アドアでも168万枚。
ギッシュでも100万枚超えてるらしいんで。
これはひどいですね。
ギッシュも100万枚超えてる。
ダイアミストリーム300万枚いってるでしょ。
メロンコリーはアメリカだけでも500万枚とかいってるもんね。
メロンコリーは全世界だと1000万枚ぐらいはいってると思いますよね。
すごいっすね。桁が本当にまさに違う。
中で100万枚。
そんなに落ちるかねって。
落ちちゃう。
この辺の流れが悪かったね。
アドアのところでマシーナ出せたら多分すごい売れたんだと思います。
確かに確かに。
あそこですぐ落ちたよなっていう。
そうですね。
流れが。
今回はセカンドのダイアミストリームですけど、
スマパンは何と言っても来日公演が決まりましたから。
すごいっすね。
そこでね。
来日ラッシュが。
スマパン来い来いって言ってたら来ましたね。
本当に来るんだみたいな。
まだ来てないけど。
みんな一気に来すぎてどうしようっていう感じになるぐらいのラッシュですよね。
でもスマパンは嬉しいですね。
なんかあれでしょ?前はいろいろ事件というか。
なんかね。
あったらしいっていう。
日本のファンはみたいな。
あー。
地蔵?
地蔵。
地蔵事件みたいな。
その事件はあんまり詳しく知らないんですけど、
フェスだったってことなんですか?
ミスチルですよね。
サマソニですよね。
サマソニか。
サマソニなんだ。サマソニにミスチル出てたんですよね。
ミスチルとスマパンが同じステージの前後だったってことですよね。
その話になるってことは。
なるほど。
その前がスマパンだったんだっけ。
なるほど。
ミスチルのファンが最前エリア牛耳っちゃってみたいな。
なるほどね。
ミスチルファンって別に洋楽興味ないじゃないですかみたいな。
そこの並びが。
あまりに盛り上がらなくて。
あんなに俺らのライブ面白くないかなみたいな。
これは日本といえば地蔵の国ですからね。
お地蔵さんの国ですから。
お地蔵さんの国ですから。
ヴェリー・コーガーは別に地蔵って思わない。
お地蔵さんとは思わない。
終わった地蔵。
お地蔵さんですね。
ジャパニーズ地蔵。
ジャパニーズ地蔵。
そういうのもありましたが、また来てくれるということで。
12年ぶりってことらしいですね。それ以来。
25年ぶりの日本武道館ってことで。
ジミー・チェンバレンがいてくるのがもう25年ぶりなんでしょう。
なるほど。
12年ぶりはいなかったんだ。
前回はいないですかね。
そうなんですね。
ヴェリー・コーガーしかいないじゃないかな。
ジームズ違反みたいな。
なるほど。
スマファンのドラマーはジミー・チェンバレンじゃないと。
それすごい大きいと思うんですよね。
あの方の存在は。
今回は楽しみですね。
自分はアドア大好きですけど、ジミー・チェンバレンいないアルバム大好きなんだけど。
今回やるアルバムは。
ジミー・チェンって。
ジミー・チェンって。
ジミー・チェンみたいに言うけど。
初めて聞いたぞ今。
ジミー・チェンいなくてって。
ジミー・チェン。
まあまあ、スマパン来日楽しみですということでね。我々もチケット、無事ゲットしてますから。
そうですね。 9月17ですね。
約3ヶ月後ですよ。割ともうすぐですからね。なんか発表から早いですよね。発表から早い。確かに確かに。マイブラとか来年の2月ですから。そうそうそう。
っていう感じですけど、スマパンね。まあメイバーラジオで アルバム特集でやるのは久々なので
ちょっとスマパンの歴史的なところから話して、そこからサイヤミズドリーム作るところまでの話と、
その後は曲に入っていければっていう感じでやっていきたいと思いますけど。 はいはい。
結成メンバー、この時のサイヤミズドリームのところのメンバーもそうですけど、ビリー・コーガン、ボーカル・ギター、で、ジェームス・イハー、ギター、ジミー・チェンバレン、ドラム、ダーシー・レッキー・ベースっていう4人ですね。
女性がいるっていうのがね、なかなか特徴というか、スマパンの一つの個性というか。
ですよね。ジェームス・イハーも東洋人だし、結構その辺が個性的ですよね。
ジミー・チェンバレンはね、めちゃくちゃ強そうだしね。 強そうだし。でもあれでしょ、ジミー・チェンってさ。
ジミー・チェンってあれらしいですね。何、ジャズドラマーでしたっけ?もともと。 あー、そうなんですよね。あの人。
ロック叩いたことなかったらしいですよね。スマパンやるもあったらしいですね。 なるほど。スマパンやって初めてロックやったんですね。なるほど。
聴いてたけど、みたいな。
だから、ジャズ畑の人が、無理やりっていうのかわかんないけど、ジャズ畑の人が、じゃあロックやるぞっていう話になったってことなんですね。
なぜそんなことになったのかわかんないですけど。 確かに。
ジャズ叩いてたのに、なんでそうなったのかわかんないですけどね。 その辺も含めて、じゃあ話していくか。
おー、そこが聞けるんですね。それは気になるな。 多分。
スマパンはね、ビリー・コーガン中心人物ですから、ビリー・コーガンのところからいきますが、ビリー・コーガンは1967年の3月17日生まれ。
あら、やっぱり3月生まれですよ。こういう繊細なのは。 なるほど。
3月生まれは繊細なんですよ。 早生まれ的な。
某N造さんも。 海外でも早生まれとかあるんですか? いや、なさそうだけど。
区切りがね。 楽器の区切りが違う。
3月生まれ、特有の。 特有のなんかね、センシティブさがあるんですよ。
某Nの人とか、某PTの某桜井さんとかね。
あるんですよ、そういうのが。 67年ですね。
67年か。 で、ジェームス・イハーとダーシー・レッキーは68年生まれなので、
1個下ってことですよね。ビリー・コーガンからすると。
ジミー・チェンバレンは64年生まれなので、 もう少し年上って感じですね。
だいぶ年いっちゃってる感じですね、もうね。 なるほど。 4つ、3つぐらい。
なのでちょい上ですね。 まあなんとなく
そんな気はしてましたね。 なんとなくね、経験者だなみたいな感じがあるもんね。
そういう感じがある、なんか。 ちょっとこう、なんだろうね。
すごい分かる。 よかった、それが。
ジミー・チェンバレンだけちょっと下です、みたいな。 5歳年下ですとかだったら、「えーっ、そうだったら?」みたいな。
なるよね。 そうではないと。
そうではない。
で、ビリー・コーガンは家庭環境がね、
ちょっと複雑な家庭環境で。 またそういうパターンですか。そうですね、割と典型的な。
まず3歳で両親が離婚。
割と、まあその、おばあちゃんとかの家に行ったりとか、まあそういう感じになってたりしてたらしいですけど。
でも父親再婚したりとかして、でもそのまあママ母から、
あの、肉体的にも精神的にも虐待を受けたみたいな感じだったらしいですね。
なるほどー。 ないこっちゃですね。
まあそういう感じですね。この辺のミュージシャンにはよくなんか聞く話だったりしますけど。
いろいろあるんですねー。
みんなそうだな、この辺。 聞いたことあるよ、なぜエピソードが。
そうですね。 本当に結構みんなそうですね。
ホラウマロックですよね。 幼少期の、トラウマ抱えてる方のジョナサン・デリビスもそうだし、マリリン・マンソンもそうだし。
まあそういう幼少期がね、やっぱ傷を負ってる人の叫びが90年代には刺さったっていう感じなんでしょうけど。
ビリー・コーガンもその典型ですね。そういう幼少期で。
ただ、小中学校時代はかなりなんか運動神経が良かったらしいですね。野球少年で。
野球少年?
そう、シカゴなんで。シカゴカブスの大ファンで。
すごい良かったらしいけど、高校ぐらいになるともう普通ぐらいになってて、運動的なのが。
運動神経が。
で、友達の家でギター見せてもらって、それがきっかけで自分もギター始めたみたいな。
この辺はもうよくある話ですね。友達の影響で。
で、高校時代はブラックサバスとかバンヘイレンとかクイーンとかチーフトリックあたりから入って、だんだんザ・キュア、バウハウスあたりに傾倒していくみたいな。
そういう音楽性があったらしいですね。
ちなみに高校の成績かなり優秀だったみたいで、大学からも進学というか奨学金の誘いとかもあったけど、断って音楽で行くっていう道を選んだらしいですね。
結構頭良かったらしいですね。
頭もいいし、運動神経もいいし。
運動神経も。
確かにすごい。
なかなか。
で、その後、一時期フロリダの方に引っ越したりして、そっちでもバンドやったりとかしてたらしいですけどあんまりうまくいかず。
またシカゴ戻ってきて、レコード店で働きながら自分のバンドとしてスマッシングパンプキンズっていうのを構想っていうか、思いついていた頃にジェームズ・イカと出会う。
で、まずその2人で作曲活動を開始したらしいですね。
ジェームズ・イカはどこから突然現れたんですか?
どうなんすかね。ちょっとあんまその出会いわかんないけど。
まあ、イカもバンド活動を多分やってたんだと思うんで。
その界隈というか、つながりというか。
2人でその曲作り始めて、けっこうキュアとかジューオーダーに影響された曲調だったらしいですけど、その頃。
で、1998年7月9日、2人で初ライブ。
この2人でっていうのがね、なんか。
マジかと思ったけどね。
ユズみたいな感じの?
いや、なんか。
なんか、ビリー・ゴーガンがベース弾いて、多分歌って。
イカがギター。
で、ベースとギターでしょ。で、ドラムマシーンで。
それでライブやってたらしいです。
えー、そんなんでライブやってたんだ。すごいっすね。
これ、なんかちょっと面白いなと思って。
そのドラムマシーン、割となんかもう最初からやってたんだみたいな。この時代。
その時にもう既に実績があった。
だって88年ですよこれ。
で、その次にダーシーと出会って、ダーシー、ベーシストとして加入。
で、この3人でもドラムマシーンでライブやってるんですよ。
なるほど。
そう。
何かとドラムが見つからないというね。
見つからないですね。
そうですね。
なんか探してたのかどうか、どうなんだろうなって。
探してたのかな。
どういう音楽やってたんだろうって。
なんか、ドラムマシーンでいいやっていう音楽だったのかな。どうなんだろうって。
中途半端になんか下手な人いれんだったらドラムマシーンでいいやみたいな感じだったのかな。
ただなんかその3人でそれでやってたらしいんですけど、
シカゴの有名なライブハウスに出演するには、
その多分ライブハウスの人に言われたんだと思うんですけど、
ドラムを人間のドラムにしろって言われて。
それでドラマを。
人間のドラム。
そう、ドラムマシーンじゃなくて人間にしろって言われて。
で、ドラマを探してジミー・チェンバレンが加入っていうことらしいんで。
他またすごいよね。
なんかビリー・コーガンの友人の推薦らしいですけどね。
なんだかそういう繋がりの繋がりみたいな。
うまく頑張ったなって感じだと思いますけど。
その頃ジミーは、ジミー自体は15歳で高校中退して、いろんなバンドで活動して、
ツアーもあったりとかいろいろしてたらしいんですけど、
その頃には1回音楽やめてて、
ギリの弟と一緒に大工っていうか、注文住宅を建てるような仕事をしてたらしいですね。
大工。
いやー。
なかなか面白いですよね。経歴が。
大工かな。できそうだね。
できそうだね。
できそう。
で、結構やっぱ手先も器用そうだしさ。
そうそうそうそう。
結構ちゃんと稼いでたらしいです。
しっかりと。
さっきも出てましたけど、ロックは聴いてはいたけど、バンドとしてはロックのドラムは叩いてなくて、
スマパン加入して初めてロックバンドでのドラムになったということですね。
それでなかなかよく推薦されたなって感じですけどね。
推薦したやつもね、確かに。
巡り合わせというか。
いいジャズドラマーいるんだけどつって推薦して。
なんか適当にドラムやってるからって、ロックとかジャズとかわかんないで推薦したんじゃないですかね。
その可能性ありますよね。
ドラム探してんだって、ドラム知ってるよつって。
あの人上手いらしいよって。
ドラム叩いたことあるらしいよつって。
俺ロックやったことないんだけど。
あそこの大工さんなんだけどさ。
お前ドラムやってたじゃんって、バンドとか探してるよって言って。
多分もうそんな感じですよね。
行ってみたらロックをやるとか言ってロックバンドやるみたいな。
いや俺ロックバンドやったことないんだけど。
ジャズドラマーなんだけど、まあいいかみたいな。
まあいいかって感じですよね。
そういうノリ。
そのノリがなんかっぽいじゃないですか。
かたやそのドラムが見つからない人たちのバンドを人間のドラムにしろと言われて、
どうしようかなみたいになってる人たちと、かたや大工さんやってて、
やったことあるけどジャズドラムなんだけどみたいな。
はみ出し者中のはみ出し者が合体したみたいな。
そういうっぽい感じはあるよね。
ビリー・コーガンとかメンバー探しとかめっちゃ苦手そうですもんね。
うまくいかない感が出てるじゃないですか。
うまくいかない挙句に寄せ集めてこの人たちになっちゃったけどみたいな。
すごいこれなんか漫画の設定っぽくないですか。
漫画の設定ですよね。
漫画の設定でさ、これからこうね。
ガラクタが集まったなみたいな。
俺が一番強かったみたいな感じですよね。
まさに。
いやー面白いなー。
漫画みたいほんと。
これがまたスマッシュパンプキンズって名前と合ってるじゃないですか。
あー確かに確かに。
つぶれたかぼちゃっていう。
確かに。
面白いですね。
その辺はすごい面白いですよね。面白さを感じますね。
確かにですね。
もうなんか見てもね、メンバー見てもなんかもうシグハグというかなんか変な人たちばっかりじゃないですか。
そうっすね。
なんかネトウヨウシンはいるわー。
なんか女はいるわー。
なんか太鼓はいるわー。
太鼓、太鼓。
なんかハゲはいるわーみたいな。
そうっすね。多様性の。
ほんとね、多様性だよこれ。
多様性極まってますよね。
もう今の子のね、ほんとご時世。
先進性を発揮してますね。
先進的だったんでね、相当。
かなりの、すごいよね。
ジミー・チェンバレン、その3人のプラスドラムマシンのライブ見に行ったらしいんですけど。
まあひどい音だったって言ってますね。
まあまあなんとなく想像できるというかね、あるんですけど。
ただまあ、曲の構成は良かったし、ビリーの声はすごいなんか成功を渇望してるような感じで、そこに惹かれたみたいな感じのことは言ってて。
それもわかるなっていう感じですね。
それで、めでたくジミー・チェンバレン、ドラマーとして加入し、1988年10月5日だったらしいですけど、4人で初めてライブをしたらしいですね。
なのでこの頃、ビリー・コーガンとかジェームス・イハとかは20歳前後ぐらいで、ジミー・チェンバレンは24歳ぐらいって感じだったんですね。4人揃ったのが。
で、もうその通りだと思いますけど、ジミー・チェンバレン加わってバンドに力強さが加わって、全然変わった感じだったらしいですね、バンドとして。
むしろドラムマシーンでどうやってたんだって感じですよね。
ね、確かに。
あのスマパンの初期のああいう実を。
もうちょっと違ってたのかな、音楽性も。まあ多少違うでしょうけどね、もちろん。
アドア時代的な感じの。
結構そういう、もうちょっと暗い感じだったのかな。
ビリー・コーガンの音楽性的に、やれなくはないかなって感じするんですよ。
キュアとか、たぶんジョイ・ディビジョンとか好きでしょみたいな感じ。その感じでいくと、まあやれなくはないかなと思うんですけど。
まあやっぱなんか、ギリつまんねえものになっちゃうかなって。
もっともっとパワフルにやりたいんじゃないですか、本当はみたいな。
ドラムマシーンだからそっちに寄ってるけど、もっとパワフルに。メタル好きでしょとか。
ジミチェンが入って、それができるようになったんだろうなって感じはしますよね。
そうですよね。
まあめちゃくちゃハマったんでしょうね、本当に。
すごいですね、本当に。
ジミチェンもたぶんやっぱメタルとかロックやりたかったんだと思うんですよね、きっと。
じゃないとだって突然あんなことにならないと思うんですよね。
まあそうだよね。
ジャズはやってたんだけど、実はああいう激しいやつやりたいんだっていうところにこういう誘いがちょうどあってっていう。
ロックはずっと聴いてたらしいからね、ジミチェンも。
まあでもすごい出会いですね、やっぱ。
出会いですよ。
その後、4人揃ったスマパンですけど、89年コンピレーションアルバムに参加したりとか地元レーブルからシングル出したりとかしていたらしいですけど、
でギッシュも、スマパン自体もすごい無名ですから、この頃は。
でギッシュやって、ネバーマインドもね、ニルバーナもだってその前はブリーチでしょ。
だからあんまりそこまで何者でもないわけですよね、ニルバーナ自体も。
っていうところでブッチビグが担当してっていう感じですけど、ネバーマインドがもうすごいことになったんで、一躍って感じですよね。
ビリー・コーガンとブッチビグは結構相性は良かったと思うんですよね。
なので、ブッチビグのコメントですけど、ビリー・コーガンは会った瞬間やっぱ特別なものを感じたと。
でもすごく傷つきやすい人で、子供みたいなところもあって。
で、人に愛されたいとか、かわいがられたいっていう強い願望を感じたっていうのは言ってますね。
でもスタジオに入ると音楽への集中力はすごくて、納得いくまで追求すると。
で、すごい壮大なビジョンを持ってる野心家で、自分が求めているものに対してはすごい貪欲で。
そこにブッチビグ的にはかなり惹かれたらしいですね、そういうところ。
多分プロデュースのスタイルとして、バンドから強く求められて、自分としても強く求めるみたいな。
そういう多分やりとりが相性が良かったんでしょうね。
という感じだったんですけど、それでビリー・コーガンが思い描くものを最適に表現するっていうことで、ほとんどのギターとベースをビリー・コーガンが弾くっていうことになったらしいですね。
バンドとは。
ビリー・ブッチビグ体制でそうなるらしいですね。なかなかなプロデューサーですよね。
これがバンド内に緊張を生み出してたって言われてますけど、そりゃそうだろうって思いますよね。
ビリー・コーガンの方向性とブッチビグの方向性って一致してるよなっていうのはわかる気がするんですよね。
両者とも完成度を高めていく方向性を求めるでしょうっていうのを音聴いてるとわかるなっていう。
そういう意味でやっぱ相性が良かったんだと思うし、そこに貪欲にストイックにひたすら突き詰めていくビリー・コーガンの姿勢にブッチビグが惹かれたんだと思うし、
そこに対してもビリー・コーガンが全部やっちゃうっていう。
じゃあやっちゃえばいいじゃんという。
バンドの動向じゃないですよね。
ビリー・コーガンの完成度を求める理想を突き詰めようじゃないかっていう方向性ですよね。
ベストを目指すとそういう形になるってことですね。
そうなるとやっぱバンドとしては、「俺のギターは?」とか、「私のピースは?」ってなりますよね。
でもその後も続いてるから、そこは特別だったんでしょうね、ビリー・コーガンは。レベル的なところでも。
圧倒的ですよ、あんま。
だからもうあんまり有無を言わさずというか、多少この不満というかね、もうちょっと差みたいなのは多分あるんでしょうけど、
でもいいからなーみたいな。確かにいいから。
そこで納得させてたんだろうね。
俺の方がもっとみたいな感じにできないぐらいの実力の差があったのかなって。
まあやっぱ上手いしなーみたいな感じになってたよね。
いやでもすごいね、ビリー・コーガンどんだけそういう完璧を求める姿勢とか憂態みたいなのが。
成功力みたいなのがね。
地味にチェンバリンもそこがすごかったって言ってるし、みんなそれを言うぐらいだから相当放ってたんだろうね。
もう絶対売れるぞみたいな。
それでギッシュ出しましたとなって、
まあセールス的にはそんなに震わず、まあ最終的には100万枚売れてますけど、
多分それってもうビッグになった後に売れた分とかも含めたトータルだと思うので。
遡って買うみたいな。
それもありますからね。
まあだからリリースしたこの時はそんなでもなく。
で、バンド自体はその後レッチリとかチェンジャーディクションとかガンズ&ローゼスとかのオープニングアクトしたりとかして、
そういうツアーしてたらしいですけど、
まあそこでね、バンドもいろいろ、
ジェームスイカとダーシーが付き合ってたけど破局したりとか。
あ、そうなんですか。
そうなんですね。
その2人は付き合ってたの?
そう。結成後。
なかなかまた、ややこしいなあ。
ややこしいですよね、バンド内でそういう。
もう暇だから、あの2人は。
確かに。
そういう構図になりますね。
強いてあげられた2人が。
2人。
ED講座が全部やっちゃうからさ。
俺らやることにいいじゃんっつって。
暇だし。
暇だし。
暇だし。
やることやるかっつって。
ジェガニーはいるし、みたいな。
結局ね、破局しました。
それでまたもう、またそうか。
それはそれは。
破局したけど、でもバンドとしては続けてたんですね。
割と友好的というか、すごい良い友人関係をその後も続けてたらしいけどね。
2人はそんな感じになって。
で、一方ジミー・チェンバレンは、もう薬物とアルコール中毒で。
ジミー・チェンよ、ジミー・チェン。
ジミー・チェンは。
その後もずっと。
ジミー・チェンどうしようもねえな。
ジミー・チェンはね、その後もありますからね、ずっとこの問題は。
どうしたんだ。
そんな感じになっていつつ、ビリー・コーガンはビリー・コーガンで深刻な鬱状態になっていくっていう。
ポンコツの集まりじゃないですか。
これをもう早速もう。
そもそもの集まりがさ、もうなんか役立たずが集まったみたいな感じですけど。
はみ出し者が集まったみたいなバンドですけど。
そっから、ほとんどみんなパンクしてるじゃなくて、ボロボロになっていくっていう。
どんどん問題を抱えていくというね。
いやもうね、ファーストアルバム作ったらもうそういう状態になっちゃって。
いやー、これはね、やっぱり現実は漫画のようにはいかないですね。
そうですね。
まあビリー・コーガンの鬱っていうのは、この時代的なところで92年ぐらいですよね、ここ91年から92年ぐらいにかけて。
でまあ、ネバーマインドがめっちゃ売れて、グランジブームみたいなムーブメントが盛り上がっていって、そこを横目で見つつみたいなところもあったらしいですね。
ネバーマインドが売れたことで鬱になっちゃったみたいな。
まあ、プロデューサー一緒ですからね。
それで、あっちは売れて、こっちはバンドボロボロじゃねえかみたいな。
誰よりも売れたいっていうのを滲み出していた。
ね、成功したいっていうところの。
それを誰よりも渇望してた男が横目で、まあそりゃあ鬱にもなりますね。
まあなので、もっと突き抜けないとっていうプレッシャーがすごかったらしいですね。
いやー。
まあなので、もう後がないような状態で、92年後半から、またあの場所を移して、ブッチビグとアルバム作りを開始したらしいですけど。
それが今回のサイヤミズドリームですけどね。
その拠点を移したっていうのは、いろんな誘惑から離れて音楽に集中しようみたいなことだったらしいですけど。
特にジミチェンの薬物的な繋がりを見たいなと。
ジミチェンだよ。
ジミチェンの薬物を切り離すために田舎に行こうみたいなそういうことですか?
多分そういうことなんじゃない?多分。
だからシカゴにいるとそういうことになっちゃうんで。
場所変えてみたいな。
シカゴはね、なんとなく確かに荒れてそうな勝手なイメージとしては。
まあね、大都会ですから。
それでレコーディング開始したけど、またやっぱサイヤミズドリームもビリー・コーガン・ブッチビグ体制なんで、
ほとんどのギターとベースはビリーが弾くっていうディレクションになってたらしいんで、
かなり雰囲気が最悪だったらしいですね。
ビリー自身の鬱病もすごい悪化して、本当に一撃自殺を考えるぐらいになってたみたいな感じだし、
せっかく罰賞を移したジミー・チェン・バレンも新しいコネクションからまた薬物中毒にあっていくっていう。
罰賞のコネクション開拓していくんだよ。
そっちを開拓しちゃうの?
そっちに忙しい。そっちを開拓。
本当ジミー・チェン・何日も連絡取れなくなったりとか、そういう感じだったらしいですけど。
でもそういうのを乗り越えて4ヶ月ぐらいかかったらしいですけど、サイヤミズドリーム完成と。
本当ボロボロの中で作り上げたアルバムですね。もう後がない。
これでもう、これがダメならもう次ないみたいな感じですよね。こんなボロボロで。
そこに対するいだつきというか焦りというかはあったんじゃないかなっていうのは、そもそもに堅くないですよね。
まあ本当そういうのがケプチビリー光岩ですね。
ちなみにサイヤミズリームのミックスを手がけたのがアランモルダー。
ああアランモルダーか。ナインチネイルズだ。
ナインチネイルズそうですね。ナインチネイルズとも深くやってるし。
まあこの時からのところでいくと、前がマイブラのラブレスのエンジニアです。
あーそうかそうかそうか。
まあその他めちゃくちゃその後はいろいろやってますね。
スマパンとはもうその後もメロンコリーとかはもうコープロデューサーとして入ってるし。
まあもうこの辺の界隈ですごい結びつきが深い人ですよね。
そう言われるとね音の共通性とかっていうのも。
マイブラのラブレスと一緒っていうのが面白いですよね。
そこはでもなるほど確かにみたいなところはありますね。
結構そのビリー・コーガンがこの時こだわってたのが、音の奥行き感って言ってたみたいで。
それを表現するのにそのディレイとかリバーブとかを使うのではなく、音自体を重ねることでそれを出すっていう。
まあ音を重ねてそれをちょっとずらしたりとかっていうことだと思うんですけど。
なのでまあもう聞いての通りですけどめちゃくちゃオーバーダビングされてるっていう感じですね。
この辺のなんかサウンドプロダクションが結構マイブラDバレンタインとやっぱ近いんだよね。
なんか言われると本当にそうだなって感じしますよね。
アンプ同じだったらしいもんね。ケビン・シールズと。
GCM-800使ってるんだよね。
使ってるエフェクターも割と近いなみたいな。
ベンダーのブレンダー使ってるんですよ。ケビン・シールズもそうだし。
ビリー・コーガンもそうなんですけど。あとまあビッグマフとかですよね。
割となんか近いものを使ってて。
でその安易に空間系に頼らないのも2点ですよね。マイブラと。
マイブラってそのシューギーザーサウンドって空間系のリバーブとかディレイをふんだんに使うっていうのがまあ象徴的なんですけど。
この時期のマイブラってそこまで空間系に頼ってないんだよねっていう。
そういうところのなんかサウンドプロダクションに通ってるなーっていうのは感じますよね。
そのエフェクターを使ったからといってこの音にはならないんだよっていうのもあるんですよ。
ビッグマフ使ったからこの音になりますかというとならないんですよ。
マイブラT・バレンタインもスマッシング・パンプキンズもすごいそのスタジオワークで突き詰めた結果このサウンドを獲得したんだよねっていうのは感じますね。
単純にこのギター使ってこのエフェクター使ってこのアンプ使ってバーンって音出してこの音にはならないんですよ。
そのレコーディングでエンジニアリングとかマスタリングとかそういうのを突き詰めた結果こういうサウンドができたんだなっていう。
完璧主義の行き着く果てみたいなのは感じるし。
この辺の共通性はマイブラとスマパンは結構感じますね。
ありがたいやーって感じですね。
徹底的にスタジオワークで突き詰めたんだなっていうのを感じるんですよね。
その辺もっと適当にやってたなっていうのはニル・バーナーなんですよ。
エンジニアとかのプロデューサーが突き詰めた結果がアーティスト側のあれじゃないよなっていうのはニル・バーナーなんだよな。
あとはサイヤミーズ・ドリームのサイヤミーズって意味わかります?
双子の。
そうですね。結合ソーセージのことなんですかね。
サイヤミーズ自体はシャムって、シャム猫とかのシャムって意味もあるらしいですけど、シャム猫自体のことを言う場合もあるらしいですけど。
他の意味として双子、結合ソーセージって意味もあるらしいんで、あのジャケットからするとそっちですよねっていう。
ベトちゃん独ちゃんですよね。
そうですね。っていう意味ですね。サイヤミーズ・ドリームっていうのは。
っていうアルバムですけど、ここまでバンドの結成、ビリー・コーガンの幼少期とかそういう話も含めてバンド結成とサイヤミーズ・ドリーム作るまでのスマホを見てきましたが、