1. 名盤ラジオ
  2. #76-2 なぜ今もリアル?『クリ..
2025-05-20 1:07:41

#76-2 なぜ今もリアル?『クリムゾン・キングの宮殿』~過去のものにするべきだった…現代にも通じる世界観とは?

キング・クリムゾン『クリムゾン・キングの宮殿』特集②!2曲目「風に語りて」以降を語る!なぜこのアルバムは過去に葬られるべきだったのか?今こそリアルに響く世界観とは?※前回まではこちら名盤『クリムゾン・キングの宮殿』特集!衝撃の「21世紀の精神異常者」を語る!【名盤ラジオ #76-1】『The Court of the Crimson King』King Crimson1. 21st Century Schizoid Man 2. I Talk to the Wind3. Epitaph 4. Moonchild 5. The Court of the Crimson King 《CD&配信情報》●Amazonhttps://amzn.to/4hZkOTo●Spotifyhttps://open.spotify.com/intl-ja/album/75ol9OP8bJaRqzGimpFHDm?si=Oa9OvuVqQniJQrWkUIA7cA●Apple Musichttps://music.apple.com/jp/album/in-the-court-of-the-crimson-king-expanded-edition/918534711--------------------名盤ラジオ、本チャンネルはこちらhttps://www.youtube.com/channel/UCLLmGJNwNe6awEOw-avRFNQ◎名盤ラジオ メンバーシップ◎↓こちらの動画および概要欄にて詳細ご説明しています。https://youtu.be/8cODTrEK29I▼メンバー限定動画はこちらhttps://www.youtube.com/playlist?list=UUMOLLmGJNwNe6awEOw-avRFNQ▼ご参加はこちらからhttps://www.youtube.com/channel/UCLLmGJNwNe6awEOw-avRFNQ/join--------------------◎X(旧Twitter)名盤ラジオ https://twitter.com/meibanradioエヌゾー https://twitter.com/Nineinch7empestヒデキ https://twitter.com/hidekeenanタクヤ https://twitter.com/takuyameiban--------------------■『名盤ラジオ』とは?3人の音楽好きが古今東西あらゆる名盤から1枚をピックアップし、お酒を飲みながら語っていく番組です。※自由気ままなトークです。内容に一部誤りがある可能性がございますので予めご了承ください。

サマリー

ポッドキャストでは、キングクリムゾンのアルバム『クリムゾン・キングの宮殿』の魅力や1960年代のロックの影響について議論されています。音楽的な構造や時代背景が探求され、アルバムの中の楽曲の変化とその意味、さらに後世への影響についても触れられています。このエピソードでは、キング・クリムゾンの楽曲『エピタフ』が分析され、歌詞が現代社会にどのように響くのかが考察されます。また、ロバート・フリップの音楽スタイルや即興演奏が持つ重要性についても論じられています。『クリムゾン・キングの宮殿』において、ロバート・フリップが追求してきた音楽的テーマとその表現が、現代にも共鳴していることが考察されます。過去のテーマが今もリアルに感じられる中、アルバムとしての整合性やバンドの魔法に迫ります。キングクリムゾンの『クリムゾン・キングの宮殿』は、ロック音楽の分野において非常に影響力のある名盤であり、本エピソードではその音楽性や関連するアーティストとのつながりが深く掘り下げられています。

キングクリムゾンの特集
名盤ラジオ、前回からの続き。
名盤ラジオ、キングクリムゾンのクリムゾン・キングの宮殿特集やっております。
タクヤです。今回もよろしくお願いします。
月下だけが残る!
エンゾウと申します。よろしくお願いします。
こんばんは、イデキです。よろしくお願いします。
いやー、キングクリムゾン特集ですよ。
そうですね。
なかなかね、名盤ラジオとしても初めての1960年代という飛び越えた時代をやってますけど。
今、キングクリムゾンを聴きてってやつもいないだろうなと思うんですけど。
逆にね、今だからこそですよ。そうなったら。
今だからこそですね。
このジャケットを突きつけてあるっていう。
ちょうどジョジョの5部のアニメがやってる時とかだったら、これがキングクリムゾンですよ。
ディアボロ繋がりでね、みたいな。
その辺全然わかんないんだよな。
じゃあタク、ジョジョの第5部読んどいてよ。めっちゃキングクリムゾン出てくるから。
いろいろね、ロックのいろいろが出るってのは知ってるって聞いたことあるんだけど。
その中でもラスボスだから、キングクリムゾンは。
なるほどね。
しかもかなりのすごい能力を持って出てくるヤバいやつは。
それが別に音楽的な何かに繋がってるわけではないんで。
そうですね。
名前を使ってるだけなんで。
特に関係はないって。
何も関係ないからね。
曲の変化とアルバムの構造
じゃあ今回は2曲目からですね、アルバムの。
2曲目からやっていきますか。
1曲目がね、21世紀の精神異常者、スキッツオイドマンってことで、
まあもうみんな影響を受けたであろうっていうロックの。
スキッツオイドマンですよ、本当に、あの曲に関しては。
まあそういう曲からの、その1曲目が終わり、からの一転して、
2曲目のI Talk To The Wind、風に語り手っていう放題がついてますけど。
これが2曲目に来るのがすごい良いなと思いますね。
この狂いまくって終わった後で、突然のなんていうか。
ズンってなるよね急に。
平和みたいな。
なんか急に。
急に牧歌的な。
めっちゃなんか田舎の村みたいな感じの、旧世の。
大草原になんか連れてこられたみたいな。
もう中世ヨーロッパの田舎の村のBGMが家に流れてきたかも。
そうだよね。
めっちゃ突然なんかね、平和だなーみたいな感じに。
すごいよね、この。
すごいすごい。楽さというか。
これがもうわかんないんですよ、もう僕は。
これもう統率それでいいんじゃないかなみたいな。はっきり言って。
これは本当にすごい触れ幅というか。
触れ幅ありすぎるじゃないですか。
そうですね。
でもアルバムとしてのなんか、トータライズされた何かというか。
そんなものないんだろうなみたいな。
デビューアルバムだし、やれることを全部詰め込もうという。
ただそれだけなのかなっていう感じがするんですよね。
あえてここでの楽さを表現という。
今となってはロックの晴天みたいになっちゃってますけど。
この時点でやってる人たちからすると、ただ必死でやってただけなんじゃないかなっていう。
できたやつを入れたみたいな。
当時のアルバムの概念っていうのが、
多分変わってきてたとは思うけど、
どこまでそのコンセプトアルバムっていうか、
トータライズして世界観をみたいな感じのが、
どこまであったのかっていうのも多分あるとは思うんですよね。
サージェント・ペッパーズが最初のコンセプトアルバムって言われてますけど、
それまではだって曲を集めたのがアルバムっていう。
そうそうそう。
できた曲を詰め込んで。
サージェント・ペッパーズは何年ぐらいなんだっけ?
67年。
ちょっと前だったね。
なるほど。
だからまあまあ。
まあね。
当時の常識からすると、
どこまでどうっていうのはまあわかんないなって感じですね。
アルバムとしてコンセプトをどこまで持たせてたかって。
別になんかまあまあなかったんじゃねえかなと思うし、
できることを必死でやってただけなのかなって感じもしますよね。
なんかこの脈絡のなさ。
プログレッシブロックってやっぱなんかすごい構築されたものがさ、
コンセプトがあってなんかすごいそれに沿った構築された音があってっていうイメージがあるんですけど、
別にそういうものでもなかったんだろうなっていう当時としては。
後から見るとそう見えるかもしれないけどみたいな感じは思う。
ファンたちがすごいこう考察してた結果。
だからその必死で作り上げてできたものがやっぱすごい完成度が高かったもの。
だからなんかそう見えちゃうけど、
その時点でそれを作ろうと思って作ってたわけじゃないんだろうなっていうのはなんか感じるんですよね。
クリムゾンにしてもそうだしピンクロイドにしてもそうなんですけど。
ただその時点で必死にできることをやろうとしてただけなんじゃないかなっていうのは思う。
持ってるスキルがすごい高いものを持ってたからすごい構築されたものが出来上がっちゃったなっていう。
で、後世の人はそれを見てなんか作り上げていくから、
なんかすごい完成度の高いものが出来上がっていくんですけど、
その時点で表現しようとしてたものはそこまで完成度の高いものをやろうとしてたわけではなくてっていうのは、
改めてこのアルバムを聴いてて感じたところではあるんですよね。
作り込まれたものを作ろうとしてたわけじゃないんじゃないかなっていう。
このアルバムは特にそうですよね。
前回も途中触れてますけど、
メンバー的な貢献度というか力バランス、パワーバランス的なところでも多分そうなんじゃないかなって気がしますけど、
この2曲目以降、あんまりバートフリップっぽい感じないですもんね。
全然出てこないじゃないですか、みたいな。
主導権が。だからこの後多分、イアン・マクドナルドとピート・シンフィールドの世界観でこの後ずっと行くみたいな。
1曲目は多分主導してたんだろうと思うんですけど、バートフリップ。
だからその辺のバンドとしての中のメンバー間のバランスみたいなのも、多分あんま統制取れてなかったんだろうなみたいな。
全然取れてないんじゃないかなっていうのは感じますよね。
まあでもめちゃくちゃね、この後もすごい、キング・クリムゾンの代表曲って言われてるような曲も出てきますけど。
後世への影響と音楽的要素
このアルバムってだからロバートフリップが統制取れてないから、取り切れてないからつきやすいんですよね、多分。
確かに。
なんか入り込む隙があるんですよね、このアルバムって。
だからこそロックの、ロック史上に残る名場になり得たんだと思うんですよね、そこのバランス。
多分意図してないバランスだと思うんですけど、ロバートフリップがこの時点で前傾握れてたらこんな入り込みやすい隙はなかったんだろうなっていう。
そうですね。
で、この後はやっぱりキング・クリムゾンってそうなっていくじゃないですか。なんかわかりにくいなってなっていくじゃないですか。
そうですね。なるほどな。難しいというか面白いもんですね。
そう考えていくと。
バンドと力関係とかいろいろ出過ぎない方がいいとか。
そうそう、たまたまな部分もあるしみたいな。
その統制された、意図された部分にはまってたのが90年代のトゥールとかあの辺なんですよ。
90年代フログレの連中みたいな。レディオヘッド、レディオヘッド、レディオヘッドはピンクフロイド寄りなんだよなと思うんですけど。
キング・クリムゾンに一番寄ってたのはトゥールですよね。
数学的なとか。後のマスロックとか、あの辺の連中もマスロックの起源ってやっぱりキング・クリムゾンじゃないですか。どうですか秀木さん。
でもそうですね。ポリリズム的なことを引き詰め出すと。この後のクリムゾンはやっぱり。
そうそう。この後のクリムゾンはめっちゃそうなっていくじゃないですか。
このアルバムはそういう部分はなんていうか。
そういう部分は薄いんですよ。
だいぶ薄いですもんね。まだまだという感じの。
だからこそ取っつきやすい部分がある。突きがあるんですよね。この部分。このアルバムって。
あんまりこの風に語り手みたいな曲その後ない。あんまないですもんね。
確かに異質。
これ後から全体見ると異質ですよね。
キング・クリムゾンのキャリアからするとすげえ異質なんですよ。なんかこんなフォークソングみたいな。
そこがやっぱり取っつきやすい好きになってる。で、このアルバムは聴きやすいっていうね。
でもほんとこの曲とかは普通に聴けますよね。ちょっとくつろぐときに。
まあトイレソングトイレしてもいいと思うし。
まあでも正直そうですね。それぐらい環境音楽というか。
リラックスしてますよね。
さっきまで暑かったやつをほてった体を溜ますみたいなね。ちょっと落ち着こうかみたいな。
まあちょっと疲れたでしょうから。ちょっとゆっくりしてってくださいっていう。
そうだね。
なんかね、さっきまではなんか1たす1は2だな。
36かける52はなんだみたいな。数学の問題を解いてて。
暑くなった頭をちょっとお茶でも飲もうかみたいな。
ほんとにティータイム。
ティータイムはグリーンティーでも飲みましょうみたいな。
プログレッシブロックってそこの温度差が激しいっていうか、量極端ですよね。
休憩を挟まないとやってらんないじゃないですか。やってる側も聴く側もというか。
いろいろね。緩急だね。長いのを前提にしてるっていうところはありますか?
なんかロックが進化する過程というか。
なんかそういうのを感じますね。その黎明期においてロックがいろんな要素を取り込んでいく中で、
じゃあどっちに行くんですかみたいな。数学的な方へ。文系と理系の分かれ道なんですよ。
リンクフロイドってもう完全に文系のバンドなんですよねみたいな。
クリムゾンは完全に理系のバンドなんだけど、この時点ではちょっと分かたれてるよねみたいな。
ロバートフリップは理系なんですよ完全に。
他のメンバーがちょっと文系によってんですよみたいな。
だってバリバリ文系の作詞家がいますからね。
でしょ?足が切るのがさ。あいつだよ。あいつがよってんですよ文系に。
確かにそういう作詞自体の文系がね。
ロバートフリップ自体もその文系的な感性を否定しているわけじゃなくて、
この後のクリムゾンのアルバムって必ず序章的な曲って1曲あるんですよ。
それってロバートフリップって多分欠かせてるよねって。
自分はできないんだけどそういう曲やっぱ好きだしやってほしいみたいなやりたいっていうのがあって、
それをメンバーに欠かせてるよっていうのが連綿と続いていくんですよ。クリムゾンって。
なんかそこに引き裂かれてるよねっていう。
クリムゾンの面白いところかな。
都心フィールドの文系の人をメンバーに入れてたっていうところの逆でもう突き詰めてって、
数学者をメンバーに加えてもらいたいですね。
計算しまくってる。緻密にめちゃくちゃ複雑だけど。
でも主導権に言うってのはロバートフリップじゃないですか。
ロバートフリップって9割数学的な感性なんだけど、1割文学的な助長性持ってるんですよあの人は。
どうしてもそこは捨てきれないんですよ。
100%数学的なマスロック的なところには寄れないんですよ。ロバートフリップって。
だから数学者メンバーにいると喧嘩しちゃうかもしれない。
100%の人を逆に。
100%の人を逆に行くと、もっとやって欲しいんですよ感情的なものをって言い出すんですよロバートフリップって。
揺らぎみたいなのが欲しくなる。
揺らいで欲しいんですよって言い出すんですよ。
言い出す。揺らいで欲しいって言い出す。
揺らがないよってロバートフリップでめちゃくちゃめんどくさいと思うよ。
なんかそんなイメージはありますよね。
僕は揺らぎたくないんですよ。100%ね、理論でいきたいんですよと。
でもそのちょっと揺らいでるそこの魅力はやっぱり認めてるんですよロバートフリップって。
100%全部自分がコントロールって理系で、1たす1は2の世界でやって。
とにかく1たす1は2の世界でやると嫌なんですよ、あの人って。
揺らいでくれよって。
めんどくせーなー。
でもその揺らぐ要素は自分じゃないんですよね。
なるほど。だからね、異物を取り込んで取り込む。
そうなんですよ。異物を取り込んで、それがキングクリムソンという。
うわー。
表現になるんですよ。
生き物だなー。
生き物なんですよ。でそれに感銘を受けたのがトゥールとか、あの辺なんですよ。
すごい数学的な要素を持っていながら生き物なんだよねっていう。
メイナードとかだいぶ生き物感。
メイナードは完全にちょっと生き物じゃないですか。
異物を取り込んだ感がすごいありますね。
キング・クリムゾンの音楽的特徴
アダム・ジョーンズは多分ロバート・フリップにすごい共感する人なんですよ。
あー、確かに確かに。
絶対そこは気になるんでしょうね。
メイナードってちょっと異物なんですよ。
ロバート・フリップにしてもアダム・ジョーンズにしても異物なんですよ、あいつは。
でもその異要素が重要なんですよね。
それが入ってくることが、自分のこの完璧に構築された世界に計算できない異物が入ってくるのがいいんですよっていう。
それがうまくいってるのがトゥールっていうバンドなんですね。
やっぱそこにすごい惹かれるところはありますからね。
めちゃくちゃもうね、想像で語ってますけどね。
そうっすね。
勝手にそうだろうと思って。
この辺でもクリムゾーンめちゃくちゃ詳しい人からどう思ったのかって教えてほしいですよね、もし聞いてたら。
全然違うなのか、いやめっちゃ合ってるよとか。
そうそうそう、そんな感じなのか。
エコノミストとかもメンバーに入れてほしいな、行くところまで行って。
結構ロバート・フリップはさ、近い人はあんまり受け入れなそうな感じはあるけどね。
そこは俺の領域だみたいな。
そうそうそうそう。
それはなるほど、確かにあるかもしれない。
そこでバチバチしちゃいそうじゃん。
リズムセクションでそういう人入れるんですよ、あいつって。
リズムセクションで多分自分と同じタイプ入れるんですよ。
リズム全く跳ねなくて、ジャストなベーシストとドラマ入れるんですよ。
でもギタリストにはちょっと感覚的な人求めるんですよ。
エイドリアンブリュー入れるじゃないですか、クリムゾンって。
エイドリアンブリューってものすごい、両方持ってるんですよ。
数学的な要素も持ってるし、そういうリズム感も持ってるんだけど、
それとはちょっとぶっ飛んじゃった、なんかもうなんかイカれちゃった音感覚持ってるんですよ、この人って。
ケビンシールズ的な、なんだこのスギゾウ的な。
スギゾウがエイドリアンブリュー好きなんだよな、多分っていう。
別荘の人を徴用してたっていうのはなんかわかるよねっていう。
感覚的なスタイルの人を。
いやー、なかなかいろいろね、ありますけど。
風に語り手、牧歌的なバラード。
これあれですよね、ちょっとピンクフロイトっぽいですよね、この曲とか。
まあまあそうですね、文系寄り。
文系寄りですよ、この時代の。
やっぱプログレッシブロックの二大巨頭といえばフロイドとクリプトンですから。
ピンクフロイドはすごい感覚的な文学的なバンドで、キングクリムゾンはなんか理事的な数学的なバンドでっていう。
捉え方されがちですけど、やっぱクリムゾンもそういう文学性みたいなのも読めてたというか、
そういう感覚的なものはやっぱ持ってたんだろうなっていう感じがしますよね。
で、3曲目がエピタフ。
これもかなりね、代表曲というか有名な曲ですけど。
すーごい総本な出だしで。
うわーみたいな。
エピタフの分析
ティンパニーみたいな音がね、ドクドクドクドクドクドクドクって。
これはすごいのが始まったぞ。
ドクドクドクドクドク。
大げさな始まりをしますけど。
これもなんか一つの方向性としてのやっぱインパクトじゃないですか。
21st Suicide Manのイントロとは別ベクトルのインパクトっていうか。
オーケストラ風の。
オーケストラ風の。ロックバンドがこういうことをやっちゃうんだみたいな。
それをやったバンドって今までいなかったねみたいな。
こんな壮大なものをやってしまうんだっていう。
そう考えるとすごいっすよね。
ジャズを取り込み、オーケストラを取り込み、クラシックを取り込み。
これもまあね、やっぱ、Confusion will be my epitaphっていう。
混乱こそ我が母姫ですか。
そういうフレーズがね、すごい有名というか。
自分のお墓の石に混乱って書く。
直訳するとね、そういう感じですけど。
詩の全体が、これは本当多分当時の冷戦とかを反映させたような歌詞だったりすると思うんで。
そういうなんか、人類の終末思想っていうか、なんか核戦争とか。
そういう、そのフレーズとしてはね、my epitaphだけど。
たぶんそのmyっていうのが、一人の私だけじゃなくてそういう人類のとかっていう風にも取ることもできるんだろうなみたいな解釈としては。
すごいいろんな深い意味があるんだろうなっていう曲だし。
これはなかなかすごいよね。やっぱ今聴いても本当にすごい刺さる歌詞というか。
歌詞、作詞メンバーが仕事してますね。
ここら辺は本領発揮じゃないですか。
これのconfusion with my epitaphみたいなところの演奏とか結構すごいなと思うんですよね。斬新だなっていうか。
ドラムとかも地味なんだけどね、絶対思いつかないなみたいな感じのフレーズなんですよね。
なんていうか、こんなんありなんだみたいな感じの崩し方っていうか、大胆なことしてるなっていうのがあって。
すごい自由なんですよね。
マイケル・ジャイルズだっけ?ドラムは。
マイケル・ジャイルズだよね。
マイケル・ジャイルズのセンスなのか。
マイケル・ジャイルズ、自由だなみたいな。
自由だなと思いますね、相当。
なのか、指示があってなのか、もしくは自由にやっていいよっていうことで言われてるのか、勝手にやっちゃってるのかちょっと分からないんだけど。
すごい、やりたい放題だなって思うことが結構いっぱいいるんですよね。
多分、自由にやってっていうことだったと思うんですよね、きっと。指示でこういうふうにやってっていうのでは出てこないだろうなっていう。
そこは限界あるよね。
そういう細かく指示されてこういうフレーズにしてるっていうのは絶対限界あると思うから、
そうすると、思うままやっちゃっていいよっていうことなのかもなぁとは思うんですけどね。
だからなのか、すごい斬新なのばっかりで、聴きどころめっちゃ多いですね。
なんか、すごい静かな曲なわりにさ、なんか、タカタカタカタカタカタカタカタカタカタカみたいななんか、
すごい無理矢理詰め込んできてるのがあったりしたと思えば、全然叩かないみたいな音してる。
なかなか面白いですね。
演奏さん的にはエピタフどうですか?
単純にすごい良い曲だなっていうか、すごい序章的だし、なんだろうなぁ。
コンフュージョン・ウィルミン・エピタフっていうフレーズも相まって、
一種の公式じゃないかなっていうか、一つの式を表しちゃった曲なんじゃないかなっていう感じがするんですよ。
これって90年代的なテーマに沿ってる曲だと思うし、
90年代、世紀末、2000年、新世紀に向かっていくっていう、すごい混沌が深まっていくっていう、
そこに当てはめても通用しちゃうじゃないですか、このフレーズって。
じゃあ今の時代、2020年代に当てはめても通用しちゃうよね、この式ってみたいな感じがするんですよ。
即興演奏の重要性
しますね。
どんどん本命が深まっていくよねっていうか、それを式として表してしまった一フレーズがここなのかなっていう。
なるほど。
人類の進む、歩む、即席を公式として表してしまった一フレーズがここで鳴らされてしまってるのかなって感じするんですよ。
そういう普遍的なものが。
常にカオスが深まっていくよねみたいな。
人間社会ってそういうものなのかなみたいな。
それがもうこの60年代の時点で示されてしまってるっていう感じがする。
それがなんか普遍的ですよね。
世の中を表してた。
それってなんか人類というか人間存在の本質をついてるのかなっていう感じがするんですよね。
ずっとそれはもう。
ずーっとなんかカオスに突き進んじゃうんじゃないですかみたいな。
それはもう我々は切り離せないというか、そこに逃れられないループが。
なんかエントロピー増えていきますよねみたいな。
それがやっぱこの宇宙の、この世界の法則なんですよねみたいなのをこの時点で示してしまった。
さすがやっぱり。
形として表してしまった一説なのかなっていう。
すごいですね。未来を見るっていうことはまさにピタ風のスタンド能力じゃないですか。
その辺はやっぱ関連してるのかもね。
ちゃんと関連してるのかも。すごい。
深い、深いね。
深いね。
すごいですね。歌詞でこんな結構語ってるの久しぶりな感じというか。
音というより歌詞が結構っていうのがなかなか。
それがなんかこの序章的なというかちょっとヘビーなバラード調の曲じゃないですか。
それに乗せて歌われるっていうのがすごくずっしっとくるなと。
今の時代においてもずっしっとくるなっていう。
それってちゃんと受け止めなきゃいけないんじゃないかなみたいな。
60年代でもそれが歌われてて、2020年代でもそれってリアルに響くじゃないですか。
それってちゃんと受け止めた方が良くないですかみたいなのはちょっと感じるかな。
そうですね。
この曲をね、西条秀樹がカバーしてると。
これ秀樹くんがカバーしてると。
これかー。
これはね、前回ちょっと触れた秀樹に神が降りたっていう見出しになってる記事。
それは多分、西条秀樹がこの曲をカバーしてライブでやったっていうのに、
ちなんだ見出しというか。
いい曲をカバーしてるじゃないか。
実際にそのカバーしたやつの音聞いたんですけど、めちゃめちゃかっこよかったですよ。
そうなんだよ。
ぜひね、聴いてほしい。
西条秀樹ってこんなボーカリストだったの?みたいな風に思う人も多いんじゃないかなって。
西条秀樹ってすごいアイドル的な見られ方するけど、
いや全然そうじゃないよというか、ロックスターというかロックアーティストなんですよね。
あの時代において、時代のリアル性を体現した、日本でそれを体現したアーティストなんですよ。
あの人って。西条秀樹ってすげーことやってるよ、あの時代で。
ちゃんと見直した方が良くないですか?みたいなのはちょっと感じるよね。
なんかアイドルとして見ちゃうじゃないですか。
やっぱり一般的なイメージとしてそうだし、そう思ってましたね。
でもなんかそうじゃないというか、ロックアーティストとしてすごい本質をついたことやってたよねっていう。
なんかちゃんと見直した方が良くないですか?っていうのは感じるよね。
えー、ちょっと聞いてみようこれ。
ぜひね。
エピタフをカバーしてたってすごいな。
めっちゃかっこよかったよ、聞いたけど。
エピタフをカバーはすごいよ。
そういうなんかちょっと難しい、小難しいものと、大衆性みたいなものと、両方ちゃんとやってた人だよね、っていう西条秀樹って。
秀樹くんって。
秀樹くんやるじゃねーか。
秀樹くんって。
秀樹くんやるなー。
そうなんすよ、だから。
そこはね、ぜひちょっと調べて聞いてみてほしいなっていう感じですね。
まあちょっと曲先に進みますが。
はいはい。
その次の4曲目がムーン・チャイルドですね。
アルバムのB面に入っていくっていうことですかね。
そうですね。
まあこれも引き続きかなり同様みたいなバラードですからね。
まあその分数めちゃくちゃ長いですけど、実際曲としては2分半ぐらいで終わってますからね。
実質そうですね。
10分近くは即興的な要因が。
即興か後ですよね。
この曲がロバート・フリップの音楽性を語る上では重要だと思うんですよ、これ。
キング・クリムソンってね、集団即興みたいな部分って必ずやるんですよ。
なるほど。
それってロバート・フリップの音楽的な追求したいテーマだったと思うんですけど、
集団即興、もう完全即興ですよね。
それをこんななんか序章的な、いい曲じゃないですか。
ぼっか的なというか、それで途中で突然入ってくるじゃないですか。
途中からいきなり集団即興になっちゃうじゃないですか。
そうですね。
なるほどなるほど。
これがロバート・フリップの音楽性なんですよ、みたいな。
確かにこの曲にそれを組み込んできますかっていうところは。
絶対やるんですよ、キング・クリムソンって。
集団即興っていう、じゃあもうフリーで、おのおのフリーでやってくださいみたいな。
すごい構築されたこともやるんですけど、
じゃあもう個人個人フリーで、はいどうぞ、はい自由にやってくださいっていうのもやるんですよ、クリムソンって。
それがロバート・フリップのやりたいことなんですよね。
なるほど。
じゃあそれがどこに行くんですかと。
おのおのじゃあ勝手にやってくださいって言って、それがどこに行くんですか。
ロバート・フリップの音楽的テーマ
どういう面白い音楽ができるんですかっていうのがロバート・フリップの音楽的にテーマの一つなんですよ。
これ生涯かけて追求してるんですよ、ロバート・フリップって。
なるほど。
ずっとやってるんだよね、これって。
10分ぐらいね、それが。
10分ぐらい、もう聴く方としてはもう退屈なんですよね。
まだわかんないじゃないですか。
楽器やってるやつとか、音楽に携わっている人からすると面白いかもしれないんだけど、
一般的なポピュラーミュージックを聴きたい人にはつまらなくないですかみたいな。
まあ飛ばすでしょうね。
なんかよくわかんないなあ。
謎だって謎ですよ、完全に。
それをやっちゃうんだよねみたいな。
やらずにはいられないんですよ。
それが一番やりたいことなんですよ、たぶんロバート・フリップって。
この辺でいろいろ垣間見えるなあ、当時のメンバー間のバチバチが。
俺はこれがやりたいっていうのと、いやいやいやみたいな。
もっと来いよみたいなさ。
いやこれはポピュラーミュージックとして成立してるじゃないかみたいな。
いやこれやってもどうなんだみたいな、面白くなくないですかみたいな。
いや俺はそれが見てるんだよみたいなさ。
ロバート・フリップはそういうところの可能性を追求したいアーティストで、
もっと来いよ、もっと来いよっていう人だと思うんですよね。
ミュージシャンシップをもっと出して来いよみたいな。
それをポピュラーミュージックのフォーマット上でやってしまうと、
それはどうなんですかみたいな。
面白いんですがこれ面白くなくないですかみたいな。
そこが垣間見えるというか、
そういうのは個人的には感じる部分かなっていう。
こんなに良い曲というか、序章的な素晴らしいバラードじゃないですか。
ここでこんな即興的なものを入れてきてしまうっていうのは、
個人的な感覚としては分からないなというところですね。
いや本当に。
でもだからこそそれをやりたかったんだろうなぁと思うし。
そこにあえてくっつけてきてるっていうのはなかなか多いな。
別にやらなくて良くないって思っちゃうんですよ。
確かに前半の部分単体でやっとけばそれはそれで。
そうそう。あそこで終わっとけば良くない?みたいな思うんですけど。
必ずこれがくっついてくる。
これがくっついてくる。そこがすごいよなっていうこの時代のロックみたいな。
強制的にこれをくっつけてくる。
なんかロバートフリップの意地を感じますね。
10分近くそれが入ってて、
それが終わって最後。
フォート・オブ・クリムゾン・キング。クリムゾン・キングの宮殿ということで。
タイトル曲みたいなもんじゃない?
これもなかなか大作。
いやーこれもね、このよく分からない時間をだいぶ過ごして。
たどり着いたみたいなね。
送りしたいと我慢して我慢してたどり着いた先にこれが。
でもやっぱり今ちょっと感じたけど、
やっぱアルバムとして捉えてるんでしょうね。この時代のアーティスト。
やっぱ最後にこれを持ってくるっていう。
アルバムとして1曲としてっていう感覚なのかなっていうのは。
1曲ずつ見るとちょっと分かんないじゃないですか。
なんでこんな曲にそういうパートが入ってくるのっていう。
アルバムの意義
アルバムとして見ると整合性取れてるよねっていうか。
よく直接会って、あーだこうだったけど、
コート・オブ・ザ・クリムソン・キングで丸く収まるというか。
じゃーんじゃーんじゃーんじゃーんじゃーん。
10分間の謎の即興演奏をされた。
それがあることによってこの入りですごい、
うわきたーってなるんですよね。
大団円的な感じの。
結構必要な場というか。
曲としてもやっぱ素晴らしい曲だと思うし、
この曲がこのアルバムのラストに来ることによって、
アルバムとしてどっちらかってだけど、
終わり良ければ全て良しじゃないですけど、
これが最後にあることによって、
なんか腑に落ちるなって感じするじゃないですか。
そうですね。
あー良かったなーみたいな感じするじゃないですか。
途中意味わからなかったりなんだりしたけど、
あー良かったなーみたいな。
なんかいろいろあったけど。
いろいろあったけど。
最後は大団円だなーみたいな。
ただ最初のこの沈黙を破る、
ダッダッダッダ、ダーンっていうのを、
そのイントロに結構そこがアルバムの中でも
だいぶハイライトの嘛そんなるなーって感じはしますね。
そうだからそのイントロのところもまた
ギターがチャーッチャーッチャーって弾いてて。
なんかそれも結構好きですね。
これもだいぶ対極ですからね。
対極なんだけど構成としてはなんかすげーシンプルなんだよね、これ。
シンプル、そう。歌の部分がシンプルだけどその合間になんか感想が、違う感想が挟まってるみたいな感じですよね。
歌の部分のパターンがそんな多いわけじゃないっていう。
歌の部分、たぶん2パターンぐらいしかないですよね。
そうですね。
てれららら らららららら らら らー
うん と
in a court of crimson kin
ジャンジャーン
オー
オオー
この2パターンしかないみたいな
そうですね
間奏でいろいろ挟まってるんですよね
うーん
ピーピーピーピーピーピーピーピー
なんかヒヨコの親子が
ヒヨコの
ヒヨコ
ヒヨコがなんかちょこちょこ歩いて
ピヨーピヨーピヨーみたいな
ピヨーピヨーピヨー
ピヨーピヨーピヨーってなるじゃないですか
途中
なんかヒヨコが歩いてるなぁみたいな。
あのピョピョピョピョってやってるあたりとかも、ドラムもなんか、タカタカタカタカタカみたいな、カンカンカンカンってすごい。
やりたい放題もやってるなっていう。
ドラムは割と収支すごいですよね。
ドラム結構、Aメロの裏とかも結構すごくない?
やってんなぁって感じするよね!やってんなぁですよこれもう本当に。
なんかこんな自由にやっていいんだみたいなもの。
この辺も本当に。
突っかけるのか行くのかはっきり知れない。
なんかそれありますよね。
ちょっとね、突っかかり気味なんですね。
突っかかりでなんか急になられ込むじゃないか、みたいな。
そう、いやー確かに。
ちょっと突っかかるのか、突っかかんないのか、みたいな。
そこめっちゃ特徴的ですね。
いやー、この人すごいなぁ。
そこのリズムの面白さに反応してるのが、やっぱり後の時代のトゥールとか、バーズウォルタとか、あの辺のバンドだと思うんですよ。
確かになんか、粒が細かい感じの。
バーズウォルタとかはもう、めっちゃボロい。
あの辺って聞くと、クリムゾンキングじゃないかってなるじゃないですか。
それを現代風にアップデートした。
そうそう、アップデートした音じゃないですか、あれって。
レッドとかも。
レッドはもうさ、スターレスとかも、グランジオルタナティブってあれじゃないですか、みたいな。
バーズウォルタもスターレス聞くと、すごいバーズウォルタ思い出すんですよ。
スターレス&バイブルバックだよね、みたいな。
縫製された音とその感覚と、なんだろうな、エモーショナルに。
縫製しきれないエモーショナルな部分っていうのを、同時にそれを表現してしまったのかっていうのがキングクリムゾンなのかな。
クリムゾンキングの宮殿ってこのアルバムがそれなのかなっていう感じはするかな。
これはでも本当に途中話も出てますけど、やっぱロバート・フリップっていう、後の歴史でいくともう絶対的なキングクリムゾンの中心人物が、
この当時はそこまで統制できてないっていうところがこのアルバムの特徴でもあって、
それが結果的にかなり聞きやすいことになっているっていう、特にこの2曲目以降のところ。
それはやっぱこのアルバムはそういうものだなっていう。
現代との関係性
その代わりにメンバーでいうと、イアン・マクドナルド、ピート・シンフィールド。
この辺の世界観がすごい出てるんだろうなっていうところで、アルバムとしてなっているのかなっていう。
これがバンドマジックっていうものですね。
そうそう、バンドマジックが一番あるアルバムなんじゃない?キングクリムゾンの中で。
これ以降もやっぱロバート・フリップが支配しちゃうからみたいな。
バンドマジック的なところはちょっと。
バンドマジックでいうとやっぱロバート・フリップが支配しきれてない。若いからねっていう。
そこの面白さが一番出てるのがこのアルバムだよなーっていうのは感じますよね。
確かに確かに。なかなか面白いですね。こう見てくと。
面白いですね。
これがロックの名盤として1969年に出てるわけですけど。
ロックの黎明期だと思うんですけど、そこに出たアルバムが今まさにこの2020年代に鳴らされてても何か違和感がないというか、
音的な斬新さもあると思うし、そこで語られているテーマってもう現代的じゃないですか。
今まさにトランプ政権でロシアとかウクライナとかイスラエルのなんだかんだとか、どんどん混迷深まってるじゃないですかみたいな。
それって何にも変わってねえんだなみたいな。
むしろこの数年でよりリアルになってる気もしますね。
そう、よりリアルになっちゃったよねっていう。
本当それはすごい感じますよね。
60年代70年代で鳴らされてた音楽でそこで語られてたテーマが今まさにリアルになっちゃってるっていう。
なんか何も進歩してねえなーみたいな。
あっかしちゃってるなーみたいな。
それってどうなんだろうなーみたいな。
アーティストが鳴らしてた継承を結局身にできてないなーみたいな。
ステージ的なところが実生活のレベルで結局落とし込めなかったなーみたいなのはちょっと感じちゃいますよねーみたいなのはあるよね。
ずっとなんかその問題意識って今もってリアルじゃないですかってそれってどうなんすかみたいな。
それは過去のものにするべきだったよね人類はみたいな感じはしますけど。
その辺はもう本当エピタフの歌詞だなーって。
それですよね。
エピタフのあの歌詞はもう過去のものにするべきだったんですけど。
そうですよ。
それはできなかったなって。
ひできが歌ったところで過去のものに。
いやーということでね。
インクリムゾン、クリムゾンキングの宮殿取り上げてきましたけど。
どうですか。
すごいなー。
まとめとしては。
そうですねー。
いやーなんかこのアルバムは結構異質なアルバムであり、だからこそ面白いっていうところもあるんだなっていうのを認識しました。
クリムゾンをこれから弾くにあたって勉強になりましたね今日。
やっぱ時代とともに捉えるのが大事かなっていうのは思ってて。
やっぱ1969年にこれが出てて。
この音であり、この世界観、この歌詞であるっていうところもセットでやっぱ捉えて。
いろいろその後のいろんなバンドも含めて歴史をたどってくる面白さかなって思うんですよね。
今の時代にこのわざわざ1960年代の音を聞くっていうところは。
なのでそういう時代とともに捉えるっていうのがこの楽しみ方としてあると思うんで、そういうところを捉えてもらえるといいんじゃないかなって思いますね。
そうですねー。
当時としての表現としてはすごい斬新なものだったと思うんですけど、
それが今の時代において色褪せてないなというか、よりリアルなものとして肉白してしまってるよねっていう。
それはやっぱりすごい優れた芸術表現ってそういうものだよなぁとも思うし、
これってどうなんだみたいなのも思うんですよね。人間の。
これを過去のものとして捉えた方が良くないですかみたいな。
で、今現代この音を聞いて、ここで語られているテーマを聞いて、すごいリアルなものとして感じちゃうんですよ。今の時代に。
これってどうなんだろうみたいなね。
過去のものとして葬り去りたかったよねっていうのが感じるよね。
でもそうはなってないというか、それがやっぱりキングクリムゾンっていうバンドの表現しているものの鋭さというか、
決してそうはならないよねっていう。
そういうスピリットを継いだバンドがやっぱり90年代、2000年代においてアップデートされた音として表現されているっていう。
それもまた我々にはやっぱりリアルなものとして届いているというね。
なんか二重三重に面白いものだと思うし。
ある時代において突出して斬新な表現ってあらゆる時代に通じると思うんですよ。
キングクリムゾンの影響
それを体現しているバンドの一つかなというか。
ビートルズもそうだし、ピンクロイドもそうだし、レッドセプリーもそうだし、そういうバンドの一つですよね、キングクリムゾンも。
まあ本当、名盤だと思うんで、ロック誌においての。
なのでね、名盤ラジオとしても一個ここで取り上げたのは良かったなと思うので、ぜひ聴いてみてほしいですね。
ちょっとでもロックという分野に興味を持ったならば、文学的なテーマにおいてもそうだし、数学的な音楽的な音としても、キングクリムゾンはちょっと通った方が良くないですかみたいな。
すごいことやってるバンドだよねっていうのは。
それが僕らのリアルタイムで好きな音楽のバンドで言えば、やっぱルナシーにも通じるし、ラルカンシールにも通じるし、バクシクにも通じるし、洋楽で言えばトゥールにも通じるし、レディオヘッドにも通じるし、ニルバーナにも通じるしって言っても、通じてるんですよね。
それが連綿と続いて、2000年代のAポップ史においても、サカナクションにも通じてるし、みたいな。そういうものの原点にあるバンドだと思うし、原点にある音だと思うので、それに触れるのは損ではないんじゃないかなというか、
自分の好きなものに対して理解が深まる、解像度が高まるものだと思うので、これはぜひ聴いてほしいなというのは思いますね。
今回はこのキングクリムゾンのファーストのアルバムですけど、この後もいろいろありますから、特にレッドとかそういう代表作となっているアルバムもありますから、そういうのもまたやっていけたらいいなと思いますね。
レッドは割とちょっとクリムゾンキングの宮殿寄りなんですよね。レッドは結構序章的じゃないですか。
ロバートフリップの、多分あの人の音楽性って太陽と旋律とか、あとディスプリンなんですよ。
ディスプリン、この辺の。
わかるな。
待ってくださいだもんね。
待ってくださいって曲のタイトルが待ってくださいだもんね。
やっぱりロバートフリップの音楽性っていうかね、すごいストイックな、異常なんですよあの人の音楽性って。
異常に数学的というか機械的というか無機質的というかね。そういうところもいずれ語る機会があれば。
太陽と旋律めっちゃ好きなんですよね。あれが一番好きかもぐらいな勢いかもしれない。
ちょっと語っておきたい部分としてはね、ロバートフリップの音楽性というかスタイル、ギタリストとしてのスタイルって、まあもう跳ねないんですよ。リズムにジャストなんですよね。
ものすごく原飛びするし、なんかテクニカルな。タッチがものすごく均一なんですよ。
このスタイルってね、ピアニストでグレングールドっていうピアニストいるんですよ。
この人のプレイを聴いていただくと、ロバートフリップのプレイスタイルとめちゃくちゃ近いなっていうか。
グレングールドのピアノを聴いていただきたいんですよ。このキングクリムソンを理解する上で。
グレングールド。なるほど。
これ誰も語ってないんだけど、グレングールドのピアノとロバートフリップのギターってものすごいプレイスタイル近いんですよ。
ものすごい機械的というか。それが相互に影響してるかどうか全くわかんないんですけど、
同時代的な表現としてそういうものがあるというのをちょっと言及しておきたいというか、置いておきたい。
なるほど。ちょっと聞いてみよう。
グレングールドってピアニストってセッションを伸ばして弾くじゃないですか。
グレングールドってめちゃくちゃ猫背で弾くんですよ。猫背で。
でもタッチはものすごく正確で、リズムはジャストで、全く跳ねなくて音の強弱もないんですよ。
機械的なんですよ。めちゃくちゃ。
それがロバートフリップの椅子に座って、ライブでも椅子に座って、タッチの差もないじゃないですか、あの人のギタートーンって。
そこに通じるものがあって、影響があるのかないのかわかんないんですけど、
シンクロニシティというか、同時代的な表現としてそういうものがあったというのは言及しておきたいんですね。
なるほど。
個人的にはそこに面白みを感じてるというか、そういうものを受け継いで90年代でトゥールとかそういう表現に傑出してるんだろうなっていう。
なるほど。
っていうのを一つ置いておきたいなと思いましたので。
なるほど。グレングールド。
グレングールドのピアノを聴いたら、ロバートフリップのギターじゃないかって思うと思うんですよね。
ちょっと興味を持っていただけたならば、ちょっと聴いていただきたいなと思います。
聴いてみます、聴いてみます。
その辺の同時代的ないろんな関連性とか、その後に与えた影響とか、そういうのを見ていくと面白いっていうところで、
今後も銘花城としてはね、そういういろんな楽しみが増えるような、聴き方の幅が広がるようなものをやっていけたらなと思っているところです。
なんかそういう縦軸なり横軸なり、関連づけて、聴いていったらなんか楽しくないですか?みたいな。
ひとつの提案というかね。
表製するものではないんですけど、そういうふうに聴いたら面白いよ、みたいな。
せっかく銘花城を聴いていただけているならば、そういうものを提供しようかなということですね。
こう話していくとね、ちょっとまたキングクリムゾンを聴いてみようかなっていう。
そういう新たな視点で聴いてみようとか、どういう角度からでも音楽に触れるのは面白いことだと思うので、
ひとつでもそういう視点を増やせたらいいなというのが銘花城ですね。
うまくまとめたのかなのか。
ですね。
ということで、またいろいろやっていきたいと思いますが、今回はキングクリムゾン、クリムゾンキングの宮殿特集やってきましたということで。
では最後まで聴いていただきありがとうございました。また次回もよろしくお願いします。
ありがとうございました。
結果だけが残る。
ディアボロ!ディアボロ!
01:07:41

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