1. 『まず、ちゃんと聴く。』ラジオ
  2. vol.33 稲葉俊郎さん(前編)..
2025-07-01 25:21

vol.33 稲葉俊郎さん(前編)「その人の目から、世界を見てみる」ということ

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エールの中にもたくさんのファンがいる稲葉俊郎さんと、櫻井さん・山田さんとの対話が、ここ3カ月でたった1日だけ、3人のタイミングが合った6月のある朝に実現しました。

櫻井さんも山田さんも、医療現場の話から広がっていく稲葉さんの「聴く」に興味津々。足音を聴く、声を聴く、違和感をキャッチする……。稲葉さんのお話に一貫しているのは世界をたくさんの視点でみるということ。将棋や演劇、さらにはウイルスの立場にまで広がる対話にどっぷり浸かりながらあとを追いかけていくと、ふいに「聴く」との重なりが見えてくる瞬間がありました。

 

■プロフィール

稲葉俊郎(いなば・としろう)

1979年熊本生まれ。医師、医学博士、産業医、作家。慶應義塾大学大学院 システムデザイン・マネジメント研究科(SDM) 特任教授。「いのちを呼びさます場」として、湯治、芸術、音楽、物語、対話などが融合したwell-beingの場の研究と実践に関わる。

西洋医学だけではなく伝統医療、補完代替医療、民間医療も広く修め、医療と芸術、福祉など、他分野と橋を架ける活動に従事している。著書に

いのちを呼びさますもの —ひとのこころとからだ(アノニマ・スタジオ)

いのちは のちの いのちへ ―新しい医療のかたち―(アノニマ・スタジオ)

ことばのくすり~感性を磨き、不安を和らげる33篇 (大和書房)

山のメディスン―弱さをゆるし、生きる力をつむぐ―(ライフサイエンス出版)ほか

https://www.toshiroinaba.com/about-me

サマリー

ポッドキャストでは、医師の稲葉俊郎さんが聴くことの重要性から、医療現場でのコミュニケーションの実践について語っています。また、櫻井将さんの著書『まず、ちゃんと聴く。』の内容や共感を得た体験についても話しています。稲葉さんは、情報の解釈や聴き手の態度の重要性を深く掘り下げ、自己の経験に基づく医療のあり方を模索しています。将棋や西洋医学ほか様々な医学などの例を通じて、複数の視点から世界を捉える姿勢についても語っています。ウイルスや人間社会との関係についての深い考察も展開され、特に相手の立場を理解することの重要性や演劇的な視点を持つことの必要性が強調されています。

今日、初めてお会いしたんですよね
こんにちは、エールの山田です。この番組は、エール代表の櫻井さんの書籍、
『まず、ちゃんと聴く。』の内容を中心に、聴くや伝えるについて、
ざっくばらんに対話しながら深めていこうというポッドキャストです。櫻井さん、では今回もよろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
今回は、どんなご気分で始まりましたか、櫻井さん。
えー、なんか、今日実は、今まで必ず一度お会いしたことがあったり、お話ししたことがある方をお呼びしてたんですが、
今日のゲストの方は、僕、今日初めてお会いしたんですよね。
ただ、本は読ませていただいていて、大変共感をするというか、多分書かれている内容の10パー20パーぐらいしか理解できてないと思うんですけど、
すごく共感をしているし、勝手に僕たちが活動としてやっているエールとか、
聴くっていうこととすごく重なりがあるなというふうに勝手に思っていたので、
どこかで一度お話ししたいなと思ってですね、お声掛けをさせていただいたという、
なので嬉しい、楽しい気持ちと、初めてなのでどうなるだろうというドキドキと両方ある感じですかね、今日は。
ほとんどの人の「対話」が、自己流だと気づいた
はい、ありがとうございます。いつも、あの、後から他己紹介お願いしてるんですけど、
ほぼ今、しゃべりたいことしゃべっていただいた気がするんですが、
ということで、今日のゲストは医師・医学博士の稲葉俊郎さんですね。
はい。
で、今、だいたい他己紹介的にお話ししたいことされた気がしますが、何か補足とかあったりされます?
いや、もう、あの、大丈夫です。もう今日は何が出てくるか、ここからが楽しみです。
はい、じゃあここから早速稲葉さんとご一緒できればと思います。稲葉さんどうぞよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、簡単にでは最初に自己紹介をしていただいてもいいですか。
はい、稲葉俊郎と申しまして、職業は医者で、20年間医療現場で働いてたんですけど、
20年経ってちょっと区切りをつけようと思って、ちょっと医療現場から少し離れて、
今、慶応義塾大学のSDMとかですね、武蔵野大学のウェルビーイング学部とか、
いろんな大学にちょっと所属しながら、ウェルビーイング関連のことをちょっとやってるという状況になります。
よろしくお願いします。
ありがとうございます。
櫻井さん多分読まれた本も多分たくさんおありだと思うんですけど、
特にこの本がとか、他己紹介がてら、この本がっていうのおありだったりされます?
そうですね、僕も大好きですし、エールのメンバー本当この本みんな読んでるんじゃないかなと思うのは、
『いのちはのちのいのちへ』っていう本が結構好きで、それをみんなで話してたりするんですけど、
久しぶりにこの収録、今日月曜日なんですけどね、土日に読み直して、
わぁ、いいわ〜って、こう味わってきているので。
ありがとうございます。
その本の中身で櫻井さんから、ぜひ稲葉さんに聴いていただきたいこともいっぱいあるなというふうに思いつつなんですが、
せっかくなので初めにこのポッドキャスト始まってるところからいくと、
櫻井さんの本も今回稲葉さん事前にお読みいただけているということだったので、
はい。
稲葉さん目線からどうお感じだったのかなっていうことを最初に出していただくと、
いろんなご質問が出そうだと思ったんですけど、
実際読まれてみていかがでしたか?
そうですね、この『まず、ちゃんと聴く。』っていう本自体は300ページぐらいある本なんですけど、
私も医者として働いている中で、「聴く」とかですね、
こちらの態度ってすごく大事だなっていうことを感じつつも、
でも意外にそういうことってまったくそもそも学ばないんですよね。
医者っていう職業的に、つまり医学部でもそういうことは学ばないけど、
みんな見よう見まねでやってる。
でもそもそも論でいくと別に医学部とか医者っていうことに関わらず、
人と人が話すとか対話するっていうことそのものを実はほとんどの人はしっかり学んでいなくて、
ほとんどみんなが自己流でやってるっていうことを私も結構、
医者になりながら気づいたんですよね。
それで私なりにいろんな形で研究して実践してっていうことをやってる中で、
この本を読ませていただいて、やっぱり300ページぐらいになってしまうような深いテーマが
このことってあるなっていうのをすごく思いましたし、
あと結局私は医療業界で働いてて、そういう自分なりの問題意識を持ってそこをすごく深めて、
今でも深めてる最中ですけど、
つまりビジネスっていうこととか仕事ってことにおいても結局人間関係になるので、
やはり人と人っていうものには本来的な善悪がなくても
人と人との関係性が生まれたときに、悪い関係性がそこで場として生まれてしまったり、
いい関係が生まれてしまったりっていうことが起きるっていうことが皆さん苦労してるんだなと思って、
そういうことを感じながら、別に医療現場に限らず、
これは誰でもが言葉とかを持ってコミュニケーションしてる以上、普遍的な問題だろうなと思ってたんで、
すごく同じことをいろんな形で表現されてるなと思いつつ、共感して読んだっていう感じですね。
聴くと伝えるの折り合いをどうつけていたんですか?
早速、しゃべっていいですか。しゃべってというか、
お伺いしていいですか。
はい。
なんか、稲葉さんの本にも書かれてたんですけど、
病気になったときとか自分の体調が悪いときに、どこかに答えを求めて、
病院に行くって何か、どこか答えを教えてもらいに行くっていうニュアンスがあるじゃないですか、どこか。
でも、本来的には、自分で自分の声を聴けたらいいなという感じだったりするとは思うんですけど、
でも、患者さんとしては来て、先生に答えを教えてくれって来るわけじゃないですか。
で、このときに、判断をして何かしら伝えるっていうこともできるんだけど、
聴くっていうこともできたりはするとは思うんですけど、
この辺って、時間の制約がある中でどういうふうに折り合いをつけてたのかとか、
どういうふうに考えられたのかみたいなところをちょっとお伺いしてみたいなと思って。
これは本当にね、なかなかもう一言で言えないあらゆる要素が入ってるんですけど、
まずそもそも、歩いてくる足音から聴いてるわけですよ。
歩き方でもう分かるんですよね、癖っていうか。重心とかも分かるようになってくるんですよ。
分かりません?知ってる人の歩き方の音って分かりますよね。バタバタバタってしたり。
それと一緒で、結局それだけで個人の情報が分かるんですけど、
結構慣れてくるとその人の心の状態までそこで見とれちゃうものなんですよね。
我々結構そこに敏感になってると。
まずそこから始まり、手から入って。
その第一印象でも結構情報がすごくあるし、
あと私が結構重要視してるのはまず声なんですけど、
言葉の内容、言ってる内容以上に声が結構その人の感情をすごく表現してるんで、
まずちゃんと聴くっていうテーマと近い話としては、声をまずそもそも聴いてるんですよ。
意味っていうより。
だから声の状態とかその人のバイブレーションみたいなのをまず聴いたうえで、
それとその人が言ってる内容ってありますよね。
頭が痛いだろう、これが困ってるだろう。
そこのまずズレっていうのがそもそもあったりして、
つまり声が醸し出してるその本人の心・体のダイレクトな情報と、
本人がそれをずっと頭の中でああでもない、こうでもないと解釈して、
ずっと何日も考えて、
これ、このことが原因だって到達した結論だけを私に言ってくるわけじゃないですか。
いや、眠れなくて困ってるんですとか。
そこのそもそもズレっていうのがまず最初に違和感としてキャッチするっていうところから始まり、
この体の情報としてはこっちなんだけど、
頭が結局こういうふうに解釈してるなっていうところから始まりますよね。
ただいきなりそういうこと言ってもなかなか相手に伝わらないから、
まず一回相手が言いたいだけ言わせる。
だけどもちろん3分とかすごく数分の時間があるんで、
いろんなものを駆使して、なるべくでも言いたいことを言ってもらうっていうところはあって、
その後それは主観的な本人の解釈した情報なので、
一回ワンクッション置いて、検査しましょうとか採血したりとか、
レントゲン取ったりするわけですよ。
もちろんそれはあんまり、本当に何かを調べたいときもありますけど、
だいたい自分で当たりがついてるときも、私の中で。
へー、面白い。
だけどそういうのもね、私にとっても大事なんで、
客観的なデータが何を示してるか、自分が主観的に受け取ったデータ、
それをまた見た上で、その日かもしくは別の日か、
またもう一回そのデータと合わせてその人とまた対話をするときに、
ある意味そういう客観的な情報があると、対話ってうまくいくんですよね。
つまり一対一の関係じゃなくなってくるんですよ、私と相手っていうのと、
それとまた、AIでも何でもいいですよ、コンピューターで情報っていうのがあって。
この3者である種の対話が生まれてくるんで、
それはある意味利用しながら、
でも最終的にはほとんどその人の本人の体の情報が言ってることを私は主に聴いたところで、
そこからダイレクトな情報っていうのを一対一の情報として一番大事にしてますけど。
だけど本人は頭で解釈してるのがあるんで、
それこそ聴いてもらえないと相手にもフラストレーションがたまっちゃうので、
それは一応言ってもらいますね、表現してもらって。
でも大体言いながらこれ違うんじゃないかなっていうのは、
こちらがすごく鏡になっていると、
本人が「言ってるけど本当そうかな」って自分でもそういう気持ちになってくる。
でもそれは聴き手側の態度でしょうね。
なんとも言えない中性的な態度を保つと。
共感はしてるんだけどあんまりそれに深入りせずに聴いてると、
相手も、これは自分の解釈に過ぎないんじゃないかなって自分で考え出す。
そういうことはすごく大切にしてます。
電器屋さんでモニターが並んでいる、あんな感じ
5個ぐらい聴きたいこと出てきちゃったんですけど。
その中で一個だけ頑張って絞ると、
中性的な態度でいるというかあり方でいることと、
自分の中で過去からの蓄積したもので足音と声と言ってることのずれとかで、
仮説が立っているものみたいなものって、
なんか一見矛盾しそう、なんか仮説を持っちゃった時点で、
割とジャッジメンタルな自分になりがちだけど、
でもそうではなくて中性的な鏡でいるっていう状態って、
両立するのが難しい2つの話を今してくれたように感じる。
その辺ってなんか。
それはですね、なんか私の中では、
電器屋さんに行くとカメラのモニターがいっぱいあるじゃないですか。
あんな感じなんですよね。
だから結局一つの情報、自分が足音から得た情報を一つのカメラの中に映しておいて、
声からの情報はもう一個横にあるカメラに映しておいて、
私はそのカメラ全体を見てる、
電化製品のお店に訪れたお客さんみたいなもので、
別にそれになにか、こういう映像が流れてるなっていう感じとして自分は見てるだけで、
あんまりそこにやっぱりとらわれない。
それは一つの物語、ストーリーとして見てるって感じですよ。
でも多くの人はそこにとらわれちゃうっていうか、
テレビで一個そういう情報が流れ出すとそっちにみんなヒューととらわれちゃって、
それが全てだって思っちゃう。
それがその相手が持ってきた物語ですよね。
私はきっとこれに違いない。だからこれをどうにかしてほしい。
だからとにかく眠れない。だから睡眠剤が欲しいんだって言って突然入ってきて、
先生、睡眠剤が欲しいんですけどからいきなり始まっちゃったりする。
だけど実はそこにはその人の仮説と物語がずっとあって、
そこをちゃんと聴き取っておかないといけないし、
でもそれもまた一つのカメラでしかない。
それも結局一つのカメラってことですね。
でもそれはもちろん尊重しないと、
本人としては自分の存在を否定されたように誤解を与えると良くない。
もちろんそれはとても大事な物語として、
でもそこから本人の生き方とか解釈の仕方とか癖っていうのがすでにその時点からすごい情報が入ってくる。
こういう方なんだなっていうこととか、すごいわかりますよね、それだけでもね。
でもそれにとらわれないってことですかね。
その方がどういうふうに世界を見てるのかに興味がある
これってちょっと、僕、実は病院にもう10年ぐらい行ってないんですけど、
僕が10年前ぐらいまでに経験したお医者さんという方とのやり取りを考えると、
あんまそうしてくださるお医者さんって多くないような印象があるというか、
行ってわりとざっとジャッジされて、はいこれって言っておしまいな印象があるんですけど、
どうやって稲葉さんそこの今の視点を得てきたんですかね。
やっぱり自分が感じた情報と本人が言ってる情報のずれっていうのがあったりしたときに、
それに対して、ずれに対して常に敏感であるっていうところですかね。
もちろんまたそれと全く別に西洋医学的に教えられる理論とか、
心理学的に語られる理論っていう、そのある種の理論っていうのもまた別にあって、
そういうことが必ずしも当てはまらないっていうときとかに、
例えば西洋医学をガチガチに学んでる人だと絶対こうに違いないっていう決めつけで相手を当てはめちゃうじゃないですか。
やっぱり自分もそこまでそれを絶対視してないっていうんですかね。
ちょっと相対化してるところがある。
これは当てはまらないよなーとか思ったりするっていう。
そういうことに対して常に、あんまり信じ込みすぎないっていう。
そういう感じなんでしょうね、もともと。
全然関係ないかもしれませんけど、私もともとすごい将棋やってたんですよ、高校とか中学のときに。
将棋ってそういうところがあって、相手の手を読んで自分のパターンがそれで分岐していきますよね、10パターンが。
それぞれがまた10パターンがきて、ずっとそれを樹形図のように考え続けるわけですよ。
そこに相手の手も絡まってくる。
だけど結局戻ってくるのは、今この盤上っていうところにまた戻ってきてっていうことをずっと繰り返していくんで、
それが結構私はもうめちゃめちゃハマってやってたっていうのもあって、
常にそういう感じはあるんですよね。将棋さしてるみたいな感じ。
ものすごいたくさんの仮説があり、相手の情報がそこに入ってきて、
でも現実動くのは1個の盤上しかないという、この行き来がここに戻ってくると。
しかもこっちの想定とまた違う手が出てくるわけじゃないですか。ここで歩をついてくるんだみたいな。
それは想定してないぞみたいな。
でもそれでまたこっちも活性化されて、どんどん相手を読むわけですよね。
これはなんか相手が全然違う世界で何か考えてるらしいとかって。
そこでまたこっちもワクワクしてくるっていう。
なるほど。それでワクワクするんですか。
だからなんか将棋さしてるような気持ちに、相手が手強ければ手強いほど、
羽生さんとかね、すごい強豪とさしてるみたいな感じで。読めないわけですからね、手が。
いやこれは想定してなかったみたいな。
だからなんか結構将棋的に考えてる時が時々ありますよね。
でもそれも結局自分の生育歴というか、自分がそういう将棋にハマったからそういう思考回路が発生したわけで。
だから将棋とか面白いと思うんですけど、囲碁とかもですね。
そういうのをやってるとそういう新しい発想が人を見るときにも重なってくるんで、
あんまりとらわれないっていうんですかね。
ちょっと話がすみません。脱線しました。
僕、いくらでも質問が出てくるパターンなので、山田さんちょっと間入ってもらっていいですか、この辺。
聞きたいことはたくさんあるだろうなと思います。
さっきの比喩で僕も1個質問があるなと思ったのは、
テレビがいっぱい並んでいますっていうメタファーで語られた時に、
僕、稲葉さんと前に違う場で少しご一緒させていただいた時に、
すごい世界の捉え方がすごく、人というものだけではなくて、
世界をすごく捉えてらっしゃるって感覚をお持ちなんだなってすごい感覚的に思ったんですけど、
西洋医学っていう1つのテレビもあるし、
他の知見とか東洋医学かもしれないし、自然観かもしれないしっていうのを、
すごいたくさんのテレビを置かれながら世界を見られている印象が僕はすごくあったんですけど、
その感覚って稲葉さんどう感じるのかなっていうのと、
なぜむしろそうなられたんだろうみたいなことも、それはお伺いしてみたくて。
そうですね。おっしゃる通り、だから私は西洋医学も代替医療も非西洋医学も、
それこそ陰謀論とかそういうのも全部勉強しながら、
どういうふうに世界を見てるのかっていうことに興味があるわけですよね。
まずたぶんそもそも好奇心というか、
みんなこの世界をどう捉えてるのかなっていうことがそもそもすごく興味があって、
でもそれはたぶん、子どものときからそうかもしれないけど職業的に医者になって、
いろんな知らない方と突然出会って、いろんな悩み相談を受けるじゃないですか。
結局それってほぼ私にとっては同じようなことで、
この一回も会ったことがない方が、どっかお父さんとお母さんからおぎゃーって生まれてきて、
いろんな青春を経てここにいて、
この方がどういうふうに世界を見てるのかっていうことにある程度共感しないといけないときに、
そういう目がたぶん育っていったっていうかね。
それを私としては職業的に見てるところもありましたけど、
やっぱり普通に好奇心として、その人の人生という好奇心として見てるところがあったんで、
たぶんそういう目が養われたっていうのはあると思いますし、
じゃあ、人間はどう見られているのか? 
でもそれを考えてきて、やっぱり人間だけじゃないなっていうのもわかってくるわけじゃないですか。
普通に自然を観察してくるとか、植物とかいろんな生き物とかがあって、
それぞれはどういうふうにこの世界を見ていて、
それこそじゃあ人間ってどういうふうに見られてるのかなとかっていうこと自体も気になってきちゃうっていうんですかね。
でもそれが本当にピークに達したのはコロナ。
本当にコロナのときで、やっぱりウイルスっていう存在に社会が動かされたときに、
ずっと人間目線の話ばっかりしか報道で見ないのに飽き飽きしてて、
そもそもウイルス的な立場から見たら本当に人間社会ってどう見えてるのかなとか、
あと中立的な植物とか地球とかっていう立場から見たとき、
これってどういうふうに見えてるのかなとか、それをすごく考えちゃいましたよね。
医者として。
そのあたりの世界の捉え方みたいなことって、エールというか櫻井さんがというのかな、
似ているものがありそうみたいな感じで、僕は今稲葉さんのお話をうかがったんですけど、櫻井さん、なんか、どう?
とても。あの、『まず、ちゃんと聴く。』っていう本はあくまで人と人が会話をする、
対話をするというときに限定して書いたと思っているんです。
特にそこで、相手の中に入ったら何が見えてるんだろうっていうところにいようとするってことが、
聴くときにはすごく有効だなというふうに思っていて。
これジャッジしないっていう表現をしたんですけど、
ジャッジしないがわかりやすいんで、したんですけど、どちらかというと、
相手の中に入っていくというか、相手の中からは何が見えてるんだろうっていうところに、
自分をなくして入っていったときに、世界があるなっていうふうに思ったりするんですよね。
「相手の目で自分を見る」ことをどう養うか
これ稲葉さんにお伺いしたいのが、この感覚って、
稲葉さんご本人、自分が体が弱いときに看病してくれる人たちから見えてるのは何なんだろうっていうところがあるっていうふうに、
幼少期のときとかにそういう体験をしているとなりやすかったりするのかなみたいなことがあったりするんですけど、
後天的に身につけるというか、どうその能力を開発していくのかみたいなことって考えられたことあったりするのかなって。
私も別に、例えば演劇部に入ったわけじゃないんですけど、
演劇的な世界っていうのは結構、いろんな演劇を見たりとかダンス見たり、
舞台美術とか結構好きで見てたんで、演劇的に見るっていうことだと思うんですね。
つまり相手を一つの役割として、相手から見るとこの舞台がどう成立してるかを見るみたいな、
たぶんそういう見方だと思うんですけど、
それってなんか、私は演劇とかテレビとか見ても、
テレビってある種のバーチャル映像なんでなかなかそうなりにくいかもしれませんけど、
実際舞台美術、演劇見てると、そういう目が養われるんじゃないかなと私は思ってまして、
おっしゃったような幼稚園のとき教わるような、
相手の身になって考えなさいみたいなことっていうのは、すごく演劇だと思うんですよね。
でもそれってある種の練習をしないとなかなかそう身につかないし、
練習って別に演劇部に入らないといけないのか、舞台に出ないといけないのかっていうと、
必ずしもそうじゃなくて、日常の中で、
むしろその相手の身になって考えるってときに本当に演劇的に相手の役だと思って、
この世界を、むしろ自分を見てみたときにどういうふうに見えてるのかなとかね、
この医者なんか怪しいなとかね、なんか信頼できないなって思われてるかもしれないし、
なんかそういうのも含めて相手の目で自分を見るっていうことを養うのは大事ですよね、きっとね。
……追加で質問があるんですけど、もう時間ですよね、山田さんね。
気づいちゃいました? 今ちょうど言おうとしてました。
あっという間にもう25分くらい経ってきたのかなという感じなので、
次の質問はぜひまた後半、引き続きまた稲葉さんとご一緒いただければと思いますので、
前半一旦ここまでにしたいと思います。
では稲葉さん、櫻井さんありがとうございました。
ありがとうございました。
25:21

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