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2025-11-20 24:18

#249 世界の土偶を読むを語る

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竹倉史人さんの新刊の話。『土偶を読む』をめぐる論争と、その最新巻『世界の土偶を読む』について

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サマリー

日本の土偶研究に関する議論では、特に竹倉さんの著書「土偶を読む」とその批判本について考察がなされます。この話題の中で、最新の著作「世界のドグーを読む」やその内容についても触れられ、認知システムへの考察や新しい研究領域が示されます。このエピソードでは、土偶に関する独自の研究とその批判が取り上げられ、竹倉道夫のアプローチが革新的で視点を変えていることが強調されます。また、考古学の分野における旧石器時代や縄文時代に対する誤解についても語られます。このエピソードでは、竹倉の著書『世界の道具を読む』をテーマにした座談会が行われ、その理論や内容への関心が深まります。参加者たちは著作の面白さや研究方法の可能性について意見を交わしています。

土偶を巡る著作と議論
メディアヌップ。こんばんは、ささきるです。 こんばんは、宮本です。最近、面白い本を読んで、めちゃくちゃ
これ面白いって人に言いたい状態になってるんで、ちょっとね、みょんさんを捕まえて話してみたいんですけども。 余気になります。
昔ね、2000何年くらいだな、土偶を読むっていう本が話題になったの覚えてます? 覚えてます。読んだことあります?
いや、土偶を読むは読んだことがないっすね。 土偶を読むっていうのが出版されたのが2021年。
そっかそっか、それぐらいか。 竹倉さんという著者が、独立研究者って方なんですけども、
出した本で、これが大変話題になりまして、その150年間解かれてこなかった土偶の謎を解いたと、高らかに宣言して。
その土偶とね、いろんな植物、日本の土偶ですから、日本の土偶と日本の植物の類似性みたいなものを挙げていって、
これ植物が、木の実とかね、そういうものが土偶になってるんだみたいな説を唱えて、とっても話題になったんですけども。
そっから先が、さらに話題になったとこでして。 土偶を読むを読むっていう本が出まして。
で、これはその土偶を読むっていうのを批判する。 批判的なね、その餅月さんという方がヒットになって、
編集出版された本なんですけども、これがまた大変話題になりまして。 キャッチコピーがね、「土偶の正体を解明した?そんなことあるかい?」っていう。
いいですね。
そうなんですよ。で、ここでバトルが勃発したっていうのがね、これが2021年から2022年にかけてのことなんですけども。
縄文研究者の見解
みょんさん、聞いたことあります? 知ったことあります?って言ったのは。
いや、この土偶を読むを読むで、たぶん僕は土偶を読むを知ったりだとか、ちゃんと本も見切れてはいないですけど、
土偶を読むを読むで、何かそういう、何かの論じてる本に対して、それを疑うような感じの本が出てみたいな。
この餅月さんの縄文人って、小冊子とかの人の方は読んでたりとか、
この餅月さん、たぶん縄文人に相談だとか、そういうシリーズで出されてる本があったりしたので、そういうのを読んだことがあって、
なので、この餅月さんは知っていて、縄文を読むを読むの段階で、こういうのが今、話題になってるんだなっていうのを認識しましたね。
なるほど、なるほど。なんと、縄文人の読者だったんですね、みょんさん。
そうなんですよ、縄文人の読者でした。
これ、もともとですか?当てる人が好きになる前から?
そうですね、その前からですね。たぶんフリーペーパーとか、何かそれで認識してて、縄文人に相談だとか、そういうのを読んでましたね。
なんだ、じゃあむしろこの騒動のことをすごい知ってるじゃないですか。
いやいや、でもそんなに詳しくは知らないです。
なんか、ほんとにこう、むしろ表紙でわかるぐらいの状態でしかないとか、具体的に何を対立し合ってるのかみたいなことまでは全然理解できてないです。
いや、僕、ほんとにただのね、一般読者で批判的に読むことができないんで、
最初にね、ドグーを読むを読んだときは、なんて面白い本だって思った。
で、その後にドグーを読むを読むを読んだら、そうだそうだって。この批判はもっともだ、そうだそうだって。
はいはい、流れていきますね。
流れていくんですよ。
ただ、どんな討論番組見ても、最後に喋ったほうが、なんかもっともらしく聞こえるみたいな。
いやでも、よくわかります。
素人だから批判的に読めないから、そうだそうだと思ったんですけども。
で、このドグーを読むを読むを読みまして、
で、このね縄文人の茂木さんがやってるイベントが吉祥寺とかね、自分が住んでる近くとかでもあって、
あの、そういう身近さも感じてたんですけども、
この後、その著者の、ドグーを読むの著者の竹倉さんからの、その再判論みたいなものがなかったんですよ。
あ、そっかそっか、ない、そうですよね。
で、ないまんま、もう何年も経ち、
すっかりこの議論の論争のことを忘れてたらですね、
今年、世界のドグーを読むって新刊が出まして。
あ、えー。
出たんですね。
で、当然ながら僕はもう、無垢なアホな読者というか、流される読者なんで、
茂木さんたちが出した、この読む読むね、ドグーを読む読むのこと、読むを読むのこと、読む読むって言おうと思うんですけども、
読む読むが出た後に再判論がなかったんで、
なんかまた根拠の薄いようなことを、出してんだろうなみたいなね、出してんのかななんてね、思ってたんですよね。
そうですよね、はい。
思ってて、出てすぐ買わなかったんですよ。
はい。
ところが、このドグーを読む、そして世界のドグーを読むを出してる出版社が、しょうぶんしゃさんという出版社なんですけども、
しょうぶんしゃさんのブログ、まあノートで、編集部のえさかさんという方がですね、
はい。
この縄文時代とかね、ドグーの研究者をお呼びして、あの時の読む読む騒動とは何だったのかっていうのを、
へー。
振り返りをするっていう座談会が、
はい。
開かれたんですね。
はい。
で、そこには著者の竹倉さんはいなくて、
あとはその批判の筆頭に立ってた餅月さんもいなくて、
はい。
その不在の状態で、やったものではあるんですけども、
結構、あの真正面に向き合っていて、
へー。
つまりこの本を出した、出して出版した担当編集者が、
はい。
著者の竹倉さんに代わってというか、再反論してるっていうことなんですね。
なるほど、なるほど。
はい。
で、そのドグー読むを出した後に、読む読むで、まあ反論が出ましたと。
でもところが、そこで反論だと言われてる内容って、まあ全く反論になってないんじゃないんですかと。
うん。
それについて、当の研究者の皆さんはどうお思いですか、みたいな。
で、それ本当に腹を割って全4回でこう語るっていう内容なんですけど。
へー。
そこに、いや、そこからが面白かったですよね。
へー。
つまり、そのドグー研究者とか縄文研究者の中でも、
餅月さんの見解を支持してる人ばっかりじゃなくて、
うんうん。
まああの反論は筋が悪かったよねっていうふうに思ってることだとか、
なるほど、なるほど。
あとはその、竹倉さんのその考え方の中に、一定のその論理っていうか、認めてるみたいなこともどんどん出てきて、
あれそうだったの?みたいな話になってきて。
それで興味持って、じゃあちょっともう1回最新版を読んでみようと思って、この世界のドグーを読んでみたら、
はい。
なんとなんと、日本のドグーからね、世界のドグーにパワーアップしてるから、
新たな研究領域の誕生
はい。
さらに説っていうか、ロジックがスケールアップしてて。
へー。
もう完全に僕説得されてますね、今。もうこれだと。これだと。
はいはいはい。
この流される力。
はい、順調に流されてますね。
順調に流される力を発揮して、もうこれだと。絶対これだろって今、思ってるんですけど。
これは何度も振り回された結果、今その最新の反論っていうか、最新の理論として世界のドグーを読むが出てるんですけども。
うーん。
あのね、いろんな見解があるだろうし、いろんな人の物読み方あると思うんですけども。
はい。
この本によって反論が繰り返されて、それの最新版が、ものすごい力強いスケールの最新版が出たっていうのが、
この流れ自体が面白いし、その説自体もすごい面白いんですけど。
はいはい。
いやね、めっちゃ面白いですよ、これ。
いいですね、確かに。すごい、ほんとラップバトルみたいな、もうウェーイウェーイってなりますよね。
そうそう。
そうっすよね。
例えばね、何書いてるかというと、コスチェンキの精霊はなぜ3万年前のユーラシアの森で捕獲されたのかって。
もう何言ってるかわかんないじゃん。
あ、でもね、すぐわかる。
そう、すぐね、読み始めたらすぐ何言ってるかわかるんだけど。
へー。
この表紙の写真に写ってる、これドグー。
これあのコスチェンキっていうところで発見されたドグーなんだけど、手に、なんていうんだろう、網のようなものっていうかロープのようなもので捕獲されてると。
はいはい。
なぜこのドグーは捕獲されてるのかっていうことを言ってるんだけど、まあね、面白いですよ。
へー。
人類の認知システムに関わる根源的探究と太古の科学への推論、アブダクションが導く新しい研究領域の誕生っていうね、ここを書いてるんですけども。
へー。
面白かった。
すごい。
あの、僕今、今っていうか、しばらくね、その中世の時代小説に取り掛かっていて。
はいはい。
現代とは違う認知で動いてる人たちのことをなんとか小説にしようと思ってやってるんですけども。
うーん。
なのでこういう、中世の魔術とか魔法とか、古代の精霊とかってもうずっと興味を持って読んでるんですけども、そういう意味で非常にインスピレーションをね、受けた本でした、これは。
へー。
いいっすね。
このノートも面白そうですね、この小文字屋さんの。
うん、めっちゃ長いんだけど飽きないですね、すごいスリリングで。
へー。
まあ、要は何を言ってるかっていうと、今までの日本および世界の土偶研究って、
はい。
変年形式学的研究の批判
この変年形式学的研究っていう、変年っていうのは時代ごとの、例えば何万年前、何千年前とかっていうふうに時代ごとに土偶を並べて、
はい。
それを形式、この土偶のこの形がこう似てる、例えば、だんだんとこういう形になってきたとか、だんだんこういう取っ手がついてきたとか、どんどんこういう模様がついてきたみたいな。
うーん。
その、クロニックに、時系列に、変年にやるやつと、その見た目の形式を近いものを並べていくっていう形で、
何万年、何千年もこう考古学的に掘り起こされたものを分類して保存して研究していくっていうスタイルでやってるんだと。
で、この研究を一切無視してるじゃないかっていうことを、まあ言われてることだね、その読む読む側から言われてることなんですけども、
竹倉さんはその方式の批判を全く意に返さず、つまりなんていうか、機能的にやるんじゃないかと。
つまり事実をたくさん集めると正しい論理が出てくるんじゃなくて、正しい論理を見つけた後に、その事実を発見していくっていう、演劇的にやろうとしてる。
だから、むしろその変年形式学的方法に寄ってないこと自体は批判に当たらずに、
土偶っていうのは、なんか人間がね、食物、食べ物を得るために、そもそも大問題じゃないですか、食べ物を得るって。
そうですね。
で、特に穀物とかね、みたいな澱粉質、麦とか米とか芋とか、おもろこしみたいな、そういうものを得るってことにすごく、
飢餓と戦うためにすごい重要なことだったと思うんですけど、その植物を、植物の精霊をね、道具になってるんじゃないかっていうふうに閃いて、
で、そういうものとして、世界中にその証拠を探していくって、逆のやり方をやってるわけ。
はい。
じゃあ、なんでその機能的に、変年形式学的にやると植物であるって結論に至らないかっていうと、っていう話がまあまあいろいろあって、
へー。
そうさ、石器時代とかさ、縄文時代とかって、石とかセラミックの話じゃないかな、つまり何万年経っても残っているものがあるから、
それを考古学的に掘り起こせるから、あの時はみんな石ばっかりを使ってた旧石器時代なんだろうと。
うん。
みんな、その、雪が降ってる中、洞窟に毛皮を着て、たけびを焚いて、あの石を持ってマンモスを捕ってたんだろうって、なんとなく思うよね。
で、縄文時代って言うと、なんか縄文土器で、なんかどんぐりを煮たきして、
はいはい。
なんかそれで毛皮で暮らしてたんだろうって、なんか思うよね。
はい。
でも、あの、それって、たまたま石とか、セラミックとか、骨が残ってるからそう思ってるだけで、
最も身近な素材、マテリアルって植物じゃん。
うんうんうん。
植物を食べるし、植物を編んで切るし、植物をロープにして縛るし、植物を使って暮らすじゃん。
うん。
でも植物ってあっという間に、真っ先になくなるものだから、
そうですね。
その、掘り出されたものだけで調べようとすると、植物に包まれてた世界観だったっていう風に思わないの。
うんうんうん。
石と土器に包まれたんだと思うじゃない。
はい。
でも、いや、そんなわけないじゃんっていう、その、ないものを想像して、きっとそういう風にやってたんだろうみたい風に、
まあそういう考え方をする、演劇的にするんだけど、まあそういうのって割とこう、なんていうかな、積み上げてきた研究者からすると、なんか面白くない部分がなんかあるじゃん。
そうですね。
うん。
っていうようなことなんだけど、まあね、っていうことなんだと思うんですけど。
発掘における視点の変化
へー。
僕みたいなね、全然縄文の研究とか知らない人が。
はい。
独立研究者の竹倉さんの本、面白いって盛り上がること自体が。
うん。
長年研究してきた人からすると面白くないっていう。
そっか、なるほど。
僕みたいな、僕みたいなやつが面白くないっていうことだと思うんだけど、そういうのも含めて書いたんですよ、こう、セキララに。
へー。
それがね。
そっか、いいですね。
それが面白いですよ。
なるほど。
そっか、確かにそういう意味で捕獲されてるさっきのあのこう、なんだ、肝というか縄というか。
だから、ああいうのもそうですよね。
まあ、みたいな感じでですね。
えらい面白かったんですよ。
はいはい。
いいですね。
確かに。
いや、でもなんか本当にこう、縄文時代の人たちがどういうことを考えてたかとか、
あるいは縄文っていうか旧石器時代か、後期旧石器時代の数万年前の人たちがどういうものの考えをしてたかとかって、
すごいもう、面白くて。
いやー、すごい難しいですよね。
確かになんか、あれと多分、あれですよね。
作られた絵見紙の話ともなんかこう、ちょっとだけ近そうというか、
まあ、何を根拠に歴史を解明していくかっていうことですもんね。
なんかその物体、遺跡として出てきたものを見るのか、
史実的なものを見るのかとか、なんかそういうのでも全然昔の見え方が変わってくるとか、
でもなんかそういう意味では竹倉さんのこうじゃないかっていうことに従って、
ものを見つけて分析して調査していくみたいなのも、
もうすごく面白そうだしいいなと思いましたね、今聞いてて。
絵見紙もね、遺跡とかね、そういうものはないからね。
はい、そうなんですけど。
むしろあれはないというか、むしろ全くないみたいなことだもんね。
なるほど、本当は竹倉道夫論によって考古学界どれほどダメージを受けたのか。
考古学者たちは突撃すべきではなかったと。
いや、これどういうことかというと、例で出てくるのが、山対国はどこにあるのかみたいなものって、
ずっとなんか議論の的になったりなんかするじゃないですか。
機内なのか、九州なのかと書いてある。
で、あれがね、この話は面白かったのが、
要は九州なわけないじゃんって研究者は思ってるんだが、
九州説を唱えた非研究者、一般の著者がそういうことを唱えたからといって、
研究者が総出になって攻撃したりしないじゃん。
もうあれは一般書として、そんな説もあったら面白いよねみたいな感じで。
いいじゃないかと。むしろ研究者はそれをうまく利用すべきだと。
例え山対国が九州にあるわけないじゃんと思っていても、
研究内容が九州にあるって説を支持していなかったとしても、
九州に貴重な遺跡があることには間違いがないんだから、
その遺跡保存するって大変じゃん。
その建築計画とか辞めなきゃいけないし、
その保存のための市の予算なのか文化予算で取り続けなきゃいけないから大変なんだけど、
その時にあれ秘密の墓でも何でもないですよって決着つくと、
誰もそれを保存しようと思わないけれども、
かもしれませんよっていう期待がある方が、
その遺跡の発掘・保存・再活用が進むから、
研究者としてはそれをうまく使い分けて、
保存のためにそうするぐらいの余裕を持った振る舞いをするべきなんだ。
探偵としてのアプローチ
だって山対国がどこにあるか論争の時はそうしたじゃないかと。
なんで竹倉さんの独立研究室だからいろんなことを研究するんですよ。
最初の著書って生まれ変わり?リンカーネーション。
輪廻転生について研究してて。
僕その本すごい好きなんですけど。
いろんなことをやる人だから、いいじゃん。
なのに総攻撃しようとしたんですよね。
このもつゆきさん、縄文人のね。
に対して、いやそれはちょっとそうすべきじゃなかったんじゃないのかって言ってるのは、
この冒頭のセクションですね。
なるほどって、そういう考えもあるのかというね。
なるほど。
そうですよね。
でも本当にいろんな多角的な考えとか見方があると、
なんかいろんな見えてくる方向性もありそうですし。
そっか、確かに。
全体的に遺跡を残していくとか、出てきたものを残していくって意味ではそうですよね、確かに。
あとね、この役割が違ったんじゃないの?みたいな話があって。
例えば、遺跡発掘現場に行って、ハケとかで丁寧に土を落として、
その土器の発掘をした人だけが、その土器が何だったのかっていうのを意見を発表できる。
その人しか発表できないんですかってことなんですよね。
一方で、発掘現場にはいかないけど、出てきたもので研究したり、
時には想像を膨らませて、大胆な仮説を唱えるっていうことがあってもいいじゃないですか。
それを探偵と監督みたいな言葉で言ってたんですけど、探偵ってのは推理をする人ですよね。
だから竹倉さんは探偵になってると。
殺人現場を見たわけでもないし、殺人された人を検視、死の原因をね、
医療解剖に立ち会ったわけでもないと。
でも状況証拠から真犯人を見つけるのが探偵ですよね。
探偵じゃダメなんですかみたいな話があって、
今だと警察官しか物を言っちゃいけない、
検視に立ち会った検視官しか言い切っちゃいけないみたいな雰囲気、
おかしくないですかみたいな話もあるんですね。
とかね、いろんな問題があって、面白いんですよ。
僕らのような素人、素人歴史好き、素人民族学好きはね、
読むたびに意見流される弱い人たちはね、
竹倉の理論の評価
この連載というかこの定談、定談じゃないか、4人で喋ってるから、
この座談会を見てね、反省したり面白かったりするべきなんですよ。
いいですね。
そうなんですよ。
はい。
僕は反省しながら、反省しながら面白がってます。
だからね、寝が沸く場、世界の道具を読むを読むが出てほしいんですけど、
はい、そうですね、確かに。
出てほしいんですけど、どうやらこの座談会のあれを見ると、
竹倉さんの理論が前作および読む読むの批判によって、
さらに強固にパワーアップされているようで、
もう再反論が不可能なんじゃないかっていうぐらいになっているらしいので、
この座談会に出席している人たちは、もともと反論には加わってないんですけども、
もう手出しができないような完成度になっていると。
すごい、そうなんだ。
そう思って読んだら、
それをここまで読んで、世界の道具を読むを読み始めたんですよ。
はい、そこも完全にそれらを知った後に。
前作よりもはるかに面白いです、これ。
すっごい、もう世界の道具を読むから読んだほうがいいと思う。
はい、なるほど、まずは。
竹倉さんって生まれ変わりの時の本もそうだったんだけど、やっぱり発想がすごいのと、
あと文章がほんと一般書としてすごい読みやすい。
これは確かに面白い。
研究方法の探求
もしかしたら、読むを読むをまた読んだら、いい喧嘩あるかもしれないですけど。
流されていきますね。
流されるかもしれない。
これね、分厚くてひるむかもしれないんですけど、
極めて読みやすい文章なんで。
読みます、読みます。
今これ一番読んでほしい本だし。
僕この方法を使ったら、当て類のこととかもなんか分かるんじゃないかと思う。
すごいヒントが。
本当に本当に。
つまり、証拠が出なきゃ分かんないのかって。
いや、そんなことないだろうみたいな。
証拠もあるんだけど、ごめんなさい、今ちょっと言い方間違えたな。
証拠ももちろんあるんだけども、
研究の方法として、
何か放り出されたものがなければ分かんないってこともないっていうかさ。
ちょっと梅尾さんに読んでほしいなと思います。
いいですね、確かに。
検証することも諦めてた。
僕が調査できることなんてあるのかなっていうか、
探偵的な動き方っていうのもちょっとあれ、
理解がまだできてないかもしれないですけど、
それはもう研究は研究者のものって思ってたから。
それで言うとね、
ないものを探す方法としては、
ロビンソン・クルースを探してって方法もあるんだけども、
これはロビンソン・クルースのモデルになった人物が、
セルカークっていう人物、今から400年くらい前の人物なんですけども、
その人が流された離島、
ロビンソン・クルースと同じように流された離島を旅していくんだけど、
もう400年前の熱帯の島だから、
もう何の痕跡もないわけ。
でもない中に、
でもね、ロビンソン・クルースだったら、
この地形の時にこうしたはずだと。
なぜなら同じ人間がその状況に陥ったら、
きっとこの谷間を降りて、ここを登って行ったはずだとか、
行けばわかるの、人間だからみたいな。
そういう方法で、
ロビンソン・クルースの足跡を探していくって方法があるんだけど、
それができるってことは、
いさわじを、
ここ歩いてたらこうしたはずだって感じ取ることができるはずなんだ。
それもね、おすすめです。
それもね、おすすめ。
すごいおすすめ。
合わせて。
はい。
ありがとうございます。
おかえりにありがとうございます。
ありがとうございます。
というわけで、ビデオ・ヌップでは、
ディスコードやニュースレターや概要欄で
いろんな情報をお伝えしていますので、
合わせてご覧ください。
はい。
番組のメッセージもお待ちしておりますし、
新刊も出ましたので、
ぜひ買っていただければありがたいです。
それではまた、来週お会いしましょう。
おやすみなさい。
おやすみなさい。
24:18

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