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2019-01-06 23:50

2019/01/06:一人が一人をイエス・キリストに導く

2019/01/06 聖日礼拝

尹善鎬牧師

テモテへの手紙第一 2:4-5

00:00
みなさんおはようございます。
今日このようにして、今年新年初めの元旦礼拝ありましたけれども、
聖日礼拝としては、初めの礼拝を、愛している皆さん方とともに礼拝できます、
このおめくんにご幸福とから感謝いたします。
それでは、元旦礼拝ありましたけれども、新年になって初めてお会いする方々もおられるかと思いますので、
メッセージの前に新年の挨拶を交わしましょうか、みなさん。よろしくお願いいたします。
はい、感謝です。
それでは一言お祈りをいたします。
神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。
エーメン。
今から、いける主の御声に耳を傾けて、心からお聞きいたします。
主をどうぞお語りください。
そして、従います。
お助けください。
神様の御言葉を、生きる主が、今ここに忍者になさって語っておられる主を、私たちが拝見し、拝聴し、
その御言葉に命を懸けて歩むことができるよう、
祝福の御言葉を、また、人生の道しるべの御言葉を、
主をどうぞお語りくださいますように。
神道の方々、救徒の方々、すべての方々の上に、神の光を照らし合わせて、祝福してください。
イエス様の御名によって、お祈りいたします。
アーメン。
今日は、読んでいただきました、手もてへの手紙第1、2章、4節と5節。
その4節は、2019年度の、にょうだみ教会の御言葉であります。
そして、兵庫は、一人が一人をイエス・キリストに導く、一人が一人をイエス・キリストに導く、ということであります。
03:09
皆さん、皆さんお一人お二人が、誰かを今年一年かけて、心を尽くして、愛を尽くして、あるいは祈りを尽くして、一人の魂をイエス・キリストに導いて、
そしてその魂が救われて、祝されるようにお助けしましょう、ということであります。
そのために、私たちの時間をお捧げしましょう、皆さん。
健康もお捧げしましょう。
一人の魂が救われて、神の家族になり、命の書にその名前が記されるならば、何でもさせていただきます、という志をもって、書に使えていこうではないでしょうか。
私の皆によって皆さんにお願いいたします。
一人の魂が救われることに、今年最大の関心と力と祈りと涙と心を尽くしていこうではないでしょうか。
今までももちろん皆さんが本当に何もかも尽くして、書に使えてこられましたけれども、
今年こそ、もう時間がないかもしれない。
一刻も早めに魂が救われて、神の国のために生きていけるように、お助けしたいと、そういうふうに願っていこうではないでしょうか。
この魂の救いに対する実感を、みんな持ちたいです。
そのために、3つを覚えて実践しましょう。
第一、天国に行ったら、殿堂はできないことを覚えましょう。
皆さん、私たちは救われたならば、必ず天国に行きます。
そこにはないものがありません。
しかし、できないことはあります。
殿堂したくても、できないんです。
一人の人であろうが、百人であろうが、イエス・キリストに導きたくても、導くことはできません。
もう遅いんです。
06:03
天国の門は閉まっているからです。
二度と開きません。
神様は、私たちが地上にいる間、先に神様を信じる均衡の福福を与えてください。
そして、その恵みを、命を、喜びを、天国の希望を他の人々に告げなさいと、頼んでください。
それは、神様が私たちのことを真実なしもべとパートナーと見てくださるからなんです。
この素晴らしいお働きを、神様が私たちが地上にいる時しかできないことなんですよ。
信仰生活をしながら、これを忘れてはいけません。
天国にいたら、ああ、あの人に伝導できたらよかったのに、ああ、あの人を教会に連れて行ったらよかったのに、
こういうふうに後悔しても、完全に手遅れではないでしょう。
アメリカにですね、こういうキリスト教のジョークがあります。
天国にいたら、二つの部類の人がいるらしいです。
一つの部類の人たちは、できてよかったと思う部類だそうです。
つまり、あの人に伝導できてよかった、ああ、この人をキリストに導いて救われてよかった、
神様のために一生懸命に奉仕してよかったと感謝するグループの人。
もう一つのグループは、したらよかったのに、と後悔ばっかりするグループだそうです。
伝導したらよかったのに、家様の話をもうちょっとしたらよかったのに、
神のために奉仕したらよかったのに、と後悔ばっかりするグループだそうです。
もちろんどこかもしれませんが、皆さん、
私こそ、最後のチャンスかもしれないと固く決意して、
魂の救いのために全てをお捧げして、お誓いしていこうではないでしょうか。
皆さん、よく考えるとですね、私みんなは伝導できるチャンスがずっとずっとあるわけじゃないんですよ。
知れかもしれませんけれども、歩けるうちに、話せるうちに、運転できるうちに、
記憶力が正しいうちに、聖書の御言葉がわかっているうちに、伝導しようではないでしょうか。
09:12
たまにですね、私の母の話をしますけれども、母が元気なうちは、
毎週教会に行ってですね、礼拝が終わって、そしてお昼を食べて、
ここの礼拝の間に1、2時間ぐらい時間があるんですね。
そしたら、教会の近くに地下鉄の駅があるんです。
そしたら、毎週元気なうちに、教会のチラシを持って、
毎週何かのおばあちゃん、皆さんぐらいですよ、70歳ぐらいのおばあちゃんたちに、
毎週伝導していました。
今はですね、もうできません。
歩けないし、しゃべれないし、できないんです。
私たちも、みんなその時が来るんです。
神様が何かをできる、そういうふうに許してくださっているうちに、
魂の救いのために尽くしていこうではないでしょうか。
2番目、最も根本的な話になりますけれども、
本当に神様に出会った人は、魂の救いに熱い関心を寄せるんです。
神様に本当に人格的に出会った人ならば、
魂の救いに関心を、情熱を何とかしたいという気持ちでいっぱいなんです。
当然のことなんです。
しかしどうでしょうか。
もしも私たちが魂の救いにあんまり関心がなくて、
まったく悩けりゃないんだけど、そんなに情熱もないとすれば、
その人はある意味で本当に神様に出会っていない人かもしれません。
教会に来ていても、おいしいものを食べていても。
なぜなら、神様を信じている人ならば、
神様が生きておられること、終わりの日が必ず来ること、
そして砂漠がこだされること、永遠の天国と地獄に分かれて、
信じる者は救われることを信じるならば、
当然魂の救いに関心を持ってそこに派遣するはずなんです。
神様を愛するならば、神様の心を知るからね。
夫婦の間もそうでしょう。
12:00
夫を妻を愛するからの気持ちがわかってくるんですよね。
そしてその気持ちに応えたいんです。
同じなんです。神様愛している。
そしたらその心が知る。
そしたら神の心を何とか自分もそれに応えたい。
その気持ちを私も自分も行いたくなるんですよ。
これが本当の愛なんですよ、皆さん。そうでしょう。そうなんです。
では神様は何を望んでおられるのでしょうか。
今日の見事が手元の手紙第1・2章の4節、5節もう一度一緒に読みましょうか。
4節と5節一緒に読みたいと思います。
神は全ての人が救われて真理を知るようになるのを望んでおられます。
神は唯一です。
また神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。
アーメン。
皆さん、神様の望みは何でしょうか。
神様は何を望んでおられるのでしょうか。
この世界を見渡しておられて、神様を本当に熱く切々と望んでおられることは何でしょうか。
何ですか、皆さん。
全ての人が救われること。そして真理を知ることなんです。
それは神様の唯一の望みなんです。神様の気持ちなんです。
そしたらば私は神を愛する、神を信じる。
そしたらば私も同じく一人でも多くの人が救われて真理を知るようになるのを望むはずなんです。
同じ心を抱くようになるはずなんです。
それが信仰なんです。
それが神を愛することなんです。
もう一度申しましょう。
神の望みは全ての人が。
だから私たちの望みも同じ。
皆さん、徹心して下さい。心中に徹心して下さい。
2019年、今年1年、心を尽くして、膝を立てて、
あるいはお世話して、おもてなさって、祈って、この人、この方を、
もう是非、イエス・キリストにお導きして、救いに導きたいと。
15:02
主よ、助けて下さいと。
徹心して下さい、皆さん。
与えられ、また与えられ続けます。
私たちが誰かの救いのために、その人が本当の祝福を受けるために、
祈り続け、涙を流し続け、心を尽くして、その人に伝える、愛を示し続けるならば、
もう想像を超える素晴らしい祝福の結果が待っているんです。
いや、起こるんですよ、皆さん。
それは、私たちが来るんじゃない。
私たちが誰か一人をイエス・キリストに導くと、その人が救われたら、
その人のために、神様が偉大なことをもやりだして下さるんです。
そして奇跡が起こるんです。
皆さん実は、これが伝道の楽しみなんです。喜びなんです。
ダンター・ニーハイの時に話題しましたけれども、
四編の三十七編に、主を己の喜びとせよということがあるんですね。
一人の人を主に導くことを喜びと。
私の小さなお菓子をさせていただきたいと思います。
私が大学生の時です。
学校の中で、特に日本語学科でしたけれども、
特に二年生、三年生、軍隊に行って帰ってきて、四年生の時に、
自分なりに一生懸命に伝道していました。
先輩であれば、後輩であれば、同級生であれば、ものすごく伝道して、
私のニックネームがユンボク氏でした。
みんな避けていました。
あれ怖い、逃げてる。捕まえたら、彼のお話しか聞かなくならない。
授業と授業の間、時間が空いているわけなんですよね。
そしたら、食堂に行って、ベンチに行って、座っている人に近づいていて、
いい人知りますかって。
四つの法則を持って、伝道をたくさんやっていました。
でもね、神様は私に伝道できる良い道具を一つ与えてくださいました。
それは神様の恵みですけれども、成績がとても良かったですから、
18:05
それが伝道の良い武器になったんですね。
それは、試験のテストのシーズンになると、
みんな私のノートや予想問題集を借りに来るんです。
もう順番待ちくらいです。それは嘘ではありません。本当でした。
試験の前の1、2週間前になったら、就職代がいらないんです、僕には。
なぜなら、みんな怒ってくれるんです。
その時に、お昼を食べる時間が30分、40分くらいに伝道するんです。
彼は聞かなくてはならないんです。
聞きたくなくても、これを借りなくてはならないんだから、そこにいるわけなんです。
そして伝道するんです。
そんな伝道しているうちに、みんなが救われたわけではないんですけれども、
奇跡的に1人の同期生の男の子が、神様に関心を寄せてくれました。
不思議だと思いました。成績が知りたいと言ってくれました。
そして、彼と授業のない時間に、学校の食堂とか空いている教室に行って、
創石の学びをしました。
ヨガネの国との学びをしました。
エフペルソスの学びもしました。
そして、彼は卒業する前に、ソウルのアプテスト教会で洗練を受けました。
その後、それぞれ私も仕事をしていて、何らか連絡が切れていましたけれども、
私が草にいるうちに、不思議に連絡が来て、
そしてその後、アプテストの新学校に行って、その後、牧師になりました。
それだけではないんですよ。それで終わりではない。
日本に来てですね、また連絡が来ながらなかったんですけれども、
この前、去年の秋頃、連絡が急にメールが来て、開けてみたら、彼からでした。
なんと、7年前から海外選挙士になって、今はフィリピンのリッポローというとても田舎みたいですけれども、
その島で、もう私のように選挙士で活動していました。
村の小さな教会ですけれども、もう二、三十に集まっている部落の教会、そういった小さな教会を、
もういくつも立てたそうなんです。
今年の5月頃、その村の教会の中高生、青年の集まっても、
70人、100人くらいかもしれませんけれども、
是非、収容会の講師に来てくれないかと頼まれました。
私は、もう久しぶりに日本に来てからですから、10年ぶりの彼と連絡がつながって、牧師になって、
21:00
しかも選挙士になっていること、あの時の1988年、89年、あの頃、
彼に一生懸命連動して、そして彼がやしさまを信じて牧師になって海外選挙士に行って、
あのフィリピンで、あの村で選挙士になっていることを聞いて、神様なさることを本当にすごいなと私は思いました。
皆さんが誰か一人をイエス・キリストに導きますと、神様がうれしくて、
その人のために、あなたのために素晴らしいことをなってくださるんです。
それが実は信仰生活の最高の喜びなんです。連動の喜び、楽しみなんです。
実はこれは光栄なことじゃないでしょうか。神様が一緒に働いてくださるということですから。
そうなんです。本当に皆さんが今年、誰か一人を、もちろん二人でもいいですよ。
一人をイエス・キリストに導きますと、必ず何か不思議なことが、至極が起こります。
私がその人を通って、神様がどんな偉大なことをしてくださるか、はかり知れないこと。
これが本当に信仰のために来る喜びとして欲しいんです。
皆さん、レッスンを終えたいと思います。
仏で固く決心してください。
今年こそ、必ず一人をイエス・キリストに導くぞとね。
主よ助けてください。私に連動できるチャンスを作ってください。
連動できるように健康もください。
お金が必要な時には、主よ、連動のためにお金をください。
弱いから諦めているのではない。連動がしたいから、主よ、勇気と元気と本気をくださいと求めてみようではないでしょうか。
神様が必ずくださるんです。
魂の救いは神様の望みだからです。
願うわけは、2019年年末に、神様感謝します。ハレルヤ感謝します。
この人をイエス・キリストに導けて救われました。
全ては死がされました。
ハレルヤ、死を感謝しますと分かってくる。
この一年となりますように心からお祈り申します。
お祈り申します。
23:50

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