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ご着席ください。
聖書朗読をしていただきます。
本日の聖書の箇所は、
新約聖書267ページ、
使徒の働き19章17節から22節までです。
聖書の新約聖書の267ページをお開きください。
では、森谷教大、お願いいたします。
このことが、エペソーに住むユダヤ人とギリシャ人の全部に切れ渡ったので、
皆、恐れを感じて、主イエスの皆をあがめるようになった。
そして、信仰に入った人たちの中から多くの者がやってきて、
自分たちの知っていることをさらけ出して告白した。
また、魔術を行っていた多くの者が、その始末を抱えてきて、皆の前で焼きしてた。
その値段を合計してみると、銀貨が5万枚になった。
こうして、死の言葉は驚くほど広く広まり、ますます力強くなっていった。
これからのことが一段落すると、パウロは御霊の示しにより、
マケドニアとアカリアを通った後でルエルサレムに行くことにした。
そして、私はそこに行ってからローマを見なければならないと言った。
そこで、自分に据えている、使えているものの中から、
モテテとエラストの二人とマケドニアに送り出したが、
パウロ自身はなおしばらくアジアに留まっていた。
以上です。
では、聖火隊に賛美をしていただきましょう。
賛美していただく曲は、新聖火361番です。
それに続きまして、新春特別賛美として、宮原由美さんにトロンボーンの演奏をしていただきます。
曲目は、賛美歌8番、新聖火361番、栄の王に増す主の、
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新聖火21番、輝く日を仰ぐ時の3曲です。
その後、内田牧師によりまして、
大いなる夢と幻をもてと題してメッセージをしていただきます。
新春特別賛美
新春特別賛美
新春特別賛美
新春特別賛美
新春特別賛美
新春特別賛美
新春特別賛美
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新春特別賛美
に区切りがあるということは私たちの 生活に大きな影響を及ぼしている
ということに気がつくわけですね 要するに例えば一年ごとのそういう
区切りがあるそういうこともし そういう区切りがなかったならば
例えば今年は二〇一二年ですけれども 二〇一二年の最初の日を第一日
としますと引数でいうと何と七 十三万四千三百八十日目ということ
になるんですねきょうがそして 明日が七十三万四千三百八十一日
目七十三万四千三百八十二日目 というそういうふうに続いていく
三十日一ヶ月というそういう月 で数えますと今年が二万四千百
四十四月というかそんな二万四千 四百二万四千百四十五月そういう
ふうにして計算間違いでなければ そうなっていくんですねこれは
考えてみますと味気ないものですよ ねそしてやはりお正月というのが
ないというのは本当に心寂しい 感じがするわけですですから私たち
がこういう時の流れの中に区切り を持って生きていくということ
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これはやはり神様から与えられた 知恵であろうと思うんですね一
年が三百六十五日そしてまた新しい 一年三百六十五日あるいはそれを
十二ヶ月一ヶ月一ヶ月そして十二ヶ月 でまた一年そういうような時の流れ
の区切りというものがある七日 で一週間日曜日から土曜日までの
七日を一週間という区切りを私たち が与えられて過ごしていくという
それが私たちの生活にリズムを 与えているわけですねそれは本当に
絶妙な神様からの知恵でありまた そういう生活のリズムこれは言う
までもありませんこの聖書の創世 記に記されている神様の天地創造
のその御業がもとになっている というそれは言うまでもないわけ
ですねですから私たちはそういう 時の流れの中のそういう区切り
区切りでそしてまた心を新たに したりそしてまた次の一日にあるいは
その次の年にそういうふうにして 進んでいけばいいんだそういうこと
を感じたわけであります そして 私たちも二〇一二年いよいよ始まり
ましたそして一日一日一週間一 週間一月一月過ごしてそしてこの
年の終わりにこの二〇一二年いい 年であったというそういう一つ
の感謝とそして新しい年をまた 迎えていくそれが私たちの生きて
いくそういう一つのリズムであろう そのようなことを感じました
きょうはまた使徒の働き使徒行伝 に戻りましてきょうは十九章を
開いていただいておりますキリスト の弟子たちが特に使徒と呼ばれる
人たちが世界に向けて福音宣教 の働きを始めたというその歴史
の記録がこの使徒の働きまた使 徒行伝でありますがその約この
二〇〇〇年の中でさまざまなことが あったそういう中で結論として
使徒行伝が言っているのはなるほど 使徒たち弟子たちがその業をして
いきましたけれども実はその背後 にあってこれは全て神様が自分の
御業として使徒を用いてなされた ということですねですから特に
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この精霊の働き精霊行伝と言われる のはそのことのゆえであります
ですから精霊があなた方の上に 臨むときにあなた方は力を受ける
そしてエルサレムユダヤサマリア の全土及び地の果てにまで私の
承認となりますというそして今 この二十一世紀このお言葉が成就
しているそしてこの二十一世紀 においてもまた使徒行伝が続いて
二十二世紀二十三世紀へとこの 使徒行伝が受け継がれていくという
そのことを私たちは使徒の働き を読みながら覚えるわけであります
この十九章の一節にこのように ありますアポロがコリンと似た
間にパウロは奥地を通ってエペソ に来たということですねですから
今パウロはエペソというそういう ところに来ているということが
わかりますそしてこの十九章だけ を読んでみましても福音の宣教
ということはさまざまなことが あるんだなときにはうまくいった
よかったというようなこともあります しなかなかうまくいかないこん
なんだそういうことが繰り返さ れていくというこれはいつの時代
も変わらないそういう思いがいた します
例えば五節のところでこれを聞 いた人々は福音を聞いた人々は
主イエスの皆によってバプテスマ を受けたこれは本当にうれしい
限りでありますし例えば九節 はしかしある者たちが心を固くな
にして聞き入れずそしてこの道 を罵ったですからこういううまく
いかないいくら福音を説いても なかなか聞き入れてくれずに逆
に罵られてしまうそういうこと も福音宣教の働きの中にあるわけ
です十一節神はパウロの手によって 驚くべき奇跡を行われたこれも
そうですねパウロがいろんな奇跡 をしたんですがこれも神様の技
としてパウロを用いてその奇跡 の技をなさった十六節はどうでしょう
かそして悪霊に疲れている人は 彼らに飛びかかり二人のものを
抑えつけて皆打ちまかしたので こういう記事があるときに精霊
が働くと同時に悪霊も働いてそして その悪霊がいろんな悪さをし妨げ
をするそういうこともあったんだ なということがわかります十七節
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このことがエペソに住むユダヤ人 とギリシャ人の全部に知れ渡った
ので皆恐れを感じて主イエス の皆をあがめるようになったこれは
本当に感謝なことであります二 十節こうして主の言葉は驚くほど
広まりますます力強くなっていた こういうふうにしてうまくいき
もしまた混乱もありそして人々 が救われもしまた妨げもあり迫害
もありというそれが二〇〇〇年 来福音の選挙の働きの実態であります
今日でもそれは変わらないと思います 私たちの日本では自由に今は福音
を伝えてそんなに迫害されるということ もなくなりましたが世界を見回
すとまだまだそういう混乱もあり その中を選挙の働きがなされている
ということも覚えて祈りたいと思 うんですね中には二十三節のところで
そのころこの道のことからただ ならぬ騒動が持ち上がったこの
町中で大変な騒ぎになるということ があったわけですこの道ですから
イエス様を伝えたい福音を伝えよう というそういうことがなければ
町に騒動も起こらない人々も混乱 することはないしかしそれを伝える
というそのことのゆえに町中が 大変な騒動になる特にこのエペソ
は二十七節にありますように大 女神アルテミスの神殿というもの
があってそのことでこの町の人たち が繁盛している二十五節御承知
のように私たちエペソの者たち が繁盛しているのはこの仕事の
おかげですいわゆる大女神アルテ ミスの神を祀りそしてそのことの
ために人が集まってくるそこに 日本でいえば神社仏閣のお札を
売ったりあるいはお出店が出たり お土産屋さんが出ていくという
そのことによって町がうるおっている わけですねそこに福音といわれる
もの神は生きておられてこの天地 創造の神は人間をつくってそして
人間が神をつくったのではない 人間が神をつくるならばそれは
偶像だそれは生きていないそして 天地創造の神は人間がつくった
ようなところにはお住みにはならない のだそういう神殿とかあるいは
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偶像崇拝を否定するというわけ ですねそれはそれで本当にその
町が大変な騒ぎになるというそんな ことをこの十九章では言っている
わけです日本はこれと同じように お正月であれば神社仏閣初詣
に行きますでしょうし恵比須まつり だとかあるいは八九世家のお祭り
夏祭りそういう神社仏閣そういう ところでお札売出店土産物屋さん
そういうものが繁盛しているわけ ですそういう人たちに向かって
それはあなた方の信じているものは 偶像崇拝でそれは誠の神ではない
真っ向から言っていくならば彼ら は当然起こるでしょうしそういう
ものを退きようとするそういうことが 起こるということは容易に想像
されるわけですこのエペソでは そういうことが起こったんだということ
がここに書かれていますこのエペソ という町ですけれどもこれは当時
地中海の東部の方の三大国際都市 の一つと言われていまして政治
商業あるいは宗教活動のそういう 意味で大変重要な地でありました
し繁栄しておったそういう町で あったわけですねそこにパウロ
たちが福音を伝えに行ったそれ じゃそのエペソという町がこの
二千年たった今どういう町になっている のかと調べてみますともう町ではない
何もないただ遺跡だけが残っている そういうことであります一度行って
見て確かめたいものですが写真 で見ると広い野原のところに石
がぽつぽつとあるというまさに 遺跡しか残っていないというそういう
ところそれがエペソであります そのことを十九章を通して読んで
みますとわかります私はきょう この十九章の中で取り上げさせていただき
たいのはこのエペソの町が混乱 を起こしたというそのことよりも
この十九章の二十一節のこの言葉 この言葉にきょうは示されたわけ
です二十一節これらのことが一段落 するとパウロは見たまの示しにより
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マケドニアとアカヤを通った 後でエルサレムに行くことにした
次ですそして私はそこに行って からローマも見なければならない
と言ったこのパウロがローマも 見なければならないと言ったその
言葉でありますこれは見たまの 示しによってパウロに与えられた
一つの夢といってもいい幻とい ってもいいあるいは目標あるいは
目指すべきものというそういう ものがパウロに与えられたんだ
ということ当時の世界の中心は ローマ帝国ローマであったわけ
ですねですからイエス様がおっしゃ った言葉を私たちもう一度思い
起こすときに全世界に出ていって そして全てつくられたものに福音
を述べ伝えようその言葉をパウロ も当然知っておりましたそして
福音宣教の働きを通して時には パウロは東の方に宣教に行きたい
そう思ったが見たまがそれを禁じて 西の方に行きなさいヨーロッパ
の方ですねそしてあちらの町に 行ってそして福音を伝えるうまく
行くときもあるしうまくいかない ときもあるそういうことを繰り返し
ながら時には彼は祈ったかもしれない 上司さん私はこれからどこへ行く
べきですか私は何を目指して行 けばいいんでしょうかもちろん
福音宣教の働き全世界に向けて というそれはわかりますしかし
私が目指すべき目標としてどこに 行けばいいんですかそのときに
見たまの示しによってそうだローマ に行かなければならないなぜか
というと世界の中心であるローマ に行くのだそのことを彼は示さ
れたわけですねこのことによって 彼のその後の生涯彼の目指すべき
ところが定まった私の残りの生涯 はローマに行くということローマ
に福音を伝えるんだということ そのことを彼ははっきりとそこに
示されたわけですねそしてそれから 約三百年でしょうか皆さんも御
存じのように生歴の三百十三年 コンスタンチヌス大帝によって
ローマ帝国がキリスト教を公認 したというこのパオロがまだこの
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時点ではローマに行っていません けれどもそのパオロたちがローマ
に乗り込むということはあの巨大 なローマ帝国それを前にも言いました
象に例えるならばアリのような 一段のそういうキリスト社たち
がローマに挑むというようなこと だったんですねしかしパオロははっきり
とローマも見なければならない ローマに行くのだというそのことを
はっきりと見たまによって示されて 彼は合計三回の電動旅行地中海
の沿岸の辺りの町々を訪ねています が最後はローマに向けてそして
この首都の働き首都行伝の二十八 章最後のところでやがて彼らは
ローマに到着したそしてそこで しばらく過ごしたというそこで
この首都の働きは終わっている わけですですからあなた方は見
たまを精霊を受けるであろうそして ユダヤサマリアそして地の果て
にまで福音を伝えるそして証人 となるであろうそこで始まった
その首都行伝がローマに到着した というそこでこれが終わっている
というまさにパウロの目指すべき ものがこのところではっきりと
示されたんだというそのことを 強く感じたわけでありますそして
このローマに伝えられた福音が やがてヨーロッパ全土に行き渡
っていきますスペインとかポルトガル そしてそこにいた宣教師たちが
例えばフランシスコザビエルなど がこの東の遠い遠い東の極東と
言われるこの日本に上陸して福音 がもたらされたそして今日私たちは
その福音を聞いて信じて救われている もしこのパウロにローマ行きが
示されなければあるいはローマ に行くことがなければこの福音
宣教の働きはどうなっていた だろうか世界宣教はどうなって
いただろうか私たちもいまだに この福音を知らずにいるのかもしれない
そう思うときにこのパウロに見 たまが示されたこのローマも見
なければならないという一つの 示しは大きな意味を持っている
そのように思うわけです今日は この夢幻ビジョンそういうふう
に言われる一つの目標と言いましょう か目指すべきものそういうもの
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を一緒に考えてみたいと思うん ですが私たちの信ずる神様は無
から有を生み出すお方であるこれは 私たちの信仰ですね無から有を
生み出すしかしそこに例えば夢 幻ビジョンそういうものがあって
そして神様は無いものからやがて 何かを生み出されていかれるいわば
この夢幻ビジョンというのは何か のもとであったり源であったり
あるいは種のようなものではない かなと思うんですね私たちが土
をずっと眺めていてそれを1日1ヶ月 1年5年10年ずっと眺めていても
何もそこには起こらないわけですね しかしそこに種をまくことによって
一つの種をまくことによってそれが 芽を生やし芽を出しそしてやがて
何かを実らせていくそれが夢とか 幻とかビジョンとかいうものではない
かなと思うんですね逆に種になる ようなあるいは元になるそういう
夢幻ビジョンがなかったら何も 起こらないんじゃないか先ほど
も言いましたようにやがて全世界 に福音が伝えられていったそこ
にもしパウロのローマ行きの幻 夢がなかったならばいまだに世界
中に福音は伝えられなかったであろう そういうことが言えるわけであります
ですから神様が私たちに示して くださるその種元になる夢幻ビジョン
目標目指すべきものそういうもの を私たちはこの年の初めに祈って
それを与えていただきたいそういう 願いを持っているわけであります
皆さんの愛する妙谷教会はここに 立っていますこの妙谷教会は知ら
ぬうちに勝手にできたんでしょうか この妙谷教会という群れは人々
がただこの辺りをうろうろして いたときに急に何か人が集まって
教会が立っているそうだったでしょうか これは妙谷教会の創立五周年記念詩
でありますこの関東弦のところ にこのように記されています皆さん
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もこちらと思うんですが関東弦 神様は妙谷教会よというビジョン
を与えられましたその後開拓伝導 そういうものを経て現在の地に妙
谷教会は立てられているのです 神様が妙谷に教会よというビジョン
を与えられてそのことのゆえに 現在の地にこの妙谷教会は立て
られているのですビジョンがなかった ならばこの地に妙谷教会は立て
られることはなかった 私たちは やはり神様に祈って願ってそして
それじゃこの今日この二〇一二 年あるいはこれから三年五年十年
先この群れは何を目指してどこに 向かって行くのでしょうか行くべき
でしょうかパウロにローマに行き なさいと示してくださったように
この群れもそれじゃどこに向かって 行くのでしょうかどこへ向かって
行けばいいのでしょうかという その夢幻ビジョンをやはり祈って
そして与えていただきたいそう 願うわけですねそうでないと
何もそこには生み出されないでしょう しみんなが一つになって何を目指して
どこに向かって行けばいいのか 私はあちらに行きます私はこちら
に行きますいや私はあっちに行きます それでその群れが進んでいける
だろうかそんなことを思うときに 私たちはこれからもう一度主の
御前に跪いてこの夢幻ビジョン を祈る必要があるのではないか
そう思うわけであります もう一 つのことはこの協会の掲示板
に明太子協会の幻というこういう 掲示がありました一九九四年ですから
十八年前の幻そしてこの四隅が ピンの穴でいっぱいになっているんですが
なぜでしょうか皆さんはこれをその 当時の人は知っておられるんでしょう
し与えられた幻としてこれをタイプ して貼っているんですねあれから
十八年ほかの掲示物は貼られて は外され貼られては外されしたん
でしょうけれどもこれだけは十八 年間あそこに貼られているんだ
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と私は想像しますそれを読んで みます協会の理念御霊に満たされた
協会霊に燃え種に使え生き生き としている協会協会を生み出す
協会九九匹の羊が失われた一匹 を心配する協会csから始まり十
会というんですかことぶき会に 至るまで霊を慈しみ育てていく
協会次協会のビジョン十年以内 に国協会を生み出す新しい協会
を生み出す百名以上の礼拝五十 名以上の祈祷会十名以上の蒼天
祈祷会三名以上の献身者とその サポート青年会の設立とその充実
次求霊の願い教会員未信者家族 全員の救い多くの中高大学生青年
の救いパークヒルズの開拓で伝導 文書伝導とかあるいはいろいろな
メディアを使って伝導したい青少年 向けのコンサート伝導聖火隊による
協会音楽コンサート伝導協会図書 による伝導csの部門でcs生徒から
の献身者子供聖火隊cs用テレビ ビデオcs教師の育成協会はさらに
充実した祈祷会と教会に導き活動 する蒼年会信徒は精霊に満たされ
喜び輝き捧げ祈る群れ夢を見幻 を祈る教会日々成長し天国への
道を歩むクリスチャン教会道の 建設において教会南側の土地隣接
各地門の地肉格の購入もっと大きな 防音設備付きの礼拝堂教育館と
児童館多目的室結婚式イベント ができる大きな食堂と厨房牧師館
教会墓所墓教会設備備品葬芸バス などなどこのようなたくさんの
幻が与えられたんでしょう皆さん ではないけれども誰かに与えられた
それをこういうふうにして記さ れているわけです 大事なことは
何か思うんですがこれらの全ての 幻夢がそのとおりになったか実現
したかどうかということではないん ですこれを祈り続けているのか
あるいはこれの神様が実現して くださるために取り組んでいる
のかどうかということなんですね あるいは五年十年二十年そういう
時を経ますと世の中も変わって きますので時にはこの軌道修正
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と言いましょうかここはやはり こういうふうに神様に少し修正
していただきましょうとかそういう ものをしていくというそれが大事
だと思うんですよねこの教会に 幻夢ビジョンが与えられていた
ということは本当に幸いだと思 うんですね感謝だと思うんです
これに向かって皆が一致して取組 そして祈り進んでいるかどうか
そんなことをこれを見ながら感じ たわけであります これを剥がして
捨てる者は一人もいなかったということ これは事実ですねやはり示された
幻夢それは本当に貴重なものであります し教会にとって大事なものであります
こういうものがなかったならば 教会は進めないんだということ
そのことを私たちはもう一度この パウロに示されたそのビジョン
を通して私たちはもう一度主の 前に跪いて祈っていきたいと思
うんですねそして主に期待しそして 待ち望んでそしてお祈りをして
そしてそれに取組続けていくそれこそ 諦めないでそして主の御業力
皆を信頼してそして必ずそうして くださるというその主に信頼を
おいてそうなれるようにしていく そんなことをこのパウロが見たま
によって示されたことを通して 覚えたわけであります
お祈りをいたします 天の神様あなたの皆を賛美いたします
イエス様は言われました全世界 に出て行き全てつくられたもの
に福音を述べ伝えなさい私はそこ に行ってからローマも見なければ
ならない神様今日の御言葉をもう 一度思い起こしてありがとうございます
光あれと言われたそこに光ができた とありますようにあなたのお言葉
には力がありまたあなたのお言葉 によって無から有を生み出される
お方でありますそのことを覚えて どうか私たちにもお言葉をください
そして見たまによって私たちが どこに向かって進んでいけばいい
のかを示してくださいますように そして私たちが教会を通しまた
さまざまな人の福音宣教の働き を通して救われ平安を与えられ
また天国への永遠の命の約束を いただいたそのことを多くの人
に伝えんがためにこの福音宣教 の使命を果たしていくためにどうぞ
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私たちにも夢幻ビジョンとまた 目指すべきものを示してください
ますように主耶様の尊い皆によって お祈りをいたします
アーメン