はい、ありがとうございます。いつも、あの、後から他己紹介お願いしてるんですけど、
ほぼ今、しゃべりたいことしゃべっていただいた気がするんですが、
ということで、今日のゲストは医師・医学博士の稲葉俊郎さんですね。
はい。
で、今、だいたい他己紹介的にお話ししたいことされた気がしますが、何か補足とかあったりされます?
いや、もう、あの、大丈夫です。もう今日は何が出てくるか、ここからが楽しみです。
はい、じゃあここから早速稲葉さんとご一緒できればと思います。稲葉さんどうぞよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、簡単にでは最初に自己紹介をしていただいてもいいですか。
はい、稲葉俊郎と申しまして、職業は医者で、20年間医療現場で働いてたんですけど、
20年経ってちょっと区切りをつけようと思って、ちょっと医療現場から少し離れて、
今、慶応義塾大学のSDMとかですね、武蔵野大学のウェルビーイング学部とか、
いろんな大学にちょっと所属しながら、ウェルビーイング関連のことをちょっとやってるという状況になります。
よろしくお願いします。
ありがとうございます。
櫻井さん多分読まれた本も多分たくさんおありだと思うんですけど、
特にこの本がとか、他己紹介がてら、この本がっていうのおありだったりされます?
そうですね、僕も大好きですし、エールのメンバー本当この本みんな読んでるんじゃないかなと思うのは、
『いのちはのちのいのちへ』っていう本が結構好きで、それをみんなで話してたりするんですけど、
久しぶりにこの収録、今日月曜日なんですけどね、土日に読み直して、
わぁ、いいわ〜って、こう味わってきているので。
ありがとうございます。
その本の中身で櫻井さんから、ぜひ稲葉さんに聴いていただきたいこともいっぱいあるなというふうに思いつつなんですが、
せっかくなので初めにこのポッドキャスト始まってるところからいくと、
櫻井さんの本も今回稲葉さん事前にお読みいただけているということだったので、
はい。
稲葉さん目線からどうお感じだったのかなっていうことを最初に出していただくと、
いろんなご質問が出そうだと思ったんですけど、
実際読まれてみていかがでしたか?
そうですね、この『まず、ちゃんと聴く。』っていう本自体は300ページぐらいある本なんですけど、
私も医者として働いている中で、「聴く」とかですね、
こちらの態度ってすごく大事だなっていうことを感じつつも、
でも意外にそういうことってまったくそもそも学ばないんですよね。
医者っていう職業的に、つまり医学部でもそういうことは学ばないけど、
みんな見よう見まねでやってる。
でもそもそも論でいくと別に医学部とか医者っていうことに関わらず、
人と人が話すとか対話するっていうことそのものを実はほとんどの人はしっかり学んでいなくて、
ほとんどみんなが自己流でやってるっていうことを私も結構、
医者になりながら気づいたんですよね。
それで私なりにいろんな形で研究して実践してっていうことをやってる中で、
この本を読ませていただいて、やっぱり300ページぐらいになってしまうような深いテーマが
このことってあるなっていうのをすごく思いましたし、
あと結局私は医療業界で働いてて、そういう自分なりの問題意識を持ってそこをすごく深めて、
今でも深めてる最中ですけど、
つまりビジネスっていうこととか仕事ってことにおいても結局人間関係になるので、
やはり人と人っていうものには本来的な善悪がなくても
人と人との関係性が生まれたときに、悪い関係性がそこで場として生まれてしまったり、
いい関係が生まれてしまったりっていうことが起きるっていうことが皆さん苦労してるんだなと思って、
そういうことを感じながら、別に医療現場に限らず、
これは誰でもが言葉とかを持ってコミュニケーションしてる以上、普遍的な問題だろうなと思ってたんで、
すごく同じことをいろんな形で表現されてるなと思いつつ、共感して読んだっていう感じですね。
早速、しゃべっていいですか。しゃべってというか、
お伺いしていいですか。
はい。
なんか、稲葉さんの本にも書かれてたんですけど、
病気になったときとか自分の体調が悪いときに、どこかに答えを求めて、
病院に行くって何か、どこか答えを教えてもらいに行くっていうニュアンスがあるじゃないですか、どこか。
でも、本来的には、自分で自分の声を聴けたらいいなという感じだったりするとは思うんですけど、
でも、患者さんとしては来て、先生に答えを教えてくれって来るわけじゃないですか。
で、このときに、判断をして何かしら伝えるっていうこともできるんだけど、
聴くっていうこともできたりはするとは思うんですけど、
この辺って、時間の制約がある中でどういうふうに折り合いをつけてたのかとか、
どういうふうに考えられたのかみたいなところをちょっとお伺いしてみたいなと思って。
これは本当にね、なかなかもう一言で言えないあらゆる要素が入ってるんですけど、
まずそもそも、歩いてくる足音から聴いてるわけですよ。
歩き方でもう分かるんですよね、癖っていうか。重心とかも分かるようになってくるんですよ。
分かりません?知ってる人の歩き方の音って分かりますよね。バタバタバタってしたり。
それと一緒で、結局それだけで個人の情報が分かるんですけど、
結構慣れてくるとその人の心の状態までそこで見とれちゃうものなんですよね。
我々結構そこに敏感になってると。
まずそこから始まり、手から入って。
その第一印象でも結構情報がすごくあるし、
あと私が結構重要視してるのはまず声なんですけど、
言葉の内容、言ってる内容以上に声が結構その人の感情をすごく表現してるんで、
まずちゃんと聴くっていうテーマと近い話としては、声をまずそもそも聴いてるんですよ。
意味っていうより。
だから声の状態とかその人のバイブレーションみたいなのをまず聴いたうえで、
それとその人が言ってる内容ってありますよね。
頭が痛いだろう、これが困ってるだろう。
そこのまずズレっていうのがそもそもあったりして、
つまり声が醸し出してるその本人の心・体のダイレクトな情報と、
本人がそれをずっと頭の中でああでもない、こうでもないと解釈して、
ずっと何日も考えて、
これ、このことが原因だって到達した結論だけを私に言ってくるわけじゃないですか。
いや、眠れなくて困ってるんですとか。
そこのそもそもズレっていうのがまず最初に違和感としてキャッチするっていうところから始まり、
この体の情報としてはこっちなんだけど、
頭が結局こういうふうに解釈してるなっていうところから始まりますよね。
ただいきなりそういうこと言ってもなかなか相手に伝わらないから、
まず一回相手が言いたいだけ言わせる。
だけどもちろん3分とかすごく数分の時間があるんで、
いろんなものを駆使して、なるべくでも言いたいことを言ってもらうっていうところはあって、
その後それは主観的な本人の解釈した情報なので、
一回ワンクッション置いて、検査しましょうとか採血したりとか、
レントゲン取ったりするわけですよ。
もちろんそれはあんまり、本当に何かを調べたいときもありますけど、
だいたい自分で当たりがついてるときも、私の中で。
へー、面白い。
だけどそういうのもね、私にとっても大事なんで、
客観的なデータが何を示してるか、自分が主観的に受け取ったデータ、
それをまた見た上で、その日かもしくは別の日か、
またもう一回そのデータと合わせてその人とまた対話をするときに、
ある意味そういう客観的な情報があると、対話ってうまくいくんですよね。
つまり一対一の関係じゃなくなってくるんですよ、私と相手っていうのと、
それとまた、AIでも何でもいいですよ、コンピューターで情報っていうのがあって。
この3者である種の対話が生まれてくるんで、
それはある意味利用しながら、
でも最終的にはほとんどその人の本人の体の情報が言ってることを私は主に聴いたところで、
そこからダイレクトな情報っていうのを一対一の情報として一番大事にしてますけど。
だけど本人は頭で解釈してるのがあるんで、
それこそ聴いてもらえないと相手にもフラストレーションがたまっちゃうので、
それは一応言ってもらいますね、表現してもらって。
でも大体言いながらこれ違うんじゃないかなっていうのは、
こちらがすごく鏡になっていると、
本人が「言ってるけど本当そうかな」って自分でもそういう気持ちになってくる。
でもそれは聴き手側の態度でしょうね。
なんとも言えない中性的な態度を保つと。
共感はしてるんだけどあんまりそれに深入りせずに聴いてると、
相手も、これは自分の解釈に過ぎないんじゃないかなって自分で考え出す。
そういうことはすごく大切にしてます。
これってちょっと、僕、実は病院にもう10年ぐらい行ってないんですけど、
僕が10年前ぐらいまでに経験したお医者さんという方とのやり取りを考えると、
あんまそうしてくださるお医者さんって多くないような印象があるというか、
行ってわりとざっとジャッジされて、はいこれって言っておしまいな印象があるんですけど、
どうやって稲葉さんそこの今の視点を得てきたんですかね。
やっぱり自分が感じた情報と本人が言ってる情報のずれっていうのがあったりしたときに、
それに対して、ずれに対して常に敏感であるっていうところですかね。
もちろんまたそれと全く別に西洋医学的に教えられる理論とか、
心理学的に語られる理論っていう、そのある種の理論っていうのもまた別にあって、
そういうことが必ずしも当てはまらないっていうときとかに、
例えば西洋医学をガチガチに学んでる人だと絶対こうに違いないっていう決めつけで相手を当てはめちゃうじゃないですか。
やっぱり自分もそこまでそれを絶対視してないっていうんですかね。
ちょっと相対化してるところがある。
これは当てはまらないよなーとか思ったりするっていう。
そういうことに対して常に、あんまり信じ込みすぎないっていう。
そういう感じなんでしょうね、もともと。
全然関係ないかもしれませんけど、私もともとすごい将棋やってたんですよ、高校とか中学のときに。
将棋ってそういうところがあって、相手の手を読んで自分のパターンがそれで分岐していきますよね、10パターンが。
それぞれがまた10パターンがきて、ずっとそれを樹形図のように考え続けるわけですよ。
そこに相手の手も絡まってくる。
だけど結局戻ってくるのは、今この盤上っていうところにまた戻ってきてっていうことをずっと繰り返していくんで、
それが結構私はもうめちゃめちゃハマってやってたっていうのもあって、
常にそういう感じはあるんですよね。将棋さしてるみたいな感じ。
ものすごいたくさんの仮説があり、相手の情報がそこに入ってきて、
でも現実動くのは1個の盤上しかないという、この行き来がここに戻ってくると。
しかもこっちの想定とまた違う手が出てくるわけじゃないですか。ここで歩をついてくるんだみたいな。
それは想定してないぞみたいな。
でもそれでまたこっちも活性化されて、どんどん相手を読むわけですよね。
これはなんか相手が全然違う世界で何か考えてるらしいとかって。
そこでまたこっちもワクワクしてくるっていう。
なるほど。それでワクワクするんですか。
だからなんか将棋さしてるような気持ちに、相手が手強ければ手強いほど、
羽生さんとかね、すごい強豪とさしてるみたいな感じで。読めないわけですからね、手が。
いやこれは想定してなかったみたいな。
だからなんか結構将棋的に考えてる時が時々ありますよね。
でもそれも結局自分の生育歴というか、自分がそういう将棋にハマったからそういう思考回路が発生したわけで。
だから将棋とか面白いと思うんですけど、囲碁とかもですね。
そういうのをやってるとそういう新しい発想が人を見るときにも重なってくるんで、
あんまりとらわれないっていうんですかね。
ちょっと話がすみません。脱線しました。
僕、いくらでも質問が出てくるパターンなので、山田さんちょっと間入ってもらっていいですか、この辺。
聞きたいことはたくさんあるだろうなと思います。
さっきの比喩で僕も1個質問があるなと思ったのは、
テレビがいっぱい並んでいますっていうメタファーで語られた時に、
僕、稲葉さんと前に違う場で少しご一緒させていただいた時に、
すごい世界の捉え方がすごく、人というものだけではなくて、
世界をすごく捉えてらっしゃるって感覚をお持ちなんだなってすごい感覚的に思ったんですけど、
西洋医学っていう1つのテレビもあるし、
他の知見とか東洋医学かもしれないし、自然観かもしれないしっていうのを、
すごいたくさんのテレビを置かれながら世界を見られている印象が僕はすごくあったんですけど、
その感覚って稲葉さんどう感じるのかなっていうのと、
なぜむしろそうなられたんだろうみたいなことも、それはお伺いしてみたくて。
そうですね。おっしゃる通り、だから私は西洋医学も代替医療も非西洋医学も、
それこそ陰謀論とかそういうのも全部勉強しながら、
どういうふうに世界を見てるのかっていうことに興味があるわけですよね。
まずたぶんそもそも好奇心というか、
みんなこの世界をどう捉えてるのかなっていうことがそもそもすごく興味があって、
でもそれはたぶん、子どものときからそうかもしれないけど職業的に医者になって、
いろんな知らない方と突然出会って、いろんな悩み相談を受けるじゃないですか。
結局それってほぼ私にとっては同じようなことで、
この一回も会ったことがない方が、どっかお父さんとお母さんからおぎゃーって生まれてきて、
いろんな青春を経てここにいて、
この方がどういうふうに世界を見てるのかっていうことにある程度共感しないといけないときに、
そういう目がたぶん育っていったっていうかね。
それを私としては職業的に見てるところもありましたけど、
やっぱり普通に好奇心として、その人の人生という好奇心として見てるところがあったんで、
たぶんそういう目が養われたっていうのはあると思いますし、