1. 名谷教会
  2. 2017/10/22:根のチェンジ
2017-10-22 50:35

2017/10/22:根のチェンジ

2017/10/22 聖日礼拝

金基峰師

ヨハネの福音書 15:1-7


00:01
みなさん、おはようございます。大雨の中でみなさん、よくいらっしゃいました。
足を運んでいただいて、またこのように秋の特別礼拝においでいただきまして、これから開催いたします。
まず、それではですね、コーヒーの先生をご紹介したいと思います。
キム・キボン先生。日本語に読むならば、もとみねと読めるかもしれませんけれど、もといとみねと漢字を書かれます。
キム先生は、大学もまた進学を卒業なさって、また進学校も私と同じですね、同窓ですけれども、
先生になりで、牧師になる勉強をなさって、そしてその後は、またさらにキリスト教育学を専門をなさいました。
私の派遣協会であるセオンの協会で、10年ほどですね、進学生のころから服部子までですね、
特に教育分野の働きをずっとなさって、そして2013年から富山で開拓をなさいました。
オンサー・コミュニティ・サーチという協会をですね、開拓されて、今、伸びて施策している中でですね、
例えば、磯橋知事を送られていますが、わざわざですね、この神戸の地においでくださいました。
今日、午前と午後、大きなテーマはチェンジ、変化というテーマの中で、午前は目のチェンジ、いわゆるね、
我々のこの根本的なところのチェンジが、変化が起こりますようにという見言葉であります。
それでは早速ですね、金先生を皆さんにまた学習でお迎えしましょうか。
皆さん、お会いできて嬉しいです。
明丹教会は私には特別な教会です。
4ヶ月前に明丹教会に短期選挙で参りました。
日本だけではなく、日本の教会に訪ねたのは初めてでした。
皆さんが座っているこの地の中で一週間、寝て、寝て、宗教をして、祈りをしながら、たくさんの恩恵を私は受け取りました。
私は個人的にも、神様が日本に対してたくさんのことを教えてくれました。
03:15
そして、ここにいる間に韓国から連絡が来ました。
教会のための武器が1つ出てきましたが、きっと来てもらいたいと言いました。
教会の街道を建築する良い星が出ましたので、きっと来てくださいという良い知らせの電話でした。
でも、その星はそんなに余裕はない教会なんですね。
また、武蔵の中で建築ができそうな星も見つかっていなかったところでした。
しかし、短期宗教を与団の教会での短期選挙が終わって、帰ってすぐにその星の工事ができる契約ができました。
400平方メートルの土地を、13億円という大きなお金で契約しました。
私たちの教会にはお金がありませんでした。
しかし、奇跡的に教会で起こった何か事件で、契約金1億3千円が準備されていました。
ところがですね、それほどのお金は教会は持っていませんでしたけれども、何かのハプニングがですね、不思議に頭金くらいの1千3百万円くらいのお金が不思議に手に入りました。
でもですね、その頭金以外の部分のお金は教会は持っていませんでした。
その後ですね、6月に来られましたから、その間4ヶ月間、奇跡的な不思議なことが今起こり続けています。
ところがですね、なんと来週が残りの残金を払わなくならない期限が迫っているんです、実は。
その時、私はまたここに来ました。
神様が与えてくれた恩恵を皆さんと分かち合いたいと願っております。
06:03
またですね、あいにく台風の中で私はここにやってまいりました。
ホテルでですね、朝起きてデボーションをしましたところ、政府に予防という人物の人がいますけれども、彼の人生の結論のお話です。
子供さんが全部亡くなりました。財産を全部失いました。
友人から民が非難されました。
神様への信仰を固く持つことができなかったんですね。
ところがその中で自分の人生が定まりました。
旧約聖書の予布期ところがありまして、38章ですけれども、
38章1節、私がお読みしたいと思います。
私がお読みします。予布期38章1節、
主は嵐の中から予布に応えて仰せられた。
この御言葉を見ますと、神様はいつ仰せられるんでしょうか。
国風が降んでいました。
嵐の中から御言葉が与えられました。
皆さんこれは実際にあったことです。
帰国する前に国風が日本へ来ると言われたので、
心配でしたが、
今日の朝に目覚めながら、神様が私たちに話すことができると確信しました。
国風が降んでいると苦しい皆さんを祝福します。
私たちの横の方に挨拶しましょうか。
よくいらっしゃいました。
予布が嵐の中で神様から聞いた、
神様のメッセージは何でしょうか。
予布期の42章に行きますと、
1章から5章まで一緒に読みましょう。
09:02
予布期の42章に行きますと、
1章まで一緒に読みましょう。
今、この目であなたを見ました。
アーメン。
神様は生きておられます。
神様は働かれます。
予布はこの嵐の中で自分の今まで持っていた不意や不満、
そういったものをすべて降ろさなければならなかったのです。
今も日本に向かって台風が上がってきています。
飛行機も船もあるいは人の動きも、
一旦止まらなければならないでしょう。
今日1日だけですけれども、ぜひ皆さんお願いしたいのは、
予布が耳だけでなく目で神を見たように、
皆さんも今日のこの1日の中で今まで耳で聞いていた神様のことを、
目で見るその恵みの1日となりますように、ここからお祈り申し上げます。
私がこの頃最も関心を持っているキーワードは、変化、チェンジです。
新原聖書の第2コリント5章17節を見ますと、
誰でも1日のうちにあるなら、その人は新しく作られたものです。
古いものを消させてみよう、すべてが新しくなりましたとあります。
携帯電話の代理店に行ったら、古い私の携帯電話を新しいものに変えてくれました。
入居の日に問題があったので、お家で持ってきてくれましたが、新しいものに変えてくれました。
車が故障になって、会社にまた持ってきてくれましたが、会社から新しい車を私にくれました。
家が古くなって故障して、泊まって、新しいものに変えてくれました。
家がボロボロ古くなって、突き潰さずにいったら、新しい家を建ててくれました。
12:04
お手のことが気にならなかったので、神様になったら新しいお手をくれるんでしょうかね。
子供がですね、もう本当に親のことを言うことを信じてくれなくてですね、心配しているから神様が新しく子供をくれました。
それはどれだけ嬉しいことでしょうか。
皆さんところが、それよりもっと驚くべきお話があります。
誰でもクリスマスの家にあるなら、新しく作られたものですと。
最初私が持っている悩みです。
教会の中に入るなら、クリスマスの家にあるなら、先生はあなたは新しく作られたものですよと言われるのに、果たして自分はこの道に全く新しいものになっているんだろうかという悩みです。
イエス様信じて、僕になっているこのものが、全く新しいものになっているんだろうか。
教会が開拓して、信徒が追加できていますけれども、彼らは本当に組み合って、新しいものになりすぎているんだろうか。
皆さんも妙丹教会に来て、イエスを信じましたが、新しいものになったのでしょうか。
これが私の悩みです。
自分で自分のことを変わったと認めることができるんだろうか。
家族が私としている周りの人々が、あなたは新しいものになりましたと認めてくれるのでしょうか。
先生ははっきりと宣言しているように語っているように、果たして本当に自分は新しいものに変えられているんだろうかということです。
残念ながら、真似なテイストでしょうが、教会に行って、むしろ変に変わってしまう場合もあるかもしれません。
今日、私が日本に来た理由も、皆さんがここに座って、この言葉を聞く理由も、これだけであります。
私が過ごしているその変化について、真面目に今日、神の前に一度、座ってみてほしいです。
15:06
神の前に真剣に立たせていただきたいと願います。
皆さん、このように言いませんか。
主よ、私は新しいものになっているんでしょうか。
ただね、今皆さんがおっしゃったように、すぐに変えられたら、何と嬉しいことでしょうか。
この新しいものという証を私に下さい。
今日、言われた言葉も、世の中のすべての人々に、イエスに満ちた言葉です。
この新しいものに対する神のメッセージであります。
パオルを通して、新しくなったと宣言している彼を通して、その御言葉の見込みをいたしたいと願います。
パオルという人は、神様をイエスキリストを削害した者でした。
イエスを信じる者も、すごく恋愛した者でした。
しかし、彼がたった何日で、全く新しいものに変えられました。
そして、その彼が、すべてが新しくなりましたと言っています。
一体何が起こったのでしょうか。
その新しい御言葉を見ると、まず彼はイエスキリストの声を聞きました。
その新しい御言葉の四節を私が読みます。
サウロ、サウロ、なぜ私を迫害するのか。
私が聞いたのは、自分自身に対する神の声です。
皆さん、私たちが新しいものに変えられるのでしょうか。
それは、自分自身がどんなものなのか、自分のこの実体に対する神の声を聞かなければなりません。
18:00
私のことに対して、もっと正しく語ってくれる方に聞かなければなりません。
今まで、パウルは、自分は神様に対して、とても熱心なものだと、そういう風に思い込んでいました。
その時、パウルは、自分は神様に対して熱心だと思って、文書を持って様子に向かっている途中でした。
しかし、その途中で、その道の中で、彼はイエスキリストの声を聞きました。
あなたは、今、私を削減していると、大部分の人々は、自分は、よくやっていると、そういう風に思っているでしょう。
真っ直ぐに迷惑をあまりかけていませんし、真面目に暮らしていますし、
真面目に都会の礼拝にも来ていますし、聖詩も読んでいますし、
また、祈りも熱心にしています。
しかし皆さん、私は神様から、自分の実態に対する神の声を、信じていただきたいです。
イエス様は、マタイの福音書の7章で、
マタイの福音書の7章、21節、22節です。
私に向かって、主よ主よと言う者が、皆、天の御国に入るのではありません。
天によられる私の父の御所を行う者が、入るのです。
その日には、大勢の者が私に言うでしょう。主よ主よ、私たちはあなたの何よって上恩し、あなたの何よって悪霊を追い出し、あなたの何よって奇跡をたくさん行ったではありませんか。
今、授業をしている牧師様や御神様、そしてお祈りをしている皆さんも、そうではないかと考えなければなりません。
皆さん、私たち牧師、また皆さんも、もしも天に入れないかもしれないと、そういう意識を持って行くのではありませんか。
悪霊も追い出しました。奇跡も起こしました。
しかし、悪霊は彼らを見つけて、私はあなたを知らないと言っています。
与太に教会の皆さん、皆さんは、自分自身の実体のことを、神様からお聞きしているのでしょうか。
私は、今まで自分の人生の中で、何回か神の御声を聞きました。
21:10
その御声を聞いて、私が分かったことは、これと同じです。
あなたほど全くだらとした者はいない。
私は、母親の子供として、それなりに良い信仰を持っていると思っております。
しかし、教会の中だけで良い信仰を持っているものです。
私は、親がいないときに、自分の周りに誰もいないときに、自分は自分の罪を犯していたものです。
教会の中で恋愛をしていました。
しかし、人がいないときには、自分なりの人生を楽しんでいました。
結婚してからも、私は本当に立派な夫だと思っていました。
親切でした。真面目でした。
もう本当に愛していると、私はそういうふうに思い込んでいました。
しかし、後から気がつきました。
私の嫁が、私が家に入る足の音を聞くことが大嫌いだったのです。
私は、そこで恋愛を終わって家に帰りました。
一生懸命働いて家に帰りました。
しかし、家にいる私の妻が、教会から来る私の足の音を聞くことが大嫌いだったのです。
私は、素晴らしい父だと思っていました。
私は、青少年の専門家です。
誰よりも、私の女の子たちと話すことが上手だと思っていました。
しかし、私の妻たちの話は、私の妻たちの話を受け取ってきました。
私の父は、もう頑固すぎています。
私は、主の前にあって、自分の実態のことに突き刺されました。
私は、教会の会社として、最も自分の実態を知ることができました。
私はですね、自分が開拓したらですね、教会がぐんぐん盛んだだろうと、そういうふうに思っておりました。
私は、賢いものだと思っておりました。
そうに結構人気者だと、そういうふうに思っておりました。
しかし、そうではありませんでした。
24:03
主の前にあって、自分の実態のことを気づかされると、
私は、神の恵みなくしては、一瞬も生きられないものであることがわかりました。
むしろ、神の栄光をさまさげる、神の神に恥となるものであると、私は気づかされました。
その時から私は、少しずつ変えられていきました。
エスニーモールから、自分の実態のことを聞きました。
パウロ先生の周りの人々はですね、パウロ先生本当に立派な先生ですねと言われたかもしれません。
パリ裁備途中、パリ裁備だと言われました。
彼は立派な家系の者です。
もうあの、素晴らしいですね、学歴も持っていました。
あらゆる分野でですね、もうトップでした。
しかし、私は彼は、主を削減する危険な者でした。
皆さん、日本中が神の恵みによって救われることを皆さん願っていらっしゃいますか?
アーメンですか皆さん?
私は、昨日入国し、少し、牧師さんと茶を飲み、道を歩き、日本の人々を見ると、心の中に悲しみがありました。
とても余裕がありました。
とてもきれいでした。
そういう人たちが神を知ると、神をどれだけ深刻に信じますか?
とても親切で、私が心を変えれば、すぐに信じられるような気がしました。
しかし、私は、日本人に伝導するのが難しいです。
その理由の一つが、もしかしたら、皆さんのためかもしれません。
皆さんが教会に行って、皆さんがイエス様を信じて、最高にしなければなりません。
日本の皆さんが皆さんを見て、驚くほど、人があれほど変わるのではないか。
27:08
人があれほど変わるのではないか。
皆さん、私たちは主の前に、自分が何者なのか、実体を、それに対する神の声を聞かなければなりません。
私は神様を失くしてはいけないものです。
バウルは、とても衝撃を受けました。
私も、実は大きな衝撃を受けました。
正直に言うと、私は生きたくありませんでした。
妻が私の足跡を嫌いにしています。
子供たちが私を認めてくれないのに。
子供たちが私を認めてくれないのに。
手を持つ牧師でありません。
私の思う場所では、見つけられない犯人がたくさんいます。
私はどうすればいいのか。
しかし、バウルは、驚くほどの主の声を聞きました。
しかし、バウルは、素晴らしい神の声を聞きました。
その新しい宗書15章を見ますと、
私が読みます。
行きなさい。あなたは私の名を異邦人王たち、
イスラエの子孫の前に選ぶ、私の選びの器です。
あなたは、私の選びの器だと言ってくれました。
私も、バウルが聞いた同じような言葉を引きました。
本当に、何にも役に立たない者だけが、
神様、私を愛してくださるという声でした。
私に向かう神の不安があるという声でした。
私がこれから、神の御宿のために役立つ者だという、
神の声でした。
皆さん、神様に説得をもじられた人物たちを見てください。
同じように、神の言葉の中で、自分の実態を知ることができます。
一番、何にも役に立たない者である罪人の自分と、
神の前で、驚かせるほど、実態を知ることができます。
30:06
私は、殺人者の80歳の老人になりました。
完全に終わりなんです。
しかし、神は、彼を80歳から120歳まで、偉大な人物のスペースを持ってきてくれました。
日本にもですね、お得意の方が大勢いると聞きました。
ここにもお得意の方が結構いらっしゃいますけれども、
みなさんも自分の実態のことを知って落ち込むかもしれません。
みなさん覚えていらしたいです。
自分の本当の実態のことを神様からお聞きしますと、
私は変えられるのです。
新しい人生が始まるのです。
神様の声を聞きますと、
その時から新しい人生が始まります。
今日一日、みなさん神の御声を聞く一日であります。
今日のメッセージも、みなさんにとっては神からのメッセージとして聞いていただけたらと願っております。
パウロは声を聞きましたが、まだ自分の中には疑問がありました。
そして急に見えなくなりました。
私はそれを見ます。
見えなくなった彼の目からウロコのようなものが落ちた。そして見えるようになったとあります。
こういう言葉があります。目が開かれば新しいものになります。
人に言ってみませんか?
目が開かれば新しいものになります。
みなさん人は自分が見る分だけその中で生きていきます。
見ていないものは知ることも分かることもできません。
パウロ先生は目が開かれるようになりました。
そして新しい人生がスタートできました。
みなさん目が開かれれば不必要な感情から離れるようになりました。
パウロの場合はイエス様に出会う前はイエス様を信じる人々も大嫌いでした。
33:01
先生を見ますとそのパウロに殺意と威嚇が彼にはたくさんあったという。
しかしパウロには自分の目が開かれたらその悪い感情がもう飛んでいかれました。
イスラエル民族はゴリアテを見て怖れていました。
しかし神の目が開かれた少年たちではあの巨人ゴリアテを恐れませんでした。
アラブの軍人がやってきました。
エリサとサワはその軍隊を見て恐れていました。
エリサはサワの目を開けたと祈りました。
少年たちの目が開かれました。
アラブの軍隊より火の馬と戦車がもっと満ちていることをその少年たちは見ました。
皆さん俺の目は自分が見ているものから何かの感情がやってくるんですね。
しかし目が開かれればその感情から離れることができます。
私はいつも現実ばかり見やすいです。
人ばかり見ます。
しかし私は神様を見なければなりません。
敵の軍隊より神の見せかけがもっと多いということを見なければなりません。
だからもういらない余計な感情から離れることができます。
感謝のことは私の話ですけれども、妻に対して子供に対して神父に対する私の目が開かれました。
また日本に対する目も開いてくださいました。
私の感情が変わりました。
本当に新しいものになりました。
皆さん、目が開かれますと、大胆な従順が始まります。
神に対しての目が開かれた妻は、エキスプトのパロの方に大胆に立つことができます。
ユシアというものは、カナアに向かって進むことができます。
36:00
皆さん、私が大胆に妻のように大胆に神様に向かって進むことのために、練習して捕まえるのが難しい理由は何だと思いますか?
目が開かれていないからです。
目が開かれれば、神様が見えてきます。
神様ほど強い者はありません。
神様ほど私を愛する者はありません。
だから恐れが消えます。
恐れが消えます。
疑われが消えます。
愚かさが消えます。
皆さん、自分の目が開かれますと、他の人の目が見えるように助けます。
盲人が盲人を導くと、二人とも恐れてしまいます。
目が開かれた人は、盲人の目を盲人を導くことができます。
皆さんがその目が開かれるときに、新しいものになります。
そして、目の見えない日本の人々を導くことができます。
エリシャの女性が私を助けました。
エリシャが私を助けました。
日本のエリシャが私に言ったときに、
エリシャは、その時、目が開かれたアラブ軍隊が来たときに、
自分の良い青年の目を開かれたのです。
皆さん、自分の目が見えるように助けました。
その日本の人々よりも、
大きな力が、神に一緒にいることを信じてください。
神の天使が、もっと活動していることを信じてください。
パウルは、神の御声を聞きました。
目が開かれました。
そしたら彼が何をやり出したのでしょうか?
すぐに、洗礼を受けました。
神は、神の御読者でした。
神は、パウルを見て、パウルは神の御読者でした。
しかし、彼が帰るとき、
彼は、神の御読者として洗礼を受けました。
39:00
本当は、自分が、バカのような自分のこの立体が、
神の名によって、新しい部分に入れるようになりました。
パウルを受けるということは、自分のことを全て知って、神様に全てを得られるということです。
そして、洗礼を受けた後、パウルは、今までとは全く反対の側に立って、そのために行きました。
それが、今日のサイトのように、パウルの目のところが変わりました。
私は、あの人々の味方じゃなくて、イエス様の味方に立たなければならないと、自分の考えが変わりました。
人の働き主義者は、パウルの目にビニールを敷いて、私を再び見ることになりました。
私は、このような照れを受け、すべての聖堂で、イエスが神のある意味を見ることになりました。
死ぬ人は、みんな驚きました。
私は、人の働き主義者を読みます。
すると、私のパウルの目から、ウルコのようなものが落ちて、目が見えるようになりました。
彼は立ち上がって、サプテスマを受け、複雑で言い続いた。パウルは数日の間、ダマストの弟子たちと共にいた。
そして、直ちに聖会堂で、イエスは神の子であると、述べ伝え始めた。
みなさん、新しいものになることとはどういう意味なんでしょうか?
その根の部分が変わることです。
それは、彼がどこのものなのか、この複雑が変わることです。
私たちが努力したら、できるものではありません。
頑張るから、もらうから、できるものでもありません。
イエス様が私のところに訪ねてくださるときに、それが起こるのです。
私はこのことを知って、神様にお願い、祈りました。
パウルのように私を訪ねてくださる。
私の真実について聞かせてください。
私の目も開けてください。
私の根自体が少し変わるようにしてください。
どうなったのでしょうか?
どうなったと皆さんは思いますか?
私は自分は全く新しいものになったと確信ができました。
先生は何があって、万能証拠でそういうふうに言えますか?と皆さんは思うでしょうか?
42:05
昨日の夜、ホテルに着きました。
その方からメッセージが来ていました。
もう会いたくてたまらないという妻からのメッセージでした。
もういよいよ私の足音が好きになりましたね。
息子達からは、お父さん早く帰ってきてねというメッセージが入っていました。
もう温泉家の神父達には、変わることができなかった神父達が変わったということです。
そしてその神父さんが変われたということです。
今までとは違って、全く新しいものになったということです。
私は日本に来ながら、さらに確信を持つことができました。
神様が、なぜこんなものを日本に伝わって、メッセージをボリスコのままにしてくださるんだろうか?
私の部分が変わると、また昇ってくる。
まあ、ジュリエットにもしかしたら全てが変わります。
私の場合は、今まで日本や日本の教会の神父さんを見る、自分の思い、感情が全く変わりました。
今回、野谷教会の皆さんを覚えながら、おいしい韓国のお待ちを思ってしまいました。
育児3日なので、小さなキャリアやベナングを1つ出すだけです。
私は来るときは、ほとんど運搬カバンを持ってきました。
おもちを入れました。
また、韓国のお菓子もいっぱい入れました。
親にお会いするような、兄弟姉妹にお会いするような、うれしい気持ちでやってまいりました。
日本に来る日に、私に手紙が届いたんですね。
神の御言葉に従って歩んできた、そう思っていた私でした。
それは、ゆっくりと私の上になっていらっしゃるという証を、この手紙を通して、私が聞かせてくれました。
45:07
それはですね、この手紙は、温泉教会が教会の奉仕を買った時の、通帰してくれた不動産の社長さんの手紙なんですね。
この手紙を書いて、書き止めで送ってくれたんですね。
先週、温泉教会の金曜日の夜の記者会の放送をYouTubeで見ました。
残金の準備でとても困っている事実と、また教会が建てて5年しかなっていないので、
論を組むことも難しいというお話を聞きました。
その時に、聖霊様が私に御声を聞かせてくださるような気がしました。
土地の残金に、またあなたへの手数料まで教会が持つのは大変じゃないか。
私が他の人とあなたに当てるから、温泉教会の手数料はもう顔面して捧げなさい、というような聖霊様のお声でした。
それで内心、半分だけ減らして半分はもらおうと思っておりましたけれども、
その日以来、温泉教会の財政の心配を一つでも減らしてさせていただきたいという思いで、
この教訓の手紙を書いて送るところであります。
私の会社がいただくべき通会手数料、100万円を免除ももらいました。
これは私の思いではなく、聖霊様の思いでありますから、その思いをお伝えいたします。
それから温泉教会が立てられて、また神徒が温で、もうもらえませんと言った温が温にいると、1030万温なんですね。
それから温泉教会の神徒さんが1030名になるその日、教会の皆さんにこのお話をよかったら聞かせてください。
48:09
私はその日まで、もっと祈りをもってサポートしていきたいと思います、というお手紙です。
ハレルヤ皆さん、神聖なるならば新しいものになります。
神の声を聞かせて、考えは変わります。見ることが変わります。また選択が変わります。
そうですね。あとここでも話しましたけれども、新しいものになりますと、結果が変わりますね。
愛する妙谷教会の神徒皆さん、
私たちがクリストの内にあるならば、
本当に神様を正しく信じているならば、
神様が私を選んでくださったならば、
私は必ず新しいものになります。
私は今も祈りを求めております。
もっと確実な証を私に示してください。
もっと望みがあるのは、このような通りであります。
しかしですね、パオロ、自分が新しいものになりたくて頑張ったことはありません。
むしろ彼は許可を運ばせた者でした。
神様は嫌いでした。
しかし神様が助けてくれました。
助けられました。
見えるようにしてくださいました。
神の力によって生きるように神様が助けてくださいました。
そうすれば、私たちはパオロよりも良いものになるでしょう。
もっと素晴らしいものに変えられるはずです。
パオロが新しいものになるためには、もう何時間もかからなかったんですね。
今日の終わり、短い時間ですけれども、
それを通して私たちみんなが新しいものになりますように、
切に願って行こうではありませんか。
応募いたします。
50:35

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