1. 名谷教会
  2. 2011/10/30:聖日礼拝(旧音源)
2011-10-30 52:11

2011/10/30:聖日礼拝(旧音源)

2011/10/30 聖日礼拝(旧音源)


00:01
御着席ください。聖書朗読を、わしを兄弟にしていただきます。
聖書の箇所は、使徒の働き15章の1節から4節まで、新約聖書の258ページです。
さて、ある人々が、ユダヤから下ってきて、兄弟たちに、モーセの監修に従って、活霊を受けなければ、あなた方は救われないと教えていた。
そして、パウロやバルナバと彼らとの間に激しい対立と論争が生じたので、パウロとバルナバとその仲間たちのうち幾人かが、この問題について人たちや長老たちと話し合うために、エルサレウムに上ることになった。
彼らは教会の人々に見送られ、フェネキアとサマリアを通る道々で、違法人の改修のことを詳しく話したので、すべての兄弟たちに大きな喜びをもたらした。
エルサレウムにつくと、彼らは教会と人たちと長老たちに迎えられ、神が彼らとともにいて行われたことを皆に報告した。以上です。
続きまして、聖火隊に賛美していただきます新聖火の263番。その後、内田先生より祝福された会議と題しましてメッセージをしていただきます。
メッセージをしていただきます。
心は深き 感謝に満ちあふれ 新たなる御音歌 常にあり
03:01
狂わしき音楽を誓うにでもて 既に導いた方へ 続きに行こう
愛の深さ 広さ 割れる川 港世の岩に 支えらる海は
広き星の花を襲うべき 狂わしき音楽を誓うにでもて 常に導いた方へ 続きに行こう
愛の深さ 広さ 割れる川 港世の岩に 支えらる海は
狂わしき音楽を誓うにでもて 常に導いた方へ 続きに行こう
愛の深さ 広さ 割れる川 港世の岩に 支えらる海は
狂わしき音楽を誓うにでもて 常に導いた方へ 続きに行こう
愛の深さ 割れる川 港世の岩に 支えらる海は
06:03
狂わしき音楽を誓うにでもて 常に導いた方へ 続きに行こう
愛の深さ 割れる川 港世の岩に 支えられる海は
狂わしき音楽を誓うにでもて 常に導いた方へ 続きに行こう
愛の深さ 割れる川 港世の岩に 支えられる海は
狂わしき音楽を誓うにでもて 常に導いた方へ 続きに行こう
愛の深さ 割れる川 港世の岩に 支えられる海は
狂わしき音楽を誓うにでもて 常に導いた方へ 続きに行こう
愛の深さ 割れる川 港世の岩に 支えられる海は
狂わしき音楽を誓うにでもて 常に導いた方へ 続きに行こう
愛の深さ 割れる川 港世の岩に 支えられる海は
狂わしき音楽を誓うにでもて 常に導いた方へ 続きに行こう
愛の深さ 割れる川 港世の岩に 支えられる海は
狂わしき音楽を誓うにでもて 常に導いた方へ 続きに行こう
愛の深さ 割れる川 港世の岩に 支えられる海は
狂わしき音楽を誓うにでもて 常に導いた方へ 続きに行こう
09:05
愛の深さ 割れる川 港世の岩に 支えられる海は
狂わしき音楽を誓うにでもて 常に導いた方へ 続きに行こう
愛の深さ 割れる川 港世の岩に 支えられる海は
狂わしき音楽を誓うにでもて 常に導いた方へ 続きに行こう
愛の深さ 割れる川 港世の岩に 支えられる海は
狂わしき音楽を誓うにでもて 常に導いた方へ 続きに行こう
愛の深さ 割れる川 港世の岩に 支えられる海は
狂わしき音楽を誓うにでもて 常に導いた方へ 続きに行こう
愛の深さ 割れる川 港世の岩に 支えられる海は
狂わしき音楽を誓うにでもて 常に導いた方へ 続きに行こう
愛の深さ 割れる川 港世の岩に 支えられる海は
狂わしき音楽を誓うにでもて 常に導いた方へ 続きに行こう
愛の深さ 割れる川 港世の岩に 支えられる海は
狂わしき音楽を誓うにでもて 常に導いた方へ 続きに行こう
愛の深さ 割れる川 港世の岩に 支えられる海は
狂わしき音楽を誓うにでもて 常に導いた方へ 続きに行こう
愛の深さ 割れる川 港世の岩に 支えられる海は
狂わしき音楽を誓うにでもて 常に導いた方へ 続きに行こう
愛の深さ 割れる川 港世の岩に 支えられる海は
12:04
狂わしき音楽を誓うにでもて 常に導いた方へ 続きに行こう
愛の深さ 割れる川 港世の岩に 支えられる海は
狂わしき音楽を誓うにでもて 常に導いた方へ 続きに行こう
愛の深さ 割れる川 港世の岩に 支えられる海は
狂わしき音楽を誓うにでもて 常に導いた方へ 続きに行こう
愛の深さ 割れる川 港世の岩に 支えられる海は
狂わしき音楽を誓うにでもて 常に導いた方へ 続きに行こう
愛の深さ 割れる川 港世の岩に 支えられる海は
狂わしき音楽を誓うにでもて 常に導いた方へ 続きに行こう
愛の深さ 割れる川 港世の岩に 支えられる海は
狂わしき音楽を誓うにでもて 常に導いた方へ 続きに行こう
愛の深さ 割れる川 港世の岩に 支えられる海は
狂わしき音楽を誓うにでもて 常に導いた方へ 続きに行こう
愛の深さ 割れる川 港世の岩に 支えられる海は
ギリシャ語を使うユダヤ人たちが ヘブル語を使うユダヤ人たちに対して苦情を申し立てた
彼らのうちのヤモメたちが 毎日の排球でなおざりにされていたからである
そういうふうに みながそれぞれの 自分の思いを主張し合う
そこに意見の対立が生じる ということですね
この意見の対立において パウロ バルナバ そして教会の人たちは
どうしたのかということですね ここが非常に大事な問題でありますし
今日二十一世紀に建てられた 私たちの教会においても非常に参考になる
そして私たちもそこから 学んでいかなければならない
15:03
そういう箇所であります
彼らは何をしたか そういう意見の対立があっても それを無視して放っておいたのか
彼らはそういうことはしませんでした
その対立を正面から受けて そしてそのまま放っておくわけにはいかないということで
二節 この問題について 使徒たちや長老たちと話し合うために
エルサレムに登ることになった
六節もそうですね そこで使徒たちと長老たちは この問題を検討するために集まった
まず大事に ここが非常に大事なところですね
一つの問題が起こる それを無視しないで この問題を真剣にみんなで話し合おう
とにかく集まって みんなでこのことを議論し合おうじゃないか
ということを彼らはしたということですね
これがいわゆる ここではエルサレム会議といわれる
教会主の中でも非常に重要な会議であったわけです
ちなみに皆さんは会議というものが好きですか
手を挙げる必要はないんですが 心の中で手を挙げていただいたらいいんですけれども
ほとんどの方が好きじゃない ということでしょうか
なぜ好きじゃないのか 当然ここにありますように
激しい対立あるいは論争 そういうイメージが強いからですね
激しいというのは何が激しいのか 内容がこみえて そしてその内容が難しいという意味なのか
あるいは激しい口調で論じ合うから そういうものになってしまうのかということですよね
私たちがこれまで経験してきた会議 ミーティングといわれるものもそうですが
会社勤めのときも あるいは小さな集いの中での会議
あるいは教会での会議 先立っても教団牧師研修会議で
もちろん交わりもあるんですが その中の大切な部分は牧師130人ほどが
一堂に会してある一つの教団組織改革のために 意見を述べ合うということですよね
そこには激しい対立論争はさすがありませんでした
18:00
なぜかといいますと牧師はもう嫌というほど
教会の会議あるいは総会というものに もうあまりいい思い出がないということなんでしょうか
この教団牧師研修会に来てまでそんなことは したないということもありますけれども
私たちが祝福されたそういう会議 あるいはミーティングを持つために
どうすればいいのかということを 一人一人が心がけて
そして今日のタイトルにあります 願わくは祝福された会議
そういうものを私たちが教会で持つことができれば またそこに私たちは力をいただいて
そして本来あるべき姿と そして私たちが本来目指すべき
そういうところに向かっていく そのための集まりであるということを私たちは知っているからです
ここで彼らは一堂に会して そしてこの会議を持ったということ
パウロやバルナバにいたしましては 彼らは既に選挙の地にあったわけですね
そして安定沖に戻っていましたけれども わざわざエルサレムにまで行って
そして彼らと論じ合ったということ これが非常に大事なことであります
なぜ私たちが会議をするのか
私たちはそのことをもう一度 ここに確認し合いたいと思うんですね
この会議というのは一堂を会して 人々が集まるんですけれども
このような礼拝ではありません
あるいは祈祷会でもない バイブルスタディでもない
要するにある一つの課題問題を提起されたもの
それに対してみんながそのことについて 意見を述べ合うということですね
みんなが同じ考えであったり意見であるならば 会議する必要はないわけです
それこそ礼拝をすればいいし 祈祷会で祈り合う
あるいはバイブルスタディで聖書を学ぶ それでいいわけですが会議というのはそうではない
そしてこの会議において 共通していることがあるとすればそれは何でしょうか
それは誰もがみんな熱い思いを持って 望んでいるということですよね
ここにありました激しい対立論争が生じているという
ここは片方の人たちは もう監修に従って滑稽を受けなければ
21:00
あなた方は救われないんだ 違法人も救われないんだという
そういう強い思いがあるわけですね
その中には違法人ももちろん救われてほしい 神様救っていただきたい
でも私たちの考えでは 彼らも滑稽を受けなければいけないんじゃないか
そういう熱い思いを持っているわけです
何とかしなければいけない 何とかしたい
かたやいやそうじゃない
後パウロバルナワあるいはペテロヤコブなどが 意見を述べますけれども
彼らは彼らでそうじゃないんだ 違法人も神様の憐れみによって救われるんだ
彼らと私たちと何の違いがあるのか というようなことで
彼らもまた熱い思いを持って この違法人の救いのために
自分たちの会議に臨み そして自分たちの意見を述べようとしているわけですね
ですから私たちが持つ集会あるいは会議ミーティング
そこに流れているものそれは神の愛 アガペですね
そしてそこに主があがめられるということ
これが何よりの最終的な目標である
教会を主にあって健全な神の都して建て上げようと
そういう思いが誰しもあるわけです
そういう熱い思いがあってのこの会議である
ですからその思いはみな一緒であります
ですから先ほども見言葉にありました
全てにおいて愛がなければ一切は虚しい無駄である
どんなに信仰があってもどんなに良い行いをしても
どんなに立派な意見を持っていても
どんなにみなが熱い思いを持って会議を臨んだとしても
そこに愛がなければアガペがなければ
それらは一切虚しい無益なのだ
ですから私たちが会議に臨むとき
そこに流れているものは神の愛そしてアガペ
もっと小さな単位で例えば家族が何か会議をしなければいけない
会議という大げさなことではなくても何か家族で
このことについてどうしても話し合わなければならない
無視できないそういうような一つの小さな単位のミーティングでありますけれども
そこにもやっぱり神様の愛があれば本当に祝福された交わり
そしてどんな困難な課題であっても
24:02
神様はこの問題を解決してください
そこには祈りと願わくは御言葉とそういうものを添えて
そしてそのことにみんなが真剣に向き合って
それを話し合うということ
そういうことが非常に大事であろうと思います
彼らはエルサレムにおいてこの違法人の滑稽について
意見を述び合ったそのことが書かれてあります
この滑稽に関しての解決はこの十五章
このエルサレム会議で見たわけであります
それは七節からのペテロの言葉にそのことが現れています
兄弟たち特に猛瀬の監修に従って滑稽を受けなければ
違法人は救われないんだと言っているそういう人たち
あなた方も同じ私たち主にあって
あがなわれた兄弟姉妹方ではないかという意味の兄弟たち
お互い意見は違うけれども同じ主の兄弟
ご存知のとおり神は初めの頃あなた方の間でことをお決めになり
違法人が私の口から福音の言葉を聞いて信じるようにされたのです
そして人の心の中を知っておられる神は
私たちに与えられたと同じように
違法人にも精霊を与えて彼らのために証しをし
私たちと彼らとに何の差別もつけず
彼らの心を信仰によって清めてくださったのです
それなのになぜ今あなた方は私たちの父祖たちも
私たちも追い切れなかった首輝きを
あの弟子たちの首にかけて神を試みようとするのです
私たちがシュイエスの恵みによって救われたことを
私たちは信じますがあの人たちもそうなのです
ですから滑稽を受けている受けていない
そんなことは問題ではない
私たちの罪のために身代わりに十字架にかかって死んでくださった
その主を心に迎えて信じて
そしてこの方の許しと愛を受けて
これから私は主と共に歩みますという
その信仰告白こそ大切なのです
いやそれさえあれば人は救われるのですと
そのようにペテロは代表して語ったわけです
この滑稽に関してのまとめはローマ日という手紙にも書かれていますので
また学ぶ機会もあろうかと思います
こういうふうにして意見の相違がありまた理解不足があり
27:01
そしてこの会議がどれほど時間がかかったでしょうか
そのことは書いてありません
会議というのは願わくは短い方がいいです
長い会議はお断りします
もちろん時間のかかることもありますが
願わくは何とかもう少し短くならないだろうか
という私たちの願いはあろうかと思うんですね
例えば月一回定例の会議ミーティングがあるとします
そのときに大抵三時間四時間ときには五時間超えることがあるわけですね
ああもう皆さん疲れてしまう
もう二時間三時間超えたら頭もぼーっとして
自分は何を言っているのかわからなくなってきたり
三欠状態になっているのかもしれません
それも仕方なければそうすることもあります
しかし願わくは月一回四時間であるならば
毎週一時間ずつを四回する
これも一つの会議の在り方ですね
毎回新鮮な思い出そして健康的にもちゃんとした状態で
そして時差を置かずに
今目の前にあるそういう課題をすぐに話し合って
そして祈っていく解決に向かっていく
やはり月の始めに起こった課題を
その次のまた一ヶ月先のミーティングで話すという
その間にどんどんことが変わっていって
みんなが集まって話し合う
そのときには全然時代が変わっていて
十分に話し合いができなかったという
そういう経験もあります
ですから私たちはこの会議というものを
もう一度見つめ直して
そしていい会議の在り方
あるいは祝福された会議の在り方というものを
この機会にもう一度私たちは考えてみるのも
一つではないかと示されているわけです
ペテロが滑稽に関して
違法人の救いに関して語りました
そうすると十二節
全会衆は沈黙してしまった
そしてバルナバとパウロが彼らを通して
神が違法人の間で行われた印と
不思議な技について話すのに耳を傾けた
後彼らは全会衆は一致を見てこういうふうにしましょう
30:00
そしてヤコブがまた代表して語り
そしてこの会議をまとめて
そして書き記したものを全教会に送りましょう
というようなことも彼らはしたわけです
二十二節
そこで使徒たちと長老たちまた全教会も
共に彼らの中から人を選んで
パウロやバルナバと一緒に安手を受け
送ることを決議した
そして託された
例えば手紙のようなものを持って
そしてこういうふうに許される会議で決まりましたので
どうぞこれを皆さんで読んで
そしてこれを一緒に守っていきましょう
そういうふうにしたわけであります
ですからこの会議は
はじめは激しい対立激しい論争
そういうところから始まりましたが
神様が祝福を与え
そして精霊が一致を与え
そして解決を見て
そしてみんながそれは良かった
私たちもそのことをもう一度覚えて
そしてこれからの教会建設においても
このことをしっかりと覚えて
励んでいきましょうという
そういうふうになったわけであります
31節に飛びますが
それを読んだ人々はその励ましによって喜んだ
ユダもシラスも預言者であったので
多くの言葉をもって兄弟たちを励まし
また力づけた
私たちが特に教会で持たれる会議
そのことの中で
私たちが今後望むにあたって
まず第一
12節にもありました
いろいろとこの論争また意見の違いがありましたが
12節のこの言葉を見てみたいと思うんです
代表してバルナバとパウロが彼らを通して
神が違法人の間で行われた印と不思議な技について話すのに
耳を傾けた
おそらく初めは
違法人もかつれを受けなければと言ってた人たち
そういう人たちも耳を傾けた
これが非常に大事なことであります
私たちが会議に臨んで
私たちがあえてしてしまうこと
それは自分の意見自分の考えを述べるということ
そしてとにかく自分の考えを
33:02
今目の前にある人たちに分かってほしい
それに終始してしまう
そして耳を傾けることをしないということですね
でもここで彼らがこの結論を見
また祝福された会議となった
その一つのきっかけはここにあったわけです
耳を傾けた
私たちがもちろん自分の思い意見
そして言いたいこと分かってほしいことをいっぱい持って会議に臨むんですが
他の人も同じようにそうなんです
その時に私はこうだいや私はこうだ私はこうだと言い合って
そして耳を傾けないならば
その会議はただの論争と対立で終わってしまう
耳を傾けるということ
これが会議を祝福されたものにする大きな秘訣なんです
私の言いたいことをまずおいて
あの人はこの人は何を考えているんだろう
なぜ私の思っていることと違うんだろう
どうぞ皆さんまず私に聞かせてください
あなたの思っていること意見を聞きますからどうぞ言ってください
お互いがそういう思いで臨む会議と
私は会議でこれを言ってやろうあれを言ってやろうこれも言ってやろう
これは私はこう言うんだああ言うんだ
そういう会議とどちらが祝福されるだろうか
耳を傾けるということ相手の意見をまず聞こう
その間に自分が言おうとしていたことに気づくことがあるかもしれない
そういうことだったのか
もうちょっとで言ってしまうところだった
ああ言わなくてよかった
そういうようなことも経験することもあるわけです
ですから聞くということが何より大切である
互いに聞き合う聞こうとする
そういうお互いであるならばきっとその会議はミーティングは祝福されるだろう
それじゃあ誰も語らなければそういう会議は成り立つのか
そうではありません
私たちは語るということにおいても
精霊の導きをいただけたらそれでいいわけです
どうぞ私が聞きますから語ってください
いやあなたこそいやいやいやあなたが先です
あなたが先です
そういう論争がまた起こったらこれはまた本末転倒になります
36:00
どうぞお先にそれじゃあ私が語らせていただきます
と言ってなかなかなかなかと独壇場になってはいけないということですね
私たちがその会議が面白くないあるいはもうやだということの一つは
ある一人の人が多く語りすぎるということがあるのではないかな
ということを私は経験しております
そういう時に議長なり司会者信仰係はそういう使命を与えられているわけです
時にはこの人は偏って話をしすぎるだからストップをかける
申し訳ない他の人も意見がありましょうから
どうぞ次の方に譲っていただけますかということをしないといけないわけですね
それが議長であり司会者信仰係に与えられたまた権限でもあるわけです
それにしっかりと従わなければいけない
またセンダッテの牧師研修会においても130人の人が
それぞれ意見を1時間2時間の間で述べられるかというとそんなことは無理なんですね
やはり少なくとも10人あるいは多くて20人ぐらいの人しか語れない
じゃあ他の人は意見を持っていないのかというとみんな持っているわけです
そういう時に教団は知恵を働かせて
それじゃあこの後あの時は3時間6人ずつのグループに分けますから
そこで皆さん自分の思い思いの意見を述べてくださいと
6人なら親しくそして1人1人が意見を言い合うことができる
ということで私たちは6人ずつのグループに分けて
きたんなく話し合うことができました
そしてそこで話し合われたものをまた代表がその場で持ち寄って
もう一度全体会議をするというようなこれも一つの知恵であります
大変恵まれた集会を持つことができた
限られた時間で多くの人が話し合うということは
本当に困難があります
その中で私たちはそのような知恵をいただくということ
私はいつも思うわけです
自分自身もこういう人の前で話すという仕事についてしまった
つきたいと思ったからついたのではなくて
神様のお導きでついてしまった
その中でいろいろ考えさせられ訓練を受け
そしてこの限られた時間で神様のメッセージを取り継ぐということ
39:02
あるいは他の場面でも皆さんに何かをわかってほしいというようなときに
いろいろと苦闘しまた訓練を受け学びもしました
その中で一つ示されたことは
私たちが学校で習った俳句和歌短歌ですね
あるいは詩そういうものを学ぶということの大切さを思わされました
私たちが同じ内容のことを百の言葉で言うのも一つです
しかしこの内容の質も全く変えずに
それを五十の言葉でいや二十の言葉で
いや五七五の言葉にまとめてそれを人々に投げかける
それだけでもそれを聞いた人は
あの人の言っていることはこんなに広く深い思いを持って語っておられるんだなということが
わかるまでに私たちはそういう学びと訓練をする必要があるのではないか
もちろんおしゃべりはいいんですね
おしゃべりはいつ時間を気にせずにお互いがおしゃべりあったらいいんですが
限られた時間の中でたくさんのいる会議で
そしてみんなが自分の思いを言い合いたい
そういうときに願わくは自分の思いをよっと凝縮して
しかもまとえた質疑なり応答なりあるいは意見を投げかけていく
そういう訓練を私たちはもう一度受け直して
そしてそのことをいつも意識しながらこのミーティングに臨む会議に臨む
教団牧師研修会のことばかりになりますが
その研修会の中で日本中に10の教区があるんですが
この教区の教区長がそれぞれの取り組みとまた現状報告をする期間があったわけですね
それも限られた時間ですから
一人の教区長に与えられている時間は5分ですというふうに最初から決められたわけです
中にはもう序論だけで3分4分言ってしまう
そしてこの教区長さんは何を言いたいんだろうか
もうそろそろ言いかけたころにチーンと鳴ります
時間ですよということですね
慌ててこの教区ではこうこうこうなんですそういうことですね
42:02
ですから5分与えられているのか
5分のうちに何をどのように語ろうかということを瞬時にそれをまとめて
そしてそれを皆さんに伝える
そんなことを一長一短できませんけれども
常にそういう意識とそういう訓練を受けていく
そのためには俳句とか短歌とか詩というものを学ぶということも非常に大事なことだろう
そう思わされます
会議それは的を得たものでなければいけない
問題は何なのかここでは滑稽の問題が課題であったわけですね
ですからこの違法人が滑稽を受けなければいけないのかということに対して
皆がそのことに集中するということ
時々脱線するということがありますね
脱線はしてもいいんですけれども
もう脱線しっぱなしでどこ行ったかわからないという
そういうことも得てしてあるものですが
少しの脱線はあっても申し訳ありません脱線しました
元に戻りますそうそう滑稽のことでしたねという
そこに戻れるようにしておかないといけないということですね
願わくは電車も会議も脱線しない方がいいです
二つ目それは真摯的な態度で臨むということですね
ここにありましたように激しい対立論争ですから
彼らは本当に熱い思いを持ってこの会議に臨んだと思うんですが
心は熱くしかし頭は冷静であるようにということなんです
真摯的な態度というふうに言いましたが
まさにそういうことだろうと思うんですね
この思いは熱いものがある
しかし語ることにおいてあるいは人の意見を聞くことにおいて
マナーをしっかりと守って
そして自分の語るべき時が来たならば語らせていただくという
そういう態度が非常に大事だということですね
心が熱いですから頭も熱くカッカッカして
時には声を荒げたりそういうことは
全く聞いている人に通じない
それはもうその人が言っている内容がどうこうよりも
その人自身がもう受け入れられなくなってしまうわけですね
そういうことがあります
ですから私たちがもちろん聞くことをまず第一にして
この人はこういう意見を持っているのか
そういう真摯的な態度
そして自分が語る番に来たときには私は語らせていただきます
皆さん私はこうこうこう思うのですといかがでしょうか
そしてきちっとルールを守って時間を守って
45:02
そしてまとえたその内容を皆さんに伝える
簡潔明瞭に伝えるということですね
そういうことが非常に大事だろう
私は思うんですがこういう会議の場にしろ
あるいは福音を伝える場にしろ
人々と接してお話をする
そういうことにおいて最も優れた人
それはイエス・キリストではなかったろうかな
そう思うんです
私たちが福音書を読んでいくときに
イエス様がどういうふうにして人々と接しまた話し合われ
そしてもちろん祈りもされましたが
人たちと接するときにイエス様ならどうされただろうか
こういうときはイエス様だったらどんなふうに言われただろうか
そういうことを思うときに私たちは
そのイエス様を参考にさせていただくということが
非常に大事なことだろうと思うんですね
イエス様はよく聞いてくださるお方でした
人に会うとあなたは私を何と思うか
イエス様はそういうふうに人々に言われたんですね
私はこうだぞ私はこうなんだ
そういうことは後回しにして
あなたは私を何と思いますか
と質問を投げかけて聞きましょう
あなたは私に何をしてほしいのですかと
イエス様は聞いてくださる
私は目が見えるようになりたいのです
ザーカイもそうだったろうと思うんですね
イエス様はただただザーカイを
お前の今思っていることをここで話しなさい
イエス様はただちっとただ合図打ちを打って
そうかそうなのかそうだったのかと聞いてくださる
そういうお方
時にはズバリ的を得たその真理を語られた
時には熱く時には優しく時には激しく
そして時には一緒に涙された
何も語らずただ悲しんでいる人のそばに行って
何か慰めてあげなければいけない何か言葉を持って
その人を励ましてあげなければいけないという
そういう場に私たちも立たされることがあります
しかしどんな言葉もむなしい時があるわけです
48:00
その時はただ何も語らずその人のそばに行って
一緒に涙するそういうことをイエス様はなさった
沈黙もまた大きなメッセージを語っている
イエス様というお方はおそらく
どんな会議の場であってもそれが小さな交わり
大群衆のいるそういうところであっても変わらずに
イエス様は神の愛を説かれたし
あるいは人々の思いを十分に汲み取るような
そういう接し方をしてくださった
そういうことを思いながら私たちもこのミーティング
あるいは会議そういうものに臨んでいきたい
おそらくイエス様の周りにいた弟子たち
彼らは若かったろうと思うんですね
そういう若い人たちがイエス様についていたということ
おそらく時にはユーモアを交えて
そしてみんなで笑ったりそういうこともなさったんだろうな
福音書にはそういうものは書かれていませんけれども
多分そうだったろうと
そうでないと若い人はついてこない
上から目線で何かを伝えよう何かを教えようとしたら
若い人たちは決してついてこない
そんなことを十分知っておられるイエス様の
人との接し方話し方そういうものを私たちも学んでいきたい
時には例えを用いて分かりやすく
日常のそういうものを用いて
これだったらわかりますよねということで語ってくださった
それならわかります
そういうふうにしてみんなイエス様の言うことを理解できた
私たちもこれから教会で持たれる会議
その会議が本当に祝福された会議であるように
そしてそこで話し合われたこと
たとえ意見の相違があってもそれはいいんです
しかし必ずやそこに三玉の一致を見て
そしてみんなが今日の話し合い集いはよかった
また励まされてそして主の教会を立て上げるためのみんなの集まり
そこに主がいて兄弟がいて
そして姉妹がいて
私たちはここからまた一致して出ていこう
そういう思いのなるもちろん多少の疲れはあるでしょう
しかし心地よいそういう疲れも覚えながら
そしてまた精霊に満たされて
この主の教会を立て上げるための技に使わされていきたい
51:04
私たちはそういう会議集会を持てるようにお祈りをいたしましょう
天の父なる神様
今日の御言葉をありがとうございます
教会は主によって贖われ
また召されて集まっている人の群れであります
時には意見の違いもあります
互いの理解不足もありましょう
そして集まって会議をしなければならない
そういうこともありますが
どうかそこに神様の愛が流れ
御霊が働いてくださり
そして精霊の一致を与えてくださるように
私たちもまたひたすら精霊の導きを求めて
祝福された会議となりますように
心からお願いをいたします
委ねて主キリストの皆によってお祈りをいたします
アーメン
52:11

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