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2016-06-12 34:29

2016/06/12:各人の働きの真価をためす

2016/12/12 聖日礼拝

尹善鎬牧師

コリント人への手紙第一 -15

00:00
アーメン、ありがとうございました。
皆さんおはようございます。
おはようございます。
よくいらっしゃいました。
今日も出会いに入る前に、隣の方だと挨拶しましょうか。
よくいらっしゃいました。
ありがとうございます。
一言を祈りたいします。
愛する天の父の神様、あなたの恵みを覚え感謝いたします。
この朝も、主の御前に静まって、あなたの恵みを待ち望み、また主の栄光がこの場に現れ、そして私たちがあなたの栄光を見る、また神の御言葉によって養われ、主をなおなお愛する者へと新しくされるこの朝となりますように。
各人の心の中に主御自身が語り分けて、また悟りを与え、慰めと希望に似たして下さいますように。
そして私たちは、心を尽くして精神を尽くして力を尽くして、主を愛する人、また隣人を愛する人へとなお成長できますように。
主よ、我らを本当に上へ引き上げて下さいますようにお願いいたします。
身手に委ねて、感謝して、イエス様の皆によってお祈り致します。
アーメン
ここに飛び立つ神の御言葉が続いています。
今日は読んでいただきました三章の十節から十五節の御言葉から、各人の働きの進化を試すという内容を持ってともに恵みをお受けしたいと思います。
あらゆる事柄には、その土台、つまり基礎、基本と言ってもいいですし、基礎、土台というものはとても大事ですね。
例えば建物の土台もなくてはなりませんし、とても大事です。
建物だけではなく、例えばスポーツとか楽器の演奏とか、あるいは学問とか、あるいは言葉、言語とか、その分野において正しくよく成長するためには、その土台作り、基礎作りは非常に大事です。
03:25
その土台があるいはその基礎がよく整えていなければ、いくら時間をかけてもなかなか実力と言いましょうか、成長しないことを私たちは周りでよく見たりします。
例えの話ですけれども、私の日本語もまだまだ下手くそですけれども、よく神戸とか大阪にいる韓国人の選挙士先生たちによく会うことがあるんですね。
ところが、たまにびっくりするのは、ある先生方は日本に来てから5年、6年もたっていないのに、言葉に癖もなくほぼ完璧な日本語を駆使する先生方もいらっしゃる反面、悪口ではないんですけど、
日本に来て10年、15年、20年がたってもなかなか日本語は伸びない。日本語なのか韓国語なのか、そういった自分の話をしているかのように見えますけれども、なかなか直らない癖があったりする先生方もいるんですね。
言葉に個人的に興味があるものですから、なぜあんな違いがあるんだろうと、それが勉強になるかもしれなくて、よく観察するものなんですね。聞いてみたりするんです。そしてやっぱりその基礎の問題でした。
先に日本に来て2年とか3年、とても厳しく、はっきりと基礎の勉強をしておいた選挙した日は、それは韓国人であれ、アメリカ人であれ、5年、6年たったから、とても優秀な日本語を駆使するんですね。
ところが基礎を、土台を適当に学んで、しゃべりだして、そして5年、10年、20年経っても、なかなか最初の1、2年の日本語がずっと20年経っても、そのままいくんですよね。
このように皆さん、土台、基礎というものは非常に大事。言葉においてだけではなく、特に私たちの信仰においても、いや、信仰の土台、信仰の基礎は実は非常に大事。
06:12
ですから、私、良い立派な信仰を立てていくためには、まず何から、どこから確実に言っておかなければならないのでしょうか。
土台づくり、基礎づくりから、ちゃんとして、正しく2年、3年、5年がかかっても、その土台づくりをしっかりとしておいた人は、ふくふくと進歩が伸びるんですね。
そうしておかないと、時間が経てもなかなか進行成長がなされない、そういったケースを時々見たりするのではないでしょうか。皆さん、私たちの信仰の土台、基礎は何でしょうか。
誰でしょうか。きょうも11節を一緒に読みたいと思います。きょうの第1コリント、3章、11節です。生徒がお持ちの方は、ご一緒に読みましょうか。11節。
はい、というのは、誰もすでに据えられている土台のほかに、ほかのものを据えることはありません。
土台とは誰でしょうか。イエス・キリストです。つまり、私たちの進行の土台、進行の基礎、さらに教会の土台、その基礎は、イエス・キリストです。
なぜなら、イエス・キリストは、私たちの救い主であり、真理であり、命であり、道であられるからです。
ユフネノ福音教14章6節、私がお読みします。こういう見言葉があります。私が道であり、真理であり、命なのです。
私を通してれなければ、誰一人、死の身元に来ることはありません。とあります。
では、イエス・キリストが土台である、それは知っている。では、どうしたら、この土台作りを据えることをよくやることができるのでしょうか。
それをまとめて一つと言うならば、イエス・キリストを正しくあるいは深く知ることです。知ること。
信仰は、イエス・キリストを知ることです。イエス・キリストを正しく、また深く知る道は、神の御言葉、聖書です。
09:07
ちょっと聖書を開きましょうね。新約聖書のユフネノ福音書20章31節です。
ページ数では、新約聖書の224ページです。ユフネノ福音書20章31節です。
しかし、これらのことが書かれたのは、イエスが神の子、キリストであることを、あなた方が信じるため、また、あなた方が信じて、イエスの御名によって命を得るためである。
これらのこと、つまり、聖書、ユフネノ福音書を含めて、この939、新約27、合わせて66巻の聖書が書かれたのはなぜなのか。
その目的は何なのか。イエスが神の子、キリストであることを、あなた方が信じるため、
この聖書が書かれたわけなんですね。だから、あなた方は、この聖書を通して、イエス、キリストが神であることを、神の子であることを知ることができる。
教えていただくということですよね、皆さん。
ですから、939巻、新約27巻、合わせて66巻、この聖書の御言葉を日々読んだり、黙想したり、教わったり。
こういうふうにして、イエス、キリストを正しく知ること、正しく知ること、これこそ、私たちの信仰の土台を正しく、はっきりと、しっかりと、固く立てる。
この前、三宮にちょっと四字架で出て、阪急の立教の手前に、ちょっとお菓子といった変わった風景を見ました。
一隅では、江戸場の商人の女性の方が、自分たちの雑誌を持って、黙って宣伝をしていて。
5メートル離れたところでは、統一教の若い女の子が、スピーカーで何か文章を読んでいました。
他にも、セブンデイズという安息教という、その遺憾とか、あるいは神殿寺とか様々な遺憾が、実はこの日本でも、江戸でも、彼らなりに熱心に布教しているんですね。
12:21
ところが、日本だけではなく、他の国でも、この教会で信仰生活をしていた信徒が、突然、その統一教とか、あるいは江戸場の商人とか、
そこら辺の遺憾に移るケースをたまに見たりします。いろんな事情があるかもしれませんね。
ところが、多くの場合は、この聖像、聖像の御言葉をよく知っていない、正しく知っていないことが、最も大きな理由だと思います。
ある意味では、その責任が、まずは仏会さんにあるかもしれない。聖像について、神様、イエス様、聖霊様について、正しくしっかりと教えていなかった、その原因があるかもしれない。
しかし、新しい信徒一人一人が、個人個人が、この神の御言葉、聖像の御言葉をよく読んで、そしてよく学ぶことに励んでいれば、イエス・キリストを正しく知るようになるのではないでしょうか。
聖像なくして、信仰の土台作りもありませんし、聖像なくして、信仰成長もないはず。
この前、5月の5日、祝日でしたけれども、ゴルデンウィークの最終日に、みなさんの祈りに支えられて、六本緑教会で、
岡村先生の教会で、新約聖像パノラマセミナーをやらせていただきました。去年の9月ごろ、神戸都大教会で聖年向けで、そのうちは旧約でしたけれども、
そのうちに、岡村先生が出席なさって、どちらでもよかったと。これをぜひ、六本緑教会でやってほしいと依頼がありまして、喜んで奉仕させていただきました。
22名の青年も、少年の方々も、婦人の方々も、高校生の求道者と、また、婦人の求道者もおいでになりました。
一日、10時から3時まで出ていたから、新約は全部はできなかったんですけれども、福音書までやりました。
そしたら、もちろん、あらゆる面において足りないものですけれども、みなさんからのフィードバックはとてもよかったですね。
15:10
9月の22日は新約の残り、来年の5月5日は旧約の一部、それから9月はまた旧約の残りをすることも決定しました。
神戸さんのフィードバックを聞かせていただきましたが、新約制度を読む目が開かれましたとか、特に福音書を理解が深まったとか、
お前に政府嫁だとなりましたとか、あるいは楽しくなりましたとか、それですね、というフィードバックをいただきました。
本当に感謝のことでした。神様がなさったことであります。
私たちが聖書の御言葉を知りたいというその熱意、学ぼうとするその姿勢、それを主がもう御存じですから、
そう求めているものに、渇いているものに、さらに主の御言葉を知る知恵を主が与えてくださるということであります。
いくら皆さん、おいしい食事が作られておいてあっても、食欲がない、食べる気がない、食べないんですよね。
皆さんは何でしょうか。神の御言葉、聖書の御言葉を知りたい、学びたいという熱意があるでしょうか。
ちょっと制度を開きましょう。旧約制度につきまして、四編の119編、18節。
旧約聖書1027ページです。1027ページ、四編、119編、18節。よろしいですか。
一緒に読みましょう。
私の目を開いてください。私があなたの身を教えのうちにあるくすしいことに目を止めるようにしてください。アーメン。
皆さん、このように祈ろうではありませんか。
渇きを持って学ぼうとする、学びたい、教えていただきたい、悟りたいという願いを持って、主よ、私の目を開いてください。
私があなたの身を教えのうちにあるくすしいことに目を止めるようにしてくださいと。
18:03
祈って、そして制度に触れて、しかしまれて、すぐに精霊に教えていただきたいと願っております。
創宣記事会を前からユーストリーンで流していますけれども、
皆の中には何かついていらっしゃるかどうかわかりませんけれども、
教団のある教会の神徒からこういうメッセージを送っていただきました。
ながらその教会には創宣記事会はありませんので、
聖書を学ぶ集会が日曜日礼拝、ほかにはほとんどないので渇いていましたが、
何かの噂で、私が宣伝したわけではありませんが、何か噂で資料になって、
毎朝ユーストリーンで創宣に参加していただきました。
そして毎日聖書一章、短い時間ですけれども、15分、20分でしょうか、
聖書一章一章ずつ押していただいて、本当に感謝ですというメッセージをいただいたことがあります。
その方の御言葉を学びたい。その渇き、その熱意を普通が喜ばれるべきです。
私は何者でもない。または道具に過ぎない。
皆さん、教団のデボーション、ベラカデも良いでしょう。
あるいは個人的に、聖書を開いて朝、あるいは午前、あるいは夜、
聖書を開いて読むことも良いでしょう。
与谷教会には創宣記事会もありますし、水曜記事会もありますし、
金曜日のスモールグループもありますし、もちろん聖日礼拝もありますし、
ファンが多くあるのではないでしょうか。
皆さんは知らぬうちに、時にはぐんと伸びていらっしゃると思います。
キリストを知る知識において恵まれて伸びていらっしゃると思います。
今はよく感じていないかもしれませんが、3年が経って、あるいは5年が経って、10年が経って、
そしたら皆さんの信仰はきっと立派な信仰にシートしているでしょう。
そしたら御言葉を通じて、この聖書の御言葉を通じて、
イエス・キリストを果たして知るようになるからです。
アメリカのキリスト教進学者、ジェリード・ウィルソンという先生が、
9つの聖書を読む4週間というコラムを書いて、
私はそれを読んで、とても参考になるかなと思って、
21:03
皆さんに紹介したいと思いますけれども、
9つの中で4つだけを紹介したいと思います。
とても良いアドバイスです。
すでにいくつかは皆さん実践していらっしゃる方もおられるかと思いますけれども、
ぜひ聖書を読むとき、あるいはデポジションをするときに、
ぜひ実践していただきたいと思いますけれども。
まずその先生が語る最初の文字がありました。
ここで書いてないんですけれども、こういう文字です。
この聖書は単純な本、その以上の本であり、
我々人生のすべてのクエスチョン、悩みに対して答えを教える書文字であると。
それは聖書他にはないという最初の文字がありました。
そしてまず第一番のアドバイスは、メモを取るということを進めています。
皆さん人は何か新しいその事柄を覚えるためには、
もう最小限、少なくとも3回以上繰り返しなければならないということです。
聖書を学ぶときとか、あるいは読むとき、あるいは皆さんがデポジションをされるときに、
聖書を開いて、聖書でも良いでしょう。あるいは本でも良いでしょう。
そこにメモをする。
私も結構この聖書に相談のために準備するときに、読むとき教えられたこと、語りながら教えられたことをよくメモします。
関連した聖句も書いておいたり、またアイデア、あるいはこういった霊感が教えられたりしたら、
それをすぐにメモします。
そしてもちろん見るときにまた新たな恵みが湧いてくるんですね。
2番はよく質問をすることです。
聖書を読みながら、ザーッと読んで、ポジテ終わるのではなく、読みながら、
なぜここで神様はこういうふうに語られたんだろうか。
今日のコリン・トピスの手紙だったら、なぜパウロ先生は彼らに、
ブバイはイエス・キリストですよとおっしゃったんだろうか。
こういうふうに質問をする。
そうする中で悟りが深まる。
そして聖霊様が教えてくださるということです。
3番目、これは特に長い間信仰生活をしている我々には必要なお話だと思いますけれども、
学ぼうとするその姿勢をもって、聖書を開いて読むということです。
聖書を開いて読むときに、まるで初めて読むかのように、
24:01
初めて聞く心をもって読むということです。
大体、皆さんはそうではないかもしれませんが、私はさまよったことがあります。
よく聞いている箇所が開いて、聖書を語られたら、大体わかっているふうに聞いて、勝手に考えてしまってしまう。
あるいは聞き流してしまうことがあったりするんですよね。
全く初めて開いて読むように、聖書に触れる。
そうすると、毎回新しい恵みの泉を汲み上げて、読むようになるでしょう。
4番、固定観念や先入観を持たないことです。
例えば、こういう伝統があって、ああいう伝統があって、それがすでに身についている、心の中についていたら、
それとちょっとだけ違ったら、私たちはちょっと反発したくなるような心の構えというか、それがあるんですよね。
そういった固定観念や先入観を持たないこと。
素直な心で御言葉を読むこと、あるいは聞くこと。
皆さん、この4つを、ぜひ実践していただきたいと思います。
今まで土台の話をしていました。
土台は本当に大事です。
真この土台はイエス・キリストです。
ところが、今日の御言葉を見ますと、
この土台の上に、各人は皆それぞれ建物を建てている。
今まで建ててきたり、今も建てていますし、これからも建てていくということです。
この先生はですね、その土台の上に真空を建てるところが、ある人は金で建てます。
ある人は銀で建てます。
ある人は鉱石で建てます。
ある人は木で建てます。
ある人は草、ある人は藁。
窓で建物。
これはイエス・キリストなんだけれども、
その上に、それぞれ違った材料と言いましょうか、真空と言いましょうか、それを建てているという。
今は皆、自分は金であるいは銀であるいは鉱石で、
本当に立派な真空を建てているように、自分自身のことを思い込んでいるかもしれない。
皆立派な金で建てているように見えるかもしれない。
27:05
ところが、それが金なのか、銀なのか、鉱石なのか、木なのか、あるいは草、あるいは藁なのかが、それが明らかにされる日が来る。
十三節を一緒に読みたいと思います。
今日の御言葉、第五輪と三章、十三節。
一緒に読みましょうか。
三、確実の働きは明瞭になります。その日がそれを明らかにするのです。
というのは、その日は死と共に現れ、この日がその日からで確実の働きの進化を試すからです。
どういう意味ですか。簡単に言いますと、その働き、確実の働き、進行の働き、それが明瞭になる日が来る。
その日はどんな日でしょうか。何の日でしょうか。
イエス・キリストが再臨。もう一度、この地上のすべての歴史を終える日が来る。
そしてその日には、皆さんが今まで立ててこられたその働き、確実ですからですよ。
逃れはありませんね。確実の働き、進行の働き、奉仕の働き、愛は愛の働き、それが金なのか銀なのか金なのか、それが明瞭になるその日が来る。
人類の歴史は、神様によって始まって、神様によって、その日はイエス・キリストが救い主と捌き主として来られる日です。
ちょっと聖書を開きましょうか。新約聖書のマタイノ福音書、二十四章、三十節と三十一節。
新約聖書の五十一ページです。マタイノ福音書、二十四章、三十節、三十一節。私が読みます。私ですか。
その時、人の子の一類が、この人の子はイエス様ですね。天に現れます。すると、地上のあらゆる種族は悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて、天の雲に乗って来るのを見るのです。
30:04
この来る日が、先の各人の働きの進化が試されるその日です。三十一節。人の子は大きなラッパのしびきと共に三つ貝滝を使わします。すると、三つ貝滝は天の果てから果てまで、四方からその選びの民を集めますとあります。
ここまでですけれども、坊と皆さん、各人の働きが、その進化ですよ。その進化が試される日が来ると言うでしょう。だから、怖い怖い、怖がる必要はない。
その進化の土台はイエス・ピースであれば、それは大丈夫です。それはしっかりしたものであって、何によっても、どれにもよっても、自分がイエス・ピースを捨てない限りですよ、もちろんそれは。捨てない限り、その土台は壊れることも、なくなることも、潰れることもありません。
ところが、その上に、各人の働きがある。それが、その進化が試される。そして十四説を見ますと、第一コリントですよ。十四説を見ますと、もし誰かの建物が残れば、そうなんですよね。金や銀や宝石とかで建てた働きは、残るということです。
そして残れば、その人は何を受けますか。報いを受けます。この報いはどんなものか知りません。もちろん、私たちは既に救われていますから、この地上で永遠の命を持っていますし、進行、生活をしている。これが既に報いであります。
ところが、政治を、特に民学政治を見ますと、その日、そしてその後、報いを受けるとあります。だから、それがどんな形の報いなのか、それはわかりませんね。天国にいても破裂があったら、それは天国じゃないですよね。
けれども、私たちには想像につかない、何かの神様の報いがあるということであります。金の人は金の報いを、銀の人は銀の報いを、宝石の人は宝石の報いを受けるのではないでしょう。ところが最後の十五説をご覧ください。
もし誰かの建てた建物が焼ければ、木とか草とか藁とかだったら、藁は火をつけたらすぐに焼いてなくなるでしょう。建てれば、建物が焼ければ、その人は損害を受けますが、自分自身は火の中をくぐるようにして助かります。
今、この神科学制度で、助かりますと訳している言葉は、救われますと同じ言葉であると思いますけれども、だから、過労死で救われますよ。救いはある。ところが、火の中をくぐるようにして過労死で救われるところが、このものには、報いがどんなものなのか。
33:23
ここにいらっしゃる皆さんが一人も起こらず、みんなこの金や銀あるいは宝石で、このイエス・キリストの土台の上に、建物、神科の働きを立てていこうではありませんか。今はわからない。しかし、その日は必ず来る。イエス・キリストは必ず来る。
そして、各人の働きの進化が、その日に、本当にイエス・キリスト様の御前に、神の御前に喜んで楽しんでいただきまして、そして、死から来るその報いを、一緒に喜びのうちに、お受け一緒でありませんか。
そのために、まずは、土台をしっかりと据えること。その上に、信仰を、ちゃんとした信仰を立てていくことであります。そのために、日々ですね、御言葉と祈りと、恋愛生活を忠実にして守ってまいりましょう。お祈りいたします。
34:29

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