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お祈りと書きました、古霖の第一の手紙。
主語にも書いていただいておりますが、この十六節を中心に、今朝は、
私たちは神の建物、あるいは神の神殿という、このお言葉に立って取り継いでいきたいと願っております。
古霖の教会にはいつか問題がありまして、パウロはその古霖の教会の問題について大変心痛めておりました。
その問題の中には、パウロ自身に対する抽象もありましたし、
そしてまた、同時にお互いの関係においても、いろいろと、今日でいうならば派閥的な、そういう考えのもとで持って他を非難する、
そして自分の優位性を保つというような、そういうような事柄がそこにありました。
そういう事柄を背景にしながら、パウロはここで持って説くのですね。
しかも、大変この古霖の人たちにとっては身近な例えてみましょうか。
ご説明のように、ギリシャは、今でもコリント風というですね、
そういうギリシャ建築文化化の一つのスタイルとして、今もそういったことが言われたりもするぐらいに優れたそういう文化と、
そして特にコリントはそういうところにおいては、大変身近な事柄であったりもします。
たとえローマにくっついても、自分たちの哲学と文化は、
そしてその言語は、少ないというような、こういう一つのコリント人としての、
あるいはギリシャ人としての誇りというものを持っておったようでもあります。
それはそう思うんですけれども。
ところが、ファウルが言っていました、そのコリント教会の様子というのは、
他に比べて自分たちがどんなに優れているのかという言葉柄を、
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そういう一般的な言葉柄を、それをこう信仰的に教会の中に申し込んでしまっている。
それがこの参照に入りますと、
ファウルの名前とか、アポロの名前であるとか、あるいはペトロの名前であるとか、
いうようなそういうコリント教会に深みを持った、
当時のこの自動車たちのその、それを持って、そして自分はファウルだ、
私はペトロだ、私はアポロだという、そういうようなことから、
どの教会、このコリントの教会の成長をどうも様々に始めてきている。
ファウルにとっては非常にですね、悩みの種と言いましょうか、
このコリント教会の様子を聞くにつれ、彼の心は非常に痛ましかった。
それだけじゃない、本当はこのファウルに向かってもね、
ペトロを使う人やアポロを使う人たちは、ありがとうだったのか分かりませんが、
多分にですね、これは出る遺伝書から入ってきたプリセンたちの、
そういう言葉をそのまま中には受け止めてもらって、
ファウルはいろんな教会を回ってもね、研究を集めて、そして祝福を肥やしているんだという、
そんなことまで言って、そしてファウルを何とか自分たちのそれを発表するために、
ファウロ教を通しているような事柄を、多くのその教会の中に混乱として一つありました、
そういうイデア教の中からクリスチャンの私たちの、そういった事柄を通じて通して、このファウロが、
そういう中でファウロは、私たちを決してね、ファウロを中心として、
あるいはファウロをもって、そして信仰をもってやってきたんじゃない、
それもそう、ファウロがどんなに偉大な人であったとしても、
しかしファウロも一つ、私たちの信仰は、そういうこの人の言葉にベースを求めるんじゃなくて、
私たちはどこにそのベースを持つかっていう、そういうところから、
建物としての信仰というものをそこに、あるいは教会としての在り方というものをそこに、ファウロはそこに置き始めます。
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私たちが今ここで改めて見たいことは、私たちはもちろんフェトロを使う人もおります。
ファウロを尊敬する人もおります。
これも、せめえた禅道者としてのそういう働きを私たちはよく理解します。
けれどもそういう人の言葉をベースにするとき、私たちは何が起こるのかというと、
そこにそれぞれの主張のもとにおいて運動が生まれてくる。
私たちはあくまでの彼らが説いたキリストとそのキリストの言葉というものを、私たちはそこに置かなければいけない。
それを土台とするんだ。
それをここで言うんですね。
私がまだ岡山県の大原教会で禅道士としておりましたときに、
加賀都中洋会というのが、当時また再出発いたしまして、ここに始まってまいりました。
ちょうど今時分なんですね。暑い。
それで私もこの若さの怒りで、高橋先生、先生、何でこんなに薄切りなんですか。
節の夕凪でね、本当にもう風邪もなくなってしまう。もう暑さだけ。
しかも今こういうエアコンがあります。今も加賀都教会さんとありますけど、当時はなかったんですよね。
扇風機もあまり置いてなかったんじゃないかなと思って。そう思うくらい。
そんなことを当時の高橋先生に申し上げたことがあるんですけども。
ただその準備会でもってあるとき、加賀都教会に行きましたら、
今その加賀都教会は増築しようということでもってこの計画が始まった。
ところがですね、増築はいいんですけども、その建築を受け取ってくれる会社がなかなか出ないんだ。
最初はね、まあ一つお宅でもってやってもらおうかと思うんだって言ったら、もう意味もなくやっていって、
そしてこう見て、こう見ていったら、増築するのはちょっとこれは難しいです。
そう言ってきたんです。
確かに加賀都教会に行きますと、部屋の種類を見ますと、ほとんど古いんですよ、建物は。
と言っても既に70年が経ってます。
ところがもうそのドアにしても何にしても、正式ドアにしても動かないっていうのはないんですね。
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みんなすっかり開きますし、よく動きますよ。
もちろんその建築そのものにも、確かな材料がそこに用いられたんでしょうけども、
だからその受け取ろうとしてやってきた建築屋さんが、今の新建材で増築したら、
自分たちの工事がどんなにまずいかということがね、
もうただ見せるだけでもって出てくるかということでね、固まってくるんだと。
しかしそう思っておりませんから、やがてもう一つの会社の強制としてやると。
そういう終わってからですけど、たくさんですね、ちょっとヒリが生えていたりなんかするんですね。
で、私を改めて高橋先生に、
なんでこれね、70年もこれから80年になろうとしてるのに、
どのドアもどのドアもみんなこういう機能してます。
なんでしょうねって言った。
最初にですね、ちょっと表に行って、そしてこの教会の土台見てごらん。
見たらすっかりしたね、土台なんですね。
改めて、材料もそれは確かにいいものがそこで用いられたんでしょうけども、この土台。
なかなかその建築屋さんにとっては、増築するところに同じようなこの土台を持ってくるということが難しいということで、
今時のやり方、今時って言ってももう30年40年前の話ですけども、やり方でやったんですが、
結局はですね、差が溶けきってしまった。
改めて思いましたのはね、この先生の箇所ですよ。
何を土台とするか、土台をどれだけやってるかっていう、そういうことですよね。
今日の高等の建築においても、なぜこの土台においてどういう土台を作れるか、
どれだけの力を入れてそこに持ってくるか。
建ってしまった土台ってあんまり目立たないんです。
私たちの教会は、同時に私たちの社会の信仰というのは、この11節に書いてありますように、
その土台とはイエス・キリストであるとあります。
これほど確かな土台はないですし、
確か一丸教会の今の会堂が建ったときに、この土台はイエス・キリストであるという、
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この聖書の御言葉がその土台の一箇所に刻み込まれていたことを思います。
時に伝報しました、その教会もそうですね。
この土台はイエス・キリストだ。
そこに教会を建てる。
確かにここでは建物としての教会建築というのがそこにお言われております。
それだけに、私たちはこんなに素晴らしいイエス・キリストというこの方を
教会のあるいはお互いの信仰の土台としてこれをいただいている。
パウロは実質に戻ってみてもらいますと、どのように建てるかについてはそれぞれが注意しなければなりませんという言葉があります。
どのように建てるか。
いや土台はしっかり建てるんだから、あとはまあ適当にこの予算の中でもやりましょうということもあるでしょうけどもしかし、
やはりそこで私たちがどういう振興生活をそこに築き上げていくか。
このことによりでパウロはこういう非常に精密かなわかりやすい表現をしていた。
それが全員鉱石の鍵ですよね。
そして真草はで建てる。
それも言われています。非常に対等的な2つの材料というのがそこに紹介されています。
金銀宝石、そして金質と銀。両国立ちんでしょうかね。
まさか金銀宝石を一番さっそり、確かにモルモン教だったと思いますけどね。
あの塔の一番先端に、これは宗教のモルモンのホームだったようですが、
ものすごい高価なダイヤモンドか何かがそこに据えられたんだという話を聞いたことがあります。
やはり彼らの宗教としてのそういったものをそこに置いてあったんでしょうけどね。
だから中にはそういうものを用いるところもあるかもわかりません。
私はこれ最近になって聞いた大変悲しい一つのことですが、
私が今の白方希望教会という教会に赴任してまいりました時に、そこはもう改作ですから、
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それこそどういうふうに将来に向けて教会を作り上げていくか。
その頃に読みましたその本の一つに、やはりガーデン・クローブ教会というガラス橋の教会と言ったらいいでしょうかね。
教会が非常に話題になった。
ロサンゼルスが大きい35に寄ったオレンジカウンティというところのあるインターネットのところにその教会がある。
拡大していきました。
必ず前に言ったようですけれども、それこそ見事な教会、すごいなと思いました。
それでクリスマスのあの後半劇なんかは、本物の泥が出てきたり、何かがあるんですね、
兵隊もそれなりのハリウッドで使っているんじゃないかというような凝った印象を持ってやっていく。
すごい教会なところにできて。
そうしておりましたら、つい2年ほど前でしょうかね、昨年だったでしょうか、
実はその教会が売りに出された。
別なところに出せようかと言って、さっきその教会を売りに出したのかなと、
このお急遽質問を読んでおりましたら、そうではない。
教会がいろんなところに手を出して。
そして教会のね、倒産というものはね、こんなに大きくなった。
アトリック教会がそこを買った。
皆さんはどっちだろうと思いました。
非常に爆発的に成長した教会なんですけれども、
その創始者に重きを置いて、そして教会形式がなされてきたんですけれどもね。
けれどもしかし、途中から教会の方向が変わってしまったように。
世界伝道者会議というのが、オランダのあの瞬間であったときに、
ちょうど兄弟になりたての私は、当時お元気だった本田先生とか、
まあ教団からもありましたけれども、
伝道局長として来る気だということで参りました。
当時の委員長が本田太郎先生です。
それにしましたときに、その会議が始まる前でした。
オランダ市内でずっとこのアンテルダムを見つけましたね。
そしたらね、すごい教会があったりましてね。
それでよく見ましたら、創始制度って解散。
オー、オランダ制度だと。
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そのときは太郎先生が、日本イエスティスト教団の解散はどうでしたとかって、
まあジョークを入れてきましたけどね。
まあそれもいいねとか言ってね。
まあこっちも冗談で返しましたけれども。
日本イエスティスト教団、アンテルダム教会。
かっこいいね。
実際に教会が売り出たというのは、初めてそこで持って。
立派な先頭がある。
まあオランダですから開発家の教会なんですけれども。
もう日本で言うならば、革命教会だと思うようなですね、すごいこの建築です。
それがどういうことか、売り出てしまって。
教会はそういうのを金持って、そのように方向違っていってしまった教会もある。
そして改めて思ったのは、教会の土台、
あれお互いの信仰の土台というものを何に基に置いているかということですよね。
私たちはイエスティスト教団に、その机に預かったものとして、
私たちはこの素晴らしいイエスティストをいただいている。
ただ、そこにどういうふうに立てるか。
これは私たちのテーマです。
どのような金縮紙のもとでもって、どういう材料でもって、
どういうふうにそれを立ち上げていくか。
申し上げたように、金銀宝石という。
別にそういうもので作るから立派なのではないですね。
私たちはこの金銀宝石という、非常に標的的な言葉としてそこに言われていると思うんですけれども、
私たちの温厚なものを持って、
お互いの信仰も、またこの教会というものも、
このせっかくのイエスティストの土台としていただいた。
その上に私たちはそれを立て上げていく。
こいつの教会が持っているような、
あの日たちよりも私たちの方が素晴らしいんだというような、
そういう態勢の中でもって、
何かに向けて相対的なそういった言葉でもって、
私たちの方がいいんだとか、こっちの方が素晴らしいんだとか、
いったいひとつでやっていくときに、
こういう問題認識とかとして、
せっかく私たちは土台としてイエス様をいただいている。
このおかかによって私たちは、
お互いの信仰生活が、教会が、そこに土台を連れて、
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そしてそこに立てられていく。
この証明されるときっていうのが来る。
どちらを用いてやっているか。
我々これなりのぶっ込み方によって、
教会っていうのがひとつの自然の中でもって、
影響を受けて、そして残念なことに沈没してしまう。
今はこの教会のことを申し上げましたけども、
お互いクリスチャーもそうですよね。
神と神の言葉を、イエス・ジェストを信じるその土台を、
持ってそして私たちがそこに立てるっていうことにおいて、
大事な言葉でもってそこに立てるならば問題は、
私もよく気にしなきゃなりません言葉ならば、
新しい方が来られたとかね、
そういうときは単語教会も喜んで、
そしてある種の緊張感をもって、そして提供の文化文化会も。
それが何年かしていくうちに、
いつまでもお客さんじゃないですから、
教会もそういう扱いはしなくなりますよね。
教会したときにそういう扱いを受けて、
教会さんいいとこだ、みんな親切。
よくそういうことを言っていますよ。
私たちがその人に対して、どういうこの心圧をとっているか。
いつまでもこの修道者みたいにして、
その人を手厚くお迎えして、そして提供にやっていく。
ならばこの人はするか分かりませんけどね。
やっぱり教会も、あるいは人間の集合体ですから。
そういう中にはだんだんと、あら、性格的に違うとかね、
あの人の考えとは違うとか、
自分も違うとかっていろんな気があるとこでもってみんな来るうちに、
ただ、教会でもってみんなが迎えてくれたっていうことだけで、
いつの間にか自分は教会のプリキュアになりましたとなるとですね、
そういう違いとか、
あるいは何か不自然が起きたときに相談に行ったところが、
どうも自分の思っていた返事じゃなかったという、
答えじゃなかったということで、そこをつまずくとか、
いうような事柄がよくあるんですね。
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私たちはですから、自分のキリストとキリストの言葉を土台とするんですけれども、
その人に対してのコラボの大切なところは、
いかにその人がキリストを真に結びつき、
そして彼のこの言葉をしっかりと受け止めていくかっていうところに、
私たちはこの礎で行く必要がある。
会いに来たから喜んで、そして迎えたっていうことだけで行きますと、
教会は脆いですよ。
何かあったときに気がついたら、あの人もいなくなった、
この人もいなくなったっていう、そういう事柄が実際あるわけですね。
最近顔が見えてなかったけど、見えないけど、どうしたんだろうかなと、
後でやっと気がついて、行ったときにはもうちょっと手遅れみたいな。
ですからどんなことがあっても、そういう周囲の事柄でもって
左右されない信仰というものを与えていかなくちゃいけないですね。
それがここにもって言われている。
そしてパウロはここで非常に大切なことを言います。
私たちはそういう土台をいただいて、そして神の建物として描くんですけれども、
この牛六節を見てもらいますと、
あなた方は神の神殿であり、神の御霊があなた方の内に宿っておられることを知らないのですか?
ということはですね、あなた方は神の神殿であり、
神の御霊があなた方の内に宿っておられることを知らないのですか?
おそらく彼のこの言葉の背景には、
ヨガネヨルフくん一書の4章で、
イエス様の御一行がサマリアを想定として目的に向かうときに、
そのサマリアのほとりでもって一人の婦人がイエス様と会いする。
サマリアと言えば、一般のイザイ人たちからは汚れた町です。
神様の御霊、そういうところですよね。
唯一神はエルサイドにおられるというのが当時のイザイ人たちの誇りです。
しかも最初に、このエルサイドに建てられた神殿は、
ダビデンを残した財力と、
百万もの築き上げてきたところを建てられてきたところの財力とを用いて、
もうそれこそも見えないような、
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そういう完成された神殿を作り、
今では天幕でしたけれども、
初めてそこに神の御霊としての鳥が建てられてきた。
依頼、これはイスラエルの誇りです。
ダビデンもそういう神殿をそこに建てるということのために、
彼は生涯を費やした。
いろんな犠牲を得られましたけれども、彼はしかし、
最終的には自分のこの手によって神殿を建てるんだ。
そういう思いを持って、励んだ人でした。
ただ、彼の責任はね、
もう預言者からOKだっていう会員までもらって、
そして建築に取り替わろうとしていたら、
この神様がこの街を倒してきたということで、
預言者から言われて彼はがっかりしてしまった。
けれども自分のそういう思いよりも、
預言者が通して示しなさった神様の御霊が一番だから、
と言って彼はそこで一歩も二歩も進む。
誰が建てるのか、しかし私はその人がために、
これからも祭を蓄えていくということで、
聖岩教授が使うものによって建てられたわけでしょう。
ですからそういう歴史も、そういう事柄を
この持っておりますこのユダヤ人たちにとっては、
神殿というのがね、本当に最高のもの。
ただここはコリントですから、
しかしこのコリントはコリントとしてね、
それこそこのコリントの文化で、
ギリシャの文化というものが、
今日までこの建築の納得をなくというぐらいに
影響をこの持つそういうところですから、
必ず誇りとしています。
しかしタウロは、
そういう地域的なコリントという街を体験しながら、
しかし同時にイエス様が、
あのサマリアの地に降りておいていなかった、
あの神社を彼は自分の心に深く留めながら、
神の庭はエルサレムでもない、
そこに建てられているその神殿がゾノではない。
このサマリアでも、神様はそこにおられ、
私たちの礼拝というものを求めていらっしゃるんだ
ということを、そこであのサマリアの女性に
わかりやすくお話をなさい。
おそらく偉大人たちが聞いたら、
もうそれこそクチンとしたと思うんですよ。
唯一の礼拝はエルサレムですから。
しかもそれがね、
今日このサマリアに行って
そうして呪われた彼らに対して、
いや、ここでも神様の礼拝ができるんだ、
ということをイエス様はそこでおっしゃったわけですよね。
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しかしタウロは、
そういうイエス様のその事柄も、
受け止めながらと思います。
そして同時に場所はこのコリントですけれども、
コリントのどんな素晴らしい建築よりも、
私たち自身が神の建物とされている。
そしてここでは神の尊厳とされているんだ、
ということを言うわけですよ。
そちらに行かなければ、
私たちは神様の礼拝ができない。
そうではない。
あなた自身が今や
神の建物、神の神殿として
神がお互いをそこに建ててくださっているんだ。
私たちこそがね、
神の神殿だという、
非常に大胆なことを言っています。
しかもこの少し飛んで、
6つを見てまいりますと、
ここで最後の言葉ですね、
救急説から読みましょう。
このコリント第一の手紙牧場の救急説。
あなた方の体はあなた方の血に積まれる。
神から受けたセーベルニアであり、
あなた方はもはや
自分自身のものではないことを知らないのですが、
あなた方はここに代価を払って買い取られたのです。
ですから自分の体をもって
神様の栄光をあらわしなさい。
これは妙談教会の
一つの標語の一つですね。
神様の栄光をあらわす。
神様は、
何か大きな出来事を通して
神様の栄光をあらわしなさるという、
それもあるかもわかりません。
徹底的なことから起きてとして、
神様が栄光をとりなさい。
しかしここで見てまいりますとね、
そういうことよりも、
神はあなたを通して
神の栄光をあらわしなさるんだ。
だんだん体力を残して、そして
そのものの神殿が築き上げられたところで
作られたものは
歴史の中で落とされた。
そしてついにはですね、
あのバフィロによって
もうこのまま掘り下ろされ、
ここに置き換えられておりますが、
そういったものまで、
全部バフィロに持っていかれてきましたという
悲劇もそこに記されている。
ものはそれだけのことです。
どんなに優れたものであっても、
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しかしパワードはそうではない。
あなたは、
こんなにも尊いものを持って
あらわれたところの
神の庭だ。
精霊がお祈りなさるそういう庭としても、
神の存在におそこで、
自分で持つように、
イエス・キリストというこのお方が、
私たちを贖い取ってくださった。
パフィロもそれよりも、
ソロモンもそれよりも、
さらにまされるそのお方の
その恩師をもって、
血をもって私たちは
贖い取られた。
だからこのお方を土台としてそこに
私たちは神の庭としての存在が
そこにできている。
それがお互いです。
最後に一つのお話として
終わりたいと思うんですが、
第二次世界大戦の
その中のヨーロッパでの
出来事ですが、
ドイツ軍によっても、
本当にその街も、
あたかもなく
やられてしまったんですね。
しかもその教会は、
みなさんたちのものを
それこそいろいろと
飾り物を結晶のようにして
一般の会話ができた。
そのまま戦争が起きて、
そしてドイツ軍の侵略によって、
空爆によって、
本当に何もかも失ってしまった。
野球場に戻りましたが、
この牧師は
もう本当にたくさん死んでしまった。
あんなにまで経験を立てた
戦争というこの時代によって
全部ダメになってしまった。
彼はもう本当に
そこに伏してしまったんですね。
そしたら、
彼の心の中に
一つの言葉が響いた。
建物は壊れてしまったけれども、
私の教会は壊れていない。
でも現実ではね、
建物を見て教会と思うところが
私たちは大に変わりますから、
建物がもうなくなっちゃったら
もうどうにもならない。
しかもこの戦争という思いの中で
もはやこの建物、
この教会を建てた時の勢いは
財政的にもない。
もうこれを絶望してしまった。
だからその思いで持って
牧師としたんですよ。
そうしたら
私の教会は
これで持って
36:00
失ったんだ。
何もかも失ったんだ。
何かもう一つ意味が分からなかった。
私はその建物の中に
ちょっとでも使えるものがあれば
それを大切にして
使ったらいいと思って
整理しておきましたら
一つの
この僕が
見つかりました。
それは教会に建物を置いている
一つの金庫みたいな
そういうものだった。
ああ、これは残っていた。
そしてそれを開いたところが
教会の原本が入っていたんですね。
その時に僕は
知らずに語りかけた
それを思い出した。
建物はなくなってしまった。
しかもこの教会に
使われたところの
教会一人一人は
それこそ一人一人が
教会として
しっかりとここに留まっている。
彼はその願望をせんしながら
神様に感謝した。
あなたはこれだけの人たちを
この教会にお渡しさせた。
これはあなたの子供たちです。
そして教会です。
私たちはここを
基礎してやりますと言って
そして僕は
ターディストの教会に
一人一人を訪問し
そしてやがて戦争が終わってきてから
空の人たちと一緒に
また再出発したという
このお話があります。
単なるお話ではない。
そのヨーロッパ戦争においての
一つの教会の出来です。
建物にお向きを置いてしまう
というところに
私たちはどうしてもね
いっぱい書いております。
おーすごい教会。
そうではないんだ。
私たちお互いが
イエス・クリストというこの方によって
あなたに取られて
神の神殿とされた
神の教会
神の神殿だ。
お互いがそれだ。
それだけに私たちはね
金銀を
宝石を持って最高のものを持って
そして信仰生活を
築き上げていくというのが大切ですが
そういう小草原のような
何かを売ったら
もうダメになってしまう
ものではない。
どうぞ私たちは
皆さんの教会として
またお互いの信仰生活を
これまでもこの教会が
ここに至るまでに
いろんな人たち
いろんな聖人たちの
メッセージを持って
そして養いでこれたと思うんです。
聖人の先生も
その人も
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神と神の言葉を
もとにとして
歩むというところにおいて
そのお声をされてきたと思います。
どうぞ私にも
いつもここに土台を置き
そしてそこに
本当にお互いが
一つとせられて
そして養山教会としての
教会形成
私たちは一人として
そこにおいて
かけることはない。
私たち一人一人が
そこに求められて
そして神様の手繰りという
言葉の中において
まとめることができると思うんですが
私たちは不思議と
この養山教会という教会に
導かれて
今日あるわけですから
私たちは本当に感謝して
そして共に歩んでいきたい
お祈りいたしましょう。
聖人司会主よ
あなたの恵みによって
今私たち一人一人が
教会
あるいはそれぞれの
おかれている地域において
かけるように
あなたも教会として
立て上げておりますことを感謝します。
何卒これからも
養山教会が
この地域においても
この福音宣教のために
用いられるところのものとして
建物も
あるいは教会室内の信仰も
本当に真に魅せられ
栄光を表すものと
なおこれからも整え
またあなたが養え守ってくださるように
お願いいたします。
感謝して
主の皆によって祈ります。
ご視聴ありがとうございました。