1. 名谷教会 podcast
  2. 2012/12/02:聖日礼拝(旧音源)
2012-12-02 37:22

2012/12/02:聖日礼拝(旧音源)

2012/12/02 聖日礼拝(旧音源)


00:00
どうぞ、ご着席ください。
聖書朗読を持ち出し前にしていただきます。
聖書の箇所が少しちょっと違っておりますけれども、
ヨハネの福音書1章の1節から14節まで、1章の1節から14節までです。
それでは、お願いいたします。
ヨハネの福音書1章
はじめに言葉があった 言葉は神と共にあった 言葉は神であった
この方ははじめに神と共におられた すべてのものはこの方によってつくられた
つくられたものでこの方によらずにできたものは一つもない この方に命があった
この命は人の光であった 光は闇の中に輝いている
闇はこれに打ち勝たなかった 神から使わされたヨハネという人が現れた
この人は証のために来た 光について証するためであり
すべての人が彼によって信じるためである 彼は光ではなかった
ただ光について証するために来たのである すべての人を照らすその誠の光が世に来ようとしていた
この方は元から世におられ 世はこの方によってつくられたのに
世はこの方を知らなかった この方はご自分の国に来られたのに
ご自分の民は受け入れなかった しかしこの方を受け入れた人々
すなわちその名を信じた人々には 神の子供とされる特権をお与えになった
この人々は地によってではなく肉の欲求や 人の意見によってでもなく
ただ神によって生まれたのである 言葉は人となって私たちの間にすまわれた
私たちはこの方の栄光を見た 知事の身元から来られた一人子としての栄光である
この方は恵みと誠に満ちておられた
続いて聖火隊に賛美していただき その後言葉が人となったと題しまして
内田先生よりメッセージをいただきます
03:42
ああああああ
ああああああ
ああああああ
いいいい いいいいいいいいいいいいいいいいいい
いいいいいいいいいいいいいいいい いいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい
ああああああ
ui
話し
ああああああ 平和
見た
いうを
ana
あのしき鐘の音 響けるこの時
小さき我らを 俺の限り
救いの響かる 宙を舞う
皆様おはようございます おはようございます
今日も御言葉をいただきます その前に一言お祈りをさせていただきます
恵深い天の父なる神様 今日もこうして私たちに命を与えて
生かしてくださっています 恵みを覚えて感謝をいたします
新しい月のこの十二月を迎えて 第一聖日をここに迎えています
ここまであなたが支えて導いて くださったように
06:03
今日も同じ主がここにいてくださり これからも永遠に私たちと
共にいてくださる主を覚えて そのお方を崇めて皆を賛美いたします
どうぞこの礼拝があなたへ捧げる 礼拝として心から捧げますから
主をどうぞ天において清めて お受け取りくださるようにお願いをいたします
またイエス様が私たちのところに来てくださった そのことを覚えるときでありますから
どうぞ御言葉を通してもう一度 そのことを深く覚えるときとしてくださるように
またイエス様をお迎えするにふさわしいものと 作り変えてくださって
またそれぞれにお使わしくださいますよう お願いいたします
寒くなってきましたがどうぞお一人お一人の 健康も支えてくださいますように
中には弱さを覚えておられる 巨大姉妹方もおられますが
主をどうぞあなたが癒し主となって その弱いところに見ておいてくださり
癒してくださいますように また回復して 共に礼拝を捧げるときが来ますように
またそれを信じて祈り続けるものとさせてください
今日もまた御言葉が用意されています
どの聖書の箇所も素晴らしい御言葉でありますが
このときに特にふさわしくあなたが選んでくださって
それを聞くものとさせていただけますように お願いいたします
今からのひとときあなたの御手に御依頼いたします
語るものは不完全で乏しくまた罪人でありますが
救い主なるお方が完全であられ また聖なるお方でありますから
そのお言葉が私たちに語り そして私たちもそのお方を拝して
そのお言葉をいただくものとさせていただきますように
すべてを御手に委ねて主キリストの皆によってお祈りいたします
アーメン 12月を迎えて特に今はアドベントということで
主が来られたということをお祝いする その備えのとき準備のときであります
小学校のころでしたがずいぶん前になりますが
この遠足やあるいは運動会の当日もそれはうれしいんですけれども
09:12
それを待っているときですね
そのときがまた実にわくわくするというんでしょうか
それこそ指折り数えて待っている
そういう気持ちを歌にしたのが
もういくつ寝るとクリスマスという歌だと思うんですね
そういうふうにしてクリスマスもうすぐクリスマスだという
全然知らないただクリスマスというのはもう一年で一番楽しみな
信じていない罪人であったその数十年三十数年
そのときもイエス様は覚えていてくださって支えてくださって
そしてそのときが来たら救いに私を入れてくださった
そんなことを思うんですね
ですからこのクリスマスイエス様が来てくださったということを
心から感謝するそれを覚えるそして礼拝を捧げるという
そのことがこのクリスマスの意味であるし
またそれを待っているアドベントのそういう素晴らしいときだなと思うんですね
私たちはときとしてクリスマスというものを何かするということに
どうしても思う気がおいてしまう
クリスマスにあれをしてこれもしてあれをしてという
それももちろん私たちのイエス様を迎えるお祝いすることの一つの
14:39
漢字を見ましたら死が走ると書いてます
この死というのは牧師の死でもある走り回るんだなというようなことで
何とかなく気ざわしいようなそんな気がするんですけれども
そのためにクリスマスが苦しみますにならないように楽しみますになるように
15:05
それこそメリークリスマスですから
本当にイエス様が来てくださったということを本当に感謝し喜んで
そしてお祝いしたいそんなふうに願っております
今日の聖書の箇所はヨハネの福音書の1章の1節から14節を読んでいただきました
1節から3節ですが
はじめに言葉があった言葉は神とともにあった言葉は神であった
この方ははじめに神とともにおられたすべてのものはこの方によってつくられた
おられたものでこの方によらずにできたものは一つもない
このはじめに言葉があったというこの箇所を読んだときに
思い当たる聖書の箇所が皆さんも終わりかと思うんですね
それは創世紀の1章の1節
はじめに神が天と地を創造した
ヨハネの福音書ははじめに言葉があった
ですからこのはじめに言葉はじめに神がというのを並べてみますと
実にこの1節から3節のことがよくわかる
ヨハネが創世紀の1章を思い描いて書いているのかどうかは
彼に聞いてみないとわからないんですが
はじめに言葉があった言葉は神とともにあった言葉は神であった
すべてのものはこの方によってつくられたつくられたもので
この方によらずにできたものは一つもない
はじめに神が天と地を創造なさったときに
神は仰せられた要するに言葉を発せられた
光あれと仰せられるとすると光があった
神は仰せになった言葉を発せられた
するとその言葉によって乾いた地は地となり
そして水の集まったところが海となった
神様が発せられた言葉のようになった
神は天地万物をつくられた
それは神が発せられた言葉によってすべてがつくられた
すべてのものはこの方によってつくられた
つくられたものでこの方によらずにできたものはない
はじめに神が天と地を創造した
はじめに言葉があった
言葉は神と共にあった
言葉は神であった
要するに神は言葉であった
18:03
一説
神が言葉ですべてをつくられた
それは神がつくられた
しかし神が発した言葉がつくったという意味では
言葉が神であったということも言えるわけです
ヨハネの言っていることはそのことによって納得できるわけです
言葉は神であった
あるいは神イコール言葉である
その神言葉
これを私たちは人間の言葉と区別するために
御言葉と言うわけですね
その御っていうのが神ということですね
御言葉神の言葉神言葉
やがてその神の言葉神言葉御言葉は
聖書ということになったわけですね
広く解釈して神の言葉を一冊本にした
それを聖書というふうに今ではまとめられています
そういうふうにして
言葉は神であった
神が言葉であったと言ってもいいわけです
その御言葉
この御言葉が14節
人となって私たちの間に住まわれた
もう一つのことは
ヨハネの福音書の中にも出てきますが
光という言葉が出てきます
この光も神様を表すイエス様を表す言葉として用いられています
ですから5節光は闇の中に輝いている
これはイエス様が暗闇の中に輝いている
全ての人を照らすその誠の光が世に来ようとしていた
全ての人を照らす救い主イエス様が世に来ようとしていた
そういうこともここから覚えさせられるわけですが
今日のテーマは言葉ということですね
光についてはまた別の機会に学ぶといたしまして
今日は言葉ということにおいて
はじめに言葉があった
言葉は神とともにあった
言葉は神であった
そしてその言葉は人となって私たちの間に住まわれた
21:05
言葉が神であるとするならば14節の言葉
言葉は人となって
すなわち神が人となって私たちの間に住まわれたと
言い換えてもいいわけですね
これがクリスマスのメッセージであります
言葉すなわち神
その言葉である神
神である言葉が人間の形をとって
私たちのこの世に来てくださり
それだけではなく私たちの間に住まわれた
私たちの日々の日常生活の中にかかわって
ともに生きてくださる
そういうお方となりました
そのようにいうわけです
私たちは今神を形として見ることはできませんけれども
ひとときこのヨハネのときもそうですが
人間の姿をとって
イエス様は神であられる方が私たちのところに来てくださった
今は天に変えられて
精霊とそしてもう一度言葉によって
イエス様が私たちとともにいて
私たちの間に住まわれているということ
ですから聖書の中に神があり
そして聖書を読む私たちのうちに
イエス様がいてくださる
私たちの間に神は住まれて
そして私たちを生かし
そして慰めや励ましや
命を与えてくださる
御精霊と御言葉によって
そのことがわかるわけです
ですから御言葉あるいはこの聖書を学び
知ることによってイエス様を知ることができる
御言葉をいただくことによって
イエス様御自身をいただくということです
神御自身を私たちのうちにいただくということ
そのことをもう一度覚えたいと思うんですね
24:00
聖書は本ですけれども読み物ではなく
これは言葉御言葉ですから神御自身
私たちは御言葉をいただくということは神をいただくということ
言葉が人となって神が人すなわちイエスキリストという形をとって
私たちのところに来てくださり
そして私たちの日々の生活の中に
共に住んでいてくださる
これはただ親子生活というそういう分野だけではありません
身近な私たちの家庭生活
人間関係のそういうところに御言葉があるならば
そこにキリストがいてください
あるいは仕事に行っていろんなビジネスの世界
もしそこに御言葉がいつも掲げられていたら
そこに神がおられる
神様が共にいてください
スポーツの世界だっていいと思うんですね
試合に出るときに神様がいて力を与えてください
そういう御言葉を握って
そういう社会をするときは神様がいてください
あらゆる分野で私たちがこの御言葉というものを
いける神としてそれをいただく
あるいはそれを私たちの支えにしていく
それがこの聖書
神の御言葉であるわけです
ですからヨハネはこの御言葉は神であるんだ
その言葉が人間の形をとって
樹肉といいますが人間の形をとって
私たちのところに来てくださった
そのことをもう一度思い起こさせてくれたわけですね
ですからさらに私たちはこの御言葉により頼んで
そしてしっかりとこの御言葉神を
私たちのうちにいただいていきましょう
これを自分の糧としていただくほど
神の力がますます私たちを力づけ
27:02
そして支えとなってくれる
では私たち人間にも言葉というものが与えられている
このことも忘れてはいけないと思うんですね
神の側の御言葉と私たちに与えられている言葉
この人間の側の言葉について
それこそ聖書はどんなことを言っているかといいますと
例えばヤコブの手紙の1章の21節のところで
御言葉はあなた方の魂を救うことができます
御言葉神の言葉聖書
それはあなた方の魂を救う力があります
これは御言葉のことですよね
神様の言葉神御自身イエスキリストと置き換えてもいい
それは私たちの魂を救うことができます力があります
それに対して私たち人間の側の言葉というものについて
ヤコブは3章の2節でこのように言っています
私たちは皆多くの点で失敗をするものです
もし言葉で失敗をしない人がいたら
その人は体全体も立派に制御できる完全な人です
そんな人はいますかというようなことですよね
私たちは失敗するものです
過ちを犯すものです
その失敗の多くは言葉で失敗をする
もちろん読み間違えたとかそういう意味ではありません
言葉によって人を傷つけてしまう
あるいは言葉によって人を間違った方に導かれていく
そういうことでしょうか
言葉を話すことによって仕事をしている牧師は
身につまされるような思いであります
何々大臣とか言われるような人
その人はたくさん勉強もしそしていろいろな経験もし
人生も皆から称えられてそういう地位に上った
そういう人も言葉で失敗して鋼鉄されるという
30:11
それぐらいやはり私たち人間はこの言葉によって間違いを犯す
それは得てして人に不快な思いをさせてしまう
嫌な思いをさせてしまう
そして傷つけてしまう
それは自分自身がそれを知らない場合が多いんですけれども
精霊によってそのことを示されるときに
何と自分はこの言葉によって失敗をするものだろうかということを思うわけですね
そのことを精霊によって示されたときにどう思うか
私は自分ではそんなつもりはなかったけれども
発した言葉がその人に嫌な思いをさせた傷つけてしまった
大変なことをしてしまった
それが示されたときにまず思うことは
もう語る前こんな自分が言葉を発するならば
本当に間違いをしてしまう人を傷つけてしまう
語る前もそう思うんですね
でも1日2日3日はよかったとしても
もうとてもじゃないけど生きてはいけないわけです
そのこともわかる
言葉なしに生きていくことはできない
しかし言葉を発すればまた失敗をしかねない
そのときに言葉に失敗しない
ここにありますような
立派に制御できる完全な人
完全なお方がいるならば
その方に委ねようということですね
それはもう神しかないわけです
神は言葉によって天地万物をつくられ
その言葉に何の間違いもない
そして言葉を完全に制御できるお方
イエスキリスト神ご自身そして御言葉
それに頼るしかない
その完全で間違いのない
そして全てにおいて制御できるその言葉をお持ちの
イエス様を自分の内にいただくこと
命令によってその方を私の主として
このお方が私の言葉もまた制御し
33:00
そして失敗をしない
そういう言葉が発せられる
もちろん失敗をしたから
それがいけないということではないと思います
失敗によって私たちは学ぶわけですから
ああいう失敗をしたこういう失敗をした
こういう言葉を発したならば
あるいはこういう言い方をしたならば
人は傷つくんだなということを
その失敗を通して学んでいくわけですから
でもその学びを経験を無駄にしないためにも
やはり言葉の失敗のない完全なお方
そしてどんな時にもそれを制御できる
イエス様ご自身を私の内にいただくということ
その方に全てを委ねるならば
私の内から発する言葉も
イエス様ご自身がそれを制御してくださるし
清めてくださる
私たちの発する言葉は心から出てくるのだ
と聖書も言うわけですね
ですからその心をイエス様に満たしていただいて
イエス様が私の心と
そして出てくる言葉を制御してくださる
そのことをこのヤコブは私たちに
今日教えてくださっているわけです
ですから神は言葉であった
言葉は神であったということもさることながら
私たちのその言葉さえも
このイエスキリストがご支配くださって
そしてこの完全なこのお言葉が
私たちの間にともにいて済んでくださる
そうなったらなんと素晴らしい世の中になり
あるいはお互いの人間生活になっていくんだろうかなと思います
選挙が近い各党が
みんなマニフェストという風にして
公約を掲げています
神様のマニフェストそれは聖書です
そしてその神様の約束というのは
完全で間違いのない
神様は必ずそれを成就してくださる
そういうお方です
この神の言葉をますます私たちは親しんで
そしてこれをもっともっといただいていきたい
36:01
そう願うわけですお祈りします
言葉は神であった
言葉は人となって私たちの間に住まわれた
天の神様イエス様を私たちのところに送ってくださったことを感謝をいたします
また見言葉を通して
神様が私たちの家に宿ってくださったことも覚えて
皆をあがめます
今もう一度イエス様を心にお迎えします
どうぞ入ってください
また入ってくださらなければ
私たちはまた罪人のままであり
罪人に戻ってしまいます
どうぞそのためにも見言葉が私たちを支え
また私たちを清めてくださるように
そして私たちももう一度見言葉によって作り変えてくださいますように
口から出る言葉もイエス様によって制御されるようにしてください
イエス様のお名前によってお祈りをいたします
アーメン
37:22

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