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2024-10-22 31:28

vol.16 辻 正太さん(後編)「誰かに何かをしてあげよう」を手放すと

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FC今治高校里山校では、「主体性・多様性」と同じくらい、「エラー&ラーン」(失敗する&学ぶ)が合言葉だそう。「この子が勝手に育つんだ」と、子どもたちを導くことをお互いに必死に止め合ってきたという先生と生徒の対等な半年間の中から、いま、意外な変化が生まれているといいます。「誰かに何かをしてあげよう」を手放すことで起き始めているという、「挑戦の好循環」とは?

 

◎お話の最後に出てくる、岡田史学園長と武井浩三さんによる

2024年10月27日(日)の学校説明会(東京開催)詳細はこちらです

*FC今治高校里山校

https://fcihs-satoyama.ed.jp/

*辻  正太さん

2024年4月開校のFC今治高校里山校、初代校長。(株)まちなかキャンパス 代表取締役。奈良県吉野町出身。西大和→東大ア式→体育教師11年。青森県弘前市にてコラーニングスペースHLS弘前、cottoを創業。愛媛、青森、東京の3拠点生活中。

https://twitter.com/shotaHLS

 

サマリー

このエピソードでは、辻正太さんが聴くことの重要性や教育の場における参加型の発表スタイルを考察しています。また、主体性や多様性のバランスが教育コミュニティの形成に与える影響についても議論を深めています。彼は教師としての経験を通じて、主体性や多様性を重視する教育の在り方を探求しています。そして、生徒と教師の対等な関係の重要性や、失敗を糧に学ぶ姿勢について深く考察しています。辻正太さんは自身の体験や感想を通じて、教育や自己成長に関する洞察を語り、今後の募集やイベントについての情報を提供しています。

聴くことの重要性
こんにちは、エールの山田です。この番組は、エール代表の櫻井さんの書籍、『まずちゃんと聴く。』の内容を中心に、聴くや伝えるについてざっくばらんに対話しながら含めていこうというポッドキャストです。
前回に引き続き、ゲストの辻さんを交えて、櫻井さんと3人でお送りしていきます。では、お二人ともよろしくお願いします。
よろしくお願いしまーす。
後半、何しようかという話を、僕ら今直前でしている中で、せっかくなので、辻さんに今回お越しいただいている中で、最近ご関心があることだったりとか、
何か考えていらっしゃることの中で、答えがなくても一緒に話してみたらいいことがあるかなという感じで、ちょっとばくっとご相談していた中で、
何か一つテーマがありそうだったので、簡単に辻さんそこの、最近の考えていらっしゃることからお話しいただいてもいいですか。
ありがとうございます。
学校の特徴として、ただ聴いているだけではなく、先生の授業をただ聴いているだけじゃなくて、子どもたちが結構話す、何かを発表するみたいな、そういう瞬間も多い中で、
それをよく僕も授業に入ってみているんですけども、今の関心事としては、子どもたちは本当に話すのを、全員ではないですけど上手だし、そこまで深く考えているのかということを、
今回のお遍路の発表会とかもあったんですけど、イオンモールのエスカレーターの下の広場みたいなところで誰でも入れるところで、
堂々と話をするとかって本当にすごいなって、つくづく思ってはいるんですけど、一方で、教室の中でそういうタイミングがあったり、あるいはゲストの先生が、ゲストの講師が来てくれているときに、
聴く側としてどうなんだろうなって思う瞬間がちょいちょいあるんですね。話したい、自分が話したいとか、伝えたいという思いはあふれているんだけど、その前提となる何か相手が言っていることを聴くみたいなところが、いまいちもったいないなと思うときがあったりして、
例えば、5チームぐらい分かれて、どっかのチームが発表しているときに、自分たちの議論をまだ続けているとか、聴いていなかったりとか、誰かが発表しているので、もちろんその発表の内容自体もすごい自分にとってプラスになるし、かつその人の問いをどう深めてあげようみたいな聴き方って、
すごい僕ら職業柄そうなのかもしれませんけど、大事だな、って、いまそこがまだできていないポイントかなと思っていて、そこが変化をすると、よりまた話す側になったときに、さらにいいプレゼンテーションをするようになったり、いろんな人を巻き込めるようになるんだろうなと思うので、
そのあたりのオーディエンスとしての質とか、聴く側の質みたいなところが、いまのちょっと喫緊の課題感というか、どう伝えていったらいいんだろうっていうのを悩んでいるところですね。
お前ら聴けよっていうのも違いますしね、もちろん。そういうことじゃないですもんね。
なんかよく授業とかも、授業に寝てる子がいて、うちは授業に寝てる子がいても一切起こさないし、ゲームやってる子がいても止めないし、何か食べだしても止めないんですけど、他者の学びを妨げる以外は別に何してもいいということになってはいるんですけど、
でもよくあるじゃないですか、先生の授業がつまんないから寝るんですよみたいな話とかある中で、失礼だからちゃんと聴きなさいみたいなのはちょっと本質ではないなと思っていて、
でもそこの聴くっていう部分が変わったらもっといろいろ変わるところあるのになーって思いながら我慢してます。昔の体育教師時代の血がフツフツとなるのを必死で抑えて。笑
主体性と多様性のバランス
それは先ほど言ってくださった、発表している側の問いを深めるみたいなところの話と、どうあれものすごく考えた人の発表を聴くことでこっちも何か学ぶことがあるじゃないっていう話もあるし、
他にあるとすると、場全体の空気の話、そのチームがそれを議論していることによって場全体の学びが損なわれるみたいな話もあるかもしれないですね。どの辺に辻さんとしての意識が向いてるっていうか、課題感って言っていいのかわからないですけど。
そうですね。全部あるな、今言っていただいたこと全部あるなと思っていて、一番は真ん中の自分にとってもこの聴いてる時間っていうのは学びなんだよっていう、相手がもしかしたら自分たちほど考えられてないとか、全然ちょっと切り口が違うとかあるかもしれないけど、そんなふうに考えたんだっていうことを一回入れてみるということが、
さっきの多様性の話じゃないですけど、いろんな考え方を知るということも含めて大事だなと思ってるんですが、そこに興味関心があまりないと、結果的に本当に多様性とか共助のコミュニティ、いろんな人を巻き込みながら地味にでも社会を変えていくみたいなところで、
そういう自分の発信はするけど、本当のみんなが考えてる思いとかに目を向けられなかったら、そういうことできないんじゃないかなみたいな、単純に相手はすごい喋るとき嫌な気持ちになるよねみたいな、単純にそこもあるんですけど、でも僕の授業でも目の前で突然お弁当食べ始めたりとかあるんで、
おわーってやっぱり一回、一回来るのは。
一回ね、一回ね。
でもそこから、いやいやまあこれはいろんな思いがあってそうしてるんだなって一回おちつけているんですけど、はい、まあなんかいろいろいろいろいろ考えますね。
なんかちょっと自分に照らし合わせて考えると、これもしかしたらサッカーとかで考えてスポーツとかで考えた方が分かりやすいのかもしれないんですけど、僕は高校生の頃とか大学生の頃って、なんていうのかな、なんか自分、すごい自分中心だっただろうなって今思うと思う。
というか、なんか自分が考え抜いたことがやっぱりいいことだしすごいことだって、なんかどこかで思いたいみたいなことってどっかにあったのかもしれないなって自分のことを思い返すと思っていて、
なんかその、なんていうのかな、だんだん人間としてこう多少は成熟をして来る中で、この場にとってどういう振る舞いがいいんだろうとか、この発表している人にとってどういう問いを投げかけたら、
投げるっていうのも失礼だけど、投げかけることがこの人にとってすごくいい時間になるだろうっていうことに思いを馳せれたのって結構年取ってからだなっていうふうに僕はちょっと思っちゃったりしたんですけど、この辺ってどうですか、お二人。
同級生が3人していま頷いてましたね。
確かに同級生だった、そうそうそう。
なんかでもそのずっと今日おっしゃってる共助のコミュニティっていうのってすごく双方向じゃないですか、やっぱり互いにっていうことがすごく含まれた上で人と関係をつくるっていうことだったときに、
主体性と多様性って前回もおっしゃっていただいた、私の主体性を発揮する話と共に何かをするとか相手のためにっていうのって、
一定の成熟度というか円熟みというか、あったほうがよりやりやすくなったな自分はっていうのは櫻井さんのお話聴いて確かに思ったんですけど、
そこって高校生に伝えようとしたりとか、実際に目の前で見てたりするとどう感じるんですか。
なんか辻さん考えてる間にちょっと僕多分今山田さんが言おうとしてくれたことを多分言おうとしたんだなというふうに思って、
なんかその主体性を、いや逆だな、多様性を大切にしすぎると主体性が出せない人間になっていきそうだなっていうのは肌感としてあって、
それだったら主体性で突き抜けてもらって、多様性無視でいってくれた方が後でバランスが取れるんじゃないかなみたいなことを、
どっかで多分自分の体感覚として思ってるような気がしてて、だからそれはステップ論の話なのか、でも時代が変わってるからもしかして順番変わってるよっていう話なのか、
それともバランスよくやれるじゃんっていう話なのか、その辺のなんか順番なのかステップなのか、
みたいなところってどう考えるといいのかなみたいなことを考えたいんだなっていうふうに。
いや、まずは伝えたい自分を持つというか、ちょっと前に講談社の方々に編集力養成講座っていうのやってもらって、
教育の未来への提言
2回目この間ちょうどあったんですけど、1回目の時にまずは伝えたい自分を持つ、
そして相手に伝わる工夫をする、そして伝わった相手と何かを変えていく、みたいなこの3つのプロセスだねみたいな、
それが編集力だと思うみたいなことを編集長がおっしゃっていて、それすごくしっくりきたんですけど、
まずはやっぱり誰か巻き込むとか多様性とかの前にまずは自分をちゃんと持ってないと、
結局そこの判断軸がないと誰に巻き込まれていくかとか、その辺りも難しいのかなっていう気はしていて、
僕はちょっと話ちょっと変わっちゃいますけど、結構誰にも支配されたくないみたいなベースが、
僕もともと先生になった理由もそうだったっていうのを小さい頃そう思ったことをすごく認識していて、
誰にも支配されたくないっていうのが強いからこそ誰のことも支配したくない、みんなそうだよねって思っているというのが僕のベースにはあるんですけど、
なのでまずは誰にも支配されない自分をしっかり持つということはありつつ、
一方で、でもその大枠の方向性が違わない、この船を向こうの岸まで漕いでいくっていうゴールが同じ時に、
別に自分はそこに乗るだけでよければというか、そこをちゃんとサポートして後押ししていれば大丈夫だと思えれば、無理に自分を出す必要はないなと思いますし、
一方で僕はちょっと苦手なのは、苦手というか苦手なタイプはというか、ゴール一緒でみんなであそこのゴールに向かう俺と同じ船乗ってるのに、
俺この船ゆすれるぜって船をゆする人がやっぱり苦手、僕は苦手だし、なんかそういう人は育てたくないというか、そういうふうになってほしくないっていうのがあるんですね。
ちょっと話がずれちゃってるかもしれないんですけど、なので、多様性意識しすぎると自分を出せないかもみたいなところでいくと、まずはやっぱり自分、確かに自分の軸というか、自分というものはあった方がいいだろうなと思いつつ、
それを状況に合わせてちゃんと出すか出さないかを含めて、その場に応じてフィットしていける人っていうのが、この共助のコミュニティを前面にも立てるし、
後ろにも下がれるしっていう感じでやっていける人になるのかなと、そういう人をイメージしながらこの共助のコミュニティのキャプテンっていうのをいつも考えてるという感じですね。
なんかむちゃくちゃレベル高いことをしてるなっていうことを思ったんです。
例えばこういう課題を、今までってどういうふうにFCIでは解いてきた、例えばその問いを辻さんが持っている、先生方でも話して、先生としてもみんな同じような課題を持っているっていうときに、
その課題を子どもたちに渡して、そこで話してもらうみたいなことをするのか、それともなんかそこに対する構造的なちょっと仕掛けを入れて、そうではない状態に少しずつ変わっていくっていう構造や仕組みをちょっと作りにいくみたいな感じなのか、なんかどういうふうに学校としては解いていったりするんですか。
主体性と多様性の重視
それでいくとですね、学校としては主体性・多様性と同じぐらい、エラー&ラーンっていう言葉をずっと使って、失敗するのエラーとラーン、学ぶのエラー&ラーンという言葉をもう本当に合言葉のように使っていて、
それは岡田さんの結構大きな思いも入ってはいるんですけども、これだけAIが発達してきて何が本当か分からないみたいな状況が生まれている、そしてこの大きな環境問題というか気候変動も起きて、
何だろう、どこどこで今洪水が起きてるとか、今までそんなことがなかった時に洪水が起きてるとか、今まででも台風が1回通過してまた戻ってくるみたいなことが起きたりとか、そんなことが起きてる中で何が本当か分からないし過去のデータも使えないみたいなときに、まずやってみないともう分かんないよねっていうのが今、合言葉というか、そういう本当に気持ちを持っていて。
なので、いろんな問いが出てきたりしたときも、もちろんそれを深く考えて、どうやってそこにどこに落とし込んでいこうかみたいなことをもちろん並行して考えて、それを学校のアイデンティティというか学校の大きなポリシーみたいなものに反映させようとはしつつ、走りながら考えている学校なので、とりあえずやってみるぶつけてみるっていうほうが近いですね。
なので、結構子どもたちに対して、ごめんこっちが間違ってたと思う、間違ってたっていうか、僕らの考えが違ったと思うみたいな場面っていうのも結構、なんかその自分たちの失敗をコーチも認めるっていうところを結構今大事にしながらやってますね。
前回から伺ってて思ってたんですけど、さっき辻さんが自分の授業で目の前で弁当を食べられてびっくりしたみたいなのとか含めて、先生と生徒の関係みたいなことも、多分11年やられた前の高校と全然違うと思うんですけど、どんな違いを実感されてるんですか?
さっき言ったように、もともとベースとしては誰にも支配されたくないっていう感覚はお互いに持っている、お互いっていうか自分が持っているので、それを相手にも、相手のことを支配したくないっていうのは僕自身は変わらないんですけど、ただ、本当の意味で対等にやられてたかっていうと、やっぱり前の学校にいたときは若かったのもありますし、
あとはその環境として、若い、体も小さい体育教師が、その中で高校3年生とかを相手にやっていく中で、結構力が必要だったみたいなこともあって、弱いのがキャンキャン吠えるみたいな、自分で言うのも恥ずかしいですけど、やっぱりそんなところがあったなとは思っていて、
で、どっか子どもたちの限界を勝手に決めていた、この子たちはたぶんここまで来るだろうとか、すごいわかりやすいものに行くと東大に合格するのはここまでかなみたいなわかりやすいことで言うと、そういうのってやっぱりこっちが決めてしまうと、無意識にもう設定してしまうとそこを越えてくることがなくなってしまう。
多分それはもうコミュニケーションが全部そういう前提に立ってしまってるんだろうなと思っていて、それに10年ぐらいやって、本当当時の子たちには申し訳なかったですけど、やっと気づいて、そこから生徒も先生も学び合うっていうところに考えがシフトして、で、今やっている学校はですね、本当に本当の意味で対等、先生も生徒も、コーチと生徒は対等で、これは教員同士もですね、コーチ同士も、
僕は一応記号としての校長というものをつけてますけども、基本的には子どもたちは僕のことしょうちゃんと呼びますし、しょうちゃんとかつじさんって子どもたちも呼びますし、入ってきて職員室じゃない、校長室で弁当食いだしたりとか、みんなでわいわい言ってやったりもするので、それはわかりやすい見た目の部分だけですけども、それ以外の部分でも本当に対等な人間だと思っているので、
なので全然考えが詰まってないなと思ったら、それを高校生だからといって緩くもしないですし、っていうところで結構対等にやれて、僕らがてっぺんを決めなければもう勝手にどんどんいくんだなっていうのを、もう今この半年で実感しているので、
もうその子を値踏みするとかその子の能力をこのぐらいだなって考えること自体をもう今本当に捨てたという感じですね。
教師と生徒の対等な関係
なんか、せっかくなんでこれ多分学生の皆さんも聴いてるんじゃないかなと思うんですけど、今、つじさんの一番こう悩んでることとか、なんかこうどうしよっかなとか思ってたり、自分の中で葛藤を抱えてることみたいなのってちょっとこれだけの新しいことをされてたら色々あると思うんですけど、
どんなことがあるのかなってちょっと最後聴いてみたいなと思っちゃったんですけど聴いてもいいですか。
ありがとうございます。
いやもう、ありすぎてどれを時間にこういうのが今後の自分の学校での過ごしやすさも含めてあるのか分かると思うんですけど。
そうですね、直感的に降りてきたものだけ、というか、を優先すると、まずは全く新しいことを今やっていると思っているので、本当に正解が何か分からない中走っているというところで、
あとゴールもすごい大きな絵は描いてはいるものの、そこに近づけているのかどうかも分かんないまま走っているので、なんかみんなすごいねすごいねとすごいチャレンジをしてると言ってくれるのは、いうものの格好付けで本当にそれで大丈夫なんですかって心の声も聴こえてくる。
なので改めて自信を持ってここで突き進んでいくんだというふうにことあるごとに思いたいけど、そこはやっぱ微妙な気持ちになることはまだまだありますよっていうのが、何か誰かに別に褒めてほしいわけでもないし、なんかお墨付きほしいわけじゃないけどそこはちょっと心配と。
なんかチャイムが。大丈夫ですよ。チャイムもまたいい演出な気がするので。なんかちょっと僕、自分としてヒントが欲しくて伺うんですけど、それ常に分かんない中で進んでいるじゃないですか。
本当お墨付きが欲しいわけでも何か正解が欲しいわけでもないんだけど、でもどこか自分の中に確信を持って進まないと進んでいかないみたいなところが、僕も代表という立場なんでどっかにある気がしていて、その確信みたいなものってなんかどこから生まれてくることが多いってあります?
これ僕が自分自身ヒントが欲しくてちょっと聴くんですけど。
そうですね。
なんか、これは僕はちょっとこの振り返るっていうのがめちゃくちゃ苦手だという、自分の特徴というか特性も大いに影響してるかもしれないんですが、
とにかくやり続ける、現場でやり続けるみたいなことからしかそこっていられないなと思って、やっぱ今の一番の自分がちょっとホッとできる瞬間とかが間違ってないかもしれないと思う瞬間は、
この間のお遍路はまさにそうでしたけど、子どもたちがぐいっとこう変わった瞬間をやっぱり成長した瞬間だったりなんかもう明らかに顔つきが変わったりみたいなことを間近で見る。
自分自身の成長とかを感じる瞬間ってあんまりなかなかないですけど、子どもたちの分かりやすい成長を見た時っていうのは、ちょっとだけ確信が深まっていくみたいな感じはありますかね。
深く考え抜いて考え抜いて、なんかポッと出てくるみたいな経験って僕あんまりしたことがないので、動き回ってたら、あ、もしかしたらみたいなところですかね。答えになってるかわかんないですけど。
めちゃくちゃありがたい。なるほどな。
この辺なんかちょっとソースっぽい話に触れてそうなんですけど、山田さんなんかもしあればと思いながら今聴いてたんですけど。
ソース原理っぽい話とは違うところで、僕、辻さんに今のお伺いしながら最後聴いてみたくなったことがあって、
人が変わるって、変えることはできなくて変わるんだっていうものだと思っていますっていう上で、なんかこの人変わったなとか顔つき変わったなっていうのって、見てると確かに実感する瞬間ってあるなって思うんですけど、
あ、なんかどんな瞬間にどんなことをなんか感じるのが本当にこの人変わったなっていうのって、たぶん辻さんご経験としてたくさん特に高校生とか見られてる中で、どの瞬間に変わったってすごい感じるような気がしますか。
そうですね、この半年振り返って特に思うのは、
僕も含めみんな不安な中で動いてることばっかりだし、今はもうその何が正解か分からない中でやってると思いつつ、
何かこうちょっと大変なこととかも含めて乗り越えた時に、
失敗からの学び
あ、自分の言葉で喋ってるなって、この子は誰かに借りた言葉じゃなくて、今自分の言葉で自分の深いところから出てきてる言葉を喋ってるなって思った瞬間がやっぱり、
子どもたちって大人が喜びそうな正解を探して伝えるっていうことが往々にしてあるし、いろんなところでそれが行われてるし、そういうのが評価されちゃう世の中ではあるんですけど、
そうじゃなくて、自分の中から出てきた言葉を今言ったな、みたいな時が感じる時ですかね。
櫻井さんめっちゃうなずいてましたけど。
いやーなんかすごい深い言葉だなと思って伺っていったのと、ちょっともう一個だけ質問重ねていいですか。
いや、今回そのエールで学生の皆さんにね、サポートというかエールさせてもらってるんですけど、その前に辻さん、前回前半で言ってくれた、
先生になる、当時はまだ先生の前、学校4月の前だったんで、これから先生になる皆さんにも3カ月エールを受けていただいたんですけど、
なんか先生自身も皆さん初めての経験をほとんどされてるじゃないですか。
この皆さんの変化とかも、最後ちょっと聴けるとすごく嬉しいなというふうに思う。辻さん自身の変化もあるかもしれないし、
4月から皆さん来られた先生方の変化とか、なんかそういうところちょっと聴いてみたいなって思ったんですけど。
ありがとうございます。採用の基準として何かチャレンジをし続けている、その生徒にやれやれ言うだけじゃなくて、自分がとにかく動いているっていうことはすごく大事にして採用はとりあえずしたんですが、
やっぱり先生ってやっぱ、あくまでもザ先生って人がやっぱ多いので、自分の力で何かを変えてあげたとか、自分が救ってあげたとか、
この子を導いてあげたみたいな喜びを感じる人が多いし、それは本当に良かれと思って、実際にそれでいい思いをできる子どもたちもいっぱいいるんですけど、
でもそれってもしかしたら本当に成長の機会を奪っちゃったかもしれないし、もっとできたかもしれない、さっきの上限をこっちで決めないっていうところも近いんですけど、
というところでいくと、とにかく行くなと、止め続けてきたんですよ、この半年。お互い止め合ってきたと。
僕がこの子の人生をどうこうとかじゃない、この子が勝手に育つんだよっていうのを、みんな本当にすごい苦しんでました。
行きたくなるから。でもそれをみんなで必死で止め合って、そうしているうちに見えてきたことは、自分たちが成長、子どもたちにグイグイグイグイみたいなのじゃなくなってきた中で、
改めて対等に自分たちもよりチャレンジしようという動きが出始めてきたというか、例えばですけど、先生の中に起業したいっていうのがちょこちょこ出てきたりとか、
やりたいことが、自分でやりたいことがますます明確になってきてですね、子どもたちに何かをしようとかから一歩手放して、
辻正太さんの体験と感想
それは別にでも、だからといって自分だけにベクトルが向いているという意味では全然ないんですけど、そういう意味で手放す、誰かに何かをしてあげようを、手放すことで、
対等に自分もチャレンジをし続ける環境が、挑戦の好循環が回るみたいなことが起き始めているのかもなと、今感じているところです。
すごい。ちょっと感動する。すごいな。
いや、この話だけであと1時間聴きたいところなんですけれども。
もう時間ですか? 時間きちゃいました?
もちろんもちろん、だいぶ時間を超過してきているところなんですが、櫻井さんなんか、前半後半お話をうかがってて。
いや、ちょっともう最高に楽しかったんで、今度今治で飲みながらまた続きを聴かせていただきたいなと思っております。
辻さんも最後、前半後半いろいろとお話を伺って、していただきましたが、何か実際お話いただいてみて、どんなご感想だったか一言お伺いしてもいいですか。
ありがとうございます。今日この時間を迎えるまでに多分考えていなかったことを、もう本当にグイグイ引き出されたんだろうなと思ってて。
これはもういつもそうです。山田さんとも櫻井さんとも両方ですけど、何かお二人と話したら、何か全部知らないうちにいろいろ話しちゃってたんだよな、みたいな。
で、エールさんのサービスを体験して、あ、そういうことだったのか、みたいな気づきが起ききて。いや、恐ろしいな、全部喋らされちゃうなって思いました。ありがとうございます。
ありがとうございます。何か最後に、せっかくなので聴いている方に何かご案内したいこととかお伝えしたいこととか、何か終わりだったりしますか。
ありがとうございます。今、2期生の募集、今80名迎えるにあたって、来年の2025年4月の入学生を今集めるために、いろいろ活動してます。
ホームページにもいろいろ情報が出てるんですが、ちょうど10月27日の日曜日、多分この放送の後ぐらいですかね。
27日日曜日に東京の羽田空港の近くの会場で、岡田さんも一緒に行って、このファミリーでもある武井浩三さんと岡田さんの対談をしつつ、
学校の説明をやる機会があるので、もしよかったら遊びに来てください。以上です。
これ何か公開するのが27日に近いと、行きたくても行けなかったみたいな人がいるかもしれないと思うんですけど、
この先の募集ってどんなふうにされていくとか、何かあったりされるんですか。
この先も説明会自体はオンラインも含めてですね、いろんな場があったり、
ここの放送よりも2ヶ月後ぐらいには、1ヶ月半後ぐらいになりますけど、12月の6から8ぐらいで東京でイベントに登壇とかもあるので、
そのあたりもまたどんどん情報出ていくと思います。
楽しみですね。僕も選考に2日間立ち会わせていただいたんですけど、そこでの学生の、そこに行くだけでも多分すごく刺激になると思う。
そこに親が無理やり子どもをそこに送り込むっていうのがいいのかどうなのか、また主体性の話とかあるんですけど、
ご興味がある親御さんなりお子さんに何か、私のうちの子どももこういうところあってるかも、
今日この前編後編聴いてあってるかも、みたいなことを思った方はちょっとだけ触れてみたりしてもらえるといいのかなと思いました。
ということで、前半後半に渡りまして辻さんにご一緒いただきました。
辻さんどうもありがとうございました。
ありがとうございました。
31:28

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