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2019-09-08 37:43

2019/09/08:神に祝福された人生の法則21(10)人生の障害物を克服する法則

2019/09/08 聖日礼拝

尹善鎬牧師

マルコの福音書 2:1-12

00:00
ありがとうございました。
みなさん、改めておはようございます。
夏が戻ってきたような気がしますね。暑いですけれども、
礼にとても支えられて、共に礼拝できることを本当に嬉しく思って感謝いたします。
では、メッセージの前に、そのような方と元気よく挨拶しましょう。
さあ、それでは一言、二尺お祈りいたします。
目を閉じて、心を合わせてお祈りください。子どもたちもね。
あなたに言う、起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい。と言われた。
すると、彼は起き上がり、すぐに徳を取り上げて、皆の見ている前を出ていった。
アーメン。
神様、感謝します。主よ、本当に私も何かの寝たきりのような、ずっと追っている何かの固い苦しみ、
この病気のような徳、そういったものが我らに主よ、あるのでしょうか。主は御存じです。
どうか、そういったものを、神様、私たちの信仰主を見てくださって、それを取り上げさせてください。
そして、立ち上がって、跳ね上がるほど、そして主を心から賛成することができますように。
どうか、我ら一人一人を、子供から大人まで、私たちの信仰を見て、すぐに用いてくださいますように、お願いをいたします。
神様、どうぞ、ここにいる全ての兄弟姉妹達の魂の上に、この朝、神様御自身が、あなたの命の言葉を吹き込んで飾ってくださって、
それを受け止め、悟り、また本当に魂の中に深い神への愛と、また深い悟りが起きますように、
そしてそれによって祝され、生かされますように、神様、助けてください。
聖霊様どうぞ、我らの魂にお語りくださいますように、イエス様の皆によってお祈り致します。
アーメン。
それでは今日はですね、白木さん、今日は私もいるので、ちょっと皆さんに役立つかもしれませんが、
今日のお話をしたいと思います。よく見てくださいね。
03:00
イエス様がある日、カリダヤ公の近くにある、カフェナーモという町に来ました。
それでね、あの人の家に入って、そこに弟子達もいたと思うんですよ。
そしたら、たくさんの人がね、もういっぱい来て、イエス様の話を聞いていたんだけど、
どれほど来たのか、もう家のドアまでね、いっぱいになって、出ることも、また後から入ってくることもできないほど、いっぱいでした。
今もこれより多分100倍ほどいたかもしれない。
そんな中で、イエス様が、犠牲者の話を、神様の話を、話をしている時に、みんなね、本当に、今の君たちみたいにね、
おとなしく、静かにして、聞いていた。
ところがその時に、ある中部という病気があるんですよ。
体に麻痺が来たり、それで歩けない、手とか足を動けない、あるいはしゃべれない中部の人がね、いて、
自分ではイエス様に自分で歩いていて、癒してもらえることもらえない。
そしたら、どんなことを受けたのか。
4人のね、被害なのか友達なのか、その友達だとします。
友達がこんな風にね、歩けない病人を担いで、あのイエス様がいる家に連れてきたんですよ。
そしたら何が問題なの?中に入れない。
さっき言ったよね、いい人がいっぱいいて、もうドアを開けることしかできなかったかもしれない。入れない。
でもね、その時に4人がね、まあ困ったな、人多いし、入れないし、もうやめとこう。
しょうがないね。
じゃなくてね、いい相手がいる。
えっ、どんな相手なんだろう。
どんな相手なんだろう。
丁寧な言葉を使いましたね。
4人は相手を抱いて。
そしたら屋根を剥がして、イスラエルのね、大体昔の家は粘土と枝で作った家が多かったそうですよね。今のようなコンクリートじゃなくてね。
それで粘土があるから雨は漏れないよ。
それでそれを何とかして、たぶん地が高かったと思うんですよね。
それをね、剥がして。
そして、あんなことは分からないんだけど、なんかそこをすり下ろして、ちょうどイエス様のところに下ろした。
そしたら、前の人はびっくりしたかもしれないんだけど、イエス様はこう言ったんですよ。
今日の御言葉にね、こんな言葉がある。
06:05
イエスは彼らの信仰を見て、中部の人に、こよあなたの罪は許されました。
そして後であなたに言う、起きなさい。
寝床をたたんで家に帰りなさいと言われたら、ずっと病気で歩けなかった人。
その人がどうなったのか。
次、自分の寝床をたたんで歩けるようになって、そして神様を賛美した。
イエス様が、こんなものでもぜひイエス様に似てもらって、癒してもらおう。
イエス様の他にはこのものを癒してくれる人はいないとね。
そういう風にいい信仰を持って、イエス様に連れてきたんだから。
この中部の人ね、あの人はね。
同じ人だよ、パー君、座っていて。
そうそう、それ変えなくていい。
何とかして外に出たいよね。もう少し我慢しようね。
そういう風にして癒された。
彼らの信仰を見て、イエス様が癒してくださった。
さあ、子供へのお店でここまでしましょう。
さあ、ストーリーはみなさん分かりましたね。大体ご存知かと思いますけれども。
さあ、このイエス様の癒しの奇跡は、実は私たちに多くの教訓や真理を教えていると思います。
そしてそれが、今日のメッセージのタイトルは、人生の障害物を克服する法則とさせていただきました。
人生にいろんな障害物、妨げや邪魔者や難関、それが病気かもしれませんし、何かの問題かもしれませんし、そんなものがやってくるんですよね。迫られるんですよ。
時にはそういったものに、もう突き当たることもあった。
そしたらどうしたらいいんでしょうか。全部そこでお手上げして、もうね、諦めたらいいんでしょうか。
あるいは、いつも避けてばかりしていいんでしょうか。
今日、この4人、どんなふうにして、何のゆえに彼らの前にある障害物、それはどのようにして克服できたのか、そこからいくつかの話をしたいと思います。
まず、彼らの信仰を見てと言われたように、私たちもこの4人の信仰を見たいんです。4人の信仰を見習いたいんです。
09:09
彼らの信仰はどんな信仰なんでしょうか。
まず第一、それは外ではなく、外にあるものじゃなくて、自分自身の中にある、いや、自分自身というこの壁、障害物を克服できた信仰なんです。
私は彼らの信仰を見てとお説にあります。この言葉に注目したい。彼らの何を見た。何を見ましたか。信仰を見ました。
皆さんのお顔が見たいんですよ。私は皆さんのお顔が見たい。その信仰はどんなものでしょうか。
それは、家様ならもう必ず治してもらえるんだという信仰じゃないでしょうか。
それから、こんなに人がたくさんいても、家様に近づけることができなくても、たとしても諦めてしまうんじゃなくて、
もうあの屋根を剥がしてでも、壊してでも、つり下ろしてでも、癒してもらおう、そういった切なる強い信仰が彼らにあったのではないでしょうか。
その中心は、家様の癒し、奇跡を信じる信仰なんです。
もし彼らにね、いやまあ難しいかもな、もしできるかもしれませんし、できないかもしれませんし、いやまあ試してみようかとしたら、
あんな人があったら、別に諦めてしまったと思うんです。
彼らはきっと、家様は神様である、家様は全知全能の方だと、もう信じきる信仰があったんだから、諦めないで、もう屋根を剥がしてでも、つり下ろしてでも、
もしかしたらね、理屈を言う人がいたらね、もう嫌にね、もう迷惑なことだな、みたいなね、言われる人がいたかもしれない。
でも、この人をもう癒してもらいたい。
切なる方向、その信仰が働いて、ああいう行動を取ったのではないでしょうか。
彼らには、あの多くの人々がハードルでした。難関でした。
これを克服しないと癒してもらわない。
12:01
でもね、よく考えると、彼らが乗り越えたのは、克服できたのは、あの多くの人、入れない、そういう状況というよりですね、自分たちの諦めたい気持ちを克服したのではないでしょうか。
私たちは、何か困ったことが起きたりね、生活の中で何か難しいことが起きたり、高いハードルがあったりしたら、諦めたくなるんですよね。
そんな気持ちがあるんですよ、私の中に。
それをもっと厳しくてもっときつかったら、もうね、所詮できないし、みたいにね、それで諦めたくなる、もう避けたいんです。
その方が楽だと思うんだから。
でもね、この4人は、実は生涯予測は、自分の外にあるんじゃなくて、自分自身の中にあるということなんです。
さっきも言いましたように、もしこの時ね、あるいは私たちもね、何か困った時に、難しい問題に迫られた時に、ああもう諦めよう、どうせできないし。
そうみたいにですね、諦めたい気持ち。
そして諦めて、それを自分に都合のいいように思いたい気持ち。
あるいは、人のせいにする気持ち。
そういった自分自身こそが、実は最大の妨げ。
生涯予測なんですよ、自分自身。
テレビのね、ある会社の赤い看板のある会社のCMが、ちょっとイメージが深いかなと思ったことがあります。
こんな、その画面なんだけれども、自足を透けて走る、いくぞ競技の女子アスリートのガソリンスタンドの会社のCMなんだけれども、
このアスリートではないんだけど、違った同じ義足をして陸上をするアスリートの選手が、何かの番組でトークをしていることを見たことがあるんですね。
その時に、この陸上競技を始める頃の彼女の気持ちの話でした。
いやもう諦めたい。
人からどう見られるのか、それはすごく気になる。
走れないんじゃないか、そういった不安。
15:03
やりたくない、あるいは諦める。
人からどう見られるか、それがすごく気になって、
でもあるコーチが、それはあなたの足とか周りの人の視線がハードルなのではなく、ハードルはあなたの心の中にあるんだ。
それを乗り越えましょうと言われて、
あのトークをしていた選手は、自分自身を乗り越えて、立派なパラリンピックの選手になったんです。
皆さん、私の人生の先にも、いろんな壁がやってくるんです。
いろんな問題が、いろんな苦しみが、自分の弱点がありますし、自分の弱さがありますし、
あるいは本当に周りのいろんなことが起きて、問題が起きたりしますよね。
あるいは今、私たちがそれに合わされているかもしれません。
事故、家族の死、失業、大きな失敗、体の障害、難病などなど。
確かにですね、本人でないと、その悲しみや苦しみ、あるいはショックは、他の人には分かりにくいことなんですよ。
確かにそれは本人でないとね、分からないんです。
絶え難い困しみ、そんな日がずっと続くかもしれない。
実はそこから抜けたいんだけれども、抜けられていない自分のことで、ため息している人もいるかもしれません。
しかし皆さん、そんな時に、まず一番大きい障害物は他でもなく、自分自身の中にあるということを覚えていていただきたい。
諦めたい気持ち、できない、だめだ、どうせ何も分からないんだ、そんな自分の気持ち。
あるいは目の前のあの障害物を見て怖がる気持ち、あるいは神様を疑う気持ち、実はそれがその難しい環境よりもっと大きな障害物、ハードルなんです。
あの4人の話を戻りますと、もし彼らがね、いやこんなに人が多いし入れそうにないし、まあやめましょうか、仕方がないですね、また若干あるかもしれませんねと思って諦めたら、
18:05
この日のイエス様による癒しの奇跡は永遠に見れなかったかもしれません。
その人は、中部の人は、あのチームに許されなかったかもしれない。癒されなかったかもしれない。ずっとあのネタ切りで亡くなったかもしれない。
あるいはね、そこまでは言ったんだけれども、その4人の中で誰かがアイデアを出したかもしれないですね。
一人の人が、いやそしたら屋根に登って、あれを剥がして、すり下ろしてみようとね、誰かがアイデアを出したとしましょう。
そしたらね、4人の他の3人が、いや誰々さん、そんな無茶なことをしてはいけませんよ、迷惑にあるし、後からあなたが勉強するのをやめましょうとね、言われたら、
イエス様による癒しの奇跡は見れなかったでしょう。その4つはなかったでしょう。
大事なのは、人生に起きてくるいろんなハードル、障害物、患難、苦しみなどなどは、それに自分自身が立ち向かえる信仰を持っているから。
本当の全能の神様を信じ切る信仰が自分自身にあれば大丈夫なんです。
この朝皆さん、イエス様が、この4人の信仰を見られたように、今私たちの信仰を見られました。
そして、4人のような信仰を持っていたら、イエス様は大いに喜んで、褒めてくださり、私たちの信仰を通して、神の奇跡を、不思議を、見上げる栄光を表してくださると信じます。
2番目、心を合わせて働く信仰なんです。心を合わせて働く信仰。
キューブの人を稼いできた、あの4人。残念ながら名前は書かれていないですね。名前が書かれていたらもっとよかったな、私は思うんですけど、名前がわからない。
この4人の人が、力と心を合わせて、この病人を連れて行ったんですね。
もし、あの4人が、心や力を合わせていなかったら、この日のイエス様、この日のユルシの奇跡は、見れなかったでしょう。そう思いません。
だから、何かの難しいことが起きた時に、それが個人のことであろうが、家庭のことであろうが、教会的なことであろうが、神を信じ私たちが、心を合わせて、力を合わせて、共に働き、共に動くことが、まず信仰の第一ポイントなんです。
21:17
それが三魂の二でもあります。聖霊様の働きでもあります。和解してください。一致の礼なんです。
そして、それにもう一歩のステップ、大事なことがあります。力を合わせて、心を合わせて、どの方向に行くのかが、その次に大事なんです。
力を合わせても、心を合わせても、信仰の方向へじゃなくて、不信仰の方向へ走り出すこともあり得るんだから、信仰の方向へ動き出す、走り出すことが本当に大事なんです。
もし、世人が力と心を合わせて、一致して、「いや、やめましょう。無理です。」としたら、とても強い法器になってしまうと思うんです。
私たちにも同じく、この御言葉を適用して実践していただきたいんです。
まずは、自分や兄弟姉妹たちに、家庭の中に、教会に、何かの苦しみ、何かの困難が、何かの本当に高いハードルに合わされた時に、
それで誰かが苦しんでいる時に、あるいはこれを本当に乗り越えて、克服しなければならない何かの課題がある時に、
まずは皆さん、よだれ深いの皆さん、愛している皆さん、心と力を一致にして合わせていきましょう。それが一番大事です。
大きな大きなでっかいダムが、もし崩れて大きな事故が起こる時には、ちょっとした隙ができたからです。
大きなでっかい200人、300人も乗せる飛行機が、もし事故が起こるのは、ネジ一本抜けたら、それで事故が起こるんです。
まず、何事に対しても、よだれ深いの皆さんが、心と力を合わせてください。たまによって。お願いします。
それは、ただのこの原案の問題を解決する、それだけではなくて、人の救いのため、教会のため、この日本のリバイブのため、この国の将来のため、心と力を合わせて祈っていこうではないでしょうか。
24:05
そして、その力と心を合わせて、信仰の方向へ持っていくことが大事なんです。
もし教会が、心と力を合わせて、大罪を合わせて、不信仰の方向に行くんだったら、あるいは、ただ人間的な方向に行くんだったら、それは大変なんです。
信仰の方向へ行くんです。
だから皆さん、いつも今、自分自身が、我が家が、このよだれ教会が、あるいは日本の教会が、どの方向へ走っているのか、それが大事だって、それはいつも点検しなくならないんです。
とりあえず走ってみようと言ったら、変なところに出てしまうんですよ。
方向を確認する、ゴールを確認する、それは、我々が、教会が向かうべき方向は、信仰の方向なんです。
家様なんです。神様なんです。
政治を語る真理の方向なんです。
時にはその方向は、自分自身を乗り越えられてならないんです。
時には理屈や理性や常識を、それを乗り越えなさらない方向でもあるんです。
こういう話があります。
馬一匹が引くことのできる重さは、最大二トンぐらいまで行くとそうです。
ところが、馬二匹を馬車につけて、何かの荷物を引くと、馬一匹が二トンだから、二匹とすると四トンでしょう、数字的にね。
でもなんと、馬の二匹の馬力は、最大二十三トンまで引くことができるそうなんです。
心を合わせて、力を合わせて、一致して信仰の方向に行くと、そこに神の癒やしや神の奇跡が起こるんです。
不信仰の方向に行くんだったら、もう死を見抜かぬような恐ろしいことが起きてしまうんです。
一箇所、聖書を開けたいと思います。
電動車の書、旧約聖書の電動車の書、4章12節です。
聖書をお持ちの方は、書に開きますか。
電動車の書、4章12節。
私の聖書では、1106ページです。
27:12
電動車の書、第4章12節。
1106ページです。よろしいですか。
ポジションを読みたいと思います。4の12節。
もし一人なら打ち犯されても、二人なら立ち向かえる。
三つ寄りの糸は、簡単には切れない。
みなさん、そうなんですよ。
もし一人なら、打ち犯されることがあるかもしれない。
しかし、二人なら立ち向かえる。
そして、三つ寄りの糸は、簡単には切れない。
本当にそうなんです。
愛する明大業界のみなさん、
手にあって心を合わせましょう。
手にあって力を合わせましょう。
そして、その力を合わせたものを、
信仰の方向へ、神の方向へ、
どんなハードルがあっても、どんな難関があったとしても、
それを乗り越えらせてくださる人を信頼して歩んでいこうではないでしょうか。
人の救いのため、日本の救いのため、この日本のリバーバルのためなんです。
3つ目。
彼らの信仰から教えられた3つ目のことは、
あの障害物の後ろにおられるイエス様を見つめる信仰。
障害物の壁の後ろにおられるイエス様を見つめる信仰。
私たちは弱いから、何かの問題がワーッと起きたらですね、
もうすでに心の目も体の目も精神も気も全部もう奪われてしまってですね、
何にも見えなくなって合わせて合わせて失敗して信仰もほっとばされて、
そうなりやすいんです、私たちはね。
それが本当に例えば本当に耐え難い大きなショックだったりしたらもっと、
だから皆さん、だからその時にどんな時も触れないで、
私たちの例の目を、いやこの体の目もですよ、
その目をイエス・キリストに留めておくこと。
もうくっつけておくことが大事なんです。
一箇所を記載していただきたいと思います。
新約聖書、ヘブロ人への手紙十二章二節、一緒に書きたいと思います。
30:01
ヘブロ人への手紙十二章二節、新約聖書の440ページです。
ヘブロ人への手紙十二章二節、よろしいですか。
こいつを読みたいと思います。
信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。
イエスはご自分の前に置かれた喜びのゆえに、
恥ずかしめを思うともせずに十字架を忍び、
神の御座の右に着座されました。
アーメン。
皆さん、ここにありますよ。
信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。
目を離さないでいなさい。
誰から?イエス様から。
誰から?イエスキリストから。
誰から?善のなる神様からなんです。
この目を離さないでいなさい。
この後どんどん日本語がおかしくなっています。
目を離さないでいなさい。
それは、見つめるという意味があるんですね。
見つめる。見つめる。
でもね、もっとの語源は、
とても強いボンドでくっつけて止めておくという意味があるんです。
これを本当にね、リアルに直訳するならば、
自分の目をイエス様に強力なボンドでくっつけて止めておく。
そういう意味なんです。
もう吐かせないほど。
それほど強くしなさいという意味が実はあるんですよ。
四人は、この人はたくさんの人がいましたけれども、
その奥にはイエス様がおられる。
必ず癒してもらえるぞという信仰があったからね、
邪名を吐かすことまでも仕掛けなんです。
イエス様に目を止めておいたからなんです。
この信仰を見習いたいんです。
ある説教室で読んだ話です。
障害物というものは、あなたがイエス様から目を離したときに大きく見えるし、
そのため怖がります。
しかしあなたがイエス様に目を止めておいて見つめ続けるなら、
障害物は見えなくなるし、何の影響もあなたには及ぼされない。
本当にそうだと思うんです。
イエス様から目を離してしまった瞬間、ものすごく大きく見えてくる。
33:03
怖がる。
それがサタンが喜ぶことなんです。
怖がらせて、怖がらせて、神様から遠ざからせる、
信仰が取り上げられる、疑いいっぱいにさせられる。
皆さん、目を離さないでいてください。
どんな悩みがありますか?
どんな障害物が人生にありますか?
どんなつらいことがあるのでしょうか?
それを見つめすぎたら、それに埋没するしか他はないんです。
このヘブルヴィテの手紙は言うんです。
この世に多くの証人たちが雲のようにあって、遠景競技場の観客のように、
多くの証人たちがあって、皆さんを応援しているんですよ。
だから待ちわりつく全ての罪とか、そういったものを捨てて走り続けましょう。
そしてイエス様を見つめましょう。
自分の弱さ、自分の駄目なところ、問題、今の環境の難しさ、そういったものに目を見つめすぎたら、
結果はもう埋没、歓楽、打説、諦め、他はないんです。
しかし信仰は何でしょうか?
その時にキリストの信仰の本当の価値が現れるんです。
イエスキリスト、イヤヒノシ、神の子を見つめ続けることです。
目を離さないことです。
自分の心の霊の目をイエス様にもしっかりくっつけて止めておく。
最後に一箇所説明いただきたいと思います。
旧約聖書四篇六十二篇です。
四篇の六十二篇。
旧約聖書四篇六十二篇。
一節二節です。
旧約聖書の九百六十四ページです。
四篇六十二篇。
一節と二節。
ご一緒に読みたいと思います。
私の魂は黙って、ただ神を待ち望む。
私の救いは神から来る。
神こそ我が岩、我が救い、我が櫓。
私は決して揺るがされない。
アーメン。
36:00
皆さん、旅ではこの江戸頓によってありますが、
この様々な問題が、患難が、苦しみが起きた時に、
ただ神様を待ち望む、見つめる、くっつけて止めておく。
そしたら救いは神から来る。
神様が櫓であって、だから自分は決して揺るがされない。
これなんです。
障害物というものは、変装した祝福だ、という言葉があります。
祝福が変装してね、変装して障害物みたいに我々に現れる。
その中にある祝福を見分ける神御があっては、
雨雲の裏にある太陽を見つめる人は、心配することはないでしょう。
問題の後ろにおられるイエス・キリストを見つめようではありませんか。
待ち望む人は幸いであります。
主が助けてくださる。
あちらが主が我々の信仰を見られるから。
どうか、今何か苦しみの中にいらっしゃいますか。
何かがどんな、何かにあっているのでしょうか。
皆さんの信仰を、この四人のようにイエス様にお見せしましょう。
そして、見ていただきましょう。
そして、主に祝福される人生を歩んでいこうではないでしょうか。
お祈りします。
37:43

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