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お祈りいたします。天の父なる神様、
みんめごめを感謝いたします。
滅ぼうべき人々を、主爺様の知事からの指導によって、
共鳴られ、救ってくださり、この天の喜びを味わうことができまして、
心から感謝いたします。
我らがいつも、主と共に歩むことができるように、
この栄光をあらわされる人生を過ごすことができるように、
助けてください。
今日の御言葉として、主の御愛を築けることができるように、
教えてください。
主の皆を褒めさせながら、主爺様の名前によってお祈りいたします。
アーメン
皆さん、おはようございます。
今日の御言葉のタイトルは、
神様はなぜ我らを愛してくださるのかというタイトルですね。
神様は、
はい、ありがとうございます。
我らを愛してくださることを知ってますけれども、
なぜ我らを愛してくださるのかということに対しては、
ちょっと難しさがあるんじゃないかと思ってますね。
もちろん、局会の進行生活が長くなっておられる方は、
答えができると思ってます。
でもね、最近局会に来られたとか、
短い経歴がある方には、
ちょっと細かい質問ではないかと思われています。
私が今皆さんのお顔を見て、ほとんどご存知する感じですね。
どなた様がこの答えをくださることができていますか?
神様がなぜ私を愛してくださるの?という答え。
はい、なるほどですね。ありがとうございます。
そうですね、神様が決まってくださること、
そうしてもいかに答えはないですか?
勇気がある方は、
もちろんご存知ますけれども、私が言ってますね。
私たちは神様の子供だからそうです。
そうですね。
自分の子供を愛さない両親は一人もないですね。
そうですね。
我らが知っているように、
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ほとんど地球の世の中で、ほとんどの全ての両親は、
自分の子供のために死ぬことができます。
子供たちは小さい時には、
そのお父さん、お母さんのご愛を築けることはできません。
でも、背がちょっと高くなって大人になれば、
自分も同じように子供さんが生まれるんですね。
その時こそ、
ああ、私のお父さん、お母さんは、
私のために死ぬこともできる方だなという感じが与えられるんです。
これが不思議な神様から流れている愛のことなんですね。
神様のご愛は、私たちのために死ぬこともできるご愛なんだなということなんです。
今日皆さんがご一緒に読みましたエベソービットの手紙の内容の中で、
密教のことを中心にしながら、
そのことを基づいて言い言葉を伝えたいと思わせています。
三説、五説、七説にある概念の中で、
霊力な祝福、
五説にある神の良い心、
七説にある密教の気による贖い、
その三つのことについて、皆さんと神様の御恵みを分かち合いたいと思っています。
神様は、私たちといつも共に生きたいという心を持っているお方なんですね。
聖書の中に記されている聖書の人物は、
全部神様と共に行く、共に歩む方でしたね。
そうじゃないですか。
イエス様も同じように、
いつも神様と共に神様の御心を願いながら、
祈りを捧げた我らのキリストですね。
ですから、創世紀の初めて出てくる話の中で、
アダムとエーヴァを神様が作られて、
共に行きたいですが、
アダムという人は、我らの先祖ですけれども、
神様の心とはちょっと違う思いをやりました。
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それが、神様はお話して、
これは食べてはいけないよ、他には食べてもいいよという話をしていたんですね。
それは、よくご存じますね。
喧悪を知る奇跡の果物。
もう一つの絵伝のその中で、
永遠に生きる命の奇跡のあったにも抑え、
我らの人間の欲望というのは、
神様になりたいという欲望に結果、
ゼミが果たされることになったんですね。
そうじゃないですか。
人間の本性というのは、
いつも、徒き神様の身心を願うことより、
自分の欲望に従いという弱さを持っている存在なんですね。
その結果、神様からエデンの園に追い出されて、
呪いを受けて苦しみ、悩んでいる生活を続けることになりました。
その箇所を少し紹介させていただきますね。
書籍3章1節から6節の言葉です。
これを全部読んだら、時間がちょっとかかりそうでしょうね。
ですから、1節からずっと画面を見せていただきますか。
1節、2節、3節、4節、5節。
ここでちょっと止まってください。
あなた方がそれを食べるその時、
あなた方の目が開け、
あなた方が神のようになり、
善悪を知るようになることを神は知っているのです。
という話は、蛇の話し方ですね。
蛇という存在は、もちろん悪魔ということは明確に言っていないことですけれども、
私たちの心では悪魔的な働きだということを言いますね。
私たちの本性の中では、いつも神様の御心を従うことより、
私たちの欲望、悪魔的な指示に従いやすいこの弱さを持っているのです。
ですから、その中で代表的な本性は、
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神様になりたいという本能、これは困るんですね。
高くなりたい、高ぶることなんです。
神様の御心を従うことなく、そのことが一番問題ではないかと思われています。
次のことは、創世紀三章十七節、十九節の御言葉を少しお読んでいただけますか。
これはちょっと長くて少しお読みで、ぜひよろしくお願いします。
ありがとうございます。
これを皆さんと一緒に分かち合いたいということは、
このエデンの園から追い出される時からこそ、我らの呪いが始まりました。
我らは、神様から祝福をいただくことではなく、呪いをいただく存在、かわいそうな存在になっていることなんですね。
皆さん、今日皆さんがお読んでくださったエペソビトの手紙の中で、三節のところで、霊的な祝福、霊的な祝福が何でしょうか。
霊的な祝福は、我らがエデンの園に追い取って神様と共に生きるこの祝福を意味するのです。
我らが今は、イエス様を信じて天国に行く存在になって、皆さんと私は全部天国に行きますね。
我らはその霊的な祝福を回復された存在なんです。天国に行けば、その霊的な祝福を全部回復されて、主が下さった祝福を味わうことができる存在なんですね。
そのことを、ローマ人への手紙14章の7節に、このように書かれています。
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その神の国というのは、義と平和、そして精霊から味わう喜びなんだということが記録されています。
飲むこと、食いことではなくて、神様から共に生きている結果になっている義、そして平和、そして精霊からの喜びなんですね。
そのことが、今日皆さんと一緒に読みましたイベントビットへの第一の大切な概念ですね。
そのことを覚えて、皆さんのことを少し考えてください。
今私は本当にその喜び、義、平和を味わうことができるか、ということを覚えてください。
実際、私はこのことが一番難しいことだったんです。
高校生の時代、学生会の会長も役割もとって熱心に信仰生活をしたのに、私の頭にはいつも一つの解決できない質問がありました。
天国が何をするところ?天国にいたら何をする?ということでした。
高校生時代、これは難しい問題だったんですね。
でもこれ、難しい問題が私に解決された時があったので、それは私の理解証ですので、どうぞ聞いていただけますか。
私は世の中で成功したい心を持ってビジネスを始めました。
初めては上手くてお金も儲けることもできましたが、韓国の1997年のINF時代、皆さんはよく知らないかもしれませんが、韓国の方はよく知っています。
国家が倒産される、経済がめちゃくちゃ破れる時代だったんですね。
その時、私の実際にビジネスも失敗になって、神様にもう一度、先祖になって祈りしました。
初めては、神様、このビジネスを回復してください、助けてくださいという祈りだったのに、だんだん神様に減り下って、私の善意を引きかされ、
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神様、このような悪いものが許されることができますか?私は天国に生きる自信もないんです。どうしましょうか?
神様、助けてください、教えてください、この邪魅力をお許しくださいという祈りになったのですね。
その時、神様が私に下さいました御言葉は、マタイによる福音書、九章の十三節の御言葉でした。
神様が我らに話している、私が来たのは、自信を招くためではなく、邪魅人を招くためである。
その時、その日、私はものすごく喜んで、悔いあらための涙をぼろぼろ流しながら、神様に感謝の祈りを捧げました。
わかりました、神様。私のような邪魅人のために来てくださった御方ですね。ありがとうございますと、祈りを何時間も続けて、祈りを長きました。
その結果、私は、ああ、私ははっきり天国に生きるものになったという感じが与えられました。
その後、私の心で外に出て行こうかという思いが出しまして、外に出て行ってみると、真っ白の太陽の光が眩しくほどテカテカして、
私の足先はまるで綿毛のように軽くなって、雲の上に乗らせている気持ちだったですね。どんどん飛んでいく気持ち。
そして、そばにある花壇から花の香りが私に話したです。ものすごく喜んで感謝して、これなんだ、これが天国の喜びなんだという告白を神様に捧げることができました。
このことから私は今まで天国の喜びを称えるために、神様は私のような罪人を救うために来てくださった、クリストであることを明かしするために私は住んできました。感謝ですね。
天国の喜びはそうなんです。表現的な喜び。その喜びがあれば、地上のすべての苦しみ、悩み、悲しみが全部なくなって、天から味わうことができる喜びを、祝福を回復させられることができます。
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これができれば、人生のすべてのことは表裏のことになります。難しさがありますね。時々つまづかせることもありますね。我らが失敗することもありますね。
人間関係、経済のこと、健康の問題。でもね、天国の喜びの前でこれは本当に軽しくなって、もうすぐ回復されることができます。これこそ天国の喜びなんですね。アメン。
次のことを少し考えましょうか。神様の御心ということに対して考えたいんですね。神様の御心が何ていうかと聖書に書かれています。
古訳聖書には三箇所、六章も八節にこのように書かれています。
主はあなたに指定られた人よ。何が良いことなのか。主は何をあなたに求めておられるのか。それは、ただ講義を行い、誠実を愛し、照り下であなたの神と共に歩むことではないか。
そうなんですね。神様と共に歩むこと。まず講義を行い、誠実を愛し。その誠実はとても難しい概念ですが、これは後語訳とか進行訳、行動訳には御御心を愛しと書かれています。
同じ日暮語で出てくる意味ですからいいですね。御御心を愛しというのはもっと理解しやすいことでしょう。神様と共に歩むこと。これは神様の御心なんです。正義のことは神学の聖書にあるヨハネによる福音書、六章の四十節の御言葉です。
私の父の御心は、こう見て信じる者が皆永遠の命を持つことです。私はその人たちを一人一人終わりの日によみかえらせます。
そうなんですね。聖書からヨハネの四十節まで全部書かれている内容は神様が我々と共に歩んで天国に行ってくることなんです。これが神様の御心なんです。
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そばに座っている方に挨拶しましょうか。神様はあなたを愛しますよ。挨拶しましょうか。
そうなんです。これが神様の御心なんです。この御心、神様の御心はいつも共に歩みたい。この神様の御心。これこそが神様の御心ですね。
最後のことですけれども、神様が私たちにくださる喜びは、七節のエベソビトへの手紙、一章、七節をもう一度登場よろしくお願いします。
エベソビトへの手紙、一章の七節のところですね。
ありがとうございます。この方にあって私たちはその地による贖い、罪の許しを受けています。これは神の豊かな恵みによることです。
アメン。
この贖いのために私たちがこっちに座っていますね。
これがどういうものかというと、私はこの日本に来るとき、河野義人先生、よくご存じますね。
キリスト教団の諸会として、今も大変活躍されているお方、私は本当に尊敬しているお方ですね。
その先生のメッセージの中で、この話をしたことがありますね。
その先生は、私の教会の神父さんの子供さんの中に、このような質問をしたものがあります。
その子供が自分のお父さんにその質問をしたんですよね。
その質問は、「お父さん、私が死ぬときお父さんはどうするでしょう?悲しむでしょう?喜ぶでしょう?」という質問でしたね。
すると、そのお父さんがちょっとびっくりして、「なんでその質問をするの?当然に子供が死んで喜ぶお父さんがあるでしょう?これはありえないことよ。私は本当に悲しむでしょう?」という話をしたんですね。
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そうすると、その子供さんが、「でもね、お父さん、家様が死なれるとき、お父さんも本当に悩んだでしょう?」という話でしたね。
私もその話を聞いて、びっくりしました。その信仰心の深い子供さんがこの日本にあることを見て、日本の人材は期待が大きくなると、ビジョンがあると考えていましたね。
今はその子供さんがどのように成長されたかよく知らないですけれども、その印象は記憶に残っていますね。
家様が死ぬことは、神様が一番大切される一人子を我らのためにくださったんですね。
自分の一人子を私たちの住みのために見代わりになってくださるほど、すべてのことを惜しまなく我らにくださった神様のご愛です。
これが神様の贖いですね。
私たちのすべての呪い、すべての罪、すべての問題を全部解決して、私たちが永遠の命を得ることができている種の贖いなんですね。
その家様の求実家の働きを少し考えたいというところがあります。
家様が求実家に賭けられる前、ローマの兵士が苦味に混ぜた葡萄酒を絶対と覚えていますか?
その時、家様は拒みました。
いや、これはどういう意味かというと、苦味を混ぜた葡萄酒は抹水ができる、苦痛を感じない抹水剤の業があるものなんですね。
ですから、求実家がものすごく惨残な刑罰ですから、死刑の形ですから、葡萄の中で苦しむのでしょうね。
ですから、ひとつのサービスのことでローマの兵士が渡したのに、家様がこれまでこれもさえ拒むなって、私たちのすべての苦痛も悩みも全部背負ったことなんです。
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これが、家様の求実家のご愛ですね。
この家様の求実家の心、これは神様のご愛、神様の御心なんです。
この神様のご愛を説明している聖書がありますね。
イーサヤ書43章の5節のところです。
みなさんがよくご存じますけれども、もう一度、今日、鏡にさせていただきたいんです。
お読みしましょうか。
これは、みなさんが大声で一緒に、ご一緒にお読みましょうか。
3杯
しかし、彼は私たちの背負いの罪のために差し通され、私たちの戸賀のために砕かれた。
彼への苦しみが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって私たちは癒された。
アーメン
これが、神様のご愛、御心なんですね。
これが、私たちのプリチャンの祝福です。
すべての戸賀、罪、すべての苦しみが癒され、亡くなったですね。
これこそ、神様のご愛なんです。
聖書の中で、弱音の手紙1章、4章、9節にこの話が、この御言葉が書かれています。
神はこの一人子を世に使わし、その方によって私たちに命を得させて下さいました。
ここに、神の愛が私たちに示されたのです。
アーメン
神様の御心を成し遂げるために、自分の命をさえ捨てて下さった主耶様の主人。
これができれば、私たちの人生も力強いキリスト社の人生を過ごすことができると思わされています。
皆さん、神様は私たちをこのように愛して下さったお方ですね。
そのことを、私たち一人だけが味わうことになることは嫌です。
その神様のご愛を隣人に捧げることが、神様の御心なんです。
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アーメン
皆さんは日本のクリスタンですから、一人でちょっと教会生活をされる方が多いことを私は知っています。
韓国は死なないですけれども、本当にすみませんですけれども、自分が救われるとき、この救いを家族が全部味わうために熱心に祈って全部しますね。
これが神様の御心なんです。
神様は、耶様を信じる人が一人も滅びないで、永遠の命を得ることができるように願っておられます。
私一人ごとではなく、私の家族、私の兄弟、隣人、隣人、人々に耶様のご愛を伝えることが神様の御心なんです。
私の家族は、私の上にある兄弟の中で、姉一人が私の両親、私の兄弟、全部全部して、二十二名が、耶様を信じる家族になりました。
皆さん一人が、その神様の御心をよくつけることができれば、このこともできます。
シュウイエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。
ということが、神様の御心ですからです。
アメン、今日の神様の御愛を覚えて、今年、本当に神様の御心を覚えながら、神様の愛を伝えるものとなればいいだろうと思われています。
この宮谷教会は本当に良い教会ですよね。
ユンソノ先生、私は心の中で尊敬しています。
スウェーロ教会で福徳寺として御家族が献身して、この日本にもいろんな立派なことで献身しておられる先生ですね。
その先生も立派ですけれども、皆さんもそういう御心を持って、韓国の先生を尊敬しながら愛してくださることを覚えて感謝いたします。
私のような足りないものも今日招いてくださり、この御言葉を分かち合うことができたのを覚えて感謝いたします。
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続きまして、この良い教会がこの日本で、世界の中で主の御愛を伝える立派な教会となりますようによろしくお願いいたします。
ありがとうございます。では短くお祈りいたします。