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2016-06-26 36:24

2016/06/26:クリスチャン・スチュワードシップ

2016/06/26 聖日礼拝

尹善鎬牧師

コリント人への手紙第一 4:1-5

00:01
みなさんおはようございます。
今日もよくいらっしゃいました。
ではですね、メッセージに入る前に、いつものように周りのあなたと挨拶をしませんか。
はい、よくいらっしゃいました。
よくいらっしゃいました。
はい、それでは一応お祈りいたします。
こういうわけで私たちを秘密の相撲で、また神の奥義の管理者だと考えなさい。
アーメン、主よ、そうです、私たちは神の管理者です。
神様からたくさんのものを預かっている主のしもべです。
どうか、主よ、この朝、そのしもべとして、私たちはどういう生き方をすべきなのか、
御言葉から教えていただきたくと願っておるこの群れの上に、主よ、主の御言葉を語ってください。
御言葉通りにいたしますので、どうぞ主よ、お語りくださいますようにお願いをいたします。
御言葉をいただいて、そしてその御言葉通りに生きる力も上から与えてくださって、
また、私たちも心の中に喫煙をして、主よ、実践できますように、どうか、聖霊様、お助けください。
心の目を開いて、また、主の御言葉に、目を向けて御言葉をいただけますように、聖霊様、助けてください。
イエス様の御名によってお祈りいたします。アーメン。
今日のメッセージのタイトルは、クリスタンスキュワードシップです。
何か新しいシップではありませんよ、皆さん。スキュワードシップ。
日本語でですね、日本語の聖書には、観忍者、観忍者と訳されています。
ピンと来ないようなイメージがありますけれども、
この観忍者と訳されている言葉は、追い込ものといってですね、新約聖書に10回ほど出てきますけれども、
この日本語にですね、直しますと、キリスト様の観忍の務め、それがスキュワードシップですね。
クリスタンスキュワードシップです。
実は皆さん、この観忍者の精神、スキュワードシップは、プロテスタント信仰、
03:06
このクリスタン生活のために、とても大事なスピリット、精神であります。
今日は一緒にですね、私たちはみんな一人一人、神の観忍者、スキュワードとして、どういうふうに生きる、歩むべきなのか。
神様の観忍者として、神様が預けてくださったあらゆるものを、どういうふうにそれを用いて歩むべきなのか。
それを御言葉から教えていただきまして、そしてどういうふうに歩んでいきたいと願っております。
この神の観忍者、クリスタンスキュワードということを考えるときに、まず大前提があります。
その一は、神様は全世界、全宇宙の主であるということです。
創世記日記を一節開きましょうか。
皆さん暗示をしていらっしゃるかと思いますけれども、創世記日記を一節開いてください。
一緒に読みたいと思います。
3、はじめに神が天と地を創造した。
はじめに神が天と地を創造したという言葉がありますね。
神様は全てのもの、私たちが見ているもの、見ていないもの、持っているもの、持っていないもの、
過去にあったもの、今にあるもの、これから来るもの、全てのものをお作りになった主人です。オーナーです。
ですから、神様が全てのものを主人です。オーナーです。主です。
それが、このクリーチャーシュワードシップ、神の管理者ということを、私たちがそれを考えるときに、まず大前提として考えておいていただきたいものです。
さあ、ちょっと清楚ですね、いくつかの箇所を開きたいと思いますが、まず四辺に行きましょう。四辺。四辺の24辺。
ちなみにですね、今、当店でですね、四辺を100何辺でしたっけ、3辺まで来ていますけれども、私から言うのはあれですけど、大変恵まれてますよ、皆さん。
よかったら、よかったらじゃないですけどね、ぜひ当店においでください。四辺24辺1節を一緒に読みたいと思います。
926ページです。926ページ。四辺24辺1節。3、はい。
木とそれに満ちているもの、世界とその中に棲むものは種のものである。アメ。
06:09
木とそれに満ちているもの、もうすべてですね、この木、世界とその中に棲むものは誰のものですか。誰のものですか。種のものです。種のものです。
もう一箇所、四辺50辺。10節から11節です。954ページです。10節と11節を一緒に読みたいと思います。3、はい。
森のすべての獣は私のもの。千の丘のカチクラも。私は山の鳥も残らず知っている。野に群がるものも私のものだ。
もう獣も鳥も野獣もすべて神様のものです。
もう一箇所、旧約の後ろに来まして、破壊教2章8節。破壊、ゼカリア、マラキですから順番がですね、破壊書2章8節。
1545ページです。1545ページ、破壊書2章8節です。一緒に読みますか。3、はい。
人は私のもの。神も私のもの。万軍の主の密げ。アーメン。
皆さんいかがでしょうか。今の四辺24編の1節。50編の10と11節。今の破壊書の2章の8節。すべてのものは神様のものです。
私たちは主人ではオーナーではない。主がおられるということ。これがクリシャ・シチュワードを考えるときに大前提として、まずここから入っていかなければならない。
今の御言葉をもっとリアルに直して話してみましょうか。
私の畑も神のもの。私の車も神のもの。私の家族も神のもの。私の家も神のもの。私の子供も神のもの。私の財布も神のもの。あなたも神のものです。
09:09
アーメンですか、みなさん。意地悪かもしれませんよ。左右は私のものですよ、と言いたいかもしれません。
この話を聞いて、すぐにアーメンしよう、今日ですと言える方は、なかなかの信徒だと思います。
先週の木曜日、金曜日、教団で全部の対面に、私たちのビジョン2021というキャッチフレーズをかけて進めていく中で、
推進チームに1位にさせていただいて、淡路市まで一泊で会議をしていました。
今、寿司ランバインで奉仕されている宮崎先生が、以前徳島で奉仕をされていて、その先生からとても美しいお話を一つ聞きました。
徳島県の羽野浦、羽野浦は教団の許可にもありますけれども、その近くにこんなカフェがありますよ。
名前をよく聞いてみてください、皆さん。ジョンさんのじゅうろく、わかりますか。ジョンさんのじゅうろく、何でしょう。ジョンさんのじゅうろく。
ジョンは、ヨハネの英語の名前がジョンなんですね。その方はクリスタンでカフェをやっていますけれども、ネットの食べることとかにも出ていました。
それながら、ヨハネのさんのじゅうろくをしたら目立ちますから、ジョンさんのじゅうろくというカフェをやっていて、その方はお金を儲けるためではなくて、
カフェをやりながら福音を伝えるために、教会のゴッズページも流していて、教会のさまざまなトラコとか、伝道のトラコとか、あるいは何かの集会のシラシとか、それを貼ってあって、
そういうふうに、伝道のためにカフェをやっていますよと話を聞いて、いや素晴らしいなと言ってみたいなと、そういうふうに思いました。
自分のこの賜物、それをゆかって神のためにとても麗しく用いている方だなと思いまして、一度ぜひお会いしたいなと思いました。
すべてのものは神のものです。すべてのものの主は神様です。
これをよく土台にしていくときに、私たちは神の良い管理者になります。
良いスキュワードになれるんです。
第二の全体は、人間、つまり私たちは神の管理者であることを認識するんです。
12:04
私は神の管理者である。私は神のしもべ、スキュワードであるということです。
皆さん、管理者は、スキュワードは、すべて自分のものは一つもないんです。
すべて、主人が私に預けたんです。委ねていたんです。委託したわけなんですよね。
実は皆さん、聖書は荘石からこの管理者の精神、スキュワードをよく教えているんです。
新しい理論ではありません。どこからそれを見つけることができるのでしょうか、皆さん。
荘石の最初の神様が、アダムにこのエデンの園を委ねてくださったんですね。
名前も作りなさい。そしてすべてを守りなさいと。
その責任を神様がアダムに委託、委任してくださった。
ところが皆さん、ここに大事な一つのポイントがありますよ。
それは神様がアダムを信頼したから、委ねることができたんです。
今もそうです。神様が私たちを信頼していらっしゃるから、私たちに多くの様物を、多くの物を委ねられたんですよ、皆さん。
そう考えますか、皆さん。
だからこのシュアドシップを考えるときに、大事なポイントは、実は信頼というものであります。信頼。
皆さんに一つお願いをあげます。教会の車がですね、今壊れて、うちの車も壊れていますので、来週いつか皆さんの車をお借りできますか。
レンタカーじゃなくて、皆さんの車が欲しいですけど、貸してくださる方、いらっしゃらないですね。
これはポイントではありませんよ。もしこれがポイントでして、皆さん私を信頼してくださったら、車を貸してくださるかもしれない。
実際にそんなことがありました。何年前かですね、私が富山に選挙報告に行きまして、富山とちょっと大北200キロ離れている教会まで行かなくてならないんだけれども、
交通便も不便でですね、車が欲しかったんですね。
で、それがなんとか知られてですね、ある私を知っていらっしゃる夫人の方が、自分の車を喜んで貸してくれました。
だいたい一目で見ても、ほぼ貧者で、3000シリーズくらいのトヨタのクラウンくらいの高級車でした。
私はちょっと恐縮ですね、仕方が大変になるから、ちょっとお断りしましたけれども、その方が先生に、もう主の下辺に使っていただくと、私にはもう光栄ですよ、どうぞ遠慮なくお使いくださいよと言ってですね、
15:13
ETシカドも入れてくれて、ガソリンも満タン入れてくれて、飲み物もつけてくれてですね、たぶんですね、そう思いました。
今、振り返ってみたら、あの夫人は、この車は自分のものではない、神のもの。
その下辺がお使いになるから、喜んで貸してくれたんじゃないかなと、私は思いました。
さあ、では皆さん、神様は、オーナーの主人の神様が下辺である、管理者である、キュアドである私たちに何をいだねてくださったんでしょうか。
まずその1、神様は私たちにこの身体をいだねてくださいました。
第1コリント、6の19節を開きましょう。第1コリント、6章、19節、325ページです。新約聖書の325ページ。
さあ、一緒に読みますね。
1、あなた方の身体は、あなた方のうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなた方はもはや自分自身のものではないことを知らないのですか。
どうですか。パオロ先生とコリント業界の親徒たちに明らかに話をしています。
あなた方は自分自身のものではありませんよ。神のものですよ。それを知りませんか。聖霊の宮ですよ。主のものですよ。と語っています。
皆さんいかがですか。常に皆さんは自分のこの身体が、まずこの身体が、いやもう全存在が神のものであることをいつも常に認識しながら過ごしていらっしゃるでしょうか。
私のものではない。神のものである。あずけたんですよ。そうするならば、それをよく管理しなければならない。
ただよく管理するだけではなく、記憶を保たなければ。記憶を管理しなければありません。
皆さん、銀行にお金をあずけていらっしゃるんですね。それを銀行の人が勝手に使ったり、銀行が潰れてしまったりしたら大変なことになる。同じなんですよ、皆さん。
18:07
自分のお金を誰かに銀行にあずけて、それから10万円としましょう。銀行がそれを勝手に使ったら大変なことになる。もう法廷に打ったりかもしれないでしょうね。
ところが神様はそれよりかけがえのない、世界ではお金では買えない、私たちのこの存在を神様が私たちにあずけていらっしゃった。
まずこの体を清く、よく守って、管理しなければならないんです。
まずは健康管理をよくすることも、信仰のために必要なんです。
まずなら、この体も神様がお誓いになるときに、「しよ、どうぞ、ここにあります。お持ちください。」とですね、そうしなければならないんですよね。
でも何か自己満足のために、ただお金を稼ぐために自分の体を酷使させて壊したら、それは結構良い信仰ではありません。
健康の管理だけではなく、記憶を管理すること、記憶を守ることが最も大事なことである。
なぜなら、さっきの御言葉にありますように、神から受けた聖霊の宮だから。
ちょっと一箇所精査させてみましょうか。第1コリント、10の31節、332ページ。
では、一緒に読みますね。第1コリント、10の31節、3。
こういうわけで、あなた方は、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光をあらわすためにしなさい。
アメ。なぜ、こうしなければならないんでしょうか、皆さん。
この体は、あたしのものじゃなくて、神様のものだからです。
神様のものだから、神様の心にかなった方法に、神様に喜ばれるように、食べるにも飲むにも、何をするにも、神の栄光をあらわすためにしなければならない。
死の体を、神の体を、静的にせかしたり、飲酒や、あるいは清くないもので、聞かせたりすることは、管理者として、シュワードをして、不幸覚ではないでしょうか。
21:17
あたしの体は、神様のもの。神のもの。
どうか皆さん、この1週間、あるいは最近、どうでしょうか。
あたしは、まるで自分の体のように、あまりにもよく管理したり、あるいはあまりにも福祉してしまって、たまにでも神様を悲しめていることはありませんか。
よく管理すること、同時に清く管理することは、非常に大事です。
食べるもの、飲むもの、見るもの、触るもの、触れるもの、本当に気をつけなければならない。
この2番目、神様が私たちに預けて、いざねってくださった、その2番目は、時間です。時間。
皆さん、皆さんにですね、毎日、8万6千4百円を、毎日振り込んでくれる銀行があったと想像してみてください。
毎日ですよ。8万6千4百円。
でも、条件があります。その日が過ぎたら、残高は残りません。なくなります。
それを引き出して、他の鉱山に入れることもできません。どうしますか。
そしたら皆さんは、それを支給をとして、たぶん、たぶん、自治体のこんなお金があれば、支給をとして使うでしょう、皆さん。
うん、あったらいいですね。
実は、皆さん、神様が毎日、私たちに8万6千4百秒という時間を、私たちに毎日与えてくださっています。
人生の鉱山に振り込んでくださるんですよ。
それが1月になったら、259万2000円。1年になったら、3153万6千秒になります。
それを円にしたら、相当なお金ですよ。1月250万円だから、相当な給料ですね。
ところが、それは、金持ちにも貧乏な人にも、子供にも青年にも大人にも、お年寄りの人にも、健康な人にも病んでいる人にも、
神様はみんなに同じく、毎日8万6千4百円を振り込んでくださっておられるんですよ。
24:01
その時間というものは、戻すこともできませんし、積んでおくこともできませんし、
未来の時間を引っ張って使うこともできないわけなんです。
皆さんいかがでしょうか。神様から委任された、託されたこの時間を、毎日の8万6千4百秒を、24時間を、大切に大切に使っていらっしゃるでしょうか。
創造的な活のために使っていらっしゃるでしょうか。
神のために、福音のために、イエスキリストのために、あるいは教会のために、あるいは弁護のために、あるいは人に仕えるために、8万6千4百秒を使っていらっしゃるでしょう。
寝てばかりいても24時間は過ぎます。働いてばかりいても24時間は過ぎますね。
24時間寝たことはありませんけどね。遊んでばかりいても24時間は過ぎます。
祈って礼拝だけしていても24時間は過ぎますよ。
奉仕だけしても24時間は過ぎますよ。何をしても24時間は過ぎます。
昨日の24時間は過ぎましたね、皆さん。だから今日ここにいる、今話しているこの時も時間はどんどん過ぎています。
神様は私たちに、みんなに同じく大事なこの時間を、みんなに平等に預けてくださっています。
神様の時間です。私の時間ではありません。あなたの時間ではありません。
それを神様に喜ばれるように使っていらっしゃるでしょうか。
常に考えていただきたい。そしてこの時間を清く大切に使っていただきたい。
主のために神に喜ばれるもののために使っていただきたい。
現代の思考は、価値観は、働きをしなければならない、そういうふうに社会のこの仕組みになっています。
お金が必要である、働きをしなければならない、そのためにですね、朝から晩まで実際にですね、働きをしなければなりません。
それは私もわかります。認めます。
ところが、それに私たちはあまりにもはまり込んでしまって、そして働きがまるで最も我々の人生の第一の目標であるかのように、
お金を貯めて何かすることが第一の目標であるかのように、私たちは勘違いしているかもしれません。
クリスタルシュワードシップは、神様が私たちを信頼してくださって、
27:02
一日二十四時間八万六千四百秒の時間を預けてくださったから、
その一秒一秒、一分一時間一時間を神様に喜ばれるために、どうしたら神様に喜ばれる少し方ができるんだろうか。
それを常に祈って考えて、神様に教えていただいて、過ごしていかなければならないと思いませんか。
どうか皆さん、神様が預けてくださった、私たちを本当に信頼してくださって、
預けてくださったこの時間、この人生を神のために、教会のために、国のために、それを使っていこうではありませんか。
第三、神様が私たちを信頼してくださって、預けてくださったものは、タマモノ、タラントです。
タマモノ、タラントを預けてくださった。
毎日綺麗なお花を、名前言っていいですけれども、この姉妹が呼びに来て放出してくださっています。
私の花にはこんなタマモノはありません。死なせるタマモノはあるかもしれません。枯れてしまう。
神様は皆さん、みんなにですね、それぞれ豊かなタマモノを、私たちに与えてくださっています。
ちょっと制度を開きましょうか。新約のヤコブの手紙1章16節と17節を開きましょう。
445ページです。
445ページヤコブの手紙1章16と17節。
一緒に読みましょうか。
3、愛する兄弟たち、騙されないようにしなさい。
すべての良い贈り物、またすべての完全なタマモノは、上から来るのであって、
身を作られた父から、父には移り変わりや、行く影はありません。
ここにですね、すべての良い贈り物、つまりこれはタマモノですよ。
またすべての完全なタマモノは、どこから来たんですか。上から来るのであって。
神様から来たんです。
さあ、皆さんどうですか。皆さんの右に左に前に後ろに座っている方を、ちょっと顔を見てください。
どんなタマモノを持っていますか。隣に座っている方は、どんなタマモノを持っていますか。
30:03
多分ですね、いろんなタマモノをですね、持っていらっしゃると思うんです。
タマモノを持っていない人は、誰一人いませんよ。
みんなに神様が何かを必ず主が預けてくださった。
私が見てもですね、4年目になっていますけれども、それぞれみんなタマモノを持っていらっしゃる。
そのタマモノをよく用いて使っていらっしゃる方々がほとんどだと思います。
あり方は、憐れみのタマモノ、教えのタマモノ、御言葉のタマモノ、あるいは祈りのタマモノ、賛美のタマモノ、
おもてなしのタマモノ、子供とよく接するタマモノ、弱い人と突き沿って導くタマモノ、様々なタマモノを皆さんは持っていらっしゃる。
そのタマモノは誰のものですか。神様のものです。
神様からあさひさんがそれを預かっている。
なら、それをどっちからいいですか。死のためにそれを用いさせていただくこと。死のために用いること。
その時に実は私たちは本当に幸せなクリーチャーになって歩める方であります。
皆さん、ちょっとだけ立ち止まり考えていただけますか。
皆さんは神様からどんなタマモノをいただいていますか。
神様が本当に皆さんお一人お一人を信頼して、愛して、このタマモノはぜひあなたにあずけるから、
あなたはこれを用いてほしいんだよ、と神様は本当に愛を込めて、そのタマモノをあなたに皆さんにあずけてください。
それを死のためによく用いていらっしゃるでしょうか。
どうか皆さん、それぞれ今日は私は神様にどんなタマモノをあずかっているんだろうか。
それをよく使っているんだろうか。もしあまり使っていなくて、錆びてありません。
どこか倉庫にしまっていますか。そうではないんですよね。よくよく使ってください。
タマモノというものはですね、使えば使うほど、持ち入れば持ち入るほどですね、さらにさらにタマモノが与えられて与えられて、
その人生が豊かになり、さらに大いに持ち入れられます。
使わないほど使わないほどどんどんどんどん縮んでしまうんです。
33:01
4番目、神様はカンニカである、シュワードである私たちに金を、金銭をあずけてくださいました。
さきも赤い糸にありますように、銀も私のもの、金も私のものと神様は言われました。
金銭というものは神様から移民された神のものです。私のものではありません。
神のために持ち入る、イエス・ヒリストと福音のために持ち入るときに、それは正しい目的に持ち入られていることであり、そして神様が最も喜んでおられるでしょう。
教会では毎月会計節算をしていますし、また毎年会計節算をしていますね。
私たちの人生の最後の日に、神様が私たちにあずけてくださったその人生を決算する日が必ず来るんですね。みんなに来ますよ。
そのときに私たちはカンニカとして、シュワードとして神の御前で決算報告をするようになります。
そして御御名である神様が、死である神様が、神様に喜ばれるように欲を使ったのかどうか決算しなければならない。
神様が見られる項目があるかもしれませんね。神様が大切な項目があって、その項目はゼロゼロゼロゼロで、自分のためにはたくさんある、それは困りますね。
皆さん私たちは神の歓迎者です。シュワードです。いくら考えても何度も考えても、自分のものは何一つもありません。全ては神様です。
神様は私たちを信頼して、私たちに身体も精神も進行も健康も時間も様物も金もあずけてくださいました。
そして今日のこの一日も、私たちが神様を喜ばせるようにそれを用いることを私は願っておられます。
どうか皆さん、このシュワードシップに歩んできました。このシュワードシップの精神をもって、私は主のキモベ、管理者であることをいつも認識しつつ、覚えて一日歩んでいこうではありませんか。
36:11
そしてキモベとして、管理者として、神様の心を喜ばせる生き方をやっていきたいと切に願っております。お祈りします。
36:24

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