00:00
それでは、今日のメッセージに入りますけれど、その前にお互いに挨拶したり、挨拶したりしたいと思います。よろしくお願いいたします。
それでは、一言お祈りいたします。
神様、本当に感謝いたします。こうして、そのなりの天使の恵みを共に分かち合い、また、恵みに助かってくださり、ありがとうございました。
どうか、今から、神様の声に耳を傾け、神様が一世代を聞きなさい。
この掟と定めを守り、行いなさいと言われた通りに、私たちもその御言葉を聞きに従い、守り、行うことができますように。
どうかしよう、聖礼様、働いてくださいますように。
神様に感謝して、家様のみなによってお祈りいたします。
アーメン。
はい、今日はですね、前回の宣宣集でしたけれども、キリスト教のエッセンス、教会について学んでいるんですね。
それで前回は、模範的教会はどんな教会なのか、このテサロニケ教会から教えていただきました。
三つのことをですね、共に考えましたけれども、皆さん覚えていらっしゃるでしょうか。
信仰の働き、愛の労苦、望みの忍耐を持つ教会について学びました。
今日はですね、より具体的に、それでは模範的信者とはどんな信者なのか。
聖書が教えている、語っている模範的な信者の姿はどんなものなのか。
それを聖書から学び、また見習い、私たちみんながですね、主に喜ばれる、いや、主を喜ばせる模範的信者になりたいと、そう願っております。
結論から申し上げますと、主に喜ばれる模範的信者は、主なる神様をイエス・キリストを喜ばせる信仰を持つ信者のことです。
それは、こう言えるかと思います。どうしたら、主なる神様を喜ばせることができるんだろうか。それを常に考え、工夫し、実践する信者のことです。
03:13
皆さん、今日のですね、テサロニケの7節、8節をですね、一緒にもう一度読みたいと思います。テサロニケ第1の7節、8節です。よろしいですか。
3.はい。こう言って、あなた方はマケドニアとアカヤとのすべての神社の模範になったのです。主の言葉があなた方のところから出て、マケドニアとアカヤに響き渡っただけでなく、神に対するあなた方の信仰はあらゆるところに伝わっているので、私たちは何も言わなくてよいほどです。
ここにですね、テサロニケ教会の神父様はですね、なんとあのマケドニア、今のギリシア、ローマのあの地域ですね、それからアカヤは今のポルコの地域でしょ、多くの教会がありました。
白海の中の時代でしたけれども、多くの教会があって多くの信者さんがあったんですね。そのすべての信者の何になったんですか。模範になりました。テサロニケ教会の神父さんはすべての信者の模範になった。
私たちもそのような願いを持ちたい。主よ、私もこのテサロニケ教会の神父様のように、主を喜ばせる、主に喜ばれる模範的な信者になりたいです。主よ、この世の中に教会が、この教会でこの日本中に、本当に模範的な教会になりたいです。そして、用いられる教会になりたいです。
そういうような願いを持って信仰生活をしていこうではありませんか。模範的な信者は信仰十万で、精霊十万で、恵み十万な信者です。信仰が十万であるから、信仰によって物を言う、信仰によって考える、信仰によって行うことです。
精霊十万であるから、精霊の身がその人の内側に溢れているんです。愛に、喜びに、平和に、忍耐に、善意に、忠誠に、乳和に、慈悲に、溢れているんです。
いつも溢れているんです。自分に不利な時にも、損した時にも、むかつくような時にも、精霊十万な信者はいつもこのような品質を持っているんですね。恵み十万な信者はいつも恵みが溢れているんです。
06:14
この人と共にいたり、話し合ったり、一緒に祈り合ったりしたらですね、その恵みがその人から溢れて、私へ溢れてくるんです。
どうか皆さん、明太に許可を得る皆さんが、この世にですね、信仰に満ち溢れる、御霊に満ち溢れる、恵みに満ち溢れる信者になりたいです。そういった望みを、願いを持ちたいです。
なぜ皆さん、私たちがこのように、無反的信者、神を喜ばせている信仰十万で、御霊十万で、恵み十万の信者にならなければならないんですか。
それは、私たちの信仰生活が、イエス様が叱っていたあのパリファイ人、立法学者のようにならないためなんです。あるいは、会員のような捧げ物を捧げる者にならないためなんです。
ただ、教会に出席するだけの、どこかテニスクラブの会員のような、そのような信者にならないためなんです。本当の意味で、新しく生まれ変わる信者。
イエス・キリストを基礎して信じて、聞き疑う信者。キリストに全く支配を受ける信者。そして、人格も、人生も、言葉も、考えも、生き様も、変えられる、新しくされる信者になるためなんです。
もし皆さん、これ例えですよ。20年前の皆さんのことを知っている、先生とかどこかの信者さんいるでしょう。例えば、政府とかどこかの信者さんがいらっしゃるんですよね。
20年ぶりに皆さんが、その先生とか信者さんにお会いしました。そしたらですね、その先生とか信者さんが、「あなた、20年が経ってるに何も変わっていないよね。信仰も変わっていないし、あの言葉ぶりも変わっていないし、あの成功も何も変わっていないんですよね。」
と聞かせましょう。それは褒め言葉でしょうか。そうではないです。20年前の私のことを知っているあの先生に、あの信者さんにお会いしました。そしたらその先生が、その信者さんが、「あなた、本当に全く変わっているんですね。立派な信者になっているんじゃないですか。本当に精霊に満たされているんですね。」と、こういう風に言われるべきではないでしょうか。
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どうですか、皆さん。
信者は神様を喜ばせる信者ですよ。自分を喜ばせる人生の生き方じゃなくて、住まる神様を、私のすべてのすべてであり得るその住まる神様を喜ばせる信者です。
どうしたらいつも、どうしたら主を喜ばせることができるんだろうか。どうしたら兄弟姉妹を、先生を喜ばせて、使えて、そういうふうに信仰生活ができるんだろうか。それを考え、それを実践し、それを行う、祈る信者なんです。
今日のローマー書をちょっと開きましょう。3人の神徒さんが出てきました。特に皆さん、このローマー書のですね、16章はローマー書の最後なんですね。
パウロ先生がローマにいる、ローマにある、あのローマの教会に手紙を送りました。そして最後の16章にですね、なんと30、私が数えたところは37人です。
37人の模範的な立派な信者さんの、本当に天使のような信者さんの名前が書かれているんですね。その最後のフィベさんです。
彼女のことを見ていきましょう。16章1節、私は読みますね。よくご覧ください。ローマーみたいな手紙、16章1節です。
ケンクレアにある教会の執事で、私たちの姉妹であるフィベを、あなた方に推薦します。どうぞ、生徒にふさわしい方で、宿にあってこの人を歓迎し、あなた方の助けを必要とすることは、どんなことでも助けてあげてください。
その次ですよ。この人は多くの人を助け、また私自身をも助けてくれた人です。このフィベさんのことです。姉妹です。このフィベさんは、書かれているようにですね、ケンクレア教会の執事なんです。
みなさんのような婦人の方なんですね。このフィベさんはいつもその教会の多くの人々を助ける人でした。日本語の訳は助けとありますけれども、これは守る、保護者、また応援、サポートの意味を持つことです。
このフィベさんはいつも教会の、この兄弟、あの姉妹、この兄弟、あの姉妹、そういう誰々か何か、お助けしたい、おもてなしをしたい、お役に立ちたい、兄弟妻ために常に祈る姉妹でした。助け、差し上げる姉妹でした。
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それだけではなくですね、その終わりにですね、パオロ先生が、私自身をも助けてくれた人ですとあります。このフィベさんはいつもどうしたら先生を助けることができるんだろうか。どうしたら兄弟姉妹を助けることができるんだろうか。どうしたら教会に役立つことができるんだろうか。
私に何ができるんだろうか、それを常に考えて、実際に助ける、守る神父さんでした。皆さん、このような模範的な神社があったから、パオロ先生の働きができましたし、そして福音がアジアからギリシアへ、ローマへ、世界へ広がっていったんですね。
この16章に書かれている37人の人が、ローマの教会エペソテサロニケ、あるいはどこかの教会の神父さんがあったから、パオロ先生も母会に専念できたことでしょう。そして多くの教会を開拓することができたんですよね。
皆さん、私の福音6章33節を開きましょうか。私の福音6章33節です。今日はステージを書いていくつか開きますけれども、新約聖書11ページです。私の福音6章33節。
だから、神の国とその人をまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えてこれらのものは全て与えられます。アーメン。
ヒベ姉妹はこの通りに生きる姉妹です。自分のために生きるのではなくて、死のために、死の教会のために生きる生き方が最も価値ある生き方である神の国とその人のために生きる姉妹でした。
私たちみんなが本当にこのような姉妹さんのようになりたいんです。名前は例えば白石笛、いかがですか。そういうふうに、だれだれヒベさんとか、そういうふうにつけてこのように歩んでいきたい。
一つの証をさせていただきたいと思います。その先生から聞いた証なんですけれども、札幌のある信者さんの話です。去年の7月、8月、2ヶ月間ですね。
15:00
札幌は暑いですから、家族の休暇のために幸福祭が札幌に行かれたんですね。でも札幌にベストがあるわけではないですから、調べていたところ不思議なことがありました。
札幌のある教会のお医者さんをしているある神父さんが、家族が来たんですけれども、その夫婦がどこから手にしたのかわかりませんけれども、
聖先生が日本でこういう礼拝のメッセージとか何かしてみ直したテープを手にして、それを着きながら家庭で夫婦が礼拝を守っていたんですね。しかも長い間それを着たんです。
そして聖先生が札幌に行くことをその夫婦が信じてですね、なんとその夫婦には前から願いがあって備えのものがありました。それは何の願いなのか言いますと、
こういうふうに海外から帰ってくる選挙主とか、何かご用があって札幌に来る先生とか、あるいは何か困難の中に困っている神父さんが泊まって過ごせる、
というゲストハウスのようなところを用意しようと思ってですね、実際に札幌市内に大通公園がありますよね、あのタワーがあるところに自分のマンションもありますけれども、
もう一つの高級マンションを買って、それをゲストハウスにしてですね、ちょうどその時に聖先生ご夫妻が見えたので、そこで泊まるように提供したんですね。
そしてですね、その後もずっとそれが用いられているそうなんです。
そしてですね、神父さんの話によると、冷蔵庫には食べ物が、果物がいっぱいあって、2ヶ月間ずっと本当に本当にもてなさせてもらいました。
そうですね、そういうふうに言った。
皆さん、聖父は私たちにこのように教えていました。
コロサイビトへの手紙3の23節を開きましょう。
コロサイビトへの手紙3章23節。
新約聖書393ページです。
コロサイビトへの手紙3章23節。
よろしいですか。ご一緒に読みたいと思います。
何をするにも人に対してではなく、主に対してするように心からしなさい。アメン。
多分ですね、名前は聞いておりませんけれども、札幌のその居会の夫婦はですね、
本当にそれが誰であっても人に対して、人に何かするんじゃなくて、
この人は家様なんだとですね、そういう思いを持って使えていったわけなんですよね。
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世の中に教会にもそういう親徒さんが大勢いらっしゃることを、僕として本当に感謝しております。
あとの3期選挙が始まったら、いろいろ皆さん家庭にご需要がありますけれども、
ホームステージでですね、受け入れてくださったり、いろいろおもてなしをしてくださったりですね、
本当に今回も武蔵に行って、去年に来てたその若い者たちにもお会いしてですね、
いろいろな交わりを持ちましたけれども、本当にですね、そういうふうに心からする、
家様に仕えるようにすることがですね、皆さん。
こうしてみますと皆さん、一つの重要な原因を知ることができました。
それは、私たち信者は、自分の信仰の大きさ、あるいは恵みの大きさに比例して、
捧げ、使え、愛する、ということだと思います。
姫姉妹のように、本当に恵まれて信仰の優れた信者、精霊に満たされている信者はですね、
兄弟姉妹のために、パオロ先生のために、助けて、もてなして、
使えて、捧げる、祈る、来てほしいと言われたからするんじゃなくてですね、
もう、使えなくてはもうどうしようもなくて、捧げなくてはどうしようもなくてですね、
捧げて、使えて、祈るんです。
愛があふれるんです。愛があふれる。
さあ、その次にローマ書に戻りましょう。その次にですね、プリスカ・アクラという封が出てくるんですよ。
3節ご覧ください。ローマ書16章3節。後ろに見えますね。よろしいですか。
これは、キリスト・イエスにあって、私の堂々舎であるプリスカとアクラによろしく伝えてください。
皆さん、この新厚生徒にですね、プリスカ・アクラ、この夫婦については、たくさん出てくるんですよ。
まあ、開きませんけれども、申し上げますので、皆さんメモして、ぜひですね、開いてご覧ください。
人の働き18章1から3。人の働き18章1から3。同じ18章18から19節。また、24節から26節。
第1コリント16章19節。第2テモテ4の19節。それが今日のローマ書16章の3節から5節なんですね。
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プリスカとアクラです。なぜか知りませんけれども、奥さんの方の名前が先に出てくるんですね。
もっと立派な信仰を持っていたのかわかりませんけれども、プリスカ・アクラです。
他の箇所にはプリス・キラとも書いてあります。私がまとめてお話しますね。この夫婦はローマに住んでいました。
ユダヤ人であって立派な信仰を持っておりました。しかし、そのローマのあの時の皇帝は、クラウリウスという皇帝が、
そのキリスト教を信じるユダヤ人を全部ですね、追放したんですね。それでローマからコリントに引っ越しをしてやってきました。
そこでコリントで伝道しているパオロ先生に偶然巡り合ったんですよ。そしてなんとまた見たら、パオロ先生もテントメーカーでですね、
テントを作って、そしてその金で料金で使ったり伝道で使っていた。ところがこのプリスカ・アクラ夫婦もテントを作る職人になったんですね。
ああ、それは良かった。そしてなんとこのプリスカ・アクラ夫婦はですね、コリントでパオロ先生に出会って、パオロ先生が仏館に伝道にですね、
専念できるようにですね、この夫婦がテントを作って、それを捧げて宣教に励んでいきました。それだけではなくですね、パオロ先生と共に伝道の旅もしたんですよ。
ああ、このコリントで天幕もテントも売れるから、ここで金を儲けていい家も建てて、相撲じゃなくてですね、パオロ先生とコリントでのこの安定的な生活にこだわるのではなく、
それをですね、いつでも死のためなら、救いのためなら、いつでも住まいなんて、職業なんて、いつでも変えることができる。いつでも手放せる。そういうような信仰を持ってパオロ先生と一緒にコリントから離れて、平倉に行きましたよ。
また引っ越しを行きました。なぜ引っ越しを来たんですか。新しい町ができたから、ここは地金がないから、もっといい住宅があるから、住まいがいいから、環境がいいから、引っ越したわけではない。復帰のためなら、全然知らないどこであってもついていくんですね。
そしてエペソで共に支援局の働きをしました。そしてパオロ先生はまた去っていくわけなんですよね。そしたらなんと、そのエペソ教会の僕会をこのプリスカ・アクラ夫婦にお願いをして、そしてプリスカ・アクラ夫婦はパオロ先生もいないんですよ、僕先生もいない。
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ところがその夫婦がエペソ教会の神徒を教え、世話をし、養いました。そのところにエペソの教会にアポロというすごい教師が来たんですね。そしたら見たら、アポロという教師は聖書の一部分しか知っていない。
そしてアポロがもっと偉い人ですよ。ところがこのプリスカ・アクラ夫婦が普通の神徒様なのに、そのアポロを個人的に招いて恥ずかせないためですよ。個人的に招いてアポロ先生に聖書のことを詳しく教えてあげた。そしてアポロはもっと立派な教師になって、また選挙ができたわけなんですね。
すべて終わりなんですよ。またこのローマ教を読んでいるように彼らはエペソからまたローマにまた引っ越しをして、ローマに行くことはみなさん、それは国に行くことなんですよね。皇帝がいるところでしょ。最も迫害が強いところがローマなんです。しかしローマに行きまして、そこで今日のご説を読みますと家の教会をしていました。
そしてアポロ先生はこの夫婦のことを何と言っていますか。四説を見ますと、この人たちは自分の命の主権を侵して私の命を守ってくれたのです。
みなさん、日本の教会にこのようなプリスかアクラのような信者が、夫婦が増えなければならないんです。増えなければならない。大勢。
さて、福のため、キリストのため、自分の命もその主権を侵してでも連動する、サポートする、使える神道ですね。
パオロ先生は何と心強かったな、私は思います。だからこんなに素晴らしい仏会ができたなと思いました。もちろんですね、パオロ先生の偉大さ立派さがあったからでもありますけれども、でもパオロ先生一人ではこういった働きをできないですよね。
しべさのような、プリスカのような、アクラのような、エパーネットのような、このような信者さんがあったからです。その次をご覧ください。この人たちには私だけでなく、異邦人のすべての教会も感謝しています。
皆さん、ミホダニー教会の私たちがこのように言われる、主を喜ばせる信者になりたいです。ミホダニー教会の信者さんのように、この神戸の教会が、日本の教会が感謝する、より影響を受けて恵まれていく、成就していく、そういう教会になりたい。
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いつか、明かしてきてもらいたいと思いますが、昨日のユースの時に、ファクトニョン姉妹の明かしをやってもらいました。今日も私の口では言いませんけれども、この教会に導かれて2年経ちましたけれども、彼女の神様が、すごくですね、癒やして、回復してくれました。
その明かしはですね、いつか本人で明かしてきていただきたい。それで、彼女がこの教会に導かれて、信徒さんに愛されて、友善者たちにお会いして、本当に私は本当に幸せです。もう回復されました、という明かしをしてくれたんですけれども、皆さん、そういう教会になりたい。
私が口癖のように言いますけれども、人を潤す人が、自分はいく倍も潤されるんです。恵みを与える信者はいく倍も自分は、恵みを主が報いて下さい。これが霊的原因なんです。
イエス様の教える愛の秘密は、愛は握り締めれば握り締めるほど無くなってしまう、空っぽになってしまう。しかし、分け与えて分け与えれば与えられるほどどんどん増えていく。それが皆さん、信仰の原因なんです。
皆さん、イエス理想に出会って、精霊十万になれば、信仰十万になれば、このフィベイさんのように、フリースかアクラさんのように生きるんです。自分のものを自分のものだと卒業しない。
家とか職業とか、いくらでも帰ることができる。していることも離れることもできる。世のものに執着をしていない。ただ、お金を稼ぐために働くのではなく、福井のため、イエス様のため、勉強する、仕事もする、そう一緒に生きるんです。
皆さん、考えてみてください。今だったらですね、アリーさんとか、なんとか、引っ越しの高木さんとか、どこでも引っ越し、海外でも行けますよ。うちもつったわけですから。
2000年前ですよ。ローマからコリント、コリントからエフェスト、トルコからまたローマに引っ越しをして、そこで働きながら、福井のために苦労もあったでしょう。労苦もあったでしょう。しかしそんなこと大したものではない。
そのためなら、いくらでも捧げ、いくらでも労苦も喜んでさせていただく。皆さん、このように人生を送りたくないでしょうか。プリスカ、アクラ夫婦は本当に主を喜ばせる信者でした。本当に模範的な信者でした。
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命までも惜しまずに、パウル先生を助ける信者、教会を勃開する信者でした。こういう教会の信者さんのことを、皆さんもたくさんご存知でしょうけれども、私もいくつか知っています。神奈川県に足利福井教会という教会があります。
この教会には、長い間の祈りの課題が一つありました。夢がありました。その夢が始まったのは、今の明大により信者の数が少なかったときでした。
それは、富士山まではそんなに遠くないですから、富士山の麓に修養館を建てて、そこで自分の教会だけではなく、他の教会の信者さんも、あるいは先生方も、そこで安息とか修息を持ちながら、
聖書を研究したり、あるいは教会が祈りの会も持ちたり、修養会もしたり、キャンプもできるように、修養館を持ちたいなと。そういう夢を20人ぐらい集まって、あの時代に掲げて、みんなで祈りだしたそうです。
まあ、少しずつ、だいたい日本の教会は罪立てるから罪立てた。でも、そんなに大した勤力ではなかったんですね。みんな祈りました。そして、私たちの教会も他の教会に誓いたい、お誓いたい。
総書でありませんか。そしてですね、3年前でした。罪立て金もありますけれども、それよりある信徒さんが、相当な多くの献金を捧げて、そのすごい立派なきれいな修養館が、おじさんの本元に建てられました。
その修養館ができて、何と言いますか、会議室じゃなくて、あの、憲法式のような、その修養会を開くときに、さむ先生ご夫妻がですね、まな板を開くんですけれども。
みなさんご覧ください。聞いてください。ただ、金のために働く人はサラリーマンです。ただ、ビジネスために働く人はビジネスマンです。しかし、イエスのために働く人はイエスマンです。だから何でもイエスと言うかもしれません。
本当そうなんです。ただの自分は、お金のために働くのか?あるいは、仕事が好きだから仕事のために働くのか?ビジョンがあって、夢があって、イエスを切るために、福のために働くのか?人生の質だ。全然。
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ですからみなさん、死のために、福のために、デプタを捧げたあのヤモメのように。彼女にはそれは全財産でした。エリアに最後の自分が食べて、もう死のうかと思った小麦粉一握り、油のほんの少し、それをエリア先生に捧げたあのヤモメは、その後どうなったんでしょうか。
本当に食べ物なくなって死んでしまったんですか。そうではありません。幾倍も満たされました。みなさん、死のために献身し、捧げ、祈る、奉仕をする人を、政府は幸せな人だと言っている。
だから信仰十万、精霊十万、恵み十万の信者さんは、例えば捧げ物について言うならば、いくらを捧げるか、なぜ十分の一なのか、なぜ感謝献金なのか、そういったものを気にしないんです。
あるなら、自分は死んで、全ては死のものであるから、いちいち計らないんです。十分の一なのか、十分の二、十分の三も捧げることができる。それを求めて祈る信者なんです。
もう一人の、このセミナーの期間中にある一人の婦人の方の証でした。その婦人の方は、一生ずっと使える、もてなす、施すことが本当に大事で、そういう信仰生活をしている婦人の方です。60歳くらいの婦人でしたよ。
今回の子ども含めて79人、スタッフもあるから、9人近くのための食事のおもてなしを、その婦人が2回か3回も、その婦人がおもてなしをしてくれました。その方は、昔は小さな教会で開拓教会のために、何のかも支えて、使えて、放棄をしていました。
といった流れがあって、この資本の教会に移ったわけなんですけれども、彼女の心の中にはいつも、自分がですよ、その婦人さんが仕事をしているから、給料をもらうわけなんですよね。
ときにはボーナスをもらうわけですね。ボーナスをもらったり、余分のようなお金ができたら、それを必ずのように、選挙主とか、貧しい神徒さんとか、あるいは先生のために何かを言ってあげたくて、それができなかったら、いられないほどのような神徒さんでした。
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あるとき、こういうことがあったそうです。教会には、資本の教会には選挙所でたくさん訪問したり来るんですよね。で、エレベーターの前である海外選挙地に行った。
その先生の服が、なんとみっともないほど古くてボロボロして、そしてその彼女の心の中に、この先生に何か着て差し上げたいと願いを持って、いつもそういう考えを持っているから、彼女は神様に祈るんですね。
彼女の声は、「自分の考えですか?あなたのコーニングですか?」と言うのなら、いつだそうして差し上げなさい。そしてその先生に連絡をして、デパートにお連れして、ワイカツもネクタイもスーツも買ってさせてください。
その先生がもう涙して泣いていた。聞いてみたら、その翌日に自分の娘のお見合いがあって出て行くんだけれども、もう着るスーツがなくて、もう心配していたんですね。
それもちょうどぴったりのときに、宙が天使のような彼女を通して与えてくださって、その選挙式は神のおめぐみに、彼女の愛に、本当にもうなかったろう、えなかったそうなんですね。このように何かがあったら助けて差し上げる彼女のことを宙は覚えていらっしゃるから、すごいことが起きました。
そのご主人さんが仕事をしていて、ある会社の社長さんの仕事をお手伝いしたわけなんですね。そしたら、その社長さんがこの夫婦のことをよく知っているから、いろいろ話し合って、聞いてみたら、この夫婦は何かがあったら、もう全部分け与えて施して、自分のものはほとんど持っていない。
その社長さんが知っていてですね、こういう提案をしました。これから、今月から私の収入の十分の一は神様に捧げるんだけど、もう一つの十分の一をあなたに与えるから、それをあなたが使うところに思い切り押し返しましょう。
その報告とかいりません。領収書なんていりません。と言ってですね、毎月100万円ですよ。韓国のもんだら1000万ウォンなんですね。大きな金額です。100万円をその社長さんがこの夫婦に束ですよ。
それを与えて、今まで結構長い間それをもらって、その夫婦はそれを持って何をしているか、世界のクルーズ旅行に行ったわけではなく、地方の田舎の教会のために毎月それを流しているんです。
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すごいと思いませんか。死のために生きる人は、もっといいことができるように、死があおれさせてください。そういう希望を持ちたい。そういう願いを持って歩んでいきたいと、そう願っています。
お話しで終わりたいと思いますが、皆さん、どうか皆さんの心の中にですね、死を喜ばせ、死のために生きる、そういう願いを持ちましょう。
日米さんのように、プリスかアクロサのようにですね、集まる、捧げる、伝える、妙谷教会の私たちになりたいと、そう願います。お祈りいたします。