1. 名谷教会
  2. 2012/03/18:聖日礼拝(旧音源)
2012-03-18 42:23

2012/03/18:聖日礼拝(旧音源)

2012/03/18 聖日礼拝(旧音源)


00:01
ご着席ください。聖書朗読を、池田姉妹にしていただきます。
本日の聖書の箇所は、使徒の働き27章の18節から26節まで、新約聖書の285ページです。
聖書を読みいたします。使徒の働き第27章18節より。
私たちは暴風に激しく翻弄されていたので、翌日人々は積木を捨て始め、三日目には自分の手で船熊でも投げ捨てた。
太陽も星も見えない日が幾日も続き、激しい暴風が吹きまくるので、私たちが助かる最後の望みも今や断たれようとしていた。
誰も長いこと食事を取らなかったが、その時パウロが彼らの中に立って、こう言った。
皆さん、あなた方は私の忠告を聞き入れてくれてお出版しなかったら、こんな危害や損失をこむらなくて済んだのです。
しかし今お勧めします。元気を出しなさい。あなた方のうち命を失う者は一人もありません。失われるのは船だけです。
昨夜、私の主で私の仕えている神の御使いが私の前に立って、こう言いました。
恐れてはいけません、パウロ。あなたは必ずカイザルの前に立ちます。
そして神はあなたと同船している人々を見な、あなたにお与えになったのです。
ですから皆さん、元気を出しなさい。全て私に告げられた通りになると、私は神によって信じています。
私たちは必ずどこかの島に打ち上げられます。
以上です。
聖火隊の賛美、新聖火の109番を賛美していただき、続いて打ち上げた御使いより、元気を出しなさいと題してメッセージをしていただきます。
神の御使いよ、御使いよ、御使いよ御使いよ、御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ
03:20
御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ
御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ
御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ御使いよ
心をさめてさめて
日々を知りながら生きる
我らのため
06:01
おはようございます
おはようございます
皆さんお元気でしょうか
いや元気でもう3で礼拝に来られた方もいましょうし
いや実は元気がないのですと
何かで意気消沈したり
あるいは失望を覚えたり
悩み苦しみの中に
あったりしながらもなお
そこに神を求めて礼拝に行く
そういう人を神様は
歓迎してくださる
大歓迎してくださる
私たちは得てして
神様によく見せようという思いがあって
いやこんな自分では神様に会えない
もう元気がなくて
今日はもう礼拝に行くのをやめておこうと
それは全く神様の悲しまれることですね
元気のないとき
失望を楽談しているとき
そのときこそ一歩踏み出して神様を仰ぐ
これが礼拝の本当の姿であろうかと思うんですね
しかしここを出て行くときに
その人はどのように神様によって変えられていくのか
そこを神様が見ておられるんだと思うんですね
今日もこの礼拝を通して主を仰ぎたいと思います
お祈りをいたします
誠に彼は私たちの病を負い
私たちの痛みを担った
だが私たちは思った彼は罰せられ
神に討たれ苦しめられたのだと
しかし彼は私たちの背きの罪のために差し通され
私たちの戸賀のために砕かれた
彼への苦しめが私たちに平安をもたらし
彼の打ち傷によって私たちは癒された
天の神様
私たちは
樹南節蓮との中にあります
一年の中で
この時ほど主のご苦難を覚えるときはありません
日々私たちと共にいてくださり
私たちを励まし
また礼拝へと導いてくださる主は
かつて大変な苦しみをなされ
そして十字架にかかってその命をも投げ出されました
それは何故であったのか
この罪深い私を許すため
そして私の罪の身代わりとして十字架にかかってくださった
そのことのゆえであります
どうぞこのとき
あなたをもう一度覚えて
私たちが今ここにあることの幸いを感謝し
そしてまたこの喜び幸いを
多くの人々にも分かち合えるように
教会の働きそれぞれ一人一人の
宣教の働きを祝福してくださるようお願いいたします
今日もまた御言葉を通して
09:00
あなたの御心を教えていただけますように
どうぞ元気をなくしている人たちにも
今日御言葉によってそこに立ち上がることができるように
そしてまた主とともに歩くことの幸いを
それぞれが覚えることができますように
御言葉を祝福してください
今日ここに来れなかった兄弟姉妹方のことも覚えますが
どうぞその場にあって主を覚えていくことができますように
今から語ります
その御言葉の上に主が現れてくださいますよう
取り継ぐ下辺を憐れんで最後まで伴って支えてください
イエス様の尊い皆によってお祈りをいたします
アーメン
私たちは使徒行伝の二十七章
いよいよ二十七二十八で使徒の働きも終わりますが
二十七章を開けていただくと同時に
今日は皆さんの聖書の一番最後
地図がありますか
この大きな聖書であれば一番最後に地図があります
ブックオフで安いのを買うと時々地図が剥がれているのあるかもしれませんが
大抵このサイズの聖書であれば最後に地図が書かれてあります
その中に使徒パウロの第三次電動旅行とローマへの旅という
いわゆる地中海を中心にした地図があります
ここではグリーンの緑の線これがパウロたちが辿った航路であります
最近は便利になっていますから世界中どこに行くにも飛行機であります
ですから例えばこの距離でありますと
そらく2時間もあれば十分このカイザリアというところから右の方ですね
地図の右の方のカイザリアというところからイタリア
今日はこのマルタ島28章でローマに行きますがマルタ島まで
そらく1時間1時間半2時間もあれば十分飛行機で行ける距離です
しかしこの使徒の働きに現れていますこの当時
当然飛行機はありませんので船による旅です
ですから資料によりますと約3ヶ月かかったということが言われています
12:00
カイザリアからこのマルタ島までの期間3ヶ月
なぜそのような期間を要したのかあるいはその船の上海上で一体何があったのかというのがこの27章であります
まず最初にこの27章の中で彼らがどういうところを船で訪れているのか
例えば3節のところでカイザリアを出て翌日シドンに入港したそういう地名が出ていますし
4節でもキプロスの島陰を航行したあるいは5節でミラーというところに入港した
8節ではクレテ島の良い港と呼ばれるところに着いた
そういうふうにして彼らはローマに向けて出版したというそのことが書かれてあるわけです
聖書というのはその当時聖書に書かれてある地理あるいは当時の気候も今も変わりませんが
大体が砂漠地帯でありますからアラノの記事であるとかそういうのはよく見ますけれども
海での話というのはなかなか珍しいと言えます
海上での記事が書かれてあるのはこの箇所が最も多いと思います
あとはヨナ所でこのヨナがニネベに行きなさいとそこで福音を伝えなさいと言われて
彼はそこを逃れてそしてタルシシというところまで船で行ったというそういう記事はありますけれども
聖書の中でこの海の上での話というのはなかなか珍しいと言えます
さてなぜ彼らが船でローマに向かうその最中にこんなに時間がかかってしまったのか
その一つの理由が彼らは十四節のところにユーラクロンという暴風が吹き降ろしてきたというここにあるわけです
彼らがいろんなところを航海しているときにあるところに来たときにパウロは九節かなりの日数が経過しており
断食の季節もすでに過ぎていたためもう航海は危険であったのでパウロは人々に注意していた
15:03
しばらく皆さんここで留まっていましょうそしてこれ以上航海を続けると危ないということを彼は言ったんですね
皆さんこの航海ではきっと罪には船体だけではなく私たちの生命も危害と大きな損失が及ぶと私は考えます
ですからもうしばらく航海はやめましょうということを彼は言いました
しかし十一節百人隊長はパウロの言葉よりも航海士や船長の方を信用した
パウロといってもこの場合彼はいわば一衆人であります裁判のためにローマに連れて行かれるわけですから
そういうもののいうことよりもやはり知識と経験のある航海士船長の方を信用する当然といえば当然かもしれない
ところが航海を続けていくうちにやはり案の定ユーラクロンという暴風が吹いてきた
そして船は雨風に揺さぶられてそして大変な目に遭うということになったわけです
十八節私たちは暴風に激しく翻弄されていたので翌日人々は積み荷を捨て始めた
そして三日目には自分の手で船具までも投げ捨てたもうこれ以上船の航海を続けていたら転覆してしまう
ありとあらゆるものを海に投げ捨ててとにかく軽くしないといけないそういうことをした
あるいはせざるを得ないほど激しい暴風が吹いてきた
二十節太陽も星も見えない日が幾日も続きもう真っ暗なそういう雲が立ち込めている激しい暴風が吹きまくるので
私たちが助かる最後の望みも今や耐えようとしていたパウロの言うことを聞かずに
そして航海士や船長の方を信用した彼らそしていよいよもう助かる望みも耐えようとしていた
こういう事態になったときにもう一度彼らは考えさせられる私たちも考えさせられる
知識やもちろん海の知識や経験があったとしてもそれを超えるようなもうどうしようもない事態になったときに
航海士や船長たちはもうなす術もないそういうことだろうと思うんですね
18:07
本来なら航海士や船長たちがこの事態に際して出てきて皆さんと声をかけるべきでありますけれども
彼らは何のなす術もないここで登場するのがあのパウロであったわけです
最初はパウロの言ったこと何を言うかということですね何も知らない素人が何を言うかと
一周されてしまった信用されなかったそのパウロのいよいよ出る幕がここで来たわけです
パウロが立ってこう言いました皆さんあなた方は私の忠告を聞き入れてくれてを出版しなかったらこんな危害や損失をこむらなくて済んだのです
しかしあなたは私を信用しなかった パウロの中にはそれも当然だろうな
人々は私の言葉よりも その専門家である人たちのいうことを聞くの当然だろうと
私たちはここでパウロが出てきたということ
これはおそらく神様が用意なさった彼の出る幕であるということですね
私たちはいろんな生きていくその状況の中で自分の出る幕出ない幕というのがあるんだろうそう思います
それを得てして間違いやすい私たち出なくてもいい幕出る必要のない時に私たちが出てしまったり
あるいは出なければいけない自分の出る幕に出なかったりそうするわけですね
そしてパウロもそうでありました
パウロがいくら皆さんと声をかけても皆は耳を傾けなかった
その時はパウロの出る幕ではなかったわけです
しかしこの助かる最後の望みも今や絶えようとしていた
この時こそ神様が用意なさったパウロの出る幕であったわけです
そして皆さん聞いてください私を信用しなかったこともうそれはいいです済んだことです
今大事なことはそんなことではありません
今何が大事なのか今何をすべきなのか今私たちは何を求められているのか
ですから二十二節で書かれていますようにパウロは言いました
しかし今お勧めします今大事なこと今必要なことは何でしょうか
21:06
それは元気を出しなさい元気を出すことです
あなた方のうち命を失う者は一人もありません失われるのは船だけです
望みが立たれるということは罪にやそして船具をなくすことではない
その最後の望みそれは命です
命を失ったら何の徳があろうかと言われるように最後の望みその命は失うことはありませんと
パウロはここで皆さんを励ましたわけです
こんなもう風吹き荒れる中そして船が転覆しようかという
そしてもうみんながパニック状態で不安の中にいる中でパウロはなぜこんなことを言えたのか
元気を出しなさいあなた方は命を失うことはありません
彼が確信に満ちてそして自信に満ちてこう言われたのはなぜかということですね
その理由がここに書かれてあります23節
昨夜私の主で私の仕えている神の御使いが私の前に立ってこう言いました
恐れてはいけませんパウロあなたは必ずカイザルの前に立ちます
カイザルローマ皇帝ローマにいるローマ皇帝の前に立ちます
すなわちあなたはローマに行かなければならないいや行くのだ
神はあなたと同戦している人々をもうみなあなたにお与えになったのです
ですから皆さん元気を出しなさい
すでに私は私に告げられた通りになると私は神によって信じています
私たちは必ずどこかの島に打ち上げられます
どこかの島それはわからないしかし必ずや神様は私たちみんなを誰一人かけることなくその島につかせてくださいます
ずっと読んでいきますと最後の44節
こうして彼らはみな無事に陸に上がった
この陸は一体どこだろうと後でわかったことがそれが丸太島であったということですね
パウロのこの核心に満ちたその言葉の秘訣それは神様がともにいてくださるという信仰と
まさに彼のそばに神がお立ちにくださってそして神からの励ましを受けた
約束を受けたというそこにあるわけです
24:01
いくら海の知識や経験があろうとも航海士あるいは船長にはそのことがなかった
しかしパウロには万軍の使徒そして救い主なるお方がともにいてくださった
弟子たちがイエス様の弟子たちが船の中もそうでしたが
湖の上を歩いておられるイエス様を見たときにあれはイエス様に違いないということで
イエス様とペテロが声をかけたわけですね
イエス様はペテロに水の上を歩いてこちらに来なさいと言ったわけです
ペテロははいわかりましたと言って一歩二歩足を踏み出したときに
ペテロは水の上をイエス様と同じように歩いたと書いてあるわけです
ところが何歩か進んだときに水の上を見たときに彼は沈みそうになったわけですね
そこに現れているそのメッセージは
私たちがイエス様を見ている限りそれは神の世界の中に生きている
そして神様の守りと支えの中に生きていくことができる
しかしそこから目をそらして現実を見るとき
あるいは自分の恐れているものを見たりしたときに私たちは溺れそうになってしまう
パウロもおそらくこのときそうだったんだろうと思うんです
他の人たちと同じようにこの暴風に目を奪われていたならば
彼もおそらく港一緒に船諸共沈んでいったかもしれない
しかし彼は救い主なる助け主なる主を仰いで
そして神様の声をしっかりとここに聞いた
そのことを皆さんにも分かち合ったわけです
恐れてはいけませんパウロ
あなたは必ずカイザルの前に立ちます
元気を出しなさいパウロよ
そして彼らはなおもその嵐の中に過ごすことになったわけですけれども
私たちもそういうことが生きていく中であろうかと思うんですね
私がこの二十七章の図と記事を読みながら思い浮かんだ一つの賛美
27:00
賛美歌それは人生の海の嵐にというその歌であります
新生歌の二百四十八番にも載せられています
この人生の海の嵐にこの歌を私たちをもう一度かみしめたいと思うんですね
歌う用意はしてませんでしたので読むだけにしておきます
人生の海の嵐にもまれきしこの身も不思議なる神の手により命びろい死ぬ
糸静けき港につき我は今安ろう救い主イエスの手にある身はいとも安し
悲しみと罪の中により中より救われしこの身にいざないの声も魂ゆすぶることへじ
三番すさまじき罪の嵐のもてあそぶまにまに塩松はたれぞただちに逃げ込め港に
そのようにこの賛美歌を歌った作った人は書き記したわけですね
私たちの生涯この人生というものを一つの海の航海に例えることができます
私たちが生まれてそしてずっと日々生活をしている
それはある港を出てそして航海をしていく
どこに行こうとしているのかそれは当然私たちの目立つところ
それは言わずもがなでありますが私たちが今この航海を続けているその人生生涯
その生涯は海が薙ぎの時もあればこのような嵐吹く時もあるということですね
順境の時もあれば穏やかな時もあれば逆境の時もある
苦しみ悩み困難試練そういう時があるということをこの賛美歌の作者は言いたかったわけですね
人生の海の嵐に揉まれるそういう時もあります
しかしそういう時に不思議なる神の手により命拾いした
先ほどもありましたようにもう私たちは助かる最後の望みも断たれようとしていた
もうこのままでは生きていくことはできない
あるいは中にはもう命を自ら絶ってしまおうかというようなそういう時に見舞われることもある
しかし今また私は穏やかな海の中に航海を続けさせていただいている
30:07
今思うと不思議なる神の手により命拾いをさせていただいた
あの時死なないでよかった命を絶たないでよかった
今そう思えるそれは神様がその時不思議なように元気を出しなさいという言葉もそうですが
いろんな人たちの支えとあるいは祈りと導きによって
今こうして私の生涯というその航海を続けさせていただいています
それが人生の海の嵐にもまれきしこの身も不思議なる神の手により命拾いしぬ
二節悲しみと罪の中より救われしこの身に誘いの声も魂ゆすぶることへじ
悲しみ罪のそういう中にあった私を救ってくださった神様
その私が今やどうして誘いの声やあるいはサタンの誘惑悪の惑わしにゆすぶられることがあろうか
私は決してもはやゆすぶられることはない
誘いに負けることはありません
この方をこれからしっかりと仰ぎ見て歩んでいきますというこの決心あるいは誓いであろうかと思います
三節すさまじき罪の嵐のもてあそぶまにまに
潮松は垂れぞ直ちに逃げ込め港に
今なおその罪の中におられる人もいる
それを罪を罪ともわからずただ人生の海の嵐に揉まれている
もてあそばれているそういう人かつての自分がそうであった
その人はただ死を待つばかりなのか
ただ命を絶つということもさることながら魂がもう心が死んでいる
そういう状態のことも言うわけですね
そういう時にこそ直ちに逃げ込め港に
私たちが航海を続けていくその時々に寄港するその港に少し寄って休んでいく
そういう休みなしにこの長い生涯航海を続けていくことはできない
港を港に寄ってはそこで休んでいく
ですからいろんな嵐吹き荒れるそういう逆境の時
その時も私たちには逃げ込むことのできる港があるんだ
33:05
もうすぐそこに港があるそこにひとまず身を寄せよう
そこで休めばいいんだ
そのことをこの賛美は私たちに教えている
すたまじき罪の嵐のもて遊ぶ間に間に 潮松は垂れぞ
直ちに逃げ込め港に
聖書の中に彼らが八節のところで
その岸に沿って進みながらようやく良い港と呼ばれるところに着いた
良い港という名前の港があるというんです
どんな港でしょうか
私たちは想像するしかありませんが
おそらく静かな穏やかな港
どんな航海に揉まれて疲れ切ったそういう人たち船員たちも
その港に行けばそこで一休みすれば癒されるという
そういう港に行けばいいんだということを
この賛美も私たちに教えている
死を待つしかない望みを絶たれてしまったそういう者たちも
その良い港に逃げ込めばいいんだ
逃げ込むという表現がなされています
ある人たちは逃げるというのは卑怯だ弱虫だと言います
しかし決してそうではない
時には逃げないといけないそういうこともあります
あるいは逃げる方がいいんだというそういう時もあります
それは神様が与えてくださった知恵でもありましょうし
ここに言う逃げ込め港に良い港に身を潜めよ
そしてそこに癒されるまでじっとしていなさい
またそういう恵みを私たちにも与えてくださる
それが神様であります
私たちもこの人生の海の嵐を生きていく中で
さまざまな困難に出会うでしょうし
苦しみまた悩み試練に遭います
そういう中で私たちにもう一度この賛美を通して
逃げ込め港にそして糸しずけき港に着いたならば
我は今安らかである
36:01
救い主イエスの手にある身はいとも安し
この賛美歌は平安という項目の中に入れられている賛美です
人生の海の嵐にもまれきしこの身も不思議なる神の手により命広い死ぬ
糸しずけき港に着いた今私は平安です
それは救い主イエスの身手にあるからです
この私は本当に誠に安し平安です
そうこの賛美歌の作者は歌ったわけです
私たちもこの歌が本当に私の歌として
私を支える歌としてアーメンと言える歌として
心に迫ってくるときが必ずあろうかと思うんですね
今穏やかな薙のその中にいるときはこの賛美はなかなか出てきませんけれども
本当にこの苦しいとき悩むときどうぞこの賛美を口ずさんでいただけたら
そのように思います
二人の画家の卵が先生から平安というテーマで絵を描いてきなさいと言われたわけです
しばらくして二人は先生のところにその絵を持ってきました
一人の画家の卵が描いた絵
それは緑の豊かな野原が描かれている
そして柔らかな日差しが降り注いで
そしてそよ風も心地よい漂っているような
そういう光景が描かれているわけですね
そしてその野原にそれぞれが人たちがこのくつろいでいる
何ともこの穏やかな表情の人たちがそこに描かれている
もう一人の画家の卵が持ってきた絵
それは何と雨風が吹き荒れるその暴風
まさに嵐が吹き荒れるようなそういう絵が一面に描かれているわけです
それこそ向こうの海は荒れ狂うそして木の葉も全部揺れている
そして人たちももうその暴風に吹き飛ばされそうなそういう激しい雨風
39:02
嵐がそこに描かれていたわけです
しかしその絵をよく見てみますとそこに一本の木が描かれていた
さらにその木をよく見てみますとそこに鳥の巣が描かれていたわけです
さらにその巣をよく見てみますとそこに親鳥がしっかりと
しかも悠然とその雛を抱きかかえるその親鳥と
その親鳥の羽の隙間から穏やかな表情を覗かせている雛の絵が描かれてあるんですね
平安というテーマの絵としてそれは描かれている
まさにこの人生の海の嵐に記されていた
たとえどんな吹き荒れすさぶ嵐の中にあっても私は平安です
いとしずけき港に今私はいるのです
それは不思議なる神の手により命拾いしてそして救い主イエスの御手にある限り
私はたとえ嵐吹き荒れるところにいようがそのところに平安があるのです
そのことをこの画家の玉子は言いたかったんだろうと
それを絵を持って彼は表したわけです
私たちも今日パウロがローマに行くにあたってその海で大変な嵐に遭いましたが
彼は神様のお言葉を聞きました
そして今一緒に船の中にいる人たちに元気を出しなさい
なぜなら神は私たちとともにいてくださる
神は私たちを必ずどこかの島に打ち上げてくださるのですと
そう言って彼らを励ました
そのお声を私たちは今日共に聞いていきたいとそう思っております
お祈りをいたします
ですから皆さん元気を出しなさい
全て私に告げられた通りになると私は神によって信じています
天の父なる神様
今日の御言葉を感謝をいたします
私たちが恐れるとき元気をなくすとき
最後の望みをもたたれようかというようなとき
どうかこの万群の使徒
42:00
救い主、慰め主、助け主なるイエスキリストが
共にいてくださることを信じて
天を見上げて歩んでいくことができるように
私たちをお導きください
イエス様の尊い皆によってお祈りをいたします
アーメン
42:23

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