1. 名谷教会 podcast
  2. 2016/05/08:聖日礼拝(旧音源)
2016-05-08 30:44

2016/05/08:聖日礼拝(旧音源)

2016/05/08 聖日礼拝(旧音源)




00:01
おはようございます。
皆さんおはようございます。
今日は本当に喜びの日、うれしの日です。
一人の魂が、
イエス様を信じて救われる。
天においても、死においても、大喜びの日でありますが、
メッセージが入る前に隣の方と挨拶しましょうか。
よくいらっしゃいました。
ありがとうございます。
それではお祈りしましょうか。
一言お祈りいたします。
あなた方に言いますが、
それと同じように、一人の罪人が悔やめるなら、
悔やめる必要のない99人の正しい人に勝る喜びが、天にあるのです。
アーメン。
神様、聖日礼拝を主の御前に、
愛する兄弟姉妹たちが共に集まって、
主の御前に全身全霊で礼拝をお届けいたします。
主よ、神様に喜んでいただき、
まだ受け入れられる清い生贄をお届けする礼拝でありますが、
一人一人を、心も身も全てを、主の御前にお届けいたします。
主よ、喜んでお受け取り下さい。
そして、あなたの心を示して下さい。
そして、悩みのある方、苦しみの中にある方、
さまざまな問題の中に、
主よ、泣いている方々、
あるいは、神様の答えが必要としている方々の上に、
主のお答えと、主の恵みと癒やしを、希望で満たして下さい。
そして、今日の礼拝に終わって、この街道から帰る時に、
本当に、光と命に満たされ、帰ることができますように、
主よ、どうぞ祝福して下さい。
伊手に委ねます感謝して、神様の皆によってお祈りいたします。
アメン。
はい、今日は、ルカノーク印象、予選歴ありまして、先週まで第一コリントでしたけれども、
今日は、ルカノーク印象の15章の3節から7節から、
悔い改め、救い、喜びという題にして、
共に恵みをお受けしたいと思います。
お祈りにもありましたように、
藤本安政兄弟が、神様の恵みによって、
03:00
イエス・キリストを救い主として信じ、信仰の決心を知り、
そして今日は、パプテスマを洗礼を受ける日です。
去年のですね、12月27日に、3人の姉妹たちが洗礼を受けられてから、
4ヶ月ぶりですね、なんと感謝のことでしょうか。
全てはですね、神様の恵みである、
それから皆さんの背後の祈りと、関心やあるいは愛だ、
それがですね、支えられて、今日の日があるということだと信じております。
皆さん、人はですね、誰に会うかによって、
その人の人生には大きな影響が与えられる、
あるいは人生は左右されると言っても囲んではないと思います。
例えば、子供の時、それから小学生とか中高生の時に、
学校のどんな先生に会うかによって、
子供の勉強の科目とか、あるいは品性とかが変わってくるんじゃないでしょうか。
私は高校の時の経験ですけれども、
数学の先生がもう大嫌いで、数学も大嫌いになった記憶があることですね。
もしですよ、その数学先生がとてもきれいな女性の先生だったら、
数学の先生がよかったかもしれないんだけど。
また、青年になってはどうでしょうか。
どんな友達に会うかによっても、その人の人生も変わってくると思うんですね。
例えば、夢のある人、人生の目標が不実な人、
何よりイエス様を信じる人と、それを友達にするその人に出会ったら、
その人の人生も変わってくるんですよね。
昔の話ですけれども、私が大学生の時に、
一生懸命、もう4年間追いかけて追いかけて連動した友達がいます。
彼はずっと逃げていたんですけれども、
彼は今、牧師になって、フィリピンで選挙して働いているんですね。
誰に会うかによって違ってくる。
あるいは、30くらい結婚する、そろそろ歳になったら、
どんな男性、どんな女性に出会って結婚するかによって、
人生が変わってくるんじゃないでしょうか。
例えば、例えばですよ、料理のおぞおぞなお嫁さんになったら、
毎日毎日の食事の時間が楽しいかもしれない。
あるいは、家事は何でもお手伝いする旦那に出会ったら、
その妻は大日様のように毎日暮らすかもしれない。
ところが皆さん、先生との出会いも大事ですし、
06:03
友人との出会いも大事です。
配偶者との出会いももちろんとても大事です。
しかし、私たちの人生を決定的に左右する一番大事なお出会いは、
それは誰とのお出会いでしょうか。イエス・キリストとのお出会いであります。
イエス・キリストとのお出会いは、私たちの人生をもう完全にひっくり返してくれるお出会いであります。
イエス・キリストとのお出会いは、この地の人生を天の人生に変えてくれるものであります。
イエス・キリストと出会った人は、暗い暗い闇の人生が光の人生に変えられる。
絶望の中で落ちていた人生を希望の人生に変えていった。
なぜ生きるのか、どこに行くのかわからない。
無目的な無意味な人生を意味深い人生に新しい価値を発見させてくださる人生に変えられる。
なぜでしょうか。イエス・キリストこそ唯一の真の神様であって、私たちの救い主だからです。
今日の御言葉を見ていきましょうか。
この御言葉にイエス様は、そのイエス様に出会って、イエス様を救い主として信じて救われることを、
それを十五章には三つの例えが書かれています。
その一つが、いわゆる失われた羊、羊飼いと羊たちの例えです。
わかりやすくお話ししたいと思います。
ある町に羊飼いがいました。
その羊飼いには羊が百匹いました。
イスラエルは基本的に遊牧をしているんですね。
例えば南のエルチャレムの方は、イダヤのアラノといって砂漠のようなアラノが多いんですね。
そして西の北の方は牧草と草原が多いんですけれども、
だからもしベスレームとかエルサレームその辺りで羊を飼っている人だったら、
草のある時期になったら、羊を連れて北の方まで行かなくてはならないんですよね。
さあ、檻を作って、そして草のある所にたくさん草を食べさせる。
09:00
そしたら夜になると、連れて檻の中に入れるわけなんですよ。
そしたら羊飼いがその羊を数えるわけなんですよね。
百匹いる。一郎、二郎、三郎、四郎、五郎。
例えばですよ。数えてみたら、あれ、なんで、九十九頭しかいない。一人がいない。
よく見たら八郎がいない。そしたらどうするんですか。
羊は、まあ、四匹、九匹あるだろうし、一匹くらいいなくてもちょっと疲れているし、
県の中に行って、ねえよ、疲れたって言ってですね、入りきって寝るでしょうか。
そんな羊飼いはいない。
九十九匹があっても、一匹がいなかったら、その亡くした羊をもう探すまで探すまで歩き回って歩き回って、
森の中にも行ってみたり、川のほとりにも行ってみたり、荒野にも行ってみたり、山にも行ってですね、
走ろう、走ろう、例えばですよ。
見つけるまでですよ。見つけるまで。当然ですよ。羊飼いだから。
そしてですね、その羊を見つけました。そしたらどうするんですか。
今日の見言葉をご覧ください。
えーとですね、五節、六節ですよ。私が読みます。
見つけたら、大喜びでその羊を担いで、担いでですね、喜んで喜んで帰ってきてですね、
その友達や近所の人たちを呼びあすめて、おい皆さん、いなくなった羊を、この柏ちゃんを見つけたんですよ。
一緒に喜んでくださいますか。と言ってですね、宴会をするんですね。
ここに皆さん、食い改めと救いと喜びに対してのとても大事な教訓がいくつかあります。
まず一つ。羊飼いであられる家様は、失われた羊一匹を探すまで、見つけるまで歩き回られるということです。
この話はですね、九九匹の羊より一匹の方が大切なのか、どれが大切なのかの比較の問題ではない。
比較の問題ではなく、一匹一匹、すべての羊が、羊飼いにとっては全部大事であろうとしています。
つまり皆さん、家様にとって、皆さんお一人お二人は、みんな大切なお方です。
この人は、100点ぐらい大切さ、この人は、あなたちょっと怒ってるね、94点にしよう。
12:03
そうではある。
家様にとって、みんな大切な人である。だからその中に一人がいなくなった、あるいはこれを救いに変えて言うならば、
救われていないならば、その人が救われることを、家様は命をかけて救ってくださるということであります。
それほど大切さと喜びがあるということである。
厳密に言いますと、救われる前から私たちに対する喜びを、家様すでに持っておられるということではない。
大切だから救うんですよ。救われたから救われて、大切な人になるわけではありませんよ。
もう、みんな私たちは神の形によって救われたものだから、みんな大切な人なんです。皆さんは大切です。
隣の人、大切な方ですか。ちょっとお顔見あってですね。あなたは大切な人ですと。話わかりましょうか。
あなたは大切な人です。あなたは大切な人です。あなたは大切な人です。あなたは大切な人です。あなたは大切な人。
本当に皆さんそうなんです。大切な人。
だから家様が、罪人であったときに十字架にかけられて、死んでくださったんです。
その価値は世の価値観と全く違うんですよね
ところが皆さん、なぜイエス様は見つけるまで逆足歩くのでしょうか?
なぜ出会って下さるのでしょうか?
それは、イエス様はすべての人が救われることを
それを非常に、とてもこの上なくほど切に切に願って求めて
それで実際に救って下さるからです
次回であられるイエス様は
日本中に1億2000万以上の人々がいる
その中で、今日宣言を受けられる藤本兄弟を
実は探し歩かれた
そして、今年25歳になるこの年に
神様に出会わせて下さって
その神の御前に膝をまづいて
イエス様、あなたはあたしの祝い主ですと
深刻告白を主が導いて下さった
そして今日の日があるわけなんですよね
そこにイエス様の愛があったということです
2番目、今日の御言葉にあるように
15:03
四節をご覧ください
あなた方のうちに羊を100匹持っている人がいて
そのうちの1匹をなくしたら
その人は羊9匹を野原に残して
その次ですよ
いなくなった1匹を見つけるまで
探し歩かないでしょうか
つまり2番目は
この羊が失われた羊を
見つけるまで探し歩いたように
つまり諦めなかったように
イエス様は私たちの皆さんの救いを
決して諦められないということです
諦められませんよ皆さん
だからイエス様が諦められなかったから
私たちが数年前
去年あるいは数十年前に
皆さんがイエス様に出会って
信じて宣明を受けて
神の子供になったわけなんですよね
もう一つですよ
もしイエス様が一度二度何回探し歩いて
諦めたら
私たちはここにいないかもしれない
そこには諦められないイエス様の愛がある
諦められない
もう必要ほど諦められないイエス様の愛があった
ところがどうでしょう
人はいくらイエス様がキリストである
救い主であると何度も聞いても
無関心であったり
あるいはもう拒んだり
あるいは信じようとしなくて
すっぱってもすっぱっても
逃げても逃げても
イエス様はいつかは必ず救わせてくださる
ということであります
なぜならイエスキリストの愛は
この世の何よりも誰よりも強いからです
皆さんイエス様は諦められない
見つけるまで見つけるまで
3番目
ではなぜイエス様は
これまで私たちを救おうと
おられるのでしょうか
なぜなら
皆にはイエスキリストが絶対的に必要だからです
イエスキリストがいらない人は一人もいません
イエス様は我らの人生の光だからです
イエス様は私たちの人生の唯一な命だからです
18:04
イエス様は唯一な希望だからです
イエス様の人生は無意味混沌さまよいだからです
イエス様を自分の人生の王様として
受け入れていない人の人生を一言で言うならば
それは闇です
だからその人生に
罪による悪があったり
罪による闇があったり
罪によるさまよいがあるわけなんですよね
ところがイエスキリストにお会いするならば
お会いさえすれば
その闇の人生が光の人生に変えられるということです
ちょっと聖書を開きましょう
ヨハネノクイーン書
新約聖書
ヨハネノクイーン書
1書
5節
9節
聖書を開きましょうか
ヨハネノクイーン書
1書の
まず5節
それから9節
新約の172ページです
172ページ
ヨハネノクイーン書
1書
5節
それから9節と一緒に読みたいと思います
よろしいですか
ご一緒に5節
3
光は闇の中に輝いている
闇はこれに打ち勝たなかった
9節
全ての人を照らす
その誠の光が
世に来ようとしていた
アメン
どうですか
イエス・キリストは何ですか
光なんです
イエス・キリストは光なんです
だから
闇の人生の私たちには
光が絶対的に必要なんですよ皆さん
闇の中で学んだことありますか皆さん
私一度山の中で学んだことあります
それも大学1年生の時に
学校の4年生まで
全部山の方に
M地に行って
そしてここから山登りをしようと
何かが行きました
ところでみんな
明かりの何も持っていなかったんですね
それでちょっと途中で迷って
これくらいだったら
明るい雪に帰っていけるだろうと思った際
山はすぐ真っ暗になるんですよね
それで真っ暗になって
月も本当に満月じゃなくて
もう月も星も見えない
そしてどこにも光もない
3人が迷子になって
ちょうどその時に1人がタバコを吸っていたから
雷坂って吸いません
タバコ吸ってないから
雷坂って吸いません
21:00
それもあまり行かせなかったので
ちょこちょこやって
約2時間以上迷って迷って帰ってきたら
もう服はボロボロになって
もう絹だらけで帰ってきたことがある
皆さん
実はイエス様に出会っていない人の人生は
実は嫌いなんです
だから2人であられるイエス・クリストが
絶対的に嫌いなんです
もう1か所清掃しなきゃいけません
おろさい人への手紙
1章13節
新約の後ろのページであって
389ページ
389ページです
13節を1章読みたいと思います
よろしいですか
13節
3杯
神は私たちを暗闇の惑星から救い出して
愛する御子の御支配の中に
移して下さいました
アーメン
皆さん
この通りなんですよ
実はイエス・キリストに出会っていない
出会うまでの我々の人生は
実は暗闇なんです
その惑星
暗闇の惑星から
救い出して下さったんですね
誰が?
イエス・キリストが
なぜ?
イエス・キリストは光だから
だからですね
このイエス・キリストに出会って
この暗闇の惑星から救い出された人の人生を
コリント人への第2の手紙
5章17節はこのように語っています
そこをもうちょっと開きましょうか
第2コリント5章17節
新約聖書の351ページです
第2コリント5章17節
新約聖書の351ページ
第2コリント5の17節
一緒に読みますね
3回
誰でもキリストのうちにあるなら
その人は新しくつくられたものです
古いものは突き刺って
見よ全てが新しくなりました
アーメン
ハレルヤハイタッシュ
皆さんそうなんです
イエス・キリストに
救い主にお会いすれば
新しいものになるんですよ
新しい人生
新しい価値観
新しい希望
新しい職業家
新しい結婚家
いや我々の全存在が新しくなります
見よ古いものは突き刺って
全ては新しくなりました
何によって?
24:00
イエス・キリストによって
光によって
命によってであります
ところが皆さん
イエス・キリストを信じて救われるのは
この地上のことであって
もう死んだらそれで終わり
何にも残らない
と言っていれば
救いも信仰もいらないかもしれない
無心論者はそういう風に
言っているかもしれない
ところが皆さん
私たちの人生は有限なものですね
神様は永遠から永遠まで
おられるお方ですから
その永遠という神のタイムから見たら
人生のあくても80、90
日本には90代の人が何万人も
いらっしゃるみたいですけれども
あくても100でしょう
でも神様の永遠の
あのタイムから見たら
100年と言っても
天に過ぎない
一瞬に過ぎないということでしょう
皆さんしかし
私たちには
天に
永遠の国
天国があるんです
確かにこの世での人生は
涙の道であったり
旅人の悲しみであったり
するんですね
だから40年50年
あるいは70年
あるいは80年の人生を
振り返ってみたら
あちらこちらの足跡には
悩みとか
涙とか
苦しみとかがついているでしょう
ところが皆さん
天の小さな神様は
この地球での
一瞬のような人生は過ぎ去って
永遠に喜びの日が来るということ
全ての悩み
その目の涙を拭い去ってくださる
その日が来るんですよと
聖書を語っています
そこちょっと聖書を開きましょう
今日はちょっと大事なんですから
聖書が多いんですけれども
ユハネの目白21章4節
皆さん聖書の見言葉にはですね
素晴らしい力がありますよ
本当にですね
今日も藤本兄弟が明かしをね
千年明かさせてくださるんですけど
彼も一つの
その
ASKの個人伝の学びの
聖書の一箇所に
そこにですね
しかかというか
そこからこの光をですね
もらってですね
彼は大きな大きな
慰めをいただきました
そのお話は後でですね
本人から話していただきたいんですけれども
目白21章
21章
500ページ
27:01
4節
5節です
一緒に読みましょうか
4節と5節
よろしいですね
3はい
彼らの目の涙をすっかり拭いとってくださる
もはや死もなく悲しみ叫び苦しみもない
なぜなら
以前のものが
もはや過ぎ去ったからである
すると
膝についておられる方が言われた
見ろ
私はすべてを新しくする
また言われた
書きしるせ
これらの言葉は
信ずべきものであり
真実である
アメン
皆さん
この日常では
苦しいこともあったり
悲しいこともあったり
むかついたこともあったり
もどかしさもあったり
喜びもあったり
憂しさもあります
しかしですね
永遠の国がある
天国がある
そこではですね
涙をすっかり拭いとってくださる
死もなく悲しみもなく
叫びも苦しみもない
貧困もない
戦争もない
疲れもない
病気もない
障害もない
富の格差もない
だから私は希望があるんですね
この時代で
別れがあったり
家族を亡くしたり
うれしいことがあったり
さまざまな悩みがあったり
するんですけれども
イエス様はすべて思いやってくださる
そして
永遠に生きるあの天では
すべてをすっかり拭い去ってくださる
人がおられるという
ところが皆さん
この地上での慰めとか
励まれたらどうでしょうか
実はこの地上での
人間世界の慰めとか
そういったものは実は
ギブアンドテイクの
慰めだったり
励ましだったりするかもしれない
自分の気に入ったら
よくつけさせて
しかし気に入らなかったら
慰めどころか
もう恨む憎む
だからですね
この地上では実は
天でのまことの慰めはありません
あったとしても
暗黒の魔の炎でしょう
今日私を慰めてくれた人が
明日は敵にもなれるんですよ
もう赤の種になって
別れてしまうんですね
ところが
さっき読まれた四節のように
彼らの目の涙をすっかり拭い去ってくださる
つまりイエス様の慰めは
30:00
まことの慰めであって
変わることのない
永遠の慰めであります
今も涙を拭い去ってくださる
明日も拭い去ってくださる
メッセージを終わりたいと思います
イエス・キリストを信じて
救われる人生には
悔い改めと喜びがあります
なぜなら
罪を悔い改めることは恥ではなく
それは解放であって
慰めであるからです
それは救われた人こそが
分かる知る味わえる
不思議な恵みであります
イエス・キリストは
私たちの唯一のまことの救いに
お祈りします
30:44

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