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2019-01-13 34:29

2019/01/13:ヨハネの福音書講解説教(48)すべてを明らかになさる精霊様

 2019/01/13 聖日礼拝

尹善鎬牧師

ヨハネの福音書 16:1-11

00:01
皆さん、おはようございます。今日も共に礼拝できますと、恵みを心から感謝いたします。
それでは、メッセージの前に、お互いに挨拶を交わしましょう。
それでは、一言お祈りします。
その方が来ると、罪について、義について、裁けについて、世にその誤りを認めさせます。
神様、今日も、私たちは他の場所ではなく、
主の御前に生きて、私たちを守り、導き、この全世界を司る主の御前に、今ここに集まっております。
主が集めて下さいました。
感謝します。
心を作って、精神を作って、命を作って、神に礼拝できますよう、
そして、精拝の最初から最後のうちに、生きる主にお出会いし、その方に満たされ、その方の心を知り、行う者へと、私たちを作り強めて下さいますように。
お願いいたします。
御前に下り下る心を持って、あなたの恵みを切なる心で、司会を求める心を持って、主は私を憐れんで下さいという信仰を持って、主の御声をお聞いてきますよう、
聖霊様どうぞ、論文に働きかけて下さいますように、悟る心をお与え下さいますように、お願いいたします。
主よ、どうぞ、我らを憐れて下さい。
イエス様の皆によってお祈り致します。
アーメン、アーメン。
先週月曜日から金曜日までは、新年祝福祭暴祈とか今開かれました。
今年で6回目ですね。年2回ですから。
今年は、イオハネイの目出録第2章から出てくる、エペソ教会から始まる7つの教会のほしに、5つの教会へのメッセージを。
耳のある者は、教会に語るというメッセージを聞きなさいというメッセージを、共に、私自身も皆さんも共にお受けしましょう。
03:08
ぜひ、語られた御言葉、私たちの心、魂の中に主が植え付けて下さった御言葉を、目出録にありましたように、しっかり握って、保って、行っていきたいと思います。
さて今日は、イオハネイの福音書公開説教、去年の11月の第1週目にさせていただきまして、ほぼ2ヶ月ぶりですけれども、
イオハネイの福音書に戻ってきました。
今日は、全てを明らかになさる聖霊様です。
まずですね、7節、御一緒に読みたいと思います。7節。
これはまず、大前提の御言葉ですので、御一緒に。
しかし、私は真実を言います。私が去って行くことは、あなた方にとって益なのです。
それは、もし私が去って行かなければ、助け主があなた方のところに来ないからです。
しかし、もし行けば、私は助け主をあなた方のところに使わします。
アーメン。
イエス様と弟子たちは、だんだん十字架の死に向かっていました。
そこでイエス様は、不安を感じている弟子たちに、私が父の身元に帰ったら、
その主なる神様が、あなた方に助け主、神の御霊である聖霊様を使わせてくださると話をしました。
そして、その方が来ると何をなさるのか、ということが今日の発説から語られています。
今日は、特に、聖霊様がどのようなお方であるかを共に学び、
そして学びだけではなく、何よりその聖霊様にお出会いし、
また、聖霊様が私たちの日々の生活の中で、経験されることを願っております。
これが大事ですね。
自分の日々の生活の中で、聖霊様が生きておられ、働きかけてくださって、
本当に共に歩む信仰のものでありたいと思います。
では、その聖霊様を知ること、その聖霊様を味わうこと、日々の生活の中で、
06:05
その聖霊様が経験されることとはどういうものなのか、
ちょっと例えになりますけれども、分かりやすくちょっと話をしていきたいと思います。
例えばですね、そこがいいでしょうか、私が言ったところの中で、
皆さんが、今からね、イタリア、ローマに旅行に行くとしましょう。
まだ行ったことが、ある方もあれかもしれませんけどね、まだ行ったことがないんです。
それでですね、ネットでですね、いろんなサイトをね、調べて、そこのチケット安いのか調べてみて、
いやこれは面倒な、難しいなと思ってですね、明丹駅にあるATISツアー会社に行ってですね、
相談をしてですね、いろいろ調べてみて、情報をまずね、集めます。
で、往復、さあ分かりませんね、さあ大体15万円くらいとしましょう。
それで、韓国からも行けるし、ね、1週間のスケジュールがこうであると、
で、全部のね、お値段は30万、40万、50万かかるとね、いろいろ情報が分かりました。
さあ、もしここで終わりにしたら、イタリアに関するローマに関する情報は持っていますけれども、
実はイタリアもローマも、あの有名なコロセウムも、トレビフンスもね、実は経験していないんです。
そのイタリアが、ローマが、そこの空気が臭いが、建物が、人生の中でまだ経験されていないんです。
さあ、どうすればいいんでしょうか。
チケットを、お金を払って買いまい。
で、荷造りをします。
で、朝早く起きます。
その時にね、子供がね、寝干してですね、もう遅くなってバタバタしたら、早速見返してですね、観光に向かうわけです。
ね、車だからね、もうつぶやきながらね、もう行きます。
よくありますか。
観光に来るまで1時間走っていきます。
で、2時間、3時間待ってですね、そして10時間ほどフライドしていきます。
で、ついにイタリアに着きます。
で、ローマに行ったり、コロセウムに行ったり、ね、コロセウムに行ったら、昔のローマ兵士の服装を着てですね、写真一緒に撮ってくれる人がいたりしてました。
10年前にいた時にね、写真を撮ったりしてですね、そしてトレビ、フンスのところにいて、ローマの休日でしたっけね、そのみたいにね、コートをとってね、写真をね、撮ったりして、
で、その近くにゼラトンのね、おいしいソフトアイスケーキもありましたけれども、それを食べたりね、する。
そして、しかももしね、ホームステージもできてね、イタリア人の家でですね、1泊でも2日でも一緒に泊まって、その家庭料理を食べていたら、やっとイタリアを知る、ローマを知る、経験できたと言えるということなんです。
09:17
皆さん、私たちが精霊様を知ることは、これとよく似ていると思うんです。
精霊様に関する情報をたくさん50年間集めて知識を持っていて、学んだりして聞いていても、
精霊様について、精霊様に関する知識を持っていることと、精霊様を知って、経験して、その思い通りに行い従い、精霊様が私の人生の日々の生活の中で、経験されてリアルにしていることとは全く違う。
精霊様と人格、その方は生きておられる人格なんです。
考えておられ、話しておられ、感じておられ、感情を持っておられ、その方と人格的に、私もその方との人格が通じて、その関係の中で出会って、時には楽しんで、時には教えられて、感じて、経験していくこと。
それが精霊様を知ることなんです。お分かりになったでしょうか。私は神様もイエス様も精霊様もについて知る人ではなく、その方を知る人である。
人格的な関係を持つことができる。もう一つ話を言いますと、皆さん、アメリカの大統領トランプさんについて知ってますよね。彼はツイーサーもやってるから、ひどいこと言うなとかね、いろいろ情報は知っています。
でも、その人のことを人格的に知ってますか。知らないんです。会ったこともないし、彼の家に行ったこともないし、一緒にご飯を食べたこともありませんし、情報は持っていますけれども、その人と人格的な、この親密な深い関係は持っていない。
私たちは、精霊様をトランプ大統領に知るように、そういうふうについて知っていては、私なら、その方は、その方は精霊様を求めるものに、死体を求めるものに、その霊の中に入り込んでくださる方なんです。
昔、新学校でね、神論、精霊論、人間論、そういう論々を学びましたけれども、私とその言葉を覚えていると思います。精霊論について学ぶときに、精霊様の特徴の中で、ちょっと英語の言語を忘れましたけれども、日本語で訳すると浸透性があるんです。もう入り込んでくださるんです。
12:21
分かりますか?精霊様の特徴の一つは、私たちの霊の中に、日々の生活の中に、もう浸透してくるんです。入り込んでくださるんです。
分かりますか?精霊様は生きておられる人格だから、私たちが生きていて話している。今、皆さんの前で私がね、生きていて、死んでいないんですね。生きてますよ。生きていて、今話をしているから、皆さんが今きっと、私の感情や表情や、あるいはメッセージの意図などを分かるんですよね。何とか察しできるでしょう。
人格と、皆さんの人格と、私の人格が今通じているわけです。触れ合っているからなんです。それが精霊様との関係なんです。精霊様は人格を持つお方だから、知性や感性、意志をすべて持っておられる方です。
何か空気みたいな、風みたいな、そういうものではない。リアリティなんです。精霊様はあるものを願います。しかし、あるものは拒みます。あるものを愛します。しかし、あるものは憎みます。精霊様は愛も感じられるお方ですし、生きどおりも感じられるお方です。
私たちが考えるように精霊様も考えておられ、私たちが見ているように精霊様も見ておられ、私たちが話すように精霊様も話されるし、私たちが行動するように精霊様も行動するお方です。
願わくは、私たちと精霊様の関係がこんな関係でありたいんです。何か遠いトランプさんについて知っているような情報じゃなくて、その方が私たちの霊の中にも入り込んでくださって、生きて働きかけて、交わって、触れて、知って、感じて、生きる。
その方を求めてください。精霊様、私の霊の中に入り込んでください。働きかけてください。知るようにしてください。経験できるようにしてください。満たされるようにしてくださいと、皆さん求めてください。
それが起こっている神道と起こっていない神道との人生の生き方、信仰の持ち方が全く天と地の違いのように。
15:14
なぜなら、今日の御言葉にあるように、精霊様が助けの日が来られると、世にその誤りを認めさせますとあるんです。
これを、今日のタイトルは、「すべてを明らかになさる精霊様」とさせていただきましたけれども、新科学聖書2017年の訳は、8節をこのように訳しているので、ちょっと準備しましたけれども、ご覧ください。
これが、新科学聖書2017年の訳のバージョンは、こうなっています。その方が来ると、罪について、義について、裁きについて、その後がちょっと違いますね。世の誤りを明らかになさいます。
これをしばらく見せてください。皆さん、精霊様がこの世に来られると、私たちの人生の中に、生活の中に、霊の中に入り込んでくださると、すべてのことを、誤りも含めて、すべてのことを明らかにしてくださるんです。
だから、精霊様が自分の霊の中に入り込んでくださるとね、すべてが明らかにわかってくるんです。
言葉がリアルに、現実に、私たちの霊の中で感じられる形で、経験できる形で、わかる形で起こるんです。必ず起こるんです。その方は生きておられるから。
つまり、精霊様が私たちの一人一人の霊の中に入り込んでくださるときに、妙大に教会の中に、この集団の中に入り込んでくださるときに、私たちは個人的に、あるいは集団的に、私たちの三つです。
罪を、神の義を、主の裁きを悟るようになるということなんです。
あてながら、精霊様はこれらを明らかになさるお金。だから、精霊によらなければ、罪が何なのか、義が何なのか、裁きが何なのか、わからないんです。
しかし、精霊が入り込んでくださって、働いてくださっている方は、その信者は、罪が、神の義が、そして、何なのか、そして、その魂の中に、教会の中に、リバイバルが、信仰の覚醒が起こるんです。
18:05
どうでしょうか。精霊様は、誰の御霊ですか。神の霊ですから。それで、神様の御心がわかってくるんです。
そして、愛せるようになるんです。しかし、舌が痛くなるんです。もう舌が痛くて、そうしたくて、たまらなくなるんです。
愛せるから。この三つ。旧説、まず読みましょう。旧説から読みますかね。旧説読みますね。一緒に。
まず、精霊様が私たちの魂の中に入り込んでくださると、罪が何なのか、自分の罪が何なのか、神様が、御霊様が、どれだけその罪を嫌われるかが、わかってくださるのです。
もう恐ろしいほど、それを感じて悟って、悔い改めに導かれるんです。必ず起こるんです。
あとで話をしますけれども、キリスト教の歴史の中で、あるいは一人一人の今もですね、一人のその人生の中にね、信仰の覚醒がリバイバルが起こるときには、精霊様に御霊による悔い改めからだいたい始まる。
自分の余的な罪が、神より自分を愛する罪が、世の事を楽しんでいる罪が、傲慢の罪、裁きの罪、妬みの罪、不信仰の罪、様々な罪が、どれだけ恐ろしいものかがわかってくるんです。
そして徹底的に悔い改めて、そしてついに信仰の大覚醒が起こるんです。そしてその方を愛するようになる。そして清く正しくも生きようとするように作り変えられるんです。
だから精霊様によって人は清められる。精霊様によらないと清くならないんですよ。そしたら罪がわからないから。自分が傲慢であることがわからない。世のものを楽しんでいるのにそれが罪なのかわからない。精霊様によって罪が知るようになる。
21:05
2番目。
また、義についてとは、私が父のもとに行き、あなたがあたる。もはや私を見たく見なくなるからです。
また2番目は、義についてです。精霊様が入り込んでくださる。そしてその方と本当に深く交わって歩んで触れていくときに、神の義が何であるかわかってくるんです。悟るんですよ。もう当たり前のようにわかるんです。
皆さん、神の義とは何でしょうか。もちろんね、神の義、これだけでも新学校で1年分学ぶものですけれども、簡単に話をします。
神の義とは、神の前で、その方の前での私たちの正しさなんです、日本語でいうのは。
では、人はどうしたら神の前に正しくあることができるでしょう。それは、神様はご自分の一人ごを罪人として知らせることによって、
ミクイエスを信じる者に、イエス様が持っておられる義、正しさを信じる者に与えてくださる。
それで私たちの罪が、その罪による脆い死が、キリストの心に行って、そしてキリストの義が私たちのところに来るということです。
神はイエスキリストを信じる者が、罪に赦されて、神の前に正しい者として立つことができるようにしてくださること、これが神の義なんです。
ところが、これは私としても、「ああ、そうなんですね。」と学び的にして終わるんじゃない。
精霊様によると、自分の霊がそれを悟るんです、分かるんですよ。
そしてその人は、神の前に正しく歩むのです。
いや、そうせざるを得ないですし、正しく歩みたいと、本当に切に願って喜んで行う。
どうでしょうか。精霊様が入り込んでくださって、生きておられるから、分かるから。
三つ目、それからもう一つありますね。
さあ十一節、十一節、一緒に読みたいと思います。
裁きについては、この世を支配する者が裁かれた柄です。
精霊様が来ると、その方が一人一人の霊の中に、集団の中に入り込んでくださると、裁きについて明らかにしてくださる。
24:08
だから私たちも明らかに知ることができるんですよ。
つまり精霊様は、神の裁きが何であるか、誰にくだされるか、裁かれた者の終局はどうなるかを、精霊様は明らかに私たちにお告げになるんです。
私ね、ちょっと目がだいぶ悪くなっていますけど、高校二年生から目が見かけましたが、中三、高一の時に結構視力が悪かったんですね。
それで高校の時にバスに乗って、1時間ほどで高校に通学をしていましたけれども、目が悪いからですね、あの時に今も忘れていない。
30番のバスに乗って行かなくてはならないんですよ。朝も人が多いし、バタバタしているからね。
たまに32番、31番を乗ってですね、寝てしまうんですよ。
そしたら、全然変なところに行って、忠告したことがたくさんありますけれども、それでもうやっとね、あの目が開けたらですね、番号がですね、30番、はっきり見えてくるんですよ。
で、乗り間違いがないんですよ。
精霊様が私たちの中に入り込んでくださると、これが罪なのか、事なのかなのか、もう明確に明らかに分かるんです。
なぜぼんやりしているんでしょうか。なぜ生ぬるいんでしょうか。なぜ蓋まで開けているんでしょうか。なぜひょっとはばなんでしょうか。
精霊様が私の中に入り込んで働いておられないから、ぼんやりしているんです。もう見えないんですよ。悟るんです。
だから私は求めなければならない。主よ、私の霊の中に入り込んでください。働いてください。
全てを明らかに悟るようにしてください。
その精霊様豊かに望まれた一人の人物のお話をしたいと思います。
イギリスの有名なウェスレー兄弟が生きていて働いていたあの町、イギリスのウェールズという町がありますね。
私も行ったことがないので行ってみたいと思いますけれども。
その人の名前はエヴァン・ロバーツという人です。1878年生まれ、ウェールズ出身の人です。
彼はウェスレーよりは一世紀半後の時代の人です。
でもその一世紀半を超えて、あのウェスレー兄弟の時代のような素晴らしいリバイバルがあのウェールズにもう一度起きたんです。
27:03
そのエヴァン・ロバーツはですね、若い時からこう思っていたそうです。
今のこのウェールズにジョン・ウェスレーのような伝播者が必要だ、あの時のような150年余り前のようなリバイバルがこの町に起きないとね、若い者が熱い思いを持って求めていたそうです。
それで彼はしばしば友人たちを誘って、いろんなリバイバル伝播集会がありましたから、そこに積極的に出席していました。
それである連動集会に、リバイバル集会に出席していました。その時の説教者がセス・ジョシュアという方でした。
その方がそこにこういうようなメッセージを語り続けました。
主よ、私たちを砕いてください、私たちを砕いてください、砕いてくださいとね、そういう主に叫び求めていました。
その時に感動しながら聞いていた、そのロバーツも御様の迫りを感じて、彼も同じく祈っていました。
主よ、私こそ砕いてください、主よ、私こそとね、徹に祈り求めていました。
そのまま席に座っていられなくなってしまいました。
前に出て御様の臨座の中で涙をして、祈りをして祈っていました。
その時彼はなんと二十七歳でした。
ロバーツは御様の囮扱いの中で、自ら自分の人生を主にお捧げしますと決心して、深く悔やまれて、主の表現として立ち上がりました。
二十七歳の時だったんです。
彼のお話が続きます。
そしてそのロバーツは、自分がその聖霊様の恵みの体験を、もう自分の中に留めることができない。
それでですね、このウェイリズに福音のリバイバルを、求霊の思いに燃えて燃えていました。
ところが当時イギリスのウェイリズは神戸みたいに港の町でしたから、様々な罪が悪がもういっぱいで、教会も出席者がどんどん減ってきて、牧師も信徒も惰性的に信仰に落ちていたんです。
そのこの二十七歳の若き者が、このままじゃもうダメなんだと熱く思って。
まだ教職じゃないからね、教会の信徒牧先生の承諾を得てですね、聖霊向けの伝道司会を、もう普通の青年ですよ。
二十七歳の藤本子みたいな、美人みたいな、青年が青年たちを集めて集会を開けました。牧師ではないんです。
30:03
そして自らその霊的改新を、御霊の体験を明かしして、福音を熱く語りました。
するとそこにいた多くの赤者たちが真剣に救いを求めて、師の満い心を注ぎ出して、そこに司令をして祈る者もいました。
ところがどの時代もどこもそうですけれども、一方ではあまり患者的で、雰囲気に頼りすぎているんじゃないと、冷やかな目で見る人々もいましたけれども、
でも師のある神は確かにその集会の中で強く働かれて、その露髪を師の表現として用いてくださいました。露髪はこういうふうに祈り叫びました。
また語りました。皆さん、聖霊につながってください。祈り砕かれてくださいと語り続けました。
皆さん、あの十九世紀、あの時、この集会が、あのエヴァ露髪によるこの若者の集会が、あのウェイルズにジョン・エスレイ以降の150年後のリバイバルのどう言いますかね、導火線みたいになった、大きなリバイバルが起きました。
皆さんどうでしょうか、このエヴァ露髪という人。あのウェイルズに行ったらですね、いろいろ資料が今もあるそうなんです。
彼は聖霊様に対する情報を持っているものではないんです。あるいはたくさん学問的に勉強したものでもないんです。
聖霊様が彼の霊の中に入り込んでくださって、彼の人格に出会って触れてくださって、その方に彼は取り扱われました。
だから彼は義、罪、義、裁きを明らかに分かって、分かるでしょうか。明らかに知ってくださる方に出会ったからなんです。
皆さん、もしもまだ義について、罪について、裁きについて分からない、ちょっとぼんやりしている方がもしもおられるでしょうか。
そしたら、今がその聖霊様に出会えるチャンスなんです。
主よ私を砕いてください。私こそ砕いてください。その聖霊様、その方によって私を取り扱ってください。満たしてください。
私の日々の生活において本当に、本当に聖霊様生きて働いておられる、誰にも言いたくなるような、愛するようなものへと私を作り清めてくださいと、祈り求めようではないでしょうか。皆さん、祈り求めなければならない。
33:13
ロバーツのように主よ私を砕いてください。主よ起きてください。まず私の霊の中からリバイバルを起こしてください。そしてお墓の中から、そしてこの教会の中に霊的覚醒を主よ起こしてくださいとお祈りください。お求めください。
ねえ、願いました私たちは、あのウェイルズに起こったリバイバルが、あのアメリカにジョナサン・エドワーズ、あのような方々によって起きたリバイバルが、この町に、この教会に、この日本にも起こるようにと、求めていこうではないでしょうか。
聖霊様をすべてを明らかにして下さるお方です。その方に深く出会ってください。その方に入り込んでいただいて、そしてすべてを明らかにして、信じて行っていくものであって、その時に一人一人の信仰からリバイバルが起こる、覚醒が起こるんです。
その信仰を持って、君にお伝えしてまいります。お祈りします。
34:29

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