1. 名谷教会
  2. 2014/04/27:新しい出発
2014-04-27 41:35

2014/04/27:新しい出発

2014/04/27 聖日礼拝

斎藤亘師

ヨハネの福音書 -23


00:01
礼組深い御在天の地なる神様、今朝はこうして復活を迎えました私たちに、復活後の最初の礼拝を、そしてこの朝をお与えくださったことを心から感謝いたします。
今朝は勧告から御両親も見えたりして、本当に私たちにとっては共に積み合っての喜びを感謝を分け合うときをお与えくださいました。
またしばらく怪我でもっておられましたけれども、ここまであなたが癒し、強めて守ってくださっていることをありがとうございます。
神様がどうぞこの地においても、一人一人をお守りください。また、私たちも一人一人をこの宿、あなたの店の中に守られて、新しい一週間を全うすることができるように祈られておりますように。
それでは、お読みいただきます。
それでは、お読みいただきましたこのジョハネによる福音書の20章から、今朝御一緒にお言葉を開いていきたいと願っております。
週報にも書いてありますように、聖祝はいつか礼拝として、大勢新しい方や、また共同されておられる方々をここにお迎えして、そして55名の素晴らしい方々をお迎えして、一緒に礼拝を仰げてきて本当にうれしく思います。
今朝お読みしております、これは復活された日の夕方の出来事ですよね。
復活されたというこの知らしを聞いた出来事は、特にこのペトロとヨハネは、そのイエス様がこの保護られたところに行って、そしてどうなっているんだろうと思っていたら、主人たちが言うようにご遺体はなかった。
そしてイエス様が復活されたということを、この二人はそこで持って確認したわけですよ。
ところが、じゃあ彼らはそのところからイエス様が蘇られた、ハッピーサーキットですね、そしてみんなで喜びあったかというと、それはないんですよ。
03:04
出来事は、復活されたという事実を受け止めようと思うんですけれども、なかなかそれが信じられないで、そしてそれこそある家の、それこそこの片隅に集まって、そして声を殺して静かにして、
実はあの時イエス様を捕らえ、そして十字架に追い当てたあの連中がやってきて、私たちも同じような目に遭うか分からないという、そういう不安の方が多かったわけですよね。
ですから彼らは、とにかくまだしばらく静かにしていようという、そういうことでもっての状況が、今読んでいただきましたこの19節以下の記事でありますね。
それこそ私がクリスチャンになって、小学生の頃だったでしょうかね、ちょうどその頃、日本にこのプロテスタントが伝わって100年になるという、そういうことで100年になったかな、そういうことでもって、それなりのこの当時行事が行われておりました。
それから数えますと今、155年ぐらいになっているんじゃないかなと思ったりもします。
私がまだ、ですから信仰に入ってクリスチャンになって間もないときでしたから、ラジオでもって仏教学者で、また哲学者でもあったんでしょうか、亀勝一郎という方が、
北森和夫という当時、東京心学大学の方で教えておられた有名な先生と対談があったんですね。その対談があった内容の中で、非常に私に興味を持たせたのが、
北森先生のことよりも亀というこの仏教学者が、なぜ今日までキイチョ教がずっと減ることなく、なくなることなく、いよいよその範囲を広めている。
そして日本でも100年になる。カトリックから比べたらもっとなるんですけれども、プロテスタントが日本に来て、そして裏川という、そこに黒船が来た、あの黒船の中で行われた礼拝が最初の日本の業界においての礼拝だったそうですよ。
ですからたぶんその辺りから数えているのかもわかりませんが、とにかく100年になる。けどなかなかですね、日本の伝道というのが、100年になるのにもう一つ震わないということでした。
けども、震わないと言いながら、なぜ今日まで日本だけじゃない世界にこの教会というものが存続して、そしてまた増えつつあるのか。
06:08
この亀先生という方は、それはおそらくね、毎週クリスチャンが教会に集まって、そして礼拝を捧げる。これだろう。
まあこの方は別にそういうことでデータを挙げてきたわけでもないでしょうけども、ただ仏教とキリスト教ということを比較考えますとですね、
日本において、確かに100年経ってまだこの程度だけども、しかしなおそれでもこの宣教伝道というのが、仏教というのが行われてきている、それは毎週礼拝。それがそれぞれのこのクリスチャンが集まっているところにおいてもたれている。
大正は異なっても。しかし毎週は礼拝というのは、これはすごい力だと。それが2000年ずっと続いて、そして来ている。
その起源はどこかというとここなんですよね。イエスラムが復活されたという。その事実を、確かに大正は彼らみんな恐れて、そしてもう息をひとめて、そしてこう隠れるようにしとった。
けども彼らはそこで、イエス様を礼拝するという、それを知っているわけです。
私は以前は神科学説書ですと読んでおりましたから、公文学説書にはない教教宣というのが時々わかるんですが、この21節にここに、イエスはもう一度彼らに言われた平安があなた方にあるように。
公文学説書ではまた言われたという、軽い表現ですっと映っていくわけですね。記されているわけですね。
ですから過去の私には、公文学説書の時はあんまり訴えって言うんでしょうか、それを感じなかった。
けどもこの神科学説書になって、そしてもう一度彼らに言われたという、神教学説書の方ではカカネコという言葉がそこに使われているんですね。
私でもアゲインという言葉ぐらいわかるんですけれども、英語説書ではだいたいそういうアゲインという言葉が使われてきているんですね。
そしてイエス様はできた時に、この平安があるようにという言葉は、皆さんよくお存知のシャローンという言葉が使われているわけですよ。
09:04
本当にあなたの心に平安があるように、あるいはあなたの健康であるように、あるいはあなたのその連れての働きがもっと反映するようにとか、いろんなこのシャローンという言葉の中にはいろいろあるわけですよ。
申し上げたことがあるかと思うんですが、初めて石田へ行った時に、視界のほとりでもって、本当にこれ至高なんだなということで、ちょっとなめてみたりもしたんですが、そこに日本で言ったら遠足なのか修学旅行なのか、とにかく子どもたち、小学生の高学年が修学生ぐらいの子がずっと来ておりますよね。
そしてそのあたりの説明を受けされるわけですよ。さらにびっくりしたのはね、先生ではないと思うんですけどもね、小銃を抱えた人が2人、いつもそこに突き取っているんですよね。これがイスラエルの現実なんだなと一つに思いまして。
いつもどこでどういうことが起こるかわからないということで、そういう武器を持ったガードマンがあるんです。その子どもたちに私がシャロームと言ったんですよ。こんな言葉は今使えるんだろうかと。
半信半疑で会った。そしたらね、シャロームと帰ってきた。この言葉は生きているんだなと思いましてね。それから、シャロームと挨拶をするんです。出所はここですよね。平安があるようにとイエス様がおっしゃった言葉ですけども、そこにはこのシャローム独特のそういう白い幸せを願うところもそれがある。
関西は大阪ですか。モーカリマッカーというのが挨拶だということをこの来た頃によく耳にしましたけどもね。まさかさっきからにそうかなと思うようなそういう場面も見ました。
モーカリマッカーもいいけども、あなたに平安があるように神様の幸があるようにという、よっぽどこっちの方がいいなと。そう思いましたよ。
イエス様はやっぱり出来立ちにね、彼の怯えているその姿を見たときに、日常の挨拶用語としてシャロームと言ったんじゃなくて、今この出来立ちに必要なものは、大切なものは神様が与えなさるところも平安なんですね。
イエス様がこのヨハネによる国書の十四章の初めにね、あなた方は心を騒がせないが良い。神を信じ、また私を信じなさい。そうおっしゃって。そして有名な最後のメッセージですけど、それが十四章からスタートして十七章、十七章大祈りですけどもずっと続くわけですね。
12:03
冒頭に言われた言葉は、ここでも表現こそ違いますけども、シャロームということなんだ。イエス様はそういう意味でもって、あなた方はもう心配しないで良い。神を信じ、また私を信じなさい。そこに本当の平安があるんだよということをおっしゃっておられるわけですよね。
そしてそこでおっしゃっているのは、私は行くけれどもまた再び来る。あなた方に天においても宿前がシャーッとできたときに、あなた方を迎えに来るということをおっしゃっている。
私たちはそのときは、一体どうなんだろうか、どこなんだろうか、言われてもそのときは十分理解できていなかった。おそらくイエス様が復活されたこの場面でも、彼らはもう十四章においてイエス様がおっしゃったそのお言葉をしっかり把握しておくとならば、こんなに怯えて、そしてどこかに逃げ場がないだろうかというようなことでもって、誤差をする必要はなかったと思うんですよ。
キャロームを与えなさるイエス様がね、そうおっしゃったんだから大丈夫だ、と。そしてそれが証拠にイエス様は復活なさったじゃないか、そういうふうに彼らは理解すべきなんですけれども、しかしそこにもし自分も言わせとすれば、この弟子たちからおっしゃる同じだったと思う。やっぱり復活した。
それがそれらしいことをイエス様はおっしゃっていたけれども、けれども現実には目の前でもっと十四章につけられたじゃないか、と。そして保護されてしまった。
でもイエス様たちが言うように復活されたと言っても、確かにそこに起こりたいはないけれども、だからといってそれが復活の証拠になるのか、誰かがどこかに移したのではないだろうか、と。いろいろと疑えばきりがないですよ。
ですから彼らは、その復活よりも現実のこの不安をどうしてくれるのか、自分たちのあのイエス様が、うごとらしい才能を持ってそうして葬られてしまった。しかも原因は何ですか。
確かに特定的には、あの湯沢の地にいるそれによってローマの兵隊たち、あるいは最強やパリ大学の人たちがやってきておいて、イエス様を手にかけて連れて行ったわけでしょう。
彼らは、その現場でもってどういうふうな対応をしましたか。確かにペトロワはそういうふうに思ってね、この耳をはねさせる、そしてイエス様をはねしすぎるというものをするので滅びるということを、そういうことをおっしゃって、そしてそれをやって、ダメとおっしゃった。
ですから、じゃあその後できるだけはどうしたのか。自分たちを防御できるものは何しつつないものですから、もうそれがみんな逃げてしまった。逃げていく一人の子供を捕まえられてしまったためにその精霊はですね、それを脱いで、そして裸になって逃げたというような、そういうような場面も引きされておりますよ。
15:17
それがマルコじゃないかという説もあります。これはマルコによる福音書に書いてあると思いますね。ですから、弟子たちは一番そこでもって自分たちが、もうイエス様を守らなくてはいけないのに、みんな逃げてしまった。
これが起こるまではかっこよかったんですよ。特にペトロナムカは。イエス様、他の弟子たちはどうであっても、私に限ってはイエス様、あなたを裏切ることなんてことは決して言いません。そう言って大見えを切ったんですね。
そして彼はもうそこでもって、もう私こそがこのジュニエスの中の人だ。そういう責任感でしょうか、目立ちがあれやでしょうか、とにかくそこでもって彼はそう言っておけたんですよ。
それから時間的にさほど経っていない、このゲステマヌの園においての展開が起きたときに、イエス様もヨホネもヤコブンも、みんな手出しできないで逃げ去っちゃった。
ただペトロナムカは、やっぱり痛みを感じたんでしょうか、その後をついていくわけですよ。そしてついてきながら、一体この後イエス様はどんなふうな御承知を受けるんだろうかな、という思いでしょうね。
イエス様がずっと連れて行かれるときのゲステマヌ園から連れて行かれるところの、その当時と今現状においてもそう変わらないという坂道って言うんでしょうか、そこに階段みたいなのがあるわけですよね。
そこをずっと敷き詰まれて、そして出されていった。それを私は一段ずつ上がりながらね、2000年前にイエス様はこのところにあいまれて、そしてそこに入れられて、そこにケノペトロナムカもやってきて、彼はそこで思って、この後何があった、どうなんだろうか。
そして息を殺して見ていたところが、そこに女中さんがやってきてね、ほら、あんた、あのあそこに捉えられている、あのイエスにともしていた人と違うの?ってこう言われたら、いや、私は知らない。どうなんだろうかと思って、たぶん民主派だけで何も関係がない。
18:05
そして彼はあわせて別のところのファイアーのもとに行きました。そしたらそこでもみんなにこう言われて、やっぱりあんた見たなと言われたら、彼が一生懸命否定するんですけれども、それが東北並ですよ。私は東北弁だったんだなと。
エルサレムから言うとガリエナの方が東北ですからね。ですからそこで彼はいつもは標準語に近い言葉でもってこうやっていたんですけれども、とうなずこういう不安の塊の中におりましたし、どうなるかわからないというところから本音になって、そして東北連で、俺知らん、俺知らんと言う。
知らんと言うんじゃなくてね、新年齢とか、なんかそういうことをペトロンが言ったんじゃないかなと、そう思ったりもするんですよ。それぐらいペトロンもできたりも。
というなら取り返しがつかない失敗をそこで引き立てるんですよ。そういうことをこう思いながら、イエスはもう一度彼らに言われた。もう一度、あるいは重ねてという、今の神教学生者の方のそれを用いて考えます。
というならばイエス様はそこで失敗をしてしまって取り返しがつかないけれども、その弟子たちにもう一度チャンスを与えなさっている、その言葉であろうと私は、今までにない、またという神教学生者のその表現では理解できなかった、そういうもう一つのこの福音というものをもう一度あなた方に言って申し上げて下さいと。
やっぱりイエス様という方は素晴らしい方だなと、そう思いながらこのことを最初にこう味わいましたよ。やっぱり神道生活、何年かこうやっていくうちにですね、僕自身一緒です。
いろんな問題が起こりますし、また自分の不祥事でもそういうようなことで、この周りに迷惑を受けるようなことがありますよ。
けれどもどういう先においてもイエス様は本当にこう守ってくださっているんだな。だから私は昨年3月で終わったときにですね、一応ここまで来れた。
けれども一応というよりもイエス様が守ってくださった、補ってくださった。そしてまたここで言われているように、もう一度私にもそういうところから立ち直って、そして歩むことができるように、それがあっての今の自分だなということを、もうそれをつくづく思っておりますね。
21:03
そしてそこにあるのは本当に死の憐れみであり恵み、もうこの一つの言葉に全部が尽きるのではないだろうかとそう思いながら、今こうして与えられたその方針によりイエスの務めに当たっておりますけれども。
私にもう一度というこれがなかったなら今もうダメになってしまった。あの場面でこれがなかったらダメだっただろうなとかね。中でも交通事故を起こして、そしてもうどうしようもないという、そういう人身事故ですから、もうとんでもないことになっていくわけですよね。
けれども私にとってはその一瞬、その1歳10ヶ月のここを引いてしまったときに、私のこの当時乗っていてもらいましたのが、1500か600のスプリンターというカローラーのような車。それをね、持ち上げてくれたんじゃないかなと。
だから警察に行って、そしてその車が上に持ち上げられて、そしてこの辺にこの跡があるとか、この辺にこの敷いた警察があるとか何とかという、それを写真撮っている、それを見ますとですね、やっぱり敷いちゃったんだなという現実でした。
けれどもしかしね、それはその事故だけで終わってしまった。うまいこと両輪の間を通ったんじゃないか、中にその子がおったんじゃないかと思うんですけども、そうではない。
それがありますし、その子供の着ていたその衣服にもそのタイヤコンがありますから、これはもう実際不全ですよね。もう天使が一瞬それを支えてね、そして大事に至ることがないように。
あの傷は、1週間のタボク傷かカセル傷か、何か恐れている。だから信じられないんですよ。ですから医者の方も仲がやられている場合があるから、だからこの一行日、翌日、翌日、何か子供が訴えたならばすぐに救急車で持って運んできなさいとか、そういうアドバイスも受けて、そしてもう1日、2日、もう大変なことでしたね。
けども、経っても別に問題ない。1週間経っても問題ない。そして、乗ったかもしれないから、病院で見たり掘って行って、連れて行って、そこを見ても異常はない。どっか骨折しているかどうか、心配だからその病院に連れて行ったら、連れて行って、そして見てもらっても、どこにも何にも問題ない。
その間にかつに今度はその病院でのその1週間という、それで終わっちゃったんですね。不思議でならないんですね。ただ、私にとってはね、申し上げたように、主が私を守ってくださった。
24:07
しかもその翌週の日曜日には、街道ができて、その剣道式という、一番華やかな、大事な、そして大勢の方々、先生たちや教会の方たちが大勢に出会えるそういう時でしょう。ですから大切な1週間をこれから迎えていくという、その矢先にやってしまったから。
私はね、そのことを思っただけでもね、本当に神様がね、イエス様が守ってくださった。そして当時が起こったけれども、もうすぐこのところからやりなさいという、私は何かそういう思いで、今も当時のことを思い出します。そしてその時の私にも平安があるように。
私はあまり覚えていませんけれども、後にも先にも、食事一食の日以降は、その時のお昼だけだったという。
心臓の施術をした時でもね、キャントル病院の方では、施術の最終でも食事をとってあるそうですよ。それで、ICCですか、UCCじゃなくて、そこからICCでね。
ICCか。もうおこっちゃになっておりますけれども。そして自分の部屋に戻ってきた時に、昨日のお昼の用意がありますけれども、もらえますと言ったそうですよ。
私はそれが起こったんですけれども、彼女がそばにいると、何でこの人と思ったのかそうですけれども、せっかくね、昨日から準備してもらっているのに、それを食べなかったら悪いんじゃないかというような気持ちが働いたのかわかりませんが。
そういう病院で大きな施術をしても、キャントル食事だけはきちんとした。それがその事故の時だけは、もう食べられなかった。それを覚えているんですよ。それぐらいのことでした。
だから本当にこの心配の塊みたいなものだった。ですから私にとって、イエス様が復活されたというのは、ただ、そういう方が復活されて、やがて私たちは天国に行けるんだというだけじゃない。
まあ、だけじゃないからなんですけれども、それが一番ですよ。けど、復活されたという事柄が現実の今の私たちにどういう係りを持っているのか、それはね、どんなことが起きても、ゆるがない平安なんですよ。
先ほどもちょっと思い出せないですけれども、弱い者でも強くなるですか?強い人になれる?
強い人になれる。先ほど歌いながらちょっと思い出しちゃった。それはね、今スタンリッチという選手が九州のソフトバンクに移ってしまって、それまでの阪神大学でマートンと一緒にやってたんですね。
27:17
彼が、この二人がアカシ・ヒトマル教会に来て、そしてアカシをしてくれたんですよ。アカシ・ヒトマルだからアカシをするというわけじゃないですけれども、来てもらって、そうしてやった。
で、スタンリッチはね、その時に彼が、私の一番大切に言っている言葉は、ピリピリ音痴の言葉です。私を強くしてくださる方によって何事でもできるという、それですと言って、彼はそれを必ずサインに同時に書いて。
で、マートンの方はちょっとややこしい言葉なんですけれども、とにかく私はそのスタンリッチの、私の好きな言葉でもあるしな、私たちは限りなく弱いんだよ。
でも、私を強くしてくださる方によって、私はどんな事でもできるという。これね、最初の方を抜いてやったならば、それこそ私は何もできるという。ナフレオみたいな、私には不可能な事もないという、
もうそれこそ自分の力でもって、もうこれまでやってきたし、これからもやっていくというような、そういう事でもって、人はそれを称賛します。しかし、パウロはそういう意味でこの事を言ったんじゃないですね。
あくまでも、私はどんな事でもできる。その前に、貧しくあっても、どんな時であっても、私はそれにもう全部対応できるという事を言っているんですよ。
そう言って言いながら、しかし、それは私ではない。私を強くしてくださる方。ここで言うならば、復活され、そして平安を与えなさったこの方によって、私は本当に強くされ、それでできる。
3月21日はいつも完全なピッキングをして、そして阪神大合戦に勝利をもたらしたからと言うと、あやめてそういう時、もうみんな打たないもんだから負けてしまうという事があって、先生、ダメだったんですね。
この3月に福岡でお会いしましたら、先生、今度は九州でやりますから、祈ってください。勝ったのにお祈りするのかなと言ったら、どんな事が起きても、自分が最善を尽くせるように、私に力を与えられるように、祈ってほしいという事をお知らせになりました。
私たちにとって大切な事は、まず、私を強くしてくださる復活されたこの方に、この方のもう一度、弟子たちに言われた言葉、それがこの後に続くところの言葉なんですね。
30:01
この二十一節の、そのもう一度の言われたというその後の三百個。平安があなた方にあるように、日が私を使わせたように、私もあなた方を使わせます。日が私を使わせたように、私もあなた方を使わせます。
外天に書いてあるそうですが、イエス様が地上においてのすべての技をおいて、そしてこの天上に帰られた。天主の方がガブレルが、イエス様は地上において、あのような素晴らしい事を完成された。
しかしイエス様、イエス様がこうして天に戻られた後、あの事は一体誰がこの後受け継いでいくんでしょうか。誰が伝えていくんでしょうか。
そしたらイエス様は、それは残してきた弟子達です。ペトロヨハネヨヤコウというそういう弟子達も含めて、当時のこのイエス様が復活されて、みんなにご自分のそれを明かしながら、それを目撃したあの人達ですよ。
そしたらガブレルは、彼らはそこまで信頼してその信頼に応えるような人達だったでしょうか。みんな最後にはあなたを裏切って去ってしまったじゃないですか。
その彼らにあれほど大きな大きな父なる神から誘われたその噂をなさったにも関わらずと言ってですね、ガブレルはその時イエス様はね、私は彼らを信頼して。
もうその一言でガブレルもオカミ天使達もおさまったというそういう、まあ開店らしいお話ですけれども、それをポーロリスという先生がケジックの正解で持ってお話しなされた。イエス様はそういう方なの。
私達は何度もイエス様の期待をあげるような、そういうようなことをやってきました。そして最後の最後に至ってもそうでした。それでもイエス様はここでおっしゃった。君が私を使わされたように、私もまたあなた方を使わせる。
イエス様はこの寺院においての三十三年の御障害として私達に対するこの大きな作りの噂をそこになしてくれた。そしてそれは全部使わせてなさった父なる神の御心に沿ってなさったわけでしょう。
33:10
そこにはキキと子なるイエスキリストのもう本当に一体とされたところの深い繋がりの中においてその噂がなされた。その根拠は一瞬たりとも少しの揺るぎもない。疑いがそこに入るのでもない。
確かにイエス様は十字架につけられた時にどうして私をお世話になったんですかと叫びました。祈りました。そこには断罪されていくその十字架の苦しみというよりも父なる神と子なる神の、しかもそれが御自分の罪ではない私達が犯してきたその罪のために、それでもってイエス様が罪とされる。
言い出して下さい。そういうことでしょう。全く罪を犯したこともない。そして父なる神との関係においては本当に素晴らしいその関係がこの時だけは私達の罪を背負ったということのために、しかも全部イエス様は追われた。
追われたということは父なる神の信頼にそれこそ応えることができなかったという表現ではないんですけれども、その関係というのがそこでただれということで。それにイエス様は耐えられなかったんじゃないかな。
だから母の必要なエロいエロいネマサバクタにどうして私をお見せになったのですか。
このあるイエス様でも私達の罪のためにそれを背負うということのためには捨てられなければならなかった。それほど父なる神とイエス様の関係は全くゆるぎないそういう関係だった。
でも私達の罪の身側となるというこの日のためにその関係が立たれたわけです。
イエス様の最後の祈りの中に、十字架の祈りの中に、あのエロいエロいネマサバクタにという言葉が残ったならば、私達も捨てられなかっただろうとある説教者は言いました。
このコタが捨てられたということにおいて私達は捨てられることがない。この救いに預かってそして今ある。しかもそれを裏付けたのが復活だ。
36:13
そしてその復活を通してイエス様は自分を捨てた。ガブレルもどうしてあなたの弟子達にあなたの最後のそれを委ねましたかと言われるそういう弟子達でしたけれども、しかしイエス様はもう一度彼らにチャンスを与え、そしてイエス様はご自分と父なる神との関係をそこにしきがいに出してきた。
父が私を使わされたように、私もまたあなた方を使わせて、あなた方を信頼して、そしてあなた方を使わせる。彼らはそこで見事なイエス様の方から、回復への道というものがそこで持って言われて、彼らはもうそこで立ち上がっていたでしょう。
どんなことがあってもイエス様はご自分を捨てた弟子達を誰一人疑うことなく信頼し、信任した上での私もまたあなた方を使う。
実はこれは私達に対するイエス様の呼びかけでしょう。私達も大我を犯さないわけではない。
どんなことがあったとしても、そこには自力なイエス様と自分の関係において、私の方はもうイエス様とても顔合わせることができませんと言って背を向けるようなことがあっても、イエス様はその背中越しにね、そこに戻って来なさい。
そして私はあなたを信頼している。あなたを愛している。もう一度このところから、そういうね、またもう一度ということには、そういう意味と私達がもう一度地の上に立ち上がることができる救いというのがそこに約束されている。
補償されている。それがお互いなんですね。失敗しても、それでもないイエス様は追いかけてきて、そしてあなたを信頼しているよと言われる、そういう方ですよ。
私たちはこういう素晴らしいイエス様の復活の家に、今こうしてクリスチャンとして今おれるということは、私の力量じゃなくて、イエス様の側においてのそういう恵みをもって私をサポートし、そして守り、そして全うさせて下さい。
これがイエス様と、復活されているイエス様と、今の私達との関係です。本当にこの関係を心から感謝しましょう。そして本当にその信任に、信頼にお答えできるような、できますと言えないような、そういうお互いだと思うんですけどもね。
39:20
けれども私を強くして下さる方によって、何とかお使いします。お祈りしていきたいと思うんですね。じゃあお祈りをいたします。そしてその後、皆さんご一緒に、短くお祈りをおさげいたしましょう。
父が私をお使いしたように、私もあなた方をお使いします。イエスはもう一度彼らに言われた。父が私をお使いしたように、私もあなた方をお使いします。
レグミフ会主よ。復活後においての、なお怯えている弟子達の中に、あなたがその中心にお立ち下さって、そして十字架の上でお受けなさった傷を示しながら、この弟子達、イエス様を捨てて、そして逃げ去ってしまった彼らに、
イエス様の方から近づいて、そしてもう一度彼らに言われた。この言葉がなかったならば、弟子達は戻ることもできません。いだと同じような道を歩んでいったかもわかりません。
しかし、もう一度彼らに言われたこの言葉のゆえに、彼らはこのところからあなたを礼拝し、このところから彼らは立ち会ってまいりました。それほどの言葉を今、私達にも語りかけてくださっていることを感謝いたします。
どうぞ、主のご期待に幾分かでもお答えできるような、クリスチャン障害を全うすることができるように導いてください。主よ、キリストの皆によって祈ります。アーメン。では、ご一緒にお祈りいたしましょう。
41:35

コメント

スクロール