
毎日歯磨き、それだけが瞑想ですみたいな。
もっとほら、マスターたちがそういうのを言語化するとさ
歯磨きすることに気づいてなさいとか言ったら
ちょっと思っちゃいますが、そこに瞑想のヒントがあったりするもんね。
そうそう、瞑想は歯磨きっていう感じかな。
それに現代バージョンっていうのは
より身近になってきたっていう感じのシェアをこれから深掘りして
自分たちの整備で、本当にちゃんと歯磨きまで整備されてるのがね
私たちの瞑想っていうところを探っていきたいなって感じたよね。
だからお話ししながら一緒に瞑想を歯磨きにして
百方てなろうっていう番組です。
そうです。
一人じゃ無理だからみんなでやろうっていう。
そうですね。一人では無理なのでみんなで歯磨きしましょうっていうところに
お、というか瞑想だったっていうのを身近に感じてくれたら嬉しいですって感じだね。
なのでアンケートでこれ悩んでますとか、これ何ですかとか
一緒に悩みましょうっていうアンケートを待ってます。
一緒に悩んでそれ、答えを見つけて
答えはそうですね、今日も歯磨きしてくださいとかだったら
いいねって思われそうだけどね。
でもほら言ってみると言葉に出すって手放すのと一緒だから
うちのアンケートフォームを手放しの機会に使ってくださいって
そうしたら嬉しいなって一緒にやろうっていう感じ。
まずお掃除っていうのはとにかく自分の中から出さなきゃいけないからね。
まず中に入ってこれもゴミだなと思ったら手放しましょうとか捨てていかないっていうところで
アンケートフォームを使ってくれるとなかなかいいですね。
じゃあまた次回に続くという感じで。
次回に続きます。
お聞きくださりありがとうございました。
番組を聞いてあなたがどう思ったかぜひ感想を聞かせてください。
私たちはあなたの人間関係、性にまつわること、お金、老いや死に関する疑問・質問も聞きたいです。
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