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おはようございます。
先週も、大阪、神戸、それぞれが、日本一暑いというような記録を作ったようでありますし、
そういう暑い中、こうして守られて、今朝の礼拝を共にできることを感謝したいと思います。
何年でいきますとね、私はあんまり高山で水を飲むということはなかったんですけれども、
ちょっと声が出にくくなってきておりますね。
先週は、そういう暑い1週間でもありましたけれども、
私たちにとりましては、71回目の終戦の記念の日を迎えました。
私は、ちょうど小学校2年生の夏、その日が終戦記念日であるということも、
玉雲放送があるということも、あまり知らずに、いつものように、
阿部熊川という川なんですけれども、そこに泳ぎに友達と一緒に行って、
何となく雰囲気がおかしいので、父ちゃん何があったんだって聞いたら、
お前、今日は大変なことがあったんだって、戦争はこれで終わったっていう、そういう話でして、
戦争と言われても、私がおりました白川というところは、空襲があったわけではない。
ただ、B29がですね、今でもその爆音は忘れられないんですけれども、
波打つようにしてずっと来るわけですよ。
そうすると、しばらくすると、ドドンという音が聞こえてくる。
それが近くの郡山という、ここは軍事工場がありましたから、そこが爆撃されて、そしてその音だった。
私の戦争の被害といえばそれぐらい。
むしろ東京のいとこが二人疎開して、そして一緒に生活をするっていう、その程度でありました。
しかし日本は、それ以来71年間、戦争という、そういうようなこともなくて、
今日まで来れた、ある人は、これは今の時代においての最も大きな奇跡の一つです、ということを歴史学者らしく表現しておりますが、
確かに考えてみますとね、戦争には負けた。
けれども、そこで戦争を放棄して以来、また憲法でもそれを謳って以来、
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そういう戦争を起こすこともなく、あるいは戦争に巻き込まれることもなくて、そして戦争によって死んだという、そういうようなこともなくて、
71年間こうして来れたということは、確かに考えると大きなことだな。
前にアラスカのアンカリズム教会に行った時に頼まれて、そしてある墓地へ行きました。
そうするとその墓地に若い顔写真の入った墓標と言いまして、日本みたいな墓園じゃなくて、地面にあるんですね。
それを見ましたら、本当にまだ若い。そしてそういう墓標がいくつもあるわけですよ。
イラク戦争で亡くなった。その当時にしては一番身近なアメリカが起こしてきました。
起こしたと言いましょうかね。イラク戦争によってこういった若い人たちが亡くなったんだなということで、非常に気の毒にまた厳粛さを感じました。
そういう大国も、あるいは今のロシアにしても、どこにしても、その71年間平和で来たという国はどこにあるんだろうかというくらい、
いろんなところに係りを持って、そして大勢の人たちが亡くなるということです。
ところが最近ではやはりテロというね、今のイスラム過激派のそういったこの人たちによって、
今この世界ではどこが安泰なんだろうか、どこが旅行して安全なんだろうかと思えるほど、
今まではそういうことはないという、そういったフランスであるとか、あるいはイギリスであるとか、あるいはドイツであるとか、
そういうところに皆さんが旅行されたと思うんですけれども、そういうところもいつ、どこで、どういうことに巻き込まれてしまうかわからない。
今、リオでもってオリンピックが行われておりますが、今日までそういうテロに巻き込まれることなくて来ておりますので、
最終的に本当になくて済んでくれたらいいなと思いながら来ておりますけれども、しかし不安というのがあります。
私たちはそれぞれ、じゃあ一体どこへ行ったら安全なんだろうかなという、そういう思いが、
今日の私たちの生き方の中において大きなかかりを持って、そして私たちの心を動揺させます。
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今、私たちは中戦71年と言いますけれども、こういう問題となると、
約束まで守られたというそういう感謝の思いとともに、これからどうなんだろうかという、そういう不安というのがニュースを聞くたびに、
あるいは、いろんな災害を神戸においてもそうですけれども、そういうことに出会えますと、一体これからどうなんだろうかなと。
私は阪神淡路の大震災のときに、兵庫教区の教会を中心にいくつかの教会を生まれました。
やはりびっくりしたのは阪神高速が大きく壁のようになってしまっている。
あの阪神高速ができるまでに何年かかったか。
またこれを崩して、そして建て直していくということに、これからさらに何十年もかかるのではないだろうかというような、
本当にどうなんだろうかという思いで見てみました。
しかし今、神戸においてもちろんそうですが、そういう返品がないとは言いませんけれどもね、
しかしよくぞ、ここ二十年たらずの間にここまで回復できたということに大きな力を感じます。
そういう災害も含めて、しかも私たちは、神戸はもうこれから大事だと思いますけれども、
ああいう地震が起きてからベルト状になって、そして日本どこに行ったって、
そういう地震の起こらないところはないんじゃないかというような、そういうようなところに今ありますけれども、
私たちがそういうことからを現実に目撃し、あるいは見割れたりしますとね、
あるいはそういう悲劇的な事件に遭遇しますと、主よ、どうぞ一日も早くおいでください。
何か私たちの思いは、ついそういうふうに、この主の御再臨というものに対しての新たな期待を持つのではなかろうか、私もその一人。
けどしかし、果たしてそれが再臨信仰と言えるんだろうか。
もうこの主よには何の魅力もなければ、あるいはそういう見通しもきかない、希望も持てない。
だったらもうここでもって主よおいでください、というのが私たちの再臨に対する主よ、再びあなたがおいでくださるようにという、
そういう信仰に生きる私たちの信仰なんだろうか、ということを改めて考えましたときに、そうではないんじゃないだろうか。
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確かに先ほどご一緒にお祈りしました、主のお祈りでもね、御国が来ますようにっていう、そこにあるのは一つには再臨信仰というものに対する、そういう祈りでもあるわけですね。
ですから私たちは毎日の生活の中において、あるいは主の祈りの中において、主のおいでを待つっていう、そういう信仰を教えられてきております。
私が信仰の初期に導かれた、導いてくださった森山里司、有岡さんも、その先生から背向けたんですか。
高校時代にね、私が当時行っておりましたのは、スウェーデンホールネスミッションという、そういうところのこの教会。
そこへですね、滝本明という先生がおいでになったり、そしてそれから交際、この交わりが続いたんですけれども、森山里司という先生がおいでになってですね。
ですからその先生から、この先生はもう説教といえば、いつも再臨なんですよね。
そして私たち高校生にとりましてはね、しかもそういう数字的な事柄でもって、この論を進めてきますと。
先生はもう、明日にでも、イエス様おいでになるんだろうかというような、緊張感を走らせるような、そういう聖書の説き方をされる。
ここにも森山先生の説教をしようの一つがあろうかと思いますけれども、おい、皆さんだったらいいと思います。
そういうこの信仰を教えられてまいりました。
で、長くそういう話を聞いてきますとね、何だと、またかって言う。
何かその再臨って言うんですから、イエス様が今日おいでになるっていう、そういう緊張感の中において、その信仰に私たちは立つんです。
ところが説教でもってずっと聞いてきますと、また再臨信仰かって。
何か再臨信仰というのが一つの物語でありですね、だいぶ今の私たちにあまり関係がないじゃないかというような、そんな思いを不信仰にも持ったようなこともありました。
けど私はこの再臨信仰ということを考えますとね、私たちの教団はこの清めのお恵みに来るっていう、そういうことを一番大事なこととして、そしてこの信仰生活あるいは聖書のお言葉を開いて、そして教えられてまいりました。
神が私たちのうちにおいでくださる、そして私たちと共にいてくださるっていう、そういうこのお恵みの中に私たちは今日まで教えられてきているわけですが、健全な再臨信仰というのはここにあるわけですね。
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日本の教会の歴史にもいろんなことがありまして、私どもが新学校におりましたときにそういう話を受けてもらったんですが、再臨信仰というのがですね、以前のホールネス教団、あるいはそこには内村勘蔵というああいう知的な教会のそういう方も含まれて、そして再臨信仰が非常に強調された。
なんか白い衣を着てね、あの生駒の山にも登ったそうですよ、当時。で、そういう中で内村先生はね、先生には再臨信仰何ですかという若手の先生から突き上げられることがあったそうです。
けど、いつそのことが起こるんですか。先生は言い言葉に立て、そして再臨というものをそこでお話しなさったそうですけれどもね、なんか一つの運動のようにして再臨信仰というものが方向を間違えてそして行ってしまう。
そういう極端なこと柄も考えていますと、そういう危険性も時にはあるわけです。
ですから本当の健全な再臨信仰というのは、私はこういう今清めの恵みの中に生きるという、このことを私たちに与える、それではないだろうか。
やる主をおいでください、主をお迎えするわけですからね、本当に私たちの側においてそういう備えがなければいけない。そしてその備えというのは何か。
私は先ほど見いただきました、このまたによる文書の全般の十人の乙女の例え話ですけれども、ここでは五人は賢く油を用意してそして花向子のおいでを待つ。
ところがもう一組の五人はもういつまで待ってもおいでにならないので、とうとうその油が切れてしまった時にこの花向子が来たというおいでになったというそういう人たちが来て、いざ灯火を灯してそして出迎えようと思ったらその時に間に合わなかった。
そして五人はその花向子を迎えてそして祭場に向かう。そしてあとの五人は、頼りしてそして行った時にはもうドアが閉められちゃったという、そういうこの厳粛な事柄をイエス様はここで例えとしてお話しなさった。
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ここに祭輪ということへの私たちが本当にこう気をつけなければいけないのは、祭輪というのはそういう風に分離される時なんだな、本当に主をおいでを心から待ってそして主を迎えしていくというストレート。
日頃の備えができていないためにいざという時に間に合わなくて、そしてその恵みに預かれないという、こういうことをイエス様はここでおっしゃっているんだろう。
ですから私たちは聖書が、私たちの聖書理解においてはこの聖霊というのはあくまでも、この油というのはあくまでも聖霊の恵みを私たちに教えているところのものであり、そして本当に聖霊の実油をいただいてそして清められることこそが本当の祭輪仕事にいけるための大切な点だ。
ですから私たちはペンテコステを通して、そしてこの聖霊の恵みに預かっている。
けど私たちはその聖霊の恵みを台無しにしておこたってしまっている場合がある。
いつもその秘密備えを持って、そして主のお湯でおまっているんだったらいいですけれども、私たちはいつの間にかそれをですね、おこたってしまって。
そして今の恵みとして、今日の恵みとしてこの聖霊の恵みをしっかりいただいていくんだったらいいんですけれども、それがもう昨日のこと。
いやぁ、いつだったらそういう聖霊の経験をしましたよ、という過去の恵みとしてはあるかわからないけれども、それっきり。
そしてそれと今とはどうなのかといったら、あんまりですね、今はかかりがないというようなことになったならば、
いくらイエス様は死の祈りの中でね、御国が来ますようにという、そのことを私たちに教え、またそういうふうにお祈りしなさいよということをおっしゃってもかからず、
それを口先だけの祈りでもって、本当の祭神信仰に私たちは遠のいてしまう。
やがてその時、二つに区分けされる時が来るということを、私たちはそこでもって自覚しなくちゃいけない。
もう一つはですね、これは次のイエス様がおっしゃられた例え話ですが、
この一人のオーナーが、三人の平たく言うと社員にですね、
じゃああなたね、ゴタラント任せるから、それで私の留守の間よろしく頼む。
またある人にはニタラント、そしてある人にはイセラントという、あの有名な例え話がそこに出てまいります。
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そのゴタラントの人はね、そのオーナーが帰って来た時には、さらにこのゴタラントの儲けをもって、
そしてあなたからお預かりしました、ある資本として、そしてこれだけの利益を得ました。
それをオーナーにすればね、よくやってくれたということでしょう。ニタラントの人もそうだった。
ただこのイセラントの人は、そのご主人がね、預けてはくれたものの、もうこれをもし失ってしまったならば、もともともない。
ご主人のその期待を裏切ってしまったら、どんなことになるかわからないというような、そういう思いを持って、
彼はどうしたかというと、もうそれをですね、減らないように。今は銀行でやったらマイナス禁止ですから。
むしろ銀行に預けたならばマイナスになってしまう。
そして、ですからどこかにですね、短所金みたいにしてしまい込んでおったんでしょう。
それでご主人が帰ってきたときに、ご主人、ちゃんとお預かりしたものはこのとおりされております。
と言ってお返ししました。
そうしたら、そのご主人がね、その人に対しては何と言ったかというと、この27節。
だったらお前は、その私の金を銀行に預けておくべきだった。
そうすれば、私は帰ってきたときに利息がついて返してもらえたのだ。
だからそのタラントを彼から取り上げて、それを10タラントを持っている人にやりなさい。
まあ今日の日本において考えますとね、金利がゼロよりもマイナスですから、
あり得てこの例え話というのは、今の時代の私たちの日本においては合わないかもしれません。
ただ問題は、銀行に預けてもっと儲けたらいいということが主体ではないんですね。
この1タラントという、これは同じ又井による福井省の認識書を見てまいりますと、
葡萄園の例え話が出てまいります。
そこでは、日東1でなり、たぶんそれが当時の日東だったんだろうという。
ところがこの1タラントというのがね、これは私の新海薬聖書の段階を見ますと、
6千でない、6千日分の日東ですよ。
6千日って言ったら、それを365で計算したら何年なんですかね。
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10年以上、15、6年にはなるんじゃなかろうかというぐらいの、
ですから1タラントってそんな走った金じゃないんです。
その莫大な資本金を彼は委ねられた。
にもかかわらず、彼はそれを持ち入れることをしなかった。
で、問題は、5タラントの人が5タラント儲けた。
その人に対してイエス様は、その例え話のオーナーは、
本当にあなたは求実によくやったって言ったんでしょ。
2タラントの人には、あなたは儲け半分だったけども、それでもよくやったと言ってないですよ。
5タラントの人に対しても、同じ評価でもって、
あなたも求実に私が委ねたことに対しては、よくここまでやってくれたって。
問題は、与えられたタラントに対して、それをいかに持ち入れたかっていうことがそこにあるかわかりませんが、
それよりももっと評価されているのが、求実であったかどうかっていうそこだって。
イエス様はそのことを、このタラントのことを通して私たちに指摘なさっている。
主がおいでになるとき、私たちが父上においで、これだけのことをしました。
これだけ大勢の人々をイエス様の徒歩に導きましたよって言ってですね、
そういうお祈りができたら、それは感謝だったですけれども。
けれども、イエス様が評価なさるのは、何をやったかっていうよりも、どう生きたか。
本当に求実に、主から与えられたこの賜物を用いて、そしてどう生きたか。
一タラントは莫大ですけれども、それこそ一出なりもないような、そういう働きしかできなかったかもわからないけれども、
しかし、その与えられたタラントに対して私たちが忠実であるときに、
それは主がおいでになるときに最も評価される、そういうときなんですね。
ですからイエス様は、正直に忠なることは、大事にも忠である。
大事に対して忠実であるということは、そういう小さいことに対しても忠実であるっていう意味のことをおっしゃってますよ。
ですから私たちは、与えられた、それぞれ与えられた賜物、
いや私には、しかし何にも与えられていないと思うんです、というときにそういうことも、
自分も最初思いましたし、またそういうふうに訴えてこられた方もおりました。
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けれどもね、カイシ様は、命ある私たちに何も賜物も与えないままに、私たちを放置なさっている方ではない。
必ずそこには賜物を与えてますよ。
私の平方時代に、彼は中学生になって教会に来だしたと思うんですけれども、
長く小学生ぐらいまで自閉症で来た。もう自分だけの世界。
そして中学生になって教会に来るようになったんですね。
それも同じこの平方じゃなくて、遠いこのカドマというところから電車に乗ってくる。
カドマの駅からも遠いそうですが、一度行ったことがありますけれども、自転車でカドマの駅まで来て、
そしてそこから電車で来て、平方の牧野というところに降りてくるわけですよ。
お祈りも、やはり長く自閉症で来てますからね、言葉が全然こう、やはり日常生活の私たちが使う言葉、
文法的と言いましょうかね、そんなんじゃないですね。
時にはお祈りもするようになって。
どうぞイエス様を恵んでください。
そういう極端なお祈りなんて、そういうのはお祈りなんですよね。
ですから手にもがあるんでしょうかね、そういうようなことも使いにくい、ありはわからない。
親にとっては本当に彼の存在というのは痛みだった。
後に母親が言っておりましたけれども、何度この子を連れて電車に飛び乗ろうか、
飛び乗るんじゃなくて飛び込もうかと思った。
婦人会の証会の時にその証をなさった、覚えておりますけれども。
それぐらい、家庭にとっては彼の存在はみんなの心を暗くするような、そういう存在だった。
それがね、ある時から、なんか日曜日になると急いでどっかへ出て行く。
誰かに悪いことを誘われて、そして行ってんじゃなかろうかという、そういう心配心です。
そして後をついて行った。そしたら電車に乗って、薪乗って行った。
連れて行ったこともないようなね、平方公園だったらあるけれども、そんなとこ行ったこともないようなところに降りた。
母親はこう、見つからないような後をずっと後をつける。
そしてやって来たのが、あの協会だった。
それで受付の方がですね、どうぞ仲良い終わりくださいと。
いや、今息子も入ってたんですけど、その母親なんです。
27:02
で、私のことを知ったら、彼はまた来なくなっちゃうと思うんで、今日はもうこれで失礼しますと言ってですね。
それで連会に出席することもなく、まあ協会だったら安心だということで帰って行った。
まあそういうことがあって、どのぐらい期間が経ったか。
あの、まあ特別集会があるから、どうぞ皆さん誘ってくださいよ。
それでその、彼にもね、お父さんやお母さん誘ってくださいよと言ったら、休日に誘ってきたんですよ。
そしてその母親が新婚を持つようになっていったんですね。
そういう新婚を持ってから、先ほど申し上げましたようにね、
本当にこの子のために私たちの家は、そして私はいつも死を考えた。
こんな子を残していったらね、どんな不幸な人生が起こるかわからない。
だったら一緒にっていう、そういう思いを持ったことが何度もあった。
けれどもこの、彼が協会に行く、そしてその様子がだんだんだんだんこうわかってくると、
もう今は、彼が協会のことを話をしてくれることが、私たちの家にとってはですね、
大きなあの、なんて言うんでしょうかね、話題が全然違う世界の話ですから、
えーっていうようなことでもって、びっくりするようなこともあったけれども、
嬉しくなってきたんです。
そして集会にもその母親は来るようになって、そしてイエスタも死んでいらっしゃった。
はたから見たらね、彼の存在っていうのはね、重りにしかないんですよ。
それこそ、来月になったら今度は、もう一つのパラリンピックが始まりますけれども、
そういう障害を持っているこの人たちは、周りにとってはあまりそういう点でね、
あのーなんて言うんでしょうかね、えーつらい思いを与えてしまう。
けどしかし私は、どんな人にもね、たまものっていうものが与えられているということを、
彼を通して改めてわかりました。
彼のお母さんを私が導こうと思ったって、接点が生まれません。
でも彼がその家の中から教会に来るようになって、そしてしかも親も父親も連れてくるようになって、
そして接点ができて、それからその接点からその家にイエスタの救いがもたらされた。
私は、ですからこの先例の問題が起きました時にね、
あのー言うなら私たちが持つような信仰告白はできないわけですよ。
そこまで理解がいってない。
けども私たちの目線での信仰理解ではなくて、彼は彼なりの中においてイエス様を信じているわけですから。
私はもうそれはそれでいい。
私たちの評価はね、時に大きく間違いする。
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でも彼が本当にイエス様って言って、イエス様を救ってくださいみたいなご祈りをするような彼ですけども、しかし彼の心の中にはイエス様を捉えているわけですよ。
だからずっと信仰生活を持ってきて、今日まで生きているわけですよ。
ですから私はね、彼のその信仰を受け止めて、そして私たちは宣伝を授けるべきだということを役員会でお話をして、
そしてこの宣伝を授けた数少ない一人でありますよ。
イエス様はその人の信仰を見て、そしてことをなさっているということがしばしば福井市に出てまいります。
ですからイエス様は彼の中にその信仰をしっかりと受け止めて、
そしてそれを用いて彼の家の中に福井をもたらせたということは確かにこれは事実なんですね。
そこで申し上げたいことは、どんな人にも足らんと与えられている。
ですから彼はそういう自覚はなかったか分からない。
けど牧師が言うんで、お母さんを誘ってきたというその忠実さっているんでしょうか。
それでも彼は大きくイエス様に喜ばれているのではないだろうかとそんな思いを持ちますよ。
ただ初めての人とか、また彼は新しい人が来ると急いで行くんですよ。
よく教会に来られましたね。説明を聞くうちに分からなくなっちゃいます。
それはそういう点での彼には足りなさがありますけど、
しかし本当に彼が迎えてくれたんで、通称寺ちゃん寺ちゃんって言われるんですけどもね。
寺ちゃんがあの時に私を迎えてくれたんで、教会からこういう人も来てるんだ、こういうところなんだと思って来るようになりました。
彼は本当に言われたことに対しては忠実に人を迎え、そしてまたこうやったこともあった。
それはある教会から、何か聞いたら先生の教会だと電話したんですけども、教会総会の資料が欲しいと。
一体誰なんだか分からないし、やたらそんな総会資料をあげられないと言ったら、
だって教会って言ったら私はちゃんともらいました。だからここの教会でも欲しいんですよと言ってきたんだと電話があったから、
いやこここういうことですよと言って話をしましたけども。
ところがまたある時は別の教会なんですけども、今は私立の教師がやってるんです。
何か聞いたら先生の教会になって、いろいろと発言してくれるんですけども、全然違う発言なんで、連携になってますよと。
帰るように言ってくださいと。そういう電話もかかってきたんですね。
ですから私が常教派の牧師会に行った時に、ひらがな希望教会の斉藤ですと言いますと、
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ああ、彼の行ってる教会の先生ですかと。彼の方が有名なんですね。それくらい、もういろんな集会に喜んでいくっていう。
私は彼の持っている、与えられたタラントではないだろうかと思いもしますし、また彼は中立に、それこそね、
教会のスケジュールだけではない、教団のスケジュールも、彼の知る大阪市内の教会のスケジュールも全部ノートに入れてる。
ですから、寺ちゃん、あれいつだったかなと言ったら、ふぁーと調べて、いつですと言ってですね、教えてくれる。
その正確さに驚きもしましたけどもね、まあそういうところがあって、神様はどこでどうしてお持ちになさるかわかんないなと思うくらいに、
ただ申し上げたいことは、彼は彼なりに与えられたこの救い、そして信仰に対して、中立に、イエス様に喜ぶ道を歩んだ。
だから、一タラントとか五タラントとか二タラントの世界じゃなくて、私たちが与えられたこの卵に対して、
いかにそれを主のために、あるいはまた人のためにそれを用いるかということでしょう。
そのタラントというのは、その中立ということですけれども、もう一つの点を申し上げて終わりたいと思いますがそれは、
この四十節のここを見てまいりますとね、イエス様が、三十四節からちょっと見ますと、
「そうして王は、その右にいる者たちに言います。
さあ、私の父に祝福された人たち、世の始めからあなた方のために住まいために国を継ぎなさい。
あなた方は、私が空腹であったとき、私に食べるものを与え、私が渇いたときに私に飲ませ、
私が旅人であったとき、私に宿を貸し、私が裸のとき、私に着るものを与え、私が病気をしたとき、私を見舞い、私が牢にいたとき、私を訪ねてくれたのです。
すると、その正しい人たちを答えて言います。
主よ、いつ私たちはあなたが空腹なのを見て、食べ物を差し上げ、渇いておられるのを見て、飲ませてあげましたか?
いつあなたが旅をしておられたときに、泊まらせてあげ、裸なのを見て、着るものを差し上げましたか?
また、いつ私たちはあなたのご病気や、あなたが牢にいられるのを見て、お訪ねしましたか?」
イエス様はここでね、これはトルスという物語にも用いられている箇所ですけれども、
36:07
正しいとイエス様が評価したそれは、やったことの方に上となるような感じがしないでもないんですね。
ところがイエス様は、それらはみんな私にしてくれたことなんだ、と言って、彼のしたことをきちっとこれをご自分の中で持って評価なさっている。
ところが、した人はね、いつそんなことをしましたかね、そんな記憶はありません、という、そういうことですよね。
ところがそれに対してね、今度はこの四十節以下を見ますとね、すると、
あ、そうですね、四十節。すると王は彼らに答えて言います。
まことにあなたが言っています。
あなた方がこれ、これは私の兄弟たち、しかも小さい、最も小さい者たちの一人にしたのは、私にしたのです、と言って、
あなた方が知らずにした、けれどもそれは私にしてくれたんだ、と。
それに対してこの四十一節からは、今度は逆なんですよ。
左にいる者たちに言います。呪われた者ども、私から離れて、悪魔とその使い達のために用意された永遠の火に入れ、
お前たちが私が空腹だった時、食べ物をくれず、渇いた時に飲ませず、私が旅行だった時、ここでずっと同じことが繰り返されて、
そしてその時あなた方は私に何もしてくれなかった、と言った。
ところがその人たちはですね、え、主よ、いつ私たちがそんなことをしなかったですか。
あの時だってこうやったじゃないですか。この時だってこういうふうにしてやったですよ。
あなたは忘れたんじゃないですか、みたいなことをそういう意味合いのことを言うわけですよね。
片方の人はね、やったことすらも、え、ということ。
ところがもう一方は、やってもいないことなのに、言われた時に、
やったと思いますよ、と言って、こうしてやってくる。
首脳再現というのは。やがて評価される時が来るということを、このお話を通して私たちにイエス様が指摘されている。
どんな些細なことでもね、あなたがそれを気がついていなくても、自覚していなくても、
しかし、小さいことに対してあなたは忠実にやってくれた。
39:05
だからあんまり小さい、当たり前のことですから、この人たちはあんまり覚えていなかったのかもわかんない。
けどもう一方の人たちは、何とかここでね、一股挙げてるんじゃないでしょうけども、こうやったんでしょう。
そしてもうそれこそ、これだけのことをやったならばね、私が天国に行った時に常席の座につけてもらうんじゃないだろうか。
そんな風に考えたかわかりませんけども。
ところがイエス様はそうじゃなかった。イエス様の評価というのはね、どんな些細なことでも。
しかしそのことをイエス様は、ご自分の中においてはこれをしっかりと受け止めてくださっている。
私たちがやったって言って、どれだけのことをやったか、これが評価されるのかというとそうではない。
前にもお話したと思いますけども、私は、あの澤村吾朗先生がね、私たちが天国に行った時に、
何をもって私たちがそこでもってこの評価されるんだろうか。
確かにイエス様は、これはね、今、しおはせい会というのが教会で行われるようになりましたから、
新学校ではありませんけども、私がおりました頃は新学校でやっておりましてね、
いくつかの御言葉がこれ見逃しに書いてあるんですね。
情けなき者にも従いとかね、容赦ない。
そしてもう一つはね、これは、ルカリオン福音書の十七章、ここにね、十七章の十節ですね。
ルカリオン福音書の十七章の十節に、忍が言いつけられたことをしたからといって、その忍に感謝するでしょうか。
あなた方もその通りです。
自分に言いつけられたことをみんなしてしまったら、私たちは役に立たないしもみです。
なすべきことをしただけです。と言いなさい。と、イエス様はここでもっておっしゃっている。
これだけのことをしました、という世界ではなくしてね、
私たちの世界というのは、自分の記憶にしか残っていないようなことからでも、
イエス様はその人がなさったことに対しては、最大に評価なさって、そしてそれを喜びなさった。
私たちがたとえそういう大きな働きができたとしても、しかし、この言葉のように、
私たちは役に立たないしもみです。なすべきことをしただけです。と言いなさい。と、イエス様がおっしゃっている、このことを伺いますとね。
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これだけのことをやりましたと言って、しもみ前に立つことのできる人は一人もいない。
では、宇佐村先生がね、もし私がしもみ前に立つことができ、そしてそこでもって申し上げることができるとするならば、
そう言ってイエス様は、このルカニヨル国書の、あのハリサイ人と主税人のお祈りをそこに出してきて、
これが主税人のお祈りですよね。市民との私をお許しください。
その前のハリサイ人は、私はこれだけのことをしました。
一度も二度も断食し、これも十五度きも捧げてきました。と言って、彼の世界をみんなやってきたという、そういう実力の世界。
ところが主税人の世界は、彼はそんなこと何一つできていない。
言われたら、もう、と言って小さくなるだけ。
けれども、その中から彼がお祈りできた、その唯一のお祈りは、市民との私を憐れんでください。
佐村先生はね、サイリンのしのみ前において、私たちが申し上げることができるとするならば、
市民との私をなおお許しくださいという、その祈りではなかろうか、
ということをおっしゃったことを、いまだに忘れることができない。
イエス様は、来てきた世界ではなくして、その人がどんな思い出を持って、
しのみ前に、そして火をまきのむ信仰を持って、そして立つか、
そこだということをおっしゃっているのではないでしょうかね。
ですから、今私たちにとって問われるのは、そういう生き方、今の生き方を、
そういう生き方として、火の前に立つ、その生き方を大切にしたいと思うんですね。