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こんにちは、ポロです。
僕はですね、列運というものがないんですけども
この列運というのはね、勝手に僕が作っている言葉で
どの列に並ぶかってあるじゃないですか。
例えばスーパーのレジに並んでいて、何個かこうレーンが分かれていて
自分の並んだ列がだいたいいつも一番遅いとか
何かしらのトラブルが発生するとかね
そういうことが過去にもたくさんあったんで
だいたい僕が並ぶ列っていうのはそういう一番遅いレーンだったりとか
するわけですね。
だから自然と列運がないみたいな感じでずっと言ってたわけですね。
例えば海外に行く時、もしくは帰ってくる時に
パスポートのね、そういうイミグレーションですね。
並ぶ時も自分の列が遅かっただけじゃなくて
自分の前の人とか前の前の人ぐらいで
その係官がランチに行ったのか分からないけどいなくなってしまって
結局また別の列に並ばされるとかっていうことがあって
ほんと列運ないなみたいな感じのことが過去にも何度もあったわけですね。
今日ちょっと買い物に行っていて
今日買い物で僕たちが並んでいた列もですね
前にいる人がすごい大量に買い込んでて
ものすごくこのレジの生産時間がかかってたんですね。
でも他のレーンっていうのはスースースー進んでいってるわけですね。
それに対してやっぱり相変わらず列運ないなみたいな風に
思ったんですけど
だけどそれに対してもイライラすることはなくなったんですね。
昔の僕だったらなんであんな買い込みやがってとかね
もっと早くチャッチャとやれよとか
っていうのですごくイライラしてたと思うんですけど
今日は全くイライラもなく
なんかこうただぼーっと待ってるだけみたいな感じだったんですよ。
これはやっぱりこう自分の内面が成長したっていうのもあると思うんですけど
今日こういった出来事があってそこでちょっとね
これ話しといた方がいいかなっていうような思うことがあったんで
今日はそのテーマにお話していきます。
結局なんでイライラするかっていうと
要するに被害妄想とか被害者意識を持ってるから
そういう風に感じてしまうわけですね。
自分は被害者なんだと。
この列に並んでこの人によって長い時間待たされてるんだ
っていう風に思うからイライラしてしまう。
でそのどうにもならない現実。
自分でどうしようもないわけじゃないですか。
どんなにイライラしても列が早くなるわけじゃないし
その人がねもうこれ生産やめますとかって
すぐに去ってくれるわけでもないし。
だからコントロールできないものを
自分の思い通りにしたいと思うから
ちょっとイライラを感じてしまうわけですけど
ここで考えないといけないのが
さっきの言葉ですよね。
待たされたっていう言葉。
待たされたっていうこの受動形の言葉はですね
要するに被害者なわけですね。
させられているわけだから。
要するに自分は被害をこむってる
っていう風に表しているようなものなんですね。
だけどその状況において
待たされたんではなくて
いや待ってるんだっていう風に
言い換えることもできるわけですよ。
待たされただと被害者になっちゃいますけど
待ってるんだってなると
自らの意思とかね
自分の選択によって
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今この状況があるんだっていう風になるから
そういう何かによってコントロールされている
っていう状況はなくなると思うんですよ。
被害者意識を持ってると
例えば列の前にいる人
大量に飼い込んでいる人とか
レジのスタッフに対して
イライラしてしまうと思うんですけど
自分がそういう風に待ってるんだと思ったら
そういうイライラ、誰かを責めるみたいなことも
なくなるわけですね。
だからそこの言葉遣いというかね
やっぱ被害意識の強い人
っていうのはやっぱりこう
自動形で喋ってしまいがち
何々させられたとかね
何々飼わされたとか
例えばあるじゃないですか
何々させられたんじゃなくて
何々してるんですね。
飼わされたんじゃなくて飼ってるんですよ。
でも実際そうだと思うんですね。
だからそこの言葉遣い
例えば仮にね
上司がお前ここで待っとけって言われて
長い時間ね
待っていたとしても
それは確かに表面的には
待たされたってことになってるかもしれないけど
自らの意思でそこで待ってるわけだから
私は待たされてるんじゃなくて
待ってるんだっていう風に
言い換えることもできるわけですよ。
これ全然違うと思うんですね。
この言葉遣いが変わることによって
パラダイムがね
大きく変わることになるわけです。
世の中の捉え方見方とかね
そういったものが変わってくるわけですよ。
やっぱりこう被害者意識を持っていると
自分で人生をコントロールできない
やっぱり生きてるとね
そういう自分の力ではどうしようもないような
不可抗力的なこともね
たくさん起きますし
その時に
その度にですね
被害者意識を感じていたら
到底ね
自分で自分の人生だから
コントロールできないですね。
だけどそれを自らの意思でやってるんだ
っていう風になると
そういったことも起こりにくい
わけですね。
だから列に待たされてるんじゃなくて
待ってるんだっていう風に
言い換えていく。
これがやっぱこう人生の成功法則とかね
すごく大事な部分になるわけです。
だからこう被害者意識の強い人っていうのは
やっぱり自然とそういう
受動形でね
物を喋るようなことが
多いんじゃないかなと思うんですね。
結局確かに待たされたっていうね
状況的にはそういう風に
思うかもしれないけど
そのやっている行動ですよね。
やっている行動は結局待っているって行動。
何かをさせられたっていう状況でも
結局やってるわけだから
やってるんだっていう風に
いうこともできる。
何かを買わされたってなっても
買ったっていうね
事実があるわけだし
買うっていう行為をしてるわけだから
いや買ってるんだっていう風に
変えることもできるわけです。
でもこの言葉遣い一つによって
全然やっぱり世の中の見え方がね
変わってくると思うんですよ。
だから本当にこう
僕たちって無意識のうちに
そういうね
受け身というか
被害妄想的なことを考えてしまって
自然と受動形でね
物事を喋ってしまいがちですけど
これだとやっぱりね
なかなかこう人生を
自分の思うようにはできないですね。
自分の人生を自分の思うようにするってことは
全部自分でコントロールする必要があるわけですよ。
でもそういう風に被害者側に回ってしまうと
コントロールされる側になっちゃいますね。
そうならないためにも
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今回言ったみたいな
渡されたんじゃなくて
待ってるんだっていう風に置き換えると
これはもう自分でコントロールしますね。
その待つっていう状況を
自ら選択してコントロールしてるわけだから。
っていう風になると
全然変わってくると思うんですよ。
これをできるように日々
意識的に訓練していくというか
僕も本当にネガティブ思考な人間なんで
何でもマイナスに捉えて
そういう状況でもね
やらされたとかね
待たされたとか
そういうようにね
マイナスに考えてしまいがちだったんですけど
そういう時にちょっと考え方を変えて
待たされてんじゃなくて
待ってるんだっていう風に変えると
見え方も全然変わってくると思うんですよ。
だから日々そういう
生活の中で
シチュエーションがあった時にですね
今回言った言葉を思い出してもらえれば
きっとそういうネガティブ思考に
支配されることもなくなるでしょうし
人生ってものがですね
自分でコントロールできるようになってくると思うんです。
それができるようになると
いろんなものがですね
少しずつ自分の思い通りになっていくんですね。
だからそういう訓練とかっていうのはね
日常的にできるわけですよ。
生きてるだけでも
やっぱりいろんなことがね
起こるわけだし
ただやっぱりそれで
うまくいく人とうまくいかない人っていうのは
物事の捉え方考え方
見方が違うんですね。
同じ状況においても
例えば過去の自分と今の自分だった場合
過去の僕だったら
おそらくこんな長い時間待たされたって言って
ものすごくイライライライライライだね
多分してたと思うんですよ。
なんなんだあいつあんな買い込みやがってみたいな
ことをね思ってその人をね
心の中ですごく責めてしまうとか
してたと思うんですね。
だけど今の僕っていうのは
特に気にならないというか
いつか順番回ってくるよねみたいな
そういうふうに考えてるわけですね。
このいつか順番回ってくるよねって
すごく大事で
待たされるってよく言いますけど
いつかその待たされる状況も終わるわけですよ。
渋滞にはまって
全然車が動かないときもね
それが一生じゃあ死ぬまで続くかっていうと
そういうわけじゃなくて
いつか動き出すわけですね。
だからもう待つしかないというか
イライラしちゃってしょうがないですね。
その時は必ずやってくるわけだから
ただ待ってよっていうふうに考えたら
イライラも減ると思うんですよ。
実際じゃあ僕の場合はその列に並んだことによって
何か被害を被ったかというと
ちょっと出発が5分10分遅れるとか
その程度ですよ。
特に実害はないわけですね。
なのになんでそんなイライラするんだっていうふうに
考えるとなんかイライラすること自体が
すごくバカバカしいというか
そういうふうに思えてくるわけですね。
だから過去の自分と今の自分
やっぱり同じ状況にあったとしても
見え方が全く違うわけですね。
これがやっぱり人生をマスターする上で
すごく大事な考え方だと思うんですよ。
こういう些細な出来事であっても
そこにそういう人生をうまくいくための
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ヒントが隠されていたりとかするわけですけど
僕たちはそういうものをあまり意識的に考えてないので
反応的に生きてしまっているので
なかなか冷静に客観的にそういうことを
考えることができないことが多いですね。
だからちょっとこういうシチュエーションがあった時に
ついつい口癖ね
待たされたとかやらされたとか
っていう口癖がある人は
ぜひ今回の話をね
ちょっと思い出してもらって
いや待たされたんじゃなくて待ってるんだとかね
待ってたんだって
自分の意思でそういうふうにしたんだっていうふうに考えると
全然ねその感情ってものが変わってくると思いますし。
本当に気分いいと思います。
その状況で被害者から
被害者じゃない状況になることができたわけだから
これと本当にすごく自由になれたわけですから
気分もいいと思う。
今まであったネガティブな感情だったのが
そういうネガティブな感情を感じなくなってくると思うので
ぜひ試してみてください。