井戸上さんとの対話、楽しみなんです
山田さん:こんにちは、エールの山田です。この番組は、エール代表の櫻井さんの書籍、『まず、ちゃんと聴く。』の内容を中心に、聴くや伝えるについてざっくばらんに対話しながら深めていこうというポッドキャストです。
では櫻井さん、今回もよろしくお願いします。
櫻井さん:はい、よろしくお願いします。
山田さん:今日はどんな感じになりますかね。
櫻井さん:今日、僕すっごい楽しみなんです。
山田さん:もうニヤニヤしてますもんね、今から。
櫻井さん:本当ね、ですよ。そうなんです。楽しみだなと思って今日は来ております。
山田さん:いろんな問いが浮かんでいる感じが、
櫻井さん:そうですね、問いが浮かんでいるっていうのもあるんですけど、
なんかこう、自分の中で問いにすらなっていないところに、たぶんすごいいろいろ持たれている方だろうなと思っているので、
一緒にこう探求できたら楽しいなと思っております。
山田さん:そうですね。
はい、今回ゲストはですね、サイレントボイスの井戸上勝一さんを招きしております。
お呼びする前に櫻井さん、簡単に何で井戸上さん、今回お呼びしたかったかっていうのをちょっとだけ。
櫻井さん:えっとですね、ある千葉ですよね。千葉のイベントで出会って、本当立ち話で話してたんですけど、
その時に、もともとサイレントボイスさんというお名前というか、
昔一緒にイベントをちょろっとやったこともあったので、頭には入ってたんですけど、
デフの方、聴覚障害の方で事業をやられているという話をお伺いする中で、
僕も聴くっていうことをずっと考えてはいるんですけど、
聴くっていうことから聴覚を取ったらどうなるんだろうっていうことで、
エールってそれこそ視覚情報、体感覚の情報を割と排除して耳だけに集中する事業じゃないですか。
山田さん:そうですね。
櫻井さん:逆に五感の中から聴覚っていうものを抜いたものでコミュニケーションをとっているって、
ここの対比がまずすごく面白いのがまず一つあったの。
もう一個すごい僕の中で仮説として思ったことがあって、
言葉がないとわからないっていう状態にいる時間が長いだろうなって思ったんですよ。
言葉がある人より。
このわからないっていう状態にい続けられないと聴くってうまくできないと実は思っていたことがあって、
やっぱり「僕、古本集めるの好きなんですよね」って言われた時に、
言葉で言われると古本集めるの好きなんだなって理解したつもりになっちゃうんだけど、
本当はその人が言ってる「古本集めるの好きなんですよね」っていうことってわかってないという状態にいた方がやっぱり聴けると思ったりしていて、
こんなところをすごい一緒に話したいなみたいなことを思って、
今日この場にいてもらえたら嬉しいなという、そんなちょっと長くなっちゃいました。
山田さん:ご紹介する前から言いたいことがいっぱいあるかのような。
櫻井さん:この時点で楽しみにしていたことが伝わると思うんですけど。
サイレントボイスの活動
山田さん:ということでお待たせしましたが、ではここからは井戸上さんご一緒にいただければと思います。よろしくお願いします。
井戸上さん:よろしくお願いします。
山田さん:もう早速櫻井さんから思いが溢れている感じがあるんですが、先んじてまずは簡単に自己紹介をいただいてもいいですか。
井戸上さん:はい、サイレントボイスの井戸上と申します。
サイレントボイスの取り組んでいる活動を簡単にまず紹介できたらと思いますが、
私たち一番最初は株式会社サイレントボイスというところから始まっていて、
今はNPO法人も運営していて、2法人で事業をやっています。
活動の領域としては、先ほど櫻井さんからもご紹介あったように、
デフの方々ですね、耳の聴こえないとか聴こえにくい方々の就労の選択肢だったりとか、
教育の選択肢、またはその周囲にいる人たちの認識を変えていくような活動というのを、
教育、就労、社会のこの分野でいろいろと事業をやっています。
具体的に言うと、私が今いるところが大阪なんですけれども、
大阪でデフの子どもを対象とした教育事業、教室を一つ運営しているのと、
なかなか拠点を作っても都市部の子どもしか来れないという社会状況もあったりするので、
やっぱりローカル地域の子どもとか身近に支援のない地域の子どもにはオンラインで、
自宅にいながらも手話であったりとか、その子の一番わかる、伝えやすい手段で
コミュニケーションであったりとか、学習支援を受けられるようなオンラインの教育事業というのをNPOでは展開しています。
株式会社では、逆に聴こえない人たちが働く職場のある種、上司と部下のコミュニケーションの交通整理をしたりだとか、
その人のキャリアのルートを整理したりとか、そういった働きやすさを作っていくためのコンサルティングの事業を展開していたり、
あとは社会の文脈では、やっぱり聴こえない人ってどこか何かができない人だよね、みたいなラベルを張られがちなんですけども、
その側面以上に感覚が違うからこそ、その人だけが気づいている力であったりとか価値観というのが、
もしかしたら誰かの問題解決にも使えるんじゃないのかなっていう発想から、声を一切使わない無言語空間でのコミュニケーション研修事業というのを提供しています。
なので、NPOではある種デザイン的な問題解決をメインでしつつ、株式会社ではアートのような、社会に問いを投げかけるような事業というのを展開しています。
山田さん:ありがとうございます。もうこの時点で僕も聴きたいことがいっぱいある感じですが、
櫻井さんどんな風に進めたい感じされます?
櫻井さん:本当聴きたいというか話したい話がいっぱいあるんですけど、なんかせっかくまずちゃんと聴くラジオって名前なんで、
今井戸上さんが一番関心とか興味が向いているあたりから、お話しいただきながらそこから入っていくのが良さそうかななんていう風に思って、
今お伺いしてたんですけど、どの辺に最近意識が向いてたり、興味関心が向いてたりとか、その辺からお伺いしてみてもいいですか?
コミュニケーションの深さを作っていくヒント
井戸上さん:はい、ありがとうございます。先ほど自己紹介で伝えもれたんですけど、
私自身のバックボーンとして、両親ともに耳の聴こえない当事者だった、デフだったっていう家庭背景があります。
なので生まれた時に一番最初に出会った言語は、見て理解する手話っていう言語でしたし、
後天的に手話を僕は覚えていったりだとか、その中で家族の中にも日本語と手話が共存していたりする中で、
同じ場所にいても両親と全然違うものをイメージしたりする瞬間があったり、
家庭の中のルールマナーと社会にあるルールマナーがとてつもなくギャップを起こしている現象があったりする中で、
結構いろんなものに対して、これって誰が作ったルールなんだっけとか、
これって誰のためのマナー、ルール、または当たり前なんだろうみたいなことを疑問に思う瞬間が自分自身も多くありました。
その中で、今回ね、コミュニケーションというテーマで櫻井さんといろいろとディスカッションさせていただいたりとか、
本を読ませていただく中で、やはりそれぞれの持ってる感覚に立ち返ったときに、
本当に日本語っていう言葉だけで伝わりきれない領域が非常にたくさんあるんじゃないのかなっていう仮説を自分自身も体験の中ですごく持っていて、
そこを取っ払ったときに、相手の頭の中とか体の中にあるイメージとか伝えたいものをどういう方法で掘り当てていくのか、
一緒に掘っていく作業ってどういう風にできるのかなっていうのは日々仕事の中でもそうですし、
自分の分からないみたいなことに出会ったときに常々考えるポイントだなと思って、こういう点は今日いろいろと話できると面白そうだなと思ってました。
櫻井さん:そうすると、なんか日本語という言葉、言語とそれ以外というか、言葉では表現できない部分とか、そこでは現れないものっていうここにギャップがあるよねみたいな話をしてくださったんで、
これ逆にちょっと山田さんに聴いてみたいんですけど、なんか日本語という言語って、山田さん英語は割と堪能な感じだと思うんですけど、
世界共通の英語というものと比べると割と繊細だったりとか微細な部分を表現できる言語な気がしてるんですが、その辺ってどうなんですか。
山田さん:あの、微細さは僕の英語の流暢さ具合によってちょっとわからないんですけど、
櫻井さん:確かにね。
山田さん:よく英語話者と喋るときに僕特徴で一個日本語で言うのって、一人称が違いますよねって話をよくするんですね。
英語って基本的に I とか Me とか一種類、4種類あるけども一個じゃないですか。
日本語って俺なのか私なのか僕なのか私なのかって変わるじゃないですか。
で、それがなんで変わるかっていうと、僕がってこの場で言うのか、俺がってこの場で言うのかって、自分がどうしたいかから始まらなくて、
場に何があってそこに自分がどうしますかっていう、場があって自分が生まれるっていう風に、
自分が後から来るんですよねっていう言語ですよね。
西洋的な、ざっくり雑に言うと西洋的な、私が中心にあるところよりかは、場とか関係が先にあって自分が生まれるっていう言語なんですって言い方は、
一人称から違うんですみたいなことを言ったりするんですよね。
なんか世界の捉え方が違うなっていうのは、英語と日本語でも思うことあるんですよね。
っていうのと、並べた時に井戸上さんがおっしゃってた、手話だったりとか非言語になったっていう時って、
また本当に違う世界の捉え方なんだろうなっていうことはすごい聴きながら想像してました。
櫻井さん:この差分って、今はさっきので言うと日本語という言語との差分の話をしてくださったんですけど、
短くは言えないというか、とは思うんですけど、
どの辺切り口に話していくと面白いというか、理解が進むとか、
井戸上さんの今持っている問いに触れられそうな感じがあったりしますか。
井戸上さん:少し僕の体験を話させてもらいながら、一緒に探れたらなと思うんですけど、
うちの職員って大体半数近くがデフのメンバーがいるので、
会社の中でもやはり日本語で伝えても同じようにイメージできない場面が多くあったりとか、
逆に相手の日本語で表現される文章を見て、感情を100%そこから読み取れるかっていうと、
そうじゃない場面がどうしてもあるっていう。
この現象は僕の家庭内でもよく起きてたんですよ。
父親の頭の中は日本、手話っていう言語で物事を考えているので、
ある種、記号的というよりかは映像的に物を見ているんですよね。
イメージで記憶をして、そのイメージを表現するっていう。
なので逆に日本語が第二言語だったりするので、
LINEとかでテキストのメッセージのやり取りをすると、
どうしても僕にとっては外国人の片言のような文章に見えてしまうシーンがある。
そこには父親っていう人格がどれぐらい表出されているのかなって思うと、
本当に20%から30%ぐらいの父親の人格像しかそこには表れてないと。
なるほど。
で、わからないタイミングで、僕はそのビデオチャットで、
動画で、手話で話を始めるんですけど、
そこで見た父親の手話で表現する情報量との差がすごく大きいですし。
櫻井さん:なるほど。
第一言語で表現してくれるとよくわかるんだけど、
第二言語で表現されるとちょっと伝わってこないっていう。
井戸上さん:そうですそうです。
なので日本語だけを読み取ってしまうとすごく怒っているんじゃないかとか、
何か命令的だなみたいなことを感じる瞬間があるんですけど、
そこに本質は本当はなかったりしてて、
でもこういう現象ってある意味聴こえる人同士または日本人同士でも
往々にして起きてるよなっていうのをちょっと思う瞬間があるんですよね。
コミュニケーションっていう言葉一つ取っても、
そこからイメージするそれぞれの経験であったりとか、
いい状態とかって全然違うと思うんですよ。
それは何を正として議論するのかっていうところが非常に難しいなっていうのが日々感じている中で、
相手の本当に真にあるメッセージみたいなものを、
日本語っていうツールだけじゃない方法でどういうふうに探っていけるのかなっていう、
ここにコミュニケーションの深さを作っていくヒントがある気がしていて、
この辺りは櫻井さんの書籍の中でも、
やり方の非言語の領域で触れられていた部分だったりとか、
もしくはそのあり方だったりとか、コンディションっていう、
その波とかによっても、もしかしたら見え方が違ったりするのかもしれないですけども、
言語がない空間の中で相手のイメージをどう引っ張ってくるのかっていう、
この辺り、何かお話できるといいのかなと思ったりしました。
相手を理解するパーセンテージを高めていく手段が「聴く」
櫻井さん:本当そうだな、言葉という便利なものを生み出したが故に、
言葉で全部表現しようと努力するし、
なんか表現されていると思い込んでいるっていうか、
いう世界になんかみんないる感じがするんだけど、
やっぱそこには自分が感じていることとか自分がイメージしているものは表現できていない。
言語だけでも多分そうだと思うんですけど、
それをお互い第一言語で話してるから理解してると思ってるんだけど、
違う世界があるんだっていう。
山田さんもだいぶ、なんか脳が動いてそうな顔をしてきた気がするんですけど。
山田さん:エールのサービスにおけるセッションって画面ないじゃないですか。
音声だけでやり取りするじゃないですかっていうのって、
どちらかというと言語情報に意識いきやすい構造ですよねって気はするんですけど、
とはいえ櫻井さん、でもむしろ本で書いていることもそうだし、
聴くということにおいて、
非言語のあり方とかコミュニケーションの作法みたいなことすごい気にされるじゃないですかっていうのが、
むしろその音声だからゆえの非言語みたいなことがサービスでめっちゃ大事だし、
体験としてもプレイヤー、聴いてもらう方も聴く側も大事だって言ってるじゃないですかっていうことが、
なんか一見違うレイヤーで語ってるように見えてすごく似てること語ってるなっていう感じがしていて、
何だろうって整理がついてなかった。
櫻井さん:なんかこれなんだろう、
相手のことを理解できたなっていうのってどういうふうになんか受け取れる、
言葉があると割とこういうことで合ってるみたいなことを言って確認をしたりとか、
8割ぐらい理解できた気がするなっていうのってつかみやすい気がするんですけど、
言葉がない中でその相手のことを理解できたな、理解できないもんだという前提に立ってるのかっていう話とかもあると思うんですけど、
その辺でどういう感じなんですか。
井戸上さん:すごい僕の感覚であり持論にはなるんですけど、
大前提、相手のことを100%理解できないっていう前提に立つからこそできるコミュニケーションがあるんじゃないかなっていうふうに思っています。
そのパーセンテージをどれぐらい高めていけるのかっていうために聴くっていう手段があるのかなと思っていて、
理解できたかどうかのジャッジメント自体も本当に自分の判断基準でしかないのかなとは思うんですけども、
やはり相手のことを自分なりに肯定できたかっていうことが僕の中では理解できたのポイントでもあるのかなと思っていて、
おそらく相手の求めていることを100%受け取りましたってどこまで行っても絶対できないと思ってるんですよ。
今の職場のメンバー、また家族との体験の中で、してきている経験が明らかに違う中で、
異なる文化みたいなのがそこで育っていて、青いリンゴしか見たことない人がリンゴは赤いものなんだって言われたとしても、
同じ受け止め方ってどうしても難しいと思うんですよね。そういう違いがあるんだっていうことを肯定できた瞬間に、
ある種お互いのコミュニケーションの土台自体はできたって言ってもいいんじゃないかなと思っているんですよ。
ただ、そのパーセンテージを高めていく手段の中で、やはり伝える情報、また受け取る情報の中にも濃度みたいなものはあるなっていうふうに思うんですよ。
例えば、テキストのメッセージよりも写真の方が情報量多いですし、写真よりも映像の方が情報量多い。
これは容量の大きさとも比例すると思うんですけど、これって伝わる濃度の濃さとも言えるのかなと思った時に、
手話っていう言語にはある種、その写真的な情報量の多さがあるからこそ、その言葉には載ってない感情的な部分までそこから見えてきたりだとか、
あとは僕の父親は実は視覚障害もある盲ろう者でして、夜になると全くものが見えなくなったりとか、
あとは視野狭窄って言って特定の範囲しかものが見えないんですけど、そうなると触手話って言って手で触るコミュニケーションするんですよ。
手を触って手話を理解するっていう。
これってある種手話以上の情報量がそこにあって、ちょっとした手のピクピクだったりとか、そこの温度感とかによって、
実は手話ではこう言ってるけど、ホンマの気持ちこうなんじゃないかなみたいなことを推測する自分がいたりとか、逆に父親からもそういう疑問を持つ瞬間とかもあったり、
ここって表には出てない、うちにあるものをすごい引き出してるというか、見せてもらってるようなコミュニケーションだなと思っているんですよね。
なので音声の方、言語が使えるが故にその領域まで見に行けてなかったり気づけてない余白みたいなのがすごく社会の中に多い感じは個人的にはします。
無言語ワークショップで体感した情報量
櫻井さん:なんか大人になってから親の手触ることとかないじゃないですか。
なんかそれだけでもすごい多分情報量が違うんだろうなって思うっていうか。
で、なんかそれを思いまして、この前サイレントボイスさんの無言語のワークショップをエールのフルタイムのメンバーを中心にやってもらったんですよね。
その時に井戸上さんもそうなんですけど、デフの方1人とサイレントボイスさんのワークショップをファシリテーションしてくれる方が2人いたんですけど、
2人ともねやっぱね喋ってる時の身振り手振り表情筋の柔らかさとかすごいんですよ。
多分言葉を中心にしていたらこんなに多分体が豊かに柔軟に動かないだろうなっていう動きをされているのが、
結果的にそっちの方が表現力が豊かで、こっちの受け手としての情報量がすごい多いなっていうのは、
さっきの手話だからこそピクチャーとして動画として受け取れるみたいな話と多分すごいそれをこの前体感したなというふうに思って聴いてました。
井戸上さん:昔チャップリンが自分の表現のレベルを上げるためにつけたコーチがデフの人だったみたいな話とかもあったりしてて、
人に伝えるっていう上である種その手話的な映像で何かを伝えていくっていう観点が非常にその時代でも求められてたんだなっていうのは面白い話だなと思いながら聴いてました。
櫻井さん:あっという間に20分ですよ、山田さん。
山田さん:ちょっといろいろまだいい問いを見つけたらまたいくらでもいけそうな感じがするので、
ちょっとじゃあ、後編何から始めるかちょっとだけ間を置いて考えながら次またちょっと進められると思います。前半一旦ではここまでにしましょうか。
はい。
では後編もよろしくお願いします。ありがとうございました。
井戸上さん:ありがとうございました。