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2021-10-03 33:23

2021/10/03:創世記(32)主は彼の祈りを聞き入れた

2021/10/03 聖日礼拝

尹善鎬牧師

創世記 -23


00:00
皆さんおはようございます。 今日も
このようにみんなで集まって出会えてきますことを感謝いたします。 やっと緊急事態宣言も解除されてですね
ウイルスがなくなったわけではありませんが、でも気持ち的にちょっと 解放されたなぁという気がしますか、皆さん。あまり変わりませんか。
本当に感謝いたします。 本当に今日も皆さんが頑張って、また主を信じてですね
愛拝の恵みを求めて集まっていただいて本当に感謝いたします。 今朝ですね、このメッセージを準備しながら、ふと思いついて教えられたことがありまして
少し分かち合いをさせていただいてから、また メッセージに入りたいと思います。
私たちはですね、あの 元気な時、若い時
時間的あるいは 経済的によいがある時はですね
人生に足し算をしますね。 あれもやる、これもやる、いろんなことはですね
することができると思いますし、実際にしたりします。 海外旅行にも行きますし
家族とね 北海道やら沖縄やら日本中の旅行にも行けます
あるいはいろんな趣味生活もできます。ピアノを習ったりダンスを習ったり いろんなことができるかもしれません。
あるいはボランティア活動もですね、いろんなことができるかと思います。 ところが
人生というものは ずっと最後まで足し算ばかりではないと思うんですね
いずれか 引き算をしないといけない人生の時が来るんですね
あれもできなくなる、これもできなくなる、そういった時期が来るかなと 今朝ふと思いつきました
私もいろんなことをやってきたものではありませんが、この
病気でですね、凶病をしながら
どんどん 引き算をしますね。引くわけないです
できないことが多くあるわけですから、したくてもですね できない。あれもできない、これもできない。それで引くんですよ
実際にですね、年末年始にも家にたくさんあった本もですね
多くの友人、知人にですね あげたりあるいは捨てたりして整理もしたりですね
しましたけれども、それでですね、私は考えました 全部
省いて引いて引いて引いて、そして最後にこれはもう
力の限り やりたいですし、やらなくならないということが
03:03
あるならば 私には2つぐらいあるんだなぁと思いました
皆さんはどうでしょうか もしですね
これも引いて、あれも引いて、全部引いて、皆さんが私にとってはこれが一番大事なことだと思って
1つあるいは2つ、3つぐらいしかできないとしたら、何がしたいんですか
私は2つがあると教えられました。1つは
今このように主の御言葉を述べ伝えることです。力の限り
主が私の体を、精神を
礼儀を守ってくださる限り、主の御言葉を述べ伝えたい そしてもう1つは自分を含めて家族を世話すること
もちろん家は世話をもらっているかもしれませんけど、それかなと思いました
メッセージの中でしようかなと思いますけれども
皆さんにですね本当に祈っていただいているところでですね
実はあたかも今日の講座には
教科には来れないようなことが
実は今起きています 金曜日にですね定期検診がありました
水曜日に胸の手術をね取りましたところ
肺がんの方は小さくなったまま大きくもならず転移もなくて
幸いに守られているところでしたが 肺炎の方が
もう肺いっぱいにすりガラスのおかげがいっぱいにできてしまいました
淡い根っこがですね1点2点じゃなくても両肺全部でですね
たくさんできてしまいまして 先生が言うには
もし咳や痰の症状が出てきたらもう早く連絡して
夜中でも入院しなきゃなりませんと 金曜日に言われました
そして私 ちょっとしょんぼりはしましたけれども
その中で祈りました 主よ
もし
入院するとしても誠実礼拝でこのメッセージは 私にお取り付けさせてくださいと
そして もちろん主の身旨であって主が癒してくださることを願っておりますけれども
たとえそうじゃなくても このメッセージは別退させてくださいと
06:01
この使命を全うできるようにしてくださいと 祈りました
そんな中でですね私が毎晩夜ですね 読んでいる説教宗がありまして その先生はサムエル記から書いてある韓国の先生の本ですが
その中にですね私にですね 神様語っているようなメッセージでした
そこにねこんなふうに書かれていました ちょっとそこだけですね読ませておきます
メッセージの途中でするところではありますが 今日のメッセージにもですねつながるところであります
こういう内でした そのダビデとゴリアテの話からでしたけれども
あなたに生きる神様よりもっと強い問題がありますか
生きる神様の力と知恵よりもっと強い難関がありますか 誰があなたの心の中心に立っていますか
神様を中心に迎えて信仰に生きていってください 私たちを倒そうとする現実の問題のために
挫折しないでください その現実の問題に勝る神様
現実のすべての問題を収められる主を仰ぎみつつ ゴリアテを倒してくださる主
ゴリアテを乗り越えさせてくださる主を信頼しましょう 肺炎がですね悪くなったと診断を聞いてちょっとしょんぼりしていた私に
主はその夜ですね話しかけてくださいました 肺がより肺より強い私がいるのだ
肺を作った臓器を作った私がいるのだ あなたの病気を治め癒す私があなたのそばにいるのだと
語り上げられる主の御声を聞いた夜でした そして皆さんにも今日も
祈っていただいて支えられて
このように何とかですねこの御用を させていただけるこの恵みを本当に支えよう
心から感謝いたします一言を祈りします神様 私たちは本当に神の恵みと力によって支えられて今ここにおります
主よ 今日の礼拝が
我々の人生にとっての
最後の礼拝であるように 心を尽くして精神を尽くして力を尽くして目を覚まして
礼拝を捧げ賛美を捧げ御言葉を聞くものとさせてください そして本当に力ある限り主を愛して主に使えるものとしてください
09:10
主よどうぞ我々に主のお言葉をお語りくださいますように
心の目礼の目を覚ましてあなたの御言葉を 吸い込んで受け止めて喜んで歩むように行うようにして下さい
感謝してイエス様の皆によってお祈りいたします アーメン
アブラハムは 175歳の生涯でこの世を去りましたとですね先週
お話をしました アブラハムの生涯は終わりをつけましたけれども
神様の設立と約束は 永遠に続きます
また私たちも皆いつかこの世を去るでしょう しかし
神の約束はいつまでも続き 主なる神様が必ず成し遂げてくださることを信じていきたいと思います
アブラハムに多くの子孫がいました しかし
神の祝福と信仰を受け継ぐ者はイサクです これも神様の設立ですね
信仰継承の課題も神の主権によるものだと思わされるところです だから失望せずに希望を持ちたいところです
今日は イサクの話ですけれども
イサクは40歳になって リベカに出会い結婚をしました
このリベカは誰でしょうか イサクの親族ですね
その関係をちょっと考えてみたら イサクの父はアブラハム
そのアブラハムの兄弟である ナホールという人がいるんですね
そのナホールの息子がベトエル そのベトエルの娘がリベカなんです
いわゆるご神道にあたりますね
というのはリベカは神様の祝福の約束を受け継いだ 家の娘であるということがわかります
神様がなさることには間違いや誤りがありません 神様はアブラハムを選ばれ
その息子のイサクに信仰やその祝福を受け継がせていかれます 神様の説理は
12:05
着々と進み その時代その時代の人たちが 主の御手によって用いられるだけです
ノアもそうでした アブラハムもそうでした
今からイサクもそうですし 今日の私たちも皆そうです
ところが
今日の21節を見ますと このように信仰の中で結婚をしましたけれども
このイサクとリベカの夫婦の間には悩み事がありました 何でしょう皆さん
21節ですね もう一度一緒に読みたいと思います
21節です ご一緒に
イサクは自分の妻のために主に祈った 彼女が不妊の女だったからである
主は彼の祈りを聞き入れ 妻リベカは見こもった
ここでですね教えられる点がまず一つあります いくら神に選ばれ約束された結婚であっても
そこに悩み事があり得るということです
イサクとリベカの間には子供がいなかったんですね 彼女が不妊の女だったとあります
子供を持てない女性でした アブラハムとさら 両親に似ていると思うんですね
ここでですね家族家庭について 短くですね考えていただきたいと思います
人から見られていくら幸せに見えても 実際にその中を見てみると
そこに悩みとか悲しみとか あるいはいろんな課題を抱えている家族夫婦があるかなと思います
実際に子供が欲しいですけれども 持てない夫婦もいます
あるいはお金はたくさんありますけれども 家族の誰かが精神的に病んでいる家庭もあります
逆に体も精神もピンピン健康ですけれども 金銭的に厳しい家庭もあります
あるいは親は立派な人ですが 子供は引きこもりの場合もあります
あるいはクリちゃんの家族の場合 自分一人だけクリちゃんで 他は信じる人がいないという悩みもあったりします
このように 悩みのない家庭はないかなと思います
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イサクとリベカの家庭はそうでした 子供がいなかったんですね
しかし その悩み事を抱えていますけれども
そこでイサクは何をどうしていたのかが 今日 まず私たち学びたい大事な一点目であります
21節の最初の部分を見ますと イサクは自分の妻のために何をしましたか
主に祈った 何をしましたか 主に祈りました
イサクは祈りの人でした 悩み事がないわけではない
しかし彼は主に祈る人でした これなんです
幸せになるために結婚をしましたけれども 妻リベカは子供を持てない女性でした
しかしそこでイサクは ああどうしよう ただため息ばかりしている人ではありませんでした
あるいは 妻リベカのせいにして
もうあなたのせいだ 別れようみたいに 人のせいにしてはいません
あるいは自分の親アブラハム あるいはリベカの親ペトヤルに恨んで
なんで私にこんな女性と結婚させたんですか みたいにつぶやいてもいません
一切そんなことはありません イサクは何をしますか
主に祈りました ため息ばかりつぶやきばかり文句ばかり
人のせいにするばかりするんじゃなくて 主に祈る人でした
皆さんこれがこの朝 私たちに教えられる大きな教訓であり模範であります
つまり皆さん 何が幸せな家庭なのか何が祝福された家族なのか
それは何の問題や悩み事もない家庭ではなく たとい問題があって悩み事があったとしても主に祈りつつ
その問題や悩み事を乗り越える家庭こそ 主に力をいただいて
一歩踏み出す家庭こそ 誠に幸せな家庭であり 祝福された家庭ではないでしょうか 皆さん
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おそらく皆さんの家庭にも夫婦の間にも 何の問題もなくて悩みもない家庭はないんじゃないかなと思います
どうですか皆さん
たぶん 大なり小なりに何かの悩み事があるかなと思います
しかし大事なことは その問題 悩み事 あるいは私みたいに病気であろうが それを抱えている私たちが何をどういうふうにしているかが
最も大事なことなんですよ 皆さん
善のなる神様を信じる私たちが その悩み事に対してどう対処しているか この朝皆さん
神様に問われていますよ 遺作は
この不妊という 固い
悲しいことですね 悩みなんです
今の時代だったら医学の手を借りられると思いますが
だいたい4000年前の時代ですから そんなことはできない
しかもこのような部族社会において 子供 特に息子を持てないことは
もうこの部族 氏族の存続にかかわる 大きな危機なんですね
だから非常に重要で大きな問題なんですよ
しかし
その大きな山のように見えることであっても 遺作は神の前に祈りました
だから皆さん 今皆さんが何か
悩み事を抱えているでしょうか
神様の前に 長い間祈り続けている課題があるでしょうか
時にはそれが大きな山のように見えるでしょうか
しかし 冒頭に申し上げましたように
私たちの主はどんな悩み事より どんな悲しみより どんな問題病気より
もっと大きなお方であり それに勝る力ある全能の神様であることを 信じていきたいんですよ 皆さん
もう一点教えられることがあります
遺作はさっきも話をしましたように
リベカが子供を持てないことに対して 彼女を非難したり恨んだり あるいは子供を持てないから別れようとも思いませんでした
21:05
人は何かの問題が起きたり 悩み事が起きたりしたら その原因を人のせいにしたくなるような 悪さが我々にあるんですね
あるいはつぶやいたり 恨んだりして そしてそこに口論や喧嘩や別れや いろんな複雑な揉め事が 争いが起きたりするんじゃないですか 皆さん
いくら金持ちの家庭であろうが 立派な家庭であろうが 家庭に問題があってですね それがですね
夫のせいにする 妻のせいにする 親のせいにする あなたが悪い お前が悪い 親が悪い 子供が悪いみたいにですね
相手を非難ばかりしているなら そこは決して幸せな家庭ではないでしょう
主なる神様の前に 遺作のように その悩み事をも 支えていって 主の前に下ろして 主に祈る家庭こそ 誠に幸せな家庭であり そこに希望があるんですよ
ところで 教会も同様だと思います
何かの問題 課題があるとしましょう 悩み事があるとしましょう
解決しなきゃならない 何かが起きてしまったとしましょう
そのときに幸せな教会は 口論や論争をせずに ただ心を合わせて 主に祈る教会です
そして神様にそれを一切委ねて 神様に解決して 介入して 主に導いていただく教会
それが誠に幸せな教会 誠に主に喜ばれる教会なんです 人のせいにしません
その問題を私が抱えて 私が問題だと思って 主の前にまず自ら跪いて祈る教会が 誠に幸せな教会なのではないでしょうか
いくら百人千人集まっていても 口論ばっかりする教会は よりは十人集まって 心を一つにして 主を礼拝する教会が もっと幸せな教会なんです
遺作は子供のいないことのために ただ主に祈りました
その彼の祈りに対して 主はどうされたんでしょうか 今日のメッセージのタイトルでありますが
もう一度21節をご覧ください 私が読みます 遺作は自分の妻のために主に祈った 彼女が不仁の女だったからである
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その次ですよ 主は彼の祈りを聞き入れ 妻リベカは見こもった アメン
すごいことが起きたんですよ 皆さん 私たち聖書にあまりにも奇跡がたくさん書かれているから
当たり前のようにあまりピンと感動しないようなところがありますが これはもう今から4000年前に起きた 素晴らしい奇跡が起きたんです
主は彼の祈りを聞き入れてくださったんですね そして不仁の女だったリベカが見こもりました
奇跡が起こりました 主が聞き入れてくださいました 問題を抱えて主に祈ったら主が聞き入れられ その問題が消えてしまいました
ところで続きの25節26節を見ていきたいと思います
教育を読んでいないんですが 聖書を皆さん おもしろい方は引きたいのでご覧ください
26節だけでいいと思いますが その後で弟が出てきたが その手はエサ王のかかとをつかんでいた
それでその子はヤコブと名付けられた その次ですよ 遺作は彼らを産んだとき何歳でしたか
60歳だったんですよ 遺作は何歳に結婚しましたか 40歳に結婚しました
そうしますとこのエサ王とヤコブは 彼らが結婚して何十年後に生まれたんですか
20年後に生まれたということになります わかりますか皆さん
彼らは20年間子どもがいなかったということになります またそれは同時に遺作はあるいはリベカは20年間祈り続けたということになります
私は思うんですよ たまに祈ったわけじゃないと思います 日々祈り続けていったことでしょう
諦めず 失望せず 絶えず祈りなさいという新約の御言葉通りに20年間 これはすごいと思うんですね
本当に粘り強く祈り続けていきました そして神様は20年後彼らの祈りを叶えてくださいました
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もう一度申しますが 20年間子どもがいなかった遺作とリベカ
しかし祈り続けていった彼らから教えられること それは
失望せずに諦めずに神様に信頼し続け 祈り続けなさいという大事なことを今朝教えられます
今日 クリチャンやクリチャンたて教会に問題があるとすれば それはお金がないことでもなく
健康を失ったことでもなく 子どもがいないことでもなく 祈りがないということではないでしょうか
祈りを失っているならば それが最も大きな危機であり問題であります
祈る夫婦 祈る親子 祈る神徒がいる家庭教会は いくら大嵐が吹いてきても決してつぶれません
最も大きな危機は祈りを失うことであり 祈りを諦めたときなんです
あるいは祈りをないがしろにすることです どうか皆さん
お家で祈ってください 教会に集まって祈ってください 主の前に真実に祈ってください
課題がありますか 課題より勝る主を仰ぎ見つつ 主の御業がなるように 主の御心がなるようにと諦めず
失望せず主を信頼して祈り続けてください
ところが 私たちは祈ったら神様に早めに早く答えていただきたいんです
皆さんそう思うんじゃないですか 何かの課題があったら 祈ったらすぐ5秒後に
少なくとも1日後に答えられたらいいなと思いません 私だけなんでしょうか
すぐに答えてほしいんですね イサクとリベカの場合はどうでしたか
40歳に結婚して 子供がいなくなって祈ったら どうですか
その翌年41歳に生まれたんですか 違いますよ 5年後生まれたんですか 違いますよ
10年後生まれたんですか 違いますよ 20年後生まれたんです
彼の祈りを確かに主は聞き入れてくださったんですけれども 実際にエサオットヤコブが生まれたのは20年後でした
30:00
ここからもう一点教えられることがあります 私たちの祈りが叶えられるタイミングは
主のタイミングによるということです 主の時があるということですね
もちろんあるときにはすぐに答えられます あるときには数年後数十年後答えられますね
あるいは 私たちがこの世を去った後で答えられるかもしれません
あるいは私の願い通りの形ではなく 神の願い通りの形で答えられる場合もしばしばあります
私たちのタイミングと神のタイミングが違い 私の願いと神の願い その形が違うということを
私たちはこの朝謙遜に受け止めさせていただきたいんです
祈ってもすぐに答えられなくて 焦るときがあるかもしれません
私もこの肺がんも肺炎もすぐに直って もっと活発に主の働きをさせていただきたいと
願っておりますよ 祈っておりますけれども
主の計画とタイミングは主の御心にあると思うんですね
しかし確実なことがあります すぐに答えられなくても神様は眠っておられない
さもっておられないということなんです 私たちが知らないところで神様は
御自分の計画通りに神のスケジュール通りに 今も私たちのために
炎のような瞳を持って見守っておられ 働いておられ 介入しておられ 癒しておられ 守っておられ 備えておられることを信じていきたいんです
一番良い時は神様が叶えてくださった その時なんですね
イサクとリベカにとって結婚して 人間的には悲しかったかもしれませんが
20年後が そしてその時エサオとヤコブが生まれたことが
彼らにとっては一番良い時であって幸せな時なんです メッセージを終わりたいと思います
皆さんが神様に切に求めておられるその祈りは 決して地に落ちて朽ちたり消えたりすることはありません
33:01
神の中に大切に託えられて託えられていて そういうことを信じてください
そして必ず神の時 神の願い通りに成し遂げられることを信じて
待ち望んでまいりたいと願います お祈りしましょう
33:23

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