00:01
ご着席ください。
施請書朗読をしていただきます。
施請書の箇所は、⑤⑥⑦⑦⑩⑧…⑩⑩⑪⑪⑪。
浦田 恵、御姉妹に朗読をしていただきます。
では、お読み出します。
朝早く通りがかりにみると、一軸の木が根まで枯れていた。
ペテロは思い出してイエスに言った 先生ご覧なさいあなたの呪われた一軸の木が枯れました
イエスは答えて言われた 神を信じなさい
誠にあなた方に告げます誰でもこの山に向かって 動いて海に入れと言って心の中で疑わず
ただ自分の言った通りになると信じるなら その通りになります
だからあなた方に言うのです 祈って求めるものは何でもすぐに受けたいと信じなさい
そうすればその通りになります また立って祈っているとき誰かに対して恨み事があったら許してやりなさい
そうすれば天におられるあなた方の父もあなた方の罪を許してくださいます 以上です
聖歌隊に新聖歌279番を賛美していただくな
生まれた日々 誰にもかよ
嬉しき時に 誰に償うべき
詩を詩を 詩詩を 詩を詩を 罠と罠と罠と罠と罠
03:44
愛の遺産地を生かすわ 種族
それとも罪に染み込むわ
ひかりそばに 近づくべき
みぐるしこいで ひぼるしぼれ
わたしを見てる ほら 種族
さやまにきこ ひかりてにこ
うすぎは ひびく
06:42
愛しする尊い天皇お父様
あなたの御前にこの朝も礼拝を捧げることができますことを心からありがとうございます
今日は明太に教会においてこのようにしてあなたの皆を褒めたたえるときを与えて下さいまして心からありがとうございます
小さきもののお証をさせていただきますが
あなたがこのものを隠してあなたご自身が語って下さいますように
証の礼を注いで下さいますようにお願いをいたします
これからのひとときをすべてあなたの身手に委ねてイエス様のお名前によってお祈りいたします
ではお証をさせていただきます
自己紹介とともにお証をさせていただきます
私は1955年生まれです九州の佐賀で生まれました
私はクリスチャンホームに育ったわけではありませんでして
5人家族の普通の家庭でした
父はお店をやっていました
飯を作る仕事で
インパン店と言いますけれども
飯小屋さんでした
そして私が高校1年生のときに
そのお店に近くのクリスチャンの方が
一枚の特典の案内のチラシを持ってきて下さいました
そしてそのチラシを見て
父が教会に行ってみようかと言い出して
そして子どもたちも連れて
そのとき母は行かなかったんですけれども
近くのインマヌエル佐賀キリスト教会へ初めて行きました
もう教会に行くとき本当にどんな教会かなって期待していたんですけれども
本当に小さな普通の民家を改造したような教会でした
ですけれどもそのところで本当に暖かく私たちを迎えてくださって
そして神様の言葉が語られ
賛美歌を歌いました
そのときのことをすごくよく覚えています
けれども心の中は
神様を信じるなんて弱い人がすることじゃないのかなとか
いろんな思いを持っていてなかなか心を開くことができませんでした
ですけれども父と妹はその後熱心に教会に通いましたから
09:02
救われてクリスチャンになりました
でも私は本当に堅くなな思いを持っていて
なかなか神様を受け入れようとしませんでした
あるとき教会にちょっとだけ遊びに行ったことがあって
そのときに教会の先生が
人は皆罪人なんですよ
あなたも自分の悪いと思ったことを紙に書いて持ってらっしゃい
それでお祈りしてあげますよって言われました
それで私は家に帰って
自分のしてきた悪いことを紙に書き出しました
近所のちっちゃい子をいじめてしまったとか
お母さんやお父さんの言うことを聞かなかったとか
信号を無視して渡っちゃったとか
なんかいろんなことをずっと教会で
競合大喧嘩をしたとかっていろんなことを書き出しました
そしてその悪いことって自分が思ったことを全部書き出して
それをもう一回読み出したときに
読み返したときに
あれ?これってみんなやってることではない?
なんで私だけ責められなくてはいけないの?
なんでこのことを神様の前にごめんなさいって言わなくてはいけないのか?
っていうそのような思いがしてきて
そして本当に怒りさえ出てきて
その書いた紙をぐるぐるっと丸めてゴミ箱にポンって捨てて
もう教会行かないって
そういうふうに固くななものでした
そういう私でしたけれども
父が熱心に教会に行き始め
また熱心に伝道会に誘い始めました
それで私はしぶしぶ伝道会に行っておりました
ですけれども本当に伝道会で賛美を歌ったり
また温かく迎えてくださるっていうことに
なんとなく後ろめたいような
こんなもののために祈ってくださっているんだっていう
そういう思いを持っておりました
ですけれども本当に固くなり
神様のことなんか信じないっていうふうに思っていました
そんなものでした
そして私は短大に行って
またそれから幼稚園に勤め始めました
幼稚園に勤め始めて1年目の頃でした
あるとき父が私は夕飯の手伝いをしていたときに
お箸を並べて拝善を手伝っておりました
すると父が
お前はいつも自分の箸から並べるなと言ったんです
本当に私は自分のことをまず先にするというような
本当に自分勝手なものでした
自分ってこんなに自分勝手なものなんだって
そのときに気がつかされました
そして特別伝道会があって
そのときに神様を信じないことが
罪なんだっていうことを示されました
そうだ私は神様を信じようとしていない
とんでもない罪人なんだっていうことがはっきりと分かりました
そして神様の前に悔い改めをさせていただいて
12:01
お言葉をいただいて救いの恵みに預かりました
1975年のことでした
そのお言葉はもし私たちが自分の罪を言い表すなら
神は真実で正しい方ですから
その罪を許し全ての悪から私たちを清めてくださいます
このお言葉に立って救いの救われて
本当に教会の生活をするようになりました
ですけれども私を熱心に誘ってくれていた父は
その頃も具合が悪くなっておりまして
そして私が救われて1ヶ月半ぐらいで
父は天に召されました
水像眼でした
その時も本当に御言葉が与えられて励まされて
そして本当に父の死を乗り越えることができました
神を愛する人々すなわち神の御計画に従って召された人々のためには
神が全てのことを働かせて益としてくださることを
私たちは知っています
このお言葉によって支えられました
そしてその後25歳の時結婚に導かれて
静岡県の岩田に参りました
そして岩田で30年ほど教会生活をしておりました
そして私は主人と結婚して4人の子供を育てました
そして結婚して2年目ぐらいに
主人が吉野建設を始めることにしました
その吉野建設というのを始めるきっかけは
教会が小さな教会でして
街道を建てる必要を覚えて祈り始めていたころでした
ですので私たちはサラリーで捧げるのでは
本当にわずかしか捧げることができない
だったら会社を起こして
そして多くを神様にお捧げしたいと
そのような思いを与えられて
そして会社を起こしました
私は子育てをしながら事務仕事を手伝ってきました
それでも初めのころは現場に出ることもありました
子供をおんぶして資材の片付けをしたり
お掃除をしたり
また夜コンクリートを鳴らすために
このライトを上げたりとか
そんな仕事も手伝ったりしました
吉野建設は吉明の一生の旧説の言葉に立って
恐るるなかれおののくなかれと
常に励ましてくださる神様を仰いで歩んでいきました
社長はイエス様
私たちはただ従うだけですと
祈りながら戦ってきました
そして市や県の発注する仕事も与えられてきました
しかし信仰をもって民間に移行することにしました
15:02
祈って営業し
そして商談がまとまると
神様ありがとうございますと感謝する日々でした
そして本当に会社は順調に成長していきました
そのような中で私はさまざまな会社の問題や課題や
いろんなことの中で
イエス様だけが頼るべきお方だ
他には頼れない
そして人の中にはいいものを見出すことができないんだと
ほんとに他の人
他の人々をさばいたり
また批判をしたり
あの人この仕事もできない
こんなこともできないんだ
そういうさばく思いがありました
そういう自分の中に
神様は語りかけてくださって
私の中にこそ本当に良いものを見出すことのできない
そのようなものだということを
神様は示してくださいました
私は人をさばいていた
けれども私も本当にさばくようなものではない
このようなものこそ本当に神様のあがないによって
ただ救われただけの罪人なんだということをはっきりと示されて
悔い改めの祈りをさせていただきました
2007年1月のことでした
それから私の信仰生活は変えられました
ちょうどそのような時に
千葉から沢城忠一先生と牧場先生が
岩田教会に赴任されて
そして信仰の面でも良きご指導をいただきました
そして教会中心の生活を楽しむようになりました
街道掃除やさまざまな奉仕
また伝道会でのお明かしとか
それからさまざまになさなければならないご奉仕を
積極的にさせていただき
また喜んでそれをさせていただくようになりました
信仰の友も与えられて
双天祈祷会にも励みました
主に近づけば近づくほど
こんな罪人が贖われて
そして本当に罪許されて
神の子にされているんだということを
本当に感謝して
そのような歩みをさせていただきました
聖なる神様
術を収めておられる神様は
私の心を全く収めてくださいました
そして聖霊様の声を聞き分けたい
もっと神様のことを教えてほしい
と思うようになりました
霊的なことをわきまえた
そのようなものになりたいという思いが与えられて
祈っておりました
私の言葉と私の心の思いとが
御前に受け入れられますように
我が威は我が贖い主よ
このお言葉によって
神様どんなことでもさせてください
御心にかなうものとさせてくださいと
祈っていくうちに
一つの言葉が与えられました
18:00
それはヨハネの1章の51節の言葉です
あなたはそれよりもさらに大きなことを
見ることになりますというお言葉でした
またイザヤ書の中から43章の21節
私のために作ったこの民は
私の栄誉を述べ伝えよう
との御言葉をいただきました
主は何を成してくださるだろうと期待を持ちつつ
塩屋聖会に初めて行く機会が与えられました
それはちょうど沢城忠一先生が
塩屋聖会で講師として招かれなさったので
私たちもついていこうという軽い気持ちで
塩屋聖会に行きました
ですけれどもそのところで
ピリピショの言葉が開かれ
生きるにも死ぬにも私の身によって
キリストがあがめられることです
というお言葉をいただいて
己に死ぬという献身の決意をさせていただきました
そして最後の選挙会において
あなたもブドウ畑へと
招きの声を聞いたときに
私は思わず立ち上がってしまいました
立ち上がってすぐに
電動職だよどうするのって
そういう思いで恐れ覚えました
その時に神様がすぐ私に
私がする、私が使わす、私がすることだよ
って語ってくださったんです
それで私は
あ、私が何かするのではない
神様が私を使ってしてくださるんだという思いを持って
神様よろしくお願いします
とお祈りを捧げさせていただきました
そしてしおやから帰って
本当にこの証明が本当のことなのか
主のお声なのか
それともただ自分の思いだけなのか
確認するためにお祈りし
御言葉を待ち望みました
そして次々とお言葉が与えられました
ヨハネの6章の27節に
食物のためではなく
いつまでも保ち
永遠の命に至る食物のために
働きなさいというこのお言葉をいただいて
聖書のお言葉は確かに
学面通り受け取るべきことだということが
礼拝ごとに語られておりましたから
このお言葉に命がある
そうだ、受け取らせていただこうと
翌年の2010年5月のしおや生会において
当然のこととして平安のうちに
伝道者となるべき証明の表明をいたしました
空の器であることをわきまえて
そのままの自分を差し出しました
私は30年ほど
仕事、家庭建設、また信仰生活において
本当に未熟なものでした
しかし神様は忍耐強く待っていてくださいました
私は主のために何かすることはできません
もうこの通りですから
しかし主は私を愛してくださっています
21:01
そして私の心の中に確かに生きて働いておられ
そして喜びと平安を与えてくださる主だ
ということを本当にお伝えしたいと思っています
そして成し得る限りのことをさせていただいて
主の器となりたいと願っております
私は今関西聖書新学校で学ばせていただいています
主人は男子寮で私は女子寮です
2人揃って研修をさせていただき
そして学校ではそれぞれ別れての生活ですけれども
学びは一つ同じ教室で学びをさせていただいております
寮が別れているというのは
それだけ神様に個人的に向き合うことができるということを
本当に心から感謝しております
そして学校の教室の中では
一緒に同じ学びをさせていただいているということを思うときに
本当にこのことも感謝だなと思っています
しかし本当に周りの方は若い方々ばかりですので
本当に勉強についていくのは大変です
ですけれども本当に楽しんで学ばせていただいております
私は本当に小さい時から本当に消極的で臆病で
本当に人の影に隠れるようなそのようなものでした
ですけれども
イエス・キリスト様のその十字架の愛が私を変えました
そしてイエス様の愛をお伝えしたい
お伝えするものとさせていただきたいと
本当にこのようなものとして
今ここに立たせていただいております
なおこのような小さきもののためにお祈りください
では一言私お祈りいたします
愛しする尊い天皇お父様
このような小さきものをここまで守ってくださって
このような小さなそして本当に罪人であった
このようなものを哀れんで
新学校での学びをさせていただき
あなたをお伝えするものとして
整え訓練をさせていただいていることを心からありがとうございます
今日はこのようにしてこの教会におきまして
お明かしをさせていただきましたが
どうぞ私の証を聞いたお一人お一人の心のうちに
なお主御自身がお語りくださいまして
献身の思いを与えてくださり
そして本当に神様あなたに喜んでお使いする器となられますように
祝福を注いでくださいますことをお祈りいたします
感謝をしてイエス様のお名前によってお祈りいたします
アーメン
ありがとうございました
では神を信じなさいと題して
内田先生より本庁のメッセージをいただきます
皆さんおはようございます
それでは見言葉をいただきます
その前に一言お祈りをさせていただきます
恵み深い天の父なる神様
今日もあなたはここにともにいて生きておられるお方であることを覚え
24:04
皆を崇めます
幸いなお証を聞き
改めてあなたの恵みを心から感謝をいたします
あなたは罪人をあがなうためにイエス様を送ってくださり
また私たちも信仰によって救いをいただいたことを覚えて
皆を崇めます
私たちには思いもつかないことが起こり
そして罪人が変えられて神のものとされるという
この大きなる神の技が表されたことを覚えて感謝をし
皆を崇めます
どうぞこれからもあなたは変わらないお方として
一人一人に語ってくださり
また教会を通しまた主の働きを通して救われる方が起こされますように
また新学校のためにも祈ります
主の働き人として今学びと訓練を受けられておられる学生の一人一人を
主をどうぞあなたがこれからも支えて
そしてやがての時またその現場へと使わせてくださって
そこで御言葉を語りそしてまた教会を僕するものとしてくださるように
またそのために教授してくださる先生方
あるいは教会のために奉仕してくださる
目には見えませんけれども
そこで働いておられる一人一人をなおもあなたが支えて
この新学校を支え
また福音仙教の基地としてのその働きが全うされるように
これからも導き支えてくださるようお願いいたします
今日もまた御言葉が全ての教会において語られています
今日用意されているその御言葉を語らせていただきますが
どうぞこの下部を哀れんで最後まで支えてくださるように
御言葉だけがお一人お一人の上にとどまりますように
委ねて主キリストの皆によってお祈りいたします
アーメン
幸いなお明かしを感謝いたします
こうして新学生の方がキャンプにも来てくださったり
こうして明かしのときに語ってくださったりして本当に感謝をいたします
私自身も新学生の頃がありました
やはりこうして新学生の方と触れさせていただくときに
何か新鮮な思いをもう一度覚えて
そしてまた新たに献身をさせていただけるような
そういう思いをしております
私も新学校の時代がありまして
そしてあれから十数年たちます
27:03
かなり鮮度が落ちたように感じますが
消費期限まではまだ少しあろうかと思うので
そのときまで旬に使いさせていただきたいなと
そのように思った次第であります
今日の御言葉
マルコヌイフ文書十一章の二十節から二十五節を読んでいただきました
私たちはよく基本に忠実でありなさいとか
基本に帰りなさいとかそういうことをよく言いますし
特にスポーツとしていました
クラブ活動でもそういうことがありました
信仰も同じだと思うんですね
私たちが日ごろ信仰生活をしているときに
どんどん信仰が成長していきます
しかし時として行き詰まりを覚えたりすることもあります
スランプの時もあります
そういうときにその基本に帰りなさいという
そんなことも示されるわけですね
イエス様が言われた神を信じなさい
本当にシンプルでストレートなお言葉ですけれども
これが何よりの信仰の基礎であり
これをなくして私たちの信仰はないのだということを
もう一度改めて覚えるわけでありますし
青和菓子の中にもそのことが語られていました
そのことをもう一度きょう覚えさせていただきたいと思うんです
二十節から二十一節二節そのあたりに
この一軸の記のことが出ております
これは十二節から十四節の言葉を
まず読んでおいた方がいいと思うんですね
マルコの福音書十一章の十二節から
翌日彼らがベタニアを出たときイエスは空腹を覚えられた
葉の茂った一軸の木が遠くに見えたので
それに何かありはしないかと見に行かれたが
そこに来ると葉の他は何もないのに気づかれた
一軸の成る季節ではなかったからである
イエスはその木に向かって言われた
今後いつまでも誰もお前の実を食べることのないように
弟子たちはこれを聞いていた
それから宮での話がありまして
それは先週語りましたが
そして二十節朝早く通りがかりに見ると
あの一軸の木が目まで枯れていた
ペテロは思い出してイエスに言った
30:01
先生ごらんなさいあなたの呪われた一軸の木が枯れました
イエスは答えて言われた神を信じなさい
イエス様が一軸の木をご覧になって
葉は確かに豊かに茂っているが
実が成っていないということをご覧になったわけですね
もちろん実の成らない季節であったということもあるんですが
たとえ実の成る季節が来たとしても
この一軸の木は決して実を成らすことはないだろう
そのような予言を出されたわけですね
そして翌朝早くそこを通りがかると
一軸の木が根元まで枯れていた
この一軸というのは当時イスラエルの地では
イスラエルを象徴する木であったということで
イエス様はエルサレムを一軸になぞらえて
エルサレムに対する失望と楽嘆
そしてまた警告を表しなさったわけですね
一軸の木はなるほど葉が豊かに茂っている
しかし実が成っていない
エルサレムも当時そうでした
外見はとにかく栄えておって
しかし実霊的には衰えて
そして見た目の実は全くなしてはいなかった
素晴らしい神殿とそして強大な宗教勢力があって
そして儀式が盛んに行われていた
そして巡礼者も国内国外からも来て
そしてにぎわっていた
しかし彼らの神への真実の信仰
それがなかった
あるいは弱い人たちへのそういう配慮にも欠けておった
そういうことをイエス様はここで表しなさったわけですね
神を愛し隣人を愛しなさいという
その戒めがないがしろにされておった
そのことを一軸になぞらえておっしゃったわけです
そして十四節
イエスはその木に向かって言われた
今後いつまでも誰もお前の実を食べることのないように
これはイエス様の生きどおりもありましょうが
この神の裁きを受けるそのエルサレムを哀れんで
そのような言葉を発せられた
嘆きの言葉でもあろうかと思われるわけです
33:01
翼長その一軸の木を見ると根元まで枯れていた
ペテロはびっくりしたわけです
そういえばイエス様がその一軸の木を呪われた
そのおっしゃった通りになっている
そのことをペテロが気づいたことを見て
イエスは答えて言われた
神を信じなさい
そして続いて二十三節
心の中で謳わずただ自分の言った通りになると信じるならその通りになる
イエス様はまさにこの一軸の木は
あるいはエルサレムはそのようになるのだ
そうなってはほしくはないけれども
エルサレムは今やそういうところに来てしまっている
そしてそのようになってしまっているんだ
その一軸の木を通してイエス様は
この神の裁きを受けるエルサレムの姿を見せて
そしてお前たちはそうであってはならないんだ
弟子たちにそのことを教えなさったわけですね
お前たちはパリ裁備と最主張立法学者たちのようになってはいけない
外見だけをつくろって形式だけの儀式を行っていればいいんだ
立法さえ守っておればいいのだというのであるならば
この一軸の木のように実もなさずそして根元まで枯れてしまうであろうと
それを弟子たちにイエス様は教えなさったわけですし
また私たちにもそのことを今日語っていてくださるんだと信じます
もう一つイエス様がここで私たちにも教えてくださっている
それでは実のなる一軸とはどういうものでしょうか
それはここにありますごとく二十二節
神を信じなさいこれに尽きるのだ
これがなくて決して実を結ぶことはない
これが私たちの信仰の基本でありますし
案外こういうことが私たちは時として忘れてしまう
もう一度私たちはこのことを確信確認しておきたいと思うんですね
神を信じなさい私たちは信じます
何を信じるのかあのことを信じます誰かを信じますまた自分を信じます
それもいいでしょうでもイエス様はもう一度私たちの信仰の基本である
36:02
神を信じなさい天地万物を創造なさり私たちをつくりそして
私たちの救いのためにイエス様を送ってくださったそして私たちがどこにいようとも
精霊がともにいてくださるこの三密体の神その神を信じなさい
そしてもう一つのことはその神を信じるということですね
信じるということにおいてこの私たちの信仰は成り立っているのだ
そのことをもう一度確認しておきたいと思います
そしてイエス様はさらにその信仰それは山をも動かすことのできる
力のあるものだということを改めて教えなさったわけですね
信仰によるその確信神を信じることによって私たちが確信が与えられる
そしてその信じてそれを願いそれに向かっていくときにそのことは現実となるのだ
実がなるのだということをイエス様は弟子たちにそして今日の私たちに教えてくださっている
ですから信仰とは望んでいることからを確信しまだ見ていない事実を確認することである
神を信じてそしてそれに委ねて私たちが進んでいくときに私たちの祈りと信仰の中にはもうそれが見えている
もうそれはなっているというその確信これが私たちの信仰なのだ
決して疑わずにただ自分の言った通りになると信じるならその通りになるのです
このことをまた私たちが疑わずに信じるならその通りになるのです
神に対する信仰それによって私たちはビジョンが与えられたり夢が与えられ幻が与えられ目標が与えられます
そしてそのことを疑わずにその通りになると信じるなら神様はそのようにして下さい
私たちが与えられた目標ビジョン夢でもこんなことを言ったらみんなに笑われるし
こんな大きなことを言って何か大風呂式を広げているように言われるから無理だろうなとか
あるいは自分はそういうことはやはりできない
もしそういうふうに思うならまたそれもその通りになるんだ
39:00
私たちは神から与えられたその信仰によるビジョン目標ならば
信じて疑わずにそうなると信じるならその通りになる
それがイエズ様のおっしゃったこと
もちろん私たちはいろんなことを祈ります
そしてその祈りの中には神様の御心に沿わないものも確かにあるでしょう
しかしそれは神様が良きようにそれを取り計らってくださって
私たちがただ信じて祈りさえすれば
信じてその与えられたものに向かって精一杯の努力とまた精進をさせていただくなら
その祈りは主の御力によって必ず実現するのだ
私たちはそのことをもう一度このところで確認しておくということ
それを今日示されているわけであります
二十四節二十五節ここでは祈りのことが書かれています
だからあなた方に言うのです
祈って求めるものは何でもすでに受けたと信じなさい
そうすればその通りになります
ここでもイエズ様は繰り返し信じて確信してそして祈り
それに向かって進みなさい
そうすればその通りになります
祈って求めるものはそれが神様の御心にかなうものであるならば
それはもうすでに受けたと信じなさい
それはもう見えているしもうすでに受けた
そしてまだ現実には起こっていないけれど
私の信仰と祈りの中にはもうすでにそれはなっている
だから感謝の祈りすらすることもあるわけです
神様ありがとうございますこういうビジョンが与えられ目標が与えられました
私の信仰の中で祈りの中ではもうすでにそれが見えています
なっています
神様ありがとうございます
ただただあなたのお力を信じてこれからも進んでまいります
求めるものは信仰によってそして神様を疑わずに
信じる信仰によってそれはすでに受けたと信じなさい
そのことをイエズ様は私たちに改めて今日語っていてくださる
祈りについては聖書を通して私たちはたくさん学んできましたし
またこれからも学んでいかなければなりません
祈りを学ぶためにどうすればいいのか
もちろん祈りについての参考書を紐解くそれもいいでしょう
42:04
しかし祈りについて学ぶ第一のことは祈ることです
祈って祈ってそして祈りとはこういうものか
祈りに通して神様は働いてくださる
祈りはすごく力があるんだ
そういうことを祈りを通して学んでいく体験していく
最近自分自身も祈りについて考えるときに
やはり5年10年20年経っていくと変わっていくなということを思わされています
新学校の頃は本当に元気よくそして祈りました
本当に涙を流しそして密室に入って
そしていろいろな課題がありましたから
とにかく祈って祈って祈ってそういうときもありました
元気な祈りというのでしょうか
本当に力の限り祈っていました
最近もちろん親家の祈りはあまり変わっていないですけれども
個人の祈りはずいぶん変わってきたなと思うんですけれども
最近は神様助けてください神様助けてください
神様憐れんでください
それが多いなということを感じます
本当にあれもこれもいろんなことを祈らないといけないし
またそれも祈りますけれども
多くは神様助けてください
神様憐れんでください
あなたを頼るしかないのです
そういう短いですけれども単純な祈りですけれども
ただただこの神様の力をあてにして
自分にはできないですから神様何とかしてください
というそういう祈りが多くなっている
また5年経てば10年経てばまた変わっていくんだろうな
そういうふうに思わされています
しかし祈りにおいて大事なこと
それはイエス様がおっしゃったように神を信じなさい
何をするにもまず神を信じてやりなさい
奉仕をするにしても自分の力をあてにすることなる
この神を信じて神のお力によって私は奉仕をさせていただくんだ
祈りにおいてもまず神を信じてこの神が私に働いてくださり
そして私を変えてくださる
そのことによって何をすべきか何をしてはいけないのか
45:03
御霊がそれを教えてくださるんだ
信仰において大事なことそれは信仰があるかどうか
信仰の祈りかどうかということ
そのことを改めて教えられているわけです
ですから25節もそうです
ここは許しのことが書いてあります
誰かに対して恨み事があったら許してあげなさい
これも普段あの人のことこの人のことをよく思わないそういう自分
それでも平気で私たちは生きているそういうものでありますが
神様と祈るときにその祈りを通して神様は私に語ってくださる
お前が今恨んでいる憎んでいる適当さえ思っている人を許してあげなさい
祈りが私たちを変えるのです
祈りによって何かが変わるのではない
前にも言いましたように祈りは何か魔法の言葉のようなものではない
私たちが神様これをお願いしますあれをこうしてください
そしてパッと目を上げたらそのようになっていた
そういうものではありません
祈りを通してそれが神への全く信仰によっての祈りであるならば
神様はそのことを通してまず私を変えてくださる
私を変えてくださってその私がそこから歩む一歩
あるいは口から出る言葉それが変わっていくんだ
そのことによって周りはそれに引きずられるようにして変えられていく
それは私の力ではない神が祈りを通して働かれたからだということを体験することがあります
生まれながらの肉の人には祈りは重要ではありません
それは自分をあてにして自分の力で何でも進んでいけばいいわけですから
祈りなくても自分がやっていくんだ
しかし見た目によって生まれた人
その人は既に神の命を宿しているわけです
ですからその神の命が養われていくためには祈りは欠かせない
ですから祈りというのは私たちの自分が何かをするための手段ではなくて
祈りを通して神を知りそしてその神が私に語りかけてくださる
48:04
見た目を通して私にその神との交わりによって私自身を変えてくださるんだ
そのことを私たちはここで覚えたいと思うんですね
祈りによって神が私を通し
あるいは私たちの取り成した祈りによって神がその人に働かれて神様が業を成してくださる
そのことを今日覚えておきたいと思います
それではお祈りをして終わりたいと思います
イエスは言われた神を信じなさい
天の神様私たちに信仰が与えられたことを感謝いたします
この信仰によって私たちが救われたことを改めて覚えて皆をあがめます
しかし時としてこの恵みを忘れやすいものでありますから
神様どうか憐れみそして助けてくださり
私たちに信仰がなくならないようにどうぞ支えてくださいますように
また私たちが祈る時にも自分の力を宛にするのではなく
全知全能の神を信じそして御霊によって祈るようにしていきますから
神様どうか私たちを導いてくださるように
今日のお言葉を感謝して主キリストの皆によってお祈りをいたします
アーメン