おばあちゃんの自己認識
はい、皆様おはようございます。片付けコンサルタントのまっちゃんです。このラジオでは、シンプルに自分の日常をちょっとだけ、昨日より好きになるための学びを紹介していきます。
はい、皆様いかがお過ごしでしょうか。私数日前に、ブラジャーについてグチグチ言う会をやったんですけれども、
まさかのノーブラ会の方からね、あのこちらの世界にようこそっていうあのメッセージをくださって、
めっちゃ嬉しかった。その方はね、完全なノーブラじゃないんですけれども、同じようにそのブラジャーに対して思うことがあって、いろいろ行動しているみたいなことがちょっとメッセージに書いてあってね、
一人じゃないんだと思ってね、すごく勇気づけられました。はい、私もこれからちょっとブラジャーのね、いきなりブラの話し始めたなと思って気になる方は、
ちょっと数回前のブラの話を聞いていただきたいんですけれども、ブラジャーと言ったらこれっていうふうに決めつけるんじゃなくて、自分のその感覚に従ってね、ちょっと幅を広げていきたいなと思っている所存でございます。
はい、以上報告でした。はい、今日はですね、このラジオでも何回も登場している、私の尊敬している聡明なおばあちゃまとのお話の中で、最近ちょっとびっくりすることがあったので、ちょっとそれをね皆さんにシェアしたいかなと思います。
なかなかそのすごい聡明で、お話がクリアにできるご高齢の方が近くにいる割合ってそんなに多くないかなと思うので、これは私だけの話に留めとくのももったいないなと思うので、シェアしていこうかなと思います。
はい、今日のテーマはですね、当たり前だと思っていることが自分にとっての当たり前になるっていう話をしようと思います。
はい、もう当たり前が言いすぎて、当たり前なるクラッカーみたいなわけわかんないタイトルになってますけれども、
当たり前に明日が来ると私たちは思っているから、明日の準備をするし、もちろん明日が来るんですけれども、99歳のおばあちゃまからしたら、
明日とか来年っていうのは当たり前じゃなくて、っていう話をちょっとしようかなと思います。
はい、その聡明なおばあちゃんと話してて、すごいびっくりしたのがですね、前もちょっと言ってたんですけど、そのおばあちゃんは96歳か94歳ぐらいになるまでは、
自分のことをおばあちゃんだと思ってなかったんですね。高齢者だと思ってなかったんですよ。
国の基準の中では高齢者に当てはまるんですけど、年齢を数えてなかったというか意識してなかったので、自分が高齢者っていう認識はなかったらしいんですね。
97歳ぐらいから自分は徐々に周りの人との差が見えてきて、高齢者だなって認識し始めるようになったっていうスーパーおばあちゃんなんですけど、
そのおばあちゃんが今度に100歳になるんですね。100歳になるので、人生の中で一番年齢のことを言われるんですって、最近。
100歳まで生きることってすごいことですから、やっぱり皆さんね、周りの人も意識して声かけてくれるんですって、すごいですねって。もうすぐ100歳ですねって。
すごい言われるって言ってて、私もたぶんその人に会うたびに、誕生日いつでしたっけみたいな、もうすぐですね、みたいな感じでめっちゃ言ってた気がするんですよ。
100歳っていう節目の年って、市とか県とかからもいろいろもらえるんですよ。1万円とか、あとなんか粗品みたいなのがもらえたりするんですよね。
なので、でも人生の中で一番年齢を意識する年なんですって。100歳直前っていうのはね。で、その人はなんかちょっと嫌いになったらしいんですよ。
96歳ぐらいから高齢者かなって思ってたけど、それでも毎日淡々とね、頑張って生きてたから、自分がすっごい年寄りで、100歳で、
みんなが生きててすごいねっていうレベルの人間だっていうことを、よく言われてたけど、100歳だねってめっちゃ言われることで、年齢をめっちゃ言われることですっごい意識してしまったって言ってたんですよ。
もちろん褒めてもらえることは嬉しいんだけど、ここまで自分が100歳だっていうことをめちゃくちゃ認識されて、
ちょっとしんどくなったって言ってたんですね。その話を聞いて、私もめっちゃ言ってたなと思って、ちょっとごめんよと思いながら聞いてたんですけど、
で、その100歳っていうことを、高齢者っていうことを、すごい年寄りだっていうことを認識して、彼女はね、もう頑張らなくてもいいかって思ったらしいんですね。
余命を知ることの影響
彼女は毎日淡々とその日を流れ合えるために、結構努力してた。
努力っていうか、それが自然とやってたことだと思うんですけど、朝大根吸って食べたりとか、ヤクルト飲んだりとか、
なんかこう、ふりかけ一つでも成分表をいろいろ見たりとか、毎日たくさん私より歩いてたりとか、
なんか淡々と努力を続けてたんですよ。それは長生きするための努力っていうか、生きるための努力ですよね、彼女にとっての。
それを淡々とやってたんだけど、年寄りだって聞いてから、なんかもうそんな頑張らなくてもいいのかなって思ったんだって思ったんですって。
その瞬間に、なんかもう体もね、もう頑張らなくてもいいやって感じになって、なんかちょっとしんどくなったらしいんです、体が。
高齢者になったらしいんです、体がね。100歳でね。っていう話を聞いて、なんか頑張らなくてもいいんだって思えた、楽になったってことはポジティブなことかなと思って。
それで、Aさんにとって嬉しいことですか、いいことですか、それともその楽になる前の状態の方が幸せでしたって聞いたら、前の状態の方が良かったって言ってたんですよ。
私はね、それがすっごい衝撃で、びっくりしたんですよね。これっていわゆる余命、余命がわかったときに、余命を聞いたら、その余命の中で全てのことを成し遂げようと頑張るじゃないですか。
でも余命を知ってないと、普通に来年も再来年も10年後もあるっていうことを前提にこう行動しますよね、努力しますよね。10年後も自分は生きてるってことを前提で、例えばお金を貯めたりとか、食べ物をちょっと考えたりとか、なんだろう、それなりの行動するじゃないですか。
でももう頑張らなくていいんだ、みたいなリミットが設けられた瞬間とか、もういいんだ、みたいな、来週とか来年とか、もう自分はいいだ、みたいな感覚になった瞬間に、そういう発想に、そういう思考になったりとか、そういう体の動きになるんだと思って、
すごいびっくりしたんですよ。そういう発想になるのはなんとなくわかるんですけど、それよりも頑張ってた時の方の自分の方が、彼女の場合はね、幸せだったって言ってたのが私はびっくりしたんですよね。
私だったら、嫁がね、例えば1年とかだったら、嫁を知らずに、1年が3年とかになるように、嫁を知って、1年で自分は生き切るぞって思った方が幸せだと思ってたから、絶対嫁とかがある病気になった場合は教えてほしいなと思ってたんですよ。
100歳を生きる思考
いろんなターミナルの患者さんとか、見たりしてね、思うこともあって、教えてほしいなと思ったんですけど、教えてもらうと自分も周りもすべてが変わるんだ。
1年後に終わりを向けるように行動をしていくんだ。それなりの行動と発言と選択をしていくんだと思って、そうすると全然1年の嫁じゃなかったのに、1年にするように仕向けていくように自分がなっていくんだって、そのおばあちゃんの話を聞いてちょっと思ったんですよ。
だから私たちが今、明日とか来年とか10年後とか若かったら、当たり前にあるなって思ってるからあるのかもしれないなって、そのおばあちゃんの話を聞いて思ったんですよ。
そういう思考があって、そのおばあちゃんに100歳ですねって言って、チーンってなってたから、どう声かけたらいいのかなとか考えてたんですけど、それって人間が100歳ぐらいなのがすごいこと、精一杯なことみたいな発想があるから、
じゃあ人間は200歳ぐらい生きるのが当たり前だっていう前提があったら100歳もそんなしんどくないというか、もうちょっと普通に淡々とまだ100歳かみたいな前の腕行き入れるのかなと思って、今度会ったら人間って200歳ぐらい生きますよねみたいな話をしようかなと思ってるんですけど、殴られそうですけど。
はい、なんかちょっと衝撃的だったんですね。多分いろんな考え方があると思うんですけど、私はリミットがもしあるんだったらリミットを教えてもらって、その期間で全力で生きた方がいいなと思ってた立場の人だったので、
なんかその頑張らなくていいんだと思った瞬間になんか辛くなるんだっていう話を聞いて、ちょっとびっくりしたっていう話です。そのおばあちゃんは結構毎日淡々と生きるための努力をすごい頑張ってたので、あれ自体が結構楽しいことなのかな。
楽しいことというか、生きるために生きることをするのってやっぱり人間としてすごい素敵なことなんだなって思いました。なので全てをちょっと手放していっているそのおばあちゃまが、確かに客観的に見ても前より、
前は虎っぽかったっていうか、ウィーって感じだったんですけど、なんかちょっとフワーってちょっとすごい穏やかな感じになってて、なんかおばあちゃんになってるってなった、思ったっていう話でした。
これはまあどっちがいいとか悪いとか置いといて、実際に体験している人がそうやって思ってるんだって、一個人の話ですけど、私はちょっとびっくりしたので、その話をシェアしてみました。
はい、私は今んとこ10年後も20年後も、100歳になっても当たり前に自分が存在していると思っての行動をしているので、
100歳、いつもこのポッドキャストでも話してますけど、100歳の私はこういうことをしているみたいなことを妄想しながら今生きてます。
はい、だから100歳まで生きれると思っております。
はい、というわけで今日のテーマは当たり前だと思っていることが自分の当たり前になるって話でした。
これはまあ寿命だけじゃなくて、たぶん片付けでもそうですけど、自分がこれにふさわしいとか、この世界観を自分が望んでて、
その世界観の中に自分が生きているのが当たり前だと思う人は、当たり前にそれを選択し望み、周りに伝えていくことになるので、
やっぱ想像できる世界とか、自分がここにいて当然だって思えることが、その世界に行ける一番最初の一歩なんでしょうね。
だって、トイレに水洗がついているのが当たり前だと思っているから、水洗がついているトイレ買いますもんね。
例えが変だったけど、でも外国の方で水洗がついているのが当たり前じゃなかったら、水洗がついているトイレ選ばないですもんね。
だから当たり前だと思っていることがやっぱ当たり前になっていくんでしょうね、自分の。
今日はそんな話でした。
では、ここまで聞いてくださりありがとうございました。また次回のポッドキャストでお会いしましょう。
ぜひ自分が望んでいるものが自分にとって当たり前になる妄想をしながら、日々歩んでみてください。実験ですね。
はい、ではまた次回のポッドキャストでお会いしましょう。
ではでは。