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おはようございます、やすです。今日もお聞きいただきありがとうございます。 このチャンネルは、旅好きのやすが、人生楽しく生きるをテーマに、旅のことや日常の試行錯誤を、現在進行形でお話ししているチャンネルです。
今日はですね、雨の東京ですね。それも結構気温が下がってます。 10度台にね、下がってる感じですね。
一気に冷えたなぁというところがあって、私もルームシューズをね、ちょっともこもこのものを出したり、それからお洋服もニットを出してきたりしてみました。
こうやってね、冬に向かっていくんだなぁっていう感じがあります。 一気にね、気温が下がっているので、皆様どうかお風邪など召されぬよう、お体を気をつけください。
それで、今日お話をしようと思ったことは、私は朝、ゼロ美容師校をトレーニングするゼロトレ部に参加をしているんですが、そちらでですね、今日は女性のお寺をね、守っておられるお坊さんが、処行無常についてをテーマにね、お話をしてくださっていました。
で、処行無常についてね、改めて考えてみたいと思います。 処行無常ってね、平家物語の二音精舎の鐘の音っていうね、鐘の音の話がありますけれども、
仏教的な無常観というものがね、有名ですよね。 このようなあらゆる事象は絶えず変化し、不変のものはないという、そういう意味合いになるかと思います。
私はこの処行無常というのをお聞きした時に、イメージしたのが川の流れなんですよね。 私は川の流れが大好き、川のせしらぎ大好きなんですよね。
音も好きですし、それから絶えずこうね、流れていく様というのが、何とも心を浄化させる、一瞬たりとも同じところに留まっていないというね、
常に流れがあるというのが、この心の淀み的なものを洗い流してくれる感じがして、私はすごく川の流れというのが好きなんですよね、特に清流の川の流れです。
そんな中でですね、思ったことというのが、改めて私たちというのは、一瞬たりとも同じ状態でいるということがないんだなと、
常に流れ続けているし、人生も続いているし、私っていう人は、私は私だと思っているけれども、でも私も刻々と変化しているし、
それから色々と私の周りで接している皆さんというのも、昨日と同じように思っていても、もう実は違うわけですよね。
不変なものはない。変わっていく。常に変わり続けている。それは人間もそうですし、植物もそうですし、周りのものもそうですよね。
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同じところに留まって、実はいない。私たち、いろいろ人間関係でですね、時々ゆくしゃくしたりとかですね、悩んだりということももちろんあるわけなんですが、
結局私たちは常に変わっている存在なので、以前のイメージとか、この人ってこんなって思っている、お互いに思っていても、でもそこは違ったりするわけですよね。
変わっているわけなので、しっくりこないっていうこともあったり、お互いに変わり続けていく人たちが、ある一瞬で何かで交流しているっていう、
常にね、実はそういうことが日常行われているんだなっていうふうにしみじみ思ったわけです。
人生っていうものが、そもそも大きく捉えれば、諸行無常。いつかは終わるし、私の命もいつかは尽きるし、私の周りの方たちの命もいつかは尽きると。
その限られた人生のある一場面をどこかで共有しているっていうね、そこまで考えてくるとね、なんかこう急に寂しい思いというか、すごく、はい、なんか当たり前の日常も当たり前じゃないような感じがしてくるんですけれども、
でも変わり続けていくものが常であると考えれば、はい、いろいろな迷いであるとか、いろいろな出来事というのも常にね、変わっていくことが常であるわけなので、いいんだと、私はそんなふうに改めて思ったりしました。
以前はちょっと違ったなって、一回違ったなって思ったものもぐるーっとね、いろいろなことを積み重ねた結果、それもまたアリなんじゃないって思ったり、逆もしかり、はい、私はちょっと最近、なんかそんなことを考えてますね。
なんか前に感じていたことと、なんかいろいろな経験を経た結果、なんかそれって、やっぱりやってみてもいいのかもとかね、なんかこう一瞬回って、あれっていう感覚が変わるみたいなこともあったりしています。
皆様はいかがでしょうか。はい、今日はですね、朝から諸行無常について考えてみました。最後までお聞きいただきありがとうございました。吉でした。