ナマステ、めいそうラジオ。インドで出会ったタントラ迷走コンビ、アビラティとらしみが、
愛と生と死とお金のメディテーション、タントラから生きる処方箋を探っていきます。
迷える私たち現代人のためのゆるい迷走入門、始まります。
言ってみれば、映画の本編を見ますっていうので、それが本編にはなるんだけど、
本編の中に含まれているのでさ、セックスが本編って何よって言った時に、やっぱりワンネスの解釈?ワンネスって言葉を使うじゃないですか。
何だろうね。言葉だけ捉えたら一つであることってことじゃん?
じゃあ一体何と一つなんだって思うとさ、一応人間は男と女に分かれていて、
性別としての男と女に分かれてるってこと?最近はもうLGBTとかあるから。
もちろんいろいろあるけど、ベーシックには何かと溶けて一つになっている状態をワンネスというのではないだろうか。
それが例えばその溶けて一つになっている対象がさ、外の男の人とか女の人だったらそれはまあ分かりやすいのはそれだし、
あとは自分の中でもさ、瞑想とかに行ってると自分の中にも男性性があって女性性があって、それが一つになっているみたいなことも言うし、
あとはもっともっと遠くまで行くと全てのものと一体になっているみたいなワンネスという言い方もするよね。
だから何となのかは時と場合とか自分の環境とか状況によって違うのかもしれないけど、
何かしら自他の境界が溶けて、大変気持ちいい状態なのではないかしら。どう思うらしみ。
ワンネスの状態ってきっと言語化できなかった時代にも、自分は女性として生まれ女の子でしょとか、女の子はこういうことをするとかしないとか、
そういういろいろ女性女性女性っていうのの役割をすごく強調されて、やっぱり教育を受けて生きてきたわけじゃない。
本当に学校で教えてくれなかった女性性と男性性っていうのはあなたの中にもありますよっていうのにだんだん気づいていくじゃない。
社会に出て仕事をすると、女性でありながらも別に自分の男性性の質を使って仕事っていうのはやっぱり活動的にしなくてはいけないしさ。
女性であると妊娠所産ができますっていう、女性性役割全部使ってますみたいなのが経験すると、
みんながやっぱり私は女でしか子供が生まれないからねっていうのに寄ったりっていうのの中でもすごく役割、自分の中にも役割分担っていうのがあって、
それが乖離してる時っていうのは息苦しいってすごく感じてたかなって思うな。
そうか、自分の中で男のっぽいところ女の人っぽいところそれを使っている場面とか、その2つがあんまりこう仲良くなってない時の不具合だったり、それか逆にその男の人っぽいところを使ってできている活動なんだけど、
実際はもしかしたら女性の質を使っている方がらしみにとってはコンフォタブルのはずなんだけど、違うクオリティを使って活動しているから乖離を感じるみたいな。
チグハグな感じ、だからワンネスっていうのが融合とか溶けているっていう状態っていうのが自分の中で作り出すっていう概念はなかったよね。確かに瞑想とかを始める前は。
そもそもさ、なんか自分の中にそういう2極があるっていうこともあんまり考えたことはなかった気がするな。
ダントラーですごく、まさにダントラーはいいますっていう世界の中ではさ、よく使われる言葉でシバとシャクティっていうのがすごくあって、シバは男性性を表す一つのイメージじゃなくて言葉だけど、シバって神様でいるじゃない?男性の神様。
彼が要するに代弁しているのはさ、性的なエネルギーというか静かな、実は静かなエネルギーの象徴だったりするんだよね。性と同で行くと。
するする。ほら、シャクティは女性性じゃない?で、カジュラホに遺跡っていうかテンプルがあって、そこにはさ、シバは1人だけどシャクティは64人いるって。シャクティはエネルギーだから動くよね。シバはその中にいて、大黒柱じゃないけど静かにいるっていうのはなんか結構衝撃だったよね。シャクティが動くみたいな。
想像的で動的なエネルギーの象徴であります。シャクティって言われると、64の形に自由に自由変化みたいにできる感じ?
そうそうそうそう。いろんなフォームがある。でもそれを見た時に、よくタオで言ってるマガタマ模様が2個、黒と白のマガタマ模様が合致して、マガタマ模様の中に丸っぽい点が目みたいにペンペンってついてるじゃない?
あれも実際には、2面で、2ダイメンションで見て、これはペタっとしてるものじゃなくて、実はマガタマも両方とも動いてるし、中の丸い目みたいなやつ、あれも出て動いてるって言うと、ほら、まさにワンネスになるようにいつでも両方ともが動いてるんだよね。違う形ではあるものの。
だから、人間がこう生きている、自分っていうものの中にこのシャクティのエネルギーとシバのエネルギーがあるっていうふうに考えると、私は女性でもあり、私は男性でもあり、女性でもありじゃないな、女性性でもあり、男性性でもあるっていうのが、ちゃんと綺麗に楽しく踊っていると、ワンネスの感覚をすごく感じるかな。
無理しなくても、無理くり今これやらなきゃ、っていうふうにも思わないし、女性性を使ってこういうところは、例えば会話するとか、ここでは男性性を使って、人と対話するとか、世界に出ていくとかっていうので、同と性の捉え方が、ちょっと見方が変わった気がする。あのカジュラフォの彫刻を見ていて。
そこにさ、さらに両性固有もあったじゃない。
発音が難しいやつね。
アルダナリシュワラ。
アルダナリシュワラさ、これインド人の友達とかに話すと、ああああって普通に綺麗に発音してるけど、なんか3回も4回も聞いても、何?って思ってなかなか発音できなかった。これ、なんだこの言葉は。
カジュラフォの彫刻の中に、男性の彫刻も女性の彫刻もいっぱいあるんだけど、隠れキャラみたいな感じで、片っぽ、右、左か左にだけチブサがあって、右はあのつるっとした胸の男性と女性が同じ一つのボディに表現されてるっていう神様の像もあって、それをアルダナリシュワラって言うんだよね。
どちらも入ってるっていうのが、その男性性と女性性の統合された姿っていうことなんだよね、アルダナリシュワラ。
そう、だから男女エネルギーの調和と統合の象徴っていうか、すごくでもあの、これはなんだ。ほら、見ると、なんか胸作り忘れちゃったのかな、彫刻の時にって思うけど、なんか表情もちょっとずつ違うじゃん。
で、すごくいろいろな彫刻とかを見てた時に、いっぱいあるからさ、なんか見落としがちではあるけど、やっぱりすごくなんていうの、印象に残る彫刻だったな、私にとって。
顔が良かったよね、なんていうの、アルカイックスマイルっていうの。
でもアルカイックスマイルって言うと、なんか、吉祥天女とかさ、どうしても日本の仏像もそうだけど、なんか吉祥天女とかって結構絵になって、いろんなところに紹介されてない?
なんて言ったらいいのか、なんかこう、ガンガンのスマイルじゃないけど、なんかホワッてスマイルみたいな。
ヨガとかのトレーニングをしてる時も、顔が頑張ってます系な、歯を噛みしめてみたいにやると、全然体が緩んでないしさ。
やっぱりどんな時にも最高の余儀は、アルカイックスマイルがふっと出てくるようになると、アドバンスと余儀と言われてますって、今日なんかヨガの先生が言ってたなと思って。
やっぱあれ、一種の瞑想の成就状態のスマイルなんだ、あれきっと。
そうだと思う。だって、幸せとか愛にみちみち溢れてるとかっていうのが、なんか、そういう状態だとこういうふうに笑えるんだっていうのが、石じゃない?言ってみれば石像だしさ、彫刻だし。
だけど、そこから醸し出す、あの愛の微笑みみたいなのが、ああ、そういうふうに笑えるんだっていうふうに私は思った。
理想とかではなく、そこがすごく、ワンレスっていうのの、なんていうの、最高値っていうか、ちゃんとした、完成された形なんじゃないかな。
しかもさ、一人でもそのスマイルだからね。
まず、そこからじゃない?一人でも、なんかニヤじゃないけど、笑える。
ニヤ。
笑いとかっていうと、そうね、いろんな笑いがあるからね。だけど、あの、やっぱり人間ってほら、笑っていたほうが可愛く素敵に見えるっていうのがあるじゃない?
で、昨日、話をしていたロシア人の友人がね、なんかロシア人の教育の中では、笑うっていうその、表情とかっていうのが、自分の弱みを見せるとかっていうので、
教育の中で笑うと、笑っちゃダメ、笑っちゃダメって言われるから、なんか、それを知らない我々としてはさ、
仏長面のいつでも不機嫌な人っていうふうに捉えちゃうじゃない?なんだけど、ちょっとでも笑うと、自分の弱みを見せてしまうっていうふうに教育されると、笑わないようになっちゃうらしいの。
で、その私の友人が、なんでこの人笑わないんだよって、すごくやっぱり働き者の、なんか自分のアシスタントがいるらしいんだけど、その笑わないことに対してさ、
そういう、これは私たち教育で受けてるから、っていうのを聞いて、心の底からびっくりっていう話がなんかしてたわけ。
はいはい、それはびっくりだわ。
だけど、なんか、あの、笑わない、そう今言って、その笑わない話をしてたらさ、彫刻の中の色の横を向いてたりとか、なんかみんな幸せそうに笑ってるイメージじゃない?
うんうん、そう、カジュラホの彫刻ってさ、下から順々に人間の意識の進化みたいなのを出してんじゃない?
で、上にある一定のレベルを超えた上は、みんなアルカイックスマイル。
で、それ、時間という概念に囚われている下のところだと、あんまりなんかその、うわ苦しいみたいなのはなかったかもしれないけど、そんな上の彫刻たちのようにスマイルではなかった気がする。
だから、ある一定のところを超えると、アルカイックスマイルだった気がするなぁ。
そのためにあれかもしれない。タントラが私たちの好きなってか、我々が好きなのって、女性もさ、あの瞑想の修行に参加できたってちょっと珍しい例じゃない?
宗教というふうに捉えると珍しいだろうし、ブッダとかだって男の人だったしね。
タントリカっていう言葉を使うよね。それで、我々は。
そうだね。タントリカって多分男の人のことも指してるんだよね。どっちも含まってるよね。
ワンネスな人たちグループって思うと、タントリカってその当時呼ばれてたんで、特に女性の修行者を指してたとこから始まってるじゃない。
身体女性、私たち女性ですっていう人たちが、やっぱりこの修行に参加できるようになったっていうのは結構珍しい例だと思うんだよな。
そうだと思う。仏教も、だってブッダもあんまり女の人にはちょっとなーって言ってたし。
触れちゃいけないというか。
触れちゃいけないだし、ジャイナ教なんかは女に生まれたらそもそも悟れないので、男性の修行者をヘルプして、次の来世で男に生まれて頑張ってねっていう感じじゃん。
ジャイナファイブが言ってたね。
ジャイナファイブが言ってた。ジャイナ教ってインドの昔からある宗教の一派で、えらく修行が進んで悟れば悟るほど服を脱いでいくっていう。
人たちグループの人が。
寺院の中のお掃除をしてた女性が生まれ変わって、来世になったら私は服を脱げるとこまで行ける。
修行者になれるんだけど、今世ではダメなのって言ったときに、えーそうなの?タントリカたちは今世でも行こうとしているのにみたいなね。
なんか厳しいなジャイナファイブと思って。
ジャイナファイブって私たちが言ってるのは偉い。
寺院にすごい大きいポスターが貼ってあって、その中にジャイナ教の徳の高いお坊さんたちが丸い囲みで写真が載ってて、
ほとんど赤と黄色で構成されてるポスターで、なんかすごいお仕方っぽいなみたいな。
アイドルグループみたいな。
アイドルグループジャイナファイブみたいな感じだったから、私はそれを見てジャイナファイブって呼んでんだけど。
ジャイナファイブ会いたいな。
こんなことを言って怒られる。
なんていうの?映画のポスターと同等に見てはいけないっていうか、そういう感じで私は捉えちゃってさ。
なんかやっぱりこの人たちってもしかしたらヒーローヒロインのヒーローだよね。
超絶ヒーロー感漂わせてたよね。
すごいヒーロー感があった。
だってその現地のインド人の人とかも、この徳の高いジャイナのお坊さんたちが裸の人と裸じゃない人と来てる時、
みんななんかワーってなってたもんね。
でも動画撮っていいんだっていうのはすごいびっくりしたけど。
現地のインド人が動画撮ってる。撮っていいんだと思って。
私も撮ったけど、びっくりした。
それは確かにあれかもしれない。
現代に彼らもちゃんとアジャストしてるんじゃない?
でも本当にすごく歓迎されてるっていうか、新人深いんだなって思ってるとさ、
そりゃアイドルだしヒーローだよなって思って。
でもヨガの世界とかっていうのも、結局悟りの道に行くっていうのが、
この瞑想をした人たちのゴールっていうわけじゃないけど、先にある目的みたいなところがあるじゃない?
私自身は悟りをするために瞑想する?よくわからないと思ってたところからまあまあ始めたものの、
やっぱりこの悟った境地っていうのを目指して、
みんな日々いろいろ徳を積んで、徳を積んで上げていくというか、
先に進んでいくっていうイメージがあるんだろうなっていうふうに思うんだけどさ、