00:01
それでは本日は、「すべての事について感謝しなさい」というタイミングによって、神の御言葉を共にお受けしたいと思います。
それでは皆さん、メッセージの入る前にどのような方と挨拶しましょうか。
ともに前の方に相手もあるので、今から後ろの方は前の方に来てください。
それでは挨拶しましょう。ありがとうございます。
それでは一言お祈りします。
すべての事について感謝しなさい。これがフィリップ・イエスにあって、神があなた方に望んでおられることです。
すべての事は神の恵みです。その恵みをもう一度振り返って、確かめて、すぐに感謝する礼拝を捧げてまいります。
主を祝してください。
イエス様の名によってお祈りします。
アーメン
感謝します。今日は本当に嬉しいです。
すぐ一年間、生きておられた神様が、私たち一人一人に、あるいは家庭に、あるいは教会に、あるいはこの国に施してくださった恵みに感謝を捧げる礼拝、
特に修学感謝礼拝を共に捧げることを感謝いたします。
また、今日は子供の祝福がこの世に与えられて、僕の親の方々、あるいは子供を探して、
共に神の祝福に預かったことを覚えて、心から感謝いたします。
今日はそこに、感謝について、一緒に神の御言葉をいただきたいと思います。
一つ軽くお聞きしましょう。
皆さん、私たちが日頃、感謝すれば、それは誰にいいものなんでしょうか?
自分にいいものなんでしょうか?神様にいいものなんでしょうか?
感謝したら、両方なんですね。
神様にもいいことですし、私自身にもいいことなんです。
唯一の神様は、私たちの体だけではなく、魂も心も救ってくださいました。
そして、この方は完全なお方ですから、私たちの中に、実は良いものを植え付けてくださったんです。
03:02
そして、私たちは感謝していること。
そういう感情を持つときに、私たちの体には不思議なすごいことが起こるんです。
そのことをデータを調べてみました。今からちょっと見ていきましょう。
セミナーではありませんが、ちょっと見ていきたいと思います。
感謝の感情を持つときに、私たちの体の心臓や深い関係があるということです。
アメリカのハートマス財団の研究によります。次のページに行ってみましょう。
まず、私たちが通常、感謝の気持ちを持つときに、それが脳や心拍リズムと同期する。
もう絶妙にそれが同期するので、そのときにコヒレンスという状態になるんです。
そうすると、心身ともにとても規則的で安定している状態になるということなんです。
次、ご覧ください。
感謝をしているときは、あんな顔なんです。子どもも大人もですね。
不満を感じるときは、だいたいあんな顔を。
こちらのとき、コヒレンスさんの奥さんの子どもが、ああいう顔をしているかもしれない。
ところが、感謝をしているときに、我々の心拍数はとても安定しているんです。
だから、それが心臓と同期するから、ハラハラしながらとても安定したピースの平安の心身の状態になる。
ところが、不満を感じていて、文句を言っていて、イライラしていて、とても激しく安定していないので、
心拍数に大きな影響を、ダメージを与えるからなんです。
そのコヒレンスということは、体のいろんな生理機能が円滑に機能するようにしてくれる。
そして、感情のバランスが安定するようにしてくれる。
そして、精神的な明瞭さが生まれるから、感謝する人こそ、エスコイラです。
次に行きましょう。
最後にありますが、これが一つ思いますよ。皆さん、覚えていてくださいね。
感謝すると、若返りのホルモンが増加するんです。
皆さん、だから、1日何回も感謝したら、若返りしますよ。
逆に、不満を感じたら、自分の体にダメージをさせて早く引きたい。それと同じことになります。
2番、体の免疫機能が高まるということです。
06:01
そして、3番は、脳と心臓と神経の連携が強化されるので、脳も心臓も体も良くなるということになります。
私が話したいのは、こういう医学の話、
神様は私たちに、なぜ全てのことについて感謝しなさいとおっしゃったのか。
それは、私たちの心も体も精神も作られた神様は、
全てを信じておられ、そして私たちに良いものを与えて下さい。
そのために、感謝しなさいということです。
何より、感謝という気持ちは、唯一の神、神様の神聖なんです。
だから、私たちが感謝の気持ちを持つときに、
私たちの思いとか、心とか、この体は最高の状態になるということになります。
皆さん、これはですね、ただ、何かですね、
瞑想や、そういった清察とか、それが体とか精神に良いんですよ。
だから、なるべく感謝しましょうよ、という話ではない。
私たちを作って下さって、
私たちより、私たちの心と体と魂について、完全にご存知の神様が、
私たちが本当に、一緒にやって幸せに生きるように、
そのために感謝しなさいと語っておられます。
皆さん、いかがでしょうか。
今日、11月19日です。
もう、今年もですね、そろそろ終わりが来ていますけれども、
すぐ1年間を振り返ってみたら、本当に感謝すべきこと、
感謝したいことが本当にたくさんあったのではないでしょうか。
生きていることに感謝します。
健康であることに感謝いたします。
あるいは、病気であることにも感謝します。
働けることに、そのために健康が許されていることを感謝いたします。
運転ができ、自転車が乗れる、バイクに乗れる、
その精神も体も守られていることを感謝します。
食べるものがあって、着るものがあって、寝る家があることを感謝いたします。
喋れること、見れること、歩けること、考えられること、
その体を、精神を持っていることを感謝します。
09:03
また、私の周りには、自分のことを考えてくれ、
あるいは思いやってくれる人、愛してくれる人、
祈ってくれる人がいることに感謝します。
妻がいて、夫がいて、子供がいて、親がいることに感謝します。
本当にそうではないでしょうか。
数えてみよう主のおめくみという賛美の歌詞がありますように、
私は本当に感謝すればするほど、
神の品性に、神の気持ちにピタッと一致になっていくということであります。
では、具体的に誰にどういうふうに感謝したらいいのでしょうか。
まず、一番身近な家族、親、夫や妻、あるいは子供、
子供も兄弟に感謝しようではありませんか。
旧約宣言という宣言がありまして、
そこの17章1節に、こういう見言葉があります。
私がお読みいたします。
一切れの乾いたパンがあって、平和であるのは、
御馳走と争いに満ちた夕に勝る、という見言葉があります。
家の中にたどるのが、一切れの乾いたパンしかない。
しかし、それしかないんだけれども、平和で過ごすのが、
たくさんの御馳走があって、争いがあって、不満があって、つぶやきがある、
そういう家よりは遥かに勝る、という見言葉であります。
これは、今から約2900年前の人のお話なんですよ。
2800、900年前のソロモン王のお話なんですよ。
いかがでしょうか、皆さん。
神様は私たちに家族をくださいました。
その家族が共に暮らすこと、
感謝しながら、喜びながら、共に暮らすことこそが、神の心なんです。
それは、神の心だけではなく、
実際に私たちの幸福と直結したものなんです。
以前読んだカウンセリングの本の中に、こういう話がありました。
何か、それが大切かでもいいですし、
特に家族の中で、親とか、あるいは奥さん、ご主人さんに対して、子どもに対して、
何か怒りという感情が湧いてくるような、むかつくときに、不満があるときに、
12:09
呟く気持ちになったときに、ちょっと静まって、
こういった絵を出して、
そこに、今、私がむかつく相手、子どもとか誰かさんに対しての不満じゃなくて、
感謝の題目を100個書いてみてください、ということを読んだことがあります。
でも、最初は、100個、1個もないぞと、そういうふうに思うかもしれませんが、
でも実際に、細かく考えて書いていけば、100は十分に書ける。
そして、書いていくうちに、これが変わっていく。
実は、本当に感謝だなと、本当に感謝だなと思うんです。
半分、冗談ではありませんが、うちの妻が育っていますけど、身長が低いんですね。
だから、押し入れの高いところには出すこともできないし、入れることもできないんです。
それは、私が手伝ってはならない。
それを不満と思えば、何で小さい人と結婚して、こんなに苦労するのと思うかもしれませんけれども、
感謝すれば、可愛いからいいのではないですか。
旧約聖書真言2句を読むことがあります。17章22節に。
これを一緒に、聖書をお持ちの方は開いていただいて、一緒に読みたいと思います。
旧約聖書真言17章22節。私の聖書では、1080ページです。
17章22節。聖書をお持ちの方は一緒に読みましょうか。
3回。
病気な心は、健康をよくし、
陰気な心は、骨をからす。
これは、神科学でこうなっていますけれども、
他の聖書には、もっとわかりやすく書かれています。
心の喜びは、良い薬である。
魂の憂いは、骨をからす。
もう一度読みますね。
心の喜びは、良い薬である。
魂の憂いは、骨をからす。
ですから皆さん、いくら良いサプリメントを飲むよりは、
心の喜びが良い薬なんです。
いくら良いサプリメント、ビタミン、ABCD、全部飲んでも、
15:04
不満がいっぱいあって、憂いがいっぱいあって、文句がいっぱいあったら、
自分が自分の骨をからしてしまうことになるんです。
皆さん、感謝する人は、毎日幸福と健康というものを積んでいきますが、
不満をする人は、毎日不幸と呪いというものを積んでいくものになります。
自分の心の中にだけではなく、家中にそれを積むわけなんです。
自分のリビングにも、ベッドの上にも、キッチンの上にも、
幸福と健康を積んでいくか、呪いと不幸を積んでいくか。
何より皆さん、感謝する親のもとから、感謝できる子供が育てられます。
そして、その子供もまた感謝するようになって、その家族が感謝できるようになっていくことであります。
そして、皆さん、考えてみてください。周りを見てください。
横で感謝して感謝している人は、その感謝というものは、まるでウイルスみたいで、すぐに隣の人にそれが映るんです。
感謝の気持ちが映るんですね。ハッピーウイルスみたい。
ところが、逆にいつも呟いて、いつも不満ばかり持っている人は、そこにいたら自分も病気になりそうなんです。
それで、まるで悪いウイルスみたいに、それもすぐに映ってですね、周りもそうなっていくんです。
皆さん、何よりまず、家族に感謝してください。
今日、ぜひ、出会い終わって、お家に帰っていただいて、感謝しない感謝を表現しない感謝は感謝でない。
ならないカネはカネではないという言葉のように、表現しない感謝は感謝ではないという話もあります。
ぜひ、今日、お家に帰られて、晩御飯のときでもいいですよ。
なかなか日本のご主人の皆さんは、奥さんの手を温かくとって、ありがとう、なかなか言えないでしょう。
ぜひ、今日、実質に見ていただきたい。
逆に、奥さんも皆さんも、お父さん、ありがとう、子供にも親にも、そうしていただけますか、皆さん。
監視カメラがあるので分かりませんが、神様が見ておられましたら、ぜひ感謝を言っていただきましょう。
もう一つ、私たちは、神様に全てのことについて感謝しようでありませんか。
主にこういう言葉があります。
主に感謝せよ。主はとても慈しみ深き、その恵みはとこしえまでとあります。
18:01
いかがでしょうか。
今年一年、神様はあらゆる状況、条件の中で、私たちを守って、導いて、ここまで過ごしてくださりました。
皆さん本当に、それぞれ自分なりに一生懸命に、頑張って働いて、様々なことをなさって、ここまで来られたでしょう。
お家で、職場で、学校で、あるいは教会で、本当に皆さんは、みんな真面目で熱心に応援して働いてここまで来られた。
ところが、皆さん覚えていてください。
いくら私たちが、頑張っても、新しいものを始めようとしても、神様が守ってくださらないと、それはまるで砂のお城みたいに、もう虚しくなってしまって消えてしまうということであります。
大事な御言葉があります。ちょっと開きましょうか。
四編の127編ですよ。一緒に開きましょう。生徒のお持ちの方、これ大事な数ですから、ちょっと生徒を開いて、一緒に見ていただきたいと思います。
四編の127編、一冊です。
これは、仮定の言葉で、お仕事の上にも、新しいことを始めようとする方々も、これからどうしようと思って悩んでいる方々、進学のことや様々なことにおいて、好み言葉をぜひ、また信じていただきたいと思います。
四編の127編、一冊一緒に読みましょうか。よろしいですか。
三杯。主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなし。主が町を守るのでなければ、守る者の見張りはむなし。アーメン。
皆さん、そうなんですよ。皆さんがいくら頑張って一生懸命やっても、とても優秀な腕を持っていて、いろんなものを持っていたとしても、
神様が建ててくださらないと、むなし者になります。主が守ってくださらなければ、いくら守っていくら能力があっても、その見張りは、努力は、むなし者になります。ぜひ覚えていてください。
だから皆さん、どんな人が賢い人なんでしょうか。どんな人が幸いな人なんでしょうか。神を信じ、神様に守っていただく人。神様に建てていただく人。その人が、賢い人であって、幸いな人であります。
皆さんにも感謝の題がたくさんあるかと思いますけれども、我が家のことを少しお話をしたいと思います。来年になりますと、日本選挙として韓国から使わされて、10年目に入ります。
21:18
12月5日に、武山から福岡にやってきましたので、それが2008年ですから、10年目に入りますけれども、過ぎ去った9年間を振り返ってみたら、いろいろたくさんありましたけれども、何から何まで、全ては神の恵みでした。
神様のお導き、神様の威福、また許しと言わざるを得ない恵みがたくさんありました。考えてみたら、韓国でも指を振る素晴らしい教会の選挙主になって使わされたこと。
また、最初の4年間は、日本でも素晴らしい福岡教会で協力選挙として愛されて、支えられて、学びもできて、暮らすことができたこと。
家族はいろいろ、小さな大きな病気を歩みましたけれども、でもその中でもっと家族が一緒にやって一つになれたこと。神の心をもっと深く知るようになったこと。
そして、やがては2013年、この妙谷の地に主が使わせてくさって、皆さんに結構ですよとお断りされるのではなくて、受け入れていただいて、この家庭のみずくな特殊風を家族の皆さんが信頼していただいて、愛していただいて、またついていただいて、
妙谷教会のファミリーに皆さんにお会いできて、ここまで感謝の中に本当に幸せに僕が生きていけたこと、すべてですね、数えてみよう、主の恵み、本当にたくさんの恵みでありました。
観光しなくてもいいものは一つもありませんでした。私は信じます。私は弱いですが、全能なる神が、その家様が、その仲間様が私のうちにおられ、私のうちで働いておられるならば、私は弱いものではなく強いものであります。
全能なる神様が皆さんの中にも生きておられ、働いておられます。そうするならば、私たちは弱いものではありませんよ。弱くないんです。決して弱くないんです。精霊によって強いものと言えません。
24:13
だから、いくらでも、私たちはどんな時にも、どんな境遇にあっても、感謝できる力が、中に留まっておられるチャンみたいな神様からその感謝できる信仰が湧いてくるんです。
これですね、ローマとかトルコにいたら、カタコンベとデリンクルという昔のクリちゃんが地下にあいて、洞窟を作って暮らしたそういう遺跡みたいなところが、今は観光地になってあるんです。
多分、左のほうがローマの地下にあるカタコンベだと思いますし、右のほうがトルコのデリンクルというところであります。両方、私、行って入ってみたことがありますけれども。
そこで、2世紀、3世紀なんですね。そのときのクリちゃんは、ローマ皇帝の白海に、そこから逃れて、あの地下に行って、何十人、何百人がアリスの巣みたいなところに行って、それを掘ってそこで暮らすわけなんですよ。
ちゃんとにいたわけではありませんよ。そこで1年も2年も3年も暮らすわけなんです。そこで食べ物を作る。そこで生きる。
こっちにも、ここには絵画が写ってないんですけれども、よく行ったら、ある一角のところがダナミダになって、そこに頭蓋骨がもうびっくり入っているわけなんです。
つまり、この中で人が亡くなったら、その痛いをそこに入れるわけですから、その中にはいろんな匂いがするわけなんです。
そんな中でも、彼らが必ず毎晩やっていたことがありました。それが、記録として残っていますけれども、1年がたっても外に出ることはできない。
自然に換気ができるようになっていて、自然に細い光が入ってきたりはするんですけれども、その中でもなかなか洗うこともできない。
もちろん洗濯もできない。食べ物も過労死で食べる。人間が福を生きられないんですよ。
ところが、不思議に彼らは毎晩、それぞれの部屋みたいなところがあって、家族が集まるんです。
そして、まず神に感謝の賛美を歌います。神の皆を賛美します。その方の慈しみと導きに感謝します。
27:10
どこを見ても感謝できないでしょう。みなさまからあんな洞窟にいて暮らしてみてくださいという。
ただの観光に入っても、1時間以上は中にいたくないんです。早く出たいんです。
行き来るということもありますし、大変なんです。
でも彼らはその中で、まず毎晩、家族が集まって感謝の賛美をする。
そして彼らはこんな感謝をするんですって。神様、ことはローマ皇帝による博大があるんだけれども、
でも私たちの信仰を捨てないで、ここで信仰をこんなに持っていることを感謝しました。
昨日渡辺さんが捕まれて、もう処刑されましたけれども、彼が主役を捕獲して、あの場で処刑されたこと、それが明かしできたことを感謝しました。
そしてこの次の順番は私かもしれませんが、私はそれで神の皆を明かしできることを感謝します。
殺されることを感謝するんです。毎日またお互いに、家族の間で感謝する。
なので先ほどお読みしました、一切れの乾いたパンがあって平和であるのは、御馳走と争いに満ちた家にあたるその通りです。
皆さん、神様に感謝しておりませんか。数えてみてくださいよ。感謝できないことは何にもありません。
最後に一つだけお話したいと思います。
ところが皆さん、正直に言ったのでしょうか。感謝しなきゃ、感謝しなきゃ、決心はするんだけれども、
時にはうまくできるんだけど、時にはできない時もあるでしょう。
2、3日うまく感謝ができたと言ったら、また怒りが燃え燃えて不満ができたりするんじゃないでしょうか。
ところがそう言ったら神様は今日、全てのことについて感謝しなさい、いつも喜んでいなさいという言葉は、
できないことを神様が語っているんでしょうか。そうではありません。炎です。
ところがまず私たちが知らなければならない言葉があります。
私たち人間は、自分の本性、本質というものをぜひ知っていただきたいんですけれども、
私たちのこの本性は、本質は、罪ある本性というものであります。罪のものなんです。
30:04
どうやってそう考えるんですかと思うかもしれませんが、皆さん、子供のことを言ってくださいよ。
誰かお父さんお母さんが教えてくれなくても、幼稚園で勉強しなくても、
怒ったり泣いたり嘘をついたり喧嘩したりするんです。なぜでしょうか。
人間が生まれる時から、罪の本性を持って生まれてくるからなんです。
だから皆さん、本性的に考えますと、感謝が本性でしょうか、不満が本性に近いんでしょうか。
不満するのが、実は本性に肉の重みに近いんです。
むしろ感謝するというものは、我々肉の思いや本性を逆らうことになります。
だからいつも感謝するのが、自分の努力では難しいんです。
罪のあるものだから、本性を逆らうものだから、どういうことなのか。
ところが、どうやって全てのことについて感謝できるんでしょうか。
いつも喜んでいられるんでしょうか。
それは、私たちの心が魂が霊が、イエス・キリストに一杯になる時に、
その三様様によって全て完全に私たちが満たされる時に、私たちはいつも喜んでいられます。
絶えず祈れます。
全てのことについて感謝できますよ。
不可能なものではありません。イエス様が自分の心を納めてくださる。
いつも精霊に満たされておれば、いつも喜んでいられます。
全てのことについて感謝できますよ。
一括ですね、それぞれ一緒に見てみたいと思います。
ピリピリとへの手紙、2章、1節と5節です。
前のほうにもありますけれども、製図のお持ちの方は製図、あるいは前のほうをご覧ください。
まず、ピリピリとへの手紙、第2章の1節をよくご覧ください。
私が読みますね。
こういうわけですから、もしキリストにあって、ここのキリストにあってが大事です。
キリストにあって励ましがあり、愛の慰めがあり、三様の交わりがあり、愛情と憐れみがあるならばします。
つまり、励まし、愛の慰め、三様の交わり、愛情、憐れみは誰の中にあるんですか?
33:01
キリストの中にあるものなんです。
だから、キリストの中に本物の励まし、本物の愛の慰め、愛情、憐れみ、本物のものがキリストの中にありますから、
私たちはキリストの中にあってとどまっておれば、キリストが私のお家におられれば、私はどういうふうになるんでしょうか?
私たちも同じく励ますことができる、愛することができる、愛の慰めができる、憐れむことができる、と。
だから、フィクト・ファウルは2章の5節のように語っています。5節を一緒に読みたいと思います。
3回、あなた方の間ではそのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。アーメン。
他の聖徒は、あなた方はそのような心、つまりこの1節のキリストの励まし、愛の慰め、愛情、憐れみのあるその心を抱きなさい、持ちなさい、と語っているわけです。
皆さん、覚えていてください。我々の結晶では、ある程度、励ましこと、許しこと、慰めること、愛情、憐れみを持てますよ。持てないという話ではありません。持てますよ。
しかしそれは不完全なものでありますし、私、人間はどうしても自己中心ですから、自分に害になるものだから感謝しない、愛情がなくなることになる。
だからキリストの心を抱くことであります。キリストの心が私の心に一致するときに、私たちは感謝できるようになります。
皆さん、いつもイエス様の霊によって満たされていてください。イエスによって我々の魂が満たされるようにしていてください。
そうすると、罪の本性のある私たちは、そこも罪の本性を、肉の思いを逆らって、そして神の思い通りに、神の人生通りに一致して歩むことができるようになります。
キリスト教が語る救いというものは、ただ、あとなったらパラダイス、天国に行けるというのみを語っているわけではありません。
信仰というもの、救いというものは、今ここで夫婦関係において、親子関係において、学校で、会社で、教会で、あらゆる人間関係において、
イエス様の心を抱いて、イエス様のようにいつも喜ぶことが信仰です。
イエス様の心を抱いて、イエス様のように全てのことについて感謝することが信仰であります。
36:07
メッセージを終わりたいと思いますが、皆さん、今日子供を祝福式におられた方々もおられますが、
あるいはお互いに、もしも誰かがおころこしたりしたときに、ほら、今日もユン先生のメッセージあったでしょう、と言って、お互いに感謝しあげましょう。
そして、いつも喜んでいなさい。全てのことについて感謝しなさいと。
それは、まずは家族に、そして何より神様に、そして、でもあらゆる人間は罪あるものだから、神の礼に満たされていれば、
神の力によって、イタマ様の力によって感謝できる、喜んで過ごせるということ、
私たちの全存在が新しく生まれ変わることがイタマによってなされることであります。
お祈りしていきたいと思います。お祈りしました。