1. 名谷教会
  2. 2015/04/05:聖日礼拝(旧音源)
2015-04-05 19:35

2015/04/05:聖日礼拝(旧音源)

2015/04/05 聖日礼拝(旧音源)




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皆さん、おはようございます。
今日は、イエス様の復活を記念し、またお祝いするイースター恋愛でございます。
名谷教会の恋愛では、メッセージの前に、お互いにですね、挨拶をされたりするんですけれども、
今日もよろしかったら、右左の、あるいは後ろの、イースターおめでとうございます。
よろしくお願いします。イースターおめでとうございます。
愛する天皇神の神様、私たちも救いのために、また幸せのために、永遠の命のために、
十字架の地から生みがえられた、イースティストの復活を記念し、また感謝するこのイースター恋愛を、
私たちのために神様が設けてくださり、一人という名を呼んで、このところに集めてくださり、ありがとうございます。
今日も恋愛防止で、神様の御名が崇められ、またここに座っている我々一人一人の心の内に、
死から来る平安と、慰めと愛と、いずれの希望で死を満たしてくださいますように、
身で委ねます感謝して、イースター様の皆においてお祈りいたします。
アーメン。
イースターは日本語ではないですね、英語なんですけれども、
日本語で言いますと、復活祭、あるいは復活祭と言えると思います。
イースターはキリスト教の最大の記念日と言えるでしょう。
クリスマスがイエス様の誕生をお祝いする記念日であるならば、
イースターはイエスキリストの復活をお祝いする記念日であります。
ではですね、復活というのは、その言葉の通りに、
03:05
神の人も蘇るということなんですよね。
初めてお聞きになる方には、おそらく信じがたい、信徒とできないお話であるかもしれません。
初めて聞く人には、みんなそうだと思います。信じがたい、ありがたいというふうに思えるでしょう。
しかし、復活がなければ、今日のキリスト教も、聖徒も、アーメンも、教官も存在でしょう。
世界の歴史も、キリスト、イース、キリスト、以前と以後と分かれているんですね。
以前をラクジで英語でbeしている人がいるんですね、before Christ。
そして、以後はエイリーと言って、それはラテン語でアノノミー、それはキリストの後という意味なんですよね。
実はこの復活の時点に、私たちの新しい人生の土台がここにあります。
私たち一人一人は、ただ単に死に向かっているのではなく、
神様は人生の終わりと同じように、私たちを新たな命、永遠の命に導いてくださるという保障も、実はこの復活にあります。
だから、私たちの人生の結果もですね、ここから、このイースから、イエス様の復活から決まるのです。
第一、復活は力です。復活は力です。
イエス様がですね、十字架を前に進んだとき、驚くべきことが起こりました。
それは、私は十字架にかけられて、三日目によみがえるのだと。
しかしですね、三年間イエス様と一緒にいていたこの絶対的なですね、
その十字架のうちにも、そして三日目によみがえるなんて、そういったことを受け入れることはできなかったんですね。
06:03
三年もイエス様と一緒にいた、絶対的すらも、それを受け入れることができなかった。
そして、今日も出てきますけれども、今日も規定書にもですね、マリアさんが出てきますが、
そのマリアとかマクダラのマリアとか、その本当に深刻深いと思われていた女性たちでさえ、復活を信じることはできなかった。
復活というのは、それほどに信じがたいことだ。
しかし、今朝、そういうキッズとは、朝先にも、これを信じようではないかと語りかけて。
聖書をお持ちの方はですね、一箇所お開きしたいと思いますが、
新約聖書の中にローバーピットというのを手紙に取り入れてあります。
そこの十九節でございます。私が読ませておきます。
という言葉があります。
なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、
あなたの心で神はイエスを死者の中から蘇らせてくださったと信じるなら、
あなたは救われる。
神はイエスを死者の中から蘇らせてくださった。
これを信じるなら、あなたは救われるということです。
皆さん方、キリストの復活、これを信じるところに大きな変化が、人生の大きな変化が起きる。
私たちの人生が変えられる鍵が、真っ先が、このイエス様の復活になる。
この宇宙万物、天地創造を支えた神様が、
イエス様を死から蘇らせることができない神であるならば、
そんな神がもしあるならば、私たちが信じるに至る神と言えるでしょうか。
言えないです。
それができるからこそ、私たちが信頼できる神であると言えるのではないでしょうか。
09:04
この天の死の神様が、
御子イエスキリストを十字架持つと復活を持てる。
二番目は、復活は命です。
復活は命です。
復活は命です。
復活が事実であるならば、天国の命、永遠の命は、確かな命です。
ローマ読者の手紙6章23節には、こういう言葉があります。
罪から来る報酬は、
今あなたは、私にはどうしても解決できない問題がある。
罪であると悩んでいると申し上げます。
イエス様は、あなたのその罪の身代わりに死なれ、蘇られます。
死は、私たちの全ての罪を処理され、完全に解決されます。
主イエスキリストは、私たちは不幸の取り返しのつかない罪のために死んでくださった。
過去、現在、未来にわたって、死は完全に私たちの身代わりとなって、赦してくださった。
だから私たちは、死を解捨します。
すると、この永遠の赦しと永遠の命を受け取るだけで良いのです。
ここにイエスキリスト教のルールがあります。
ルール1つ目は、死亡です。
皆さんは、どんな死亡を抱いていらっしゃるのでしょうか。
どこにあなたの希望を置かせ、そこでいらっしゃるのでしょうか。
この復活、それは天国の希望へと私たちを導いてくださる。
この復活を信じる者には、復活の希望がある。
12:06
つまり、天国の希望があるのです。
私たちはやがて、天国で、あのパラダイスで、再び愛する家族、
両親や夫や妻や子供や、愛する方々と顔と歯を合わせて、逃げるのです。
あるいは、教会で、今のようなオーナーたちは、おじいちゃん、おじいちゃん、おじいちゃん、
牧師さん、天国というところで、今の世元はまたあろうのですか。
どういうことですか。
しかし、皆さん、今の体と心とは全く異なった新しい物に、
この地球にはいない、全く新たに想像が出来ない、
全く新しいものによみがえるから、ご安心ください。
復活により、天国の希望は、確かな人質と、そこには、生徒もいますと、
涙も、病気も、死ぬも、苦しみも、戦いも、戦争もない、
完全な平和のパラダイス、そこが天国なんです。
復活を信じるということは、このパラダイスの幸せを前味することであって、先取りすることであります。
生徒に言いますと、今日の説明にも書かれていますが、
家様が訪問されたお若い家様を本当についていて、立って愛していたマリア様子が、墓に参りました。
ところが、その墓の前で、遠くで泣いていたんですね。
その時に、今日のヨハネの訓示書と同じ、家事の書かれている向川の訓示書、24誌を読みますと、こう言われました。
このマリアさんがですね、泣いていました。
そしたら、天使が、この時、このように呼び寄せました。
あなた方は、なぜ生きている方を死人の中で探すのですか?
15:04
ここにはおられません。
よみがえられたのです。
今日のヨハネの訓示書にはですね、なぜ泣いているのですか?
なぜ泣いているのですか?
誰を探しているんですか?というような言葉があります。
私たちも、こういうことをしていることです。
天の父なる神様、不可能かどうにされた神様、言葉でこの宇宙万物を想像された神様、
その神様を信じていると言いながらも、その神様を死人の中で探しています。
生きておられる死をお迎えしないで、目の前の困難や試練に悩んだり、迷ったり、苦しんだりしていることはないでしょう。
よみがえられたイース・キリストは、弱い私たちを立ち上がらせて下さい。
主は私たちをですね、閉じ込めているあの空の墓のような死亡のない世界から、
石の扉の中に囚われていた私たちの現実を、未来に開いてくださること。
独協、午後から行われます音楽の独協のゲストの姉妹の若さですね、
まさに生きる力が、ただイース・キリストにあるという素晴らしい私だと思うんですね。
主は、その大きな愛のゆえに私たちを日々よみがえりの力、復活の力、復活の希望に預かるものと、
だから私たちの死は真のものではない。私たちの死は、
この世にあるものは、何ものも私たちを不幸にする力はありません。
18:00
神様の愛から、どんなものも私たちを引き離すことはありません。
どんな人にも、どんな状況の中にも、生きる喜び、生きる命とこの
そして、今日と明日を、未来を生きる希望、これこそイース様が実現された神の国なんですね。
私は今ここで、神の国を祝うことはできません。
主は、地から復活して、今も生きて、そして、あなたの身に力よみがえられます。
そのイース・キイストをよみがえらせた復活は、私たちの世にある唯一の天皇となる神様です。
神様を信じる信仰と、また、このイース・キイストの十字架の死からよみがえられた復活を、
このイース・キイストの朝、この十字架、神と祈る。
19:35

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