00:01
素晴らしい賛美、ハレレ氏を感謝します。素晴らしいですね、感謝します。
今日は、名谷教会の礼拝に出席させていただき、感謝をいたします。
導かれました聖書の箇所は、ピリピリと絵の手紙の一章の中から、福音の前身と題して、お言葉を取り付けさせていただきたく願わされております。
司会者の白井姉妹がおっしゃってくださったように、昔はお互い若かったのでありますが、今は私も先生牧師会がありまして、教区の牧師会ですが、
工藤博先生が、先生、先生も官暦来た?と声を上げて、無事に官暦に迎えましたということで、とうとうあなたもその域に達しましたか?と言われてですね、その域が何なのか分かりませんけれども、要するに、若くはないよということだろうと思うんですね。
神戸に参りましてから41年になりますから、卒業して37年ですので、そういう間にですね、私も皆様方のお顔を拝して、教団紹介でお会いしたなとかね、あるいはどうも私にとりましては、神戸地区は高嶺の花でございますので、
一度招かれてですね、新年生会のご奉仕に来てくれませんか?と言われましたが、祈ってみましょうということでお祈りしましたが、私はその器ではないということで、後日お断りのお電話を入れてやるのことがあります。
とかく、そうした招きに応じにくい、本当に田舎者でありまして、近隔者でありますから、全部省でありますが、それでも晩やもうえずということがありまして、全部府ことがありますが、
宮谷教会は、私にとりましては、初めてではありますが、しかし、松尾先生ごっさいからですね、宮谷の伝道書、あるいは株分けということをだいぶ以前にお伺いして、いろいろ先生にお世話になったものですから、
そういうつながりの中で、内田先生からお電話をいただきましたときにも、迷いましたけれども、松尾先生のお顔がそのうかんでまいりましたので、お断りすることはできなく、正直にお邪魔してですね、こうして賛美と祈りを捧げるまでは、多少の不安がありました。
でも、同じ住み合って挙がられた兄弟姉妹であり、そしていろんなところで種にあるお交わりがあることを得まして、そういうことを確認できまして、短い時間ですが、でも、安心して、公団の後押しに預かれることを感謝しております。
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本当にそういう意味で、松尾先生は、私は1981年に韓国に参りましたときに、国際福音交友会という交わりの中で、その当時は開言令下の韓国でしたから、また日本社は全然一台も入れないという時代でありましたので、大変日本に対しては偏見を持っておりました。
そういうただなかで、お交わりのある先生方がですね、日本の牧師で受け入れられるのは、これこれの先生ですと言って賛余に挙げられました。
小山玲司先生、そして本田浩二先生、それも巡回全員同社であり大牧師ですから、皆さんご存知ですが、しかしその3番目に松尾先生と挙がりまして、どうしてですかとお伺いしましたら、大らかなですね、本当に大陸的な先生で、
そしてその愛の中に私たちは安心して、お宅の団体とならお交わりをし、協約を結びましょうということで、礼拝は1週間もありましたが、大井教会ではその当時は2000人ぐらいの教会の集いがありましたが、
そういう教会の中でですね、松尾先生が陽気明かしをなさり、また捧げられ、そしてそういう交わりの中に日本の教会が覚えられているということは大変嬉しい思い出でありました。
また台湾にも何度か参りました時に、今度は台湾でもまた松尾先生や選挙区として行かれていた藤原先生の関係等々でですね、本当に宮谷教会は、いや、西部教会は、神戸西部教会はと言ったらいいのかもしれません。
同じ流れの中にあります。親子関係でありますから、そういう中で海外でも主の栄光を拝していることを思う時に、本当に幸いな流れにあることを嬉しく思うんですね。
私は神戸にキリスト教会に使わされましたが、長島先生が彼の地で伝道されて40年、そして天に参りました。
10年間福牧師をしておりました尾野敦子先生が伝道師から福牧師、福牧師から牧師となりまして、10年間なさいましたが、新学校の方に導きがあるということで教団の人事で、その集会の方に参りまして、その決意ができたので、神の国に誰が行くべきか。
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何人か名前が挙がったそうですが、その二人の一人として私が示されて参りました。私は行きたくなかった。
熊本に1980年に使わされまして、ゼロからの開拓に行くように。ちょうど松津先生が委員長の最後の頃です。そして熊本に開拓伝道をするから、丸山は行くように。
うん。本田先生はその当時総会でおられた方はご存知かもしれませんが、熊本みたいな固いところにどうして教団を挙げて伝道するの。お金の無駄遣いになるよ。やめといた方がよろしい。
熊本先生ははばからず堂々とそれを言うんですね。使わされる私にとってはもう本当に身が引き締まるような思いでありまして、それぐらい固い。ところが松津先生は、いや信仰を持って彼の地に伝道することは良いことなんで、どうぞ本田先生は要らんことは言わんでください。
そしてですね、そして丸山の中で手を置いて祈っていただいて、私は牧師5年さしまして、加賀都の伝道修士6年でしたね。大原で5年山の中での農村伝道に従事して、そして熊本に使わされました。
でありますから14年させていただきまして、4年間で独立伝道持久協会になるように、それがなされなければ人事考徹をもってこれに当たる。と言って、時の伝道局長が開設式の時にですね、そう言われて、その解説をしたのだ。
私は本当に無学の定人でありますから、人事考徹という言葉しか知らなくて、帰られてから人事考徹という字を工事園で調べましたら、クビと書いてありました。え、4年間で独立持久協会にならなかったらクビなの?
初めてですね、まあ大したものではないですから、それほど自分で期待しているわけではありませんが、でも信仰を持ってやろうと思っている矢先に、もうクビが先に決まっている、ということでありますから、本当に目が覚めるような中で、毎日毎日汗を流し、時には祈りの涙を流し、
時にはその当時若かったからかもしれません、過労かもしれませんけれども、まあ鼻血を流す、血を流すというようなことを経験しながら、趣のある意味ですね、え、4年で無事持久協会になりまして、そしてその4年後に、え、熊本のちょうどインターチェンジのところでありますが、出て2分ぐらいのところに、
09:05
まあ300坪の土地が与えられまして、そこに街道を建て、まあ堕落が一軒家がありましたから、そこを屋根を直して私たち夫婦が住むというようなことでありました。そういうことがなされて、え、恵みがなされ、主が栄光をあらわしてくださったんですが、でもその後ドーンとですね、
中心的な若い姉妹方が2人3人とですね、え、協会未完の腐れのように群れを離れまして、え、そしてですね、え、窮地に陥りました。いろいろな噂があって、え、ですね、え、噂を聞いて、おそらく間違ってますよ、それはそんなことない、根も葉もない事実です。
それは噂話ですとかをいろいろ、え、ですね、え、取りなしをしてくれますが、心を固く閉ざしてしまった方々にとってはつらいものですね。群れを離れるようなことになりまして、そして協会は少し8キロほど移りましたから、まあそういう意味ではですね、新たなところでの展開ですから、え、信用がありません。
まあそういうような中で、え、2人3人と去るものですから、共生も財政も、え、でちょうど1988年頃ですから、バブルのただ中ですね、え、銀行の賃金もどんどん上がるしね、まあそういうような中で、え、本当に苦悩の中にありましたが、でも協会は主のものですね。
主はそのような中に、え、群れをこう本当に主のために、主と主の協会のためならば、私は喜んで、え、その主に従います。先生、労が払えなくなったら、私たち夫婦は街道の後ろに6畳の部屋に住んで、家賃を全部献金しますから、というようなことも申し入れてくれるような兄弟や姉妹が、先生、私、塾をします。
私はソロマン、私はピアノ、私は学習塾、それを選挙献金という形で献金しますから。まあ本当にですね、小さい協会には小さい協会の戦いもありますけれども、大きな恵みもあるんですね。
まさにそういうことが2年3年なされて、無事そのところも乗り越えまして、やっとこれから第2の協会の様々なですね、まあどうしても部屋が大きいと、どうしてもエアコン空調設備なんかは最初できませんでしたから、第2期の工事として。
じゃあグランドピアノを入れ、空調機も8キロワットですか、それを2台入れて。そしてですね、やっと落ち着いて、次の節分にと思った矢先に、巨大委員会から電話がかかってまいりまして、実は今来年の人事についてお祈りしてますが、道引の中にあなたの名前が挙がっておりますから。
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そして祈った結果、協議した結果、あなたたち夫婦が家族が神の国キリッド教会に行くようにと決まりましたので、連絡しておきます。お祈りください。ガキャッとこう聞かれます。
やっと終わってですね、正直亀の粉も、瓶の油もなくなった。そしてクリスマスを迎えているその中にですね、人事の話が、時の委員長からあったのであり、泣きましたね。精神的におかしくなりましたね。
看護師さんが、先生、夜寝れないときはこれを、ハルシオンという薬、私初めてもらいましたけど、本当は病院に行かなきゃいけないんでしょうが、その方、いろいろ事情があってお持ちだったようでありまして、まあそんなこともありましたが、でも自分の口でも、教会は主のものであって、私たちは主から選ばれたその使命がある限り、その使命に行きますけれども、
しかし私たちが生きるのは、私たちを愛し私たちのためにご自身を捧げられた御子を愛する信仰によって生きるんだ。その信仰によってここまで来たんですから、いろいろあったとしても従いましょう。
まあ2月のちょうど半ば頃ですが、時の総務局長、中島修一先生が来てくれましたが、みんな帰ってください。私たちはもう短期教会になりますから。昔はそんなこと言わなかったんですが、でも信徒が徒党を組んでそう言ったんですね。
私はその時に、いやとんでもない、それだけは駄目。主にあって祈られて捧げられて、熊本信愛教会は今日があるんですから。それがですね、強制財政が落ち着いて、街道が与えられ楽になったからといって、それで単立教会になるなどということは、傍恩の罪にあたる。
その恵みを忘れてしまったら、私たちは我が魂を主を褒めよ、そのすべての恵みを忘るのなかれ。その恵みを感謝していくことが教会ですから、教団を出るなどということは、もうとう言ってはなりません。悔い改めなさい。先生にお詫びしなさい。
そしてですね、会議の始まる前から大変でしたけれども、でも2時間3時間4時間と会議は続けましたが、教団にお依頼いたします。どうぞ良き人材を送って下さいということで、人材の送られることになり、私たちは岡山に参りました。
まさにそういうような中でしたから、正直人間的にはですね、まあこんなことを教団員が言っていると言ったら叱られるかもしれませんが、まあでも正直その通りですね。けれども神様は使命のあるところに使わせて下さいますから、神の国に行きましたらまた神の国キリスト教会では、中島由紀夫先生の後をですね、小野先生が10年、それから17年間。
15:12
まあ色々ありましたけれども、楽しい。そして今は本当に神の家族として幸いなスキンシップ。
もうですね、信者さんのおじさんの最後の時の先生お祈りに来て下さい。1週間前に臨終かもと言われたものですからお祈りしましたが、1週間先生祈りが聞かれて回復してきましたから、なお回復して退院できるように病院に来て、直接お祈り来て下さい。
私、会ったことない。その奥さんは何度もお交わりしたり教会に来てくれたり、愛を持って接してくださる奥さんですが、86歳のですね、その方の名前はおさむさん。
まさにその方にお祈りしてですね、本当に受け答えも、父が、主人がこんなにしてくれるとはということでありますが、また帰ってきましたら、ある方からお届け物が届いてました。
17年間お交わりがありますが、一度もそういうお届け物がない人で、なくていいんですそれはね。だけど帰ってない人から来るとびっくりしますよ皆さん。岡山の一番有名なデパートの店前からですね、そのお届け物です。
で、ちょっと精神的に弱い部分があります。ご主人はですね、国立病院の外科部長で有名な方でありますが、まあリタイアされて今、民間に行っておられる方の奥様でありますが、英語の先生でもありますが、鬱の病気を持ちの方であります。
時々そういうことがあるんですね。で、そういう方からそれが届いたものですが、かなりびっくりしました。何でしょう、一文が入っていましてよかったですね。
遅いクリスマスプレゼントです。私からの心ばかりのプレゼントです。ワイシャツの下手剣とダンヒルの生地が入っていましたが、かなりにはかなりのプレゼントがありまして、それを細かく言うと失礼になります。やめますが。
まあそういうようなことでよかった。精神的な方はね、プレゼントしたが最後、もう教会これでさよならですというような方もありますから、何回も経験していますから、ですからですね、うかつにプレゼントは怖いですね。
まあでもそういうプレゼントなら、それはまた恵みですから、遅れたクリスマスプレゼントをお送りしますということですから、趣にやって感謝しましたが。まあそういうことをさせていただきます。
なんでこんなことを申し上げましたかというと、実はこのピリピピトへの手紙の開拓者であるヒト・パウロは、ピリピの教会とそのような深い深い良き交わりがあったんです。
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私たち伝道者はイエス様に習う、イエス様の子供に習うんですから、私たちもパウロ先生のようなその生き方をして信者さんとの交わりの中に構築されていく。これが世々の教会変わらない。
私が安心したのは宮谷教会が、まさにそういう聖津先生や神戸政府教会の、そして日本イエスの中でも本当にあさえる教会、祈る教会として、その手に宝を蓄えてこられた中の恵みの教会であることを思うときに安心するんです。
ですから、このピリピの教会が開拓伝道されたのは、ヒト教伝の十六章に出てまいりますね。そのルディアという婦人が救われ、またその二人三人、そして牢獄の監視とその家族が救われ、そこが教会になる。
その教会が主にある兄弟姉妹が、ハウロ先生の伝道のために愛をもって祈り、愛をもって捧げる。このような教会は他になかったと言っているでしょう。
だけど、ハウロ先生が伝道したのはピリピの教会だけじゃなくて、エペソピリピ、コロサイ、セサロニケ、さまざまあるわけであります。手紙も十三の手紙が書かれているわけであります。これにその教会もそうです。その他の教会もそうです。
けれども、ピリピの教会だけが、私があなた方を主にやって導かさせていただいて今日に至るまで、愛をもって祈り、貧しさの中、あふれる中から、じゃあちょっとハウロ先生ちょっと困っているようだからと言うのではなくて、自分たちが貧しい中にもかかわらず、喜びをもって感謝をもって施す込みとなった、その愛の中に私たちは入れられている。
それを思うと、ピリピの信者さんを思うと、喜んで喜んで、そしてその喜びのゆえに何度感謝を捧げたらいいかわからない。これが一節から十一節までのところです。
皆さん、私たちは牧師先生に、もうあの人の顔は思い出したくない。あの人のためには、もう強いられたら祈るけれども、積極的には祈らないというような信徒になったら終わりですね。
普通の牧師さんの場合ですよ。本当に牧師がその信者さんとその教会を思うときに、見てください。一生の四節、三節から。
21:00
私はあなた方のことを思うごとに、私の神に感謝し、あなたが、あなた方すべてのために祈るごとに、いつも喜びをもって祈り、あなた方が最初の日から今日に至るまで福音を広めることに預かってきたことを感謝しています。
もうあなた方のことを思うごとに、私の神に感謝し、あなたがたのすべてのために祈るごとに、いつも喜びをもって祈り、あなたがたが最初の日から今日まで福音を広めることに預かってきたことを感謝しています。
四章の最後のところではですね、そのこのように述べてますよ。十四節。
それにしてもあなた方はよく私と困難を分け合ってくれました。ピリピリの人たち、あなた方も知っているとおり、私が福音を述べ伝え始めた頃、マケドニアを離れて行ったときには、私の働きのために物をやり取りしてくれた教会は、あなた方のほかには一つもありませんでした。
テサロン家にいたときでさえ、あなたがたは一度ならずも二度までも物を送って、私の乏しさを補ってくれました。
皆さん、私たちをお祈りしますでしょう。求めなさい、そうすれば与えられます。探しなさい、そうすれば見出します。叩きなさい、そうすれば開かれます。まさにその当時ですよ。
だけど、あふるる恵みを神様は天の窓を開いて、その注ぐか否かを見なさいとありますが、空から降ってくるわけではないですよね。
お祈りが聞かれて、そして志を与え、かつ実現に至らせる神様が、フィリピンの2章の13、14節で言っているように、その祈りが、その祈っている祈りに誰かを唱えて、そして志を与えて、そして愛をもって、それを、祈りを、それは計画して、私が頼んで、そしてその人が答える、それは駄目なんです。
そうじゃなくて、主の前に祈る時に、そのような祈りが聞かれてくるんです。私は大原教会という農村の教会に5年おらせてもらいましたが、本当におらせてもらったという感じ。招かれた時にも、若き青年牧師来たる歓迎と書いてありました。
前任の三村勝夫先生が書いてくれたのですが、「先生、こんなに牧師一枚に大きく書いてくれた。ありがたいことだなあと思いましたが、わかったことは、歓迎会してもらったら、私が一番若かったんです。会員として。ですから青年牧師来たるということでね、一番来たる。
ですから先生、まあ、くしばしが黄色いんだから、少し落ち着くまで頑張りなさい。追ってくれればそれでよろしい。そっち側牧師がやっていいのかわかりませんが、信徒がわかりませんが、そういうスタートですね。それでもいいんですね。大原教会は本当に人を育てる教会でしたね。
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少々のことがあっても牧師をやり込めて途中でいなくなったり、そういうことはなかった。斉藤渉先生も中島修一先生も、そこの5年間牧会された先生であります。その他、高田光一先生はその他諸々ありますが。
私もその中に加えていただいて、とにかく先生、安心してここで牧会に前途してください。追って祈ってくれてたらそれでよろしいから、と言われながら励まされたんですが、まさにそういう与える教会でしたね。祈ってくださる教会でした。
私たちはそういう祈りの中に牧師も作られ、また同時に信徒も作られているんですね。祈りが聞かれる。そのために不思議と、とあることで正直に言いますと、教会の車がいつもですね、信者さんがもう廃車にしようかなという車を教会にプレゼントしてくれるんです。
ですからあるときは、北海道に行くという青年大会があったときに、西米津まで行こうとするとき、先生大変ですと後ろに乗っている青年たちが、あの左側のドアが開いちゃいました。じゃあ西米津に着くまで持ってなさい。ハンカチで繋いで、落ちないように気をつけてねという感じですよ。
そんなようなことでありましてね。その次に頂いた車もそうでした。鳥取全道に行っていましたが、プスン、プスン、プスンと信者さんの家の前に着いたら、先生バッテリーが燃えて何か臭いですよと。
で、普通の工場に頼んだら、もう廃車以外手はありませんと言われました。そんなようなことでしたから、役員会で手にあって、全道のために新しい車を買おう。買いませんか。ちょうど隣の土地を買ってましたものですから、散乱しておりましたから、そんなお金はない。
そんなことが先生がしたかったら、先生の祈りで与えられてください。先生の祈りで与えられたら従いましょう。買っても結構。だけどそうでなかったら、やることが、違うことが優先順序がありますからと言って、会計役員にガンとしてお断りをされてしまいました。
でも私はそのとき、じゃ祈って祈りが聞かれたら、買ってもいいんですね。しかも先生の苦面で財が与えられたらいいですよ。祈りましたね私、二ヶ月。したら不思議ですね。ここで細かいことを言うのをやめますが、結論、秋のいいやつ、カリーナってその当時ね、千葉新市が宣伝言ってたその車が、新車で与えられたんで皆さん。
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与えられて祈りが聞かれたときに、その会計役員が何と言ったか。先生は清っ子だと思ってたけど、神の使者ですねって声を張った。そう、牧師はね、ある先生が言いましたね。ちょっときつい言葉で誤解しないでください。牧師と詐欺師は似ている。
見えないものをあたかも見えるようにして売りつけ、お祈りしてあげ、そして平安を祈る、祝福を祈る、商売をする。だけど牧師と詐欺師の違うことは、詐欺師は実際地面知ってて地面を売るけど地面がないとかね。
そういうのが詐欺師だけれど牧師は、目に見えない神様を信じて目に見えない神様の言葉によって信仰を持って祈るけれども、御言葉に伴う確かな印を持ってお祈りが聞こえていく。これが牧師。
牧師と詐欺師が一緒なわけない。だけど先生から言えばそうだと言うんですよ。だから、詐欺師にならないような牧師になりなさいと先生は私に言いました。はい、わかりました。
信じて祈ることによって、人にはできないことも神にはできる神にはなんでもできないことはない。そういうことがあるんです。すみません前向きが長くなりまして。さて、そういうようなフィリピンの教会の素晴らしさでありますけれども、ところがパウロ先生にとりまして思わぬことが起こったんです。
さて、兄弟たち私の身に起こったことが、かえって福音を全身にさせることになったことを知ってもらいたい。私がキリストのゆえに投獄されているということは、神業体の全員とその他のすべての人にも明らかになり、なんと皆さん、福音とはよき訪れでしょう。
イエス様を信じたらあなたの人生にその永遠の命が与えられますよ。あなたの人生は祝福に変わりますよ。私が抱いている計画はあなた方に災いを与えようというのではなく、あなた方に平安を与え、あなた方に将来を与え、あなた方に希望を与えようとするものである。そうなんです。
福音とは、イエスキリストの福音とはそういうものですね。お互いが経験しているところでありますけれども、それまでは罪に穢れて、本当に神様の前にしてはならないことをしてしまったり、言ってしまったり、あるいは愛さなければならないものを愛すことができない、大事にするべきものを大事にすることができない、その罪にまみれて怒りのこのようなお互いが、
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イエス様によって、「父よ、彼らをお許し下さい。彼らは自分を何をしているのかわからないのです。」と言ってお祈りくださったお祈りの中に言えられたがゆえに、「御子イエスの血があなたの罪を清めるよ。」罪を清めていただいて、
まず神の国と神の義を求めることができるような、そして魔物の神に取り憑かれてお金の支配に預かっていたものが、逆に献金をもって神様に使える、お金を支えることができる、お金を支配することができる、そういう存在に変えられているわけです。
献金とはそうですね、献金の流れですから、お宝ですから、最も大事なものを神様にお捧げすることができるようになったの。その福音を語っているパウロ先生が、なんと人生最低の場所といわれる牢獄にぶち込まれているというのがこの記事です。
イエスキリストを使われたために、宗教的な迫害に遭った。パウロ先生はローマの極野に繋がれてしまった、というのですね。小説のクオバーディスなどを読みますとですね、ネロ皇帝がこの時代の皇帝ですが、その第二夫人のポワイアス姉妹という方がいますが、第二夫人だそうです。
その夫人がですね、ネロ皇帝の言うことを聞かない。なんでか。それはキリストの教えを第一にして言うことを聞かない。皇帝というのは神です。神の言うことを聞かない。とんでもない奴だということで、クリスチャンたちを迫害してローマに火を放って、そしてクリスチャンたちの殉教に乗り出したということが言われているんですね。
そういう第二夫人が救われるきっかけとなったのはどういうことだろうか。また部下による福音書が首都行伝のテオピロカッカと出てまいりますね。あの方も言うならばフレビアンス、フレメンスという人がその人でないかと言われます。そういう行政人であった。そしてその貴族であったわけです。
けれどもそういう人々が福音に預かるチャンスなんてないわけです。でも実はこのことがそうではないかと多くの学者が言うのでありますが、私の身に起こったことがかえって福音を前進させることになった。
つまりパウロ先生がイエス様の福音のために投獄されている。そしてその投獄された理由は一体何なんだろうかということを調べていくうちに、いや調べるだけではない。福音がそこで語られることによって、そういう王室であるとか日本で言えば皇室であるとかというところに福音が届いていった。
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ですから私たちの計画は時には人には多くの計画がある。しかしその身胸だけが固くなる。まさにそういうことがあるんです。今度お姉妹がお祈りくださったように、神がなさることは皆その時にかなって美しいと後で言えるんですが、その時はどうしてですか神様と思わず、どうしてですか。
私のお祈りを聞いてくださらないんですか。何で私がこういう目に遭うんですか。何で私たちが愛を持って仕えているのに、自分の計画とは違うことが及んでしまうんですかと私たちは悲痛な叫びを上げることがあるんです。
私はまさにそういうクリスチャン人生のただ中にあるけれども、呼ぶのようにあなたは愚かな女性が言っているのと同じだ。私たちは神様から幸いを受けるのだから、災いをも受けるので受けようではないか。
主が与え主が取られたのだ。主の皆はどんな時にあっても、どんな時にあっても私の言葉ですが、主の皆をほんべきである。ほんべきかな。そうなんです。神のなさることは皆その時にかなって美しい。
皆さん、盗獲というのは、こんな人間を生かしておいたら危なくてたまらない。だから牢屋に入れるわけでしょ。これは昔も今も変わらないわけです。
青野先生の計画にはそういう計画はなかった。にも関わらず、そのことが神霊体の全員とその他の全ての人にも明らかになり、神霊体はローマ人ですからね。ローマの軍界ですから。
そしてそのことが皇室院あるいは皇帝院やこのポアイネス姉妹やそういうクレベンスやそういう人々が救われるに至った。彼は後に殉教しますけれども、死のために喜んで死んでいくということになりますか。
皆さん、私たちの犯されているその現状は、まさに胸に手を当てて見るときに自分が思っているのとは違うと思うようなことがあったとしても、そのことを通して神様は八方塞がりではなくて、
36:00
そのただ中にあって、神は行き詰まらないということを教えてくださるんです。
イエス様を信ずることによりまして、復活のイエス様がその祈りに応えてくださって、そして勝利の道をお与えくださる。
常識的にはもうだめだ。四面楚歌、八方塞がり、絶対ですね。まさにそういうようなことが目の前には常識ではそうなるかもしれないけれども、そういうただ中にあっても、私の身に起こったことがかえって福音を前進させることになったのを知ってもらいたい。
そういう中にあっても、必ず神様はそのことを通して前進の業を起こしてくださる。福音は行き詰まらない。
仕事においても、家庭においても、あるいは私たちの今後の生活においても、教育のただ中において悩んでいるそのことがあったとしても、その一つ一つをイエス様の前に申し上げて、神様、現状はこうです。常識的にはこうなるかもしれません。これしか考えられません。
けれども、私が望んでいることはこのことです。どうぞ、このことを福音の前進のために、私は教育されたと言えるように導いてくださいと祈りたいですね。それがこのメッセージなんですよ。
そして実際に福音が伝えられて、そしてチャンプランであった、いい加減であった人が、その通り、ますます大胆に神の言葉を語るようになりました。
それは主によって確信を与えられ、恐れることなく、だって同じように捕らえられるかもしれない、盗獄されるかもしれない、村端にされるかもしれない、そういうただ中にあっても大胆に、
ネタビア等が進化する人もあった。でもそれが主の皆があがめられるなら、それがいいじゃないですか、と言って積極的に受け入れてくるんですね。
皆さん、私たちはクリスチャンとして、それぞれの持ち場立場から、父よ、彼らをお許しください。彼らは自分で何をしているのかわからないのです、そのような招きを受けたものであります。
お祈りをいただいたものであります。そして一人一人の名を呼んで、私はあなたの名を呼んだ。あなたは私のものだ。その声を聞いたときに、十字か十字か我がためなりということがわかるんですね。
39:05
そしてクリスチャンになったんです。イエス様を信じたんです。そしたらこの時からイエスキリストにある命が、命というのは目に見えません。けれどもわかることは、命をいただいているかどうか、それは命があるとイエス様に喜ばれるように仰いで、そしてあたかも太陽の光を得て植物が成長して、
そして根を張り、下に根を張り、上に実を結ぶように、そのように命が作用して神様の前に、愛、喜び、静子、御霊の実は愛、喜び、平和、関与、慈愛、誠実、乳は慈生であって、これらを否定する立法はない、という実を結ぶ存在へと変えてくださる。
素晴らしいですよ。そのことがなされたい、というのです。
そして時間が来ていますから、もうやめなければいけませんが、もう一つのことは、そういう生き方が出来ました、こういう技が起こりましたから、パウロ先生にとりましては、そのピリピの一章の21節、2節のところで、私にとって生きることはキリストであり、死ぬこともえきです。
そのことを宣言した。生きることとキリスト、これがもう切り離せない関係、思いも生き遣いも行動も、イエス様の御前に何が主に喜ばれることが最善であるか。
大旅でも言いました。私はあなたの御心、昼も夜もあなたの御心が私の心の内にあります。イエス様もそうでした。我が思いではなく、あなたの御胸をなしてくださいと祈りました。
パウロ先生は、私にとって生きることはキリストであり、死ぬこともえきですと言いました。生きること、死ぬこと。
人工防腐を入れて生活する世の中で、スポーツ停止ということでした。それまでは中学生の時にもベストイレブンに選ばれて、高校からもサッカーの特大生で授業料はいりません。制服もカバンもみんなあげます。朝から夜までサッカーだけしてくださいと言われて、特大生になろうかなと思うぐらい、それぐらいサッカー好きだったんですが。
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でもサッカーよりももう一つは自転車が好きで、その自転車の選手になろう、その方が金持ちになると思って、自転車愛好会で自転車をお借りして練習していたんです。
練習が終わって、はっと影が感じたものですから、頭を上げたらちょうどガソリンスタンドのところにダンプカーが入ってくる。その時に虚偽用の自転車、ブレーキがありませんから、思い切ってブレーキをかけて、でも間に合わず引きずられまして。
そして気骨骨折、四本の骨と、それから尿道がなくなってしまって、そういうことで四回の手術を受けたりしまして、そしてその時に初めて、生きるということは何なんだろうか、死ということは何なんだろうかということを考えた。
人間普通は生きること死ぬこと考えないんです。けれどもそういう極限のところに追いやられた時に初めて、私にとっては私の人生って何なんだろうか、それまではとにかく面白お菓子とお金をたくさん手に入れて、警察のご厄介にならないような人生を送れたらそれでいいというのが私の考え方でしたが、中学3年、高校1年の初めでしたが。
けれども、そんな中から助かった私ですから、この命をそういうことのためだけに生きていいのか、そうではない。聖書に出会いまして、出会いの証をすると長くなりますから、はしょりますけれども、
イエス様が十字架十字架は我がためなり、カルバリの十字架は我がためなり、イエス様が私を愛してくれているんだ。私はそれまで本当に歌う歌、歌は好きだったの。だからロシア民謡一生懸命歌ってましたが。
また、フォークソングの始まりでしたが、でもその通り歌われていた歌は、今日の仕事はつらかった、あとは焼酎あおいで、ああいうサンヤブルースとか牧師さんの息子さんが歌っていた歌でしたが、まさにそういう歌しか売れていない時代。
なんと悲しいかな。でも私は教会に行った時に、人生の海の嵐に、モマレキシコノミモ、聖歌の472番ですね。そして、あなたの港に行こう我はやすしという歌を出会った時に、ああここには神戸を挙げて人生を生きている人たちがいる。
驚きでしたね。歌う歌を持っていませんでした。ロシア民謡のような悲しい、どちらかというと心がくすんでいくような歌が多かった中で、この世のフォークソングも本当にそういうような歌が多いただ中で、人生を神様を仰いで、そして神様の前に真面目に生きる世界があるんだということをわかった時に、
45:14
私はそれだと思って握りました。16歳のその5月のことでした。感謝します。
まあ強情なところがありますから、それから何回もありますが、でも高校卒業する時には、もう新学校に行きます。そして1年間教会のデッチ防空をさせて行って、デッチ防空になったのか邪魔したのかそれはわかりませんが、
でもちょうど街道を建てる先生が、自分で街道を建てなさるというから、もう本当に助けたりね、屋根に登ったり、あるいはマンコール大きいのを掘ったり、そんなことを毎日していましたが、翌年主は行きまして、そして学びを受けさせていただきましたけれども、16歳のあの時を忘れることができません。
主が私に、主は私たちのために命を捨ててくださった。それによって私たちは愛ということを知った。それゆえに私たちもまた兄弟のために命を捨てるべきである。周りは学園紛争、三無主義とか七無主義とか安田行動のああいう問題のただ中です。
関西も関東も本当に東大が受験が、試験がなかった1年ありますね。ちょうどその年ですよ。三菱重工の本社前で爆発があって、そういうような受験のただ中で、私は訓練生として塩屋に行くべく1年間訓練を受けていましたけれども。
もしイエス様に出会ってなかったら私もそうしていたかもしれません。けれどもイエス様を信ずるならば罪が許されて、永遠の命が与えられて、そして世に勝つ者は誰か。それはイエスを神のこと信ずる者ではないか。スポーツをしていましたから。
負けたらダメなんですね。勝ったらファンファーレでもう8種合体ですが、どんなに、昔は負けというのはコイントスでね、今はPKでしますが、サッカーはもうひどいもんです。
キャプテン一戦落下が、はい、もう延長戦で0対0、1対1、同点だったらどうなるかって、昔の話ですが、キャプテン同士が出てきて表か裏か言うんですね。ジャンケンして表か裏か。そして表、はい、表、こっち勝ち、こっち負け。まあ、でも負けたら、それでも負けは負けですね。
ある時に、そういう形で一回勝ちまして、それから優勝したことがあったら、もう拍手を与えるんですよ。もう中学生、大い時代ですからね、もう10クラスぐらいあるそういう中で、月曜日にはもうファンファーレで。そして校長先生からですね、それぞれメダルをかけてもらって、まあ私は栃木県の宇都宮市の出身ですから駅前で育ちましたが、中学校22ぐらいありましたが、総理の中で優勝した。
48:24
だけど本当に勝った時はコインドスで勝った。相手の方が優勢だった。だけどですね、勢いづいでついに優勝まで行きましたが、まあ別に自慢話するんじゃないんですが、つまりそういう本当にデリケートなところから救われて、そのイエス様がなんと、十字架の上で罪のないお方が、善なるお方が、強いお方が、
義なるお方が、私はあなたのために、聖となり義となりあがないとなるよ。そして私は栃木県宇都宮の生まれでありますが、どこの家にも平井神がありますね。雷王国です。
そしてガラガラキャーッと落ちてまいりますと、テレビ見てたりしますとですね、そこに落ちてきたらどうなるか。ある人はですね、難聴になります。火事になります。ゴルフをしている人が、そこへキャーッと来たらですね、もうそういう意味では死に至ることもあります。
中学校の先輩が、雨が降ってきた。まもなく雷が。ということでベースを、野球のベースを、一塁二塁三塁集めている二塁のところに、ベースのところにちょっと金具がありますね。そこにドカンと。上級生、一年上級ですから、その方は即死です。
とにかく恐ろしいですね。雷は好きにはなれません。けれどもその雷であたかも、エリエリデマサバクタニワガカミワガカミ、どうして私はお店になるのですかと言って、私たちのために、私たちが神様にあって正しい生活を送ることができるように、祝福の生活を送ることができるために、私は身代わりとして十字架にかかるよ。
これが贖いですね。そしてその贖いの業が完成したということによって、私が最も大事なこととしてあなた方に伝えたのは、十字架にかかり、三日目によみがえったこと。十字架と復活ですよ。
そのことがイエス・キリストの最大のその誕生の意味でもあったわけです。その恵みに預かって以来、そうこんな小さいものでもイエス様の赤首として用いていただけるなら、喜んでイエス様の種目になろう。
51:01
そして私を作り変えてくださった神様は、私の友人たちにも救いを及ぼしてくださるでしょうし、そして福音を聞いて受け入れくださった方、その名を信じた人々には彼は神の異なる特権を与えられるのでありますから、神様の恵みに預かることができる。
熊本で最後に洗礼を受け出された方は、元警察の署長さんだったご夫妻でありますけれども、その方が言いました。どんなに警察のその捜査やあるいは法律で人を守ろうとしても、あるいは裁こうとしても、それは本当に大まかなことしかできない。
けれどもその人の心の中にイエス様が入ってくださったら、最高善、私は善にして善を成したも、その神様によって最も道徳の道を生きることができる。良き道を生きることができる。人間として真っ当な道を生きることができる。これこそ大切な教えですね。
私も信じます。カナエも信じます。と言って、奥さんは時事通信の熊本支社で働いていた方でありましたが、その方も救われ、そしてこれはつまり主の下部として言うんですが、そして洗礼を受けて翌年、転勤になるその時でありましたが、先生私たちにとって、先生ご夫妻は命の恩人です。
そんなことを言ってもらったのは初めてですけれども、でも本当に言葉だけではなくて態度に表してもそうでしたが、そして去年お召されになりましたそうです。奥さんが召されたそうですね。そういう連絡がありましたが、本当に命の恩人ですと言われるほどの祝福。
それまではお金には困らない。私はよく婦人というのはすごいですね、訪問伝導していって、立派な一戸建てで、そして新車のベンツが止まって、その当時はベンツは高かったですからね。そしてですね、垣根も立派なところ、でもピンポーンとしたら、聖書を勉強していませんかと言ったら、うん、聖書は知っているよ。
10年前から宣教授の先生から聖書をもらって読んでおるけどわからないので困っていた。時々読んでいた。じゃあ僕読んできますから、どうぞ聖書を勉強してください。それから私は毎週その家に行きましてですね、週に1回1時間勉強して繋いでいましたが、ある時にご主人が先生、私はイースターの時に洗礼を受けたい。
家内は御所だから受けるとは言いませんけれども、私は受けたいと言った時に奥さんが、ああいやらしい。奥さんはお金持ちで、お姉さんも女医さんでですね、下の娘で何でも自由に買いたいものを買えるような、そういう通信社のそういう働きをしていましたから。
54:20
まあご主人から見れば、花よ蝶で育ってわがまま放題と思ったんでしょう。私も寝る時にはちゃんとイース様にお祈りしているのよ、一人だけ受けて。
いやあ兄弟、こう言ってますからこんなありがたいことないじゃないですか。ちょっと時間を送らせてですね、2ヶ月ほど、もうちょっときちんとして洗礼を受けましょう。そして一緒に洗礼を受けになった。
それから16年、趣味ある生涯を奥さんは続けて、戦に凱旋したということでありますが、私たちは福音に預かるということは、全ては生きなんです。そして生きることも厳しそう、死ぬこともいきなり、そう言える人生があるんです。
そして私たちは先週、この旧約聖書のヨシハの生涯のヨシハはどうして変えられたのかというメッセージでしたけれども、神様は、私はあなたを見放すことも見捨てることもしない。大しくあれ強くあれ。
そしてその最後の時には、神様が私に約束してくださった一つ一つのことで、何一つとして約束してくれなかったことはなかった。私はこの白い人の行く道を行こうとしているけれど、私と私の家とは共に死に遣いますと言って、最後の哲学説教を終わってますね。皆さん信仰って素晴らしいものですよ。
ですから内村観蔵先生も、勇ましい高尚なる生涯、後世に残る最後の異物の中で述べておりますが、それはお金を残すことでもない、教育を残すことでもない、文章にすることでもない、たくさんのこと、それもそれでいいんですが、祝福なんですがと言いながら、でも誰もが快能があるわけではない、誰もがそういう賜物に恵まれるわけではない。
でも、そういうものがなかったとしても、一人びとりがイエスキリストの子供として、イエス様が私のために死んでくださった人として、そのイエス様の愛によって私は生かされている、その愛に応答して生きる教会であるならば、誰もが勇ましい高尚なる生涯を送ることができます。
それこそ後世に残すところの最大の遺産ですよ、と述べているわけですね。
どうぞ私たちも今日、私の身に起こったことが、かえって福音を全身にさせることになったのを知ってもらいたい、と言えるお互いでありたい。
57:02
そして、私にとって生きることはキリストであり、死ぬことも益である。そのことにおいても神様の栄光が現れるような生き方をさせていただきたいと思います。お祈りをいたします。
愛する天皇とお様、貴重な両谷教会の礼拝に出させていただいてありがとうございます。
宗イエス様の恵みによって救われたパウロ先生が、なんとこの世を騒がすところのとんでもない役立たということで牢獄に投げ込まれ、そして本当に人生最低の場所と思われるような中で苦悩を味わいます。
確かにそういう苦悩はありましたけれども、しかし神様はそのところにあっても、福音の全身のためにその神影体の中から救われる人が起こされ、いやそれは後続にまで及ぶというような素晴らしい恵みが起こり、そしてまたクリスチャンたちの中でも、どちらかといえば優柔不断で、そして迷っていたような人が、そうではない。
本当に手にあって確信を与えられ、恐れることなく、ますます大胆に神の言葉を語るようになったという、その御業が現れましたからありがとうございます。そして生きることはキリストであり、死ぬことをまた生きるであると宣言することができました。
私たちの生涯も人の人生は70年にして、あるいは健やかにして80年でしょうとありますが、どうぞその人生のただ中において主の皆が崇められる、あの人はクリスチャンだった、イエス・キリストの子供だった、そしてそのような生き方をしていかれました。
そこに彼の残してくれた遺憾があります。その遺憾に習いましょうと言われるような、キリストの良い香りを残していくことができるように。またそのような秘聞として、ああ、あそこにクリスチャンがいる、あそこに超キリスト社がいると言われるような生き方ができるように。
聖津先生がそうでした。まさにそのような生き方の中に皆が崇められます。私たちの多くの生徒の祈りの中に今日がありますが、どうぞそのイエス・キリスト様の視線を感じ、またその生徒に出会ってなかったら、私たちの今日はないはずでありますから、どうぞその生徒の愛に習って生きることができるように私たちを導いてください。
与谷教会の一人びとりよ、主よあなたはご存知ですか、命をもって贖い取ってくださった神のしもべたち一人びとりよ、どうぞ私は走るべき行程を走り尽くした。今や私には義の冠が待っているばかりであると言える。どうぞ生涯を送ることができるように。
そして忠実なしもべよ、よくやったと天上でお褒めの言葉をいただけるように、我らを導いてください。
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試練が様々あるかもしれませんが、神は我らのかけどころ、悩めるときの意図しかき助けとして、どうぞお望みくださって、そのところに主の皆は本べきかなと言えるような身業を起こしてくださるように、よろしくお願いいたします。
今も働いておられる主の恵みを感謝します。ご成長くださいましたお一人びとりに、主が豊かに報いてください。
また祈られたお祈りに応えて、御言葉に伴う確かな印をもって、祝福をお与えください。愛する主や貴様の皆によってお祈り申し上げます。アーメン。