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2017-09-24 40:40

2017/09/24:私たちは神の建物

2017/09/24 聖日礼拝

斎藤亘師

コリント人への手紙第一 -17


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おはようございます。
先生、ユウ先生の、その働きの様子が、フェイスブックを見ますとですね、
どこでどういう、どこでと言われても分かりませんけれども、大変山を奥の方で、
同じ韓国の先生が働きをしております。
そこで、防止されている様子が記されております。
大変山の随分奥の方だという風なことが書いてありますから、
熱いところで大変ご苦労されているのかも分かりません。
しかし、そういうところですからね、韓国や日本から、
そういう親しい友人の牧師が来られたならば、
随分大きな励ましになるんじゃないかなと思いながら、読ませていただいております。
また、フェイスブックを開きなさる方がおられたら、一度開いてみたらと思います。
私が見たのは、3日ほど前だったでしょうか。
ですから、もうだいぶ更新されて、下の古い方に行ってしまっているか分かりませんけれども、
どうぞ、また見てお祈りください。
それでは、いつものように、お隣の方と軽いご挨拶をして、
そして、礼拝に備えていきましょう。
それでは、短くお祈りをいたします。
恵み深い天皇とおさま、こうして9月も、この最後の礼拝を迎えますこの日まで、
私どもをそれぞれの生活の場で、あるいは職場で、学びの場で、
お守りいただきましたことをありがとうございます。
諸々の感謝をもって、今朝見舞い出ております私たちに、
どうぞ、あなたのお言葉が、信仰の架けとして与えられてまいりますように、
また、これが教会に大きな益となるように、あなたの御言葉を我々に教えてください。
どうぞ、ユン先生の残された御法師を、あなたが守ってくださるように、
二人この地にお返しくださるように、
あわせ、修越様の皆によってお祈りをさげたします。
私が教団委員になりたての頃ですけれども、
なりたてといっても一年が経ったでしょうか、ある時、
本田先生から電話がありましてね、
斉藤先生、あなた今度は電動局長なんだから、
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アムセルダムで、ビリエガン電動協会の支配する世界電動社会議というのがある。
今年がその二回目で、
昨年は横田先生が行かれた。
今度は先生が行くべきだと言われたそうですが、
それじゃあ役員会で相談しましょうと言ったら、
役員がみんな承諾するから、本田が言ったと言って、
えらい強引な誘いをいただきましてね。
それで役員会で話をしましたら、
立場上いかんと並んでしたけれども、
どうぞと言って行くようになったんです。
その時は船田卓夫先生が兄弟委員長になって、
私はカバン持ちみたいな立場で持ってまいりました。
一万人からの、いろんな国からの、
そういう牧師さんたちが集まりましてね、
その会期の少し前に、
飛行機の都合なんでしょうか、着いたんで、
一日、まあ観光というほどではありませんけれども、
半分寝たか寝ないか分からないような、
とにかく南周りですから、
インド、そしてスペイン、そしてこう来ましたからね、
24時間くらいかかったんじゃないかなと。
もう途中のスペインの窓に出てもって、
ジャルとこう、スペインの人たちが、
日本の飛行機懐かしくて、
あれで乗ったら帰れるんじゃないかなって、
グッと思って見たりもするぐらいに、
長時間の旅行で少々疲れておりましたが、
まあそういう中でね、
アンネフランキさんの隠れ家とか、
その近くに大きな教会堂がありましてね、
こんな立派な教会、
平方も開道ができて間もないもんですから、
将来の参考になるんだって言って、
写真を撮ろうとしたんですが、
かなり遠く行かないと、
私の知識さえカメラに収まらないというような、
そんな大きな開道でした。
ところがよく見ますとね、
ここで言うならば教会の案内が書いてあります。
そこにね、フォースシェルターがあって、
今その教会が売り出されているというね、
私はもう生まれて初めて見ました。
教会が売りに出るって、
一体どういうことかと思いましたよ。
まあしかしそれもお土産話の一つとして、
平方に戻った時に話をしました。
で、ちょうど私にとってはですね、
まあそういういろんなことが参考になったんですが、
私はね、
その頃に非常に私も若い牧師に敬意を与えました、
ロバート・シューダーという方の
あなたの教会も成長するという、
その冊子が出ましてね、
それを非常に感動しながら読んだんですよ。
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で、ロバート・シューダーという方は、
言うならば駐車場というね、
デパートの駐車場みたいなところに
トラックのようなものを入れて、
そしてそれが扉を開ければステージになるという、
そこの開拓前道をやって、
そして後にガラス張りの教会という
有名な大きな礼拝堂を作りました。
私もロサンゼルスに行った時に案内されて、
その教会を見ましたけれどもね、
あの説教がクライマックスになりますとね、
駐車場のある一角の噴水がバーッと立ち上がって、
その教会に入って、
駐車場のある一角の噴水がバーッと立ち上がるんですよ。
すごいな、普通だったらそっちへ関心が行っちゃって、
この説教に集中できないのになと思ったんですけども、
演出よろしくね、
そういうことが毎週あるんでね、
教会の方は慣れとったそうですけども、
私はもうそっち見て写真撮ったり、
こっち見て写真撮ったりですね、
こうやるようなお上りさんの様子でもってやりましたけれども、
ところがですね、一昨年かな、
その教会も売りに出された。
どうしてかと思いましたがね、
別のところに新しい教会を作るんだったら、
まだすごいなと思うんですけども、
どうもその教会がだんだんですね、
いろんなところに手を出してしまってね、
結局教会ってのはそんなところに手を出したらだめだなと思いましたけれども、
不動産にまで手を出してね、
それで財政的に傾いて、とうとうそこを売りに出して、
カトリック教会がそれを買い取ったら、
大変残念なそれを読みました。
けれどもあのロバート・シュラという方は、
一つの時代は時代を作ったなと思いましたよ。
そういう言葉なんかがですね、
今私の脳裏の中にあるんですけどもね、
教会ってのは何なんだろうか。
このカメラに収まらないほどの
大きな教会があると思えば、
そして一つの時代をですね、
世界のいろんな教会に感化を与えた、
それがあったと思えばそれがですね、
今はなくなってしまっている。
私は改めてこのコリントの教会に書き送った
パウロの手紙の内容を深く思いながら、
改めて教会とは何かということを
この思い知らされた、そんな思いで
今朝ご一緒にここを開いていきたいと思うんですね。
このコリントの教会というのは、
人の働きの16章からピリピリ渡って、
そしてそこから初めてヨーロッパに
この聖書の言葉がパウロたちの手によって開かれていく。
そういう中でコリントの教会は割合早い時期にですね、
非常に大勢の人が集まり、
09:01
教会形成がなされていった。
ところが後にこの教会に
いろんな問題が生じているということを
地区に至って非常に心が痛んで、
そして彼はこのもう一度、
このコリントの教会に、まだ老いたち間もない教会ですから、
その教会に教会とはこういうもんだということをですね、
書き送ったのが主な中心なんですね。
この大使の手紙はそういう背景ですよ。
パウロがその働きを進めていくそういう中でもって、
若い伝道者のアポロもそういう働き、
別なサイドからこうやったようでしてね、
どちらかというとこのパウロという人は、
そういう面ではなかった。
しかしこのアポロはね、
非常に有面に説得して、
そして彼が引きつけるメッセージをしたようですよ。
ですからいつしか教会の中にね、
いや私はアポロ先生の話のほうがよかった、
大きく分かった。
ところが最初に教会に来て、
そしてパウロの導きでもって信仰クリスチャンになった人は、
いややっぱりパウロ先生のほうがいいなとかね、
そういうこと柄がだんだん一つのこのアポロ派、
あるいはパウロ派。
そしたら中にはね、
いや私はペトロさんが一番のイエス様の弟子の人だから、
私はペトロさんのほうがいいと思う。
果たしてペトロの話を聞いた人たちがどれだけおったのか分かりませんけど、
とにかくそういうことでもって教会の中でもって、
言うなら派閥みたいなものが出来てきたんですね。
でパウロは非常にそのことに心痛めたんですよ。
でそういう中からパウロは、
じゃあ教会というのは誰のものなのか。
教会というものは何が一番大切にして、
そしてそこに形成されていかなくちゃいけないのか、
ということを、このコリント大臣の手紙から始まったわけですよ。
でそういう中でね、
私はやっぱり教会とは何かっていうことの中心はここだなと思いながら、
改めて読んでいただきましたこの10節からのこの言葉を、
この思いをですね。
でこの特に今朝は16節を中心にしていきますけども、
この10節を見ますとここにね、
与えられた神の恵みによって私は賢い建築家のように土台を据えました。
そして他の人がその上に家を建てています。
12:03
しかしどのように建てるかについては、
それぞれが注意しなければなりません。
そういうこの注意を促しながら、
教会、そして自分はこのコリントの教会に対して何をこれまでしてきたか、
いつも心にしてそうしてやってきたことは何か、
パオロのその伝道の機関から言いますとですね、
結構長い時間、長い期間このコリントに滞在して、
そして伝道していった様子がそこに書いてあるんですね。
それぐらい彼は本当にこのコリントの教会での教会形成というものに心を向けたんです。
彼はここで賢い建築家のようにっていう、
これはね、コリントの人たちにとっては非常に飛びつきやすいと言いましょうか、
理解しやすい表現なんですね。
ご承知のように、ギリシャを代表する都市と言えばアテネでしょう。
そしてそれがもう一つがこのコリントなんです。
確かに時はですね、古びてしまったそれがローマによってもう一度ですね、
地方都市の一つとして新たに作られてきているわけですが、
それは非常に交通の便利がいいものですからね。
必ずそこに寄ってそして行くということでもって、
ローマはうまくそのコリントの町のそれを利用して、
そして収入を得るというようなことをやった。
ですから非常にコリントの教会というのは、
そういう背景の中でもって反映したんですよね。
人工もあったんでしょうけれども。
そして今でもこのコリントの影響というのは、
建築という中に活かされてきているようですよ。
しかしまたコリントという名称はね、
これはこの後にも続くんですけれども、
やはり今の言葉でいうなら風俗みたいな、
非常に堕落したそういう風潮というものが、
商売で繁盛しますから、人々が集まってきますから、
そうするとそこにはいろんなものが生まれてまいりますよ。
そういう言葉らがどうもこの教会というものが
しっかりそこに据えられていないがゆえに、
そういう問題が入ってきているんです。
もう何かこれが教会かというような、
そういう問題もここでは取り上げられているんです。
だから余計にパウロは教会というのは誰のものなのか、
何をベースにしてそこに立てるのか、
表側のこの姿、形ですとね、
オランダの教会じゃありませんけれども、
ああ立派だなあって言ったって、
やはり売りに出されるぐらいに教会は支援してきたんでしょう。
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あるいはアメリカの教会もそういう中でもって、
教会が教会として堅実にあるようだったならば、
今でもいろんな感慨を与えるような教会になっていたと思うんですけれども、
しかし教会にあらざるような事柄に手を出し、
心を向けたがために教会が教会としてならなくなっちゃったんですね。
名前が出てきませんので、
私が日本教会成長研修所というところで学びをしておりましたときに、
ここの書棚にもあると思うんですけれども、
その先生がアメリカからのゲストとしておいでになって、
そしてケーススタディを持ちました。
その当時その先生は、
高校の体育館で集会を始めて、
そして600人あるいは1000人ぐらい集まっているという。
だから教会なんかいらない。建ってもいらない。
私はそのときに、やっと平方希望教会が、
小さい教会ですけれども、建ったところなんですよ。
何かもう、くじかれたような感じがしましたね。
せっかく建っていたのになと思って。
それからその先生との個人的な相遇のときに、
いや、そりゃアメリカはね、
そりゃいろいろみんな理解があって、
そして学校を借りたり、いろんな公的なものがそこで教会に提供される。
ところが今の日本は、公的なものでもね、
これは抽選で、そして当たったなら使える。
主にはもう、そういう宗教に係るものは一切ダメっていうのは、
そういう厳しいところがある。
だからどうしても日本の場合は、
教会堂という建物が必要なんだっていうことを言ったら、
そんなんかなーっていうのはやっておりましたけどね。
名前が出てこなくて残念ですけれども、
ところがね、今はものすごい教会を建ててますよ。
あのユン先生もなんかね、福岡の教会におったときに、
横田ポール先生たちと一緒にその教会の研修に行かれたっていうことを聞いておりますけれども、
しかしその教会は確かにね、
なんか見るから体育館のようなそういう建物のようです、聞いたところによると。
ですからゴシック中、やはりコリッド風っていうのはものすごいこういうね、
建てるようなそういう教会ではないらしいですけれども、
しかし本当に力があってね、生き生きとした教会だっていう、
それがやっぱり数万の人たちが集まって、そして毎週その働きが進んでるっていうことを聞きました。
改めてね、申し上げたいことは、
どういう外側でも、どういうスタイル、形であろうと、
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大切なことはここでパオロが私たちに問いかけるようにして語っている、
こういう教会が私たちに必要だ。
そしてここでまず言われていることは、確かな土台っていうことですよね。
私は賢い建築家のように土台を据えました。
ただその上にどのようなものを建てるかっていうことは、
それぞれが課題を持って、それぞれがそこで持って、
この上に建てるものについてはよく注意して建てなさい、
という意味合いのことをこう言うんです。
だけど必要なことは、ベースとして大切なことは、
イエス・キリストを信仰する、そのイエス・キリストが教会の土台でなければならないんですよ、
アポロでもなければ、あるいはパオロでもない、ペトロでもない、
どんな優れた人材がそこに、あるいは指導者が出てきたとしても、
もしそれがね、コニチフに言うならば、
有名なコイ先生の教会は、って思わず私たちはその名前を挙げちゃうんですけども、
その先生の教会だったらもう教会ではなくなっちゃうんですね。
先ほどの名前を挙げましたこのビリ・グラムという方は、
彼は今でもパキソンなんですけどね、テレビ電動で座ったままでやってる。
もう100歳ですよ。
そしてその働きが今でもそこで、ノース・キャルラインの方ですけども、
そこで進んでるということを。
だけど、じゃあビリ・グラムが土台なのか、そうではないです。
彼もその時代に建てられた神様の器として、その時代に働き人として、神が持ちなさった。
教会の土台はイエス・キリスト以外にないんだということを、
改めてここでもってパウロは言うんです。
私はもう、カガト教会、中川先生はね、カガト修養会にことじかれたんですかね。
私は今の新しいこの教会はあまり知らないんですけども、
私も岡山で電動しておりましたから、カガト修養会というのがあってね、
それで8月の暑い時に毎年行われるんで大変だなと思いながら、
いつも地元みたいなもんですから参加しておりました。
そこが狭くなってきてね、それで増築をする。
当時に牧師をなさっておられました、その高橋先生から、増築しようと思ってね、
いろいろとこの設計とか、あるいは工事を受け終えてくださる、
そういう業者を呼んで、そしてやるんだけどね、なかなかみんなね、
分かりました、それをうちにさせてもらいますっていうのが少ないんですよ。
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なんでですか。それはね、業者にとってはいい仕事がね、収入があるのになと思って聞いたらね、
その古い方のそれはね、確かに古いんですよ。
もう今100年以上経ってますからね。
ところがどのようなそれでも、こういうドアでも、
もうピシャッと開くし閉まるし、もう狂いがないんですよ。
ところがその後で受けようとしたその方がね、それを見た時にね、
今の技術ではね、今の与えられた時間の中では増築したらね、増築した方が新しいのにね、
いろいろ問題を生じます。
ちょっとうちは、と言って、断られた業者もおったそうですよ。
その時に何を一番にしたかというと、やっぱりさすが業者さんだと思いましたけどね、
土台が違うんですね。今はもう簡単にコンクリートでパーッとやりますからね。
もう仕事が早い。
ところが、見るからにね、この土台はしっかりとした石でもって、この土台が据えられておりますからね、
少々のことがあっても、上に立てられたものに狂いは生じないんです。
だから今ね、同じようなことでもって土台をしようと思ったら、ちょっともう予算的には合わないと思いますけども、
ということの話から、だんだんとまとまる話がダメになってしまったという時もあったようですよ。
それぐらい、確かに私も改めて言われてね、土台を見たらしっかりと、私の実家は石屋ですからね、
石屋じゃなくて、石屋ですから、山から石を切り出して、そして据えていく、そういうところです。
ちなみに有賀先生ね、あそこのお父さんに対して、お父さんはね、その石を採掘して、そしていろいろなものを作る方なんです。
で、うちは山から石を切り出すという、ちょっと荒っぽい仕事のそういう家業だったんですが、
ですから石が大事だということはね、言われてみてはそうだと思いましたけどね、
しかし最近はもう、そういう石を使ってどうのこうのというのがもうなくなってしまっている。
だから、最近のものは脆いんだなんていうことは申しませんけども、今は今でもってもっと素晴らしいものがそこに立っているわけです。
改めて思うことは、しっかりとした土台というものに気を使って、そしてやらなくちゃいけない、気をつけて建てなくちゃいけない。
やっぱり私の方は素人ですからね、建ったのならば、ああすごいな、この家はとかね、豪邸だとかいろいろ見る代わりにそういうものを見ますとね、圧倒されますよ。
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いってどういう土台をしているんですか、なんていう人は、気をつけて見てもなかなかそこまでは気が回らないし、また見当たらない。
しかし、土台というのはね、一見そのように地味なんですけども、そこにどういう土台を据えるか、教会も一緒だ、パウロの教会ができたって言って、
じゃあそれがどうなのか、パウロがなくなったらそれで終わってしまう。
けどもイエス・キリスト様に対するその信仰をベースにして、そしてそこに建てることこそ大切だ。
ですから、平方希望教会の建てた時には、このお言葉をですね、この教会の土台はイエス・キリストっていう、ただ立派な石じゃないですよ、コンクリートで、
簡単に20年もったらいいなということで、当時建ったようなこの教会で、それが40年近くもっているので不思議なんですけども、大切なことをそういうふうに土台。
あのイエス・キリスト様のたとえ話に雨が降って水が沸きっていう歌にもなっている歌手がいますね、マタニョル・フクインション。
そしてそれぞれの人が家を建てた、ある人は砂地の上に建てた、ある人は岩の上に建てた、そこのイエス・キリスト様は岩の上にということに注目しているわけです。
砂の上に建てたのは雨が降って水が沸いて、そして行ったらもう土砂でもって流されてしまったっていう、そういうことですよね。
イエス・キリスト様はそこですでに岩の上に教会を建てることこそが大事。その岩こそがイエス・キリスト様であり、そして私たちの信仰のベースはそこだっていうことを言うんです。
第二番目に大切なことは、ここで確かな材料を用いるかどうか。ここでは大変分かりやすくね、誰かがこの土台の上に金銀宝石、木草、藁などで建てるなら、各人の働きが明瞭になります。金銀宝石。
そんな街道があったら見たいと思いますけれども、そういうことではないですよね。確かに木草藁っていうのはね、私たち日本の家屋を見てもらいますと、昔はそういう今でもかやぶきの家がありますし、重宝がられておりますよ。
歴史的にはね、コンクリートの建物よりも木の建物、木材を中心にした建物の方が、日本の場合には非常にこれは風土をいろんな点で持って、マッチして長持ちする。奈良の、なんていう、東正大寺でしょうか、最も古い日本家屋、木材で持って建てたお寺さんがいます。
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けれども、コンクリートでやったのは、今までそれだけなかなか持たない。今問題になったのは、首都高速をはじめ阪神高速もそうですが、コンクリートでしっかりと建ったんですけれども、もう50年たっていくうちにいろいろと問題が出てきて、そして今、大修理が始まっておりますよね。
それより、もう鉄筋が入っているし、もうコンクリートだと、もうどんなことがあっても大丈夫だろう。けれども、それを諸に阪神阿波寺震災のときに、私はもう一瞬びっくりしましたよね。この高速道路がこんなになっちゃうのか、ものすごく大きな壁ができているような思いでもって、どこから向こう浜川に行ったらいいんだろうかと思うぐらいに封鎖されてしまいました。
もう倒れることはないだろう、崩れることはないだろうと思ったのが、灯籠がこの震度67という、あるいは8だったらしょうがないかと思って、大きな地震の前にもろくも、コンクリートがもろくも崩れてしまった。
私たちは、これこそ大事だ。で、この金銀宝石というのは、これは何もそういう贅沢なね、高価なものでもって教会を建てなさいという、そういう意味じゃないんですよ。最も大切なものでもって、そこに教会堂というものを建てていく。そのようにやるものでもって、こうやるというのではない。
だから、私は教会というものを考えますとね、一つにはね、やっぱりいろんなことを活用したらいいですから、家で使っていないそういうものがあれば、それを持ってきて、そして使ってもらうということも一つなんです。
だけど、教会というのは、全部が全部、そういう寄せ集めでもってやっているのではね、せっかく私たちは、これからの教会ということを考えたときには、それでいいんだろうか。私も長い歴史の中でもっていろいろ考えさせられることがありました。
たとえ、奨学であっても、それを持って、そして教会のためにそれを捧げるとか、そういったものがあるときに必要なわけですよね。
ですから、私は地方の教会などを見てまいりますと、この人数で、よくこんな立派な街道できましたね、と、本当にもうぐらいの立派な街道がね、しかも最近の街道ですから、いろいろと使い便利がよくなっていますよ。きれいにもなっていますよね。
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しかし、よくこの人数で、よくやっているなあ、と。たとえば、そこのおしべ谷の教会なんかはね、人数からいったら、総宮谷教会と数字的には変わらないんじゃないかな、と。
けれども、しかし今、そこに西原先生がね、夫人の方が勃開しながら、そしてよくそこをまとめて勃開を進めていらっしゃる。
私は、教会ということを考えますとね、今のこの十節にありましたように、どのように建てるかについては、それぞれが注意しなければなりませんという、そういう問題意識というものを持って、そして街道、あるいは教会というものの、その建築に私たちはかかりを深く持っていくということです。
ポリンテ教会の問題の一つは、やっぱりそういう地域に置かれた教会ということで、その脆さがあったのかわかりませんけれどもね、木草藁的な、そういう安易なものでもって、こう教会が建てられていくというところもなくはなかったようですよ。
これは、パウロが書いた最後の手紙の一文ですけれども、その手も手第2の手紙を読んでまいりますと、本当にパウロと一緒に働きを進めてくれた人たちの名前が書いてあるんです。出ますという人の名前も出てるんですよ。
ローマ一帯の手紙だったでしょうか、そっちを見るとね、本当に彼はパウロのために協力者でしたよ。いただいてその働きをしっかりやってたんですね。
ところが今、殉教を間もなくしているこのパウロにとっては、非常にこの出ますの名前が重荷なんですね。なぜかというと、あんなにまで私にも仕え、そして良き人としてやってくれた出ますは、今、どこへ行ってしまったのか。
私は出ますという言葉が良くなかったんじゃないかなと、日本式に考えますとね、何も挨拶もしないで、とうとう教会から出ますと言って出てしまったのかなというような感じを思ったりもしましたけれどもね。
じゃあ出ますという人はどうなったのか。そして厳しい迫害に向けられました。どれだけの大勢の人たちが殉教していたかわからない。そしてパウロ自身も間もなくこの手紙を押さえて、そしてやがて殉教という道を進んでいく。
非常にそういう点で、当時のこのクリスチャンたちはね、ある意味において分けられましたよ。そういう中に出ますが入っちゃった。
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キリストに従うよりは身の安全、あるいはもっと安易な道ということで、彼はそのパウロから離れただけではない、イエス様からも離れてしまったような、そういうことがそこに記されております。
じゃあ彼の信仰はどうなったのか。ここで言うならば、金銀宝石、何物にも買いがたいところの絶対的な、もっと素晴らしい物でもって彼は形成していたのかというと、どうも試された時にそのことが出ちゃったんですね。
そしてせっかくここまでついてきたのに、私はと言って去った。言うなら、ユダ的なそういう誘惑の前に彼はそこから去っていったわけでしょう。命の危険を生じるよりは、まあもうちょっと安易な道をということを考えたのかもわかりません。
ですから私たちにとって大切なことは、土台ということと、自分の信仰生活にあいて何をもってこの信仰生活をそこに立ち上げていくか、私たちはここで最後に問いかけられているのがこの十六節の言葉ですよ。
この十六節を見ますと、「あなた方は神の神殿であり、神の御霊があなた方に宿っておられることを知らないのですか。もし誰かが神の神殿を壊すなら、神がその人を滅ぼされます。神の神殿は聖なるものだからです。あなた方はその神殿です。」
前の公語訳聖書では神の神殿というふうに書いてありましたけれども、パオロはここでね、「建物というよりも大切なのは、実はあなた方自身が教会なんです。あなた方自身が神の神殿なんです。」
まあ、そういうことを言うわけですよ。私たちはなぜそういうふうに今日その中に建てられているかというならば、ジエスキリストが私たちのあらゆる罪を許し、そしてキリシトは今、御霊を私たちのうちにお与えくださって、
そして私たちはこの精霊の助けによってキリシトの体なるこの教会とされている。それがあなた方なんですよ。」とパオロは言うんです。
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最後にこれはある本に書いてあった出来事ですけれども、第二大戦の時にイギリスも随分とドイツによって空爆を受けて、そして破壊されたんですね。
その中である地方の教会ですけれども、もうそこも空爆を受けて、そして牧師が戻った時にはもう教会がね、もう跡形もなく破壊されてしまった。
牧師はこの辺が石の教会と木草原で作る、私は日本のです。伝統と違いますから、日本だったらもう全部焼夷弾で持って焼かれてしまったんですけれども、その瓦礫と化したその教会を前にしてね、はあと思った。
もうこれで私のこれまで築いてきた働きはもう無にしてしまうというそんな厳しい思い、寂しい思いで持って、その教会の瓦礫と化したそこを見取りました。
彼はそこで拾うこともなくこの石を片付け始めたんですね。そして片付けていくうちに、焼け残った一冊の冊子が出てきました。
教師用もないものですから何だろうかなと思って中を開いたらね、なんと教会の名簿だったんですね。その時に彼は教えられた。建物は空爆によって瓦礫と化してしまった。
それでもその教会の原稿、そこにはいついか彼はどこで宣伝を受けた、どこで何をした、そういうことがずっと書いてあって、それを見た時にね、ああ教会はこれだと思ったんです。
建物じゃなくてね、教会はイエスキリストを信じる一人一人の中にしっかりとこれを建てられているんだ。それで先生はそれをベースにしてもう一度教会の再建をなさったというお証を読みましたけれども、私は本当にそう思いますよ。
教会にはどこにも会員名簿というのがあります。いついか誰から宣伝を受けた、あるいは誰と結婚したとか、いつ命されたとかそういったことがずっと書いてありますけれども、私は改めて教会の原簿というのは大切なんだなとその時に教えられました。
形としてはなくなっても、けれどもここでもっと同じくイエスキリストを信じて、そしてクリシアンとして、同じように教会形成に挙げてきた教会の一人一人は失われることはないんですね。
時間的にやがては見されていくんです、誰もね。けれどもしかしその先生はその時代においてその教会に係りをもって働きをなさった。ここの小津先生も同じですよ。先生が西部、あそこで持って開拓伝道をなさって、そして街道を建てた。そういう中から今度は宮なりといって、この教会が働きをしていった。
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そして私たちはそういう中でイエス様に出会うことを得て、そして今日、小津先生はもういませんけれども、私たちはその働きの中に加えられて、そして私たちのうちにそのイエスキリストを土台とするその信仰を持ってそして歩んでいる。
これを私たちはね、もし小津先生が亡くなったらもうダメだって言って、それは教会じゃないわけですよ。その先生の働きでしかない。
けれどもどの牧師もどの先生も、何も自分の名も残すために教会を建てたんじゃないですよ。自分はその時代に神様が必要として建てなさった器として、その時代でもっと奉仕する。それが我々牧師でもあるし、お互いクリシャンでもある。
そしてそのうちにね、100年200年という教会というのがそこに築かれていく。そういう中で私たちは神の神殿とされているというね、この信仰をしっかりと自覚してこの恵みに立って生かされていきたいと思うんですね。ではご一緒にお祈りいたしましょう。
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