1. 名谷教会 podcast
  2. 2012/01/01:聖日礼拝(旧音源)
2012-01-01 46:55

2012/01/01:聖日礼拝(旧音源)

2012/01/01 聖日礼拝(旧音源)


00:01
御着席ください。
聖書を朗読いたします。
本日は、2箇所、聖書をお読みいたします。
ヨハネによる福音書の15章4節から8節、新約聖書211ページ、ヨハネの福音書15章の4節から8節と、
ガラテアビトへの手紙5章16節から23節、新約聖書370ページ、ガラテアビトへの手紙の5章の16節から23節、この2箇所をお読みいたします。
ヨハネの福音書15章4節から8節、
私にとどまりなさい。私もあなた方の中にとどまります。枝がブドウの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。
同様にあなた方も私にとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。
私はブドウの木で、あなた方は枝です。人が私にとどまり、私もその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。
私を離れては、あなた方は何もすることができないからです。
誰でも、もし私にとどまっていなければ、枝のように投げ捨てられて枯れます。人々はそれを寄せ集めて火に投げ込むので、それは燃えてしまいます。
あなた方が私にとどまり、私の言葉があなた方にとどまるなら、何でもあなた方の欲しいものを求めなさい。そうすれば、あなた方のためにそれが叶えられます。
あなた方が多くの実を結び、私の弟子となることによって、私の父は栄光をお受けになるのです。
ガラテアビテへの手紙5章の16節から23節。
私は言います。見たまによって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。
なぜなら、肉の願うことは見たまに逆らい、見たまは肉に逆らうからです。
この二つは互いに対立していて、そのためあなた方は自分の主体と思うことをすることができないのです。
しかし、見たまによって導かれるなら、あなた方は立法の下にはいません。
03:01
肉の行いは明白であって次のようなものです。
不貧高、汚れ、高職、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、ソネミ、生きどおり、党派心、分裂、分破、妬み、明定、悠久、そういった類のものです。
前にもあらかじめ言ったように、私は今もあなた方にあらかじめ言っておきます。
こんなことをしている者たちが、神の国を相続することはありません。
しかし、見たまの身は、愛・喜び・平安、寛容・親切・善意、誠実・乳和・慈悲です。
このようなものを禁ずる立法はありません。
以上です。
聖火隊の皆さんに賛美を捧げていただきます。
よろしくお願いいたします。
空は天気と哀愁
裸振り姿を
胸に映す方が
我が衆の巡り
不思議もののような
心に見つむ
口に言えると
主は聞きたど
哀愁の輝く見姿を
胸に映すと
主は我が衆の巡り
春ののどけさは
心に見つむ
06:04
鳥は声ひよく
花はしるよ
輝く見姿を
胸に映すとは
我が衆の巡り
愛のような
心に見つむ
白くて黒い玉
摺り替えて
花しるよ
輝く見姿を
胸に映すとは
我が衆の巡り
皆さんどうぞお立ち下さって
隣前後の方々と
おめでとうの挨拶を
していただきたいと思います
私もしますので
それでは
また礼拝後にも
挨拶を交わしていただきたいと思います
私は
礼拝終わった後に
午後ですが
必ず自分の説教を聞くようにしております
09:04
先週のクリスマス礼拝で
説教者はこのように言っておりました
12月25日はクリスマスで
これは大変珍しいことです
私は自分の説教に
そんなの当たり前だと
12月25日はいつでもクリスマスで
全然珍しいことではないと
要するに12月25日は日曜日で
これは大変珍しいと
頭の中では言っているんですが
口が12月25日はクリスマスで
大変珍しいですというようなことを
言っているわけですね
ですからきょうは間違わないように
ということをまず思いながら来ました
きょう2012年1月1日は
元旦でということはもう言わないで
日曜日これは珍しいことでありまして
この1年の最初の日に
礼拝を捧げることができる
カレンダーも新しいカレンダーの
もう一番最初から
1日始まっているという
これは本当に幸いだなと思うんですね
ですからきょうもそのことを覚えて
この1年のことを
去年を振り返ると同時に
またこの新しい1年に思いを寄せて
この礼拝を捧げていきたいと思います
一言お祈りをいたします
神は光あれと言われた
すると光があった
めぐみ深い天の父なる神様
あなたはお言葉をもって
天地万物を創造された
大いなる創造者であり
また救い主
キリストをお送りくださった
愛のお方です
きょうもそのことを覚えて
主の皆をあがめます
きょうは新しい年を迎え
また心新たに
あなたを礼拝しています
年は改まり
世は移り変わっていきますけれども
常しえに変わることのない
あなたに信頼と望みをおいて
この一年も過ごしていくことができるように
導いてください
きょうもあなたの身旨を知りたく願っております
どうぞ主よ
あなたのお言葉をくださいますように
しもべは聞きます
そしてこの一年も
あなたがお導きくださいますように
主耶様の尊い皆によってお祈りをいたします
アーメン
昨年の末に
12:04
新しい年を迎えるにあたって
新年の2012年の教会の標語と
そして聖句を示してくださいということでありました
そして祈って与えられたのが
この標語
神と共に歩み豊かに身を結ぶということ
そして聖句といたしまして
ヨハネの福音書15章の8節
あなた方が多くの身を結び私の弟子となることによって
私の父は栄光をお受けになるのです
もう一つは
しかし見たまの身は愛喜び平安寛容親切善意誠実乳は自制です
このようなものを禁ずる立法はありません
私たちはこういう標語を掲げまた聖句をいただいたわけですが
決してこれが2012年の全てということではないと思うんですね
その中の一つとしてこういうものを掲げさせていただいて
私たちが心一つにしてそこに向かって進むことができたら
そう願っておるわけであります
私たちはこの昨年一年を振り返ってみまして
本当にこの種の哀れみによって礼拝も
一つ打に地に落ちることなく捧げることができましたし
皆さんが計画しそして励んでくださったその集会
それも全部全うできたくさんの恵みをいただき
また周りの人たちにもその恵みを分かち合えたということ
これは本当に感謝であります
もちろん目を日本に向けてあるいは世界に向けていきますときに
大変なことが起こった思いもよらないことが起こった
それも私たちが通される試練なのかもしれませんし
またそのことによって何か新しいことを学んだり
そしてみんなが一つになることができたり
よく言われるそういう絆というようなものをもう一度思い起こすことができたり
それを強くすることができたという
そういう意味では本当に感謝であるということを思います
さてこの一年それじゃあ新しいこの一年は
どんな年になるのだろうかというようなことで
また今日は最初の日に礼拝を捧げるということ
これは本当に感謝でありますし
一年に約五十何回か礼拝がありますけれども
15:03
その一周もたれるこの礼拝
これを私たちは主に捧げていきたい
そう願っております
聖書にはじめに記されている言葉
それははじめに神が天と地を創造されたという
そこに私たちのすべてがあるんだと思います
はじめに神が天と地を創造した
まず神ありき
すべてにおいてまず神がおられて
その神がすべてをなさったという
そのことに尽きるんだと思うんです
ですから私たちがこの新しい一年を
どんな歩みをしていくのか
神様がどのように導いてくださるのか
それらのすべての源は
神が天と地を創造したその神御自身がおられるということ
ですから私たちもそこにしっかりと目を向けて
霊の心を向けて
そこから歩み出していきたいと
そう思うわけであります
そしてこの方が父なる神
巫女イエスキリスト
精霊の三密体の神であられるということ
そのようなことももう一度改めて覚えるときと
させていただきたいと
そう思うわけであります
そして年が改まったわけでありますけれども
変わらないものがある
そして世の中がどんどん変わっていく
それこそ2012年と言われるように
イエス様の降誕を基準にしても
2000年が経っている
そして毎年毎年
世の移り変わりを私たちは見ているわけですが
どんなに世の中が変わっても
変わらないものそれが神であり
そしてその神と私との関係
これをいつも私たちは健全にたまっていくということ
これだけは変えてはいけない
まず神がおられそして私という存在があり
その関係がいつも正しい関係で
親しい関係で続けるということ
これを今年も願っているわけであります
その神と私の関係
それが先ほどお読みいたしました聖書の中に書かれている
主はブドウの木で私は枝ですというこの関係
これを私たちはもう一度
18:02
この新しい年を迎えるにあたって覚えたいと思うんです
主はブドウの木で私たちはその枝であるということ
そしてこの新しい1年がいよいよ動き出すわけですけれども
やがてこの1年も3ヶ月6ヶ月そして1年経って
そしてこの年の終わりに私たちは自分自身に問いかけるわけですね
私はこの1年あるいは教会がこの1年
どんな実がそしてどれほどの実が実っただろうか
そういうことを問いかけることが必要だと思うんですね
植物やあるいは野菜を育てておられる方は特にそんなことを思うんですね
今年の収穫はよかったとかたくさん木に実が実ったとか野菜がたくさん取れたとか
そういうことを常に考えてそしてその1年を送っておられるということですね
それじゃ私自身はこの1年どうだろうかということを
やがて自分自身に問うことが必要でありますしまたその時が来ると思うんですね
昨年のことあるいはそれまでの今までの自分のこと
それはまずひとまず置いておきましょう
この新しい2012年今始まったこの新しい年のこの1年
さて私はどんな実がどれほどの実が実るだろうか
そのことを楽しみにしながらそれじゃそのためにどうあるべきか
あるいは何をしなければいけないのか
そんなことを一緒に考えてみたいと思うんですね
私たちは先ほども言いました庭に割った木が実を実らせる
あるいは耕した作物がたくさんなった
あるいはそれをご近所にもすすわけできるぐらいのたくさんの実が実った
あるいは自分が趣味だとかあるいは習い事でいろいろ励んで
そしてもう上手になって資格試験に合格するぐらいの
そういうものになることができた
それも一つの実がなったということだと言えるわけですね
21:05
それじゃあ私自身のこと
特に聖書でいうこの内側のこと霊のこと魂のことにおいて
私はどんな実そしてどれほどの実を今年実らすことができるだろうか
そんなことを思うわけであります
もし一年過ごしそしていろんなことをした
しかし一年を振り返って何も実ることがなかった
そういうこともなきにしもあらずですが
願わくはこんな実が実りました
あるいはこれだけのものが収穫としていただきました
そういうことが言える一年でありたい
また神様はそれを私たちにも望んでおられるということ
そんなことを考えるわけであります
聖書もそれを種はぶどうの木私たちはその枝です
そこに実を実らせるようにという
そのことを例えて書いてあるわけであります
さて私たちはこの新しい一年
期待といろんな願いを持ってスタートしたわけですが
まず第一にそれじゃあ身を結ぶ条件というのがあるということを
ここから知ることができるわけであります
身を結ぶための条件それは六節にありました
ヨハネの福音書の十五章の六節
五節からお読みいたします
私はぶどうの木であなた方は枝です
人が私にとどまり私もその人の中にとどまっているなら
そういう人は多くの身を結びます
身を結ぶための条件それは私にとどまり
私もその人の中にとどまっていること
神様は常に私たちを育みそして私たちを愛し
そして私たちのうちにとどまろうとしてくださる
そういう方です
それじゃあ私たちはどうだろうか
いつも種とともにあるいは種の中にいるだろうか
あるいはこの方と常に一緒にいて
そしてこの方に全てを委ねて
もう種の中に自分はどっぷりと使って
そして神様と一体となって歩んでいるかどうか
24:05
これが身を結ぶための第一の条件であります
人が私たちが種にとどまり
そして神様自身が私たちのうちに
とどまっていてくださるなら
そういう人は多くの身を結びます
決して自分の頑張りや
あるいは何か努力そういうものではない
神様ご自身が私たちのうちにいて
そして私たちのうちに身を結んでくださる
まさに精霊の働き
私たちが神とともに歩んでいくならば
神様は私たちに身を結んでくださるんだ
しかしもし私たちが神様を離れているならば
何もすることができないからです
当然そこには身が実らないということ
こういう結果になってしまうという一念であれば
残念であります
もちろんいろんなことをし
また願い祈りしますけれども
実らなけったらその一念は
駄目であったかという
そういうことではありません
願わくは実る方がいいということですね
あるいは実らなかった
不作であった
でもそういう中から反省が生まれたり
あるいは今度はこうしようとか
そういう意味での一つの試練のような
そういうこともあることも確かです
しかし聖書は
全てのことは愛働きて益となる
どんなことでもそれはまた
次に進むための力となるんだということ
そういう中で
私たちのうちに身が実ることができたら
それは何と幸いでしょうか
そのことを聖書は言っているわけであります
私はブドウの木であなた方は枝です
人が私にとどまり
私もその人の中にとどまっているなら
そういう人は多くの身を結びます
それじゃあ身を結んだ結果
それは何が起こるのか
何のために身を結ぶのかということです
もちろんその収穫を喜びそして祝う
あるいはみんなでそのことを分かち合う
それも大切でありましょう
しかし最終的な目標は
八節にありました
あなた方多くの身を結び
私の弟子となることによって
27:01
私の父は栄光をお受けになるのです
私たちのうちにもし多くの身を結ばせてくださったならば
それを父なる神様はそれを栄光としてお受けになる
いわゆる私たちが実らせるということは
何よりも神様が栄光をお受けになさることだ
もちろん自分自身が成長もし
そして自分自身も変えられていく
それは私にとって
あるいは周りの人にとっての喜び感謝です
しかしそのことを神様が喜んでくださる
最終的には父なる神様が喜んでくださるということ
そしてその実ったことを
自分の栄光として神様は喜んでくださるんだ
また私たちもこの父なる神様をお喜ばせしたい
神様の栄光を何としてでもお返ししたいという
そういう思いが私にこの身を実らせようとする
そういう働きが起こってくるということであります
父なる神様が喜んでくださるということ
それを何よりの私たちの目標とすること
この一年もどうぞ神様に目をとめてください
救い主イエス様に目をとめてください
そして精霊の働きにいつも心をとどめておいていただきたい
そう思うわけであります
三つ目にその実というのはどんな実があるのでしょうか
どれぐらいの実を実らせるかこれも大事なことですが
それは神様に委ねることとして
どんな実が実るのか
この収穫の量とかあるいはどれだけ実るかということは
みんなそれぞれ違うと思うんですね
神様は一人一人にふさわしいようにその時その時に
その実を実らせてくださる
ですから私たちが誰かと比べて私はこれだけしか
あの人はたくさんとか
あの人は少ないけれども私はこんなたくさんとか
そういう比べるものではない
神様は一人一人にみんなふさわしく
この実を実らせてくださいます
ここではどんな実が実るのかということを
聖書を通して知っていきたいと思います
30:00
それが先ほどお読みしました
ガラテヤ人への手紙の五章の二十二節のところ
二十三節のところに書かれてあります
三玉の実は神様の
精霊によって私たちの内側に与えられる
それは愛喜び平安寛容親切善意誠実入和自生です
三玉の実は愛喜び平安寛容親切善意誠実入和自生です
どうぞこの言葉を覚えてください
教会学校の子どもたちにも
安詳聖句というのをしてもらっていますが
私たちも今年のまず初めのお言葉として
これを皆さん覚えていただきたいと思うんですね
この中に九つの実がありますけれども
全部一遍に覚えようとすると
なかなか難しいこともあります
ですから私の経験では
三つぐらいずつ
愛喜び平安
この三つを覚えたら
寛容親切善意
そしてまたそれを覚えたら誠実入和自生
そういうふうにして
皆さんそれぞれの覚えるペースも違いますから
今日一遍にこれを覚えたという人もいますし
今日はこの三つ
明日はこの三つ
一週間でこれ九つ全部覚えることができた
それでもいいと思うんですね
道歩きながら
愛喜び平安
そしてジョギングしながらでも
誠実入和自生
お料理しながら
愛喜び平安
そういうふうにして
繰り返し繰り返し
これを覚えていただきたいと思うんですね
この御言葉を覚えたということ
それも一つの身なんですね
私のうちに
この安生聖宮
一つの御言葉が私のうちに
実りましたという
そういうことであると思うんですね
ですから神様が
精霊によって私たちに与えてくださる身
それは
愛喜び平安寛容
親切善意誠実入和自生です
もちろんこの言葉は
翻訳ですから
日本語訳ですから
例えば
愛はアガペイでありますけれども
平安のところが
別の聖書の訳では平和となっていたり
33:02
誠実ということは忠実ということとか
いろいろと少しの意味合いが
違うものもありますけれども
大体こういうものが
私たちの身として
実らせていただけるものであります
この22節23節には
2つの解釈と言いましょうか
あります
一つは
三魂の身は
まず愛であるアガペイである
ということですね
そしてその
アガペイが私たちのうちに実るとき
そこから
喜びも平安も寛容も親切も
善意も誠実も
仁和も自省も
その愛から
そういう身が生まれてくるんだ
ですから喜びも
愛がなければ出てこない
平安も寛容も
親切 善意 誠実 仁和 自省のそれぞれは
皆愛が基となって
そこから生まれてくるものであるという
そういう解釈と
読んで字のごとく
愛 喜び 平安 寛容 親切 善意 誠実 仁和 自省
九つの身
それぞれが
独立して実らせていただけるんだという
そういう解釈
どちらでもいいと思うんですね
私たちはこういう三魂の身を
今年
何か一つでも
あるいは二つでも三つでも四つでも
実ることができたら
実らせることができたら
どんなに幸いだろうか
一つ一つそれぞれ
味わい深い身でありますし
皆さんの願い
あるいは期待も
それぞれあろうかと思うんですね
特に自分は
こういう身についてはもう既に
実っている
ただこういう身は
なかなか実らせることができずにいました
ですからこの一年は何としてでも主に願って
この身を自分のうちに
実らせていただきたい
そんな願いでもいいかと思うんですね
アガペはもう全てですし
聖書が何よりの
私たちへの
ギフトでありますし
神御自身が愛なるお方ですから
私たちが神様を見る
それは神の愛を見るということで
36:00
あろうかと思うんですね
喜びはどうでしょうか
もちろん
いつもいつも
喜ぶことばかりではないと思います
悲しいことあるいはつらいこと
喜べないような
そういう中にありましても
もしアガペへの愛を通して
私のうちに喜びが湧いてくるようなことが
今までよりも去年よりも
今年が少しでも
そういう身が多く実るようにという
そういう願いは
私たちは主に捧げるべきだと思うんですね
平安
あるいは平和という
これは私たちの内面の中に
穏やかなそういう平安
そういうものが
いつもあればいいなと思うんですね
私たちは何かあると
動揺しやすいものでありますから
どんな時でも
主に願って
平安が与えられる
もちろん
平和という意味での
穏やかな人との関わり
あるいはこの世の中が
本当に争いのない
そういう日々を過ごしたいという
それは当然であろうかと思うんです
人間の歴史の中で
多くの争い
戦争がありました
そういうこととは別に
自分自身の身近な
そういう人との関わりの中で
この平安というものがあっただろうか
もしなかったならば
今年こそお互いに
平安が保てるように
そういうことを主に願って
また主から示されることを
何としてでも
させていただくというようなことも
必要かと思うんですね
寛容さ
これは何でもかんでも許すということではありませんが
もう少々のことなら
目をつぶりましょう
神様
ご自身が本当に寛容なお方で
私たちがどんなに
神様に背くような
御心を痛めるような
そういうことがありましょうとも
神様はそれをしっかりと受け止めてくださる
そういう寛容さ
私たちも人に対する寛容さ
そういうものが
身として実ることができたら
どんなに幸いかなと思うんですね
親切にすることができた
あるいは
善意、良いことをすることができた
そんな一年でありたいと思うんですね
39:00
誠実さ
あるいは忠実さ
あるいは最近よく言われる
真摯な態度
何事にも一生懸命
そして真面目に
ということですよね
真面目さというものを
お嫌いになる
人も中にはいるんですね
真面目の上に何かを付けるぐらい
この真面目であるというね
気真面目という
もちろん何事も過ぎたるは及ばざることしですから
過ぎるということはいけませんが
真面目であるということは
それは誠実の印でありますし
忠実に何かをしようとする
その人となりが
現れていることでありますから
それは見たまの身として
ふさわしいことだと思います
入和さはどうでしょうか
これは本当に
聖書を通して私たちに
表している
特にイエス様はご自身の
姿を見るときに
この入和さということが
非常に大きな意味を持ってくると思うんですね
入和というのは何か
弱々しさとか
なよなよしているという
そういうものではないと思うんです
イエス様という方は
本当に頑強な
そして
力強いそういうお方でありましたけれども
その姿
その内面には入和さがあった
逆を言えば
トゲトゲしさ
荒々しさ
そういうものを
抑えて
そして
入和である
穏やかである
そしてよく
聞いてくださる
主のお姿
そしてどんなことにも受け止めて
それに相応しく
対応してくださる
昨今
私たちの
人類と言いましょうか
とにかく
何事も
早く早く早く早く
スピード化と言われる時代になって
何でも
速さを強調する
人間社会に
いつしかなってきましたね
しかし本当に
それでいいんだろうか
速さを追求しないといけない
そういう
ことも
確かにあります
でも何でもかんでもが
早く早く早くということによって
大切なものを
失われていく
そういうものはないだろうか
速さを強調し
速さを遠飛ぶがゆえに
そこに
苛立たしさ
あるいは荒々しさ
そして厳しさ激しさという
そういうものが
人間社会を壊していくということも
言えるわけです
42:01
ですから時には
ゆっくりと
あるいは穏やかに
そして柔らかく
そういう表現で
表されるような
そういう日々の生活
そういうことも
これから
大事にしていかないといけないんじゃないだろうか
世に流されて
何でも
早く早く早くという
そういうことで
本当にいいんだろうか
特に
私たちは
大切な子供たちを
預かる時に
その
子供たちの
と接する時に
何でも早く早く早く早くと
急がせてしまう
でも一人の人間が
成長していく
それは
本当に手間暇をかけて
心を込めて
時間もかかるという
そういうことが
前提にあるわけですね
ですから決して
急がない
早く早くという
そういうことではなく
大きな
心でそれを
包み
そして
たとえ時間をかけても
じっくりと
そういう中に
入話というものが
自然と生み出されてくるのではないかな
そう思うんです
そして自制
自分を
コントロールする
これは
良いこと
それじゃあ
これをさせていただこう
これは
少しいけないこと
これは控えましょう
ここは
自分の出る幕
勇気を持って出ましょう
ここは
出る幕ではない
それじゃあ
それは
引っ込んでいいよ
そういうものを
神様の示しによって
自由に
できるような
自制
コントロール
そういうものが
できるようになれたら
いいな
そう思うんですね
それは
個人個人が
そういう身を
実らせて
いただく
という
それが
今日の
一つの
神様からの
示しであります
そういう
身を実らせた
人たちが
また
集まる
その
一つの群れ
それが
教会である
そこに
教会が
また
教会としての
身を結んでいく
わけです
ですから
この
神様の身は
この
の内に
喜び
平安寛容
親切
善意
誠実
入和の身が
実る
それは
愛が実り
喜びが
平安が
寛容が
親切が
誠実
入和
自省が
実るんだ
ということ
そのことを
私たちは
主に願って
そして
この一年を
終えるときに
私の内に
こんな身が
実りました
これほどの身が
実りました
教会に
これだけの
身が
こんなに
たくさん
実ることが
できました
あるいは
自分の家族に
あるいは
45:00
友人
知人の内に
みんなで
その
身の収穫を
お互いに
喜ぶ
そういうような
一年になればと
思っています
そのことを
祈って
終わりたい
と思います
あなた
方が
多くの身を
結び
私の弟子
となることに
よって
私の父は
栄光を
お受けになるの
です
神様の身は
愛喜び平安
寛容親切
善意
誠実
入和
慈悲です
天の神様
新しい一年を
ここに
迎えて
今日
礼拝を
お捧げ
しています
御言葉に
ありましたごとく
あなたは
私たちに
期待を
しておられる
あるいは
あなたは
私たちの
家に
身を
実らせようと
してくださっています
ことを
覚えて
皆を
こんな
ものに
が実るんでしょうか
という
そういう
思いも
いたしますけれども
神様に
できないことは
ありません
もし私たちが
主とともに
愛美
主の家に
とどまっている
ならば
また
御言葉に
よって
私たちが
導かれていく
ならば
必ずその身は
実るのだ
という
その信仰を
今日
与えられて
感謝を
私たちの
家に
そして
この教会の
家に
あるいは
この日本
世界の
中に
どんな身が
そして
どれほど
実るのか
今から
大いなる
期待を
持って
主に
より
頼み
つつ
また
祈りつつ
お互いに
励まし
支え合い
つつ
これからの
愛美を
46:55

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