1. 名谷教会 podcast
  2. 2019/06/02:全地よ。神に向か..
2019-06-02 51:05

2019/06/02:全地よ。神に向かって喜び叫べ

2019/06/02 聖日礼拝

尹善鎬牧師

詩篇 66:1-4

00:01
皆さん、おはようございます。
皆さんに祈っていただいて、韓国でのリトルと、その後はフィリピンの集会の方式をさせていただいて、そして帰ってきました。
なぜかですね、皆さんの顔がとても白く見える。
多分、向こうの人の顔が、私くらいもっと黒いからなんでしょうね。
座っていて、前より皆さんの顔がとても白いなという感じをしております。
本当にありがとうございました。
昨日夜帰ってきましたけれども、本当に皆さんに祈っていただいたから、神様がいろんなことをなしてくださって、
また、向こうの中高生、青年の三父でしたけれども、彼らと、また奥のところから来られた、向こうの現地のフィリピン人の僕先生たちとの交わりとか、
また、私の友人の勤務兼教師ですけど、大体14、15年ぶりに会いましたけれども、家族にも出会って、交わりが持たれて、本当に感謝な時が与えられて感謝いたします。
ちょっと急いでですね、写真をちょっとお選びしましたので、写真をお見せしながら、報告をさせていただきたいと思います。
はい、お願いします。
フィリピンが下のあそこらへんですけどね、私が今回行っていた島が、大きな島が、ミンダナオという池間の下の島で、九州よりはちょっと広いかなと思います。
この中のティポログという、15万人ぐらいの、本当に田舎の町なんです。
はい、次。
ここが、日曜日に奉仕をしました、タピータンという教会です。
この教会も、友人の選挙師が、家族からサポートをもらってですね、建築した教会でした。
はい、真ん中がそこの教会の先生で、左の方が私の友人の選挙師です。
はい、これね、教会がかっこよくやっていましたね。
子どもたちが暗唱成功したり、歌を歌ったりね、フリスケもやっていましたけれども、フリスケは練習をあまりしていなかったのか、女の子一人でやってきて、みんな立って見ている。
でも、子どもたちも結構多かったんですね。
それで、日曜日はですね、私が韓国語で説教して、そして友人が英語で通訳して、またそこはマンダリン語じゃなくて、西部から近いからまた違う方言を喋っているので、この方言を真ん中の先生が通訳をしていましたね。
03:23
だいぶちょっと大変でした。2回もあたってね、メッセージをして。
でもね、子どもたちも大人も妙大ぐらいの人数だったんでしょうね、40人ぐらいね、みんなきちんとよく聞いていました。
はい、このようにですね、終わりのご祈りをしたり、はい、みんなね、祈りをね、一緒にしていました。
お互いのね、彼らにはみほのために、まだ私は彼らのために祈っていまして、また最後には先生に頼まれて、一人一人全員ですね、手を置いて安心の祈りをさせていただきました。
その後ですね、教会のランチなんです。素朴でですね、ご飯と魚と肉の煮付けみたいなものが出てですね、おいしくいただきました。
ここが教会の隣にある、普段CSをやったり、食事をしたり、ブロックで建てて、天井と上の間部分は空いていて暑いからですね、ここはもう扇風機もほぼなかったと思うんですね。
歩み、洗濯物が放たれていてですね、はい。その後はですね、いわゆるユースですね、小中高生年の集まりが毎週日曜日、この教会はあるんです。
そのパチタンという中では多分結構大きな教会の中の一つだそうなんですね。牧師先生の一番左にひげをしている人が牧師先生の息子さんですけれども、彼が世話してですね、リーダーをして牧師みたいに牧会をしていましたね、はい。
ここがキャンプ場だった教会なんですね、インマヌエルコミュニティ教会で参考と言うマセにありました。ちゃんとね、フランカードも作ってですね、私の名前もね、入れてくれました。
タイトルはイエス・キリストこそ私たちの唯一の希望ということで、メッセージは4回させていただいて、モーセについて、またヨシュワ・ルツ・ダリエルについて1日ずつメッセージをさせてもらいました。
はい、ここが教会の中でなんですけれどもね、クーラーはありません。気温はですね、昼間は37度、8度ぐらい。夜になったらもっと暑くなってですね、もうみんな汗かいてジショビザビしたね、はい。
06:12
外から見たらね、こんな感じなんです、はい。教会に行く道路の様子なんですね、はい。夜になったらこんな感じになります。
教会の隣なんです、向こうにメール、Pメール、それがトイレなんですね、トイレで真ん中に叫びの跡がありますが、そこでですね、晩御飯の汁物やチャーハンみたいなものを牧師夫人や夫人たちがガスコンロでもなくそこで火を起こして調理をしていましたね。
ここが教会の牧師館なんですね。礼拝堂は写真は綺麗に見えますが、綺麗は綺麗な方ですね。ここの教会も友人の選挙士が韓国からサポートをもらってですね、日本円にしたら100万円ぐらい、それぐらいでね、建てられた建物なんですね、はい。
皆さんからサポートいただきまして、子どもたちにシャープペンセルと消しゴムをプレゼントしたら、みんな喜んでいましたね、はい。感謝でした。
で、キャンプ中にですね、子どもたちと写真を一緒に撮りましたね。
フィリピン人は初めてですけれども、とてもシャイなんですね、だいたいシャイで、とてもピュアでとても素朴なんですね、はい。
みんな元気で、みんな明るくてですね、はい。
この姉妹はですね、この最初の日曜日の教会のね、ゼリカという姉妹ですけれども、後でメッセージの中でちょっとお案内したいなと思います。
でもね、忠実な姉妹でした。
こんな風に教会のキャンプ場の隣でですね、食べたり寝たりするところですね。
はい、次、はい、次、次。
こういう風に、それでですね、日曜日に経験して、私の友人の選挙主が、
先生も、あなた英語できるでしょ。
そしたら英語にメッセージして、先生がその現地の方言でつやくしたほうがいいんじゃないか。
いや、できないよ、できないよ。
いや、もうしてみてね、と言ってね。
それで仕方なく、10年以上使ってなかった頭を回して、フル回転して、英語で4回もメッセージ。
だいたい1回で、私一人で40分ぐらいは喋りましたね。
パワーポイントもありましたから、ちょっとね、ポイントを作りながら。
不思議にですね、英語できないものですけれど、なぜか本当に神様の恵みでですね、
英語でペラペラやまだではありませんが、十分フミニケーションができる、
09:02
半分は英語がわかる、半分は英語がわからない、そういう子どもたちですね。
山から降りてきた子どもたちもいましたから、そういうところでした。
みんな真剣に、はい次、真剣に聞いていたり、これはメッセージの後に分かってやっていたんですね。
本当に真剣にやってですね、そこの協会の僕先生もこんなに真剣に分かってやっていて、
嬉しいですとね、そういう僕先生の話がありました。
はい、そういうふうに聞いておりました。
夜ですね、友人の選挙所を取ってくれた写真ですけれどもね。
これがですね、豚丸焼きと向こうではリチョンと言いましたね。
これがパーティーがあるときに、キャンプの最後の木曜日の周回を早めにして、
夜のセリモニーみたいにパーティーみたいにするんだけれども、
なかなか食べれないみたいです。予算がないので。
今回皆さん献金してくださった献金で、ちょうど2匹分の献金が与えられて、
1メートルくらいで45キロくらいのね、豚でとても美味しかったんですね。
はい、こういうふうにね。もちろんそれは業者がね、全部作って持ってきてくれますね。
はい、子どもたちもですね、ほんとにもう、パスタ牛もね、てんちゅうてんちゅうでね、
そう言いながらね、ほんとに美味しくいただきました。
パーティーをしてるからみんなね、女子たちは化粧したり、ドレスを着たりですね、
そんなふうにして楽しい届けを申しました。
はい、次。
ここがね、集まった子どもたちの教会の先生たちなんですね。
左のお二人はほんとに山の奥からね、2時間、3時間測ってですね、
その教会の信徒さんがトラックを持っていたら、
トラックの後ろに子どもたち乗せて、ほんとにやってきたんですね。
はい、最後の集合写真になりますね。
これがですね、どこだと思いますか、皆さん。
このティポロクスっていうのは空港なんですよ。
空港の手前がこんな、どこか田舎のバスターミナルみたいなね、空港の手前なんです。
ちょっと動画を見ましょうか。
ここは空港から教会に、日曜日に教会に行く町の風景なんですね。
わかりませんけど、韓国だったら私が生まれた頃、70年代ぐらいの風景だなと思いますね。
車はやはりね、99%は日本の車でしたね。
トヨタ、伊豆津、ホンダみたいにね。
はい、次の動画もちょっと見てみましょう。
日曜日礼拝の前の賛美の時でしたね。
12:02
どこの教会、二つの教会でしたけれども、みんな青年たちが賛美をリードしていて、
中高生たちを引っ張ってリードしていてですね、
特にフィリピンも男性はちょっともんびりするタイプで、
女性たちがしっかりしてね、教会もそんな様子でしたね。
青年もそんな様子でした。
はい、もう一つ。
キャンプでの賛美なんですけど、賛美リードは女の子たちがやってましたね。
フィリピンの賛美を主に歌っていて、英語のヒルソン系の賛美も歌っていましたね。
これが向こうの方言ですね。
わけわかりませんけれども。
はい、もう一つ。
メッセージの後ですね、グループで分かち合いして、グループで祈りますと言ってですね、
中高生たちが、青年たちがこんなにね、あそこ祈ってましたね。
本当に、神様の恵みでメッセージが通じましたかなと思いましたね。
真剣に祈ってました。
私も感心しましたね。
波浮かびました。
様子を見ながらね、本当に。
こんなにね、男たちも祈ってですね、手をつないで、本当に。
中学生たちもいく人かいましたけどね。
大体中高生、青年でしたね。
これもちょっと見ましょう。
ちょっと意味は、出役してくれましたけど忘れましたけれども、
このメッセージの後にですね、感想を話してもらいましたね。
よく話してました。
この姉妹も結構山から降りてきた。
その境界では、お姉ちゃんみたいな存在でしたね。
これも皆さんの献金が加えられて、このね、木曜日の集会の後のパーティーができました。
子供たちは楽しく食べていて、先生たちに本当に感謝されて、
もうそれは私からはありませんよ。
もう明沢に境界からの献金ですよとですね、神様にお返ししました。
それがね、食べるときに子供たちが喜んでね、
15:03
みんな純粋でですね、もう本当に熱くてですね。
はい、大体これで終わりかな。
はい、これで終わりです。
ありがとうございます。
本当にね、全てはですね、神様がなさったことで、
また皆さんに祈っていただいてですね、その報酬ができたと思います。
今回、そのヒルフィに行かせていただいて、
神様から私自身教えられたこと、大きく二つありましたけれども、
それをですね、私は漢字でお話をしていきたいなというふうに思っております。
人はそれぞれなぜ生きていくのかというゴール、あるいは目標を持っているかなと思います。
ある人は家族のために、
ある人は自分の夢の実現のために、
ある人は社会や国への貢献のために、
ある人はこれといったゴールはないけれども、素朴に生きることでいい、
そういうふうに思っている人もいるかなと思います。
皆さんの場合はいかがでしょうか。
もちろん人はね、みんな必ずすごい偉大な人生目標を持たなければならない、
いけないというわけではないと思うんですね。
さっき一人の姉妹のね、ゼリカという姉妹の話をしましたけれども、
今回いろんなね、私の下手な英語でいろんな子供たちといろんな話をしていましたけれども、
彼女の信仰に驚きましたし、また感心しましたし、
そういう神様から良い志が私の心中に与えられたんですね。
セルフィンの田舎に行ったわけですけれども、
そこで出会った教会の先生たちは、あるいは青年たちは、
すごく大きな人生目標を持っているわけではないように見えましたけれども、
18:00
でもですね、一人一人、師を愛する心は本当に素晴らしかったんです。
特にですね、なぜか、根本的な理由はわかりませんが、
特にフィリピンの田舎は、いわゆる親が離婚した家庭がとても多くあるということですね。
親が離婚して、それぞれまた家庭を持ったりする、そういう家庭の子供も結構いましたけれども、
3分の1ぐらいはそうみたいなんですね。
それが良いことでは決してないでしょう。
その中の、さっきのデリカという女の子ですけれども、
今年、高校を卒業して、いわゆる短大に入るつもりなんですが、
彼女が4日のうちに2日間、パワーポイントを英語で必死に打ってくれたんですね。
何か私が言うたんびに、彼女は、Yes, best? Yes, best?
はい先生、はい先生、そんなみたいに答えながら、一生懸命打ちながらですね、
自分は本当に2倍の恵みを受けていて、本当に嬉しいですね。
打ちながら恵まれて、聞いていながら恵まれて、
彼女が一番ですね、アーメン、聞くたんびに応答してくれていましたけれども、
彼女の家庭も親が離婚していて、ああいうふうに暮らしているんです。
それで、私が彼女に聞きましたね、あなたの夢は何なの?と聞いたら、
仕事を持たなくてはならないので、できたら学校の先生になりたい。
国語の先生になりたい。
学校の田舎の先生、例えば、そこは中高が一つになっているらしいですけれども、
学校の先生やってもですね、日本円で、あの田舎の場合は月に7万8万円ぐらいなんでしょうね、給料が。
だからマニュラの帰りの日のタクシーでホテルから空港に行きましたけれども、
マニュラ市内のタクシーのドライブは、日本にですね、その人は1年間放居で建築現場で仕事をして、
30万円もらったみたいだけど、マニュラのタクシーをいつか見当ても3分の1ぐらいしかならないみたいなんですね。
その姉妹は、仕事は持ちますけれども、でも自分に夢があると。
何なの?と聞いたら、自分は自分の教会がバティタン教会ですが、
その教会で、もう天に行くまでこの教会で忠実に先生のそばで仕えて、
そしていい先輩になって、また中高生たちをリードできる、聖書を教えれる、そういう人になりたい。
21:10
そういうね、聞いたら素朴な夢かもしれませんけれども、
それをね、なんと言いますかね、とても真剣な顔をして、
これは私は神様から与えられた夢ですよ、みたいにですね、熱い気持ちでね、言っていました。
やはりね、その友人の選挙主によると、彼女は教会の中高生たちには本当に頼りになれるお姉ちゃん。
で、僕先生には、教会のスタッフみたいにですね、いろんなことをしてくれる、
先生が言わなくても自分でわかって、いろんなことをね、いろんなことをやってくれる頼もしい姉妹ですよ、とね、
さっきの僕先生は本当に褒めていました。
で、彼女がね、8月から、そこは8月だ、新学期みたいですけど、短大に入りますが、
幸いにですね、一生懸命勉強して、国立の学校のキャンパスが田舎にありますが、
そこが帰県でパフったら、学費は無料なんですね、ただで。
でも、もうその、政策費がない。
で、いくらぐらいかかるかと選挙主に聞いたら、女の子だったら、日本円で5000円あれば一月暮らせるとね、
そういう話を聞いてですね、あの女の子ともう一人ですね、またジュリウスという男の子がですね、
牧師になりたいとね、願っていましたけれども、その二人のなんかね、神様の見心があればね、
社法とかできたら、二人をね、育てることができるとね、1万円ですよ、月1万円あったらね、
二人の、もう二人のね、一ヶ月の生活費が足りるということなんですね。
そういうね、サポートができたらいいなとね、思いましたね。
まあでも、そういうふうに牧師になりたい、教会の真実な下辺になりたい、それが私の夢ですよとね、
まあそういう誇らしく言う彼ら、その姿を見て、
本当に日本から見たら、もう本当にね、田舎の田舎の、あのどこにあるかわからないフィリピンの田舎の町で、
小さな教会で信仰生活をしているんだけれども、神様を愛して、教会を愛して、何かお仕えしたいというね、
その愛がね、教会と兄弟姉妹と主へのこのハートがですね、熱いハートがこう伝わってきてですね、
本当に僕ね、私涙をしましたね。
24:01
同じ聞きながら、神様を愛しながら生きていくには、そんなに多くのものはいらないかもしれないなと思わされましたね。
彼女も彼らもみんなね、神様を愛して、兄弟姉妹を愛することでもう十分恵まれていました。
先祖たちは、とてもすごい伝母や仏会ができなくても、教会を愛して、
また隣の徳士たちと小さなことですが、協力をしながらこの世界の一角で福音の使命を担うことで十分で、
それで感謝している、満足しているその姿、そのライフスタイルに本当にいろんなことを思わされました。
大きく二つまとめてお話をしていきましょう。
一つは、すべてのものに満足し感謝すること。
これは皆さん、とても聖祖的なライフスタイルなんです。
使徒パウロはこう言いましたね。
私の恵みはあなたに、その次の言葉を皆さん覚えていらっしゃいますか。
十分である。
イエス様がパウロに言われた言葉ですね。
私の恵みはあなたに十分である。
本当に私たちに与えられている主の恵みや祝福は十分なのではないでしょうか。
あの大学生の女の子が月五千円で十分生活ができる話を聞いてびっくりしましたね。
もちろんマニラ都会は違いますけどね。
キャンプで出会った青少年たちは、すべてのことに感謝する素晴らしいクリスチャンでした。
昼間、三十五六度暑さの中でもですね、教会のにはこんな立派なエアコンがついていないんですね。
古い頭がね、変に回る扇風機が四五台壁についているだけでですね。
しかもまた電力が足りないから、昼間と夜に途中で切れるんですね。
ホテルにはさやみに小さなクーラーがついていましたけれども、夜中に何回も電池が切れてですね、暑い中で寝ておりましたけれども。
そんな中で誰もつぶやかないんですよ。
誰もね、嫌な顔している先生も子供も小さな子も青年も誰もいない。
27:08
暑いなと言っているのは私だけ。
もちろん彼らもこういうふうにね、手で暴れていましたけれども。
暑くて汗をとてもかいていながらも誰もつぶやきません。
キャンプの食事もですね、本当にとても簡単でした。
ご飯があって、そしてイワシみたいな魚が一匹ぐらいあるくらい。
それが晩ご飯なんですね。
それをみんな喜んで食べていました。
翌日はご飯とまた鶏肉が、小さい鶏肉が2、3点。
ジャガイモが少しある薄い味の煮物みたいなものがあって、それでもみんな喜んで食べていましたね。
またキャンプをしているのに、寝るところもないんですね。
教会の会場の底がタイルになっていますけれども、
敷物がないからダンボール箱を敷いて布団の上で寝たり、
外で木で木材を作った広いテーブルみたいなものがありますけれども、そこで寝たり。
でもみんな幸せ、感謝、感謝でしたね。
礼拝をしているときにもこれを張り上げて、大会で思いっきり賛美をしていました。
祈るときにはですね、本当にどこの国の大人に負けないくらい、子供たちが本当に素直に真剣な顔をして祈っていました。
誰もつぶやかない、みんな感謝している。
みんな天使のような顔をしていました。
私は彼らの心から、本当に神様を愛しているんだな、本当に教会を愛しているんだなと感じました。
また友人の宣教師とか先生に聞いてみたら、彼らには心配の影もないんですね。
そもそもほとんどの人はうつ病なんていないみたいですね。
田舎に行ったことはあるみたいですけど、田舎に行ったらほとんどない。
ムカつきも怒りっぽいことも全然ない。
みんな感謝で、みんな笑顔で満ちていました。
シャワーするところもなくてですね、私がその宣教師に、
あなたちょっと頃から先進しのって、まともなシャワー紙でも作ってあげようと言ったんだけどね、洗うところないんですよ。
30:00
それで男の子たちはちょっと500メートルぐらい歩いて川に行って、夜、体洗って、
女の子たちはトイレが、トイレと言っても便所みたいなトイレで電気が置いてあるだけで何もドアもないんですけど、
その横に外からパケットに水を持って行って、そこで女の子たちはシャワー浴びていましたね。
うん、そんなんで金も出ますね。
誰もつぶやきをしない。
感謝している。
暑くても、そい素朴な食事をしても、タイルの上で寝ても、おかずがイワシみたいな魚一匹だけでも、
貧しくても、イエス様を信じているから。
今回メッセージの中で、私はポイントを2つでしたね。
1つは、神様を信頼せよ。
もう1つは、にもかかわらず、どんな状況にあっても、イエス様は私の唯一の希望ですよ。
その2つのメッセージを、よくずっとね、同じにしましたけれども、
そのイエス様が唯一の希望だというメッセージで、みんなね、本当に恵まれていました。
彼らはまさに、貧しくても、家庭が本当に不運な場合であっても、お金がなくても、
イエス様がおられるから、それで私は十分たりきっている。
感謝している青少年先生方でした。
もちろん彼らにもね、悩みなんて全くないわけではないでしょうね。
また先生たちのことですけれども、私が初めた先生たちの家はさっきお見せしましたように、
教会の隣にあってですね、牧師館と言っても6畳ぐらいのね、
セメントの床になっているリビングみたいな、ヒッチみたいなところで、
狭い部屋が2つあるぐらいのね、そういうところで暮らしている。
キャンプの中で僕、正直教会の夫人たちは、教会の外ではもうね、あの暑さでですよ。
昼ごはんも朝ごはんも晩ごはんも、そのご飯を炊いて、汁ものを炊き火をしてね、
キャンプみたいにね、そういうふうに。でも普段もそうしているようでした。
ガスコンロもない。部屋にはクーラーもついていない。
家にも教会にもお湯は出ない。ホテルは出ていましたけどね。
トイレと言っても便所のようなところで。
でもそんな中で本当に礼拝するときには、もう世界一の恵まれた教会の様子をしていましたね。
ここが天国だろうなと私は思いましたね。
33:01
皆さん、私たちが神を愛して、教会を愛して、兄弟姉妹たちを愛して生きていくには、ある意味でそんなに多くのものは要らないかもしれないなと思いましたね。
皆さんいかがでしょう。
もちろん日本とフィリピンといろんな場合は環境や条件はいろいろ違うかもしれませんが、
その原理と言いましょうか、原則と言いましょうか、それは世界どこに行っても同じ一緒だと思うんですね。
神を愛して、主を愛して生きていくには、そんなに多くのものは要らない。
まだすごい目標を持っていないかもしれませんが、
その青年たちは、聖書が学びたい、神をもっと愛したい、教会の有原先生の助けになりたいと奉仕をすることを、みんな本当にすごい光栄と思っていてやっていましたね。
また先生たちに出会ってですね、いろいろ話をしながら、私はすごく感じたことがありますけれども、
先生たちには、だいたいフィリピン人の国民性もあるかもしれませんけど、何でも緩い感じですね。
フィリピンのタイムがあって、週間は6時に始まる。つまり、4時半になっても始まらないんです。
だいたい、7時半になったら、青年の竹下さん、ビリーズの彼らが来て、アナウンサーが来て始まるんですね。
終わりがいつ終わるかわからない。私がメッセージをどれくらいしたらいいんですか。
もういいんですよ。リミットはありません。
でも、そんなに長く英語でしゃべれないから、適当なメッセージさせてもらいましたけれども、緩いんです。
その日、その時、その人、それを楽しむというか、感謝するというか、そういう暮らし方、僕からのやり方なんですね。
もちろんそこは、週の半ばの帰都会なんてありませんし、日曜日の礼拝があるだけで。
ある先生は聞いてみたら、月曜日か土曜日は祭りの中心に行って、ポケの修理をして暮らしをしたり、
ある先生は畑の仕事をして、あるいはマンゴーを栽培して、それを打って生活をしたり、いろんな仕事をしながら、
傍らでぼっかりしている先生が。
でも、それは誰も、おかしいとか不満とか、何でこんなことをしなきゃならないと思っている僕じゃ誰もいない。
ゆるい感じですけれども、感謝する。
36:06
礼拝は修法もないんです。
法者も決まっていない。
その日の朝、僕の先ですね。
今日の祈りをしてもらえる?はい。
そんな感じで。
で、賛美をする。
プログラムも、日中礼拝の賛美思い切り、40分くらい思い切り賛美をして、一人が祈って、そして私から出てメッセージをして、
そして祈って賛美して、献金はしてましたね。
献金して終わる。
今日だけですか?普段もこんな感じですか?
普段もそうですよ。普段はもっと簡単、シンプルですよ。
でもみんな喜んで。
その日、何か頼まれても、猛という神とは誰もいないみたいですね。
フィリピンの信者の皆さんは、少なくとも私が出会った彼らは、とても素直で、とても従順で、何より、神様を愛する愛が本当に欲しかったんですね。
あのような環境の中にいても、あるいはそんな環境の中で僕らをしていても、自分自身を、あるいは周りの人を責めない、つぶやきをしない、感謝する。
他と比べない。
そう見たら、私たちはどうでしょうか。
私たちの生活環境や教会環境等々を考えてみたら、もちろんそういう比べていいか悪いかわかりませんが、
彼らと比べて私が見た感じでは、私たちは本当にもう最上級のような生活をしているんじゃないかなと思いましたね。
でも私たちはいかがでしょうか。
たまにでも感謝をしない。
あるいはつぶやきをする時があるんじゃないかなと思いましたね。
あれがない、これがない。
でもあっちにいたら何もない。
一年中暑いからですね。
聞いてみたら、日本に行ったら50円ぐらい、100円ぐらいのTシャツをね、街にいたらリアカンみたいなところに山みたいなTシャツを売っているんですよ。
それがいくらぐらいするか計算してみたら50円、100円、150円ぐらいなんですね。
それを2、3枚あれば一年中暮らしている。
ズボンもちょっといいものが500円ぐらい。
もっと高いものはありません。高いものを買わない。
立派なショッピングモールができましたけれども、そこのズボンは4円で1500円ぐらいのものがありますけれども、
39:04
ほとんどが社会にいないみたいな。感謝しています。
でも私たちはあれがない、これがない。
あれができていない、これができていない。
時々つぶやく私たち。
いつの間にか私たちが味わって驚愕しているものが、とっけんみたいに考えていて、
それが少しだけ欠けていたら、時には怒ったり、時にはつぶやきを言いふらしたりしている私たち。
彼らは本当に今あるものを感謝する。
今自分のそばにいる人、先生、子どもたち、教会の兄弟姉妹たちに感謝する。
でも彼らに希望がないわけではないんですよ。
主が満たしてくださること。
将来に海外選挙主になりたいという男の子もいましたね。
いろんなことを思わされて、私自身本当に何か大切なことをしてあげようという思いで、つまりで言ったわけでもありませんが、
本当にフィリピンの田舎に行って、本当にたくさん思わされて、たくさん悔やみをさせていただきました。
特に先生たちの様子を見て、姿を見て。
日本の方から見たら、とてもゆるい、何もしていないじゃん、みたいにね。
ああいう僕が日本の教会に来たら、すぐ翌月一服になるかもしれないですね。
何もしていないようで、いろんなことをしている。
でも僕先生自身も感謝しているし、神道の皆さんも感謝している。
神道がそんなに大切なわけではない、向こうもね。
いろんな遺憾があるんですね。
カトリックの国家だから、カトリックとシャーマニズムとキリストが混ぜたみたいな混合宗教が半分ぐらい田舎にいたらもっとあるんです。
15万人あるあの町に教会が100ぐらいあるみたいですけれども、奥まで行ったらですね、100の中で半分ぐらいは世界どこにもないような異端がたくさんあるんですね。
でもその教会の人もよく伝導はしていましたね。
皆さんいかがでしょうか。神様に感謝しようではないでしょうか。
その教会の家族に感謝しようではないでしょうか。
42:03
私たちの唇は、私たちの心は、感謝する心、感謝する唇に、そういうふうに願わされました。
テサランキルという手紙の見言葉よくご存知ですね、皆さん。
第2テサランキル5章18です。
全てのことについて感謝しなさい。
これがキリスト、イエスにあって神があなた方に望んでおられることです。
彼らまさにこの見言葉をすごく実践している教会先生たち、青年、中高生だなあと思いましたね。
私たちも全てのことについて感謝するクリスチャンになりたいと思います。
神様に感謝します。
兄弟姉妹たちに感謝しますよ。
家族に感謝しますよ。
感謝があふれるところは、そこがとても田舎で物が足りなくても、そこはまるで天国のようなところになるでしょう。
教えられた2番目の教訓ですけれども、私たちの神様は世界の神様であるということなんですね。
この真理を知らないわけではありませんが、今回の経験を通して改めて深く教えられました。
あの日々のあの田舎でも神様は働いておられました。
神様は親が離婚して本当に大変さの中にいる子供たちを救ってくださっておられました。
また本当に混合宗教の変な宗教や、あるいはそういった異端のような宗教から人たちを救ってくださっておられました。
爆発的な聖地はないんですけれども、徐々に徐々に、ある意味で本当にゆっくり、でも少しずつ子供が、中高生が、青年が、おじいちゃんおばあちゃんが救われていました。
もちろんもっと深く入ってみたら、そこの世帯もいろいろ悩みを抱えているかもしれませんけれども、
みんな救いの神様を信じて経験している教会の様子でした。
すごい限度ができないようですけれども、でも確実に人は救われていました。
そんな中でも、ゆるい性格の成難かもしれませんけれども、誰も焦りを持たない。
45:04
神様がなされるその流れに乗って、神様にお任せみたいな、そういう風に信仰生活を、仏会をみんなしていました。
私の友人の選挙司はこう言っていました。
彼は、韓国のバクテッド教団の進学に行ったわけですけれども、向こう、韓国では仏会をした権限がありませんし、ポップス教師はすぐにフィリピンに行きましたけれども、彼はこういう風に言っていました。
韓国にいるときには、何でもかんでも執筆に働く教会の仏師の、そういう働き、伝道しないといけない負担感、あるいは教会が成長できない仏師はダメだ、仏師みたいな雰囲気。
早く成長させたがる仏師たち、あれをしないといけない、みたいな雰囲気。
でも、彼はそういう先生方を見ながら進行生活を韓国でやって、フィリピンに来て、田舎の教会の神と先生たちに出会って、彼は言っていましたね。
今までの自分の焦りやアクセクト、働くしさ、あれは何だったんだろうな、と言っていましたね。
でも、彼は素晴らしい働きをしていましたね。
私のような立派な派遣協会もないものですけれども、不思議にですね、あまりにも田舎にいるから、誰かが何かの商会で一度そこに行って、選挙主に出会ったら、
もうみんな帰りのあの空港で、みんなもう号泣して泣くんですって。それで帰って、何かしてあげたい。
今回ね、私が帰りの前の日に、田舎から2回目に来た警察官が、中華15日掘って、何か奉仕をしたいなと来たんですけれども、
その友人の選挙主が、向こうのフィリピンの姉妹と結婚してですね、結婚して、韓国で人口受精と言いますかね、それで子どもができたんです。
でも、そういうカーキットなんか、ベイビーカーなんかは高いしないし、それでその親御さんが大きいボックスにですね、ベイビーカー、そして子どものカーキットをね、あるある韓国からそれを持ってきたんですね。
で、一度訪れてた彼らが、教会建築にどれくらいかかりますか。50万円あればまあまあ建てられますよ。いいもんの100万円建てられますよ。そうですか。そっちで建てましょうよ。
48:01
で、帰って献金してもらって、山の奥にああいう風に都会をすいからすぎるから建ててください。
こういう素晴らしい働きをしていました。彼はね、その15万人の街の中で、唯一の韓国人なんですね。だから空港に行ったら、空港の敷立の警備員たちが、
そう、彼らの名前はライアンというニックネームをして、ライアン、みんな知っているね、その街の人々がね。有名人みたいな、有名人だなとね、知っていて、みんなから愛されて認められているような感じのね、そういう人柄なんですけれども。
そういう風にゆっくり、ある意味でゆるい、何もして何をしてもしっかりと働きを、現地の教会や先生方を支えている働きをしていました。
そのまま生きておられ、あのシリティの田舎でも、またこの日本でも、あるいはもっとあるよりかような愛をね、お口の中でも、主は生きていて働いておられ、教会を支えておられ、人々を救ってくださっておられます。
私たちは、日本の中だけにいたら、周りがどういう風に動いているか、特に神様はどんな素晴らしい働きをしていらっしゃるか、なかなかわかってこないんですよね。
私は今回ちょっと悔いが一つ残ったんですけれど、今回行くときに、少なくとも苗谷の若者を連れて、あるいは京都の青年たちを連れて行ったら、本当によかったなと思ってですね、選挙主と話をして、約束までありませんが、近寄しに日本の青年たちを連れて来るねとね、言いましたけどね。
本当にね、言って、ああ、神様はこんなに素晴らしいお方なんだ。神様、この中でも、ああいう素晴らしい近所の人を主は育てておられる、という姿をね、みんな一緒に見てみたいなと思いました。
メッセージ終わりますけれども、主は生きておられました。そして主は今も働いておられます。
皆さん、私の一人なる神様を賛美しましょう。また、神様に感謝しましょう。また、この一生涯をどうしたら神様に喜ばれる生き方ができるんだろうか。そのために祈り、そのために求め、そのために歩む私たちでありたいと願っております。お祈りしましょう。
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