名盤ラジオ、前回からの続き。
名盤ラジオ、チ。地球の運動について語っております。
たくやです。今回もよろしくお願いします。
えぬぞうと申します。よろしくお願いします。
こんばんは、ひてきです。よろしくお願いします。
えー、超番外編として、チ。語ってますが。
はい。
引き続きね、前回の続きということでやっていきたいと思いますけど。
これがこのシリーズ、第3回目ですよ。
わー。
わりとなんか、長引きが盛り上がってますね。
わりと長編になってるんですか。超番外編の割に第3回目まで来ちゃってますからね。
まだね、第2章の話ですから。第2章の話、引き続きってことでね。
やっていきましょう。そうですね。
第2章はなかなかやっぱね、もう分厚い、これは。
そう。
これやっぱりもうすごいいっぱい入ってますもんね。
あれもこれも第2章じゃん。
ちょっとね、この間に少し漫画を見返してて気づいたんだけど。
この間にね。
情報を得たのね。
この間にね、ちょっと漫画読み返してたな。
なんかね。
いろいろ出てきた。
ちょっと一個発見したのが、今気づいたんですけど。
第1巻、漫画の第1巻というか、アニメとかも一番最初そうだったのか分かんないですけど。
漫画の第1巻の一番最初の拷問してるシーンがいきなりバーンって書かれてるんですけど。
これなんかオクジ君が拷問されてるシーンを書いてるんだなっていうのに今気づきました。
オクジ君なんですよ、これ。
一番最初の?
一番最初の。
ま、ちょっとね、アニメどうだったかで今見返したいか分かんないですけど。
漫画は一番最初、いきなりこう見開きでバーンって拷問された。
口の中にあの梨みたいなやつ、洋梨みたいなやつ突っ込まれてるボコボコにされた人のシーンから始まるんですけど。
それ今見たら、この第2章でオクジ君、口に入れられてたじゃないですか。
印象的なシーンがありますよね。
それのシーンが一番最初に書かれてたんだなっていうのは。
それなんかオクジ君っぽい人じゃなくて、もう完全にオクジ君?
完全にオクジ君。
最初っからこのシーン。
ノバ君も年取ってるの?
ノバ君もね、年取ってんの。
うわー。
ノバ君もね、年取ってるの。
髪長いの。
その最初のシーンだけ。
全然気づいてなかったんだけど今ね。
ヤバ。
だからノバ君は次のページから髪の毛短くなってて。
うーわ、もうやっとるな、そりゃ。
これやってますからね。
しかもここはね、何を捧げればこの世の全てを知れるっていう。
そのセリフのシーンなんですよ、これ。
いきなり一番最初が。
そう、オクジ君なんだと思って。
拷問されてんの。
ヤバいな。
今、これはね、発見しましたね。
うわーと思って。
なるほど。
ここだけそれになってんだと思って。
で、一番最初っからもうそれは、なんていうんですかね。
見せてたんだな。
見せてたんだなっていう。
うわー。
オクジ君これやるの見せてたんだ。
結構最近の作家の特徴なんですよ、それ。
新劇の巨人とかもそうじゃないですか。
そうなんですね。新劇の巨人ね、全部見てないからわかんないんですけど。
そういう感じなんですか。
うちらのルーツだと、ドラゴンボールとかなんだけど、
ドラゴンボールとかって、あれってもう完全にライブ感じゃないですか。
そうですね。
事前に考えてなくて。
確かに。
連載しながらの。
連載しながらのその場で考えてる設定をぶち込んでいくっていう。
そこに対するアンチテーゼっていうのが結構あるんですよ。
近代の作家、漫画作家ってあまりにライブ感じゃないかと。
ある程度その、全体のプロットを見据えた上で描写を出していこうっていうのがあるんですよ。
最近の作家の作家性として。
なるほど。
そこはなんか、そういうことだなって感じしますね。
なるほど。
ある程度の、ここまで作り込んだ上でそれをちょい見せしつつみたいな、それを伏線としつつみたいなのが、
最近の漫画家さんとか小説家さんの作家性としてそれはあるよねっていう方法論としてっていうのは感じますね。
いやー。
これは。
なかなか、あの辺のシーンは本当にすごく象徴的ですもんね。
あとは第2章の話続いてますけど。
そうなってないよねというか。
もっとなんか奇跡として人類にとってポジティブなものとして
言葉と文字と機能していこうよみたいな感じ。
そう思ったでしょお前らみたいなヨレンタさんとか。
この時代において多分そういう魔法だったと思うんですよ。
ネガティブに作用してはそれは表裏一体だから物事って。
それはしょうがないものなんだけど。
もっと良くなるんじゃないかみたいなの。
そういう希望を見出してもらえたよねっていうのは。
あそこでワクワクするじゃないですか。
ヨレンタさんがさ。
あれって魔法なんですよ。
この言葉って魔法なんですよってワクワクしてるじゃないですか。
ワクワクしてますよね。
そこに同情するんですよ。
そうですね。作者の気持ちも乗ってるなって感じもする気はしましたね。
あそこ乗ってるよね。
多分これをすごい言いたいことなんだろうな。
これがだと思うんですよ。
言葉とか情報とかって時代と場所を超えて伝えられるって。
すごいですよね。
最高の魔法じゃないですか。ポジティブなっていう。
時代も場所も超えますからね。本当に。
そういう根源的なワクワクもここで感じたし。
そうなってない現代社会みたいな国際社会みたいなのどうなんだろうなみたいな。
もっと楽しめるじゃないか人類みたいなのは多めますよね。
言葉もそうだし音楽もそうだと思うんですけど。
もっと楽しんでいいじゃないですかみたいな。
あんま争ってもしょうがなくないですかみたいな。
そこで現代社会のその分断が進んでしまっている現代社会と
人類の理想みたいなもっと融和であり
人類って分かり合えるじゃないみたいな
理想的な社会とっていうところの分離も感じちゃうんですよね。
その辺がね結構深いテーマがなんか提示されていつつ
ここで物語的には奥二井くんが本を書いていくというのね。
その文字を習得しつつ。
それがすごいやっぱこの中においてはでかい話ですよね。
大きいですね。
この本がズバリ地球の運動についてっていう本だったりしますから。
これを書いているのが奥二井くんっていうところがねでかくて。
これをバディーニさんに見せるんですよね。
見せてあんまりこうなんか結構軽くあしらわれるというか。
何やってんだ的なね。
でも最終的には何かあった時のためにっていうので残してたのは奥二井くんの本を残してたっていう。
そこがね多分すごくこの全体のもうこの地っていう作品の中でめちゃくちゃでっかいところだと思うんですけど。
バディーニさんがいざという時のために残してたのは自分のその研究結果じゃなくて奥二井くんの本を書いたものを残してたっていう。
感動なんですよ。
感動を伝えるたということが。
バディーニも分かってたんですよ。
そこに気づいたわけですよね。
後々伝わっていくのは感動なんだと。
理論でもないし。
ただの理論知識ではなく。
そう。
だけではなく。
だからバディーニが残そうとしたのは奥二井くんの感動なんですよね。
そうですね。
それはやっぱりラファウの感動でもあるし、それはやっぱりバディーニの感動でもあるんですよ。
感動しか残らないんですよ、多分。
人を引きつけるのって感動なんですよ。
理論でもないし、知識でもないんですよね。
俺に感動したっていうのに多分引きつけられるんですよ、人間って。
これを残そうとしたんですよ、あのバディーニが。理論派のバディーニが。
分かってたんですよ、あいつは。
そこにグッてくるんですよ。
そうそう。
バディーニは理論派なんですよ。
でも自分じゃないんですよ、多分。
後世に残るのは奥二井くんのこの感動なんだよっていう。
俺を残そうと、バディーニはね。
奥二井くんのこの無邪気な感動。
これって何だろうみたいな。楽しいなーみたいな。
えー何これーみたいな。ただそれなんだよねっていう。
残るのはこれだっていうのをバディーニは分かってたんですね。
でもそこに至るまでのものもなんか描かれてて面白いなって思ったのが、
あの虹の色が何でカラフルなのかみたいな説明するので、
それめっちゃこう理論的な難しい話をして、
それを子供にどう説明すればいいんですかみたいな。
あの辺でやっぱなんかこうね、伏線っていうかなんか繋がってますよね。
めっちゃそれ伏線だね、確かに。
うわーそういうところからやっぱ。
そういうのをちゃんと描いてるから、その最終的なバディーニの選択が説得力を持つんですよね。
すごいなこの伏線の描き方。
ちゃんと描いてるんですよ。そこがすごいんですよね。
すごいですね。めっちゃすごいな。
あのシーンはそうかそういうことだよね確かに。
パーッとあいつが思い浮かんで、これいいじゃんってなったわけじゃなくて、物語的にちゃんと伏線があるんですよね。
めちゃくちゃすごいですね。
ちゃんと自分の中で成長してるんですよね。バディーニ。
そうそうそうそう。
すごいすごい。
バディーニの成長でもあるしっていう。
そこがね奥じいとる。
そうそうリンクしてそれをちゃんと描いてるので、だから説得力があるんですよ。薄っぺらくないんですよ。
そこがだから第二章はね。そことヨレンタさんもいるし。
そうそうそうそう。
そこの絡み合いがねやっぱ深いんですよ。
すごいですね。成長を結構描いてる。
でヨレンタはさ次の勝利受け継いでいくじゃないですか。
そうなんですよね。
そこがねもう。
すごいよ。
3章のヨレンタも一番あれじゃないですかもうね。
これはもう2章大丈夫ですかね。
まあまあまあ人生はねそういう感じで。
2章はそうですね。
もうちょっと散々2章を語りましたから。
見た上で見た上で。
熱いよと2章はね。
いやもう3章だって2章から25年後ですよ。
いきなりね25年。
飛ぶじゃないか。
25年飛ぶんですよもう。
ここでまたねえってもうどうなっちゃうのって。
まあ。
25年経ってるから物語的にも乖離してる部分はあるし。
そうですね結構ねそうなんですよね。
テーマを受け継ぐ。主人公は変わってる。
そうですね。
10年経って25年経ってるわけですよね。
野爆だいぶあれですよね。
もうなんかね。
野爆だけですよね一生から。
野爆は本当だからすごいですよねこの物語を貫く。
だから裏テーマなんですよ。
裏テーマですよね本当に。
もう本当ダースベイダーみたいな。
生き延びてるのは本当に野爆だけみたいな感じになってますもんね。
25年経ってだいぶここはやっぱ世界観変わったなって感じですよね。
変わりましたねここで。
一旦解放戦線。
ドゥラカですか。
ドゥラカね。
ここはまあ主人公的なところでいくとドゥラカですかやっぱ。
ドゥラカですよね。
隊長のシュミット。
そこの対比で見せていく感じですかね。
ドゥラカ。
ドゥラカ結構好きですね。
かなり好きですね。
合理的合理主義者というかある意味現代的なというか。
そうなんですよ。
じゃないですか。
今いて違和感ない思想を持ってる人だよねっていう。
金を稼ごうって。
すごく共感できるみたいな意味でって感じですね。
ある意味合理主義者ですよね。
現実的、今から見て現実的であって、度胸もあって頭がいいみたいな。
っていうところですけど。
でもすっごくやっぱ重要な要素をやっぱ盛り込んでるなって思うんですよね。
っていうのが、さっきまで言ってた感動が人を動かして伝えていくみたいな。
そういう原動力になってるのが感動っていうのがそれまでの地の中では伝えられてたものだと思うんですけど。
信仰みたいなところとかそういうのも含めてですけど。
ただこのドゥラカはそこをまた別の視点を持ち込んでて。
それに価値があるとか、もっと言うと金になるビジネスチャンスみたいな。
そういう視点を持ち込んでるんですよね。
オークジーくんの本を読んでも、これは金になるみたいなところで。
それで行動していくわけだから。
だからそれって今までにこの物語はなかったし、歴史上やっぱり資本主義とか対等していって、今の原理原則になっていくわけで。
そういうところが登場していく。
そういう多面性的なのを登場させてると思うんですよね。
そういう感動とか信念とか、そういうのだけじゃない価値観っていうのをここで持ち込んでて。
それはすごい深いキャラクターだなって思うんですよね。
このドゥラカにおいて、こいつは資本主義なんですよね、こいつの考え方って。
その資本主義の考えによって行動していくんですけど、結局最終的に城に流されるじゃんみたいな。
そうそうそうそう。それもそうなんですよ。最初そうなんですけど、感動でその価値観が変わっていくところもまた描かれてて。
それも面白いっていう。
短章はそこのダイナミズムがテーマだと思うんですよ。
現代を生きる我々にとっては、ドゥラカって結構感情移入しやすいんですよ。
利益を大事に考えるし、そこに対する情けとか、それって無駄なものじゃないですかみたいな考えなんですよね。
金になった方が良くないみたいな。
そいつがヨレンタさんがそれまでの人生においていろんな痛みとか経験した上で得た人生経験を聞くんですよね。
肉体性を伴った人生観を聞くんですよ。そこに共鳴しちゃうんだよね。
そこに流されるんだよねっていう。合理主義的に言った方が多分美味しいし上手くいくんだけど、
で、ドゥラカってそこにすごい寄ったキャラだと思うんですけど、そこには寄り切れなかったというか。
そうですね。
いや、そうじゃないじゃん人間はっていう。
なかなか狭間でね。
狭間で揺れ動いてたよね、ドゥラカは。
なかなか上手いことやってたなと思いますけどね、最後まで。ちゃんと交渉して。
やっぱりね、すごい上手くやってたと思うし、綺麗なキャラだったと思うんですよね、ドゥラカは。
でもそこにそのヨレンタっていうカオスが、その2章のね、1章の2章のカオスを受け継いだヨレンタっていう、
カオスを受け継いだキャラクターに触れてしまったことによってそっちにちょっとやっぱ感化されちゃったんですよ。
でもそれが人間なんだよっていうのが感じて、そこが愛おしいんですよ。
合理主義に寄りきれなかったドゥラカに感情移入するというか。
確かに確かに。
あの生き様を見せられて、合理主義に寄りきれなくないですかみたいな、ヨレンタの。
ヨレンタ。
ヨレンタさんもそうじゃないですか。
ヨレンタも合理主義的な人なんですよ、頭いいし。
すごい律的なキャラクターなんだけど、結局感動に寄っちゃったんだよ。感動に引っ張られちゃったんです、あの人。
で、ドゥラカもそこに引っ張られちゃったんだよっていう。
それを受け継ぐことこそが人類の人間という存在の尊さじゃないかと。
自分の利益になるとか合理的なものを捨て去ったものにかけるというか。
それができるのか人間という存在の尊さじゃないかっていうのを見せられてるなっていう気がするんですよね。
ひてっくん的にはどうですか、3章の見どころは。
合理主義にはヨレンタっていうことですよね。
3章はヨレンタほどの頭の良さがあれば生き残れたと思うんですよ、あいつとは。
なんか言いぐるめて。
確かに。
でもなんか自爆するじゃないですか。
3章ってもう最後のそのあたりの見どころが壮絶じゃないですか。
あそこはもうちょっと一番この物語でもぐっときちゃったというかもう泣きそうになっちゃったポイントっていうかもう。
最後あのラファウが再登場して、ノバクが自分のラファウとで対話するみたいな感じで3章のラストの終わるじゃないですか。
あのあたりのなんていうんですかね。
幻のラファウみたいな。
幻のラファウとのやりとりのところが一番ちょっと。
3章はそこに持っていかれちゃったなっていう感じはありますね。
すごいなんか台詞が強いですよねこの作品って。
すごいなんかあの一番第一回目とかにも言ってましたけどこれあのなんか悪役だったんだなっていうその私はこの物語の悪役だったんだなっていう話もそこで出てくるし。
あの会話はすごいやっぱあれだよね。
アントニーとの会話でしょ。
ノバクの最後のあれですよね。
君らは歴史の登場人物じゃないって。
あれすっごいよね。
そこのあのあたりの展開すごいですよね。それで殺した後に自分で火をつけてあれじゃないですか。
いやもうあの会話やばいよね。君の勘違いじゃないかみたいななんか。
でなんか最後の方でそのヨレンタさんの手に手袋かけて。
ぴったりあったみたいな感じのね。
もうやばいっすよね。
なんかラファウと話しててこう娘は天国に行けたのかみたいな話をラファウに聞いてていやさあわかんないみたいな感じ。
でもなんか自分がじゃあもしそうなってほしいんだったらなんか自分が生きてるうちにすべきだと思うことをしてくださいって言って
ヨレンタの残った腕に手袋をかけてそれをこう抱きしめて
でなんかお前も見つけたんだななんか地獄に落ちてそのために地獄に落ちたっていいと思えるものみたいな話を言ってるあたり。
そこでもすべてをなんか結構野爆も察したというか察してたのかっていう。
あの辺のマクロの視点とミクロの視点というか。
ミクロの視点としてはその個人的なねその野爆がヨレンタどうこうみたいな。
それってやっぱ大きいんですよパーソナルな視点としては。
それは歴史的な視点としては取るに足らないことというか。
そこの描き方がすごいなというか。
歴史的にはもう本当。
歴史的にはだって。
何も残らない。
そうそうそうそうそうそう。
話ですからね。
あれってそうなんですよあの地っていう物語って残らないものじゃないですか。
最終的に歴史の登場人物じゃなかったなって話じゃないですか。
誰も彼もが。
最後のその4部の主人公にちょっとしたハテナを抱かせるものでしかなかったんですよ。
でもそれが大きいんですよっていう。
それがねなんかすごい。
何ていうかな。
すごいですね。
歴史の登場人物じゃないっていうあのセリフも結構。
あのセリフすごいじゃないですか。
すごいですよね。
ちょっとメタ的な要素を含みつつみたいな。
すごいですよねあのセリフ。
それってその人間ってそうだと思うんですよ。
誰も彼も多分歴史の登場人物じゃないんですよ。
ほぼほぼ。
本当ひと握りじゃないですか。
歴史の上澄みに上がる登場人物として上がる名前って。
でもそこに上がらない人にもこれだけのドラマがあったかもしれないし。
人間の人生ってそういうもんなんだよっていうのを見せてるよねっていう。
歴史的な何かになるかもしれないしならないかもしれないんだけど。
ならなかったとしてもそれは無駄なことじゃないんだよっていう。
そうなんですよ。
そこが受け継がれていくんですよっていう。
いやーなかなかね。この3章の終わりがなかなか本当にもう。
なんていうかもうここで終わってもいいぐらいの終わり方してるというか。
で、ドゥラカも刺されて最後ね。
そうなんですよね。
これ死ぬなーみたいな感じ。
本当に死ぬんだみたいな感じ。
生き残りそうな感じあったけどね。
生き残りそうなんだけどやっぱ死ぬんだみたいな。
死ぬかーと思ったなー。
でも最後の朝日をどう見たのかっていう。
そこはねー。
すごいっすよね。
そこで見た空がさ、歴代の主人公の見た空とどう違ってどう同じだったかっていうのを表してるじゃないですか。
なんかすごいね。重みがどんどん増してってんだよね。
なんだかんだそのドゥラカが継いだ情報なりなんなりがものすごく受け継がれて、
それがなんか扇動説を覆すものになっていくっていう。
ここに至ってもなんかそういうものを抱いてたんですよ僕は。
はいはい。もうそうですよね。
でもそれですらないんだみたいな。
最終的に受け継がれたのって、地球の運動についてっていうこの一説だけでしょ。
そこでフィクションとノンフィクションの掛け渡しをしたかったんだろうなっていう。
そうなんですよね。
ラファウがあそこで出てくるっていうのはそれだなっていう。
そこでラファウが出てくることで、これまでの第3章までの掛け渡しもするし、
あとまぁなんか不思議な感じを出したかったんだろうなみたいな。
フィクションとノンフィクションがちょっとねじれた関係にあるよみたいな。
そう、だから出てきたことであえてやっぱこれは別物なんだなっていうことをはっきり分からせる意味もあるし、
繋がりも感じるみたいな。だからすごい使い方ですよね。
ここで出てくるはずのないラファウが、しかもちょっと年齢とかもずれてるような設定のラファウが出てくることで、
明らかにじゃあここで世界が変わってんだっていうのははっきり分かる上で、
でもやっぱラファウが出てくることで繋がりっていうのもめちゃくちゃ意識しちゃうわけで。
すごい使い方だなと思いました。
やっぱりこの血という物語においてラファウって最初の殉教者だと思うんですよ。
で、あの人の思想とか考え方って、ちょっとなんか正義になっちゃったと思うんですよね。この物語を見て。
体になっちゃってて、命を賭してこの思想を時代に受け継いでいくっていうのは、それって正しいことじゃんみたいな。
それって本当にそうですかみたいな。ある意味ラファウの正義を相対化したっていうのが、
ここでもう一回ラファウを出して、ここにおいて多分正義じゃないと思うんですよ。
その科学とか明石さの危険性みたいなものを担っているのがここのラファウだと思うんですよ。
やっぱぶっ殺しちゃうじゃないですか。自分の正しさを証明するためにみたいな。
それは何か科学の危険性みたいなものを表現しててみたいな。
ラファウって絶対的に正しい思想じゃないですよっていうのをここでもう一回見せるみたいな。
ラファウの再登場っていうのは、さっきひげくんが言ってたマルチバースとかパラレルワールド的な説もあるけど、
もうちょっと哲学寄りな説も僕は見て、
ニーチェの英語回帰っていう。
人は永遠に同じことを繰り返すみたいな。
そういうのを表してるんじゃないかみたいなやつも見て。
全く同じような人がまた現れるみたいな。
それをラファウを登場させることによって英語回帰っていうのを出して、
それはニーチェである。ニーチェは神は死んだって言ってて、有名な言葉として。
で、それはイコールその地動説、天動説と地動説の話に繋がってるんじゃないかみたいな。
そういうのを見て、なるほどな、それもわかるなみたいな。
すごく深いですね、いろいろ。
やっぱ最後出てくるラファウは怪物っていうか、怪獣怪物的な感じですよね。
存在的になんか。
結局、すんなり終わっちゃうとラファウの思想が正義になっちゃうじゃないですかみたいな。
そうじゃないよねっていうのも見せたと思うんですよ、最後で。
科学的であることの危険性というか。
それってやっぱり疑いながら進めというか、作中でも言ってましたけど、
両方の視点がないとダメじゃないっていう。
そういうのをここに至って最後にもう1回見せてきたんだなっていうのは思いましたね。
あの人が最後やったことって多分正しくないと思うんですよ。
正しいか正しくないか判断できないんですよ、あれって。
そういうのをもう1回見せることによって今までの価値観を相対化するというかね。
常に疑えと。常に疑いながら進めという人類への系譜というかなんかそういうものを感じましたね。
結局この地位は信念の強さみたいなところですごく人々が動いていくと思うんですけど、
そこがラファウは最初その信念によって自ら死んで、最後はその信念で人を殺すっていう。
その対比みたいな感じですよね。それを同じ人で描いてるというか。
そこですごく深みを持たせてるというか、いろんなある種の疑問を投げかけてるというか。
そういう遠間構造というかね。そういう面もありますよね。
どっちにもなり得るよというか。
そうそうそうそう。
であるならば考えろと。考えろということなんでしょ。
結局ね。
お前が考えろっていうことだと思うんですよ。多分。
何かを妄信すると多分間違えるよというか。
なんかそういう、それをなんかずっと投げかけてるアニメであり漫画んじゃないかなって。
ひたすら迷えっていう話なんだと思うんですよ。ヨレンタさんのあれもあったじゃないですか。
迷えと。ひたすら迷った中で何かを掴み取れっていう。
なんかそういう話なのかなって思うんですよね。
Think for yourselfってことですね。
いやマジそれ。マジそれ。
やっぱそれだよね。
ほんとそうなんだよ。
いや俺、字を見てて何を思ったかってほんとそれなんですよ。
Think for yourself question authorityなんですよ。
トゥールのメッセージなんですよ。
自分で考えろと。権威を疑えっていう。
いやほんと多分それが重要なんだなっていう。
常に考えろっていうことだと思うんですよね。
お前がお前の価値観で考えろっていうか。
それがどこにたどり着こうとも、あなたの価値観で考えたものであれば尊いと思うしっていう。
そういうある意味の人間参加だと思うんですよ。
ちゃんと考えた上でたどり着いた結論ならばそれは正しいみたいな。
そういうものを後押ししてる。背中を押してくれてる作品だなと思うんですよね。
何も考えずに流されるのが一番悪だなっていう。
常に考えようぜっていう。それが人間に与えられた権利であり自由なんだろうなっていう。
そういうのを感じた作品ですね。
深い。いろいろ。
深いっすね。
でも多分みんなそれを感じるから感動するんでしょう。この漫画の。
だからこそみんな話題にするし、いろんな考察も出るし、みたいなところは。
本当にみんなthink for yourselfした結果だと思うんで。
考えて悩んで進んでいくからこそ尊いんだよな人間はっていう。
それは人間にしかできない特権なんだよなっていう。
そうですね。
すごい壮大な作品でしたが。
地球の運動について。
どうですか。もういい時間なんで。
そろそろまとめて終われればなって感じですけど。
いかがですか。ひできさん。
素晴らしいものを生み出していただいて。
宇斗さんありがとうございますっていうことかなと思いますね。
漫画原作の時点で表現されてるところだと思いますし。
それを映像化するにあたって。
そうですね。
映像に。
本当にオープニング曲とかエンディング曲とかすごい思い出深いっていうか印象的だし。
やっぱアニメになるって、それはそれですごい良いことだなっていうのも思いましたね。
漫画も改めて。後から見てますけど。
アニメ化されることによってバズるじゃないですかっていうか。
最近特にそうだもんね。やっぱり。
鬼滅も進撃もそうだし。
最近の作品ってやっぱアニメ化されることによってすごい広がるよねっていうのはあるんですよね。
広がるところやっぱありますね。
バズり的な広がりもあるし作品的なところでも豊かになるというか。
それって原作漫画の持ってるエッセンスを誤らずに表現できるアニメ。
それを誤らずにアニメーションできてるじゃないですか。
そこがやっぱアニメーションスタジオとか監督さんのとかアニメーターさんのやっぱり最近の人たちすごいなみたいな。
っていうのも感じるし。
やっぱ愛みたいなっていうか情熱というか愛というか。
ちゃんと愛があるよねっていうのは。
ありますね。すごい感じますね。
原作が表現しようとするものをちゃんと最大化しようとしてますよね。
アニメでっていう。
本当に本当に本当にそうですね。
やっぱアニメーターさんの力もそうだし、声優さんの力もそうだし。
すごいなっていう。
すごいと思いました。ありがとうって感じでしたね。本当に。
次は僕が。
でもたくやさんは一番新鮮なあれじゃないですか。
触れた感想としては。
今朝見終わった。
そうですね。おやおやのあれですけど。
やっぱり主人公が次々に変わっていく構造っていうのがすごく興味深かったし。
そこの変わっていきつつ思想なり色々知識的なものも人なり時代を越えて生き続けるっていうところの。
そこがやっぱ面白いなっていうのは思いました。
それってすごいなんかいろんなものに当てはまるなっていうのはやっぱ思って。
例えばロックも本当そうだなって。
ロックの歴史も。
なんかあのバンドがあの時代にやろうとしてたものを次の世代のこのバンドが受け継いで。
なんか要素を引き継いでやってるなみたいなそういうのもあったりするんで。
そういうのはねスピリット的なところもそうだし。
そういうところに重ねてみるのも面白いなっていう。
感動が受け継がれていくっていうところね。
そうそう。
メイタンっていうのもねちょっとロック的だし。
感動的。