1. 名谷教会
  2. 2011/04/17:聖日礼拝(旧音源)
2011-04-17 49:09

2011/04/17:聖日礼拝(旧音源)

2011/04/17 聖日礼拝(旧音源)


00:01
お読みいたします。
マルコの福音書15章22節から32節までです。
新約聖書の101ページをお開きください。
それでは、お読みいたします。
新約聖書101ページ、マルコの福音書15章22節から32節まで。
そして彼らはイエスをゴルゴダの場所、訳すとドクロの場所へ連れて行った。
そして彼らは、もつ薬を混ぜた葡萄酒をイエスに与えようとしたが、イエスはお飲みにならなかった。
それから彼らはイエスを十字架につけた。
そして誰が何を取るかをくじ引きで決めた上で、イエスの着物を分けた。
彼らがイエスを十字架につけたのは午前九時であった。
イエスの罪状書には、ユダヤ人の王と書いてあった。
また彼らはイエスとともに二人の強盗を一人は右に、一人は左に十字架につけた。
道を行く人々は頭を振りながらイエスを罵って行った。
王、神殿を打ち壊して三日で建てる人よ、十字架から降りてきて自分を救ってみろ。
また最司長たちも同じように立法学者たちと一緒になってイエスをあざけって行った。
他人は救ったが自分は救えない。
キリストイスラエルの王様、今十字架から降りてもらおうか。我々はそれを見たら信じるから。
またイエスと一緒に十字架につけられた者たちもイエスを罵った。
以上でございます。
では聖火体に賛美をしていただきます。
聖火体の賛美は新聖火119番でございます。
それに続きまして打田牧師より、世の罪を取り除く神の子羊と題してメッセージをしていただきます。
03:24
打田牧師より、世の罪を取り除く神の子羊と題してメッセージをしていただきます。
打田牧師より、世の罪を取り除く神の子羊と題してメッセージをしていただきます。
聖火体の賛美は新聖火119番でございます。
打田牧師より、世の罪を取り除く神の子羊と題してメッセージをしていただきます。
打田牧師より、世の罪を取り除く神の子羊と題してメッセージをしていただきます。
打田牧師より、世の罪を取り除く神の子羊と題してメッセージをしていただきます。
打田牧師より、世の罪を取り除く神の子羊と題してメッセージをしていただきます。
打田牧師より、世の罪を取り除く神の子羊と題してメッセージをしていただきます。
打田牧師より、世の罪を取り除く神の子羊と題してメッセージをしていただきます。
打田牧師より、世の罪を取り除く神の子羊と題してメッセージをしていただきます。
打田牧師より、世の罪を取り除く神の子羊と題してメッセージをしていただきます。
打田牧師より、世の罪を取り除く神の子羊と題してメッセージをしていただきます。
06:05
打田牧師より、世の罪を取り除く神の子羊と題してメッセージをしていただきます。
皆さんとともに過ごすことができます ことを感謝をしております
リセットという言葉はもう日本語 になっているくらい私たちの生活
の中にも浸透しているわけですね ここでもコピー機を使っており
まして紙の大きさをどうしよう とか拡大するのにどうしようとか
それでもう何かわからなくなって もう一度やり直しそれでリセット
ボタンを押してもう一回そこから きちっとやればやっていけるという
いわゆるリセットするということ は本当に私たちの生活の中でも
大切なことだなと思うんです 一日の生活を終えてそして休む
そして眠りについてリセットそして また新しいこの一日を始めさせていただく
一週間のその中でも六日間働いて そして安息日を覚えてそしてリセット
してまた新しい一週を迎える一 カ月もそうです一年もそうです
その旅ごとに私たちはリセット してまた新しい月を迎え新しい
一年を迎えていく 神様が私たち に与えてくださったこの週ごと
の安息日これが私たちにとって 大切なこのリセットこのボタン
を押すというこれは本当に幸い なことであるなとそう思うんですね
六日間の奉仕業を終えてこの安息 日に全てから解放されてそして
私たちを作ってくださったその 作り主なる神様そして作り主イエス
キリストそして見たまなる神様 三味一体の誠の神様を賛美そして
礼拝するそれは神に作られた人間 にとって最も幸いな特権である
とそう思うんですねですから今日 もも身も心も神様に委ねてそして
新しい命を注いでいただきそして また献身を新たにさせていただいて
ここから使わせていただきたい とそう願っております一言お祈り
をして今日の御言葉をいただきます 恵み深い天の父なる神様今日こう
09:05
して主路の聖日また呪難集の聖 日の礼拝を迎えることができて
ありがとうございますこうして主の 始めの日に全ての業から解放されて
今あなたのみを見上げそしてあなた を拝して賛美と祈りを捧げまた
この礼拝を捧げていますどうぞ 主よあなたが私たちを受け入れて
くださりそして清めてくださる ようお願いをいたしますあなた
はこの礼拝の主でありますから あなたが最後までともにいてこの
礼拝を導いてくださいまた見 前にありますお一人お一人をあなた
が御愛で包みまた精霊で満たして そして神様の子としてふさわしく
生きることができるように幸い と祝福を与えてそしてまたおつかわ
しくださるようお願いをいたします 今日もまたあなたの御言葉を待ち
臨んでいます御言葉を通してあなた の御旨を教えてください私たち
も御言葉の前にひれ伏してもう一度 あなたを見上げてそしてあなたの
示されるところを覚えてここから また歩みゆくものとさせていただける
ようにお願いをいたします 今日 こうして私たちをここに集めて
くださったことをありがとうございます 中には夜明けを覚えてここに来
れなかった兄弟姉妹方あるいは 事情でここに来れなかった兄弟
姉妹方のことも覚えます一生どうぞ それらの人々のところにもあなたが
行きめぐってその場を主との交わり のとき礼拝のときとしてくださる
ようお願いをいたします全てを 委ねて主耶穌様の尊い皆によって
お祈りいたします アーメン 教会の小読みで言いますと今日
が主路の聖日 耶穌様がエルサレム に入場なさるときに群衆が主路
の木ヤシの木それを枝や葉を道 に敷いてそして耶穌様を迎えた
ということを記念する日であります そしてまたきょうから受難週を
迎えますそして来週にはよみがえ の主を覚えるイースターであります
が本当に大切な私たちの一週であります がきょうはその受難週に当たり
まして御言葉を通してもう一度 大切なことを主から教えていただ
きたくそう願っておりますきょう はマルコによる福音書の十五章
12:00
を開いていただいて先ほど数節 読んでいただきました受難週を
私たちが迎えるにあたりまして まず一つのことは耶穌様がどんな
お苦しみを受けられたのかということ を見ておきたいと思うんです二つ
の苦しみ苦悩があったと思うん です一つは肉体の苦痛もう一つ
は精神的な苦痛そういうものが あろうかと思うんですがこの十
五章を見るだけでもそのことが わかるわけです例えば十五節で
イエスを鞭打ってのち十字架に つけるようにと引き渡したこの
鞭打ちの刑を耶穌様は受けられた 当時の鞭打ちの刑それは皮の鞭
にその先に硬い尖った骨のような ものがついていたそうですねそれを
力いっぱい耶穌様の体にたたき つけるその先の骨のようなもの
が体に食い込むそれを無理やり 引っ張るものですから肉は避けて
そこから血が吹き出すというような ことであったようですねあるいは
十七節で茨の冠を頭にかぶせた というこの中東の茨というのは
もう十センチ近くもあるような 長い棘のついたそういう茨それで
冠を編んで耶穌様の頭に乗せた わけですただ乗せただけでは落ち
てしまうのでもう力こなしに 耶穌様の頭にぐっと食い込んで
いくということでありますから 頭からもう血が流れるもう顔は
下らけに真っ赤であったとそう 想像するわけですそして重い十字
架を折ってゴルゴダの丘に向か われたもう眠ることもなくあるいは
無中心の刑で大変もう体は疲れて おるその上に重い荒削りの十字架
を背負ってゴルゴダに向かわれた 途中ではもう耐えられなくなった
のかそれを見た兵隊がクレネビ とシモンにその代わりに十字架
を折ってゴルゴダまで行けとそういう ことがあったようですそして十字架
におかかりになったそれは本当に 激痛の走るそういうものであった
そう想像できます私自身もちょっと 針を取り出してきてこの手のひら
15:00
に突き刺してみたらもう本当に 痛いですもうそれだけでもそれ
ほどの痛みが走るわけですそれを 手と足に釘付けされたというそれは
どんなに痛かったろうか激痛が 走るそして熱が出る喉が渇くそういう
肉体の苦痛それをイエス様は覚え られたということですもう一つ
の精神的な苦痛イエス様は常に 殺されるというそういう迫り
の中にあったということですそして 侵食を共にしてきた弟子たちの
裏切りイスカリヨーテのユダは 銀貨三十枚でイエス様を打った
そしていよいよイエス様が捕らえ られると弟子たちはみんな逃げ
ていったペテルはイエス様なんか 知らないというこれから弟子たち
に働いていただいてそして福音 を伝えてもらわなければいけない
そして侵食を共にして教えてきた あの弟子たちがみんないなくなって
しまうそして十字架を取り巻く 人たちからは侮辱され長老せられ
あざけりを受けられたそのことが この十五章の中にも書いてございました
彼らはイエスを長老したイエス をあざけったあるいはイエスを
罵ったそして椿をかけられるという これほどの屈辱はあるだろうか
そんなことを思うんですそして 誤解を受けるそんなこともありました
言ってもいないことをしてもいない のにしたと言われまたイエス様
は孤独であられたそして何よりも 大きな精神的な苦痛それは自分が
全人類の罪私たちの罪を負った そういうものとして一時的にでは
あるにせよあの神から見捨てられる という断罪されるというそういう
苦悩を味わわれた神をこよなく 愛しそして神様からこよなく愛
されていた御子イエスにとって 神様から断罪せられる見捨てられる
というこれほどの苦悩はなかった ろうとそう思うんですねですから
エロイラマ様クタニその叫びを イエス様は叫ばざるを得なかった
18:01
我が神どうして私を見捨てになった のですかもう心からのその叫び
を十字架の上でされたイエス様 は恐らく人間が味わうであろう
あらゆる苦悩あらゆる苦痛をこう して味わってくださっただから
私たちのどんな苦悩も苦痛をも わかってくださるお方なんです
私たちはもう一つ柔軟衆にあた って覚えておきたいことそれは
十字架についてであります皆さん も十分十字架のことは御存じだ
と思うんですがおさらいしておき たいと思うんですね
ある人が牧師に尋ねました私は あのカトリックの方々がしている
ような十字を切ってみたいんですが してもいいでしょうか牧師は聖書
にはしてもいいともしてはいけない とも書いてありませんのでした
かったらどうでしょうかわかりました ところであの十字を切るときに
横が先でしょうか縦が先でしょうか そうですね私は知りませんが横
を先にしようと思えば縦を先に しようと思えば先にされたらどう
ですか牧師は言いましたところで その十字を切るという十字あるいは
十字架というのは何ですか私に 教えていただけませんかすると
その人は十字そうですね十字か 結局答えられなかった牧師はその
横が先とか縦が先とかそんなこと よりも十字架とは何かその十字
を切るその十文字とは何かその ことをまず知ることの方が大事
ではないでしょうかそう言った というんですねでは十字架とは
何か私たちがこの四つの福音書 を読む限りそれはズバリ死刑の
道具ですこの世で最も恐ろしい むごい処刑の方法ですあるいは
この世で一番恐ろしい処刑の方法 死刑の道具でしたなぜかそれは
21:08
余りにもむごい余りも恐ろしい 処刑なのでそれ以後廃止された
わけですねそれほど恐ろしいものであった 死刑囚を生きたまま張り付けにして
そして何も飲ませず何も食べさせず そしてただ苦しみも耐えて死ぬ
のを待つという処刑の方法それが 十字架刑であったわけですね当時
ローマでもその処刑場で十字架刑 がなされたところがその処刑者
が余りにも苦痛のために叫ぶその うめく声それに市民はもう耐え
られないもう見るのも恐ろしい もう聞くのもいやだというそういう
ことがあったようですねですから 後この処刑の方法は廃止された
ですから今ではもう一思いに処刑 をするギロチンであったりとか
電気椅子であったりとか公処刑に 変わったわけですねですから当時
の人たちにとってその十字架もう 見るのも恐ろしい聞くのもいやだ
もう身も凍えるほどの恐ろしい ものであったそれが十字架刑で
あったわけですその十字架にイエス 様は二十七節二人の強盗とともに
十字架につけられたなぜイエス 様は十字架につけられなければ
ならなかったのかピラトは人々 をやって彼がどんな罪を犯した
のか調べさせたしかし資材に当たる ような罪は何も犯してはいない
ということがわかったしかしイエス 様は十字架にそせられるということ
が起こったわけですが一つの理由 は十節最主張たちが妬みからイエス
を引き渡したことに気づいていた からである表向きは例えば神を
冒涜しただとか三日目に神殿を 建てるだとかそういうことを言う
冒涜罪であるとか言うわけです がしかし本当は当時の宗教指導者
たちの妬みからであったそれが 大きな理由であったわけです
もう一つの理由は旧約聖書で予言 されていたそのことの成就のため
であるやがて救い主が来られる そして全人類の私たち一人一人の
24:08
罪をその者が身代わりとなって 負うそして私たちが本来受けなければ
ならないその罰をみんなその方 が受けてくださるそれが神様の
御計画のためなのだその計画は やがて成就するんだそしてその
救い主としてお使わしくださった のがイエスキリストであるわけ
ですイエス様が私たちの受くべき その罰を全て身代わりに受けて
くださったかつて人間にとっての 罪の償いというのは生贄の地そして
命でしかできないとされていた わけですですから動物の生贄を
捧げその頬振った血をもって神 の許しを乞うということをして
おったしかし堅くならない人間 というのはそんなものでは到底
その罪を贖うことはできない神 様はもうこれしかないという最後
の切り札を出されたわけですそれが 神自らが罪を贖う生贄となるという
イエス様の十字架系であったわけ です私たちが福音書を読む限り
十字架というのは恐ろしい死刑 の道具であった一方私たちが新
約聖書に記されている例えば使徒 パウロが書いた手紙を見ていきます
と次のような言葉が記されている のに気づきます例えばローマ人
への手紙の六章の六節聞いておいて いただけたらいいと思いますが
私たちの古い人がキリストとともに 十字架につけられたのは罪の体
が滅びて私たちがもはやこれから 罪の奴隷で亡くなるためである
ことを私たちは知っている私たちの 古い人がキリストとともに十字架
につけられたこの十字架とは一体 何だろうかあるいは第一コリント
の一書の十八節十字架の言葉は 滅びに至る人々には愚かであっても
救いを受ける私たちには神の力 ですこの十字架の言葉とは何だろう
27:06
かあるいはガラテヤ人への六章 十四節しかし私には私たちの主
イエスキリストの十字架以外に 誇りとするものが決してあって
はなりません十字架を誇りとする この十字架は何だろうかこれは
明らかに福音書が言っている死刑 の道具としての十字架ではない
そういうふうに思うわけであります この使徒パウロは祈りの中であるいは
霊感を受けて十字を示されあるいは 十字架を示されてこの十字架に
福音の全てが表されているんだ そのことを示されたそう考えられる
わけですいわば福音の全てを表す シンボルのようなそういうもの
として彼は神様から示されたです から私たちが十字を覚えるとき
そこに神様の許しがあるそのことを 覚えるわけですまぶたの中で十字
架を思い浮かべるときそこに私たち は神様から愛されているという
そのことの神様の愛を覚えるわけ です道行く人々が教会の上に十字
架を見るときそこには神の民たち が礼拝を捧げているんだろうな
そこでは祈りが捧げられているん だろうなそのことがわかるわけ
ですあるいは病院で十字架を見る ときあるいは十字を見るときそこ
に神の癒しがあるということが わかるわけですあるいは学校の
校舎で十字架を見るときそこには 聖書に基づいた教育がなされている
んだなそういうことがわかります そして私たちがお墓に行って十字
架を見るときそこに復活の希望 があるんだという確信をいただく
わけです かつて人々がもうみぶり するほどの恐ろしかったあの十字架
今では多くの人がネックレスに したりあるいはイヤリングにしたり
30:02
好んで慕ってその十字架をつけている かつての呪いの象徴であったあの
十字架は今では愛の象徴として の十字架に変わったそれはイエス
様がゴルゴダの丘で十字架にか かってくださったあのときから
その十字架の意味が変わったんです 神の愛はどんなものをも変える
力があるんだというその証である わけですですから私たちがこれから
どこかで十字を見るときあるいは 十字架を見るときそこに世の罪
を取り除く神の子羊を見ていき ましょうお祈りをいたします 私たち
にとって十字架以外に誇りとする ものはありません恵み深い天の
父なる神様私たちを罪から救う ために御子イエス様を送ってくだ
さったことを感謝をいたします またそのために神の御子イエス
様御自身が十字架について死んで くださり私たちが生きるように
してくださったことを感謝をいたします この十字架を誇りとしこの十字架
を仰ぎ十字架を掲げて人々に十字 架にあらわされた神の愛を示して
いきますからどうかお導きください ますようにイエス様の尊い皆によって
お祈りをいたします 自分で言う のもなんですが牧師認食式を河童
先生にお願いいたします ただいま から内田政治先生の入団協会牧師
の認食式を取り行わせていただきます 先生少し時間長いですがここに
お立ちください 今日この認食式 の式をさせていただくために日本
エスキリスト教団から使わされて まいりました委員の一人であります
川原崎明と申しますよろしくお願いいたします 式時神が御自身の血をもって
33:02
あがられた教会の頭であるイエス キリストは弟子たちに私の子羊
を養いなさい私の羊を飼いなさい と命じられました使徒ペテロも
またあなた方に委ねられている 神の羊の群れを牧しなさいとすすめ
こうして今日に至るまで使は群れ の中に牧舎を立てて御自身の教会
を牧させ保ったのであります今 私たちは教団の任命により内田
政晴氏を明谷教会の牧師の職に 任じようとしております内田政
晴氏はこのことを主の身旨による ものと信じて立っていますそして
教会もまたこれを力のものとして 受け入れましたですから今ここ
に取り行う牧師飲食式の上に御 臨在の主の恵みが豊かに注がれる
ようにお祈りください 聖書一箇所を拝読いたします
今後百聖書で拝読いたします 使徒行伝二十章の二十八節から
三十二節どうかあなた方自身に 気をつけまた全ての群れに気を
配っていただきたい 精霊は神が御子の血で贖い取られた
神の教会を牧させるためにあなた 方をその群れの監督者に渡てになった
のである 私が去った後凶暴な狼があなた
方の中に入り込んできて容赦なく 群れを荒らすようになることを
私は知っている またあなた方自身の中からもいろいろ
曲がったことを言って弟子たち を自分の方に引っ張り込もうと
する者らが起こるであろう だから目を覚ましていなさい
そして私が三年の間夜も昼も涙 をもってあなた方一人びとりを
絶えず悟してきたことを忘れない でほしい
今私は使徒その恵みの言葉とに あなた方を委ねる
御言葉にはあなた方の徳を立て 性別されたすべての人とともに
御国を継がせる力がある 祈祷を捧げます
心合わせてください 教会の頭である主イエスキリスト
の父なる神様 あなたはキリストを主と信じる
群れを起こして教会とし 教師を使わせて群れを牧させて
くださることを感謝いたします 私たちは教団が任命し使わせた
内田政晴氏をこの教会の牧師として その職に任じようとしております
36:04
願わくは主の皆によって行われる この式を身胸にかなわせ
教会にとっても教師にとっても 新しい祝福また前進の時となります
ように 主イエスキリストの皆によって
お祈りをいたします アーメン
今内田氏に神と会主の前で誓約 をしていただきます
主職者が誓約を申し上げる文を 読みますので先生には最後に神
と教会との前に謹んで約束します と神と教会との前に謹んで約束
しますとお祈りしていただきたい と思います
あなたは今明暖教会の牧師として の務めに就こうとしております
あなたは心からこのことを主の 身胸として喜び主の栄光のために
ひたすらその身をこの職に捧げる 覚悟がありますか
あなたは主の恵みにより神の言葉 に使えるものとしてふさわしい
言行なしこの教会の牧師として の務めを忠実に果たすことを約束
しますか 神と教会との前に謹んで約束します
アーメン 認職の時主エスキリストの父なる
神はあなたを尊い大いなる務め に召してくださいました
聖書にどうかあなた方自身に気を つけまた全ての群れに気を配って
いただきたい 聖霊は神が御子の地で贖い取られた
神の教会を牧させるためにあなた 方をその群れの監督者に渡てになった
のであるとございます 今主の群れはあなたの手に委ね
られています心から群れを愛して これに使いなさい
もしあなたの過失と絶え間によって その群れから迷い出るものがある
ならあなたは主の前でその責任 を問われるでしょう
あなたは神の御言葉を述べ伝える こと祈りをすることそして聖霊
典を行うために召されました ですから自分自身を述べ伝える
のではなくただエスキリストの 主であることを述べ伝えなさい
自分を欺いてはなりません人の 撒くところはその狩るところとなり
ます常に善を行いそのメッシュ にふさわしく祈りと御言葉に使える
ことに努めなさい あなたは教会と与党の前にキリスト
の見足の後を踏み従うために召 されたものであります
39:00
疑って地上の者に心を惹かれず 天にあるものを思い見える者に
支配されず見えないところの者 に目をとめたえしのんでそのはせ
ばを走りなさい そうすれば大牧者である主が現
れるとき良い忠実な下辺として 朽ちることのない栄冠を授けられる
のでありましょう アーメン
それでは教会の皆様にも神様の 前に誓約していただきます健康
の許される方御期待くださいませ 死者が誓約を文を拝読いたします
この誓約に対して神様の前に少し く長く読みますけれどもお聞き
くださいまして最後に神と教会 の前に謹んで約束します神と
教会との前に謹んで約束します と応答していただきたいと思います
誓約あなた方が迎えられたこの 死の下辺は今あなた方の牧師として
死から使わされましたあなた方 は敬愛の念を持ってこの牧師を
受け入れる心構えがありますか 元来牧師の務めは教会とその会員
のために乗り神の言葉によって 教え進め慰め導き励まし忌まし
めることでありますそれゆえあなた 方は謙遜と善意を持ってその得
ところの真理に従うことを約束 しますか牧師は死よりの重大な
責任を身に負って群れを守りこれを 養うものでありますあなた方は
牧師に対して人たちが命じたように 従順であることを制約しますか
牧師は人を神の国に導き入れる 勤めキリストの体である教会の
建設のために労するものであります あなた方はこのために牧師を励
まし主の立てられた下人に従い 共に労する決意がありますかあなた
方は教会の中で紛争を起したり 党派を結んだり分離を図ったり
することなく愛と和らぎを持って 牧師を励まし支えて伝道と牧会
の職を全うできるように努めますか 兄弟姉妹主は福音を述べ伝える
ものが福音によって生活すべき ことを定められました聖書に御
言葉を教えてもらう人は教える 人とすべて良いものを分け合い
なさいとあるように牧師が心置き なく主に使えることができるよう
配慮し主と人たちが念ごろに進 めたところに従うことを約束しますか
42:02
それでは皆さん神と会主の前に 謹んで約束しますと応答してください
神と会主の前に謹んで約束します お座りくださいませ
忍職の祈祷を捧げます 天に得ます善能の父なる神様
あなたは御言葉を持ってすべての ものを作りこれをすべ納めこれ
を愛し私たちに御子の十字架と 復活による罪の許しと清みを
与える福音を追い出ね下さいました この恵みを感謝します私たちは
今ここに主が選ばれた内田政晴 氏をこの教会の牧師としてその
職に認じて下さったことを感謝 しますどうかあなたの立てられた
下部を精霊に満たし御言葉の奉仕 者にふさわしく用いて下さい福音
を述べ伝えることに生むことなく 耐えることのない祈りを持って
人々を主に導き真理の御言葉を 持って無理を博することができます
ように 恵み深い父なる神様この教会
を恵み牧師がひたすら神と愛し 神とも牧師を敬愛してその指導
に心から従い一つとなり互いに 信頼し愛し合いながら主の栄光
をあらわし主が再び来られる日 まで共に御霊によって主の業に
励むものとして下さい願わくは 主の御霊が御業を進め福音による
全ての民の強化とキリストの教会 の完成がなされますように一人
一人に明確な救いと清めが与え られ祭輪の主の御前に花宴として
立つことができる教会として下さい ますように主の御名によってお
祈りをいたしますアーメン先生 ちょっとひとまずお座りください
今の使者が公語薬性書で読みましたん ですが皆さんがお持ちの新科薬性書
で読んでみたいと思います使徒 の働きの二十章の二十八節であります
が使徒の働き二十章の二十八 節あなた方は自分自身と群れの
全体へとに気を配りなさい精霊 は神が御自身の血をもって買い
取られた神の教会を牧させるために あなた方を群れの監督にお立て
になったのです新科薬性書の素晴 らしい薬のひとつだなと思って
45:02
おりますおそらく皆さんも長ら く使ってこられた聖書翻訳によります
と精霊は神が御子の血で贖い取 られた神の教会を牧させるため
にとございます細かな話数ですが 新科薬性書は精霊は神が御自身
の血をもって買い取られた今日は 先生を通してこの受難書のメッセージ
をお聞きしました神の御子イエス キリストが十字架において血を
流されたあがないの血を流された もちろん神の御子の血であります
が神御自身が御自身の血をもって とあります三和教会も多くの教会
の中のひとつの教会としてこの 群れが愛する皆さんが神御自身
の血をもってあがない買い取られた 厳粛な思いをします神が血を流
されたそしてこの群れを立てて おってくださる一人の牧師を神
様御派遣くださいまして神御自身 の血をもってあがないとられた
教会を牧させるためにとございます もちろん教会役員の皆さん主に
ある生徒の皆さんと一緒にであります がそして具体的に目に見えるこの
教会を牧する者としては立てて くださったどうぞこの認識式御
先生は三月終わりからこの血に 使わされておられますけれども
この表記して私どもは神御自身 が流された血をもって買い取られた
群れであるということをもって 御社にお使い下せることを願って
いません実は私自身も三年前に 教師になって初めて典任しまして
今使わされている神戸地方教会 で同じような感じで私が説教さ
せていただきまして当時の委員 であった先生が来てくださって
認識式をしてくださいました牧師 が使わされるとその最初の一年
というのはすごく緊張します一 年というのは十年ぐらい感じた
ようなことがございますがたぶん 内田先生も同じ気持ちじゃない
かなとまして後ろに河原先生が おるから余計緊張なさったかな
と想像しますどうぞ先生がこの 群れに使わされなさって本当に
福音に使える福音を述べ伝えて 使えるお一人お一人が主の下辺
48:02
として生徒として立て上げられる ために尊く用いられるように願
っておりません日本一祭司徒 教団の委員会はそのことを切
に願って今日この認識式を取り 予感させていただきました先生
式の中でちょっとお立ちいただき まして改めてこの教会ではもう
既に知っておられると思います が主がお使いになった先生を共々
に皆さんが受け入れてくださって 先生をまたこの群れと姿勢と皆さん
を愛しなさって住んでいかれます のでよろしくお願いいたします
拍手を持ってどうぞお座りください 先生もうこちらに座ってください
認識式のときの最後の祝党はやはり 使わされなさった牧師がします
ですから先生あとはよろしくお願いいたします どうぞ教会の上に更なる
神様の祝がありますよと願って いませんこれをもって認識式
終わりますあとはよろしくお願いいたします
49:09

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