ことごとくエンプロイーとして雇っておきながら主体性を持てって言っている、この主っていうのは本来は自分と繋がってるから主人公感覚を持って仕事をするっていう主体性なはずなのに、エンプロイーに主体性を持てって言ってる、ので何が起こるかっていうと、主体性に見える行動を取らないとお金払わないよ、ってことになっていて、結局はコントロールのパラダイム
…というエンプロイーをやりなさいっていうこと、主体性を持って動いてる風のエンプロイーをやりなさいと、コントロールをしたいということ
そうそうそう。そんな世界観が目的のためにいかに高度に働かせるかっていう、させる向きのパラダイムなのか、縁があって同じ目的に共鳴がする人たちが中まで集まっていて、本来そこ共鳴してるんだったら勝手に動くぐらいの可能性あるでしょうみたいな、そういう信じてるパラダイムとっていう
根源的な意図が、コントロールパラダイムがある中で、1on1っていうツールは使えるねっていう話なのか、そもそも自分らしくあれって当然だから1on1はやって当然だよね、使えるからのハウトゥーでいくっていう、そもそもがもう、意図がコントロールのパラダイムにはまっているので
っていう、そんな感じで聴けた感じが。
なんかその時にひるがえって、エールという組織がどうあらないといけないかなーみたいなことを最近感じてたのは、でも人事の人たちは人事の人たちで、やっぱこれまで培ってきた背景や文脈があったり、いたしかたない多分何か構造があって、
まあそう、なんていうのかな、コントロールしたいという気持ちが生まれてくるんだけど、でもその内側には、なんか本当は今言った主体的に人が生きていくとか働いていくということを望んでいる、多分、部分も大いに多分あるから多分この話になっていて、
そこを僕たちが本当に丁寧に聴くっていうことと、そのさっきの言葉を借りると、その人たちが野生動物になっていくっていうことを、なんか少しでも支援ができたりとかサポートできたりするようなあり方をエールという会社自体がしないと、
結局同じ相似形のものが、その顧客の人事とエールという感じで、あいつらわかってないみたいなことを僕たちが言った瞬間に、また同じ構造が起きちゃうなみたいなことを最近すごく思っていて、だからこそ僕たち自身が聴くっていうこと、あり方をしていくっていうことが、体現するってことが非常に大事だよなって思ってたんですよ。
その人事の人たち自体の今やってることに対する肯定的意図を掘り起こして、で、違う選択肢が実はありますよねとかかもしれないし、それで魂の野生動物が現れたとしたらやめていってしまって、そもそも問題が起こるから、さらに上司から絶対言われちゃうよとかっていう話に対して、いやいやそんなことないですよ、
ただ、メカニズムとしては相当違うので、それは理解してほしいけど、別にカオスになることも、なんか破壊的な方向に行くこともないですよっていうあたりの、もうちょっと深いコミュニケーションが、多分、毛嫌いされちゃう可能性はありますよね。
一つ違うところで今聴きながら思っていたのは、エールのサービスも変わってるじゃないですか、この10年経ってる中で、昔は1on1って言葉がなかったりとか、聴くっていう言葉に焦点を合わせる前とかだと、もっとこう自己理解とかセルフアウェアネスみたいなことをすごいより伝えようとしてたのがあったなって思っていて、
世の中のコミュニケーションの比重に変化があるから、今聴くっていうことの姿勢とか、対外的なコミュニケーションでのそのあり方大事だよねってこと言ってるよねっていうのの、なんかそのシフトはそれはすごい大事だなっていうのと、なんか賢州さんにこの場にせっかく話してみたいなって思ったのって、
その自己理解とか自分へのアウェアネスみたいな話って、ティールにせよソース原理にせよ、すごく観点として大事にされているものだなって感じはするんですけど、なんかそこがさっきの話を聴いてて、お前自己理解しろよって言えないじゃないですかっていうことが、でもその次にそれが大事になりそうな感じがなんか今聴いてて何となくしたんですよね。
なんかそこの変化、ティールとかって組織モデルっぽい側から言っちゃうと、外のものは使っちゃう感じがしちゃうんですけど、ラルーさんもそんなこと言ってないじゃないですか、別に。その辺って賢州さんどういうふうに変化が見えてきてるのかなとか。
なるほど。確かに、主体性と同時に自己理解してるふりをする人が増えそうな感じの流れですよね。自己理解系も間違いなく。
そうなんですよね。だから、より自然のメカニズムなんですけどね。マーガレット・J・ウィートリーという人の言葉で言うと、自分たちがあえて組織化する必要はないと。自然の組織化する力を信じてそれに合わせるのみだみたいな言い方とかもそうだし、
なんか、自己理解って下手すると自己診断。自分を西洋医学的に診断して、改善ポイントを見つけて、頑張って努力して治して、それで社会に必要とされるような自分になるみたいな感じになりやすいけども、
もっと大いなる自分の魂の生存物的な言葉で言うと、自分の人生に流れている流れとかもそうだし、メッセージというか、本当は無理に思考とか考えで自分を修正しているもののもっと奥に
自分の自然な趣味、趣向かもしれないし、こう生きたいなとかいうようなものがあるものにつながって、それを開放していくとかね、そんな感じの世界観の中にいて、それが組織も相似系なんで、ミッションビジョンバリューを先に定めて正解のように考えて策定してやるんじゃなくて
本来私たちが組織を作ったのには何か目的があるに違いないというのに耳を澄ませていくと、自然に唯一無二の世の中への喜びが提供できるようになっているみたいな世界観でのシフトがね
なるほどね。
なんかね、ちょっと時間が過ぎちゃいそうなんですけど、次回に持ち越してもいいんですけど、2年前ぐらいに入ってきたメンバーがこの前メッセージ、DMをくれて、
最近、僕も含めて新しく入ってきたメンバーが、思ったよりワークできていない気がしますと。
うまくフィットできていない感じがしていて、と思ってるんだけどどうすかね、みたいなことを送ってくれたわけですよね。
そもそもワークしていないなんて多分思われてなくて、折り込み済みだし、発展途上だから心配するなって話なのか、
それとも、いやぶっちゃけワークしてないのはわかってるから採用要件とか見直さなきゃいけないよね、みたいなふうに思ってるのか、採用要件はいいんだけど見極めがうまくいってないんだよね、みたいな話なのか、
どの辺なんですかね、みたいな話をくれたわけですよ。
わかんねえなーって思いながら、そこも含めて今っていうことを捉えた時に、そういう人たちがいるということも、この生命体としてのもう所与の条件じゃないですか、
っていうことを踏まえた時に、今何をするんだっけ、どうするんだっけっていう視点に立った方が、個人的には面白いと思うんだけどどう、みたいな対話をしてたんですよね。
っていうのが今の話と繋がりそうだ。だからなんていうのかな、この会社の変わらない価値観みたいなものとか、そういったものに自分たちは合っていないんじゃないか、っていうふうに話なのか、
それとも変わり続けている組織の変わる部分の一部を自分たちは担っていて、それも含めてみんなで変わっていこうねっていう話なのか、
どっちなんだっけ、みたいな話をしてるんだろうな。
はい、はい、はい、はい、よくわかります。
それ、よく、大学時代のサークルとか学生団体って見てて面白くて、
あれってもうゴロゴロゴロ、やっぱり代替わりせざるを得ない世界になっていく時に、よく起こることが、
初代がいるような活動ですると、だいたいね、最初の2、3年っていうのは結構やることゴロゴロ変えてる。
確立してるから。それで、だんだん確立してきますと。ベンチャーとかもそうだよね。なんかはじめは試行錯誤。
そうすると、例えば、伝統産業なんとかしようみたいな活動に落ち着いたとしたら、そのやってる内容を見て人が集まってくるから、伝統産業系をやることがこの団体だっていう風になっちゃうんですよ。
で、それで4代目、5代目、6代目、7代目、8代目に行った時に、たまに初代あたりが同窓会みたいにやってきたときに、なんか自由な発想したらみたいな。
伝統系やろうと立ち上げたわけじゃないんだけど、みたいな感じになって。結局、その自由な発想の時だったからエネルギーがあるんだけど、伝統産業系に偏っちゃってるこの5、6年って、
やっぱりエネルギーが低いわけ。組織でいうと、標準化と実験があった時に標準化されたものをベースにやることに慣れていて、実験に戻れてない状態になってるっていう。
だからといって、結構なんか新しいもの好きな人が入ってきて、なんか新しいことやってもなんか違うなってこともやってもらったりとかして、それはらしくないとか言われるから。
わかるなぁ。それで、そういう人も活躍できないという時に、結構一番効果があるのは、それこそ1代目、2代目、3代目ぐらいの人とコミュニケーションを取るっていうこととか、あるいは意思をちゃんとケーススタディ的に残しておいて、
こういう時にどんな判断でこういう流れになってきたかって言った時に、多分、今価値観というので表現できてるのかもしれない、何かが文脈みたいなものが共有できると、
6代目、7代目あたりの人たちでも実験の方に足を踏みることができるようになるんだけど、なんか要はそれしないと標準化されたものの改善レベルしかできない。
だからよくあるいろんなプロジェクトが、初期メンバー伝説の人たちみたいな。
初期メンバーは伝説のメンバーだけど、やっぱり途中から入った人は、なんか枠の中の活躍だよねっていうような。
じゃあ本当に初期メンバーが本当にそれだけの才能あふれる人たちだったかっていうと、僕の見立てでは、ただ初期からかかわってるだけみたいな感じになっていると、
そういう育まれる環境を作れてない組織が、要は標準化の中で高度な、ハイレベルなルーティンワークをしてねって言ってるだけの仕事しか与えてないから、
要は価値観レベルで実験してねっていうようなことを仕事として用意できてないっていう組織構造の問題であって、
という感じで今の話は受け取ったんだけども、発展させすぎなのかな。笑