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2019-09-01 26:03

2019/09/01:神に祝福された人生の法則21(9)一人の法則

2019/09/01 聖日礼拝

尹善鎬牧師

ローマ人への手紙 -21

00:01
朝、みなさんおはようございます。
2週間ぶりの復帰になりますけれども、
その間、先生は教区の講壇、講館に入って、
愛子先生にメッセージをしていただきありがとうございました。
先週は、私は名谷教会にお招きしまして、
その講壇、講館の方針を発していただきました。
本当にいろんなことがありましたけれども、
背後のみなさんのお祈りによって支えられていること、
本当に心から感謝いたします。
また、2日の間、妻は簡単な手術と検査に
韓国に行っていましたけれども、
みなさんによって支えられて、異常なしということで、
本当に無事帰ってくれたことを心から感謝いたします。
では、メッセージの入る前に隣の方から挨拶しましょうか。
それでは一言お祈りいたします。
それは、罪が死によって支配したように、
恵みが私たちの主、イエス・キリストにより、
義の賜物によって支配し、
永遠の命を得させるためなのです。
神様、感謝します。
この朝も、開かれていますローマ日帯の手紙から、
この朝、生ける神様にお会いする、
この礼拝のときとなりますように、
本当に命の御言葉を持って語り出しながら、
悟りを与えて、私たちの生き方が、
イエス・キリスト様のように真実に変えられますように、
神様、祝福して下さい。
二点字だね、イエス・キリスト様の皆によってお祈りいたします。
今日は久しぶりですけれども、
神に祝福される人生の法則21、9回目になります。
一人の法則、一人の法則というタイトルでありますが、
今日は一人の力、あるいは一人の影響、
一人の祈りがどれだけ大きか、
03:01
そしてそれがどんな結果をもたらすかについて、
ご案内させていきたいと思います。
今から生徒の人物も入っていたりしますけれども、
名前を並べてお話ししますので、聞いていてください。
どんな教宗典があるんでしょうか。
キトラ、マルクス、スターリン、ナポレオン、パウロ、アレクサンダー、
チンギスハン、徳川家康、コロンバス、コース、マオメット、イエス・キリスト。
これはですね、ある雑誌の記事に、歴史を変えた人物50名という記事があって、
そこから発生したものなんですけれども、
これらの人物は、人類歴史に大きな影響をもたらした人物であると思いますね。
結果はもちろん良いものもあり、最悪のものもありますけれども、
歴史的なお話までいかなくても、身近なところから見ると、
一人の何かの影響は、多くの人々に時には良い結果を、時には良くない結果をもたらすこともあります。
例えばですね、家族の中でですね、赤ちゃんがインフルエンザにかかったら、
次から次へ家族に移るんですよね。
お兄ちゃん、お姉ちゃん、お父さん、お母さんみたいにね。
お話したいことは、一人の力、一人の影響は決して小さくないということなんです。
聖書にはまさに一人によってとんでもない結果や影響がもたらされた記録が実は多くあるんです。
とんでもない素晴らしい結果、また本当に悪い結果がもたらされた場合もあります。
一人の影響についてお話をするならば、この人のお話をすだろう得ないと思います。
それはアダムです。
今日読んでいませんが、十二節を読みますと、こういう言葉があります。
私が読みさせます、ローマ・アビトリーの手紙、五章十二節です。
そういうわけで、ちょうど一人の人によって罪が世界に入り、
罪によって死が入り、こうして死が全人類に白かったのと同様にとあります。
06:00
皆さん、全人類にこの死というものが白かったその結果は誰からありますか?
たった一人アダムから始まったんです。
だから一人の影響は決して小さくないんです。
一人が犯した罪は、敵党にごまかされることはできず、
たった一人の罪や貪欲が全人類にひどかった。
そして、今の私たちにも現在という罪をもたらしてしまったんですね。
一人の罪は決して小さくありません。
もちろん、私たちはこういう話を聞きますと、
自分はそんな大きな罪や犯罪を犯していないから、私は負けたとか、
あるいは私はまあまあ強い方じゃないかとか、
あるいは私は大丈夫、大丈夫、大丈夫と思っていらっしゃるかもしれません。
その通りかもしれませんし、実はそうでないかもしれません。
なぜなら、私たちは何らかの形で人々に何かの影響を与えながら生きているんです。
今日の私が誰かに言った一言が、人を生かすこともありますし、
あるいは人の希望を奪うこともあるかもしれません。
今日の私の祈りが、誰かの力になり、誰かの魂を救う大きな影響をもたらすこともありますし、
宗教が、私の怒りが、私の傲慢が、人の命を奪うこともあり得るという一人の力の影響、
それがもたらす結果は本当に素晴らしいものにも、あるいはとんでもない悪い結果にもつながり得るということを覚えていただきたい。
しかし神様は生きておられ、アダムによって罪が世界に広がってしまったんですけれども、
でも、まことの一人、イエス・キリストによって、その世界に罪許しと救いをもたらしてください。
09:06
今日の十八節を一緒に読みたいと思いますけれども、
十八節、ご一緒に読みましょうか、生徒お持ちの方、あるいは前の字幕もあります、ご一緒に。
こういうわけで、ちょうど一人の違反によって、すべての人が罪に定められたのと同様に、
一人の義の行為によって、すべての人が義と認められ、命を与えられるのです。
アーメン、いかがでしょうか。
ちょうど一人の違反、これはアダムの違反ですね。
違反によって、すべての人が罪に定められたのと同様に、一人の、これはイエス・キリストですね。
イエス・サマの義の行為によって、すべての人が義と認められ、命を与えられるのです。
一人の行いによって、罪が、死が、広がってしまったならば、
一人のイエス・サマによって、希望が、命が、救いが、広がったということなんです。
覚えていますか。改めて、一人の影響は、皆さんお一人、お一人の影響は、力は決して小さくないのです。
イエス・キリストの従順、イエス・キリストの犠牲、イエス・キリストの死、
イエス・キリストの義によって、私たちにとんでもない、ありえないと言える救いの喜び、永遠の命が、
まさか、一人の力、一人の影響によるものではないでしょうか。
また、現状を見ますと、一人の貧困が、全家族の命と未来を救った場合もありますよね。
誰だと思いますか。曹石のヨシエフのことです。
観難の中にありましたけれども、ヨシエフは、ただ周りはどうであろうが、
兄弟が自分をですね、もう売ってしまわれても、無実の罪で投獄されても、
周りはもう未信者で異教徒ばかりであっても、権力を持ったパロの王であっても、
そんな中でも、その周りの環境のせいにしないで、ヨシエフは、ただまっすぐ神様と、
まるでね、世界に神様と自分しかいないかのように、正しい信仰の道を守って、
12:07
神様だけを信頼していたんだから、そのヨシエフというたった一人の信仰によって、
ヤコブやその兄弟の命が救われたんじゃないでしょうか。
いや、もうイスレイの歴史は変わったんですよね。
皆さん、今度は私たちの出番だと思うんです。
私たちの一人の祈り、皆さんの一人の祈りが、皆さんの一人の良い影響が、
一人の悔い改めが、一人の善行が、人を救い、家族を救い、教会を発展させ、
この日本にリバイバルをもたらし、世界を変える力になるんです。
主が申し入れてくださるんです。
そういう希望を持ちたい。
こんにちは。私はこのようなメールをいただきました。
今年の10月19日、20日、東京のバクテス教団の玉川キリスト教会の土曜日、日曜日の特別伝道集会の、
こんなものがね、本当に資格のないものだと思いますけれども、
最初はお断りしましたけれども、何度もメールがありまして、引き受けしましたけれども、
お招きしておりますが、その先生とやりとりのメールの中で、
女性の先生ですけれども、こういうメールをもらいました。
その一部を紹介したいと思います。
聞いていてください。
このような状況の中で、先生の仏会伝道に支障が生じているかもしれないと思うと、
胸が痛み苦しいです。
本当に申し訳ございません。
それでも日本に留まり続け、日本人の救励のためにどうしてくださる先生のお働きに、
また先生ご家族に感謝に絶えません。
ますますの聖霊様の励ましと、先生ご家族への祝福を祈っております。
この時、私は礼拝のメッセージにおいても、また他の集会ごとに、
特に私たち日本人が犯した罪への悔い改めを心からする時であること、
そして主の許しをいただいて、いよいよ韓国の皆様とともに、
選挙のために和解する時であることを、聖霊様に導かれ、説教をしております。
これは主の御胸であると固く信じております。
15:02
このような時だからこそ、私たちの教会は先生をお迎えできることを心より主に感謝しております。
先生が聖霊に満たされて、大胆に御言葉をお語りくださり、
日本のリバイバルと世界の選挙の前進の時となりますことを信じ、主に期待します。
前後省略してありますけれども、私はこのメールをもらって、しばらくの間、神様にお祈りをされてしまいました。
それは私が偉いからではありません。
こんなに素晴らしい先生がおられるのだなと、
心の中の思いを素直に打ち明けられるだけではなく、大胆にメッセージに取り入れている先生がおられること。
女性の先生、多分独身だと思います。私より10歳ぐらいした先生みたいですけれども、
本当にこの教会や日本に希望があると私は思わされました。
皆さん、一人の祈り、一人の力は決して小さくない。実は大きいんです。
何か問題が起きた時に、他人のせいにすることは簡単でやりやすいんです。
その相手が家族であろうが、兄弟姉妹であろうが、世間の人であろうが、
大きな問題に対して他人のせいにして、そこから自分は悪くないと逃げるのはとてもやりやすいんです。簡単です。
しかし、もし立場を変えてですね、もしイエス様が私たちの罪は罪に対してですよ。
当然それはもうあなたたちが犯した罪なんだから、あなたたちが自分でそれを解決しなさいと。
私は関係ない。あなたたちのせいなんだと、そういうふうに言ってくださったら、どんな結果があったと思いますか。
しかしイエス様は私たちの罪であるにもかかわらず、それをあなたのせいだ、あなたで自分で解決しなさいではなく、
あなたの罪を持ち寄たれ、十字架を背負って、ししを流され、死なれましたね。
私の代わりに、あなたの代わりに。
18:03
神を信じる人が、イエスキリストを信じる人が、このイエス様のこの信仰のスピリットを習って、私が代わりにしましょう。
私は祈ります。私が悔いを与えます。
そういうふうな姿勢を持って歩むことではないです。
今度は私たちの出番なんです。
私たちが神様が探し求められるその一人になりたいです。
一人になってください。その一人になってください。
ただひたすら取り出す祈りの一人、ただひたすら組み集める一人、
人を励まし、人を立て上げ、人に希望を与え、人にイエスキリストの命を与えるその一人が、
皆さん、皆さんでありたいです。皆さんでなっていただきたい。
皆さんの粘り強く、見えないところでの神様へのその祈りを、
祈りこそ、自分自身を変え、家庭を変え、教会を変え、世界を変える、
神による大きな力として用いられることを信じていただきたい。
また、皆さんの愛の行いが続けられるかけひ、その愛の行いによって、
人が変えられ、家庭が変えられ、世界が変えられるかけひ、
神様はそのような一人の人を今、探し求めておられる、涙を持っている。
神様へ祈り続けるその一人、十字架を背負われたイエス様のように、
喜んで、重荷を背負うその人を喜んで、主にお捧げし、
全身全霊で主に従うその人を、主は今も探し求めておられます。
神戸にいるか、宮田にいるか、赤城にいるか、東京にいるか、主はね、探し求めておられます。
そして、見つけたら、その人にさらに御霊を満たして、さらに祈りの力を増し加え、
その人を通して、周りを主が変えて下さい。
21:01
祝福をお与えたいになるということを、その希望を増し、
先ほどの東京の河間が切り捨て教育館への話は、少しだけ聞いて、また今度行ったら、もっと詳しく聞きたいと思いますけれども、
その先生にお出会いしたいのは、秋ごとにあることしもありますけれども、
西洋の教会で開かれているジアンの寺という、日本の先生方や神徒のセミナーに行ってお会いしたんですね。
野谷からも姉妹方が行かれた時だから、4年前かなと思いますけれども、
その時に当然宿泊するところは、西洋の教会が世界選挙のために売り物に出たビルを買ってですね、
世界選挙センターのようにね、宿泊施設も休暇施設もある大きな城階の建物ですけれども、そこに泊まられたそうです。
ところが、この先生がですね、メールで少し聞いておりましたけれども、そこに泊まっていながら夢が与えられたそうです。
それは、日本にもこんなセンターを建てたい、その夢が与えられた。
それでですね、お帰りになって、教会の役人や先生さんにその夢を分かち合って来たら、
教会の先生さんが、先生、やってみましょう。神様をどんなふうに助けてくださるかやってみましょう。
神様がどれくらいだか分かりません。
街道はそんなに大きい、でかい教会じゃないと思いますけれども、
それでですね、それがいつ建てられるかは信じておりませんが、もうそれが建築ができてですね、
選挙館という宿泊の部屋がある選挙館が建てられて、今度私が行ったらそこで泊まることになってありますけれども、
その資金と言いましょうか、献金と言いましょうか、それが主から与えられて立派な建物が建てられましたとメールをいただきまして、
私は本当にびっくりするほど驚いて、また心から感謝しましたね。
一人の先生の夢を分かち合った時に、神様に、それを先生、やってみましょうよと言って応答してくれた神父さん。
多分そこにはね、祈りと多くの身を削る献金が捧げられたに違いないと思いますけれどもね、
それで選挙館が建てられたことは、すごいことだと思いませんでしょうか。
24:05
一人の祈り、一人の夢、一人の県心、それによって世界は変わる、日本は変わるんです。
人のせいにすることはないんですよ。
あの人が悪いから、あの人は祈りが足らないから、この人は聖書が足らないから、じゃなくって、
私は神の前にひたまづいて、私が先に献金であって、私がまず叩いて首を慣らさめて、
その祈り、深くから歩んでいけば、神は私を持ちに来る。
そしてその祈りの業、恵みの業、祝福の業、広がっていくんですよね。
その一人になっていただきたい、皆さん。
アブナムのように、あるいはヨセフのように、あるいはマタイのように、パウルのように、
イエス様のようにはなれなくてもね、そういうのよな。
イエス様が、神様が探し求められる。
祝福を与えるとして、イエス様が、神様が待ってられるその一人、
皆さんがその一人になって、神様に持ちられますように、これからお祈り申し上げます。
では、その御言葉を覚えて、今しばらくですね、お祈りの木を持ちたいと思います。
このように祈りませんか、私を。
アブナムのように、あるいはノアのように、ヨセフのように、パウルのような、
あなた様が探し求められるその一人に来て下さい。
まず私から祓らせて下さい。
まず私に神様を満たして下さい。
まず私にあなたの身脂を注いで下さい。
恵みを私に注いで。
それで私から祝福が、恵みが、命が溢れ出ますようにしよう。
私を用いて下さいと、祈りを持って。
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