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2025-10-12 39:51

「パウロの第1次宣教旅行から学ぶこと」2025年10月12日のメッセージ

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東京ぶどうの木教会 2025年10月12日(日)主日礼拝のメッセージです。
牧師:アブラハム黄 
▼教会へのお問い合わせ: tokyo.vine.church@gmail.com

▼メッセージの自動文字起こしはこちら https://listen.style/p/tokyovinechurch

(聖書)使徒-28 ところが、ユダヤ人たちがアンティオキアとイコニオンからやって来て、群衆を抱き込み、パウロに石を投げつけ、死んでしまったものと思って、町の外へ引きずり出した。 20 しかし、弟子たちが周りを取り囲むと、パウロは起き上がって町に入って行った。そして翌日、バルナバと一緒にデルベへ向かった。 21 二人はこの町で福音を告げ知らせ、多くの人を弟子にしてから、リストラ、イコニオン、アンティオキアへと引き返しながら、 22 弟子たちを力づけ、「わたしたちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない」と言って、信仰に踏みとどまるように励ました。 23 また、弟子たちのため教会ごとに長老たちを任命し、断食して祈り、彼らをその信ずる主に任せた。 24 それから、二人はピシディア州を通り、パンフィリア州に至り、 25 ペルゲで御言葉を語った後、アタリアに下り、26 そこからアンティオキアへ向かって船出した。そこは、二人が今成し遂げた働きのために神の恵みにゆだねられて送り出された所である。 27 到着するとすぐ教会の人々を集めて、神が自分たちと共にいて行われたすべてのことと、異邦人に信仰の門を開いてくださったことを報告した。 28 そして、しばらくの間、弟子たちと共に過ごした。

 メッセージ題 : パウロの第1次宣教旅行から学ぶこと(使徒14:1-28)
*先週、使徒13章でパウロの宣教旅行から現れた特徴?

1)世界宣教は神様から、伝道は身内

2)福音が伝えられたら、霊的な背後の実体が、賛成も反対も。拒絶されても落胆しないで祈りを

3)自分の希望より神様の御旨に従うのが神の人、異邦人の使徒として…

*パウロは宣教旅行で数多く苦難を、しかし伴う神の御業に魅了され、続けて2次、3次宣教旅行を。私たちの信仰も

1.パウロとバルナバの働き

#イコニオンで?商業で発達した大都市、多くのユダヤ人、会堂も…パウロは会堂で福音を。1節、信仰を受け入れる人が。しかし2節、信じようとしないユダヤ人が人を扇動し悪意を抱かせ?しかしパウロは?3節、長くとどまろうとした。なぜ、イコニオンで信仰に入った初信者の為に。保護し自立信仰ができるように助けようとした。そしたら主が助けられた。→その後、5節、迫害の人がもっと強く、乱暴、石を投げつけ?仕方がなく避難するしか、大事なのは自立信仰できるように、御言葉と祈り(聖霊)により

#イコニオンからリカオニア州の町へ、そこはユダヤ人も会堂もなかった。しかしどうしても伝道しようと…

そうしたら神様が働かせて、8節、足が不自由な男に、10節、癒しが伴われるように…奇跡を見て、町中が動揺した。足が使えない人を生かすのは神しかできない。従ってパウロとバルナバを神だと拝もうと

←福音を伝えながら民衆から褒められるとき、どうするのか?使徒12章のヘロデ王は?しかしパウロとバルナバは自分の衣を裂き!15節、私たちも同じ人間だ。偶像を捨てて天地を創られた神様を拝むように

→大事なのは、真の神様を知らなければ、この世の不思議なすべてを拝もうするので、偶像の世界に、それを見てまた人々は偶像を拝むようになるので問題。キリストの福音が早く伝えられなければ!

2.リカオニア州の町で福音を伝えるとき、危機が!

*19節、ビシデアとオコニオンでパウロが伝えた福音に反対した人々が、リカオニアまで?(昔、サウロがダマスコにいる信者を捕まえに行ったように)彼らはパウロを石打で殺し、死んだと思って町の外へ引きずり出した。ところが弟子たちがパウロを探して集まったとき、死んだパウロが生き返って?そして、その町に再び入った。 →そこでバルナバは大きなトラブルが起きることが無いように、デルべに避難させた。そしたら、そこでまた福音を宣べ伝え、多くの人を救った。

→何ということでしょう。石打で死んだ状態だったのに?まさに、復活信仰だった。それから初めのアンチオキアに戻って来るなら、宣教旅行は終わりだった。#しかしパウロは?各地に戻るように?

→福音を受け入れた信徒たちを確かめる為!戻って行って、二つのことを頼まれた。

1)22節、御国に入る為には、多くの苦しみを経なければならない!苦難は友。

2)教会を導く、長老を立てた。

*キリスト教と苦難?

1)Ⅰペトロ4:1苦難を担うときは罪を犯さない?苦難が守り?

2)苦難が目を覚ますように、神様を求めるようにするのだ。

3)苦難が信徒を謙遜に、イエス様に見習うように…

→イエス様を信じるなら苦難がないのではなく、苦難に勝ち抜く。パウロも苦難を通して使徒に。

3.最後、教会に宣教報告を!異邦人がどのように福音を、神様の御業は、皆宣教に参加するよう

サマリー

このエピソードでは、パウロの第一次宣教旅行を通じて、人々への福音伝道の重要性とその背後にある神の御業が考察されます。パウロの苦難や反発を乗り越え、信者たちを支えることの重要性や信仰を育てる必要性が強調されています。また、異邦人に向けた福音の伝達と、神の栄光を受けることの重要性も取り上げられています。苦難を伴う信仰の旅や、それによって築かれた信徒共同体の大切さが語られます。パウロの第一次宣教旅行を通じて、苦難が信仰の成長や神の働きにおいて重要な役割を果たすことが示されています。報告会を通じて、神の愛や恵みの素晴らしさを共に分かち合い、信徒を育てる意義についても語られています。

パウロの第一次宣教旅行の始まり
今日は、パウロの第一次世界宣教旅行から学ぶこと、パウロの伝道スピリットということを一緒に考えていきたいと思います。
先週、使徒行伝13章を通して、パウロの伝道旅行、第一次伝道旅行がどのように始まったのか、これを分かっちゃいました。
パウロの伝道旅行が始まったところの福音伝道の特徴について、先週学んだことを少し考えてみましょう。
世界宣教は、人間が思い出してやりたいと思って始まったことではありません。
神様が計画を持って、二人を任命して、そしてその人たちを宣教師として派遣するように、アンティア教教会にお話しされたということです。
二人がまず始めに行ったところは、自分の身内のところに行った、伝道は身内からということですね。
また、福音が伝えられると必ず二つの反応が出てきます。
一つは受け入れる、また一つは排斥する。
それが何かと言いますと、その人を支配している背景の霊。
みんな同じように見えるんですけど、一人一人を支配している霊が違う。
だから私は一番怖いのは、結婚は信じる人と信仰の人を一緒にやらなきゃいけないこと。
聖書は言っていますね。霊が違う人と結婚して、その結婚が最後まで幸せになるとは難しいことではないでしょうか。
ですから、この背後に支配する霊がある。
これがいつわかるか、福音を知らせてみたら、イエス・キリストの福音を知らせてみたら、それが明らかになる。
だからある人は受け入れ、ある人は反発する。
反発するんだって全部会員のような人ではない。
それで最後まで祈り続け、その人に伝道することが大事だということ。
また私たちは夢があります。私はどこに行って伝道したいとか、いろいろ夢があります。
パオルは自分の民族、イスラルピト、ユダヤ人を本当に大切にしていた。
しかしユダヤ人ではなく、異邦人のために選ばれた人だということをわかったときに、彼らは異邦人のところに行って伝道した。
その意味から見ていますと、私たちは日本に来ている。
もともと私たちは自分の生まれ育てられた故郷があるんですけど、
日本に神様が導いておられたということは、日本の人のための福音宣教のための働きがあるということを思って、
日本人の光になりましょうというメッセージを先週しました。
反発と苦難の中での信仰の成長
ぜひとも理解していただければと思います。
今日はシト・パオルの第一世界選挙の後半部を一緒に考えていきたい。
ここに私たちが学ぶべきことはまだたくさんあります。
パオルは伝道する間にたくさんの苦難を受けました。
しかし苦難だけではないんですよ。
福音宣教をするなら反発する人によって苦難は受けますけど、
この福音宣教に現れる神様の御業を見るときに、私たちはこの不思議な御業に驚くんです。
それがものすごい力つけられるパワーがあるので、
だから私たちはこの福音宣教の魅力、この働きをやり続けることができるんです。
はじめからなんですけど、私が少し証をしますと、
私は福岡で新学生のときにマンツーマン勉強会をたくさんしました。
それを見てある教会の先生が、自分の教会に若者がいるので、
あなたがその人を少し助けてくれないかと言いました。
私はその人とマンツーマン勉強会をするためにその方を教会に呼んだり、
私は自分の家に行ったりしました。
そこで何をしたのかと言います。
12ステップをその人と一緒にやりました。
何回勉強しているうちに、その方は私に自分を助けてくれと言うんですよ。
私はそのとき、のぞみさんも知ってますけど、
私は下手くそな日本語でうまく通じるかなと。
でも彼は千葉大学で、途中で身体の状態があまり良くなくて、
家で休んでいるところで、
それで人に12ステップをしていたら、
伝えるところで自分を助けてくれと言いました。
それで自分の家に行ってみたら、これを処分してくれないかと。
押し入れ。
段ボールボックスが何個ある。
本棚。
これは何かというと、全部アダルタビデオとか、
今はビデオを使うことはないでしょうけど、
全部それだった。
これが家の中で少し落ち込んでいる状態だから、
そこに夢中になっていたかもしれません。
しかし福井を聞いて、ここから逃れなきゃと思ったでしょう。
そこから私に捨ててくれと言うんです。
私が段ボールボックス3つくらい、車のトランクに入れておいて、
それを見たら私も誘惑されるんじゃないかと思って、
怖くて怖くて、
それで新学生の夫人たちがそれを全部処分してくれたんです。
福井選挙は本当に難しいこともいろいろあるし、
またいろいろな手間がかかることがたくさんあります。
しかしその中で神様の御業が伴ったら、
私たちも分からない不思議なことがあるんです。
その魅力にもう力をつけられて、
それでパウロは第2、第3の選挙旅行をし始めた。
本当に私たちはその楽しみ、神様の不思議な御業、
人が生かされる闇から光に、
この生かされることを私たちが体験するなら、
そのままにはおかれないでしょう。
私もその時からだいぶ時間が経ってしまって、
今少し力が弱くなりましたけど、
私は今度首都行でも準備しながら、
もうお前今何してるのかという、
心からいろいろなパワーを受けられるような状態です。
本当に不思議な神の御業、
これはなぜ現れないのか、
これは何もしてないからなんです。
教会が今まで何もしてなかったことに対して、
僕としてすごく反省しています。
だからこれから私自身が変わらなきゃいけないかなと思いながら、
今日のメッセージを準備しました。
パウロは今度はイゴニオンというところに行って福音を伝えます。
イゴニオンは創業が発達している、
すごく豊かな町だった。
そこにユダヤ人たちはたくさん居住していて、
そこにはユダヤ人の街道もありました。
だからパウロはどこに行っても、
ユダヤ人の街道から始まって福音を伝えるんですね。
それはやりやすいからです。
そこで伝えたら、ある人がその福音を受け入れてくれるんですよ。
受け入れてくれるって本当に素晴らしいことですね。
しかし受け入れてくれるだけじゃなくて、
反発する人もいるんですよ。
必ず二つの部類の人が現れるから、
恐れるな、何か諦めるなということが大事なんですけど、
ものすごい険しい雰囲気になりました。
その時、パウロの人たちは何をしたのか、
雰囲気が良くないから静かに行こうということじゃなくて、
迫害が強いから逃げようとすることをしなければならなかった。
三節を見てますと、
それでも二人はそこに長く留まり、
主を頼みとして勇敢に語った。
彼らは反発する人たちが多くて、
そこにそれ以上は逃げられない、
続けられないんじゃないかというところでも、
彼らはそれを続けたんです。
皆さんこれ大事なのは、そこに誰がいたのか。
福音を付け知らせて、今やっと信者になった。
今やっと福音を受け入れて、
何か見言葉を欲しがる赤ちゃんたちがいた。
その人をそのまま置いていて、
人たちが逃げてしまったらいけないじゃないですか。
私はいつもこれを考えられるんです。
教会でいろんな賛成する人もいるし、
反対する人もいるでしょ。
反対する人の力が強くて、
どうすることもできないとき、
大抵牧師は逃げようとするんです。
逃げたらいけない。
なぜならそこに見言葉をいただいて、
もう神様を求めている人がいるからです。
その人がいる限り、
主の子供たちはそこで自分たちが続けて、
福音を伝える必要があるんです。
そこに悪頑丈を持って反対する人がいるのに、
彼たちがなぜそこにもっともっと
とどまりたいと思っていたのか。
そうです。
信仰が弱い人々をそのままほったらかしておけば、
その後、この人たちの信仰はどうなるんでしょう。
だから、そこでもう少し、もう少し、
この人たちを助けることをやろうと、
パウロは言ったんですね。
そして彼らたちに何をしたのか。
見言葉を教えた。見言葉を教えた。
皆さん、この見言葉を教えることが、
人を助ける一番大事なことだということを
考えていただきたいと思います。
そうしたら三節を読みますと、
主が彼らの中で驚くほどの身業を行われた。
それによって人々が自分が信じているこのことがもっと確かな。
それで生きている信仰、革新を持つことができて、
その信仰が自立信仰になったということです。
四節を読みますと、四節、五節、
異邦人への福音伝道
この人たちに従う人も多かったんですけど、
迫害する人たちの力がもっともっと強くなる。
違法人とユダヤ人が死闘者と一緒になって、
二人に乱暴を働き、石で投げつけようとした。
こんなにまでひどくなったら仕方がないですね。
だからこの人たち、信徒たちを神様に委ねて、
そして彼らは東の方に、
リカオニア地方に避難したということがあるんです。
大事なのは福音伝道も大事ですけど、
その人を育てることが非常に大事。
私は伝道爆発訓練を以前たくさんやりました。
伝道爆発訓練をしてから、今はなぜやらないのか。
伝道してイエス様を信じます。
ああ素晴らしい、あなたは救われました。
これでほとらかしておけば、皆さんこの人はどうなるのでしょうか。
私は前にある人に出会いました。
その人と誰かを紹介して、
福音伝道爆発訓練の福音弟子を頼まれて、
その家に行って伝えました。
そしたらその人がその話を聞いて、
私が以前小学校の時に自分の先生からその話を聞いたというんです。
イエス様を信じることにしたというんです。
それからその人を面倒見ることはなかった。
だからその人がイエス様を信じたのに教会は行かない。
それからもう人は罪を犯したり、いろんなことをするでしょう。若者だから。
その度に自分は立法的な考えで自分を責め続けて、
自分はもう本当に私はもう地獄に行く人じゃないかと思うほどになった。
その人が福音を伝えたら、私は聞いたよ。
そのことは全部分かっている。
でも私は教会は嫌だ。キリスト教は嫌だ。
どうして?
はじめに福音を受け入れて、その後成長していなかったから、
続けて見事を持って育てられなかったから、
その人は立法的な考えばかりで、
私はこれを守らなければ神様から裁かれるんじゃないかと、
その思いしかちゅーと思って青年になった。
だから自分はもう自分を責める考えでいっぱいだったんです。
またその上に福音を伝えて、何とか言うから私は嫌ですと、
断られたということ。
その時私は思いました。
福音を伝えるなら、その人は後ほど責任を取らなきゃいけないんだなと。
子供を産んだら、子供が成人になるまで母親は育てるんじゃありませんか。
子供を産んだばかりで、もうそれをほったらかしておけば、
生まれた子供をどうすればいいんでしょう。
だからこの後、礼的な戦いで悪魔が散々、悪魔にやられて、
ひどい思いをして、信仰っていうことは何なのか、
神様って一体何なのかと思いながら、
自分自身を責めている状態ではないでしょう。
このような状態にほたらかしておけばいけないということを、
連動する人は必ず考えなきゃいけない。
だから一人子供を産んだとしたら、子供を育てること、
成長できるまで、自立信仰になるまで育てることが大事だということです。
この後、パウロの遺構はイコニオンから離れて、
リカオニア地方に行きました。
リカオニア地方はどんなところか、
ユダヤ人たちがほとんどいなかったところです。
もちろん街道もなかったんです。
街道もなく、ユダヤ人がいないところ、
異邦人ばかりの世界にいたら、
皆さん、連動しようとするときどう思いますか?
以前の私が北九州大学に行って、連動しようとしたときに、
うわー、この雰囲気、
連動したら何とかものすごい怖い雰囲気で、
ただ祈りばかりで帰ってきたということを皆さんに申し上げたんですけど、
ユダヤ人もなく、街道もいなく、
その中で福音を伝えたらどうなるか、
いろいろ考えるんじゃありませんか?
ところが、パウルは何をしたのか話せてみますと、
そこでもパウルは福音を伝えた。
パウルは街道があってもなくても、
ユダヤ人がいてもいなくても、
とにかく福音を伝えようとしたんです。
そのとき神様がどうされたのか発説を見ますと、
神様が福音を伝えることができるように、
環境を作ってくださるんですけど、
そのリストラルに足が使えない人がいた。
生まれつき歩いたことがなかった。
その人を見つけるようにして、
またパウルがその人を見たら、
福音を伝えたら心が開かれて、
信仰ができることを見たら、
パウロの奇跡と神の栄光
パウルは何を考えたのか、
神様が知恵をくださったでしょう。
その人に向かって、
自分の足でまっすぐに立ちなさいと言われた。
そしたらこの人が自分の足でパッと立ち上がった。
飛び上がって歩き出したと言うんです、聖書は。
奇跡が起こったんです。
キリストの信仰の雰囲気は全くない。
ユダヤ人もいない、街道もない世界で、
異邦人たちの世界にいて、
パウルが足が使えない人を癒した。
これを見た人たちは声を張り上げて、
神々が人間の姿をとって、
私たちのところに降りてきたんだ。
これは神様しかできないことを、
この二人がやった。
この二人は神々だ。
そしてパルナバをジェウスと言って、
パウルをヘルメスと言いながら、
二人に拝もうとした。
その時、皆さん、この二人の使徒はどうしたのか。
もし私が福音を伝えました。
その時、
その時、私はどうしたんですか。
黙って、何とか偉そうに、
それを受け取ってしまう場合がたくさんあります。
これを気をつけなきゃいけない。
神様が受けるべき栄光を、
自分が受け取っていくなら、
これは大問題になります。
シトゲデン中二章では、
ヘロデ王が演説をします。
人々はヘロデ王に小祭りをするために、
何とかこの声は、
皇帝の声は神の声だと言って、
もう何とかやるんです。
だったら、このヘロデが自分が、
ああ、私は神の声のように何か偉い。
自分はこれを楽しむんです。
その時、無視に喰われて死んでしまったということがあります。
皆さん、この部分が大事です。
パウロとパルナバにも、
このような誘惑が来たでしょう。
人々のこの誉りを聞いて、
二人が何とか楽しむような、
まあ、やめてください。そんなことはありません。
言いながら偉そうな心を持って、
いやあ、私は何とかできるんじゃないかという気持ちになったら、
これは皆さん大間違いです。
絶対会ってはいけません。
パウロとパルナバは何をしたんですか?
自分の衣を裂いたんです。
裂けながら何と言うんですか?
皆さん、なぜこんなことをするんですか?
私たちもあなたたちと同じような人間だ。
あなたたちがこのような空城を離れて、
生きる神に戻ってくるように、
私たちは福音を伝えているんじゃないか。
神様こそ創造主。
神様があなたたちに全ての恵みを与える、このお方だ。
私たちを拝むんじゃなく、神様を拝みなさい。
迫害と復活の信仰
大胆に語りました。
皆さん、この部分が今、福音を伝える人たちが堕落する。
本当に誘惑に陥る。
神徒たちの中でも、なんとか自分を、
教会の家族の皆さんが褒めてくれるようなことを、
何か欲しがる人がいるということは、
本当に本当にこれが大問題です。
私たちはただただ謙遜に、
ただただ神様だけを褒めたたえるように、
私たちがしたい。
世の中の人々は、自分より少し偉いなら、
ああ、この人素晴らしい。
皆さん、日本の神社があちこちたくさんありますけど、
神社があるところどころに何があったのか、
この地域にまず不思議なことがあったんです。
不思議なことがあったら、ここに神々がいると思って、
そこに神社を建てる。
これ空城になる。
空城がたくさんあるからこそ、
人々が何かあったら、このことには、ここに。
この神社には、もう学校に受験で合格する運があるところ。
またあるところに攻略が重く通じる。
金持ちになるところ。
みんな攻略できない何か要素があります。
そのことを何か自分たちが経験したかもしれません。
上の昔偉い人たちがいたかもしれません。
このことを置いてあったから、
空城もますます盛んでいくことになるでしょう。
空城を拝むなら、皆さんどうなりますか?
礼儀的な問題、精神的な問題、体の問題、また地獄に陥る、
また同じような呪いが子孫にもつながる。
当たり前のことですけど、
私たちはこの空城をほったらかしてはいけません。
これを防ぐためにも、
私たちはイエス・キリストの福音を伝えなければならないということです。
このようにリストラでパウルが弟子を救っているときに、
大きな危機が来ました。
皆さん、必ず福音を伝えたら、
受け入れる人、また反対する人、
受け入れる人も喜びがたくさんあふれるし、
反対する人もますます力が増し加えられて、
それでますます危険になります。
中級世紀から28世紀の目当たりを見てみますと、
ビシディアのところとイコニオンのところで、
パウルを反対していた人々がリストラまで追いかけてきたんです。
以前、サウルがエルサレムに人を迫害し、牢に入れて、
それからダマスコまでその人たちを迫害するために行くように、
自分と同じような人たちが、
イコニオンからアンティオキアから追いかけてきて、
それでリストラまで来たんです。
その人たちはユダヤ人、また、
君主の人々を抱き込んで、
パウルを石投げで殺そうとしたんです。
ちいち石で撃たれて殺したら死んだんです。
人々がパウルが死んだと思って、
パウルを街の外に捨てた。
それで弟子たちがパウルのところに行って、
それをずっと見たんですけど、
パウルを囲んでいたら何をしたんですか。
パウルのために祈っていたでしょう。
祈っていたところでパウル、死んだパウルが生き返られたんです。
こんなことがあるんでしょうかね。
そしてパウルは逃げるんじゃなくて、
自分を石で殺したその街にまた入るようになった。
それを見たパルナバが、
いや、こうしたらもう一度死ぬかもしれないと思って、
パウルを連れてテルベルのところに行ったということです。
石を撃ちされて、死んだ状態で生き返られたパウルが、
テルベルのところに行ったら病院に行かなきゃいけない。
まずはどこかに行って治療しなきゃいけないと思うんですけど、
テルベルに行ってパウルは何をしたのか。
その街でまだ福音を伝えて、大勢の人を弟子にした。
みなさん、これが可能なんでしょうか。
もし私が迫害を受けて石に撃たれた。
包帯を巻いて、それでああああと。
だったら私が何をすると思いますか。
逃げるか、病院に入院するか、
遠くから休むか、どちらでしょう。
また、日本は怖くていけない、韓国に戻ろう、
韓国に帰ってしまうかもしれません。
しかしパウルは死を恐れないで、そこで福音を伝えるんです。
これはまさに復活信号ではないでしょうか。
それでパルナブがパウルを連れて、
第一次世界選挙をここからここまでやりましょうといった
最後の目的地、そこテルベルのところに行きました。
パウルは非常に難しかったんですけど、
テルベルでも大勢の人々をキリストの弟子にする働きをした。
テルベルから少し行ったら自分の故郷であるタルソー。
苦難と信仰の歩み
それから行ったらアンディオキアに戻ってくるということですけど、
そうしたら選挙旅行、3年間お疲れ様でした。
ここで一休みをしたいところですね。
早く家に帰りたいと思うことではないでしょうか。
そこでパウルは何を言ったのか。
休もうとしないで、今までずっと来ていたこの街をもう一度回りましょう。
なぜもう一度行くのか。
もうそこにいたらあなたはまた石打ちで殺されるかもよ。
神徒たち、自分は福音を伝えて、
それで福音を受け入れたその神徒たちが今どんな状態にいるのか、
その人々を何とか頼みがあって、
その人に力をつけようとして彼をもう一度回りたい。
それでその街をずっと回るんです。
そこで2つを頼みます。
1つは何か。
22節あります。
私たちが神の国に入るには多くの苦しみを得なければならない。
それで信仰を踏みとどまるように励まして、
それから彼たちに心準備をさせた。
大抵私たちが福音伝道に失敗するのは、
イエス様信じてください。
良くなりますよ。
全てが良いところばかりありますよ。
あなたが健康も良くなり、
あなたの子供たちがうまくでき、
あなたの何かが全てうまくできますよ。
良いことばかり言います。
しかし教会に来てみたら、
良いことばかりじゃないでしょ。
だから神徒たちは、
初めに来た人は、
教会に行っても何もないんじゃないか。
祈ってみても何もなかった。
それでつまずいてしまって、
二度も教会に来なくなります。
しかしパウルは、
初めから甘い話をしていなかった。
初めから、
神の国に入るためには、
私たちは苦しみを担わなければならない。
神の国に入るには博愛があるんだと。
それを覚悟しなさいと言って。
そうしたら誰が信じると思いますか。
しかし聖霊様を受け入れた人は、
信じるようになるんです。
パウルももともと、
自分を救われる時に、
首都圏で九州中老生。
私の名のために、
どんなに苦しまなければいけないか。
彼がその苦しみを受けるようになると、
話を聞いたから、
初めからパウルは、
心から準備がしっかりできていた。
だから苦難が来るなら、
来るべきことが来たと思いながら、
それを乗り越えていったんですね。
私たちもそのような苦難、
当たり前だと。
天国に入るためには、
神の国に入るためには、
多くの苦しみがあるんだと。
覚悟の上、
信仰生活をしなければいけないと。
それを見せてあげなければいけない。
今の私たちの伝道は、
全ていい話ばかりばかりある。
いい話がなければ、
教会に来なくなる信徒たちが多いでしょう。
でもパウルはそうじゃなかった。
苦しみがあるんだということを覚悟しなさい。
しかし天国に行く道はこんな道だと。
もう一つは、
教会のために、
パウルは行くところどころ、
信徒たちが集まったら、
教会を建てた。
二人、まだ三人が私の名によって集まるところには、
私もそこにいると言われたとおり、
その人たちの群れを作ってあげた。
もう一度回りたい理由は何か。
その作り上げた群れ、
信仰・共同体・教会、
そこにリーダーを立てることを忘れた。
だからそこに行って、
長老たちを立てて、
長老中心として、
この教会がこれからしっかりついていくように、
しっかりとどまる。
それで彼は、
それを全部回りながらやったということですね。
そして、
ここで私が大事に思っているのは、
私たちが神の国に入るためには、
たくさんの苦難を担わなきゃいけない。
じゃあ、信仰と苦難ということです。
信者に対して苦難の意味。
苦難は嫌だ。
だったら信仰をやりたくない。
このことではない。
信者に対して苦難は意味がある。
じゃあ、まずはじめ、
苦難によって、
私たちは罪を犯さないようになります。
第一ペトル4章1節には、
憎において苦難を受ける者は、
罪との関わりを切ったと言う。
苦難を受けたら、
まず考えるでしょう。
何のために苦難を切ったのか。
私はこんな悪いこと、悪いこと、悪いことをしました。
苦難、罪を食いやらったために捨てるんです。
苦難のいいことは、
罪から関わりを切るということです。
これが大事なんです。
神の国に入るところで、
一番問題は罪なんです。
罪を通して悪魔が働いて、
だからその人は信仰ができなくなります。
だから、罪を気をつけなきゃ。
私たちもそうですよ。
罪を気をつけなきゃ。
僕し、罪を犯したなら、
早く食いやらっためて、
自分を清めなければ、
これから僕会の活動、教会はダメになります。
皆さん、ぜひともぜひとも。
だから苦難があったら、
罪を犯すことを断ち切ったと言うんですから、
ここで苦難と罪、
この部分で意味があるのかなと。
もう一つは、苦難があるとき、
私たちは目を覚ましていって、
神を求めるようになります。
皆さん、何の問題もなかったら、
神様を求めますか?
何の問題もなかったら、
神を求めません。
神様を探すこともないでしょう。
苦難の意義
苦難があるから、
神を求めます。
ですから苦難が、
自分を守ってくれる、
神様を求めるように、
また自分を守ってくれる役割をする。
目を覚ましていく。
また苦難を通して、
喧騒になります。
イエス様を見習うことになります。
信仰生活をしながら、
信仰が揺れる理由は、
イエス様が信じたら、
全てがいいことばかり、
問題がないと思う、
教えるからです。
皆さん、
信仰を持っていったら、
苦難がないことではなく、
苦難を乗り越えます。
苦難を勝ち抜きます。
また苦難を通して、
もっと成長します。
苦難を通して、
神徒は輝くようになるんです。
パウルも、
苦難を通して、
大使徒になったんです。
苦難がなければ、
私たちはもう大使徒できません。
私たちはもう、
うまくできる、成長できません。
罪との戦いできません。
目を覚ましていくことできません。
苦難は、
私たちを助けてくださることが、
たくさんあります。
ですから、苦難を恐れないで、
私たちは苦難を乗り越えなきゃ、
勝ち抜かなきゃいけない。
その苦難を恐れないで、
主の御業に、
私たちが、
もっともっと励む、
それが、
私たちの希望です。
いよいよ、
26世紀にますと、
パウル・パンナバが、
アンティオキアに帰還することによって、
3年間続けられた、
この第1世界選挙旅行が、
終わりました。
そうしたら、
何をやりたいですか?
まずは、
サウナに行って、
病院に行って、
何か治療を受けたいと思うんですけど
そこでパウルは急いでやったことがありました
27世紀です
到着するとすぐ教会の人々を集めて
神が自分たちとともに行って行われたこと
すべてのことを
イオン人に信仰の門を開いてくださったことを報告した
ここでパウルの第一次世界選挙の報告会が行われました
皆さんこの報告会には大きな意味があるんです
報告会を通してまず神様がイオン人たちを愛してくださった
私たちに与えてくださった恵みを
イオン人たちも同じように与えてくださった
この神様の愛の素晴らしさ
これをまず報告して
また神の愛をいただいたイオン人たちが
闇から光で
暁から神様に踊ってきたこの素晴らしい働きを
明かしをしました
そうしたらこれを通ると報告会を受け入れている人が
私もその選挙に参加したい
私も出たら選挙できるかもという夢ができた
以前教会で電動爆発訓練をしました
その訓練の最後に
訓練1週間で1回現場に行って電動して
その報告会を教会でいつもやりました
報告会の意味は
信徒たちに教会にそれを聞く人に
私もそうしたらできるんじゃ
私もこうしたらできるかもしれない
じゃあ私も出てみたい
その人みたいにやってみたい
それで大勢の選挙主たちを育てる役割ができるんです
じゃあ選挙報告会ということは
こんなに大きな意味があります
パウロはこれを急いでやったことがここに意味があります
神様が褒めたたえられますように
またイオン人たちを救われた
イオン人たちの恵みが与えられたことを皆さんに報告して
そこで私も選挙したいという人たちが現れることができる
私たち教会が7周年記念集会と言いますけど
こんな選挙報告会ということは
私たち教会一回もなかった
私はこのメッセージを準備しながら
非常に恥ずかしく思いました
なぜ選挙報告会がないのか
やったことが何もないから
今まで毎年創立記念日には
神様私たちの教会を創ってくださってありがとうございます
感謝だけ
それでもいいんですけど
これでこの教会が何をやったのかに対して
神様に報告することは一度もなかった
これはもう考えたら恥ずかしくて恥ずかしくて
パウロの第一世界選挙の
この一つ一つが全て意味があって
それを私たちもパウロのようにやれば
私がやるんじゃなくて神様が共におられ
神様がなさるはずなのに
マタイの28章20節
人たちが外に出て行って
主が共に働き
彼たちの方のメッセージによって
大勢の人々が救われるように
神のご臨在が働いてくださる
当たり前なんですけど
それをやろうとしてなかった
本当に本当に恥ずかしくて恥ずかしてたまりません
ですから私
第8周年
第9周年
第10周年では
宣教報告会の重要性
何とかして
この報告会を
是非私たちもこの
パウロの報告会のような
働きも私たちも是非やりたい
やりたいと思っている心で
私は必死に必死にこのメッセージを準備しました
神様は今も働いておられます
しかしなぜ私たちの間には
神様の働きは見当たらなくて
もう第7周年
先生を招いておられるのに
教会の神徒がいなくて
教会学校の子どもたちも全部参加してほしいと思われるほど
この人が少なくなったのか
伝導してないから
恥ずかしくて恥ずかしくて
ですからこれからは生きておられる神様
今も日本で働いておられる神様
その神様の働きに私たちも参加して
私たちにも神の素晴らしい美技を体験して
それを大勢の人々に証をして
褒めたたえるべき神様が褒められないのは
実際証を見せてあげなかったからではないでしょうか
これを恥ずかしく思い
これから何とかしよう
私たちにもこの働きができるように
パウルの霊性
パウルの伝導のスピリット
これを私たちもぜひ与えてください
伝導したくてたまらない
伝導したくてしょうがない
だからもう外に出て何とかやりたいと思う
この強い心を私たちに与えてください
という心でいっぱいです
ぜひとも皆さんこれから
私が何とかやります
頑張りますので一緒にやりましょう
これからまず祈りからです
祈りしっかり祈ってからやりたいと思います
お祈りいたします
いよいよ使徒行伝を読みながら
パウルのこのスピリット
霊性が羨ましくたまりません
自分自身を見るなら恥ずかしく
情けない姿しかないので
申し訳ない心でいっぱいです
神に出会う時が近づいているのに
神様の裁きの者に立つ時が近づいているのに
どうかどうか神様
主に用いられるこの裁き
私たちも体験できるように
主の恵みを豊かに豊かに与えてください
力を与えてください
イエス様の皆を通してお祈りいたします
アーメン
ありがとうございました
39:51

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