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おはようございます。
今朝は、急遽、先週半ばでしたか、
ユン先生から電話がありまして、入院が早くなりました。
ついては、7日の今日の礼拝の御用をお願いしたいということで、
私は14日の方の報酬依頼は受けたまっていたのですが、早く治療に当たった方がいいだろうと思っていましたので、
分かりましたと言って、今朝、この御用のために備えてまいりました。
私の話ですから、少々長くなったりすることがあるのですが、ある先流に、この間と50年前の話をするという、本当だなと。
私の話は、だいたいそういうところが多くありますので、そうなったらば御用をしていただきたいと思います。
今朝は、この27節を中心にお言葉を開いていきたいと願っておりますが、
この言葉は、私たちの日本イエスキリスト教団が創立しました、その時の委員長でありました大島英介先生が、
教団の結成されて、そしてスタートにあたって祈っていたときに、我なり恐るな、当時は文豪薬聖書ですから、その御言葉が与えられて、
そしてそれから現在に至るまで、私たちの教団は、この御言葉も教団創立にあたっての一つの大切なメッセージとして受けてまいりました。
ですから、皆さん方も、しわ正解であるとか、いろいろな機会にこの御言葉をお聞きなさって、よく御存じだと思います。
しかし、この言葉を噛み締めれば噛み締めるほど、本当だなという実感があります。
個人的に私自身も、右も左も分からないような中で、今日まで参りましたけれども、どれだけこの御言葉に連想するところのいくつかの御言葉によって守られて、
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そして今に至っているということを、大変深く感じ、そしてまた感謝しております。
教団が創立しましたのが、1951年、昭和で言いますと26年ですが、
私はその後の平成とか、最近の令和となってしまいますと、もう全然、それが政歴で何年になるのかということで、頭の中が混乱しますので、私の理解の中では政歴で来ております。
ですから、1951年、戦後6年目に、今の関西政省新学校のそこで教団がスタートいたしました。
その時の委員長が大島英介先生で、そして御言葉の一つが、我なり恐るな、日本も、そしてまた今、20幾日の教会でスタートした私たちのこの教団も、一体どういうふうに宗は導き出されるのか、
期待と、また不安と、そして諸々のそういう思いを持っておりました。
そうした中でのこの言葉ですと、先生御自身のこの証を含めながら、私たちの教団の創立に関わる大切な言葉をその時にいただきました。
ちなみに、教団が1951年、私がその10年後に、今の関西政省新学校を卒業しまして、50年、60年でしょうか、スタートして、
そして、50年でまた主要屋に戻ってきたという、今のマンションに住んだ時に、すくすく思いました、この主要屋からスタートして、再びここに戻してくださったんだなと、そう思いながら、
またそこに住まうことになりましたので、明石人丸教会を辞して、教団を引退しまして、宮台教会が近いということで、それから皆さん方の間際の中に加えられて、今日まで参りました。
ついついこういう話になりますと、長くなってしまうんですけれども、
私はこの27節のお言葉、このお言葉の中に3つの意味を感じているわけですね。
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一つは、教団がそうであったように、またお互い個人の信仰生活においても同じ意味合いですけれども、やはり私たちは、ここに主から聞くべきお言葉の第一として、それをこの思います。
昨年の今頃は、コロナという言葉をだんだんと耳にするようになりました。
ちょうど今頃、私が今も係りを持っております大阪テジコンベンションという、カタカナで言うとそうですけれども、政界、あるいは主要界と言ったらいいでしょうか、
英国から、またアメリカから、それぞれこの講習をお招きし、また日本国内においても講習を立てて、そして3日間行われる。
果たしてこれは最後までできるだろうかなというような不安が当時ありました。
英国や米国からの先生方は、沖縄に始まって、そして九州テジック、大阪、大阪が終わりましたら今度は東京、そしてさらには東北仙台、そして最後は札幌というふうに、
大体日本語ですね、南から、桜前線はありませんけれども、ずっとまいりまして、そして日本の各地でテジコンベンションが行われる。
大阪は割合早い方でしたから、その先生方も御用なさった。
けどこれから大丈夫なんだろうかなという不安がありまして。
そして先生方は日本国内での御用を終えて、そしてそれぞれのアメリカ、英国にお会いになりました。
3月に入りますと、そのコロナはさらに勢いを増して、そして日本国内にだんだんだんだん広がっていく。
日本だけならまだ下のこと、それはもう世界的に、皆さん御承知のように蔓延しまして、アメリカなどは亡くなった方が40万でしたか。
その勢いは衰えることなく、今も先が見えないような、そういう中で私たちは対応する。
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正直言って私もマンション住まいですから、もし私がこの中でコロナにうつったらどうなんだろうかな。
あの重装備の方々がやってきてマンション全体を消毒するとか言ったら、本当に明らかにならないなと。
そういうのが気持ちに入ってまいりますと不安になります。
もう一つはペットどうしたらいいんだろうかな、誰かにお願いしようかなと。
うつっているかもしれない、そういうのをどなたも引き受けることはないだろうし、
これはしっかりと行くところに連れていかないとダメだかなというような、そういう思いもしない事柄が、だんだん不安の材料となってやってまいりました。
今はなくなったわけじゃないんですけどね、その不安が。
やはりワクチンができてきて、そして高齢者、あるいは基礎疾患のあるという、私も夫婦はそれに条件的にはぴったりなんですよね。
しかしまたそれをやって、あと何かこうしようが出ないと出たら困るなと、余分なこと誰かがやった後にしようかとかですね。
人間は本当に自分中心な考えを持つのですが、そんなことも考えております。
それはやはり不安がそういうふうに、普段は思いもしないようなところにどんどん追い詰めていく、そういうことがあります。
ところが私たちは、そのコロナの問題だけではない、もっと深刻な見通しの、まだ経っていないような、そういう事柄がありますよ。
2007年の科学雑誌でですね、その時代の時刻を示す、それが表紙になってそして出ている、名前はちょっと忘れておりますけれども、
その雑誌では、2007年の時にはですね、23時53分、あとまだ7分ある、そういうこの時刻でした。
ところが昨年末、その雑誌が現時点においてのそれを表示しました。
あと100秒しかない、1分40秒ですか、えっと思いましてね、まだ3分あるっていうんじゃなくて、そこまでそれは今の核兵器もそうでしょうし、あるいはコロナもそうか分かりません。
それから私たちは、ここ数年ですね、神戸の阪神淡路大震災に始まって、そしてそれから真夏に今度は東北を襲ったその震災、
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あるいは集中豪雨であるとか、あるいは熊本においての地震、それによる被害、大勢の方々が家を失ったり、身内の物を失ったり、
友人を失ったりして、大きな喪失感というのを味わってまいりました。
ですからそういう、やはり今日の自然の影響というのが、あるいはそれがもう一つの病読みのようにして、
今の日本だけではない、世界的にそれが起こりつつある、そういったことを見てまいりますと、残された百病というのは、本当にこれは私たちはここに覚えていかなきゃならない。
そういう諸々のことを考えますとね、本当に今の時代というのは、私たちはどのように生きていったらいいのか。
ただそういう中で、去年はありませんでしたから一昨年、春の選抜高校試合がありました。
その時に石巻工業高校の選手が、選手代表として先生をいたしました。
私はそれを新聞に載りましたから、メモしとったんですけれども、彼はこういうことをそこで先生として言っております。
人は誰も答えのない悲しみを受け入れることは悲しくてつらい。
しかし日本が一つになり、その困難を乗り越えることができれば、その先には必ず大きな幸せが待っていることを信じますと言って、非常に励みのいい先生を彼は行いました。
彼の先生の背景は、ご承知のように、その1年前3月に東日本を襲った、そして彼は石巻ですから最も大きな被害を受けた、その地域の選手であります。
本当に重い彼の先生でありましたけれども、しかしこの若さと、そういう中でもなお、これから立っていこう、日本が一つになるならば必ずこれからも先が見えていくんじゃない、ないだろうかというような、そういう言葉でした。
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私は一クリスチャンとして、何かこのクリスチャンのような発想と、先生だなあと思いながら、非常にそれを肝に銘じながらおります。
今改めて思うことは、この弟子たちの置かれていた、その中でもって、私であるという彼らが聞いた、この種の言葉、この22節を見ますと、それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて船に乗り込ませ、
自分より先に向こう岸へ行かせ、その間に群衆を返してしまわれたという言葉があります。
私がここで強いて向こう岸へ行かせたという、この真をなさったこと柄。
その前には、同じページを開いてまいりますと、そこには、イエス様が2匹の鵜と1つのパンで持って、5000人の人々、これは男性で大人でというようなこと柄が別のところに書いてあります。
ここでもそうでしょうかね。
そうするとですね、1万を超すような人々ですよ。
私はあのガリヤ湖湾に、あの山上の教会というのでしょうか、そこに立ちましたときに、イエス様はここであの大きな技をなさったのかなと。
イエス様の時代と、今日見ているこのガリヤ湖と、何も変わらない。
日本ならば、いろんなところに広告塔が建ったり、ホテルが建ったりするでしょうけれども、その一角はですね、そういうこともなくて、もう自然のまま、昔のままというのかなと。
昔がわかりませんから、ただその聖書のそれを読んでいきますと、そのままの状態なのかなと。
そうするとですね、ここでイエス様が弟子たちを通して、それで手分けしてみんなにパンを、そして魚を提供されたという、ここがそういう場所と想像しても許されるんだろうかなと思いながら、非常に考え深く、その修練の様子も見ました。
弟子たちはそれこそ、イエス様のお手伝いということを持って、得意満面、一生懸命、彼らはですね、このみんなのところに行って、そして手分けしてパンを、そして魚をというふうに分け与えていったでしょう。
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そういう、それこそこんなにも大きな経験をしたという、彼によってはイエス様に仕えてきてよかった、これからもそうしようという意気込みを持っておったところが、この二十二節、それからすぐ、イエスは弟子たちをここに敷いて、船に乗り込ませて、自分より先に向こう岸へ向かわせられたという、ここですね。
そしてその後の、この事柄が、今の言葉を中心とした、このスイートの出来事ですよ。イエス様がおっしゃったから、行こうと言って、そして出たでしょう。
ところが途中で、こういう思いもしないような嵐に、彼らはこれから数時間悩まされていくわけですよ。
時に私たちは、そういう場面と言いましょうかね、そういう思いもしないような事柄の中に戸惑い、不安に落ち込み、そしてこれから先どうなんだろうか、先ほど幾つかのことを申し上げましたけれども、
今私たちは、核兵器とか、あるいは病であるとか、あるいはこれからなっていくのでしょうけれども、基金であるとか、その一つ一つを考えてみてもですね、一体これから世界はどうなんだろうかという、本当にこう見通しのたたない中に、これから向かっていく。
弟子たちの慌て、そして驚き、悩む、そして彼らの戸惑いというのを、この一連の言葉の中に感じますね。
そういう中で、なんとイエス様が、彼らにとっては思いもしないような展開が、そこで彼らを目撃するわけですよ。
イエス様が荒れ狂うその湖の上を歩いて、そして彼らのところに寄ってこられた。
私は二度ほど、そのガリヤ港の船に乗って、そしてそれこそ向こう岸まで行く機会が与えられました。
その船の中での礼拝で、その時この箇所からお話をいたしました。
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今は穏やかで、何の不安もない。このままスーッとこう行くでしょう。
しかもその礼拝の間、エンジンを止めますので、早くお話もしやすい。風もそよ風的な、そういうこと。
ところが私が大阪で連動しておりました時に、気象台に勤めております方が、
先生、地形的にはガリヤ港というのは杉鉢の底みたいなんですよ。
だからちょっとした風が起きると、また新たな風を呼んで、
そうしてもう数時間もかかわらないうちに大嵐になるというのが、あのガリヤ周辺の気候なんですよと言ってくれました。
しかし私どもは二度と何の問題もなく、
ですからこんなところでね、のどかな、そこでメッセージができるとはなんと幸いだろうかなと話をしました。
しかしもしここでもってこういう展開が起きたならば、私たちはどうしましょうかという話もついでにいたしましたけれども、
とんでもない弟子たちが、パンの大きな奇跡を見てきて、そして得意満面という、
そういう背中でもって彼らは思いもしないような、この事柄に迷わされるわけです。
私たちはどうやったってですね、私の日々の生活は何一つ問題なく、そうあってほしいし、私たちの願いでもありますよ。
先日の主の祈りのときの学びのときに申し上げましたけれどもね、あの主の祈りの中にね、私たちを試みに合わせないでという、私にとってはね、非常に大きな慰めですよ。
イエス様はこれから迎えるであろう、あるいはかもしれないような事柄に、
こんなものがですね、ちょっとした事柄でもって動揺したり、不信仰に陥ったりするようなもんですからね。
けれども、そういうことを見越しておられるイエス様はね、私たちの側の祈りとしてね、
そこに私たちを試みに合わせないでくださいというのは、なんと救いがそこにあるだろうか。
試みにいるだろう、しかし頑張りなさいという祈りじゃなくてですね、
その試みの中に、私たちが祈ることを許し、私たちをその中から救う。
罪の許しの問題の前に、こういう私たちにお迎えくださる、この主の具合というのを感じます。
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この場面もそうです。彼らは思いもしないような状況の中でもって、彼らはそこで思いもしないことを聞きました。
既に彼らは、あの五つのパント二式の具合の時のイエス様のお言葉を聞いてますよ。
けれどもしかし、この中で聞いた彼らは、彼らのこの後の生涯を本当に勇気づけるお言葉だった。
私はペトロの手紙を読んでおきますとね、特にペトロはそれを聞いた時になんて答えました。
主よ、もしあなたでしたら、私に水の上を歩いて来いと、ここまで来いと、思い知らせてくださいと言ってですね、いかにもペトロらしいんです。
そして彼はね、人類史上、その水の上を第一歩、歩いた人と言ってもいいかもわかりません。
けれども波風に驚いた彼は、もうすぐそこで思って溺れる。
その時に彼は、なんて言いましたか。三十節ですけれども、ところが風を見て怖くなり、ひすみかけたので叫び出し、主よ、お助けください。
さっきのお祈りと、この祈りとの大きな格差と言いましょうかね。
最初は、もう他の弟子たちはそんなこと言えないだろうというのは、もう自分を見せるためだったでしょうか。
主よ、どうぞ私を、このあなたのもとに生かしてくださいという、ひさらしい祈りをしていますよ。
お祈りというのは、私は決して格好のいいお祈りというよりも、
本当に真実の祈りというのは、彼が主よ、お助けください。
その祈り、イエス様は、彼がそのような祈りをしました。
ところが彼は、そこに改めて見たのは、ここでもイエス様はすぐに手を伸ばして、という言葉ですね。
まあ、あなたが言ったんだから、もうちょっと頑張りなさいというような、じゃないんですよね。
彼の本質で言いましょうか、彼の弱さ、それをイエス様はそこで持って、ペトロ自身が知った時に、そこで手を伸ばされた。
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ちょっと申し上げましたけれどもね、あのペトロの手紙を読んでみますと、
こういう経験が、この言葉を後に語らしめ、あるいはそのように各教会に送る、この一文として残された、書かれたんだな、と。
例えば、もう時間がないでしょうか、ペトロの手紙のね、私は好き嫌いで言うんじゃないんですけれども、
ああ、いいなあ、という言葉でもって、いつも覚えておりますのは、この6節、ペトロ大使の手紙の5章の6節。
ペトロ大使の手紙の5章の6節。
ですから、あなた方は、神の力強い御手の下にへり下りなさい。
神がちょうどよい時に、あなた方を高くしてくださるためです。
あなた方の思い患いを、一切、神にいざねなさい。
神があなた方のことを、心配してくださるからです、という。
この言葉の背景が、私が一つは、この場面にあったんじゃないか。
もう一つはご承知のように、ペトロは、そこでも彼の本性が出ているんですが、
あなた方のうち、誰かが私を裏切るといった時に、ペトロはそういうイエス様のお言葉を再現化のようにして、
そして他の弟子たちに対して、これ見よがしに、いや、彼らが知ります。
けれど、私に限っては、イエス様は、どんなことがあっても、あなたに従ってきます、と言って、
それこそ、その従いも渇かないうちに、彼はイエス様がおっしゃった通り、イエス様を裏切っていくわけですよ。
どうしようもないペトロです。
しかし、この場面においても、イエス様は、すでにペトロを始め弟子たちのために、
イエス様がお祈りなさったのは、あなた方の信仰がなくならないように祈った。
特にペトロに対して、そうおっしゃったんですね。あなたの信仰がなくならないように祈った。
だから、立ち上がった時には、他の弟子たちにも、それを励ましてあげなさい、という言葉ですよ。
ペトロにとっては致命的な、そういう二つの経験。
それが、ペトロの手紙を生んだのではないかと、そう思うぐらいに、
私はこの一連の言葉の中に、「主よ助けください。」と言った彼に、手を伸ばして、
そして、信仰の強い人だなとおっしゃいましたけれども、
けれども、イエス様はそれを全部受け止めて、彼を立ち上がらせかざんだ。
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お前のような信仰の強いのは、もういい加減にせい、と言うんじゃないんですよね。
本当にどこまでも、ペトロをはじめ、私たち一人一人のために、しっかりしなさい。
私だ、恐れることはない。
ペトロはかみしめたでしょう。本当にこれを深くかみしめながら。
それも、彼はまた失敗をするんですけれどもね。
けれども、後々において、これは彼の血となり肉となって、
そして、白霉の境から殉教者の一人として、
やがて、主のために十字架に、逆さばりつけと言われておりますけれども、
そこについて、そして殉教していった。
最後にもう一つの点は、私たちにとって、
このお迎えすべき方のお言葉だということ。
イエス様をしっかりと私たちのうちにお迎えするお言葉として、
私はしっかりするんだ。私だ、恐れることはないというこの方で、
私たちの全部にこの方をお迎えしていく。
予言者、涙の予言者とも言われたエレミーアもまたそうです。
このイスラエルがバビロンの前に屈することと、
そして滅亡する。
だから、あなた方はバビロンに屈しなさいということを、彼は予言するわけですよね。
それこそ、命が行き去っても足りないような状況。
けれども、それがエレミーアをして、イスラエルの人々に語りなさいというメッセージだった。
彼はどれだけ命の危険をそこに感じたか。
最後には深いホラーにですね、閉じ込まれてしまって、もう助け出されるということもない。
神様はバビロンの兵隊たちを通して、このエレミーアを助け出すんですけれどもね。
ところがエレミーアは、そういう厳しい厳しい中でもって、
もうそこまで言わなくちゃいけないのですかと、そういう思いも人間的に言ったらば、あったかもしれない。
けどしかし、やがてイスラエルはバビロンの前に滅んでいくんだ。
けれども、彼の予言はそこで終わりじゃないんですよ。
あのエレミーア書の29章でしたか、そこを見てまいります。
やがてこのバビロンから70年の地に回復される。
元通りにするという言葉が、その辺りからたくさん出てくるわけですよ。
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そして、これも大切なところですから、じゃあやってみましょうか。
エレミーア書の29章。
29章の11施設。
私の前の役の聖書では、1296ページですけれども。
この29章の11施設に、私はあなた方のために立っている計画をよく知っているからだ。
主の密言、それは災いではなく平安を与える計画であり、
あなた方に将来と希望を与えるためのものだ。
あなた方が私を呼び求めて歩き、私に祈るなら、私はあなた方に聞こう。
そして14施設。
私はあなた方に見つけられる。主の密言。
私はあなた方の繁栄を元通りにし、私があなた方を追い散らした先の全ての国々と全ての場所から、
あなた方を集める。
そして、あなた方を元のところに帰らせるということも、そこの予言の中にエレミアは、主から託された言葉として語っています。
70年後。
少し前と言いながら、50年前の話をするという、先週のことをちょっと申し上げましたけれども。
エレミアは、70年後と言うことでしょう。
しかしその通りですね。
思いもしないような、やがてバビロンが滅んで、そして次のペリシャナが来た時に、神様はイスラエルの回復後のその手を始めなさったわけですよ。
しかも、やっとそこで回復したんじゃなくて、全部やる、交費と言うんでしょうか。
ペリシャナをお金で持って、あなた方はイスラエルに戻って、そしてもう一度国を立ちなさい。
あなた方から分取った、あのネルカネザルの住む財産をみんなあなた方のもとに返すから、それを元にしてやりなさいと言ってですね。
それこそ想像もしないような、回復の道を70年のうちに、現実にあったわけですよ。
その時、エレミアが聞いた、その子供もそうですよ。
しっかり住んだ、私である恐ることはない、と言うのです。
彼の人間的な思いからは、意味反するようなことを言わざるを得なかった不安、焦り。
そして実際そのために、自分の命が死に瀕するような、そういう状況。
けれども、その中でもって、彼は、彼もまたその中で、しっかり住んだ私である、恐ることはない。
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どうぞ、このことを私たちに向けておられる、イエス様のお言葉を、
そして、イエス様ご自身を、私たちのうちに、しっかりと捉え、死に申し上げていきたいと思います。
お祈りいたします。
恵み大衆よ。