00:02
アーメン、感謝します。
それでは、今日も御言葉を頂く前に、隣の方々と握手をしながら、挨拶の時を持ちたいと思います。
よろしくお願いします。よくいらっしゃいました。
それでは、一言お祈りいたします。
はじめに、神が天と地を創造した。
神様、感謝します。
今日も、愛する兄弟姉妹たち、一人一人を名を呼んで、主が、この主の教会に、他のところではなく、主の御前に、この礼拝の場に、私たちを集めて下さい。
心から感謝をいたします。
賛美をもって主の皆を拝め、共に心を合わせて祈り、また、今から神様が語ってくださる御言葉に、耳を傾けます。
どうかしよう。
今日から、私たちが何を信じているのか、その信仰の牙を固めて、しっかりとしていきたいと、そう願っておりますので、どうかしよう。
私たちに、正しい信仰の根本を、改めて教えて下さいますように、お願いをいたします。
意見を委ねて、感謝して、神様の皆によって、お祈りいたします。
アーメン。
今日のメッセージ題は、
私が信じるのは、その一、我は天地の作り主を信ず、という題です。
私たち教会はですね、月に一回、使徒信条と教団の信条を用いて、皆さんは信仰を告白しているんですね。
より一層、その意味ある告白としていきたい。
それと、個人と教会の信仰、告白の基盤をですね、しっかりと固めて、また共に確認しながら、歩んでいきたいと、そう願っております。
使徒がですね、初めて聖書を手にしたとしましょう。
どんなことが書いてあるんだろうとですね、考えてですね、開いてみると、
03:00
なんと最初に、はじめに神が天と地を創造した、という歌詞がですね、目に飛び込んでくるわけです。
特に日本の現代の我々が、もしですね、神様を知らない方々が、この歌詞を読んだら、どのような印象を受けるのでしょう。
私はクリスタルホームで育ちましたので、神様による天地創造をですね、当然のこととして受け取っているわけですが、
しかし、キリスト教師院校に触れたこともない、日本の公立学校でですね、教育を受けてきた普通の人なら、何を考えるんでしょう。
残念なことは、日本の教育は進化論一転倒ですね、それが当たり前の学問として教えられています。
そのような精神路上の上で育った人たちが、はじめに神が天と地を創造した、というこの文章を読みますとですね、
なるほど、聖書って古くて神話的な読み物だなと思うに違いありません。
あるいはですね、これがキリストか、そしたら自分は信じてはいけないわ、と思うかもしれません。
それでですね、聖書を教えてしまうかもしれません。
ここでですね、その請求な思いをちょっと抑えて、踏みとどまっていただきたいと、そんな感じがします。
世界には科学の最先端を切り開きながら、なおかつ天地の創造主である神様を信じている科学者が大勢いるんですね。
科学の道に精進しているということが、信仰の世界を否定していることにはなりません。
神様を信じるなら、科学を捨てなければならないわけではありません。
逆もまたそうです。この科学を信じていることが、信仰していることになるわけでもあります。
一つの物語をお話したいと思います。
ある夜、南の太平洋の小さな島の上に、飛行機が飛んできました。
その飛行機は島の上を低空で通過して、そのビーチ浜辺に腕時計を落として行きました。
06:06
翌朝、村の人々が、その中の一人が自分の小屋から出てきて、その早く腕時計が浜辺に落ちているのを見つけたんです。
誰もそんなものを見たことがありません。
あっという間に、そのニュースが村中に広がりました。
村の人々が、この小さな腕時計の周りに集まってきました。
はじめは離れたところから、コワコワ眺めていました。
少しずつ興味津々に近づいてきました。
とうとう、その中のどこの群れもたくましい勇敢な人がいるわけですから、一人の男が触ってみました。
触ってみた男は、みんまりと笑いました。
谷川の石よりつるつる、谷川の石より固い、冷たい。耳に当ててみるなり、ようとして思わず落としてしまった男です。
それで、数名の人が座り込んで、この幹の物体を研究し始めました。
そして、その腕時計は村に何年も留まることになりました。
そのうち、少しずつ研究成果が積み上げられてきました。
それで、よく研究した結果、長い方の針が一定の周期で一回することを簡単にわかってきました。
しばらくすると、誰かが長い針が一周すると、短い針が目盛り一つ分動くことを観察したんですね。
別の誰かが自慢げに言いました。
おい、今日も昨日の朝と同じところを指しているぞ。
大発見でした。
明らかに、この物体は太陽と一緒に行動していると気がついたんです。
もしかしたら、この時計が太陽を動かしているかもしれない。
いや、木の早い人はこう宣言しました。
とうとう、あの太陽をコントロールする物体を我々は発見したのだ。
村人は、どこかこの時計に恐怖を覚えました。
そういえば、時計を発見した前の晩に激しい爆音を聞いたんです。
この物体は一体どこから来たんだろう。
09:01
それで、憶測は様々です。
巨大な飛行機か、あるいは巨大な生えたライオンが天から飛んできて落とした。
恐ろしさのあまり、この時計を確立した方がいいというものもいました。
もしこれが太陽や月をコントロールしているとすれば、
もしこれが巨大な鉢が置いてしまったというものであれば、
災いがこの島にやってくることになるかもしれない。
しかし、研究グループはこの時計をじっくり観察しました。
彼らは時計を見ながら、この時計を作った存在を考えるようになったんですね。
そして、いくつかの結論を導きました。
規則が正しく、その動きを予測できる。
デタラメに動かない。
耐久性がある。
これを作った者は、その機能をよく考えている。
また、美しさを持っている。
輝きがある。
これを作った者は、美しさを好む。
そうしてみると、少なくともこれは、
ハエの生えたライオンが作ったものではない。
作った人は、この世界全体を理解していると考えられる。
少なくとも、太陽と月の動きとつなぎ合わせる発想があったに違いない。
と思ったんですね。
さて、思っているごとに、この村の人々の中で、
この時計を作った者などいない。
考えていないと考えた人は、一人もいませんでした。
つまり、この腕時計が突然か、時間をかけてか、
何もないところから浜辺の砂の上に、
突然と姿を現したと考えた人はいないのです。
しかし、最近になって、それは私たちのことですか、
考えるようになっているのではないかと思います。
その発想というものは、こんなことです。
私たちは、時計がどのように動いているかだんだんわかってきた。
この世界のことも把握して、明解できるようになった。説明できる。
そして、いきなり論理が主役するんですね。
だから、時計を作った者はいない。
そもそも存在しない。
時計は進化して、今この浜辺に生まれて出た。
12:06
これが科学的な仮説です。
科学的な仮説を実験や観察で論理として、
そこからいきなり論理を主役させて、
天気を想像した神様を完全指定するのです。
これが想像を指定する人たちの主役論理なんですね。
さらに、簡単に言ってしまえばこうです。
私の時計は家を建てた。私はその家をよく研究した。
その家がどのように建てられているのか、とうとう突き止めた。
実際に今では家を建てることもできる。だから時計は存在しない。
これが皆さん実は、今世の中の人々が信じて、
信頼している百万の主義のいうことなんです。
けれども皆さん、経験な心を持っているこの学者であれば、
世界の成り立ち、すくみを研究ってですね、
ますますその神秘に心を打たれるんですね。
それでこの世界の創造者に思いを馳せることもある。
この世界は孤島の砂浜に落ちたあのピカピカの腕時計と似ています。
そこには秩序も知足もありません。また美しさも備わっています。
雄大な山から、例えば小さな玉ねぎとかニンニクとか、
小さな野菜の細胞に至るまで不思議な美しさがたくさんあるんですね。
鳥には羽があり、例えばカメには甲羅があり、
魚は何十何万何億という卵も産んだりする魚もいる。
人間の歴史のどこを開いても、人間は大自然に感動するんです。
皆さん、私はまた行ったことがないんですけど、富士山に行かれたことありますか?
行ってみたらですね、私は写真だけ見てもですね、感動するんです。
それはなぜ感動するかと言いますと、
その背後にいるその自然を想像した何かに思いを馳せてきたということです。
15:03
正序に戻します。
創跡一挙をご覧ください。
今日のお見言葉です。
天地創造はこのように始まっています。
地は蝋爆として何もなかった。
闇が大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた。
神は大聖られた。
光があれ、すると光がある。
ここでですね、神は大聖られたとありますね。
神は大聖られたという表現は独特な表現なんですね。
この表現に注目していただきたいんですけれども。
正序が教える神様は言葉を持って、言葉によってこの宇宙万物を想像されました。
ここでですね、言葉によって想像した。
これが重要ですね。
言葉によって想像した。
これはですね、想像の仕方ややり方を説明しているのではありません。
もっと深い意味があるんです。
それは言葉によって、もちろん言葉でですね、お救いになりました。
それが意味しているのは、想像の御業の中には、神様の明確な御計画、御心、御意志があったということです。
神様の明確な永遠からの御計画、御心、御意志。
それが神のロボスと言うんですけれども、それがあったということです。
言葉を発することによってですね、何かを想像したという以上に、
神がこの世界を御自身の御計画と御意図を持って想像された、その素晴らしさをわかっていただきたい。
神様が想像した世界は、以前の混沌とした意味もない、形もなっていない、工業とした世界とは違って、意味を持って一貫し、規則的で美しい世界です。
その中に生きる私たちは、無秩序な世界に無意味に存在している生命体ではありません。
ですから皆さん、私たちが非等真相を告白するんですね。
この非等真相を通して、私は天地を作られた父なる神、つまり想像無しを信じると告白するとき、
同時に私たちが告白していることは、この歴史の連続、不連続、偶然、さまざまな出来事と出会いの中で、
18:08
この小さな私たちですけれども、でも決して無意味な存在ではない、ということです。
もう一度お話ししますが、神様は質属と計画と糸を持って、この世界とその中に住む私たちを想像してください。
この世界は神様の恵みによって作られ、支えられ、保たれ、私の人生は神様の恵みによって守り、導かれていること。
それが非等真相の告白なんです。
ですからこれから、皆さん、非等真相を説きに行かれますけれども、告白するたびに、このことを、今日の御言葉を覚えていただきたい。
自分が果たして何を告白しているのか。ここで日本のこと、日本人のことについて共に考えていきたいと思います。
もちろん私より皆さんがよく詳しくお読みだと思うんですけれども、日本人を一見すると、とても敬虔な宗教心の厚い人々のように思えます。
何しろ偉大な人物や、例えば武将や学者も政治家も皆、神として祀られるお国からです。
こんなに宗教心の厚い国はないと思うんですね。
猛威を振るい自然も、高い山も深い森も、大きな木も、狼も狐も、皆、神として祀られる精神風土に日本はある。
そうでしょうね、皆さん。また八百代寺の神々と言います。
こういう言葉がありますね。イワシの頭も神人か。私も知っていますよ。
自然界のありとあらゆるものが神々として祀られるような文化が、現代日本にも面白いことですね。
豊田のプリウスという車がありますよね。最先端の車を持っているんですけど、車のお尻にどこのどこの神社のステッカが六つも張ってある。
21:00
それが人間なんですね。ところが八百代寺の神々が祀られている反面、
統計ですけれども、日本人も多くは、とても無宗教的に言っているんですね。
これはちょっと古い統計ですが、2003年度の関東での統計ですが、83%の人が宗教に関心がないと答えています。
しかし譲りきっている統計数字でもあります。これは2011年、文化庁の統計によりますと、
神道、仏教、シリスト教、その他諸宗教の人数は、なんと2億718万3223人で、日本の人口より多いんです。
つまり、ある人たちは宗教を二つも三つも持っているということです。
この統計数字からわかってくることは、日本人は通過儀礼的に宗教を捉えているということがわかってくれます。
生まれたときには尾身は参りに行って、毎年発毛では欠かせません。
子どもが学校を受験するときは、多くの親がミッションスクールがいいわって言い下がるんですね。
敬明とか神戸女学院とか、高い教育水準を保っているシリスト教学校は人気があるんですね。
でもそこで毎日シリスト教の礼拝を行っていると、その全部の意欲度があるわけですから、それを親たちはどのように捉えているんでしょう。
そして大人になるんですね。そしたら結婚式はシリスト教式で行います。
結婚式場だけで祝要するキャペルが日本にはたくさんあるんですね。
礼拝していない。でも結婚式だけのキャペルがあるんですよ。
西洋では信仰を持つカップルが教会で結婚式をあげるわけですが、
日本ではキリスト教信仰と何の関係もなく素敵だわと思って西洋に憧れを持ってシャペルで式を行うんですね。
どんどん年を取っていきます。そうすると葬儀は仏教で行います。
仏式の葬儀を考える段階である人がこう言いたいです。
あらためて、「あれ?我が家の宗教は何だった?」と尋ねるくらい。
24:06
普段は仏教とは無関係に生きている人も、仏式の葬儀を当然とするでしょう。
一体どのような感覚で、どのようにいくつもの宗教と接して一生を過ごしていくのでしょう。
一度立ちの場で考えてくださいと。
よく言われるように、日本人はもともと極めて厳正的なご利益のために神々を祀ると言われました。
七位安全、合格祈願、縁結び、豊作等々ですね。
厳正の豊かさと結びつけて神々を信じてきた。それが日本なんです。それが日本人です。
だから役に立ちそうな神々であれば、ご利益があると言われれば何でも味方になってもらいたい。
そんなところから神社はご利益を謳い、神社で至高の世界へのことはお寺に任せてした。
そんな日本に近代科学が入ってきて、あたかも厳正のことは科学で証明できるかのように言われました。
進化論で地球を考えることができる。
心理学で人間の行動のパターンをあなたの人生は性格はB型A型とか人格は考えることができる。
生理学で人間の感情を説明することができる。
すると、もはや神様と世界を結びつける理由がなくなる。
それで、今の利益だけのために神を信じればよい。神を祭ればよい。
あとは全て学問や科学でこの世界を取り繕っていく。
そのような精神風土の中を、日本というその風土の上を、私たちは依然として歩んでいるかもしれません。
しかし、聖書はこのように語っています。
1ヶ所ですね、一緒に開いてみたいと思います。
ローマ人への手紙、新約聖書ですね。
ローマ人への手紙、11章、36節、308ページです。
27:01
ローマ人への手紙、第11章、36節。
では、ご一緒に。
三杯というのは、全てのことが神から発し、神によって成り、神に至るからです。
どうかこの神に栄光が常しえにありますように。
アーメン
皆さん、本当にアーメンですか?
全てのことが誰からですか?
神から発し。
誰に?
神によって成り、神に至る。
ですから皆さん、私たち日本のクリスチャンが、こんな精神風土の中にいる日本の中で、
私たちが、我は天地の作り主、神を信じると告白する時、
それは日本における福音の第一歩となるんです。
だから、皆さんが行くところどころで、この信仰、告白を飾っていただきたい。
いや、もう言いまくってほしいほどです。
聖書の最初の言葉は、神様は知らない。
特に日本人にとっては、最も衝撃的なんですね。
利益という点で幸せを考えるんですね。
また、近代化学で世界と人間を失礼して、ここが足りてしまう。
神なし精神性にあって、この初めに神が天と地を共同したという、この歌詞を読んだらですね、衝撃的です。
だからこそ、クリスチャンである私たちは、
行くところどころで、我は天地の作り主、神を信じると告白することが、
この日本にはとても必要な福音宣教なんです。
皆さんいかがですか?
皆さんのお家で、あるいは同祖会とか、隣の方々に、私はこのお花を、
あのお月様を、作られた神様を信じていますよ、と、かばっていらっしゃいますか?いかがですか?
信仰を告白することがとても大事なんです。
口にすることが大事なんです。
皆さんの心の中に考えていることを隣の人は知りません。
夫婦だって知らないんですよね。
奥さんの考えることを知らないんですよ。
旦那さんの考えたことを知らないんですよね。
だから周りの人が知るわけにはいかないんです。
30:03
話すこと、言葉で物を言うことがとても大事なんです。
福岡にいるときですね、ある七月過ぎている夫人の方が、中学校か高校の同祖会ですね、ずっと参加していらっしゃって、
あるときにですね、もやされてですね、どうかしても彼女は、この同祖会の友達に伝導した気持ちがあって、ずっと参加してきたわけなんですね。
それで、一度もイエスの家の文字も言ったことがない。
自分は本当に情けないと思ってですね、本当に祈ってもらわされて、
接近をしてですね、この信仰の証文をですね、3枚か5枚書きました。
それでですね、私も見せてもらってですね、先生、今度の同祖会で私はこういうふうに、みんなの前で話すことに許可をもれて、
今、祈っているんです。先生も祈ってもらえますか。その他に、自分がどうやって神様を信じたのか、自分が信じた神様はどんなことなのか、
そういう話もですね、想像の話も書いてありました。
それで、その通りに同祖会に行って、それを読んだそうです。
それで周りのですね、人が感動を受けた人もあったり、いろいろ影響があったと。
それで嬉しいですね、ニュースを聞かせてもらったんですけれども、皆さんいかがですか。
まだまだ信じていらっしゃらないご家族に、あるいは隣の方々に、
私は天使を救われた神様を信じていますよと宣言していらっしゃるでしょうか。
これが大事なんですね。
もう一つお話したいと思います。1969年、世界的にですね、とても有名な出来事が一つありました。
皆さんもし覚えていらっしゃるでしょうか。
人間が初めて月に上陸したことなんですね。1969年12月21日だったそうですね。
アポーロ8号です。彼らが月の軌道に安定に乗りました。
船長のフランク・ボーマンという人がこう言いました。
月の裏側の印象は、広く孤独であらゆる生命の存在を排除しているように見えた。
もう一人、ウィリアム・アンダーズがこう言いました。
これが有名な、セリフみたいな有名な言葉ですけれども。
33:00
さあ、もうすぐ地球の出です。地球の出です。
地球の出というのは、日の出のようにですね、月から見て、写真をお見せしたいんですけどね。
地球がですね、向こうから真っ暗な闇からですね、ブルーの色を光りながら、日のように昇ってくる様子なんですね。
もう一人、ジーム・ラレリガンがこう言いました。
この月の空虚さは、見ている人間に異形の念を起こさせる。
そういう風景を見ていると、改めて地球の豊かさに気付かされるね。
ここから見る地球は、まるで広大な宇宙の中にポツリと存在する楽園だ。
さっきのウィリアム・アンダーズがこう言いました。
私たちアポール・ハシゴのクールから、地球の皆さんにメッセージを送ります。
はじめに神が天と地を創造した。
月は暴爆として何もなかった。
闇が大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた。
神は仰せられた。
光がある。
すると光はできた。
今日の聖書箇所、その当時です。
人類は初めて月の周回軌道に乗ったその3人が、月の裏側を周回している16時間が迷ったみたいですね。
地球との交信も途切れてしまった。不安に思ったわけですよね。
真っ暗に16時間漂っていたわけですから、果たして軌道に戻っていくことができるんだろうと不安であったんですよね。
その時に、暴爆として何もなかった真っ暗の闇の中から光っている地球がですね。
もう照らして光っているわけですが、地球が昇ってくることを見た3人は口を揃えて、はじめに神が天と地を創造した。
告白せざるを得なかったことです。
愛する皆さん、私たちが我は天地の創り主、全能の地なる神を信ずと告白した時、それは人生の夜明けとなります。
その信仰によってこの世界を見た時、考慮を取った無意味な世界に光を射してきて、
36:00
この世界の無数の出来事、無数の出会い、その中で本能されている私たちという小さな命の存在、その意識、その意義を作り出して支えておられる神様がいるということがわかるんです。
皆さん、私調べてみたんですけど、宇宙のツアーもできる時代になっているんですね。
日本の旅行会社JPTAさん、JPTAありますよね。調べてみたら、1週間から2週間の月のツアーができるんですって。
お値段はなんと110億円。高すぎるんですね。110億円あったら月にてますよ、皆さん。
もし皆さんが宇宙に行くことができたら、何を見たいんですか。
広大な闇の空間でしょうか。火星でしょうか。あるいは金星でしょうか。太陽はもう見れないんですよね。星でしょうか。
私は何よりも闇に輝く地球を見てみたいんですね。
それは神様が創造された命と恵みにあふれる世界だからです。
そして生かされている、この地球で生かされている自分自身というものを改めて実感させていただきたい。
それで告白させていただきたい。
我は天地の創り主、全能の父なる神よ。
今日のメッセージはここまでですけれども、これからこの人生業、人生について何を信じているのか、信仰ですね、基盤を確かめていただきたい。
そう願っております。お祈りいたします。
ではですね、今日の御言葉を覚えて、もう一度改めてですね、自分自身は何を信じているのか、
神様のその創造の素晴らしさをもう一度感謝し、また確認させていただき、
またそれとともにこの創造の神様、創造主の神様を知らない周りの人々にですね、宣言し述べ伝えていくことができるようにですね、
神様、勇気を与えて下さいと、信仰の勇気を与えて下さいとですね、祈っていきたいと思っております。
では、ここで合わせて御一卿にお祈りいたしましょう。その後私がお祈りいたします。お祈りいたしましょう。
39:03
ハレルヤシタさんとしても、あなたのお恵みの心から、神が一人一人の創造主を一人一人に感謝します。
ああ、あなたのお恵みがありますよ。どうしよう。はじめに何もないところで、私たちを本当にあなたのものへ作り変えて下さい。
この闇の中に本当に神が本当に世界を作られて、その中に生かされているこのお恵みを心から感謝いたします。
この世の中の本当に闇の中に悩んでいる、その本当に世の中の闇の中にどうぞ神の恵みが注がれて、
あなたを信じ、神様を本当に神様だけを拝む、神様だけを信じ、神様だけを豊かに捧げて下さい。
お願いいたします。どうぞ今日の御言葉を感謝します。どうぞ神様。
あなたの上にあなたの恵みが豊かにありますように豊かに作ります。感謝しますよ。
師匠とお祈りいたします。はじめに神が天と地を創造した。
アーメン。神様、御言葉を感謝いたします。
防爆として何もなかったところに、神様は永遠からすばらしい計画と意図、御意志を持ってこの宇宙万物を作られ、
作った上にこの私たちを、師は作って下さいました。その作られたすべてのものは、神様のために存在するものでございます。
私たちは、天地を作られた創造主、神なる父を信じている。
その信仰に預からせていただいているこの恵みを心から改めて感謝を申し上げます。
どうかしら、その創造主の神様のすばらしい計画を思いつ、感謝する私たちでありますが、
どうかしら、私たち一人一人の信仰、教会の信仰を確実に今日どうか確かめて下さいますようにお願いをいたします。
また同時に、世の中で迷っている人々に、
この宇宙万物は、あのお花は、あのお月様は、あの動物は、私たちは父なる創造主神様が作りましたよと伝道することができますように、
42:10
私たちの信仰を強めて下さいますようにお願いをいたします。
どうかしら、本当に明大の教会に本当に愛する兄弟姉妹を共に信仰の歩みを歩んでいることを本当に感謝いたします。
一人一人の兄弟姉妹を覚えて、あなたが本当に豊かな豊かな恵みと祝福と哀れみを慈しみを満ち溢れるほど注いで下さいますようによろしくお願いいたします。
先頭に力がかかされている役員一人一人を一緒に覚えて、本当に信仰の模範、また性格的にも模範になれるあなたの素晴らしい器として、
ステッパのように、ピリッパのように、ストパウルのように、神様を尊い器として持っていって下さいますようによろしくお願いいたします。
また、生活会、数学者、また教科学の教師、さまざまな法師の本当にしてくださる兄弟姉妹一人一人をなお覚えて、
どうかしら、あなたの尊い器として持っていて下さいまして、その尊い御節を通して、私たちは恵まれ、共に励まされ、支えられ、
本当にあなたの御国の教会を称え上げていくことができますように、どうかしら、あなたが持っていて下さいますようにお願いをいたします。
教会に本当にしよう、他の教会も同じ悩みを抱えているところですが、若者たち、中高生、青年たちが少ないところでございます。
しよう、どうか憐れんで下さい、どうかしよう、若者伝導のために、教会が一致になって、本当に励んで伝導していきますように、
本当に大事なことを守りながら、また本当に帰るべきところは帰ってきながら、教会がこの次世代のためにしよう、どうか前進していきますように、
福音伝導のためにどうしよう、あなたが知恵を与えて下さり、あなたの恵みを豊かに尽くして下さいますようにお願いをいたします。
今日はまた午後2時半から素晴らしい講演がもたれますが、そのところにみんなが集まって、共に心を合わせて、祈りを合わせて、
本当にこの日本の若者伝導のために祈るときとして下さいますようにお願いをいたします。
兄弟姉妹たちの中で、本当に病を患って、本当に教会に行きたくても来れない兄弟姉妹たちがおります。
どうか主よ、あなたが覚えて、どうかその病を癒やし、心を強めて下さいまして、
共に賛美を捧げ、共に礼拝できる、どうぞ主よ、あなたの群れとして、どうかあなたが憐れんで下さいますようにお願いをいたします。
どうぞ主よ、この一週間の旅も宗の中に支えられ、祈りと御言葉によって清められる旅として下さいますように、
イエス様の御名によってお祈りをいたします。