1. 名谷教会
  2. 2021/11/21:神の平安
2021-11-21 36:54

2021/11/21:神の平安

2021/11/21 収穫感謝聖日礼拝

尹善鎬牧師

ピリピ人への手紙 4:4-7


00:00
皆さん、おはようございます。
今日は、収穫感謝礼拝です。
昔のように、今は農業社会ではありませんし、実際にここにいらっしゃる方で、農事が本業の方は一人もいらっしゃいませんが、
今年1年、天皇父なる神様が、本当にすべてのことをお与えになりました。
見えるものから見えないものまで、本当に神様からどれだけ多くの祝福を、恵みを、命を与えていただいているのでしょうか。
それが今年1年間の私たちの収穫実りだと思います。
その恵みを思い出しながら、感謝実、今日の宗のメッセージを共にお受けしたいと願います。
今日は、ピリピリとの手紙の4章、4節から7節、タイトルは神の平安です。
この収穫・感謝・礼拝の聖書・歌書とタイトルを決めるにあたって、祈りながら、この歌書を主に導かれました。
今日は、私たちが神の平安のゆえに感謝できること、喜べること、その根本の話をしていきたいと思います。
皆さん、今、もし何か思い患いとか、心配とか、悩み事とか抱えていらっしゃるでしょうか。
あるいは、昔、振り返ってみたら、ああ、結構あったなと、そういうふうに思われるのでしょうか。
一人一人語ってもらいたいな、気持ちはありますが、そして今日は終わりませんので、
代わりに私のことをですね、振り返ってみながら、お話をさせていきたいなと思います。
皆さんの年齢に比べると若いものですけれども、それなりに結構心配が、私の人生にもありましたね。
7歳の時には、母が末期の子宮癌でしたので、死ぬかと思って、とても心配でした。
17歳、大学受験落ちてしまったので、その時にも心配がありました。
21歳、また母が交通事故がありましたから、大怪我しましたので、その時は本当に死ぬかと思ってですね、心配していました。
03:13
23歳、ちょっと遅めでしたけれども、軍隊に入隊しましたから、ほぼ3年間の未来がですね、とても不安でした。
23歳、軍隊の中で足に大怪我をして、2ヶ月ほど入院しましたから、それも本当に大きな不安でした。
29歳、進学大学院の受験で一度落ちてですね、1年間、日本ではなかなかないと思いますが、浪人生活をしてですね、
しかも結婚もしていましたし、娘も生まれていた時でしたから、とても心配でした。
39歳、福岡の時代ですが、娘、息子、その次は妻が病気でしたので、とても心配でした。
51歳の今年、私、このがんの診断でしたので、今はあまり心配、ほとんど心配していないんですが、最初はちょっと心配でした。
なんか、ゆんけいの病歴みたいなものになりましたけれども、皆さん、いかがですか。
悩み事、心配事がない人は、たぶん1人もいらっしゃらないと思うんですね。
ところで、ネットで不安、心、本ですね、検索してみたんですね。
そしたらですね、たくさんの本が出てきたんですよ。
タイトルをちょっと紹介しますね。
こんな本が書かれて売れているんだなと思ってですね、私も改めてびっくりしました。
タイトルもですね、心を敷くものかなと思いました。
聞いてみてくださいね、皆さん。
怖くて動けないがなくなる本。不安にならない36の方法。
面白いでしょ。
なぜ心はやむのか。
すぐ不安になってしまうが、一瞬で消える方法。
あるいは不安でたまらないあなたへ。
こんな本がですね、たくさんあるんですよ。数え切らないほど。
皆さん、絶対に買わないでくださいね。
ああいう本を読んでですね、本当に悩みが消えるんだったら、日本中に不安が一切ないはずでしょう。
もうただの金儲けに過ぎないと思うんですよ。
06:03
もう皆さん気をつけてください。
クリーチャーはですね、ああいう本はもう買わないでください。
そのお金で神様に献金するか、貧しい方のために募金してください。その方がマシです。
愛する皆さん。
では本当の平安はどこから来るのでしょうか。
さっき、今話をした、そういった本を読めば、一瞬で、本当に一瞬で消えるんでしょうか。
あるいは毎日、大丈夫、大丈夫、私は大丈夫、全然大丈夫、平気だ、平気だ、みたいにですね、マインドコントロールをしたら、本当に平穏になれるのでしょうか。
あるいは、もうそんな悩みを忘れるために、おいしいものを思いっきり食べたら、消えるんでしょうか。
そんなことはないと思いますね。
今日、聖書が教える、本当の平安はどうから来るのか。
その答えをですね、神の御言葉、真理の御言葉であるこの聖書から、神様から教えていただきたいと願います。
まず、今日の御言葉を注目して見ていきたいと思いますけれども。
まずですね、喜ぶことは、四節を見ますと、
いつも主にあって喜びなさい、もう一度言います、喜びなさい、とあります。
これはですね、喜んでいいですよ、ではないんですね。
悲しむこともあって、喜ぶこともありますが、喜びを選んだほうがいいですよ、というお勧め的な言葉じゃないんです。
これはね、確かに命令形になって、命令なんです。
命じている。しかも、喜ぼうではありませんか、じゃないんです。
喜びなさいとですね、不思議に神の御言葉は、私たちに命じていることにまず気づいてほしいなと思うんです。
でもね、私たちはわかります。誰だってみんな喜びたいんですね。
喜びたいんです。喜びたくない人は誰もいないと思うんですね。
喜びたいんで、嬉しく過ごしたいんだけれども、それができないから悩みがあるわけなんです。
そして、だからその次の5節、6節に御言葉が導かれていますが、まずですね、6節を見ていきましょうか。
6節、聖書ね、ご覧くださいますか。
09:03
何も思い煩わないで、何も思い煩わないで、あらゆる場合に感謝をもって捧げる祈りと願いによって、
あなた方の願い事を神に知っていただきなさいとあります。
これを短く知ったらですね、思い煩いがあるとき、あなたの願い事を神様に申し上げなさいということなんです。
いいですか、皆さん。
思い煩い、心配、悩み事があるときに、何か願い事があるはずなんですね。
癒されたい、何か解決してほしいとね、何かの願い事があるんじゃないですか。
それを神様にお話ししなさいということなんです。
この2017のこの聖書は、ここにですね、最後にね、6節の最後に、あなた方の願い事を神に知っていただきなさいとあります。
とても素晴らしい訳だと思いますが、皆さんこれを読んだらですね、また皆さんに新たな悩みが生じてしまうと思うんですよ。
どういう意味かと言いますとね、ではどうしたら知っていただけるのといったね、もう一つの思い煩いが発生してしまうかもしれません。
どうしたら知っていただけるのみたいにね、もう心配がダブルになってしまうかもしれませんけれども、そういった意味よりですね、これは、実はこういう意味なんです。
知っていただきなさいというのは、申し上げる、打ち明ける、お願いするという意味なんです。
もっと簡単に言えば、もう話すという意味なんですね。
それですね、調べたところ、ちょうど2つの別の翻訳の、新京都訳とリビングバイブル訳がありますが、そこにはこれとちょっとね、今話をした訳になっています。
ちょっと見ていきましょう。
まず新京都訳聖書にはですね、こういう風になっているんですよ。
どんなことでも思い煩うのはやめなさい、喜びなさい、やめなさい。
何事につけ感謝を込めて祈りと願いを捧げ、その次ですね、求めているものを神に打ち明けなさいとあります。
神に打ち明けなさい、これ覚えておいてくださいね、皆さん。
その次は、もっと現代語になっているリビングバイブルという聖書があります。
何事にも心配してはなりません、ここにもね、心配してはなりませんとあります。
むしろどんなことでも祈りなさい、神様にお願いしなさいが、さっきの打ち明けなさい、その部分なんです。
12:00
リビングバイブルはもうわかりやすく、神様にお願いしなさい。
もう知ってもらうためにまた悩む必要はありませんよ、みたいなニュアンスがありますね。
そして祈りに応えてくださる神様に感謝するのを忘れてはなりません。
はい、いいです。この二つですね。
神様に打ち明けなさい、神様にお願いしなさい、神様に知っていただきなさい、同じ意味です。
いいですか、皆さん。
さっきの神教学聖書の方はもうはっきりと言っていますね。
思い患うのをやめなさい、打ち明けなさいですね。
もう雲木書で直球を投げて話をしているじゃないですか。
やめなさい、皆さん、心配はやめなさい。
神様に打ち明けなさい、お願いしなさい。
思い患いがあるとき、不安でどうしようもないとき、病気になったとき、
これから先のことがわからなくて、人は不安になることがしばしばあると思うんですね。
どうしたらいいんでしょうか、皆さん。
今年1年間もコロナのこともあり、ご自分のそれぞれの暮らしもありますし、
子どものことや様々なことがあってスタートをして、
そして今日11月21日まで、ほぼ1年がここまで来たんですね。
最初は不安がないわけではなかったと思うんですね。
今の御言葉から教えられるのは、悩みがあるとき、不安があるとき、心配があるときに、
求めているものを、願い事を神様に打ち明ければいいんですね、皆さん。
お願いすればいいんですよ。
そうしたら、必ず神様に知っていただけるんです。
難しいことはありません。
神様にお願いすればいいんです。神様に話せばいいんです。
詩編の116編の1節に、こういう言葉があります。
私は主を愛している。主は私の声、私の願いを聞いてくださる。とある。
とてもシンプルですね。主は私の声、私の願いを聞いてくださる。詩編116の1節です。
本当に皆さんそうなんです。神様は、私たちの小さな声であろうが、大きな声であろうが、心の声であろうが、
15:00
涙の声であろうが、喜びの声であろうが、私たちのその声を、願いを、ちゃんと聞いてくださるんですね。
聞き逃すことはありません。忘れることもありません。
今年の1月のことですけれども、最初にですね、家族に私の病気を始めて話したときに、
家族みんな5人が集まってですね、祈りの時を思ったときに、あそこに座っていますが、息子がですね、こういうふうに神様に祈っていました。
神様、お父さんは今肺がんです。お父さんが亡くなったら、僕の家族はこれからどうなるかわかりません。心配です。どうか助けてください。
お父さんの病気を治してください。短い祈りでしたけれども、彼なりにですね、飾り付けのない素直な祈りだったなぁと思うんですね。
皆さん、こういうふうにですね、願い事を人ではなく、神様に打ち明ければいいんです。
神様に話せばいいんです。そこで大事なことがあります。
神様にただ思い切り話せたら、話せたから、打ち明けることができたから、心がすっきりできた。
だからいいんですよ。だから喜びますよという意味ではないんです。今日の御言葉の意味は。心をすっきりしなさい、そういう話じゃないんです。
悩みがいっぱいあるから、ちょっとガスを抜くようにですね、ちょっと抜きなさい、そういう意味でもないんです。
もちろんですね、神様は私たちを、自分の悩みをですね、誰かに心を打ち明けて話せたら、確かにその時に自分の悩みを話す時に起きる、いわゆる感情の浄化というものが確かにありますね。
だからカウンセリングとかね、悩みをする時に、これが本当に治癒の効果が確かにあるんですね。
しかし聖書は私たちに、さっきの本のタイトルみたいにですね、心の悩みをすっきりする三十六の方法を教えているわけではありません。
神様にお願いしたら、神様に打ち明けたらいい理由があるんですよ、皆さん。
そこにはちゃんとした神の理由があるんです。
18:04
さっきもう一度、リビングバイブルのバージョンをちょっと見せてくださいね。
そこを見たらですね、何事にも心配してはなりません。
むしろどんなことでも祈りなさい。
神様にお願いしなさい、その次ですよ。
そしてから一緒に読みますか、皆さん。
いいですか、せーの。
そして祈りに応えてくださる神様に感謝するのを忘れてはなりません。
はい、ありがとうございます。
ここにね、祈りに応えてくださる神様という言葉に注目してほしいんです。
なぜ神様にお願いしたら、なぜ神様に打ち明けたらいいんでしょうか。
なぜ大丈夫でしょうか。
すっきりしたからではなく、私たちのその祈りに応えてくださる神様がおられるからなんです。
いいですか、皆さん。
祈りに応えてくださる神様がおられるからなんです。
それをこのリビングバイブルの聖書は忘れてはなりませんとあります。
つまり私たちの神様は、私たちの祈りに応えてくださるから打ち明ければいいんです。
意味なく天に向かって叫ぶわけではないんです。
あるいは助けることが難しい人に打ち明けるわけでもないんです。
助けることができる神様。
答えを知っておられ、持っておられる神様。
私より私のニーズをよく知っておられる神様。
すべてのことを納めておられ、主であられる神様が私のそばにおられて、
しかも答えをくださる神様だから、だからその方に打ち明けるからいいんですよ、皆さん。
それが世の方法と全く根本的に違うことではないでしょうか、皆さん。
そこからさらに大事な話をしたいと思います。
私たちが喜べる理由、感謝できる理由が、今日の御言葉の4章の7節に出てきます。
ここは一緒に読みたいと思います。
今日の御言葉 4章の7節。
一緒に読みますね。
そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、
あなた方の心と思いをキリストイエスにやって守ってくれます。
アーメン。
ここに大事なキーワードが出てきますね。
21:00
神の平安。
神の平安は、すべての理解を超えるものです。
そして、神の平安だけが、私たちの心配を、不安でいっぱいの思いを、悩みでいっぱいの心を、キリストイエスにやって守ってくれるんです。
だから、喜べるし、感謝できるんです。
ここに聖書を読みますと、
この書簡文と言われるローマ書から始まる聖書を読みますと、
よく出てくる言葉の一つが、「思い出しなさい。」という言葉が結構出てくるんです。
思い出しなさい。
神の恵みを思い出しなさい。
あなた方が、もう罪と背きの中に死んでいた者が、キリストイエスのゆえに救われたことを、
その恵みを思い出しなさい。
神様からいただいた祝福を思い出しなさい。
さっきもありましたように、「忘れてはなりません。」と、同じ思い出すことなんです。
今日、ぜひ皆さん、今メッセージを聞きながら、あるいはお家に帰られて、
この1年間、神様が皆さんお一人お一人に、夫婦の間に、家族に、家庭に、あるいは教会に与えてくださったその恵みを、
祝福を、見えるものを、見えないものを思い出して、感謝しようではないでしょうか。
私たちが思い患いをやめることができる根本的な理由は、神の平安があるからなんです。
だから、喜べますし、感謝できるんです。
どうか願わくは、この神の平安をいつも豊かに味わう、楽しむ、
それでも喜んで、感謝で過ごしていきたいと、そういうふうに願っております。
1つのエピソードがありますが、先週の金曜日に、関西地域で、
私のように選挙士として活動している、韓国人の選挙士の団体があって、
私はその団体の者ではありませんが、ゲストで、Zoomのオンラインミーティングに、
私は参加させてもらって、30分ほどお明かしをさせてもらったんですね。
10人ほどの、もともとメンバーはもっと多くあるみたいなんだけれども、
10人ほどのネットで、参加させてもらいました。
パソコンの画面で見るから、このコマがあって、10人の顔が見えるんじゃないですか。
24:03
夫婦の方もいましたけれども、30分の癒しの、そして神の恵みを、お明かしさせてもらいました。
終わり頃、司会をやっていた先生が、氏名の言葉みたいに、こういうふうに言っていました。
私から話すのはちょっと照れていますけれども、こういうふうに言っていました。
画面で先生方の顔を見る限りは、今日お明かしをされたユン先生の方が一番平安で明るくて、もう輝いていましたね。
元気な人より、スマイルで光っていました。
肺癌は深刻な病気ですけれども、自分が知っている限りは、もう肺癌4期だったら、もう数ヶ月で亡くなる人が多いと思うんだけれども、
そんな中でも、本当に平安に過ごしていらっしゃるようで、素晴らしいですね、というふうに言われました。
それで私はですね、正直ですね、こういうふうにお答えしました。
そうかもしれません。
私は、私の51年間の人生の中で、今病気でありますが、もう自分の魂が清められ、一番幸せですと。
もちろんこれからどうなるか、私は分かりませんけれども、心配はしませんとお答えをしました。
ところで皆さん、もしですね、これを掘り下げて今日の御言葉を見ていきたいと思いますが、
もし神様が平安をくださるから喜ぶ、つまりですね、神様から何かもらえるから喜べる、
神様から守りがあるから、神様から癒しがあるから、神様から祝福があるから、
だから何かもらっているから喜ぶ、感謝できる信仰になると、皆さんどう思いますか?
そこには限界があるんです。
それなら、もらっているときには感謝できるんですね。
何かが与えられているから感謝する信仰だったら、その与えられているものがなくなったら、感謝できなくなるんですよ。
喜べなくなってしまうんです。お分かりになりますでしょうか、皆さん。
ちょっとね、夫婦関係で例えて話をしてみたいと思います。
例えば、旦那さんは奥さんが食事を作ってくれるし、洗濯もしてくれるし、奥さんが何かをしてくれるから、
27:03
ただそれだけでありがたいと思っているなら、もしも奥さんが病気になったりして、
食事も作れない、掃除もできない、洗濯もできない、何もできないような奥さんだったら、
感謝ができなく、もう感謝が消えてしまうかもしれませんね。
何かよくしてくれるときは、わあ嬉しいな、大好きだ、みたいな言っていた旦那さんがね、
何もしてくれないし、もらえないから、冷たい顔に変わるかもしれません。
逆の場合も同じかもしれませんね。
旦那さんが元気で、一生懸命働いて、給料もそこそこもらって、家に全部もくれているときは喜んでいた。
しかし丁寧に退職して、お金がなくなって、仕事もできない、歳とってまともにできることもない、
パートで働くこともできない、あるいはしない、旦那さんが何ももらえないから嫌いだとしたらですね、悲しくないんですか。
このように夫婦関係が相手から何かをもらえるから喜ぶ、感謝する。
逆にもらえないから相手のことが嫌いになるとしたらね、すごく悲しいと思うんですよ。
そう思いません、皆さん。そうでしょう。
もしそういう夫婦の方がここにいらっしゃらないんですよね。
神様と私たちの関係も一緒だと思うんですよ。
もし皆さん、よく考えてみてください。皆さんの信仰を考えてみてくださいね。
もし神様から平和をもらえるから、健康をもらえるから、お金をもらえるから、成功をもらえるから、
贅沢な暮らしをもらえているから、いい仕事をもらえているから、
神様から与えられているから、それがあるから神様に感謝できる、感謝する信仰であったらですね、
おそらくそのものがなくなったら感謝できなくなるんですよ。ほとんどの場合、そうなります。
神様から何にももらえなくても、与えられているものが何にもなくてもゼロであっても、
いやむしろ私のように病気だったり事故だったり、何かもうマイナスのようなものが逆に与えられていても感謝できるかということなんです。
もらえないからとしたら、神の価値が私たちにとってなくなってしまうんですよ。
もらうときは嬉しい。もらわないから、もらえないから、いや神様もいりません。
30:03
もう何もくれないし、私にとってあなたはもう価値ないんです。いりません。お断りしますというふうになりうるかもしれませんよ、皆さん。
だから皆さん、この信仰の段階を越えたいんですよ。その上に登りたいんです。
神様から平安をもらえるから、祝福をもらえるから、喜ぶ感謝できる信仰を越えて、
神様が私とともにおられるから、神様が私の主だから、いや、もっと根本的に罪と背きの中に死んでいた私たちを、敵だった私たちを救ってくださった神の子供にしてくださったその恵みのゆえに感謝して喜ぶクリスチャンでありたいんですよ。
そうじゃないですか、皆さん。そういう神様との関係になりたいんですよ。
そういう一年の恵みを思い出して感謝する私たちでありたいんですよ。
夫婦関係も一緒じゃないですか。旦那さんが、奥さんが、何かしてくれなくても、もうそばにいることだけで、一緒にいることだけで感謝する、喜ぶ夫婦でありたいんですね、皆さん。
今日は私、家に帰って、旦那に聞いてみたいと思うんですね。私がいるだけであなたは感謝できているの?って聞いてみたいんですね。皆さんも聞いてみてくださいね。
でも返事でがっかりしないでほしいですけどね。
金曜日にですね、たまたまテレビである、ニュースの一コマだったと思うんですけれども、
多分皆さんで見られた方がおられるかもしれませんが、
40代の男性が、若いんですけれどもね、40代の男性が、いわゆるアルツハイマー型認知症でですね、突然その病気で、もう症状が重いようですね、
当然、以前のように仕事もできないですし、日常生活も難しいように思いました。
もう記憶が消えるみたいですね。
しかし、そばに奥さんがいてですね、奥さんの方がよくサポートしてあげて、暮らしている様子がですね、番組で出て、
それを見てですね、もしあの奥さんの方がですね、いや旦那さんはもう突然仕事もできないし、
給料もなくなるし、もう困ったな、何ももらえないじゃん、もう別れようと思ったら、とても悲しいんじゃないですか。
33:03
世の中に実際にそういう夫婦も結構いるみたいなんだけれども、
もし私たちが神様のことをそういうふうに考えたら、とても悲しいんですよ。
何かいい時には平穏無事の時には神様にたくさんいただいているから、いや嬉しい、神様最高みたいになってですね、
でも病気になったり、亡くなったり、貧しくなったり、何か悩みがいっぱいある時には、もう神様は嫌だみたいに、
でも神様はね、もう待ってくださるんだけれども、そういうふうな関係になると悲しいと思うんですよね。
天皇父なる神様はいつも私たちのそばにいてくださいます。
共に歩んでくださるんです。
神様のために私たちが立派なことができなくても変わることなく、いつも私たちの皆さんのそばにいてくださるんです。
私たちが立派なことができない時に神様がですね、いやお前は何もできないじゃん、価値がないんじゃないか、もう別れよう、そんなことはありません。
父なる神様は、私たちに本当の平安をくださるお方です。
でもね、大事なことは話ありますよ。神様と平安を切り離すことはできません。
別々のものじゃないんですよ。もう神は愛であるように、神は平安であられます。
平安と神様は一緒なんですね。
だから私たちのそばに神様がおられる、いてくださる、いつも共にいてくださるんだったら、
神の平安、愛、憐れみ、慈しみ、守りが、もう神様自体が平安であり、神様自体が愛だから、それがいつも一緒であるということなんですね。
私たちが平穏無事な日だけではなく、病む時も健やかな時も、嬉しい時も悲しい時も、成功の時も失敗の時も、
神様は私たちの主であり、私たちのそばにいてくださるし、変わることなく共に歩んでくださるんです。
そして平安を与えてくださるんです。
人知を超える本当の平安は神様なんです。
だから喜びなさいと思わずのやめなさいと聖書は我々に命じています。
今年も終わろうとしています。あと40日ぐらい残っていますね。
36:02
数えてみようという三味の歌詞のように、神様の恵みを数えみるなら、きっと大きな恵み、多くの恵みがあったに違いないと思います。
しかし特にこれとしたことが与えられていないのではと思われる方がもしおられるならば、
もらったから、もらっていないからではなくも、神様が私の主だから、
神様が私のそばにおられるから、それだけでも十分感謝にあふれる理由があるのではないでしょうか。
神様に感謝して、感謝にあふれる日々を送りたいと願います。
お祈りしましょう。
36:54

コメント

スクロール